ただいま、約2年振りの東京です
海外の演劇学校でバリバリ教えている講師の指導の下、3日間で10分くらいの映像作品を撮る、
というワークショップを受けてみた@東京
今年は、芝居の予定もちっとも埋まらないし、仕事もなんだか物足りなく・・
いろんな意味でエネルギーを持て余している・・ と思っていたところで見つけたワークショップ。
わざわざ東京まで来るだけの価値があるのか迷ったけれど、
役者として何もない日々を積み重ねるのも寂しいので、えいっとチャレンジすることにした。
・・だけではなく、英語+日本語通訳で催行されるワークショップは、
たとえ内容が平凡だったとしても、それなりにチャレンジングで、
ということは、それなりに面白かろう。
多分、集まってくる人の空気もどこか国際的で、普段味わえない空気なんじゃないか、
もしかして、同じような面白いイベントやスクールの情報だって見つかるかも、と、
そんな期待もあっての初参戦。
結果は、確かにそのとおりで、
「外国語」を挟むハードルが、障害物競争のように心地よい部分もあったし、
「中身」に対する自分自身の「検閲」がやや弱まる感覚もあって、
いろんなものを受け入れやすかった。
けれども、日本語と英語を行ったり来たりすることは、確かに「障害」でもあって、
実はマルチタスクがそう得意でない私にとっては、少々容量オーバー気味。
しかも、映像なんて、考えてみたら、ほとんど経験ないし・・
エキストラとワークショップが数回程度。
ほっほー。何回も撮るって聞いてたけど、こーゆーことか とか、
フレームから出たらアカンって、こーゆーことか とか、
いちいち驚いている中で、無駄な負荷をかける必要はなかったんでないかと思う。。。
さはさりながら・・ じゃあ、できるところから確実にやれよ。
と言われると、それはそれでプレッシャーだったり・・
面白くなくて、無意識に手を抜いたりしてしまうので・・
一つのことを、真面目に、確実にやるよりも、やや難しい課題を選んでしまう私。
そういえば、昔、私は人よりできないことがあっても、
それをあまり自覚してない子だったらしい、と母から聞いたことを思い出す。
多分、ずっと昔から、私は、なぜか「自分には(いつか)できる」と思っている。
その根拠のない自信は、今も変わらないけれど、
最近、その自己評価と他人の評価が一致しない。
(これを、世の人は「うぬぼれ」というのだろう)
今回の選択も、こういう「過信」が招いた結果・・かも知れない。
けれども、京都に置いてきた日常を忘れ、人間関係を忘れ、仕事を忘れ、
目の前のタスクに追い立てられながら、一人挑戦者でいられるということは、
やはり得難い経験に違いなく、
普段と違う集団や場に身を置くことで感じることもたくさんあった。
ムダも間違いもたくさんあったかも知れないけれど、
そんな回り道もできる位の「幅」のある生活ができていることを、
やっぱりありがたいと思うのだ
海外の演劇学校でバリバリ教えている講師の指導の下、3日間で10分くらいの映像作品を撮る、
というワークショップを受けてみた@東京
今年は、芝居の予定もちっとも埋まらないし、仕事もなんだか物足りなく・・
いろんな意味でエネルギーを持て余している・・ と思っていたところで見つけたワークショップ。
わざわざ東京まで来るだけの価値があるのか迷ったけれど、
役者として何もない日々を積み重ねるのも寂しいので、えいっとチャレンジすることにした。
・・だけではなく、英語+日本語通訳で催行されるワークショップは、
たとえ内容が平凡だったとしても、それなりにチャレンジングで、
ということは、それなりに面白かろう。
多分、集まってくる人の空気もどこか国際的で、普段味わえない空気なんじゃないか、
もしかして、同じような面白いイベントやスクールの情報だって見つかるかも、と、
そんな期待もあっての初参戦。
結果は、確かにそのとおりで、
「外国語」を挟むハードルが、障害物競争のように心地よい部分もあったし、
「中身」に対する自分自身の「検閲」がやや弱まる感覚もあって、
いろんなものを受け入れやすかった。
けれども、日本語と英語を行ったり来たりすることは、確かに「障害」でもあって、
実はマルチタスクがそう得意でない私にとっては、少々容量オーバー気味。
しかも、映像なんて、考えてみたら、ほとんど経験ないし・・
エキストラとワークショップが数回程度。
ほっほー。何回も撮るって聞いてたけど、こーゆーことか とか、
フレームから出たらアカンって、こーゆーことか とか、
いちいち驚いている中で、無駄な負荷をかける必要はなかったんでないかと思う。。。
さはさりながら・・ じゃあ、できるところから確実にやれよ。
と言われると、それはそれでプレッシャーだったり・・
面白くなくて、無意識に手を抜いたりしてしまうので・・
一つのことを、真面目に、確実にやるよりも、やや難しい課題を選んでしまう私。
そういえば、昔、私は人よりできないことがあっても、
それをあまり自覚してない子だったらしい、と母から聞いたことを思い出す。
多分、ずっと昔から、私は、なぜか「自分には(いつか)できる」と思っている。
その根拠のない自信は、今も変わらないけれど、
最近、その自己評価と他人の評価が一致しない。
(これを、世の人は「うぬぼれ」というのだろう)
今回の選択も、こういう「過信」が招いた結果・・かも知れない。
けれども、京都に置いてきた日常を忘れ、人間関係を忘れ、仕事を忘れ、
目の前のタスクに追い立てられながら、一人挑戦者でいられるということは、
やはり得難い経験に違いなく、
普段と違う集団や場に身を置くことで感じることもたくさんあった。
ムダも間違いもたくさんあったかも知れないけれど、
そんな回り道もできる位の「幅」のある生活ができていることを、
やっぱりありがたいと思うのだ
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