日本に「一時」帰ってます。

2年間。長いようで短いニューヨーク赴任を終えて日本に「一時」帰って来た・・と思っている私の、まだまだ続く旅の顛末。

激動の年

2022-12-30 21:32:00 | 日記
また、この季節がやってきた。ほぼ年イチとなったブログの更新時期!
2022年は(も?)なかなか激動の1年だった。
年を取ると、1年が過ぎるのが早くなる、とよく聞くけれど、ほんまか?
私の1年は、大体いつも、十分に長い。

ご縁をいただいて出演舞台のあった1月。
からの~、体調不良で始まった2月。
またしても異動が決まり、仕事の中身も進め方もずいぶん変わった4月。

毎年、積み上げたことをリセットさせられる徒労感とか、
多分、疎ましがられた結果かな、と感じる悲しさはあったものの、
出先の仕事は案外自由で身軽で、簡単だった。

それでいて、「その他大勢」でもなく「勝手にやれ」でもなく、
チームの一員としてカウントされ、それなりに頼りにされる立場に、
一息つける感じもした。

それはそれで、保守的だったり、当たり前のように「当番」があったりと、
閉口する習慣もあるにはあったけれど、
どちらかというと気軽に、楽しく、比較的ストレスの少ない日々を送っていたと思う。

担当プロジェクトが動き始めた6・7・8月。
と同時に迎えた本番月の8月。

1年半越しのツアーは、お披露目できたということはもちろん、
そこに向けて、自分なりに役柄と演技を再構築し、本番を迎えられたという意味で、
忘れ物を取りに行けた感もあった。
ようやく、完走できた、という感慨もあり、それなりに良い感想もいただけた。

ツアーから帰ってすぐの9月初め。
家族が倒れたと連絡があり、そこからは、実家と行ったり来たりの日々。
秋から冬にかけて決まっていた舞台は、一旦すべて白紙に戻し、臨戦態勢を取ったものの、
倒れた母は入院中で、いまだ直接看病や介護ができるという状態ではない。
それでも、実家で主婦として現役だった母が抜けた穴は大きく、
家事のサポートや見舞い、精神的な不安定さに対するサポートだけでも大変だった。

コロナ禍で疎遠になっている間に、両親が思った以上に衰えていたことに驚いたし、
きょうだい達が、実はこういう人間達であったのか、と改めて知ることになり、
助かったり、驚いたり、困り果ててしまったりした。

それでもまあ、ある時期から始まった、母親との毎日の電話には癒されたし、
逆に元気づけられたりもした。
後遺症が残っても、入院生活が辛くとも、
全体としては極めて前向きで、てきとーで、逞しい発言の数々は、結構尊敬に値した。
そして、そういう親を持てたということは、結構ありがたいことなんだろうと思った。

月に1,2度訪れる実家では、歓迎されるばかりではないけれど、
少なくとも父には頼りにされ、甘えられ、感謝され、
これはこれで、嫌ではなかった。

最近、見た「山羊座の人は、誰かの世話をすることが癒しになる」という占い。
数年前なら「私は違うけどな」と思ったに違いないけれど、
少しだけ、家族の世話を焼くようになった今は、確かにそうだという気がした。

家事にも料理にも、基本的に自信がないし、てきとーだし、
「私より上手な人がいっぱいいる」と思っているのは変わらないけれど、
同じようにいい加減な実家で、
「とにかくやればいいんでしょ、やれば」といった態で取り組むのは、
それほど苦痛でないし、「助かった」と言われて、やりがいもあった。

自分には縁遠いと思っていた「なんちゃって主婦」体験を、月に数日でも出来、
母が残して行った物に囲まれて、
そこで考えたり関心を持ったりしていたであろう事柄を感じながら家事に勤しむのは、
意外と面白かった。

うまく行けば、年内にも退院か?と思ったけれど、そううまくは行かず・・
退院は、家の態勢が整った年明け以降になりそう。
ということは、家族の形や生活が本当に変わって、
それに対応することが求められるのは、本格的にはそれ以降ということになる。

そうなった時に、果たして今のように暢気に構えらいられるのか分からないけれど、
そろそろ限界を迎えつつあるようなので、できれば早く家に帰してあげたい。

けれどもまた、少ない稽古で久し振りの本番を迎える2月に向けて、
自分が役者としてのペースを保ちながら、家のこともこなし切れるのか、
自分のことが心配な自分もいる。
まだまだ、油断はできない。

そういう訳で、秋以降、「ちょっと先」の予定が決めきれないまま、ここまでやってきた。
不安定で落ち着かないけれど、最初の衝撃や心配事に比べれば、
最近のそれは、ずいぶん穏やかで緩やかだ。

負担は増え、日々の生活や演劇活動への制約は増えているはずだけど、
今の事態に思ったより前向きに対処でき、
意外と家族を優先することも出来るし、
そのことを喜び、面白がれる自分は、
結構いいな、と思っている。

今まで運が良すぎて、人生が順調過ぎて、
こんな風に「突然、困難に見舞われる」経験が少なかったのだけれど、
出会ったら出会ったで、結構何とか頑張れるもんかも知れん、
と自分を見直した。

・・と、相変わらず、自分には甘いかな?

けれど、そういう、大きな変化のあった1年だったし、
お蔭で、自分のイメージをいくつかの面で新たにできた、という収穫のあった年だった。

2023年には、果たして、どんな展開が待っているかな。
何が来ても、割とやっていけるんじゃないかと、
2022年末の今は、そう楽観的に構えている。

終演

2022-01-31 09:03:51 | 演劇・ワークショップ
昨日、出演舞台が千秋楽を迎えた。
公演中止のお知らせが相次ぎ、
感染者や濃厚接触者が複数人出たらアウト、という状況の中で、
最後まで無事公演できたのは、幸運としか言いようがない。

しかし、今回も、苦労はした。
戯曲に、稽古に、共演者に。

どちらかというと内気な人が多く、
とても穏やかでプレッシャーの少ない現場だったのだけれど、
芝居や意見をぶつけ合うことが少なく、
役者として意見やフィードバックを求められることもなく、
作・演出共通という、小劇場によくあるパターンの座組で
戯曲に対する疑問を十分に議論することもできなかった。

時間を重ねるにつれて、私が当初勝手に持っていた
劇団、作家、演出、俳優など、それぞれの役割に求めるものが
この座組においては、少し違うのだろうと思ったので、
自分のイメージを徐々に修正し、言うことと言わないことの加減をし、
自分で処理することを増やして行ったのだけれど、
その「自分で抱える」状態が、なかなかしんどかった。

大体いつもそうなのだけれど、「問題」を避けようとする状態はしんどい。

それは、なぜか
問題が「ある」と認め、開示し、「あるよね」と共感したうえで、
「やりにくいな」とか「なんだ、こいつ」と思いながら対処する時と、
心理的な負担が大きく違う。

けれども、多分、特に日本では、
「問題がある」「何かおかしくない?」と声を上げること自体に抵抗を感じる人が多いし、
それを自分への攻撃や反抗、否定と捉える人も多いので、
「それがある」とした時点で思考やコミュニケーションが停まってしまうことが多い。

停まってしまうと、
停まったり、恐れたり、遠慮が出たりで、共同作業に支障が出る位なら、
そして、私が言いたいことが、どうやらあまり伝わらないようなら、
自分の中に留めて処理しよう。
相手に悪気はないのだし。
しかし、必要以上の負担をかけても仕方がないし。

と考えて、自分の中に留めるようになっていったし、
そうしている間に、それぞれの人が、それぞれの立場で、
自分のできることに取り組んでくれている感じはしたので、
それに応えたい、
それ以上、相手を責め立てるようなことはやめよう、
と思ったのだけれど、
いつもより広めに心を使う、芝居づくりという作業の中で、
それは時々、思ってもみないところで影響し、思ってもみないところで顔を出した。

戯曲を受け入れる自分の度量の狭さにも、改めて、直面した。

ただ「読む」のでなく、演者として「体に入れる」には、
本当に状況や心情を理解し、体や心と紐づけていく必要があるし、
言葉は、体や心を縛っていく。

そうなってもよい、なろう、なりたい、と思えなくても、
本番を迎えるために、無理矢理体に入れたりするのだけれど、
それはやっぱり、少し自分を損なうし、とてもしんどい。

本番3日目、疲れが出て、集中力が落ちたり、
大事なところでミスが出たりした。
人前で演じるためには、やっぱり経験と場数が必要で、
こうやって回を重ねられる公演に参加することも、
芝居の中で歌うという経験も、貴重だと思った。
そういう経験は、重ねていきたい。

一方で、「あー。しんどかったなあ」という心身を癒し、
無理にでもやれてしまう状態から、いつもの自分に戻るには、
少し時間が必要だ、とも思う。

今回に限らず、客演すると、こういうことがよく起きるので、
今回の座組の問題ではなく、
私の方が異質なんだろう、とも思う。

しかし。とも思う。

5,6年前だったら「分かりませーん!」という状態のまま本番を迎え、
「あなたらしくなかったわね」と言われて終わっていたところ、
多少は自分らしさも漂わせられたし、
ギリギリなんとか自分の言葉、自分の演技の質を見せられたんじゃないかとも思う。
当社比では、成長が見られる? のではないかしら。

お客さんは、思ったほど、この情報量の負担を感じていなくて、
それぞれに思うところや感じるところ、思い出すところがあったようだ。
気持ちが荒みがちな日々の中で、劇場に集い、人の話を聞いて、
ちょっと泣いたり笑ったりして、気持ちがほどけた人もいるだろう。

そういう人たちの心に残る何かになれれば、私の苦労も報われるし、
そもそも、私がどうかなどということは、大した問題ではないのだろうと思う。

中盤、いろんなことが頭をよぎったし、
公演中止や延期の可能性もあったけど、
無事、最後まで、走り抜けられた。
それだけで100点。なのかも知れない。

少なくとも、今日は、そう思って、自分の心を慰めよう🍀

少し休んで、リハビリして、また次へ向かう、英気を養おう。

バランスはとらない

2022-01-03 00:08:14 | 日記
2022年の抱負は「外に出る、旅に出る」にした。
あまり具体性もないし、暫定なんだけど、方向としては、これで良いと思う。

コロナ禍の2年間はもちろん、それ以前においても、なんとなく
目の前のこと、決まったこと、仕事やワークショップのスケジュール優先で、
ルーティーンの幅が狭くなってきていた。

巡り合わせのせいもあるけれど、無理して長めの休みを取って、
海外旅行に出かけたり、遠い町で武者修行をしたり、
ということも、しなくなって久しい。

もちろん、外に出れば素晴らしいものがある、というのは幻想で、
どこに行っても、しょーもないものや人には出会うし、
自分の気持ちや準備や実力が整っていなければ、
たとえ素晴らしい環境に出会っても、それを生かし切れない。

けれども、少しはチャンスも広がるし、気持ちや視野に余裕ができて、ワクワクしそうだ。
「いざ」って時に飛び込むための、反射神経も鍛えられそうだし、
多分、自分もまだまだ挑戦できる、って自身が湧きそう。
飛び込む勇気や、失敗した時のダメージにも、強くなれそうだし、
早めに、多めに失敗することで、学びの幅が広がりそうだ。

今年は、勝手に挑戦しよう、と思っている。
勝手に飛び出し、勝手にはみ出し、勝手に学び、勝手に前進する。
誰かの承認も、許可も、期待も、評価も、いらない。

全体のバランスのために、
「できる人がやった方がいいから」やる
ってことも、極力しない。

やることは、私が決めてやるし、
やらないことや、お断りすること、少しお休みすること、なども、自分で決める。

あとは、野となれ、山となれ。
案外、誰かが穴をふさいでくれて、何とかなるはずだ。

気持ちのうえでは、かなり「個」に戻り、初心に帰り、
無責任に過ごすことに決めた。
結局のところ、そういう生き方が、私には合っているんじゃないかと思う。

「個」として楽しみ、「個」としてがんばり、
できれば、「個」として、ちゃんと信頼され、良い仕事ができますように。

正月2日目からの長い散歩を経て、なかなか良い結論に辿り着き、
余は満足ぢゃ

2022年お正月のわたしと約10年の旅路

2022-01-01 18:00:02 | 日記
あけましておめでとうございます
新年らしく、今年の希望など、書いてみよう。
と思うのだけれど、その前に、ちょっと足りなかった2021年の振り返りを。

2021年は、コロナ禍という意味では、2020年とひと続きで、区別できない気もするし、
ワクチンが浸透し、波が収まったりで、2020年よりもはるかに自由度が高まり、
いろいろな場面で「日常に戻る」動きが加速し、
終わりが見えてきた感もあった。

私自身はと言えば、ここのところ、毎年職場環境は変わっていて、
そのどこにおいても、あまりうまく行っていない。
2020年の鬱屈と、2021年のそれは、ちょっと種類が違ったけれど、
違っていながら、よく似ていた。

演劇については、2020年に始まり、2021年に本番を迎えた舞台もあったし、
一昨年からの緩やかなつながりが、今年の舞台につながったケースもある。
だからやっぱり、2021年は、どこか2020年とつながっている。

とはいえ、コロナで生活が困窮した訳でもなければ、
体調が悪化したり、ひどく衰えてしまったという訳でもない。
むしろ、時差出勤や在宅勤務で楽になる部分もあったし
(逆に、元に戻れる気がしない・・)
オンライン企画で、普段会えない人、行けない場に出会えることも増えた。
そして、その「先」が始まりつつあることも感じている。
マスクや外出制限、相互監視にはもううんざりだけれども、
もう少しの辛抱で、本当にwith コロナが平常運転、という時期が来れば、
コロナ前より、自分の活動の幅は広がっているのではないかという予感がある。
少なくとも、演劇や表現の分野においては。

2021年の成果は、まずは舞台の本番を2本こなせたこと。
いずれも、全員が重要という舞台の中で、
俳優として、自分なりの仕事をし、それなりに評価もされた。
観客は、まだまだ「お友だち」が多いけれど、
少しずつ、私の「俳優」としての顔を知り、観劇を楽しみにし、
応援してくれる人が増えてきたと思う。

今稽古中の次の芝居には、2020年にやっていたオンライン活動と、
今春の舞台が導いてくれたようなので、ようやく、本当にようやく、
日ごろの活動と舞台出演が、次の話につながる、という経験もできた。

考えてみれば、劇団退団後、どこで芝居を続けるか、ということは常に課題だった。
いち役者としては、オーディションを受ける位しか、できることがなく・・
いや、「小劇場界で人脈を作る」とか、
最近なら「You Tube その他で発信する」という方法もあるのだろうけれど、
人付き合いや人気取りは苦手で、とても無理だった。

けれども、世に出ているオーディションで、自分が応募できるものも、これまた限られている。
数合わせ、集客や集金のための人寄せ、みたいな企画も多いので、
そういうものをより分けて行くと、ますます、数が限られた。

という中で、それでも、何とかご縁があったり、紹介してもらったりした作品に、
参加するようになったのが、2014年頃からかしら。
紹介案件や、いわゆる「市民公募」にも参加しながら、今まで何とかつないできた。

合間にちょいちょい自主企画し(待ってるだけでは役は来ないから💦)
その度に、半ば後悔しながらも、
2018年以降、毎年何らかの自主公演も続けてきた。
そうか。これでもう、4作目になる。

とある占いによると「2022年から新たな10年が始まる」らしいが、
帰国した2012年から2021年までの10年間は、そうやって、
自分が俳優として活動できる道を探り続けた10年だった、とも言える。

その10年を経てなお、「この道なら大丈夫」というところまで来ていないのが、
情けないところではあるけれども、実績は限られていても、
自分の力は「ある程度」通じる。
と、思えたことが、2021年の成果だった。

特別に評価されたり、まして表彰されたり、
といったことはなかったけれど、
力量も経験もある役者陣の中で、ひとりレベルが低くて目障り、とは言われなかった。
そもそも、観客も、俳優一人ひとりを論評することに腐心するのではなく、
作品世界について感じ、考えてもらえるような舞台だったと思う。
そういう優れた作品に出演できたことを、とても誇りに思った。

幸い(?)、この間、仕事の方ではやや自分を持て余し、
時間やエネルギーにも余裕があったから、
この2年間でワーク・ライフ・バランスを意識的にも大きく変えた。
演劇やアート、表現、個人としての「私」をもっと生活の中心に置きたいと、
ずっと願って来たことが、ある意味叶い始めている。
この動きも、長い目で見れば、2010年頃からの動きの延長で、
ゆるっと選んできた生き方の延長に、今の自分がいるのだろう。

40代に入って、白髪が目立ち始めたり、ついに老眼が来たりと、
急速に加齢による「機能の劣化」を感じ始めた。
今までギリギリ所属していた(?)「若者世代」から完全に外れることで、
大事にされない場面が増えて来た一方で、
逆に「大人として、こんなんでは恥ずかしい?」って事柄が増えてきて、
いらない荷物ばかり増えてしまったような気分だ。

「結婚しない」決心とか、「子どもを産まない」決心を、してきた訳ではないのだけれど、
いよいよ、そういうことは、将来、自分の身に起こらないのだろうし、
周りからも、そう見られているのだろう、とも感じ始めた。

「おやおや、このままで良いのか?」「もしかして、老後のことは・・?」などと、
無駄に気持ちが焦る部分もあるけれど、だからといって、急速に知恵がついたり、
「自分の人生はこういう方針で、このように進め、不動産はこれこれを買います」
と決断できる訳でもない。

ぬるっと、ダラダラと、変わらぬ毎日を送っている間に、また時間だけが過ぎる。
(そのうち、「公演」という目標が決まると、その波に押し流される・・)

おやおや。

主に演劇活動について、昨年の自分を振り返ろうと思っていたのに、
書いている内に、とんでも無い方向に筆が進んでしまったではないか。
でもまあ、もうすぐ次の誕生日を迎えるし、甥っ子はもう中学生だと言うので、
そりゃあ、いろいろ考える。

この間、しばらく振りに会った同級生が
私よりはるかにまっとうに働き、世間ともうまくやっているはずなのに、
「これから、どうしていこうかなあ、自分」と、同じような空気を出していたので、
長い人生をどう生きていくのか、ってことは、
案外、多くの人にとって、難しい課題なのかも知れない。

ま、人生の課題、そう簡単に解けちゃったら、面白くないけどね!

それに、私たちがこうやって悶々とするのは、逆説的に言えば、
悩めるだけの余裕があり、まだ、時間があり、選択の余地があるってことだろうとも思う。

世の中が忙しなくなっているから、こうやって、ひとりダラダラ書くこともなくなったけど、
やっぱり、時々は、書いてみると、面白いな。
自分が意図していない結論に辿り着いたりする。

そして、その結論は、なぜか多くの場合、いつもとても明るいのだ

手放す

2021-12-31 11:33:51 | 日記
ブログ書くのも、久し振りや~。
と、今年上期に記事を書いていたことを、忘れていた。
人間観察シリーズにしようと思っていたのに、①で終わっている・・私らしい

コロナ2年目の2021年を振り返りつつ、自分の「今」を整理したい。

~2021年を振り返る~
1月 東京公演中止
1-3月 コーポリアルマイム オンラインレッスン
3月 京都公演
4月 異動
5月 ワークショップオーディション→出演決定
6月 歌の発表会(オンライン)
6-7月 仕事やや繁忙
8 月 公演始動 ~申込み、打合せ等~
   インプロオンライン稽古開始
   コーポリアルマイム オンラインレッスン
9月 採択通知→公演決定
   コロナ応援、ワクチン
10月 稽古2本立て
11月 稽古2本立て&MC
12月 「楽屋」本番+稽古

役者としての私は、良い作品に参加できるようになってきて、良かったと思う

3月の京都公演については、
後からビデオを見ると、全然やなあと思うところもあるし、
もうちょっとやりようがあったんじゃないか、とも思うけれど、
メガネにマスク、雑談禁止という、苦しい稽古環境の中で、
感覚が塞がれてしまった感覚もあったので、致し方ない面もある。
「この程度」が自分の実力、と受け止めて、ここからもう一歩、上を目指すしかない。

12月の「楽屋」公演は、大きな舞台での4人芝居で、誰もがメインを張る位のウェイトだった。
素の役者として、私には、どの程度のことができるのか、プレゼンできる、良い機会になったし、
自分で苦労して創り上げる、良い訓練になった。

主催者として公演に関わる大変さも痛感したし、その過程でいろいろ考えるところもあった。
集団として創作や制作に携わる以上、お互いの力や時間を、
もう少し差し出すように合意しておかないと、
アンバランスで、しんどくて、機能しないな、と思った。

・・という話を、先ごろしたら、
「私ばかりが自分の苦労を訴えて、ほかの人が引いていた」
と、悪意に満ちた表現でまとめられて、カチンと来たし、ケンカもした。

そう。2021年は、そういうことも、多かった。
6月のワークショップに始まって、ケンカや行き違いが絶えなかったし、
その原因も、理解の範疇を超えていた。

どうやら、私の考え方や行動が「行き過ぎ」「はみ出し過ぎ」ていて、
ほかの人の領域を侵したり、圧したり、邪魔したり、している、と
受け取られているのだろうなと感じたけれど、
こっちはこっちで良かれと思ってやっていることもあるし、
黙ってやっている部分もあれば、呑み込んでいる部分もある。

ある部分では必要以上に頼られているのに、
自分と違う考えを出して来られたら、癪だ。いらない。
と、言われているようで、実に納得がいかなかった。

この「誤解」の背景には、コミュニケーション不足があるのかも知れない。
と感じた時期もあって、懐柔に努力した時期もあったし、
そういったことや、共通する目標や外敵(?)の存在によって、
一時的に関係が改善したこともあったけれども、
そういう外的要素がなくなれば、これもまた限界、なのかも知れない。

ここ数年の取組を経て、軌道に乗りつつあることもあり、
新たに出来たつながりへの手応えも感じるので、全面的には難しいのだけれど、
来年は、少し「手放す」ことを考えた方が良いのかも知れない。

考えてみれば、少し長い間、ひとところに留まり過ぎたし、
実はここ数年は、「持て余され気味」だなあと感じていた。
そろそろ、実家を出て、一人暮らしでもする年頃なのかも知れない。
その時を、待たれているのかも知れない。

外に出たら出たで、世間の風は冷たいし、
お作法もベースになる考え方もバラバラで、話も半分位しか通じない。
その中でやっていくのも大層大変なのだけれど、
「中」にいて、同じ厳しさで向き合うのはちょっと酷な話で、
外から問題を持ち込んで「大変なんです」と相談する方が、
美しいんだろうと思う。多分、そういうことだ。

どこにいても、どの分野においても、「ホーム」を維持できないのだなあ、私は。
仕事においても、演劇においても。

自分としては、自分のセンスや探求心のままに、
そこそこ人とも交流しながらやっているつもりなのだけれど、
なぜか相手に脅威を与え、反発される、ということの繰り返し。

しかし、この探求と漂流の果てに今の自分があるし、
私はそんな自分を、ちゃんと誇りに思っている。
普段、その価値を見せびらかすことはできないけれど、
板に乗るチャンスさえあれば、ちゃんと証明できる、
ってことも、分かってきた。

細い糸をたぐり寄せていくと、いつか明るい視界が開けるかも知れないし、
これはもしかして「解放」の始まりかも知れない。
つまらないものや人に拘るよりは、手放して、気楽におりたいなあと思う。
ホームは、どこにもない。わたしだ。

と、2021年の大みそかに、そのように思っている。