日本に「一時」帰ってます。

2年間。長いようで短いニューヨーク赴任を終えて日本に「一時」帰って来た・・と思っている私の、まだまだ続く旅の顛末。

誰と食べるかが大事

2014-02-27 09:51:23 | 日記・エッセイ・コラム

今月は、閑散期対策の一環で、京都の料理を定価で楽しめる、というキャンペーンをやっていた。なので、仕事でも、プライベートでも、実によく食べた

http://www.diners-krws.com/

例えば、清和荘

調子に乗ってフェイスブックにアップしていたら、「贅沢ね」って言われたけれど、食べるのも、仕事の内なのになー・・ とも思う 最後の方は、さすがに食べ疲れ(飲み疲れ?)してきて、グルメ・レポーターってさぞ大変なんやろうなあと思ったくらいだ。

と言いながら、しかし、仕事で食べに行ったものは、実はあまり記憶に残らない。全体の印象とか、よほどインパクトの強いメニューは別にして、周りや時間に気を使いながら食べると、どうやら味も、分からんみたいだ。

不思議なもので、親しい人や家族と行った「特別な食事」は記憶に残る。今回も、実績上げるには、大人数の宴会を企画すれば良かったのだけど、面倒臭がりの私には、そんなことも出来ず・・。しかし、数人ずつで、楽しく食事を囲んだ方が、やっぱりとても楽しかった

「贅沢な」お食事の楽しみは、最近覚えたことの一つだけれど、決定的に大事なのは、お店の格とか値段じゃなくて、誰と食べるか、ではないかしら。・・というのが、あちこち食べて歩いてみた、今月の私の結論

お付き合いしてくれた皆さん、ありがとう ダイエットは明日から


最近、私は泣かなくなった。

2014-02-22 11:28:42 | 日記・エッセイ・コラム

ソチオリンピック。真央ちゃん、残念でしたねえ・・

って、スポーツに無関心な私でも言うくらいだから、そりゃあ、国民の期待を背負って大変なプレッシャーだったんだろう、と思う。はい、勝手に期待して、すみません。

その後、流布するネット情報などを見ていると、採点基準がどうの、審判がどうの・・とあって、しかし、そういった情報が信じられるかどうかも分からない。けれども、テレビのこちら側でも、身体が語る真実は伝わるなあ・・って思う。

あの日。もう寝ようかと思いながら、たまたまチャンネルを合わせたら、ちょうど浅田真央のフリーの演技が始まったところで、つい最後まで見てしまった。張り詰めたものを漲らせながら、ひとつひとつジャンプを決めていく姿は壮絶でしたねえ。そして、ああ、終わった、という空白の後の涙。

私は、うわっともらい泣きしながら、そうそう、ヒトはこうやって泣くのよね・・ と、妙に納得していた。

ちょうど、その日の晩、稽古をしていた相手役さんの演技が気になって「あれ、泣こうとがんばってない?そもそも、普段、泣いたりする?」と聞いたら、案の定「いや・・泣かないですね・・」と返って来て、う~ん・・こりゃ、どう言ってあげたらええんやろ、と思ったところだったから。

もちろん、いろんなケースがあるのだけれど、涙はあふれたり、こぼれたり、するもんだという気がする。当たり前だけど、出そう、とか、流そう、と思って出すものではない。

私はいつだって泣ける、って女優さんや、女優じゃないのに、そんなこと出来る人(主に女性)が、たまにいたりするけれど、そういう涙と、そうでない涙は、やっぱり別モノで、ちゃんと見てたら見分けがつくもんさ。

「じゃあ、あなたは泣きますか?」と逆に聞かれて、「オトナにしては、まあまあよく泣くよ。映画でも、三面記事でも泣ける。」と答えたけれど、最近の私は、昔ほど、泣かなくなった。

それは多分、社会人としても、オトナとしても正しいことで・・。些細なことで泣きたくなるのは、軽い鬱の時もあろうから、心が健やかになって、バランスよく泣いたり笑ったりできるのは、きっと良いことだと思う。

一方で、こうやって自分は、現実と妥協した、詰まらない大人になるのか・・と残念に思う自分もいる。

思えばニューヨークに行く前と、行ってから、不安とさびしさで押しつぶされそうになりながら、私は、実によく泣いた。よく言われるように、生活の変化は・・たとえ、それが自分の望んだものや(「結婚」のように)ポジティブなものであったとしても・・大きなストレスを伴うものだ。例えば、もう一度、住むところや仕事、生活を変えて、あの経験をしたいかと聞かれたら、すぐに「YES」とは言い難い。

けれども、私は、あのしんどさを遥かに越える収穫があったってことも知っている。毎日が冒険のようでワクワクしたし、自分で自分の変化や成長を実感できた。辛さを乗り越えて大きくなった、って自負もある。だから、YESかNOかで答えたら、やっぱり今もYESなんだろう。

「その時」が来た時に、怯まない自分でいたいから、泣きもせず、追い詰められもせず、のほほんとしている最近の自分に、ちょっと危機感を覚えてしまう。このままで、私、大丈夫かしら、って。

かと言って、大き過ぎる試練は嫌なんやけどぉぉぉ・・・

・・ええっと・・何が言いたいのか、分からなくなってきたので、この辺で筆をおきます・・。おやすみなさい


東へ、西へ

2014-02-15 22:49:44 | 旅行記

グズグズと冴えない天候でしたけど、今日は、マラソン日和ですね 私は決して走りませんが・・ ランナーの皆さん、がんばってください。

この1週間は、よう遊びました

建国記念日:岡山から電車で奥津温泉へ・・ 雪国 美作3名湯のひとつらしいのですが、さすがにこんな時期に客はおらん・・

(ここは温泉でも足湯でもありません。足踏み洗濯の場所らしい。冬季はやっておりません・・)

週後半は久々の東京出張+1日お休みをいただいて、東京観光。今回のテーマは「江戸」・・ってことで、浅草に泊って、寄席に行って、

江戸東京博物館で浮世絵展を見て来ました 

新聞なんかの評によると「時代別に並べたオーソドックスな展示」らしいですが、初心者にも、浮世絵の変遷がよく分かり、ボリュームも多過ぎない良い展示

ボストン美術館の日本美術コーナーでも感じたけれど、カリカチュアとか、大胆なデフォルメ、自由な構図、物語性なんかに今のマンガやちょっと前の劇画に通じるものを感じます やっぱり文化って伝統や積み重ねの上に花開くものなんだなあ・・と思う。そのうえで、作者の個性とか、時代の空気みたいなものが感じられると、とても良い

しかし、大雪の平日の午前中から行ったというのに、まあまあ人が多くて、びっくりした 人気とは聞いていたけれど、それにしても。週末行ったら、鑑賞どころじゃなかったやろうなあ・・ 休みを取って行って正解

ついでに常設展も。博物館って、美術館ほど心惹かれないけれど、来月、時代劇をやろうと思っているので、とても参考になった・・はず・・

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しかし、お江戸は極寒でしたぞよ・・ 芝居の一つも見て帰りたかったけれども、新幹線が不安だったので、昼過ぎには東京を出ました

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(浅草ゲートホテルより。テラスがあって、浅草寺とスカイツリーが見えるはずなのだけど、この日はさすがに無理でした

昨日は、稽古もして、歌のワークショップの幹事もして、目一杯遊んだけれど、さすがに疲れた ・・という訳で、冬晴れの日曜日の昼間っからこんなことをしております

さすがに、そろそろ出かけようかなー・・。みなさん、良い1日を


最近の私

2014-02-07 11:51:02 | 日記・エッセイ・コラム

は、無意識と現実の間を彷徨ってる気がします。

・・なんて言ったら、「コイツは大丈夫か?」と心配されそうですね 御心配なく そうそう。そんな大げさな話ではないのです。

最近、偶然、ニューヨーク在住の監督・役者さんらが作っている You Tube ドラマを発見して、ひとり盛り上がる ニューヨークの景色は懐かしく、そこでビザを取ろうとがんばる主人公の奮闘は、微笑ましい。

☆ニアベ(2nd Avenue)

http://www.youtube.com/watch?annotation_id=annotation_4110243531&feature=iv&src_vid=XSRhPnpDvHM&v=9jbXtOYNS1w

インプロ(即興)を多様している、演技も、荒削りながら好感が持てます あー、また、ニューヨークに住みたいって思う。

同時に、芝居や歌のために、自分の記憶や無意識を探る機会が増えたから、ここでも過去に遭遇している。

去年も、今頃は、3月を目指して芝居の稽古に励んでいたし、冬のこの時期は、そういうモードになることが多い。暗くて、寒くて、思考が内に籠りがちな、この季節は、そういうことに向いているのかも知れない。

ここ数カ月、歌のレッスンでやっているのは、ミュージカルCATSのMemory 。何度かのレッスンの後、「Vocally にはすごく良いけど、君がその場にいて、自分の言葉を語っているようには感じないよ。」とコメントをもらい、「ゆっくり詞を読んでみて、少し時間をおいてまた読んでみて、自分の無意識から何が出て来るか探ってみてごらん」と言われた。そこで、自分なりに日本語に訳して読んでみたら、記憶の底から浮かび上がる情景があって、今も、その波から逃れられない。

それは、必ずしも私にとって「悪い」経験ではなく、トラウマになるような深刻なことでもない。むしろ甘酸っぱいような青春の(?)記憶で、ただ、振り返ると、自分の若さと残酷さを悔むようなことだったりする。大したことではないし、もう忘れられていることかも知れない・・と思いながら、自分が無垢な人を傷つけたかも知れない、と思い出すことは、なかなかに苦々しい。

その日は、珍しく夢まで見てしまって、無意識の蓋を開ける恐ろしさを感じたものだった。それは、パンドラの箱にも似ていて、一度開けたら扉から、取り出そうと思った以外の記憶や思いまで漏れ出てしまう。そうして、出て来たものは、すぐには収集がつかない。

「無意識」あるいは「潜在意識」と、歌の先生が呼んだもの。私なりに、人間的・理知的なものではなく、もう少し動物的で感情的と感じるもの。そういったものに、ひとり手を伸ばすのは、やっぱり危険だ、と感じてしまう。

ニューヨークの演劇学校では、「相手役を見つめながら、ゆっくり言葉を音にして、そこで沸き上がるイメージを掴まえよ。」と指導されたけれども、あれは、良く出来たメソッドだと思う。相手役に語りかけたり、お芝居をすることが大事なのではなくて、そこに第三者がいて、平静を保てるということに、意味がある気がするのだ。そういう存在なしに、無意識の波に飲まれてしまったら、正気でいる自信がない。

正気を失いそうな強烈な体験なんて、ほとんどして来なかった私でもそうなのだ。本当に大変な目に遭ったことのある人にとっては、きっと、もっと大変だろう。人間の精神や心理は、なんと大きな破壊力を秘めていることか。

だから、面白いし、そこが魅力的なのだけれど。そして、そんなに強烈だから、例えば「芝居をする」ということで、あるいは、こうやって「言葉にしてみる」ことで、消化しないと、と思うのだけれど。

どうも、私には、そういう心のパワーが強すぎる。それは、日常生活には要らないくらいの強さで、たくさんの摩擦を引き起こす。けれども、それはそれで仕方がないのだから、何とか生かしたいわぁ、とも思う。

そういう訳で、このように、誰の得にもならないことを、ウダウダと考え、グダグダと書いている訳であります

んんんー・・ まとまらり切らんけど。もう、いいや おやすみなさい


品行方正

2014-02-07 10:49:59 | 日記・エッセイ・コラム

今春の異動を目指している・・というか、さすがにそろそろ変わるだろう、と思っている、私。結構特殊な部署が長かったので、さすがに次が不安

長くいる間にヌシのようになって、好き勝手やってるけど、新しい場所では、そうも行かんよなあ・・って、思う

何事も、最初が肝心。とりあえず、次の職場に行ったら、遅刻はしたらアカンよ と、最初の上司に言われたことを思い出す。

いずれ化けの皮は剥がれるのだろうけれど、ここ数カ月は、ちっとは良い子にしてたいものだ 思っていても、実行するのは、難しいのだけれど。

ああ。ふつーのことが、ふつーに出来るようになりたい・・

でも。やっぱり、ふつーでは、おもんないよなあ・・とも思うけれど・・