日本に「一時」帰ってます。

2年間。長いようで短いニューヨーク赴任を終えて日本に「一時」帰って来た・・と思っている私の、まだまだ続く旅の顛末。

筋トレ

2015-07-21 23:07:29 | 日記
連休を利用して帰った実家での日々は・・筋トレのようだった・・

初日から腹筋が痛かったけど、これは、甥っ子とした駆けっこ(彼・自転車、私・走り)のせいか、ヒーローごっこのせいか、どっちだろう。最近、再開したジム通いを、この週末はお休みしたけれど、マシンよりも、ある意味激しい筋トレ。

昨日は、最近、両親がお気に入りの、日帰りバスツアーで登山にも行って来た リフトで登る、ラクラク登山のはずが、山の周辺だけ天気が悪くて、頂上付近は、まさかの大あらし(っていうのは大げさかも知れんけど、台風並みの突風と雨)この登山目当てで、何時間もバスに揺られて行ったのに、な~んにも見えなくて、ちょっとガッカリ… 



でも、まあ、ふくらはぎも、太もももしっかり使って、筋トレ的にはOKみたいだ

小さいながら、温泉も入れたしね。帰りに見た、瀬戸内海の夕陽は綺麗だったし

朝も早いから、すぐ寝ちゃって聞いてないんだけど、途切れ途切れに聞いたガイドさんのトークと気配りがすごかった 前の仕事で、お客さんを案内することとかもあったけど、あんな風にできひんかったわ~。道のことも、地域のことも、自然のことも、とてもよく知っているのはもちろん、綾小路きみまろさん的なオチを用意しつつ、さりげなくお茶やお土産を用意してくれていて、お客さん、かなり盛り上がっていた 私にはマイクの音量がちょっと大き過ぎて、「少し下げてください」って言っちゃったけど、ごめんなさいね(だって、ほんとに耳に響いたのだもの。。)。すでに、このバスツアーの常連客になっている両親+甥っ子には、馴染みのガイドさんだったらしい

その、翌日にも関わらず、夏休みの甥っ子と、もう1日休みを取ったおばちゃんは、今日も、1日遊んで過ごしました。お絵かきと、時刻表作りと、自転車と、ボール遊びと、ヒーローごっこと、いろいろやったぞ。明日は、どこが筋肉痛になるのだろう。。あ、でも、そういえば、一時の「電車ごっこ祭り」の頃と比べれば、アクティブな遊びが増えたかな?(笑) おしゃべりな甥っ子は、それでも、時々静かになったけど、かなりの時間ずーーーーっと喋っていた。

ま、可愛いんだけどね 言うても、たまにしか会わないし。

勝ち負けと数字に拘るところが、ちょっと心配。ヒーローごっこで、おばちゃんをグーパンチするのも、そろそろ、やめてほしい。自転車も、水泳も、ボール遊びも、上手になってほしいわ あと数年は、彼の遊びに付き合えるように、やっぱり筋トレしておかなきゃ 

そして、思う。これだけでも、大変なのに、やっぱり、今から自分の子どもを産んで育てるなんて、想像もつかないわ と。

今や、周りの人も恐れをなして、「結婚しないのか」とか「子どもを持つには・・」と、ほとんど言って来ないけれど(案外、そう言うことを言うのは、私と同じ独身で、自分自身がそういう未来に焦りを感じている人だったりする)、たまに来る、そうした問いに「さて、なんでやろう」と考えなアカンくらい、私には、今の、この自分が自然だったりする。(「自然」だから良いとは限らないけれど)

そんな流れにあっても、予期しない出来ごとの先に、豊かな時間 が待っていたりするのだから、このまま自然に任せてもいいよね、って。怠惰なだけかも知れませんけど。

この先に、流れがどこに行き着いても、しぶとく、楽しく生きていける、基礎体力だけはつけておこう

・・と、なんだか、アホみたいな結論 

ライブ感が大事。

2015-07-16 06:50:53 | 日記
週末、不定期に通っている英会話の授業で、最近、また揉めている・・

というか、大っ変不遜なのですけれど、「教えられ方」に不満があって、「ちゃんと分かるように教えてください」と注文をつけてしまった なのに、あんまり改善されないことにまた腹を立てて、今度は、ぶちっと切れてしまった。

この学校は、NY滞在の末期(?)学校友だちのお姉さまサンディに「またニューヨークでお芝居をやりたいんなら、発音をしっかりすることよ。私、あなたのアクセント(訛り)はチャーミングだと思うけど、お芝居をやりたいんだったら、スタンダードな英語が話せることは必要だから。」と言われ、その気になった私が、発音矯正を目的に通っているところ。

独自のメソッドでステップを踏みながら発音を直していくので、成果が感じられて、面白い

週末、大阪まで通うのは、まあまあ時間のロスだけど、当初は「NY再移住計画」のテンションも高かったから、まあ、行ったり行かなかったりを繰り返しつつ、今まで続いている われながら、物好きだ。(でも、良いお客さんのはず!)

ただ、アットホームな会社だからか、情報共有が曖昧で、前に言ったことが伝わっていなかったり、あまりうまく行かない講師と何度も当たる・・ということも、ままある。講師もスタッフも、個人差が大きくて、当たればいいけど、外れも多い。

もっとも、私が良くないのは、「先生」と言われる人に求めるところが、高過ぎるところだ。それは、芝居なら演出、仕事なら上司に求めるものにも似ている。知識や技術+人間的に、自分より一回り大きな人でないと、信じて従う気になれず、結構はっきり反発する。最初の警戒心がほどかれて、「ああ、この人は大丈夫」と一旦信頼できた人は、とことん信頼して、かなり従順にもなるのだけれど、そこに至らずに終わる場合も多く、争いが絶えない・・
 
ただ、求めているところは、割と単純でもある。

・確かな技術や知識。
・それを、具体的に分かりやすく伝達する技術。
・私の学ぶ過程を尊重し、その習熟度合いなどを量りながら、適切にアドバイスしてくれること。
・質問に、しっかり答えてくれること。

ほら ふつーでしょ (でもない??)

いや、自分ができるかって言われたら自信ないけど、高いお金も払っているのやし、少人数や個人指導なら、ちゃんと「私のニーズに応えた」サービスを提供してほしい。。

と書きながら、しかし、本当のところ、求めるのはこれだけではない、とも知っている。。

英「会話」とか、少人数クラスやと、本当は、ほかにも大事なことがあって・・それは、
「ウマが合うか、合わないか」「会話が楽しいか、楽しくないか」「明るく楽しい雰囲気か」
ってことだと思う だって、そこが楽しくないと、朗らかにしゃべろうって気持ちにはなれないもん

あー・・ 書いてみて、やっぱ、そうだわー。どうも、気分が乗らない先生って、陰気な人が多い。そして、私が「なぜ、そこに拘る?」ってところに妙に拘っていたり、何を質問しても、マニュアルで用意されたような答えしか返してくれない人だったりする。

しかし、ひとりひとりの個性(ニーズ)に合わせて教える、って多分とっても難しいことで・・

機転もきかなきゃいけないし、いろんな場面に対応する知識や応用力がなければ、難しい。相手が今何を求めているのかを観察して「察して」、そこに「気持ち良く関わる」人間力だって必要だろう。

それは、求め過ぎなのかも知れないけれども・・

せっかく誰かと時間を過ごすのなら、決まりきった型の押し付け合いで終わるのではなく、ちゃんとコミュニケーションが成立していてほしい、と思ってしまう。それは、「思う」より前に感じるもので、だから、冷静に言語化するより早く、イライラにつながる。

あ、そうか。これは、「ライブ感」の問題なんだわ ・・と気付いたのは、最近のこと。

お芝居でも「ただ、文字に書かれている台詞を言葉にしている」場合と、「生きたやり取り(会話)になっている」場合とがある。その違いを余り感じない人や、重要だと思っていない人もいるけれど(残念なことに結構多いけれど)、ライブ・パフォーマンスで大事なのは、むしろ、後者ではないかと思う。

言葉を介して、しかし、言葉そのものではなく、そこに潜む内容や感情を、その時・その場で・その人と、「やり」「取り」することに価値があって、それが楽しみなのに、機械的に対応されると、詰まらない。だから、ぷいっとむくれてしまう。

いやー、しかし、日常生活に「ライブ感」とか求められても、困るんやろうなー・・

と思う自分もいるけれど、

それは、単に、素直に受け止め、自分の言葉で語る、ということで、本当は、そう難しくないはずなのだ 思うことを語り、耳を傾けるということは、なぜ、そんなに難しくなってしまうのだろう。

と、そんなことを考えている内に、いい時間となりました。

珍しく朝に書いたぞ(あ。今日は、こんな天気じゃないけど・・)

そろそろ時間なんで。書いて、ちょっとすっきりしたし。 ほな、行って来ま~す

ぬらりひょん

2015-07-14 00:04:32 | 日記
月曜日。京都は祇園祭週です

いや~、蒸し暑い 気温が高過ぎて、頬に触れる「空気」の存在を感じるくらい。暑いっ

でも、祭りの週は、なんだか華やいで、気分がいい 

と、思っていたら・・ 今日も、びっくりな事件があって、ヒンヤリ気持ちが冷めた

びっくりしたのは、もう1箇月以上も前に解決したと思っていたことを、不意に蒸し返されたからであり、その後の議論や検討や準備を素で無視したかのように、「ふりだしに戻る」提案をされたからである。

自分なりの段取りを覆されたことによる怒りとか苛立ちも、そこにはあるけれども、何より気持ち悪いのは、「私たち」という「他者」の意見が、おそらく、彼の人の中では「入力0」だった、と気付いたことにある。

平場の議論では、反論しないけど、「ボクの意見」の方がやっぱり良いでしょう、って、ずーーーーっと、思っていたんだろう。自分の意見と違う「プランB」に「あ、その意見もイイネ」って、乗っかったのではなく、おとなしくしていただけで、本当は、最初から自分の意見(プランA)に固執していたのだろう。

なのに、ちっとも意思表示せずに、土壇場になってグズるという・・。もう、最悪です・・
(いや、結局、大事には至らないっぽいけど。気分的に。)

「他者性」とは、私がよく口にする言葉で、

これは、「空気」みたいな言葉と混同してほしくないなあ、とほんとに思うのだけれど、

自分と他人は違う。意見も違う。
しかし、相手に一理あることもある。相手の事情もある。
意見や事情が異なる中で、どうやって歩み寄るか一緒に考えよう

と、こういう流れが理想だと思うのですよね。

ところが、最近、私の周りにいる「困ったさん」たちは、そもそも「自分と相手は違うから/けど、相手の立場に立って、その意見を尊重し、時に議論し、理解出来る部分は理解し、譲れないものは、そうと表明しなければいけない」と思っていない気がする。。。

まるで、

「みんな、こうだよね」「こういうもんだよね」
「ボクが思うに、これこれが正しいよ みんな、勉強してね(責任は取らないけど)」

と言われている気がする。。。

ま、被害妄想だと思いますけどぉぉぉ・・・

「多分、これは、こういう心情と思考回路の結果ではないかと思います。」という、私の解釈は、周りの人に、しばしば驚かれるので、論理の飛躍もあれば、考え過ぎもあるのだろう。・・と、一応、もっともらしく言っておく

言っておくけど、ほんとは、人の心理に敏感な私のことだから、あながち外れてへんやろー・・って思ってる

あー。どーして、こんな巡り合わせになったんかなあ・・・。ほんとに、ユーウツ・・

まあ、そんな人ばっかりでも無いから、気い取り直してがんばろー

みなさん、世の中のヘンな人たちに惑わされず、健やかに生きましょうね

星に願いを。

2015-07-08 01:01:48 | 日記
日付変わってしまったけれど、昨日は、七夕。今、願いをかけるとしたら、何だろうか、と考えた。

うちの甥っ子・5歳は
「さんようしんかんせんのうんてんしゅになりたい」
と、誠に具体的な夢を短冊に書いていたけれど、

わたくし・30ウン歳は、未だ具体的な夢を描けていない。

というか・・

「あんなことしたい」「こういう体験をしたい」という欲望はあっても、
目の前にある具体的な何かに「自分もなりたい」と思うことが少ないのだと思う。

思えば、幼いころから、○○屋さんになりたい、とか、○○の先生になりたい、とかって強く思った記憶がない。当時(年がばれる)流行っていた「スチュワーデス物語」に影響された姉の真似をして「スチュワーデス」などと答えていた時期もあったけれど、所詮その程度。

唯一、「なりたい」と思ったのは「舞台女優」で、その夢は、まあ、今も健在な訳ですが もう少し現実的に、もう少し生活感のあるところで、「こうなりたい」「こんなことしたい」って感じることは少ない。

私の欲望は、なぜか

「こんな体験をしたい」
「こういう場に身を置きたい」
「こうなった時、自分がどうなって、何が見えるか、試したい」

という、抽象的な形を取ることが多く、結果、どうしたら、そのような状況に持って行けるのか、よく分からなかったりする。

やっぱり、唯一、具体的な欲望を持つのは舞台に関することで・・今の願いは、この秋を無事に乗り切ること。できれば、それきっかけで、ほかにも呼ばれること(素行が悪いから、無理か?)。もちろん、自分の役割を誠実に務めるつもりだけれど、それが私自身のショーケースになればいい、とも思う。

本当は、そろそろミュージカルもやりたいなあ。なっかなか、そんな機会がないものだから、今の私にとっては「ミュージカルに出られますように。」が「願い事」には良いかも知れない。(そういえば、最近、そんな夢もみた。)

「ニューヨークに戻れますように。」は、自分の中では、後退気味。このままで良いとも思わないけれど、今やってることを、あと2年くらいは(短い?)やってみたい気がしてきた。それまで、地道に英語の勉強でもしよっかなあ・・と、珍しく真面目なことも考える

お星様は、どれくらい、願いを叶えてくれるものかしら。強ければ、それは、叶うものなのか。

(なんか、久々過ぎて、ふわふわした文章になってしまった・・)

おやすみなさい