日本に「一時」帰ってます。

2年間。長いようで短いニューヨーク赴任を終えて日本に「一時」帰って来た・・と思っている私の、まだまだ続く旅の顛末。

全員は見えない場合

2016-01-31 01:21:53 | 日記
みなさま、お久しぶりです。

1月は、4日からフル稼働で、朝から晩まで働いているので、某大臣ではありませんが、細かいところは、記憶が曖昧 単純に時間が長くなるということは、処理している事柄も増える訳で、それらを同じだけの脳ミソに詰めようと思っても、こぼれ落ちるんだ・・と思った。ま、もともと、記憶力は良い方ではないので、労働時間の問題ではないのかも知れませんが。

そんな中で、久々に人前に出て話をする機会があったので、勝手に振り返っておこう

今回は、80人~100人向けに話をしたのが新鮮だった。そういう機会って、まあ、ないことはないけれど、珍しい。考えてみるに、私のプレゼンって対象が10人~40人位までがほとんどだった。100人規模になると、やっぱりコミュニケーションの仕方がちょっと変わるのだな、と思った。

単純に、視界に人が全部入らないから。10人でも、40人でも、100人でも、「1対多」になることに変わりはないのだけれど、話をするときは、数人ずつをターゲットにアイコンタクトをとったりする。・・のだけれど、大教室だと、端の方の人の反応が視界からこぼれてしまう。「目の端で見て意識しておく」みたいなことができない。・・こういう時って、どうしたら良いのでしょうね?

仕事なので、淡々とこなせば良いのだけれど、プレゼンやコミュニケーション、「人に何を伝えるか」というテーマには、興味があり過ぎて、必要以上に拘る。勝手に蘊蓄を語りますと・・。以前、不満が出ていた部分もあったので、今回は、多少なりとも双方向にすることと、親しみを感じさせること、われわれが「彼ら」(の苦労やすばらしさ)を知ってますよ、とアピールすること、こいつは信頼してもエエ奴やな、と思わせること・・などを、心がけたつもり。

最初は、人に任せようと思っていたのだけれど、やっぱりどーーーしても「やってほしいこと」が伝わらないので、途中から出しゃばって、自分でやることにした でないと、今回の狙いは達成できず、過去の失敗の二の舞になるかも、と思ったし、実際にやって見せた方が若い人も何を求められていたのか、分かってくれるんじゃないか、と思ったから。

まあ、それを客観的に評価したり、批判したりしてくれる人って、職場にはあまりいないので、実際のところ、うまく行ったのか、自己満足なのか、分からんけど、やりたいことは出来たと思う。自分では、満足。

課題は、めっちゃ早口になってしまうことと、会場の空気に良くも悪くも左右され、相手が固いグループの時に、こちらも縮こまるという、負のスパイラルに陥りがちなこと。それでも、空気も何も感じずに、機械のようにしゃべるよりは、ずっと良いと思っているけれど。早口は、ヤバイ。別の機会に司会をした時も、必要以上に速かった。アナウンサーでも見てニュース読みのテンポを研究しようかと思うくらい。

「自分でやろう」と決めたときは、ちょっとしんどかったし、出番がないのってとっても気楽なのだけれど、まあ、やってみて、良かった。面白かったし。あったかめの会では、笑いも取れましたし。人前に出る高揚感を楽しめたし、うんうん、と頷きながら聞いてくれてた人たちは、多分、誰かとお話した気分で帰ってくれたのではないかしら。できれば、こんな機会であっても、人の気持ちを温めたり、楽しませたりしたいなあ、と思うのだ。そう、できたとしたら、うれしい。

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、予想外の行動に出る上司に、ゲンナリしたり、ハラハラしたりもしたけれど、それらも、まあ(今のところ)大事には至っていない。こういう時に、誰が、どういう行動に出るのか、よーく見渡せて良かった・・のかも知れない。

久々なのに、あんまりおもしろいことも書けてませんが 自分のため、備忘のために、書いておこう。

おやすみなさい

2016年

2016-01-02 23:30:30 | 日記
あけまして、おめでとうございます

去年は、新年の抱負らしきものを、はっきり決めなかった気がするけれど、せっかく年も改めまることだし、2016年という年について、ちょっくら考えてみようと思う。

2015年は、その前の2014年と比べると、活発で動きの多い年だったように思う。

いや、もしかすると、2014年の方が、職場が変わったり、あちこちで芝居に出てみたり・・と、大きな変化を経験した年なのかもしれないけれど、2015年は、もう少し「本筋」の部分で活動が活発になり、試され、求められた年だったように思う。それは、私にとって、嬉しいことであり、望ましいことだった。仕事においても、芝居においても、仕事量や求められるレベルが上がった気がしたけれど、あるレベル以上の事柄について、苦労はした方が身につくと思っているので、2015年のがんばりは、きっとこの後生きるはず。って思う。・・というか、思うしかない(笑)

芝居について、ひそかに期待していた「人脈づくり」には失敗し・・ 「次もぜひ」とか「次は、うちで」って言われることもなかったけれど、まー、もしかして、あの芝居を観た人が、いつか声を掛けてくれるかも知れないし、少なくとも、私がいるコミュニティにおいて、「役者」の私を認知してもらえるきっかけになった って実感はある。

芝居においては、2014年より2015年の方が、自分が求める世界に近づけた気がするのだけれど、それは、やっぱり2014年にチャレンジを重ねてきたお蔭だって感じるので、すぐに「出演依頼が殺到する」なんて状態にならなかったとしても、がっかりしないでおこう、って思う。

「あー、しんどい」と思いながら、職業俳優(?)たちとも共演したので、「プロ寄り」の作品づくりに関わること、自分の生活における「芝居」や「アート」のウェイトを、じりじりと上げていくこと、が今年の目標。

昨年は、「レミゼラブル・プロジェクト」というプチ・ミュージカルを企画して、なかなか楽しかったので、小さくても良いから自主企画、創作○○をやってみるのが目標 ・・なんかね、他人の企画に乗っかる方が楽だし、数もこなせていいんだけど、「自分で何かを創り出すぞ」って気概がなくなっていってしまう気がするのだ。他人の企画にだって、そうそう呼んでもらえる訳じゃないんだし(自虐・・)、人前に立つという意味でも、何かやってみたい。春夏に1本、秋に1本くらい出来たらいいなあ。

仕事について。2015年は、しんどいところもあったけど、担当が増えた分、情報量も増えて「そうなってたのかー」と把握できることが嬉しかった。どこまでは自分でがんばるべきで、どこからは、ほかの人に任せたらいいのか、も、ちょっと分かるようになったし、ある程度計画的・自律的に動けるようになって、快適だった。

それ以前の、なんでもかんでも「国際」と名前が付けば自分で処理しなアカン気がしていた状況とずいぶん違っていて、コンセンサスや情報共有が大事なんだ・・と思って、そのようにしたのは良かったけれど、慎重になり過ぎて、自分で決断できてないなあ、時間掛け過ぎやなあ、って感じる場面もある。本当は、これを効率化した方が良さそうなのだけれど、自分の中にストンと落ちるまでは、前に進めないのが私の性分のようだし、ストンと落ちるところまで考えたり、議論したりしなければ、自分の持ち味も発揮できない気がする。このままではアカンのかなあ・・と思いつつ、しばらく、スタイルは変えられそうにない。

そう。2015年は、自分なりのスタイルとか立ち位置は確保できたし、より快適に、(少なくとも2014年よりは)心に余裕を持って、過ごせたと思う。そして、それは、あちこち頭をぶつけながらも、「私はこういう人間であり、こういうことを考えながら生きている」ということを、あきらめずに、日々主張してきた結果ではないかと思う。

去年も、おととしも、それより前にも、仲良くなれない人は、たくさんいるけど、こういう私を「おもろいやん」とか「がんばっとるやん」と言ってくれる人もいたし、「(不器用過ぎるし)ちょっと助けてやろうか」と、手を差し伸べてくれる人もいた。そういう人たちの、助けや支えが、再び私の周りで積み上がっていく気もしている。

だから、2015年の私は、2014年の私よりも、かなり幸福だった

けれども、その陰で、私の世界観は、ずいぶん小さく、まとまってしまった って自覚もある。

再び海外移住なんてことは、とても現実味を帯びて考えられなくなったし、第一、日々の生活が忙しくて、それどころではなくなった。平和で穏やかな京都なんて街で暮らしていると、刺激的で、とびっきり自由だけれど、言葉も生活も不自由で競争の激しい、ニューヨークに、戻れる気がしなくなってくる。それでも、僅かながら、友人や先生とつながっている自分もいて、文字通り、身を割かれる思いがする。

今の仕事への思いが、この1年でずいぶん変わったように、ここでこのまま暮らしていくということについても、納得する日が来るのかもしれない。そう思いながら、しかし、ここで、このまま暮らしていった先の明るい未来も、十分には思い描けない。

という訳で・・?

2016年は、今一度、私は、どこに向かって、どんな暮らしをしたいのか? 考えてみたい、と思う。

最近、物価も医療費も高いニューヨークで暮らしたり学んだりするのは、難しいんじゃないの?って気がしてきていて、もうちょっと平和そうなカナダとか、もしかして、ロンドンとか(物価高いのは一緒か・・)でもいいかなあ、なんて、また根拠のない妄想を繰り広げている。しかし、それもありかなあ・・って。今から、どこにでも行けたとしたら、私は、はて、どこに行ってみたいのか。

ま、考えたり、リサーチしたりは苦手なんで・・お仕事本番が終わったら、3年半振りのニューヨーク に今度こそ、行くことにした そこで、見て、聞いて、感じてみたら、ちょっとは、この堂々巡りも収まって、向かいたい先が見えてくるんじゃないかしら。

2015年は、小さくまとまったから、足場を固めることができたのだと思う。この地道な歩みが、もしかして、次のステップへの足掛かりにだってなるかもしれない。「海外志向」とか「国際的な」という枠組みのないところでは、自分が何に興味を持っていて、どういう仕事は楽しいのか、少しずつデータがたまってきた気もする。

2016年は、次の、もっと大きな飛躍に向けて、もう一度、外に目を向けたい。国際情勢にも疎くなりがちだけど、ちゃんと勉強しなおしたい(恥ずかしいし)。そうして、今一度、私は、どんなことをしたいのか、考えていきたい。

ふむ。どんな時でも、未来について考えるのは、良いものですね なんだって言えるし。

2016年が、楽しみになってきましたよ みなさんにとっても、佳き年になりますように