部屋の中全体が掃き溜め状態だな。
頑張って片づけよう。
これら写真の山をまずどうにかしないと。
この、大昔の分厚いアルバムが邪魔だ。
大して枚数を収録出来もしないのに頁が分厚いボール紙で重たい。
枚数入らないからこの厚ぼったいアルバムの冊数が増えて最悪だ。
しかも写真の保存としてはあまりよろしくない。
褪色、変色、湿気、結露、台紙の糊による写真の劣化など多数。
でも昭和40年の時代はこういうアルバムが主流だったな。
昭和20年代に粗末な厚紙に切り目を入れ写真を一枚ずつ嵌め込んだものの方が
写真は変質せず保存状態が良い。
・・・・・(作業中)
ぅがー2000円出て来たアルバムに貼られて。
ぼろぼろの紙幣だ。
じじは何でこんな事をしたのだこれらの紙幣に。
百円札は懐かしい。
子供の頃百円札持って駄菓子屋に行くのが夢だった。
糸の付いたくじ飴と、マンボとか言うニッキの棒と、紙袋一杯10円の南部せんべいの耳と、
一個5円バラ売りだったサイコロキャラメルと、マンガのキャラクターの風船ガムと、
鉄腕アトムのシール入りだったマーブルチョコレートを買いたかった。
五百円札も馴染み深い。
小学生だった夏休みの早朝6時頃になると遠くでイカ売りの声がした。
母親が私にアルミのボウルと五百円札1枚渡して寄越し、
「500円分買っておいで」
と買いに行かせた。
声のする方角に歩いて行くと、煤けたジャンパーを来たおじさんが
道端に木箱と自転車を停めていた。
言われた通り五百円札1枚渡し、これで買えるだけ下さいと言うと、
おじさんは「おまけしといちゃる」と言ってボウルに朝獲ったイカを
12か13匹くらい入れて寄越した。
私はそれを持って歩いて帰宅した。
母親は不満そうに「何だ、500円でこれっぽっちかい」と言った。
イカはその夜に刺身とフライとして夕食のおかずになった。
母親はイカのゴロを塩漬けして自家製の塩辛も作った。
昭和40年代の500円の貨幣価値は、今で言えば幾らくらいに相当するだろうか。
よし。
これで分厚いアルバム一冊やっつけたぞ。
写真ではなく古い紙幣や旧国鉄時代の記念切符や記念入場券が満載であった。
・・・・・
買い物に出たが急ぎ帰宅、買ったものを自宅に放り出し
蚊に刺されない服装に着替えて近所の川まで歩く。
毎年恒例の花火大会を見に行く。
もう始まっている。
まだ妹が生まれていなかった2歳頃、私と両親はこの川のすぐ近くに間借りしていた。
三人で歩いてこの川まで花火を見に行った夜の記憶が今も残っている。
頭の上で赤いスターマインか地響きを立てて炸裂した。
そう、ちょうどこんな巨大で赤いのが。
私はびっくりして泣いたが、両親は笑っていた。
何十年も経ってこの地に戻って来た時、私は夜勤で花火見物どころではなく
在宅介護もまだ初めの頃のじじは自分でベランダから花火を眺めていた。
だんだん自力で歩けなくなって床を這うようになって、
先月まで入居していたエレベーターのある一室に転居してからは
じじはあの飾り窓からここで上げられる花火を眺めていた。
去年はあの老人病院で寝たきりになって見られなかった。
私は一人でここまで見に来て花火の写メをたくさん撮った。
翌日画像をPCに落として病室に持って行き、じじに見せた。
スライドショーにしてやるとじじは病室のオーバーテーブルに乗せたノートPCに見入っていた。
去年も、その前の年も、その前の前の年も、花火が上がる度に思った。
これがじじにとって最後の花火になるかも知れない。
そう思っていた。
珈琲店の奥さんが言う。
花火は悲しい、一瞬だけ物凄く綺麗でその一瞬で終わり、
だから花火は悲しい、と。
仕事で夜勤が多かったりじじのADLが重たくなって自分の自由時間が確保できず
好きなように河川敷に見に来られなかった数年間は、いつか介護生活が終わったら
一人でこの河川敷に見に来て真下から頭上で炸裂する花火を見上げようと思っていた。
今、私はその通り見上げている。
シイタケみたいな、いやタンポポの綿毛を目指したのかなこの花火。
これは地味で音だけでかい。
これはリンゴを表現したそうだ。
これはウニっぽいが多分そんなつもりではないだろうな。
こんな、長く下に延びる枝垂れ柳と呼ばれる花火も昔からある。
2歳頃に見た憶えがある。
仕掛け花火、来た。
このナイヤガラと呼ばれる仕掛け花火も2歳当時の記憶として残っている。
放送席で地元の歌手か何かかな、若いおにーさん達が紹介されて
「マリモで盛り上げたーい!」
って叫んでるよ。
で、歌を歌ってる。
大音響で何だかよくわからんけど盛り上がって下され。
この赤いのはさっきの緑色のと色違いかな。
これは細く長く伸びて、長持ちしてなかなか消えない、見た事ない花火だ。
火薬の種類が違うのだろうな。
橙色で暗めだけどよく伸びて完全に消えるまで時間がかかる。
江戸時代の花火を再現したという花火が何年か前にテレビで紹介されていたのを
見た事あるが、それだろうか?
今よりも火薬の種類は少なくて橙色の暗めの花火がその当時の主流だったと放送で言っていたな。
それだろうか?
でもこれは橙色ほど暗くない山吹色系だな。
ぼさっと見ているとどんどん上がる。
アナウンスがはいった。
「いよいよグランドフィナーレでございます」
ああ。
終わった。
この過疎地にこんなに人がいたのかと思うほどの人出で、
コンビニに届いていた映画DVDを受け取って、ほんの5分の距離を30分かかって帰宅した。
昼間の写真整理作業の続きに取り掛かる。
作業はまだまだ終わらない。