ぱんくず介護録

在宅介護事情。

・・・・・・orz

2009-03-30 01:12:00 | じじの在宅介護
今日、
仕事の後じじ宅に行くと、
ちょうどヘルパーさんが仕事を終えて
じじ宅から出て来たところだった。


ヘルパーさんは
じじ本人のいない所で私に話したい事があると言って
しばらく廊下で立ち話した。


来月半ばでこのヘルパーの仕事を辞めるそうだ。


今の会社に福利厚生が全くない事が理由の一つである。
前に別のヘルパーさんが辞めた時も
じじはがっくりへこんでいた。


このヘルパーさんは
これまでに関ってきたヘルパーの中で
一番じじが頼りにしてきた人である。


私が手術のために入院した時も
いろいろなトラブルや
突発的なハプニングに対して的確に判断して
力になってくれた。
毎週の教会通いで
クリスマスやじじの洗礼式や毎月の聖餐式でも
信者でもないのに
じじが教会行事でまごつかないように配慮して
じじが教会に馴染めるように働きかけて
じじを支えてくれてきた。


じじを動揺させたくないので
退職は伏せたまま、
何も言わずに黙って辞めようと思うというので
それはむしろ困る、
退職するなら
へこんでもいいから
ちゃんと本人に説明してから辞めてほしいと伝えた。


仕方の無い事だ。
雇用条件が劣悪過ぎて生活していけないのだから
引き止める理由が何も無い。

実は2本折れていた。

2009-03-19 14:58:00 | じじの在宅介護
さて、
間もなく夜勤に出かける。


じじはデイケアを休んで
ヘルパーさんと一緒に受診に出掛けていたが
出勤前にと電話したら、
朝から行って今さっき帰宅したらしい。


咳をしても痛くて響く事と、
かれこれ一週間過ぎるのに
痛みが殆ど軽減しない事とを整形外科医に言ったら、
胸部X線だけでなく胸部CTも撮ったので
時間がかかったという。
待ち時間が半端ではない。


腹も減ったしという事で
ヘルパーさんが用意してくれた昼食のカレーを
じじは今食べている。


去年同じ場所で同じように転んでぶつけて
肋骨にひびが入った時と違って
痛みがよくならないとか咳をしても響くのは、
折れた肋骨は先日夜間救急で言われた10番の他に
8番も折れているためであるとわかった。


全治1ヶ月だと。
それまではおとなしくするしかないな、じじ。

あっという間の一日

2009-03-16 17:25:00 | じじの在宅介護
午前中はケアマネと電話で話して
じじは
今週いっぱいデイケアを休ませる事にした。


痛みはじっと動かなければ自制内だが
ちょっと笑ったり咳き込んだりすると響くし
歩くにしても
肋骨が折れていると
掴まるための手に力が入れられない。
それでは介助入浴もリハビリも無理、危険。


デイケアを休んでキャンセルする日には
代わりに
整形外科受診を入れて肋骨の診察、
別の日には火傷の診察を入れた。
日課である珈琲店までの移動も無理っぽいし
入浴出来ない分の保清として
自宅で清拭をして貰う事にした。


珈琲店の店主にも会えなくて
じじは大いに不満かも知れないが
治るまでの辛抱だ。


寝室の家具を配置換えしたのは
今のところ問題無しで
動き回り易くなったらしい。


午後からまた少し寝て、
夕方に銀行と髪切りに出掛けた。
これで今日の休日は
あっという間に終わってしまった。


冬が終わったな。
晴れた空の色が鈍く霞んでいた。
夕方になると
中途半端に重い雲が垂れ込めてきた。

じじの珈琲時間 その5.

2009-03-15 09:56:00 | じじの在宅介護
珈琲、入ったはいいが
今度はビーカーとフラスコの接続が外れない。
しかも熱くて掴めないし。


「ちゃんとやれば外れる。」


むきー妖怪め!


「あちちちちち」


ヘルパーさんまでやけどしないで下さいよ。


いろいろ検討し、
ヘルパーさんの助言も参考にして、
じじの寝室の家具の配置換えが済んだ。


げほげほげほげほげほ


埃っぽくて病気になりそう。
掃除したいけど
じじが横でまったり珈琲飲んでちゃそれも出来ない。
他人事みたいな顔つきでウマそうに珈琲を啜ってる。
幸せだな、じじ。


しばらくヘルパーさんと
じじのADLと室内の移動経路や
日常生活動作の状態について情報交換し合った。


間もなく昼食準備に取り掛かったので
私は帰る前に
無くなりそうな食材の買出しに出掛けた。

じじの珈琲時間 その2.

2009-03-15 09:48:01 | じじの在宅介護
サイフォンの道具は、
大昔、じじがまだ現役だった時に
当時まだ街にあった珈琲用品専門店で買い揃えて
熟年離婚して一人の珈琲時間を楽しんでいた当時の
名残の道具である。


じじは珈琲おたくでもある。


寄ると触ると割るとか壊すとか、
じじがきいきい五月蝿いし、
大体洗い物が面倒臭い。
食器棚の奥に片付けて、私は指一本触った事が無い。



先月から
珈琲店定休の月曜日にデイケアへ行かなくなったじじは
私が知らない間に
ヘルパーにサイフォンの使い方を指導し、
まんまと珈琲を入れて貰っていた。
なんちゅー妖怪だ。


ヘルパーさんになんちゅー面倒をかけるんじゃー!!!
洗い物増やして!


教えるのを楽しむじじと
「サイフォンの使い方なんて
 ここでしか知る機会無いので習ってました♪」
というヘルパーさんとで
わいわい珈琲セレモニーをする隣で
私はひたすら寝室の家具移動を実行した。


じじめがあまりに威張り腐った態度で
ヘルパーさんにサイフォンの使い方を指導するので
私はぶち切れた。


「それが人に珈琲を入れて貰う態度なの。
 こんなガラクタ、
 使い方を教えるならもっと親切に教えなさい!
 大体珈琲ぐらい何なの。
 最初から自分で入れなさい!!!」


ヘルパーさんが慌てている。


「まあまあまあ痛みもあってイライラもされますから
 今日のところは大目に見てあげて下さい」


ちょっとあばらが折れたぐらいで
いちいち死なねーよ甘え過ぎだじじ。


ヘルパーさんが味方してくれるので
得意満面の面構えである。
骨折して痛いとか言いながら
ちゃっかり手の込んだ珈琲を入れて貰っているではないか。
転んであばらが折れてもただでは起きない妖怪。

じじの珈琲時間 その1.

2009-03-15 09:48:00 | じじの在宅介護
安静な夜勤の一夜だったにもかかわらず
どっと疲れた。


勤務に入る前にじじの骨折の件で
ヘルパーやデイケアA、デイケアHの職員と
電話であれこれ連絡を取り合って
充分に睡眠を取らずに夜勤入りしたのと
いろいろ考えなければならない事もあって。


1.じじが二度も
  同じ寝室の同じ家具で肋骨を骨折した。


  →じじの室内での行動経路を考えて
   家具の配置替えが必要。
   室内環境の変化をなかなか受け入れられない
   じじの混乱を最小限にするにはどうするか。
  →夜間のトイレが問題。
   寝起きでトイレに行くので体の動きが悪い。
   ※いずれ将来は、
    夜間ベッドサイドにポータブルトイレを設置する。
    ただ、現時点では無理。
    本人が簡単納得しそうにない。


2.今後、じじのADLの低下に伴う転倒事故を
  可能な限り想定した未然防止策が必要。
  気をつけろと注意したところで
  マイペースなじじは人の話なんか聞かない。


  →行動パターンを時間帯ごとに把握する。
  →日常生活動作に伴ったじじの動きを再度検証して、
   掴まる事の出来る家具の高さや配置が
   確保出来ているかどうか調べる。
  →トイレに行く、食事をする、
   椅子に座って本を読むなど、
   じじの移動経路に
   見落としている突起物や家具の角が他に無いか。


3.ADLの低下に伴う自信喪失によって
  外出や行動範囲が狭まって
  じじが抑鬱傾向に陥る可能性がある。


  →ヘルパーから提案された、
   折りたたみ式のスロープを外出時に携帯して
   買い物などにじじを同行させる。
   ※介護カタログにあるかどうかケアマネに問い合わせする。
  →外出を増やして行動拡大を図る。
   ※教会のピクニックへの参加。
   ※じじの興味のある写真展や絵画展。
   ※教会の週日行事で参加できるものが無いかな。
    (昼間の聖書の勉強会とか)


4.ストーブの傍で長時間足を暖めて低温火傷した。
  →感染防止。
  →四肢末端の冷えに対する血流改善策
   ※食生活は以前よりも充分改善されている。
    香辛料は本人が嫌って使えない。
   ※やけどが治ったら就寝前の足浴を検討する。
    バケツ2個(温水用・冷水用)とバブを用意する。


いろいろ検討事項があって
考え事していたためか寝不足で夜勤入りして
やっきりこいた。


職場からじじ宅に直行し、
じじが教会に行った留守の間に
寝室の家具を配置換えして
ついでに掃除もしてしまおうと思ったら。


・・・何たること。。。。。。(;゜Д゜)


扉を開けると珈琲の良い香りが。


じじが予想外に痛がったので今日の教会行きは中止、
ヘルパーが牧師先生に連絡してくれていた。


朝食の後、
日曜日なのに痛くて教会にも行けず
行きつけの珈琲店にも行けないじじのために
ヘルパーさんが激励の珈琲を入れてくれていた。


というか、
日曜日なのに予定が無くなってしまって
じじをふさぎ込ませないための配慮か、
普段使ってない、
戸棚の奥に眠らせてあったじじのお宝、
古いサイフォンの道具一式を引っ張り出して
アルコールランプで沸かすという
ややこしい珈琲セレモニーをやっていた。。。。

折れた・・・・・・orz

2009-03-13 22:44:00 | じじの在宅介護
じじの肋骨が
今度は本当に折れたらしい。


昨夜、
真夜中に眼が覚めたじじは
トイレに行こうとして
以前と同じように寝室で転んで
以前と同じ家具の角に
以前と同じ右の胸をぶつけた。


今日昼間来たヘルパーは
じじから話を聞いて右胸の青痣を見つけ、
自制内ではあるが軽度の痛みもあり、
動くと痛いというので
今日の珈琲店行きは中止、
自宅でじじの希望するままに
サイフォンで珈琲を入れてくれたそうだ。


そして
私の携帯と自宅電話に留守電を入れて
知らせてくれたらしいが
日勤中は多忙で休憩時間も携帯など見る事無く、
私が自分の携帯を見たのは
勤務の終わった夕方過ぎだった。


朝、じじの青痣を見つけた時点で
直接私の職場に電話で連絡してくれていたら
その場ですぐに受診させ、
ケアマネにも連絡出来たのに、
何処の病院の外来診療も終わった時間になってから
慌てて夜間救急を受診しなければならなくなった。


ちょうど
夕方のヘルパーが来ていた。
食事の準備なんかいいから
今すぐ病院に連れて行ってくれと
ヘルパー派遣の会社の責任者に連絡を入れたら、
食事の準備とは別に
受診同行の人を別に派遣して寄越した。


自宅で普通にしていられて
痛みもひどくない様子らしいので
とりあえず
じじにはヘルパー同行で病院に行って貰った。


私がじじ宅に着くと既に病院に出掛けていた。
昼間のヘルパーの連絡ノートの記録をチェックした。


あーあ。
明日は
先日の低温熱傷の潰れた水ぶくれを
再度診察して貰うために
受診予定を組んでいたのになぁ。


結局じじは、
去年の夏にひびが入った右の肋骨を
今度は骨折したらしい。
ボキッとでっかく折れたのではなく
ひびといえばひび、
骨折といえば骨折という、
ごく軽度の骨折をしており、
またもやバストバンドを装着されて帰って来た。
しかも
帰って来てからは足が冷たいのか
性懲りも無くストーブの前で足を炙っている。


ええかげんにせーっちゅうの。


ウザがられても仕方ない。
口やかましくもなるこっちだって。


明日のデイケア利用、
リハビリも入浴もやってOKなんだって。
元々の予定通りだけど
明日、
朝一でケアマネとデイケアとに連絡しなければ。
夜勤入りで私は朝は自宅にいるから
電話は大丈夫だ。


じじの寝室の物の置き方、
配置換えようかな。
同じ動きで
同じ家具の角で
二度も
同じ体の場所を怪我するというのは
家具の配置に問題があるといえる。
ここに引っ越した時、
私が考えた配置なんだけどね。
改善の余地ありだな。


そう言ったら
じじは露骨に嫌がっていた。


「そんな余計な、
 面倒な事、やらなくていい。」


面倒って、
じじ、
家具を動かしたり掃除したりして
面倒は私なんですけど。

やけど

2009-03-07 14:31:00 | じじの通所リハビリA
夕方から夜勤入りするので
睡眠サイクルを6時間ずらせて
今朝からさっきまで寝ていた。


12:00には
食事のために起きようと
携帯のアラームを設定していたが
アラームの直後に再び鳴ったので
見ると電話の着信だった。


じじが行っているデイケアAの職員からだった。
さっき入浴させようとしたら
足に大きな水ぶくれが出来ていたらしい。


普段からじじは足が冷えると言いながら
室内で靴下を脱ぎ、ストーブの温風に足を当てる。
何度やめろと言ってもすぐにそれをする。
今回の水泡は
ストーブの温風を長時間当てたための低温やけどである。


デイケAアでは
とりあえず入浴を済ませてからすぐに
急遽同じ建物内の外来を受診させたという。


通常、こういう場合は
受診が終わったらデイケアを早退する事になっている。
しかしじじの場合、
早退して自宅に戻っても家に人がいない。
スタッフが先にケアマネに連絡して
じじの在宅事情を把握し、
じじをそのままデイケアAに戻らせ、
お仲間と一緒に昼食を取らせて
午後のデイケアも通常通りの利用とし、
いつもの時間通りに終了し帰宅するようにしたが
「ご家族の了解を頂けるでしょうか」
と連絡してきた。


正直、助かった。
じじにとっては
行事のサイクルを予定変更すると
じじ自身の中で混乱が起きて
失認失行やトラブルの原因になる。
また、
その場でデイケアを切り上げて早退したら
自宅での昼食の用意が時間的に間に合わない。
血糖関連の内服があるので時間のずれは困る。


本来は私がじじ宅に駆け付けて
昼食を作って食べさせ、
後片付けなどをしなければならなかったが
スタッフの機転と配慮のおかげで
じじはいつもの行動パターンを崩さずに済んだし
私も夜勤前に体力を使わずに済んだ。


ちょっと前に利用をやめた施設デイケアKだったら
こういう配慮は期待出来なかった。


以前まだ私が救急病院していた時、
心筋シンチグラフィの検査中に
「迎えに来て下さい」
とデイケアKの職員に電話で突然言われて
慌てた事があった。
患者さんの心臓に負荷をかけながら
ストップウォッチを睨んで
放射性同位元素の検査薬を注射する、
そんな検査の最中に
迎えに来いと言われてもどうしようもないので、
大慌てでヘルパーの派遣会社に緊急利用を依頼して
私の代わりに迎えに行って貰い、
腹を壊したじじを着替えさせ、
受診させて貰った。


規定上、
本来デイケア利用中の受診介助は
家族がしなければならない。
しかしそれが出来ない事情の家族もある。


じじの足は水泡が破れていないので
まだガーゼ保護だけでいいらしい。
もし自宅で消毒などの処置が必要であれば
連絡ノートに書いて持たせてくれるという。


私は夜勤の途中に、
今夜来るヘルパーさんに電話で申し送りをする。
明日私が夜勤明けする頃には
じじはヘルパーさんと一緒に教会に出掛けている。


万一今晩から明朝までにガーゼが剥がれたり
水泡が潰れてしまったりして
ヘルパーさんが困らないように、
必要に備えて材料を揃えておこう。
一応、
滅菌ガーゼとテープと消毒液を買って
じじの留守宅に置いてから出掛けるか。


水泡が潰れたら厄介だな。
糖尿病は傷を作ると化膿し易い。
水泡が破れずに枯れて吸収されればいいが。

家族の食卓

2009-03-05 12:54:06 | じじの在宅介護
私が物心つくかつかないかの2歳当時、
父は私の
茶碗の持ち方、箸の使い方、食事中の姿勢を
必要以上に厳しく叩き込み、
ちょっとした箸の上げ下ろしの仕方や
茶碗の持ち方の崩れだけでも
大声で怒鳴り、
しつこく長々と説教を垂れ、
平手打ちしたという。
おかげで2歳頃から私が父親に懐かなくなったと
昔から母がよく言った。


そのためかどうか、
私は人と、
特に家族と食事をするのが嫌いである。
一緒に食卓を囲んで
これほど食い物がまずくなる相手は他に無い。


それで学童期に入ると
自然と宿題にかこつけて食事を抜いたり
自分の食べる時間をずらせて
家族と一緒の食卓を囲む事を
避けるようになったと記憶する。


25年以上も
殆ど一緒に食事をした事の無かった父親だったが
父が脳梗塞で倒れた10年前に
私が札幌からこちらに来て同居し始めた当初、
食事をこれ以上は無いという程不味くさせ貶める、
2、3歳当時と同じ食卓を
父と一緒に囲む食事が始まった。


父は若い頃から
人に何か意見をしたい時に
相手と向き合って物を言う事の出来ない小心者だった。
それが自分の女房子供であろうと変わらない。
正面から真っ直ぐに
言うべき事を相手に言う勇気が無いので
どうするかというと
相手が物を食べている無防備な時を狙って
食事の時にねちねちと小言の体裁をとって物を言う。


相手が食事の場を壊したくないからと
我慢して聞き入れるであろう事を充分想定し計算に入れた、
実に姑息で卑怯な方法である。
そんな方法でなければ
説教をしたり日頃の行いのダメ出しをする勇気が
父には無かった。
相手から反発されると皮肉や嫌味の一言二言を言って
仕事で疲れたふりをする。


相手にダメ出しのネタが無ければ
食事の作法をあげつらって
「箸の持ち方がなってない」
「茶碗を持つ手の肘が開いている」
「座る姿勢が崩れている」
という何のための行儀作法か知らないが
私にとって家族の食卓は汚い穢れた食卓だった。
日頃の鬱憤を八つ当たりで晴らす父の
罵詈雑言を浴びながら
不浄な物を口に入れるのと同じである。


この土地に戻って
25年ぶりに一緒に日常の食卓を囲んだ時、
あの昔の不定な食卓が甦った気がした。


四半世紀ぶりに一緒に朝食の食卓に着いた父は
陰湿な厭味とも愚痴ともつかない言葉を
食べている最中にだらだら垂れ流した。


まるで底意地の悪い老婆か頭の悪い女のようだと
私は自分の父親を見て思い、
ぐちぐち言ってくる嫌味に返事はせず、
無言で
茶碗を食卓に叩き付けた。
薄い茶碗は高い音を立ててそこに亀裂が入り、
中の食材が飛び散った。
私は正面から父の顔を睨み付け、
熱い茶の入った湯飲みを顔面にぶつけたい衝動を抑えた。


今となっては懐かしいエピソードだ。


現在では
食卓でダメ出しする側とされる側とでは
立場が完全に逆転している。
父が教会に行くようになってから。


それは私が父に対して
口煩く徹底的に言い聞かせている事である。
茶碗の持ち方や箸の上げ下ろしや座る姿勢など
どうでも良い。
食べ方が汚かろうが食べ溢ししようが問題無い。


そんな事よりも
食卓に着く者全員が着席し、
食事と食器が全員に行き渡るまで
箸に手を付けるなという事を
私は父に対して厳しく言うようになった。


封建的な家長制度の仕来たりで
長男を王様のように最優先し甘やかす習慣で
自分が最初に箸を付けるように育てられたためか、
教会の食事の席に初めて着いた時、
父は粗相をした。
最初に箸に手を付けたのである。


同じ食卓に着いている人の誰彼に
食事の皿がまだ行き渡っていなかったり、
まだ座れずに給仕や用意をしている人がいるにも拘らず、
全員の食事の体勢が整うまで待つ事もしないで
我先に目の前に配られた食事に手を付けようとした
浅ましい父の姿を見て失望し恥ずかしいと思った。


こんなに何十年も生きてきたのに
この人は
下らない馬鹿げた古い日本の伝統習慣で躾けられはしても
人間としては食卓の作法すら
まともに学ぶ機会を与えられて来なかったのかと思った。


それで私はその場で箸を取り上げ、
言葉きつく父を咎めた。


「食事はまだ。
 まだ全員座ってもいないでしょ!」


そして
帰宅してからさらに厳しく言った。


「教会で食事をする時は
 全員が食卓に着くまで待ちなさい。
 全員が揃って席に着いて
 食前の讃美歌と祈りが済むまでは食べない!
 まだ席に座っていない人がいるのに
 自分だけ先に箸を付けるのは
 教会でなくても
 何処に行っても
 恥知らずで卑しい、見苦しい行為でしょう。
 私が小さい頃には
 箸の上げ下ろしに随分厳しかったくせに
 自分はそんな当たり前の気配りも出来ないの。」


まるで犬に「おあずけ」を躾けているみたいだ。
悲しかった。


父は無言だった。
それから何度か同じ事をきつく注意して
最近では言われなくても
今では無作法な事をしなくなった。


ある日、
父は自宅でヘルパーの用意した夕食を食べていた。
父は
食べ終わった皿に口を拭ったティシュを丸めて入れた。
何度か見かけていたその行為を私は咎めた。


「行儀が悪い。
 食事を作って用意してくれた人に対して失礼だ。
 殿様にでもなったつもりなの。」


すると父は唐突に曾祖母の事を言った。


「俺は
 おばあさんが嫌いだった。」


父は
小さい時に両親が離婚して
自分の祖父母に育てられていた。


父の祖父は身分も何も無いただの市民だったが
父の祖母という人はハチスカ家という武将の家老職の家柄で、
結婚に反対された會祖父母は
駆け落ちして徳島から北海道に逃げて来たらしい。


父は自分の祖父が大好きで
身分の低い出身の夫を日常的に見下していた
気位の高い自分の祖母を嫌っていたのだそうだ。
(こんな話は母も私も妹も聞いた事が無かったが、
 いつもの珈琲店でヘルパーには打ち明けている。)


「おばあさんはいつも俺に言っていた。
 “武士の子は轡の音で目を覚ますが
  町人の子は茶碗の音で目をさます。”
 行儀作法にうるさい人で、
 いつもおじいさんを馬鹿にしていた。
 俺はおばあさんが大嫌いだった。」


最近、父の中で
私は父のおばあさんと人間像が重なっているらしい。