ぱんくず介護録

在宅介護事情。

足浴

2013-03-31 23:08:41 | 入院生活
やれやれ。
夕方じじの病床に行ってがびがびの足を洗った。
入院以来今日まで1ヵ月半入浴も足浴も、保清は殆どされていないので
角質がぱらぱら落ちてシーツに溜まっている。

途中薬店に寄って軽石と踵ブラシ買って持参した。
軽石2つは黒い目の粗い軽石と白いキメ細かい軽石。
目の前で包装を開くとじじは白い軽石を手に取って食べようとした。
もう軽石と食い物の区別も無くなったんだな。


足浴用の洗面器と軽石2種類とブラシ、ラバーシーツも持参してタオルでごしごし。
粘土の如きふやけた垢でプラ手袋がねばねばになった。


足浴の後じじに杏仁豆腐を食べさせた。
食後の口腔清拭、髭剃り、顔と手を拭き、寝かせる前にオムツを見た。


便が出ていた。
オムツ交換の時、じじの肛門周囲が白くふやけていた。
カビだ。
看護師に伝えた。
熱発で随分長い期間抗生物質を使い続けている。
熱が下がる前に負け戦になるかも知れない。
じじは機嫌よくイヤホンでラジオ聴いている。


帰りの足で明日の昼食に使う野菜を買って、帰宅したら21時15分前だった。
テレビで劇場版『相棒』が放映されるのに何とか間に合ったな。=3

週末は写真整理

2013-03-31 17:06:12 | 入院生活
昨日土曜日はまる一日寝て潰した。
なんでこんなに疲れているのだろう。
今日も午前半日寝て、午後からじじの撮り溜めた写真類を整理。
ネガとスライドフィルムがあちこちから出て来る。
食器棚や衣類のポケット、小物入れ、手帳、引き出し、箪笥、冷蔵庫からも。
一度片付けた筈なんだけどあれっと思う所からぱらぱらと1枚2枚と出て来る。
年代順か被写体別かフィルム別かどう分類するわからず挫折。
何千枚か何万枚か分からん、奥深型の衣装ケース8個分。
こうして一日が過ぎ去って行く。


じじが撮った昭和40年代の市内の写真3枚。
これは高台から橋を見下ろす展望。
普段私が岸壁散歩する辺りが遠目に写っているが、当時あの界隈は魚河岸だった。
散歩どころか魚臭くて近寄る場所ではなかった。

                
     

これは駅前から市街を眺めている。
月がやたらと低くでかいのはじじが望遠レンズを使ったのと、
南東向きで真夏だったからであろう。
古くて退色している。

                


こっちはまたも高台の別角度からの橋の眺め。
この写真ではないが、じじは当時この撮り方で撮った夜景を写真展に出した。
見に行ったら金紙が貼られていた記憶がある。
それにしても今と違って閑散とした地味な建物ばかりだが高度成長期真っ只中の時代、
古い写真の中の交通量の多さにびっくりする。
ていうか今の市内の廃屋街は何なんだ。

                


これら2枚は流氷が港から川までやって来て接岸した時の写真だ。

                

                


これは昭和50年代の写真だと思う。
橋が新しく架け直されてブロンズ像が4体設置された。
観光客や地元の写真家が今もよくカメラを構えるのを見かける。
じじも撮ってたのか。

                


これは自宅で一時飼っていた熱帯魚。
グッピーとネオンテトラと黒いのは何だったかな、エンゼルフィッシュとか
キッシングフィッシュというのもいたと記憶する。
しかし2年後には水槽自体がもう無くて、
代わりに妹が母方の祖父母から貰って来た十姉妹や文鳥がいた。

                


さて、ちと出かける。
じじの病床に昨日行かなかったし、足の裏カピカピで垢溜まってたから
足浴でもしないと。

「食べていない」

2013-03-29 21:02:14 | 入院生活
仕事終わって着替えると携帯に着信あった。
先日入所申し込みした老健の相談員からだった。
週明けて4/2の火曜日午後から本人のベッドサイドで面談をするという。
4/3の入所判定会議に間に合わせるべく施設側と病院側で日程調整したら
ぎりぎり前日になったらしい。


3ヶ月を迎える5/13までに、何とか受け入れ先が決まってくれるといいが。


じじに面会に行くと、ベッドサイドが片付いていてセミファーラー位だったので
夕食は食べたのかと聞くとじじは「いや、食べていない」と言う。
でもスプーンが無くなっているし、食事終わって食器洗いに回したのではないのか?
病棟ヘルパーに聞くとやはり夕食は食べ終えたばかりだった。
冷蔵庫に牛乳プリンがあったので食べさせた。
むせもせず、飲み込みは悪くない。
熱も落ち着いているのかクーリングはしていないが、
抗生物質の点滴用の静脈ルートは留置したままだ。
せめてリクライニングでない一般の車椅子に乗れるようになったらなぁ。


先日リクライニング車椅子に乗せた時、持参していたリハビリ用のバレーシューズが
きつくて履かせられずとりあえず靴下を履かせたのがそのままになっていたので
脱がせると乾燥した角質が大量に剥がれ落ちた。
熱を出していては入浴も出来ないし清拭など最低限度の保清は出来ても
手浴や足浴までは時間も手も回らないのだろう。

今日も特養入居申し込み手続き

2013-03-28 16:01:01 | 入院生活
昨日に引き続き特別養護老人ホームの入居申し込み手続きに来た。
バスで遠出。
広大な敷地はバス停3区間分も距離あり敷地の外は湿原。

                 

                 

                 


まさに姥捨て山。(あ、山でなく平原ね。)
しかし建物設備は築約10年というのに新築のホテルの如くピカピカ綺麗で清潔広々。
今まで見てきた中で快適度ダントツかな。
但し快適と断定は出来ない。
入居した年寄りに聞いてみなければ。


いずれの施設も待機高齢者800~900人もいて、じじはその何番目になるのか。
気が遠くなった。


これで特別養護老人ホームの申し込みは5軒目。
市内で私の行動範囲はこれが精一杯。
他に待機収容施設として老人保健施設の入居申し込みも1軒した。
5月の半ば最悪で何処からも受けられられない場合、じじは退院後在宅に戻り
私が夜間泊り込みショートステイを定期利用する事になる。
そっちはケアマネ経由で手続き。
しかしショートステイの空きはメド立たない。
見通しは自宅退院の可能性が今のところ一番高い。
仕方ない。

リクライニング車椅子に乗って

2013-03-28 15:10:12 | 入院生活
午前半日勤務終わって昼食摂った後、じじの病床にて面会。
じじはPTが来てベッドサイドでリハビリの最中だった。
リハビリと言っても拘縮予防のマッサージである。
PTや病棟ヘルパーから下肢を少しでも触ると痛がると言ってきた。
昔の大怪我の後遺症のためか日頃から痛がる事を説明した。


病棟ヘルパーによると、今日はリクライニング車椅子に乗ってデイルームで
他の患者さん達と一緒に食事した。
全介助であるがよく食べる。
車椅子に乗せる時、持参した入院時用のバレーシューズはきつくて履けないので
スリッパを持って来てほしいとヘルパーから要望あり。
明日持って来よう。


PTが終わったのでベッドを起こし、おやつにプリンを1個食べさせた。
「うまい」と小声で言っている。


髭を剃り、顔を拭く。
ラジオの電池が切れていたので交換、春の高校野球をやっていると言うと
じじは少し笑った。
イヤホンを装着して退室。


特養の申し込みのため、今日もこれから出掛ける。

特養入居申し込み手続き

2013-03-27 15:35:01 | 入院生活
半日勤務の後、じじの退院後の受け入れ先を探す。
特別養護老人ホームの入居申し込み手続きのため、相談員と面談した。
市内の特養の中では老舗で入居者数が多い大所帯。
大昔からの「養老院」の鄙びた佇まい。
高齢者達や忙しそうな職員達が大勢犇めき合う臭気のようなものを感じる。
私の自宅から距離が比較的近くバスも通っている。
大勢の人がいて話し声や集団レクリエーションの喧騒があるのに
自分の親を看る事が出来ずに収容して貰えないか頼む立場を意識するからだろうか、
大勢の人の熱気のようなものがあっても何処と無く物悲しい。


同じ法人系列の3箇所ある特養施設を3箇所とも申し込んだ。
そのうち最も古い一箇所は、
今から12年くらい前に私が直接出向いて一度入居申し込みをしていたのだった。
当時のじじは要介護2で自力歩行可能で杖をお洒落のつもりで持ち歩いていた。
やめろと言うのに自分で車を運転したり、タクシーで飲み歩いたり、
行きつけの珈琲店で昔の自慢話を披露したりしていた。
その頃私は将来介護が手に負えなくなる事を予想してとりあえず自分の行動範囲内で
当時の自分の職場から近い施設に申し込みしたのだった。
その頃既に相当数の待機高齢者がいたと聞いた。
ADLほぼ自立、勝手気ままな殿様独居生活をしていたその頃のじじの順番は
ずっと後の方だったと思われる。
面談した職員からぞんざいな口調で「何年待つかわかりませんよ」と言われた。
そのままじじの在宅介護はいつになるか見当も付かない入居よりも
在宅でデイケアとヘルパーを利用して独居生活を維持する方針で進んできた。


現状とこれまでの経歴を相談員に説明した。
他に申し込みをした事があるかどうか聞かれて、そういえば12年くらい昔に
同じ系列の特養に申し込んだ事があったと話すと相談員は問い合わせてくれて、
当時の申し込みはまだ生きていた。
待機の順位としては12年前から生活歴や介護度の情報を更新していなかったので
ずっと後回しのままになっているが、その施設だけは申し込み日が本日ではなく
12年前の申し込み日となるという。
それだけ昔に申し込んで待機している事になるので待機の順位は多少優先されて
幾らか優位になるらしい。
いずれはこんな状況になるであろうとは予想していたが
正直、ここまで重度の要介護になる日が来るとは12年前の私は想像していなかった。
12年前の要介護2だった自由勝手気ままな殿様独居老人のじじが
今は寝たきりで拒否も我儘も無くされるがままの臥床生活をしている。
人間が老い衰える現実とはこのようなものか。


帰りの道が分からずタクシーを呼び出して乗り、そのまま街に出た。
夕方から夜は職場の月一の会議があるので職場に戻らねばならない。
特に行くべき場所も無く、自宅に戻ると出掛けるのが億劫になるので
また岸壁の珈琲店で時間を潰す。


いろいろ考える。
じじの今後の事、自分の生活と仕事の事。

病室また移動した

2013-03-26 23:37:55 | 入院生活
日勤が終わった足でじじの病床に行くと
部屋が変わり受け持ち看護師が食事介助していた。
食事介助を交替し、雪が降って来た事を話してカーテンを開けると
じじは「雪?そうか。」と小声で言った。
蚊の鳴くような弱弱しい声しか出さない。
それでも夕食は全量摂取し、食後に持参した特大珈琲ゼリーもぺろりと完食した。
相変わらず発熱して抗生物質の点滴と腋窩クーリングしているが、食欲は旺盛。
体位を整えようとしたら臭いがして、便がでていたのでオムツ交換した。
さすがにこの季節に私服でオムツ交換は暑い。
目に汗が流れて痛かった。


髭を剃り顔拭きしてラジオのイヤホン装着して退室する時。手を振ると
じじも手を振り返してきた。

まだ熱発

2013-03-24 19:52:42 | 入院生活
夕方じじの病床に行くと夕食は済んでおり、
後頭部と左腋窩を氷で冷やされて活気が無かった。
水羊羹を希望したので1個食べさせたがむせもせずまだ口を開いて待っている。
それで小さいかぼちゃプリンも1個食べさせた。
手に触れると熱っぽい。
抗生剤で叩いて2日目でもまだ熱が下がらない。
緑膿菌による尿路感染、しつこい。
今日も髭を剃って顔を拭き、イヤホンでラジオを聴かせて帰って来た。


帰り道。
暖かくなった。
気温プラス0.1℃、路温は7.3℃もある。

昨日よりは活気あり。

2013-03-23 19:15:58 | 入院生活
行ってみると今日は昨日よりも活気がある。
セブンの「桜水羊羹」を食べさせた。
夕食後に喉越し良かったのか「うまい」と喜んだ。
1個食べ終わってもまた口を開くのでまた明日と言って口腔ケアをした。
何か小声で喋るが何を言ったのか聞き取れず意味不明。
聞き返すと不審そうにこちらを見ている。
それ以上は聞き返さずいつものように髭を剃り顔を拭き、
ラジオのイヤホンを装着して帰って来た。

古い写真

2013-03-23 18:23:26 | 入院生活
散歩もせず朝からだらだらしていた。
午後はじじが50年余りに渡って撮り溜めた大量の写真やスライドを整理しようと試みた。
一体何万枚あるのか、あまりに膨大な量で気が遠くなる。。。。。撃沈...orz
これらを整理するなど物理的に不可能。
手作業で整理したら半年や一年は軽くかかるであろう。
じじが趣味で撮った無数の自然の写真に混じって昭和40年代のスナップ写真を見つけた。
私は当時小学生だった筈であるがこんな建物が大通界隈にあったろうか?
ちゃんと日付、地名、町名、番地まで手書きされているがこの建物の記憶は無い。

                 


鰈売りの老婆。

                 


嵐の迫る岸壁。

                 


SLを見上げる子供。
これは私だ。
左手をSLに向かって翳しているのは何の意味だろう?

                 


古い写真が珍しくて眺めていたら日が暮れてしまった。
急ぎ病院に向かう。

,熱発38.0℃

2013-03-22 22:19:15 | 入院生活
仕事の後じじの病床を見舞うと一度中止した抗生剤の点滴がまた始まっていた。
ちょうど内科主治医が来て経過を教えてくれた。
昨夜私が帰宅した後に38.0℃の発熱したという。
痰がゴロゴロからんでいたが、それよりも尿路感染が再燃し膿尿が認められ、
培養提出したと。


私が考える以上にじじの抵抗力は落ちているのだろう。
義歯合わせ直して貰ったし食事もグレードアップ出来るかと思ったが、
本人食う気満々でも嚥下状態がよろしくないし。
熱発と聞いて私はてっきり誤嚥性肺炎の悪化かと思ったがそうではなく尿路感染。


とりあえず入院期間3ヶ月めを迎える5月までに退院後の行き先を確保すべく
老健と特養5箇所に申し込み中であるが、肝心の病状が一進一退。
このままでは施設入所は厳しい。
入所したらしたで数日のうちに死ぬだろうな。
しかしだからと言って療養型病院は適応外。
気管切開していないし一日8回以上の気道吸引はしていない。
経管栄養の胃瘻やPEGも留置していず、留置している管は尿路だけだからである。

空振りだらけの日

2013-03-21 18:12:08 | 入院生活
じじの施設入所申し込みは来週に延期、
じじの歯科医の支払いも月末にならないと集計出ない、
岸壁の海産物屋に入荷する筈だった岩海苔わさびは店が休みで購入出来ず、
しょーがないのでさっき一度帰宅したら鍵無くて部屋に入れず。
職場に引き返したらロッカーに挿しっぱなし。。。。。orz
その足でじじの病床に向かった。
一度帰宅してから夕食事時に出直すつもりだったが
もう15:30過ぎたら再び出直す気も折れた。


じじのベッドを起こしてプリン食べさせた。
プリンはセブンの新商品。
カスタードプリンの上にこれでもかと言わんばかりの生クリームが
ぐるぐるとぐろ巻いている。
じじは残さず1個ペロリと完食した。


朝洗った頭が砂埃でざりざり、不快この上無し。