何か変わった事は?と聞くと、
ヘルパーさんからの報告で、じじは
ヘルパーさんの到着した夕方に、
昨日帰宅してせっかく中身を整えたデイケアのバッグの口を開け、
自宅の鍵を探して取り出していたという。
鍵をどうしたいのか、不審に感じたヘルパーさんが聞くと、
「いや、別に何でもないです」と答えたらしい。
ああ。
ヘルパーさんにとっては唐突で意味不明なじじの行動かも知れないが
私にはわかる。
じじは時々、
鍵や自分の大切なものや室内のものの在り処を確認している。
鍵は、昨年の秋だったか、
デイケアのバッグに入れて持参するのを忘れて
デイケアから戻っても自宅に入る事が出来ないアクシデントがあった。
その時は、前日にデイケアバッグの中身を整えたヘルパーさんが
鍵をバッグに入れるのを忘れたのだった。
鍵が無くて室内に入れないので、デイケアの送迎担当職員は
じじを車椅子に乗せたまま再び送迎バスに戻らせ、
利用者宅全部を回り終えた一番最後に再びじじを送り届けたが
合鍵を持っている夕方のヘルパーはまだ来ていなかった。
私はちょうど仕事から帰ったところで携帯で連絡を受けて、
慌ててタクシーで駆けつけ、鍵を開けた。
じじの鍵は室内にあり、戸棚の上に置き忘れられていた。
やっと自宅に入る事が出来たじじは憮然としていたが、
連絡を貰って駆けつけ、平謝りするヘルパーさんに対しては
「もういいです」とそれ以上怒ったり文句を言ったりしなかった。
私とヘルパーさん達は
その場でデイケアのバッグの中身は注意してチェックしましょうと
申し合わせただけで完結したものと思い、忘れていた。
しかしじじにとってはそうではない。
忘れてはならない注意事項になっていた事がわかった。
鍵を人任せにしていたら自宅に入れないという体験をじじはした訳である。
不信感とも異なる、じじなりの自己管理である。
誰でも大事な事は自分で確認したいものだ。
私達は目に見える行動だけで「意味不明な行動=認知症の始まり?」と
短絡的に解釈し思い込みそうになるが
じじには苦い体験から学習した注意事項があり、
鍵の実物を見て確認するまでは不安で安心出来ないのである。
その不安があって確認しようとするうちは
じじはまだ自分自身の在宅生活を続ける事が出来ると思う。
ヘルパーさんからの報告で、じじは
ヘルパーさんの到着した夕方に、
昨日帰宅してせっかく中身を整えたデイケアのバッグの口を開け、
自宅の鍵を探して取り出していたという。
鍵をどうしたいのか、不審に感じたヘルパーさんが聞くと、
「いや、別に何でもないです」と答えたらしい。
ああ。
ヘルパーさんにとっては唐突で意味不明なじじの行動かも知れないが
私にはわかる。
じじは時々、
鍵や自分の大切なものや室内のものの在り処を確認している。
鍵は、昨年の秋だったか、
デイケアのバッグに入れて持参するのを忘れて
デイケアから戻っても自宅に入る事が出来ないアクシデントがあった。
その時は、前日にデイケアバッグの中身を整えたヘルパーさんが
鍵をバッグに入れるのを忘れたのだった。
鍵が無くて室内に入れないので、デイケアの送迎担当職員は
じじを車椅子に乗せたまま再び送迎バスに戻らせ、
利用者宅全部を回り終えた一番最後に再びじじを送り届けたが
合鍵を持っている夕方のヘルパーはまだ来ていなかった。
私はちょうど仕事から帰ったところで携帯で連絡を受けて、
慌ててタクシーで駆けつけ、鍵を開けた。
じじの鍵は室内にあり、戸棚の上に置き忘れられていた。
やっと自宅に入る事が出来たじじは憮然としていたが、
連絡を貰って駆けつけ、平謝りするヘルパーさんに対しては
「もういいです」とそれ以上怒ったり文句を言ったりしなかった。
私とヘルパーさん達は
その場でデイケアのバッグの中身は注意してチェックしましょうと
申し合わせただけで完結したものと思い、忘れていた。
しかしじじにとってはそうではない。
忘れてはならない注意事項になっていた事がわかった。
鍵を人任せにしていたら自宅に入れないという体験をじじはした訳である。
不信感とも異なる、じじなりの自己管理である。
誰でも大事な事は自分で確認したいものだ。
私達は目に見える行動だけで「意味不明な行動=認知症の始まり?」と
短絡的に解釈し思い込みそうになるが
じじには苦い体験から学習した注意事項があり、
鍵の実物を見て確認するまでは不安で安心出来ないのである。
その不安があって確認しようとするうちは
じじはまだ自分自身の在宅生活を続ける事が出来ると思う。