すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1625号 館林の「白熊」と向き合い、撮影フリーを考える

2019-02-26 09:59:56 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】ポンポンのシロクマに会いに館林にやって来た。群馬県立館林美術館はフランスの彫刻家、フランソワ・ポンポン(1855-1933)の作品を所蔵し、代表作の「白熊」を展示しているのだ。実は陶芸でシロクマ作ってみたいと思い立ち、素焼き前の段階までこぎつけたのだが、私のシロクマはどうもリアルさに欠ける。そこでポンポンの作品をじっくり鑑賞しようと考えたわけだ。わかったことは「観察の不足」である。

(冒頭は館林美術館のポンポンの「白熊」ポスターから。こちらは私の「シロクマの孤独」)

ポンポンの白熊は大理石を削り出し、単純化された造形の中に生命感を溢れさせ美しい。一方私のシロクマは、「シロクマの孤独」とタイトルだけは決まっている。地球温暖化で絶滅さえ危ぶまれる北極熊の、地球号に翻弄される様子のつもりなのだが、縫いぐるみのクマようで生気がない。何がこれほどの違いを生じさせるのだろうかとポンポンを凝視すると、筋肉の盛り上がりがまるで違う。ポンポンは息をしている!

(旭川の旭山動物園)

私が最後にシロクマを見たのは11年前、旭川の旭山動物園でのことだ。シロクマ像を作ることがあるなど思ってもいなかったから観察はおざなりで、思い出そうとしてもなかなか叶わない。ポンポンと張り合うつもりは毛頭ないけれど、創作には観察がいかに大切かを思い知る。観て、そして正確に写し取ることが肝要であって、それを自分の形にしていくのはその土台があってのことだと、いまさら痛感したのである。

(群馬県立館林美術館)

しかし館林美術館は作品の写真撮影を禁じている。買ってきたポストカードを眺めているが、それでは1方向からしかわからない。なぜ美術館は作品の撮影を禁じるのだろう。いや、美術館によってなぜ撮影の可否が異なるのだろう。前日、高崎の県立近代美術館での「群馬青年ビエンナーレ展」は撮影自由だというから写真を撮り、そのまま隣の部屋に移動したら、監視員に「こっちはダメです」と詰め寄られてしまった。

(高崎の群馬県立近代美術館)

なぜダメなのか訊ねると、「こちらは館蔵品展だからです」という。公立館の館蔵品は税金で購入した公共財だろう、だから自由に撮らせる美術館が多い時代に何故だ? 国立近代美術館は館蔵展の場合、申し出ればシールを身に付けて撮影可能になる。パリのルーブル美術館は『モナリザ』さえOKだし、アムステルダムの国立美術館はレンブラントの『夜警』ですら撮影できる。大英博物館やMET、MOMAも規制はない。

(ルーブル美術館の「モナリザ」)

撮影を認めない美術館もある。パリのオルセー、フィレンツェのウフィツィ、マドリッドのプラドは禁じていた。ミラノ・グラツィエ教会の『最後の晩餐』、マドリッド・ソフィア美術館の『ゲルニカ』、フィレンツェの『ダビデ像』は、これだけはダメと特別扱いだった。バチカンもシステナ教会堂だけは撮影できない。企画展や、特別な収蔵品を禁ずるのはやむを得ない。しかし禁じる場合はその理由をきちんと掲示してほしい。

(アムステルダムのオランダ国立美術館の「夜警」)

カメラ撮影に関心がない人には、撮影者は目障りだろうから、フラッシュ禁止など一定の制約はあって当然だ。しかし世界の趨勢は「撮影フリー」に向かっていると思う。税金で購入した公共財を、あたかも館の占有物のように扱う美術館・博物館は、そろそろ旧弊を再考する時期なのではないか。芸術は崇め奉る対象ではなく、愛するものだ。美術館は可能な限り、美と自由に向き合える場でなければならない。(2019.2.3)

(ニューヨークのメトロポリタン美術館)

(ニューヨークのMOMA)

(群馬県立近代美術館)

























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