すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1593号 もう一つのリスボン・新市街

2018-08-14 16:55:38 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】バイシャ地区の雑踏に目を奪われて、それでリスボンを知った思いになってはこの街を見誤ってしまうだろう。というのも「新市街」と呼ばれる高台の地域に行ってみると、だいぶ様相が異なるからだ。地下鉄の駅を2つほど通過して外に出ると、そこは区画の行き届いた街路に現代的なビルが建ち並ぶ、ビジネス街である。行き交うのは地元の人たちで、あの古びたトラムが走り回る雑踏地区とはまるで別の街のようだ。



私が立っているのはポンバル公爵広場と呼ばれる、18世紀の宰相を戴く巨大な塔の建つ円形広場だ。なだらかな傾斜地の中程にあって、北側に登れば広大な公園になる。そして南に下っていけば、広い歩道をプラタナスの並木が覆うプロムナードが続いて、下町(と言うかどうかは不明だが)の中心部・ロシオ広場の雑踏に至る。広々としたプロムナードはポルトガルらしいモザイク模様の石畳で、途中に日本大使館もある。



ランチを摂りにだろう、ビジネスマンが談笑しながら通りに出てくる。濃い緑陰の並木道はデパートの買い物袋を下げた女性たちがゆっくり行き交い、ベンチには休息を取る人たちが長い足を組んでいる。なんとも贅沢なこの通りは、高台の新市街と低地の繁華街を繋ぐリベルダーデ大通りだ。低地のロシオ広場からは河畔のコメルシオ広場へ、さらに区画された街路が続く。以上がリスボンの「都市軸」に違いない。



15世紀から17世紀にかけて、バスコ・ダ・ガマらの冒険によって大航海時代を牽引したポルトガルは、世界の交易の中心となって富を蓄えて行く。極東の日本にまで航跡を延ばした16世紀中葉が絶頂期で、往時のリスボンは世界最大級の都市に発展した。しかし1755年、街は大地震に襲われ壊滅する。以後ポルトガルは、分相応の小国となって生きていくのだが、復興の指揮をとったのがボンバル公爵であった。



時代は下って現代の話。サラリーマンにとって、靴はスーツとともに重要な仕事上の装備品である。私は50代になって、ようやく満足できるビジネス・シューズに出会った。ブランド名はeccoといい、「デンマークの会社だが、この靴はポルトガルで作っている」ということだった。それを聞いて私は、ヨーロッパにおけるポルトガルの位置を理解したと思った。当時、日本製品では台湾が似た役割を果たしていた。



しかしそれから20年余、台湾はすでにその立場を脱し、日本の大手電機メーカーを救済買収するまでになっている。ポルトガルはどうか。「ヨーロッパの工場」的位置はアジアに移っているようだし、ポルトガル経済はもっと成熟していると思いたい。しかし時折、財政基盤の脆弱さを指摘するニュースが聞こえてくる。一人当たりGDPもEUの平均を下回ったままだ。リスボンはこんなに賑わっているのに、不思議だ。



ポンバル広場からリベルダーデ大通りを下り、コメルシオ広場までリスボンの都市軸を歩いてみる。広場の先は、まるで海のようなテージョ川の河口入江が広がっている。その畔に据えられた巨大なヴィジョンを囲み、広場の半分は、ワールドカップの本日の1戦を見ようという人々で埋まっている。ここばかりは観光客より、市民の数が多そうだ。東京なら暗くなっている時刻だが、この街の日没は遅い。(2018.7.2-8)





























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