本当の賢治を渉猟(鈴木 守著作集等)

宮澤賢治は聖人・君子化されすぎている。そこで私は地元の利を活かして、本当の賢治を取り戻そうと渉猟してきた。

『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(100p~)

2016-03-06 08:00:00 | 「不羈奔放だった賢治」
                   《不羈奔放だった賢治》










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*****************************なお、以下は本日投稿分のテキスト形式版である。****************************
が存在していたことになる。ということは、「東北採石工場からの賢治宛来簡」が存在していたということだから、他の人たちからの賢治宛来簡が残っている可能性もありそうだ。そこで、機会があれば当事者に直接このことを問うてみたい、と思っていた。
 そこへ持ってきて、前述したように「賢治宛の露からの来簡」が露に関する懸案事項を解決する可能性があるということを知ったのでなおさらにそう思うようになっていた。
 その矢先、「念ずれば通ず」という諺がピッタリで、私は盛岡のとある会合で宮澤賢治の血縁のC氏と同席できた(平成27年10月11日)のである。私は小心者であるが、一世一代の勇気を振り絞ってずばりお願いをした。
 賢治の出した手紙はお父さん(政次郎)宛を含め、下書まで公になっているのに、賢治に来た書簡は一切公になっていない。賢治研究の発展のために、しかも来年は賢治生誕120年でもあり、そろそろ公にしていただきい。
と。するとC氏からは、
 来簡は焼けてしまったが、全くないわけではない。例えば、最後の手紙となった柳原昌悦宛書簡に対応する柳原からの書簡はございます。
という意味のご返事を頂けた。
 したがって、やはり、
   賢治宛来簡はないわけではなかった。今でもある。
ということがこれで100%確かなものとなったと言ってよいだろう。
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 そこで筑摩書房及び関係者に次のことをお願いしたい。
 現存している「賢治宛来簡」を全て公にしてほしい。
と。それは、『校本全集第14巻』が、
 本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としている
として「昭和4年の露宛と思われる書簡下書」を、「新発見」と銘打って活字にしたわけだが、一般読者にとては全く判然としておらず、そのモヤモヤを解消できる有力な方途となり得るからである(言い方を換えればそれは筑摩書房の社会的な責務であろう)。そしてまた、前述したように仮説〝○☆〟を裏付ける可能性があるからである。
 聞くところによると、現在『宮沢賢治記念館』が所蔵している賢治書簡の本物は、それこそ賢治が柳原昌悦に宛てたいわゆる「最後の手紙」が唯一だという。だからなおさらに、
 本年の賢治生誕120年のイベントの際に、この柳原に宛てた最後の書簡と、それに対応する柳原からの賢治宛来簡を「往復書簡」のセットで展示公開していただきたい。
ということを私はまず懇願したい。
 もしこのようなことが生誕120年を機に実現できたとするなばどれだけ素晴らしいことだろうか。考えただけでも胸がわくわくする。そしてその後は、所蔵している賢治宛来簡を随時公表していってほしい。そうすれば、賢治研究の飛躍的な大発展をもたらすことは火を見るより明らかである。私はそれを切に願い続ける。
おわりに

最後に述べたいことが二つある。
 今から一年前の平成27年3月、ある大学の卒業式で学部長の石井洋二郎氏は次のようなことを式辞の中で述べ、
 あやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。
と危惧し、それを防ぐために、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。
<「東京大学大学院総合文化研究科・教養学部」HP総合情報平成26年度教養学部学位記伝達式式辞(東京大学教養学部長石井洋二郎)より>
と警鐘を鳴らし、卒業生に訓辞を述べたという。
 翻って、本書の「はじめに」で紹介したように、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだがそのようなことはおいそれとは喋られなくなってしまった。
というような意味の恩師岩田純蔵教授(賢治の甥)の「嘆き」が、私をして退職後今まで約九年の間少しく賢治のことを調べさせた主な理由である。そして、実際に賢治のことを調べれば調べる程その検証結果は巷間云われている賢治の「通説」とは異なるもの、果ては真逆なもの少なからずあるということを知って驚いた。また同時に、賢治にまつわる知られざる真実や誤認等のいくつかも明らかにできたと思っている。まさにそれらが「おいそれとは喋られなくなってしまった」具体事例なのだと腑に落ちたところでもある(これで恩師に幾ばくかの恩返しができたと今私は安堵してはいる)。
 さりながら、かつての私の賢治像がどのようして出来上がったかというと、それは「通説」を少しも疑わずに素直に信じてきたことによるから、正直一時期は、裏切られたという思いを禁じ得なかった。だからもちろん、このような嫌な思いをするのは私だけで十分であり、そのような思いを未来あるこれからの若者たちにはもう味あわせたくはない。
 しかし現実には、石井氏が危惧しているような状況が「賢治研究」においてもあるような気がしないでもない。そこでもしそれが実態であるとするならば、私たちは石井氏の訓辞を対岸の火事と思っていてはならないし、解決すべき喫緊の課題があるということになる。はたして現状はどうであろうかと問いかけたい。これがその一つ目である。
 二つ目は次のことである。ある座談会で吉本隆明が、
 日本の農本主義者というのは、あきらかにそれは、宮沢賢治が農民運動に手をふれかけてそしてへばって止めたという、そんなていどのものじゃなくて、もっと実践的にやったわけですし、また都会の思想的な知識人活動の面で言っても、宮沢賢治のやったことというのはいわば遊びごとみたいなものでしょう。「羅須地人協会」だって、やっては止めでおわってしまったし、彼の自給自足圏の構想というものはすぐアウトになってしまった。その点ではやはり単なる空想家の域を出ていないと言えますね。しかし、その思想圏は、どんな近代知識人よりもいいのです。<『現代詩手帖 '63・6』(思潮社)18p >
と語っていた。そして同じようなことを、羅須地人協会の隣人で会員でもあった伊藤忠一が、
 協会で実際にやったことは、それほどのことでもなかったが、賢治さんのあの「構想」だけは全くたいしたもんだと思う。       <『私の賢治散歩 下巻』(菊池忠二著)35p >
と言い残している。
 しかも当の賢治自身も、伊藤に宛てた書簡(258)の中で、
たびたび失礼なことも言ひましたが、殆んどあすこでははじめからおしまひまで病気(こころもからだも)みたいなもので何とも済みませんでした。
<『新校本宮澤賢治全集第十五巻書簡 本文篇』(筑摩書房)>
と「羅須地人協会時代」のことを伊藤に詫びている。
 したがって、賢治を含むこの三人の「羅須地人協会」の活動に対しての評価はほぼ一致していると言えるのだから、この賢治の心情の吐露に私たちはもっと素直に耳を傾け、冷静に評価すべきだと思う。つまり、賢治が「羅須地人協会時代」に実践したことはそれ程のものではなかった、という事実を私たちはそろそろ受け容れてもいいのではなかろうか。吉本や伊藤が言っているように賢治の魅力はそんなところにあるのではないからであり、私もつくづくそう思い知らされたからである。
 そこで、賢治が亡くなって80年以上も過ぎたことでもあり、もうそろそろ《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》移るべき時機だと言いたい。さもないと、「創られた偽りの宮澤賢治像」が未来永劫「宮澤賢治」になってしまいかねない。
 これでやっと、私はここまでなんとか辿り着けたので自分の気持ちが整理でき、真実の賢治は身近で愛すべき人間だったのだと心底思えるようになったし、賢治の作品の多くがやはり素晴らしいものだったと改めて確信できた。そしてもちろん、創られた虚像の賢治よりはこのような真実の賢治の方が遥かに私にとっては魅力的だし、未来ある若者たちにとってはなおさらにであろう。
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 最後になりましたが、本書の出版に際しましてご指導やご助言、そしてご協力を賜りました阿部千鶴子氏、阿部弥之氏、石川博久氏、伊藤博美氏、入沢康夫氏、岩手県立図書館様、岩手日報社様、大内秀明氏、加藤藍氏、菊池忠二氏、桜地人館様、signaless5氏、社会福祉法人 二葉保育園様、新庄ふるさと歴史センター様、鈴木修氏、鈴木友氏、高橋輝夫氏、故千葉嘉彦氏、tsumekusa氏、遠野市立博物館様、宮沢賢治記念館様、宮手敏雄氏、望月善次氏、盛岡地方気象台様の皆様方には深く感謝し、厚く御礼申し上げます。
 平成28年3月3日(松田甚次郎誕生日)
鈴木 守
鈴木 守
1946年、岩手県生まれ。
主な著書
『ビジュアル線形代数』  (現代数学社)
『見えてくる高校数学』  (森北出版)
『高校数学番外編』    (自費出版)
『賢治と一緒に暮らした男―千葉恭を尋ねて―』(自費出版)
『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』(自費出版)
『羅須地人協会の終焉―その真実―』(自費出版)
『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著、自費出版)

         著 者 鈴木 守
  発行所 友藍書房
印 刷 橋本印刷
    定 価 500円(税込)
平成28年3月3日発行

◇ 本書の購入をご希望なさる方がおられましたならば、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければまず本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
 〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守
             電話 0198-24-9813

◇『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』
 『宮澤賢治と高瀬露』
につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。

◇ なお現在、拙ブログ
   検証「羅須地人協会時代」  http://blog.goo.ne.jp/suzukiyuai
において、「聖女の如き高瀬露」(『宮澤賢治と高瀬露』所収)、『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『賢治と一緒に暮らした男―千葉恭を尋ねて―』、『羅須地人協会の終焉―その真実―』、『 「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』の順にその中身をそのまま公開しての連載中です。

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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
 本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
 あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
 まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)           ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)

 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』      ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』     ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』


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