岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

「信教の自由」の「自由」

2017-11-24 14:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 理崎氏続けて、 
 こうして国家神道の体制は完成したのだが、他宗教をどう服従させるか、模索が続いていく。仏教は、江戸後期以来既に死んでいたので問題なかった。しかし、キリスト教が布教されて信徒が増えると、…(投稿者略)…、禁令は次第にゆるめられるのである。
 内村鑑三が勅語に不敬であった、と指弾した井上哲次郎は「教育宗教衝突論争」を引き起こした。キリスト教は国家を超越するものだから、国家主義とは相容れない。だから国民教育にとっては有害であると攻撃したのである。
             〈12p〉
と解説してくれる。そうか、当時仏教は死に瀕していたのか、と私は認識を新たにした。また同時に、今まで内村鑑三にそんなことがあったということは、斉藤宗次郎のこともありうっすらと知っていたが、このような時代背景があったのだということを私は初めて知った。

 続けて理崎氏は、
 明治憲法を作って近代国家の体制を整えた際、明治国家は信教の自由を保障することとなる。しかし、安寧秩序を妨げない、臣民の義務に背かない限りにおいて、という留保をつけた。この「臣民の義務」を、後年拡大解釈して弾圧の根拠とするのである。
             〈12p〉
ということも教えてくれている。そうか、当時の「信仰の自由」は〝「 」付きの自由〟だったのか。私は、全く知らなかった。その頃からは信仰の自由だけは少なくとも保証されていた、というのは私の単なる思い込みに過ぎず、誤解だったということか。 

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