岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

「国家神道」について

2017-11-24 10:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 そしてその「序」の中で、理崎氏は「神道」について次のように解説している。
 神道は教義というものもない単純な宗教で、キリスト教にとても対抗できない、と大隈重信は危惧した。…(投稿者略)…欧米では、キリスト教が文明の根底にあるが、神道や仏教はその代わりにならない、と伊藤博文は嘆いた。そこで日本は、欧米のキリスト教に代わる宗教を「国体思想」に求める。それを完成させたのが、東大哲学科の教授井上哲次郎である。国体とは国家の体制で、その初出は『漢書』にあると、解説している。…(投稿者略)…
 井上は、神道を国体神道、神社神道、宗派神道に分けた。宗派神道とは、天理教や大本教などの神道系新興宗教で、これだけが宗教で他は古来からの習俗であって宗教ではない。天皇の祖の崇拝は日本臣民の義務として、その強制は信教の自由に抵触しないとしたのである。神社は村に一社とされ、強制的に統合整理させて、淫祠邪教的な部分を取り去っていった。
             〈11p〉
と。
 私は全く今までこのようなことを知らなかったし、知ろうともしていなかったのだが、理崎氏の解説を読みながら少しずつ歴史的な背景がわかってきたような気がする。しかし井上のこのようなやり方は政教分離にかなり反しているようにも思えるのだがどうなっていたのだろうか。

 そして理崎氏は、「こうして国家神道の体制は完成したのだが」と続けているのだが、それは次回へ。
 
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