岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

「如来使」

2017-11-27 14:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 では今回は「如来使」についてである。理崎氏は、妹尾は「如来使」という言葉に強く打たれたということで、次のようなことを紹介していた。
 法師品の、
 「能くひそかに一人のためにも、法華経の乃至一句を説かん、当に知るべし、是の人則ち如来の使なり」
この中の「如来使」という言葉に強く打たれた。人は何かの使徒として生きて行くが、自分は金や権力の使徒となる立身出世の道から落伍した。人生の真実を語る仏の使いとして生きることこそ最も尊貴で、と思ったという。自分を失意のどん底に落とした病魔さえも有難い恩寵に思われた。…(投稿者略)…幸福は病気そのものの中に、貢献は現在戦っている生活そのものだと思った。出世した同級生に対して抱いていた蹉跌の悲しみは、この自覚の前には問題でなくなったという。
 さて、妹尾は何歳頃にこのような境地に達したのだろうか。私などは古稀を過ぎてもまだ恋々としている部分があるが、幾何かはこうありたいものだ。そういえば、賢治のあの絶筆短歌の一首
   病のゆゑにもくちんいのちなりみのりのに棄てばうれしからまし
もこういう境地だったのだろうか。

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《鈴木 守著作案内》
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