宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

§4. 『イーハトーヴォ』復刊5号より

2011年09月23日 | 賢治と一緒に暮らした男
 では今回は昭和29年12月21日に行われた千葉恭の講演後の質疑応答を見てみたい。
 それは『イーハトーヴォ』復刊5号(昭和30年5月、宮沢賢治の会)に「羅須地人協会時代の賢治」として掲載されていた。その中から幾つか抜粋してみる。
1.講演後の質疑応答
 賢治の農民指導の態度について。
 一年生には二年生に教える気持ちで、又二年生には三年生に教える気持ちで接しなければならない。人間は余り偉くなつてはいけないということは、みんなと一緒に偉くなるということで、一人だけ偉くなつてはならないというだという風に言つておられた。
 講演会はどの様にしてもたれたか。
 百姓たちが進んで賢治に依頼したようだ。賢治も又その依頼の真劍さに対して喜んで出かけて行った。聴講者は七、八〇人、多いときは三百二十人位で、学校や役場の二階を利用した。話しぶりはむしろ詳細に過ぎるという具合なのでその点を忠告すると、”僕はそう思わないが”と言つておられた。
 私たちが五の頭で先生が二十では、こちらがまいってしまう。賢治は自分の知っていることは全部何でも、而も限られた時間のうちに話して聞かせたいのだし、賢治自身ごく簡単なことと思つていることが、人々にとつては案外むずかしいことであつた。これらは大正十四、十五年の頃のことである。
 それで講演会の結果、話が分からなければ、設計肥料をして上げるから来るようにと言つた。昭和三年頃までに二、三千人の人に設計<*2>してやられたことと思う。
 羅須地人協会ので生活について。
 弟子入りした当時、賢治から”君がほんとうに農民指導者になろうとするならば、次の三つのことを自分に約束出来るか。その一つは酒を飲まないこと、その二つは煙草を喫わないこと、その三つはカカアをもらわないこと”と言われた。私は考えてみた結果、酒を飲まないことも出来るし、カカアをもらわないことも出来るが、どうしても煙草だけはやめられそうもないので、そう答えた。賢治は”煙草をやめられないようでは、酒のことだって、カカアのことだってアテにならない。この話は一切御破算にしましょう”と、一笑に附されてしまつた。
 又、宗教を信じようという気はないか、一生百姓をする気はないか、長生きしたいと思うかなどということも訊かれた。
    ×
 賢治は当時菜食について研究しておられ、まことに粗食であつた。私が煮炊きをし約半年生活をともにした。一番困ったのは、毎日々々その日食うだけの米を町に買いにやらされたことだった。
 農民の指導は、その最低の生活をほんとうに知って初めて出来るのだと言われた。米のない時は”トマトでも食べましよう”と言つて、畑からとつて来たトマトを五つ六つ食べて腹のたしにしたこともあつた。
    ×
 金がなくなり、賢治に言いつかつて蓄音器を十字屋(花巻)に売りに出かけたこともあつた。賢治は”百円か九十円位で売つてくればよい。それ以上に売つて来たら、それは君に上げよう”と言うのであつたが、十字屋では二百五十円に買つてくれ、私は金をそのまま賢治の前に出した。賢治はそれから九十円だけとり、あとは約束だからと言つて私に寄こした。それは先生が取られた額のあらかた倍もの金額だつたし、頂くわけには勿論ゆかず、そのまま十字屋に返して来た。蓄音器は立派なもので、オルガンくらいの大きさがあったでしょう。今で言えば電蓄位の大きさのものだった。
  …(略)…
 ある時、レコードをかけてもらつたことがあつて、しばらく黙つて聴いておつたが、途中で私が思わず”いやツ、そこがいいところだ”と言つてしまつた。賢治は大きな声で”こらツ”と、どなつた。全部聴き終わつてから後で、”人間の感情としては、よいところはよいと言うべきではあるが、全部を聴いてから批判すべきだ。途中でとやかく批判すべきではない。これはどういう場合でもそうなのだ”と言われた。
 また、こういうこともあつた。あるレコードを聴いた後”おまえはこの曲をどう思うか”と言われ、解らぬままに率直に感想を述べた。賢治は”私はこう思う”ということであつた。私は”それでは私のは間違いであるのか”と訊いた。賢治は”いや、僕の感じたことも正しいのだし、君の感じたことも正しいのだ。若しもだれが聴いても同じものであるならばそれは最早偉大ではない。聴く人聴く人によつて違つてこそ不朽というべきである”と言われた。
  …(中略)…
 賢治の食生活についての考え方は。
 賢治は菜食主義者ではあつたが、バターや大豆などの脂肪蛋白は摂取していた。しかし魚や肉などは食べなかつた。
 また、普通の百姓が摂取出来るもので栄養価の高いもの、すなわち良い米を取ろうということを熱心に考えていた。
 啄木と比較し、賢治は現実を逃避したというような見方も大分あるが。
 賢治は社会主義についてもよく知つており、現在の”農地改革”のようなことの起こらなければならないことも充分分かつていたようであつたし、また自分自身そういう激しいものを内に抱いていたのであるが、全ては丸い形で進んでいかなければならないという態度であつた。そしてそれは宗教によつて支えられていたのである。
 賢治は物事の中心は何時でもしつかりとおさえていた。
 彼自身、自分の真の幸福を考えていたように、社会支配者への幸福に対しての責任の呼びかけは意識として強く持つていた。
 賢治の文学はある程度解釈されているかも知れないが、彼の真意はいまだ十分に究明されていないように思われる。

     <『イーハトーヴォ復刊5』(宮沢賢治の会、May-55)より>
<注*1> この講演及び質疑応答は昭和29年12月21日の「賢治の会」例会で行われたものであり、
<注*2> 肥料設計書に関しては昭和2年6月末には2,000枚を超えていたといわれているようだが、その傍証となるのだろうか。
<注*3> この蓄音器の件については、千葉恭自身が別なところで語っている内容とやや異なっているがこのことに関しては後述したい。
 講演当時千葉恭は農林省岩手県食糧事務所和賀支所長であったということだが、これらの質疑応答から窺えることとして次のようなことがあげられると思う。
(1) 千葉恭が一番困ったこと
 それにつけてもこの質疑応答の中でつい苦笑してしまったのは、千葉が
 一番困ったのは、毎日々々その日食うだけの米を町に買いにやらされたことだった
と述懐しているところである。というのは、森荘已池が『ふれあいの人々』(森荘已池著、熊谷印刷出版部)の中で
 すると賢治は、「御飯は三日分炊いてあるんス」と、母をおどろかした。お母さんが、「どこに。あめてしまうべ」と言うと、「ツボザルさ入れて、井戸にツナコでぶら下げてひやしてあるンス―」と答えた。
と語っていることを思い出したからである。
 千葉恭が寄寓していた頃は千葉恭に米を毎日買いに行かせている賢治なのに、森の語るこのエピソードはそれこそ「自炊独居生活」時代のことだろうが、賢治自身が御飯を炊くときには三日分をまとめて炊いている。賢治は毎日炊きたての御飯を千葉恭に食べさせたかったからそうしたのだろうか、それとも賢治はダブルスタンダードだったのだろうかなどと考えてしまった私はつい吹き出してしまった。賢治も案外人間的じゃないかと。
(2) 賢治の気性の激しさ
 この質疑応答で一番意外だったことは
 途中で私が思わず”いやツ、そこがいいところだ”と言つてしまった。賢治は大きな声で”こらツ”と、どなつた。
というくだりである。
 賢治の気性は案外激しいところもあったであろうとは思っていたが、このエピソードはまさしく「おれはひとりの修羅なのだ」と詠った賢治の気性の激しい側面があることの証左かなと思った。
 また、千葉恭は賢治から『自分も徹底的にいじめられた』とか『”こらつ”の一かつの声』でどやされたと言っているが、その具体例の一つがこれなのだろうと私は認識した。
(3) 賢治のものの見方・考え方
 次にこの質疑応答でなるほどと得心したことは、賢治は
 全部を聴いてから批判すべきだ。途中でとやかく批判すべきではない。これはどういう場合でもそうなのだ。
と語っていたということである。
 たしか伊藤忠一宛の手紙で賢治は
 根子ではいろいろお世話になりました。
たびたび失礼なことも言ひましたが、殆どあすこ(投稿者註:「羅須地人協会」のこと)でははじめからおしまひまで病気(こころもからだも)みたいのもので何とも済みませんでした。

と謝っていると聞いていたがそのことに私はやや違和感を感じて100%の納得はいかなかった。
 ところが今回、
 全部を聴いてから批判すべきだ。途中でとやかく批判すべきではない。これはどういう場合でもそうなのだ。
と賢治が諭したということを知った。すなわち、全てが終わった後、初めて総体を振り返って批判せよというものの見方と考え方を賢治はしていたことになる。
 とすれば、賢治が伊藤忠一に宛てた手紙で賢治が語っていたことは正直に自身の心情を吐露したことなのであり、この賢治の悔恨はそのまま素直に受けとめればいいのだと、すなわち100%の納得をしていいのだと得心した次第である。
 冷静に考えてみれば賢治は何一つ全うできなかったと誹る人もあるが、そのことは本人の賢治自身がそれ以上に自覚していてさぞかし忸怩たる想いであったに違いないと、下根子桜から実家に移って病臥していた頃の賢治の心中を察した。そのことをして、〝デクノボー〟という表現が「雨ニモマケズ」の中でなされたのかも知れないと。

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