沙耶の唄覚書:シニカル幻想

2011-07-21 17:29:34 | 沙耶の唄

 

さて、「沙耶の唄」レビュー再掲の動きも大詰めを迎えようとしている。早く終わらせて次に行きたいが、なんかあまり新規の内容を書くテンションではないなあと思う今日この頃。つーか今のウザい仕事が早く一段落してほしいっすわ(¬_¬)

 

<原文>
サイパクチ。ラリカリーニ。ジャッキグー。ムイ~。
ロロジーナのママンでもよし子でも、余裕で抜ける気がする最近のJSですが、皆様におかれましては快活な日々をお過ごしのことと推察いたします。


さて前回に引き続き沙耶の唄覚書ですが、こちらは「虚淵玄の期待とプレイヤーの反応の齟齬」後の「『泣きゲー』へのアイロニー?」とほぼ同時期に書かれたものです。なお、携帯にメモったものゆえブツ切りになったり同じ内容が何度も繰り返し出てきますのであしからず。


<あるいはプレイヤー層の限定>
とっておきの駄目押しというヤツだ!「ニトロは萌えや泣きを狙っていない。むしろ燃えだ。ゆえにユーザーもそのような嗜好を持っているはず。さらに、沙耶はホラーだと打ち出したから、泣きゲーに感動するようなヌルい奴らはそもそも挑戦しないはず…」とか虚淵が思っていた可能性は[ないのか?つまりは彼の期待する反応にはニトロのプレイヤーなら、という限定がついていたのではないか?という意見に対してどう答えるか]?エロゲープレイヤーの多くは[オタ街道を極めている]発言から無効(「虚淵玄の期待とプレイヤーの反応の齟齬」)。しかも、視覚依存度への言及がない→やっぱ何も考えてないと思われる。[もし仮にニトロ作品を好むプレイヤーという限定が無意識にあったとしても、]むしろ、そういった燃えを好んだり、ホラーとわかってて恐いもの見たさでやった人間でさえも郁紀視点に引きずられたことを意味するのだから、[作者の期待するシニカルさは時代錯誤だという]自説を補強することにしかならない。


シニカルどころか目の前のシステムやキャラが作られたものさえきちんと理解しているのか怪しいというのが私の見解である。「君が望む永遠:鳴海孝之への反感とキャラへの埋没」や「君が望む永遠~サブキャラシナリオの批判性~」も参照。


<積分マシーン、チョイバルサンディストリビューション>
視覚依存度の高さ。一般的な話。ゲームなら○ぐ○○、○な○ら。主人公主観に一度も言及が無い。え、耕司視点があるだろって?でもなあ、沙耶と郁紀がヤッてるシーンとかどうなのよ?第三者視点入ってるし。なお悪いわ。量は無理。追われるのがイヤ。TV見ない。よくサラリーマンやってるなあ。コンソメチックルネッサンス、一人カラオケ、ダンス訓練、振付け師、スタジオ入り、すき家でユッケ。これが?卵破壊。折悪しく連中。本でも読もうと思ってたのに。歩み、チューチュー、虹。ダンスの練習も。

※2
「量は無理」以降は沙耶の唄とは無関係。一応beat togetherやら「いよいよ明日」と関連する。


<8/20の勤怠、手帳、Mの実施>
[沙耶の唄設定資料集のインタビューに]一度目は戸惑い、思考停止した。二度目は単純に呆れた。そして三度目は…大いに笑った。「あ~、この人本当に何もわかってないのねw」と。何つーか古いタイプの「オタク」が自分の意図をわかってもらえず、そしてわかってもらえない理由もわからず、必死に弁解だけしてるって感じ。まじダッセ~わwさあ、もう準備はできた。あとはただ斬って落とすだけだ。彼がプレイヤーに対して、いかに自分の「かくあるべき姿」を押しつけているだけなのか、それを明らかにするとしよう。


<無題>
作者の発言レベル低いナイーブ。そのもの以上に、それが一般的だと思って疑わないところ(「市場分析の欠落と誤読」)。多数の誤読があり、二年も経過しているにもかかわらずこのような視点を今だに持ち続けているということは、いかにこのような視点の呪縛が強いかを物語っている。そしてだからこそ、彼はただ誤読に戸惑いながら、自分の中にあるものを引き出すことしかできないのである。自分しか見えていない。仮にも定評のある作家がこの体たらくなのだから、エロゲーの程度が知れるというものである。[今回の沙耶の唄に関する一連の記事を「虚淵玄の期待とプレイヤーの反応の齟齬」という]一般的なところから話を始めた理由…[「エンディングの『失敗』」のような]特殊具体は「例外」となる恐れあり。


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