こないだ「NHKへようこそ」DVDの第二巻のジャケを見て、右側のおねいさん(柏瞳)に眼が釘付けになった。それはまさにハートブレイクショットと呼ぶに相応しい正確さと衝撃で俺の深奥を打ち抜いた。これほどのピンポイントブローを喰らったのは久しぶりだ。というわけで自分のお姉キャラ好きを再認識(※)。
続いて萌えのほう。こないだもちょっと書いたが、希有馬屋の同人を見て長門に萌え殺された。それだけではない。後半のハルヒとキョン妹で追い打ちまでかけられているのだ(喩えて言うなら、長門だけでも花山式溜めパンチを喰らったような衝撃なのに、「まだやるかい」×2で肉片しか残ってない感じ)。それにしてもこれだけ希有馬屋のキャラに萌えると、肝心の元絵(いとういのぢ)で何も感じないのがさすがに不思議に感じられる(例えばちゅるやさんと鶴屋さんなら両者があまりに違うから理解できるが)。ただ、客観的に見れば失敗しているとは言えないのが難しい()。というのも、ビジュアル的には「萌える絵」と言っていいような気がするし、また個性的なキャラたちの内面もおそらく魅力的と言ってよいからだ。例えばみくるは「ドジっ娘メイド」などで萌えを狙っているのは判るし、実際に萌える人も数多くいるのだろう。また長門も『涼宮ハルヒの消失』の内容を見れば「ああこのギャップとか萌えそうだね」とわかる。しかしそれを理解した上でなお、俺は何も感じないのだ(※2)。まあ「萌えの感覚」は複雑だから、理論で説明しきるのはおよそ不可能なのだろうが(自分の好みのタイプの女性があったとしても、その由来どころか枠組みすらきちんと説明しきれない場合がほとんどであるのと同じだ)。何で萌えないのかはわからないが、両者にある決定的な反応の違いは否定しようもない。まあ萌えなくても普通に読めてはいるから、とりあえずその事実を指摘するの止めておく。そしてただの不毛な感想のつもりが「萌え論」とかそれこそ不毛な話になりそうだから、ここでこの記事を強引に終わらせることにしよう。
※
この反応を決定付ける要素は不明である。しかし俺の兄弟について、なぜか「兄貴か妹がいそう」と言われるのは興味深い(とはいえ5~6人程度だが)。要するに「姉がいそう」とは一度も言われたことがないわけだが、もしかするとそれは俺に「姉」という要素が欠落しているからかもしれない。そして自分にないものを求める結果、お姉キャラに反応する傾向が生まれるというわけだ。
※2
そのように冷静に見ているから萌えないのではないか、と思う人がいるかもしれない。しかし強烈な感覚というものは、理性という枠組み・壁を容赦なく突き破ってくるものだ(わかっていても不快なものは不快であるのと同じように)。よってその見方には賛成できない。
■画像の著作権は希有馬屋に属します。
続いて萌えのほう。こないだもちょっと書いたが、希有馬屋の同人を見て長門に萌え殺された。それだけではない。後半のハルヒとキョン妹で追い打ちまでかけられているのだ(喩えて言うなら、長門だけでも花山式溜めパンチを喰らったような衝撃なのに、「まだやるかい」×2で肉片しか残ってない感じ)。それにしてもこれだけ希有馬屋のキャラに萌えると、肝心の元絵(いとういのぢ)で何も感じないのがさすがに不思議に感じられる(例えばちゅるやさんと鶴屋さんなら両者があまりに違うから理解できるが)。ただ、客観的に見れば失敗しているとは言えないのが難しい()。というのも、ビジュアル的には「萌える絵」と言っていいような気がするし、また個性的なキャラたちの内面もおそらく魅力的と言ってよいからだ。例えばみくるは「ドジっ娘メイド」などで萌えを狙っているのは判るし、実際に萌える人も数多くいるのだろう。また長門も『涼宮ハルヒの消失』の内容を見れば「ああこのギャップとか萌えそうだね」とわかる。しかしそれを理解した上でなお、俺は何も感じないのだ(※2)。まあ「萌えの感覚」は複雑だから、理論で説明しきるのはおよそ不可能なのだろうが(自分の好みのタイプの女性があったとしても、その由来どころか枠組みすらきちんと説明しきれない場合がほとんどであるのと同じだ)。何で萌えないのかはわからないが、両者にある決定的な反応の違いは否定しようもない。まあ萌えなくても普通に読めてはいるから、とりあえずその事実を指摘するの止めておく。そしてただの不毛な感想のつもりが「萌え論」とかそれこそ不毛な話になりそうだから、ここでこの記事を強引に終わらせることにしよう。
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この反応を決定付ける要素は不明である。しかし俺の兄弟について、なぜか「兄貴か妹がいそう」と言われるのは興味深い(とはいえ5~6人程度だが)。要するに「姉がいそう」とは一度も言われたことがないわけだが、もしかするとそれは俺に「姉」という要素が欠落しているからかもしれない。そして自分にないものを求める結果、お姉キャラに反応する傾向が生まれるというわけだ。
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そのように冷静に見ているから萌えないのではないか、と思う人がいるかもしれない。しかし強烈な感覚というものは、理性という枠組み・壁を容赦なく突き破ってくるものだ(わかっていても不快なものは不快であるのと同じように)。よってその見方には賛成できない。
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