クレイジー ポプテピピック アナリシス

2016-09-04 16:07:19 | ポプテピピック

ハローエブリニャン。ポプテピカフェジャンキーのカラヤン伯だよ。ところで最近職場のIくんに聞いたんだけど、すでにポプテピピックは竹書房のシンボルとして、あるいはランドマークの領域にまで達しているらしい。このままいくと近いうちに巡礼者たちがビルを破壊するかCIAに乗っ取られてしまう可能性大なので、今のうちにこのポプテピピックなる作品がどうして市民ケーンもとい市民権を得るに至ったかを考察してみるよ。え?一部で流行ってるだけで市民権なんて得てないって?それにこの意味不明さがいいんだから説明できるわけねーだろーって?

というお決まりのカウンターを決めつつ、CPA(クリティカル クレイジー ポプテピピック アナリシス)始めるよ~。

 

ポプテピピックの元ネタ解説サイトを見てもわかるように、そのネタは最近のものから古いもの、メジャーなものからマニアックなものまで多岐にわたる。その上それらが脈絡なく登場したり唐突に接合されているもんだから謎のまま笑ってしまったり、あるいは「?」となる話が多いことになる。さてその中で、たとえば

というネタなどは、同じく唐突にエドモンド本田ネタをぶっ込んできた「いきいきごんぼ」的なノリと通じるものがある。

ここで私は考えた。いきいきごんぼも確かにあの作風ながら一部話題にはなったが、それでもポプテピピックのように謎の旋風を巻き起こしているとまでは言い難い。では一体、両者の違いは何だろうか?まずすぐに思いつくのが、ポプテピピックには基本的に下ネタがなく、またいきいきごんぼの主人公たちを渦巻くルサンチマンや諦念もないということだ(むしろ傍若無人のレベルで自由とさえ言える)。いきいきごんぼの場合は、いわゆる「イケてない」男子中学生のあるあるネタとして通じる・ウケる部分はあるが、同時にわからん人間にはわからんでいいというインナーサークル的なノリ(排除)になりやすい。この見方が正しいとすると、同じようなネタを扱っていても、いきいきごんぼと違ってポプテピピックは「開かれた」作品となりうる素地があるとは言える。しかし、より多くの人を受け入れる余地がある=受けるという等式は必ずしも成り立たない。不快感を催す可能性のある「アク」を取っていった結果、毒にも薬にもならない作品ができることだって多々あるからだ。では、ポプテピピックが受ける積極的な理由を次段で考えてみたい。

 

 

4コマ目のポプ子のポーズの可愛さは全ポプテピピックの中でも屈指だと思う・・・という話は置いといて、この4コマを元にポプテピピックの作品の特徴の一つとそれが受け入れられる背景について書いてみる。

まず、この4コマは完全に「典型」と呼べるパターンから外れている。基本的に笑いとは「ズレ」であると前に述べた。この定義からすれば、一コマ目の「テスト勉強を応援する」の状況説明後は太鼓で応援することがそもそもズレなのでここにピピ美が「うるせーからやめろ」「邪魔だ」といった発言をすればとりあえずネタとしては成立する。これは4コマなので、2コマ目はブツの準備(溜め)、3コマ目で演奏、4コマ目で突っ込みという感じになるだろう。このスタンダードなやり方の場合は応援の仕方・突っ込みのセリフが作品の切れ味を決めることになる。

次に応用パターン。これは本編でもあるように、演奏に対して突っ込まないやり方だ。これはこれでズレになるわけだが、宙づりにされた読者は最後のオチでなぜ突っ込まなかったのかに集中する。よってここで説得的なセリフや反応を提示できれば、典型とはズラした形でおもしろいネタが提供できることになる(まあこういう書き方をするとちっとも面白くないように聞こえるから不思議だがw)。

ではポプテピパターン(造語)。2コマ目で演奏→3コマ目でスルーときて4コマ目はどうなるかと思っていたら、演奏を終えたポプ子がいきなり「別寅」と謎の決めポーズをかまし、さらにそこでピピ美が「ローカルCMやめろ」という突っ込み。ここで読者は「邪魔になるのに突っ込まないの?」というのに加え、「別寅」って何?それに「ローカルCMやめろ」って突っ込みどころそこかよ!と二重三重の宙づりを味わうわけである(ちなみに、最後のピピ美のセリフは突っ込みではあるが、実のところネタ説明の要素が強い)。この宙づり感は当然「意味がわからない」という感想につながる。なるほど確かにローカルCMというヒントから別寅の意味を調べるのは難しくないが、それを調べたからといってこの4コマの内容が腑に落ちるというわけでもない。ただ個人的な感想かもしれないが、この4コマを見て全く取るに足らないものとも思えないし、不快になることもない。まあ意味不明→即不快というほど単純な反応は起こり得ないとしても、わからない→捨て置くという意識に到らないのはなぜか。

その理由を考えてみると、一つはキャラクターの可愛らしさがあるだろう。つまり、あたかも子どもがじゃれあっているのを愛でるように、多少意味不明なことをやっていてもcuteなものとして許せてしまうという反応が生じる(これをいきいきごんぼ的キャラでやるとキモさや嘲笑、あるいは読者の疎外感に繋がる)。もう一つは、ポプ子とピピ美という二人を中心とした作品であるということだ。この二人の関係性を一言で表現するのは難しいが、基本的にポプ子が傍若無人でピピ美がそれに大人な対応をするケースが多い。具体的には、ピピ美からは「びょうきじゃん?」「は?」のようなきつい突っ込みが入ることもあるが、「いっぱいちゅき」、「ああ使うとも」、「ぜったい流行る」etc...と半ばポプ子の保護者的な言動・振る舞いをすることが散見される(なお、最近ではポプ子がピピ美を「ピピピッピ」と呼んだり彼女を不安そうに探すなど、ポプ子の側がピピ美を必要としていることを印象付ける描写がちょいちょい出てくるようなったように思う)。そしてマニアックなネタや突然の複合的ネタを入れてくるポプテピピックではあるが、この二人の間では、ほぼ確実に話が通じていることは作品を見れば明らかである。とするなら、本来はネタがわからないから置いてけぼりのはずなのに、幼児のじゃれ合いにも似た二人の可愛らしさと、同時に両者の間に成立している「バディ」感で何となく許せてしまう・・・というのが実はポプテピピックの最大の強味なのではないだろうか。

 

もちろん、前にも書いたように、マニアックなネタの数々や可愛らしいビジュアルの子が突然キレだす意味不明さがおもしろい、という側面を否定するつもりはない。実際そういう(ゲラゲラより、ニヤニヤ・ニヤリの笑い。あるいはわかる人にはわかる感とでも言おうか)シニカルな笑い・インナーサークル的な笑いに魅力を感じている読者の雰囲気は、先日まで吉祥寺プリンセスカフェで行われていたポプテピピックコラボ展に毎日通う中肌で感じることができたように思う。とはいえ同時に、今述べたようなキャラ造形とメインキャラの関係性(やり取りの質)が、この作品の人気を支えているのではないか?そう指摘して筆を置きたい。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 吉祥寺に生まれたアーネンエルベ | トップ | ダンジョン飯:チルチャッカ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ポプテピピック」カテゴリの最新記事