「空気を読め」という表現にある「空気」とは、私の嫌いな言葉である。そんな曖昧で形のないものを、偉そうに人に押し付けるなと思うからだ。とはいっても、私自身が他人に対して「話の流れが読めないやつだな」などと考えたりするわけで、嫌悪しつつも取り込まれているというのが現状である(※)。
誰かの都合のために「空気」が存在するならわかりやすいが、誰もが場の「空気」によって苦しめられている場面に居合わせることがある。そんな「空気」という魔物の一端を垣間見ることができれば、と思う。おそらくこの「空気」は、曖昧であるがゆえにはっきりとした輪郭を掴むのは不可能だと思われるが、日常生活に深く関わるものでもあるし、それについての知識は必要だろう。というわけで、『「関係の空気」「場の空気」』という新書を買ってみた(未読)。微妙に怪しいとは思うが、まあ取っ掛かりとしては問題ないだろう…
※
ところでこの「空気」を、日本の独自性を主張したいあまり、つい日本にしかないものだと言いたくなるけれど、「その場の勢い」「雰囲気」といったふうに考えれば、これはどこの国にも存在するものだ。日本の「空気」が他国における「雰囲気」などよりもずっと曖昧で適用される場面が幅広い可能性はあるが、一応それに類似した感覚が世界的に存在しているという認識は必要であると思う。
誰かの都合のために「空気」が存在するならわかりやすいが、誰もが場の「空気」によって苦しめられている場面に居合わせることがある。そんな「空気」という魔物の一端を垣間見ることができれば、と思う。おそらくこの「空気」は、曖昧であるがゆえにはっきりとした輪郭を掴むのは不可能だと思われるが、日常生活に深く関わるものでもあるし、それについての知識は必要だろう。というわけで、『「関係の空気」「場の空気」』という新書を買ってみた(未読)。微妙に怪しいとは思うが、まあ取っ掛かりとしては問題ないだろう…
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ところでこの「空気」を、日本の独自性を主張したいあまり、つい日本にしかないものだと言いたくなるけれど、「その場の勢い」「雰囲気」といったふうに考えれば、これはどこの国にも存在するものだ。日本の「空気」が他国における「雰囲気」などよりもずっと曖昧で適用される場面が幅広い可能性はあるが、一応それに類似した感覚が世界的に存在しているという認識は必要であると思う。
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