程よくほぐれた肢体を前に、insertしたい欲望を抑えつつ 南斗聖拳の準備完了。
ただし弾は出ないがね(しつこい)ヽ(。∀゜)ノ
当然、いきなり
とやるわけもなく、少しづつ指の本数を増やしていくわけだが、三本まで余裕で入ったところでクリーニングを織り交ぜながら少し慣らす。「痛くない?」と聞きながら慎重にいきましょう。もちろん
こういう手口は論外である。
さて、何とか親指の根っこまで埋まりましたよと。うーん、これ全く何の感慨もねーなw無理したらもっと奥に入るのかもしれんけど、痛みを伴うリスクを冒して突き進む意味を感じないし(;´∀`)まあここは、昔「虜」をプレイした時に何の興奮も感慨もなくて
こげな感じになってました。「鞭で20回叩いて気絶・・・鞭で20回叩いて気絶・・・」やりたくもない拷問とかに従事する人間というものはこんな心持ちになるものなのだろうか?しかし、もしこれが自罰なら、その痛みや高揚は少なくともあるはず。それすら無いというのは一体どういうことなのか?そしてそもそも、わざわざ金を払ってこんなことに時間を使っている俺は何なんだろうね?あれから18年生きているが、あの「機械的」としか形容しようのない状態が再来したことは一度もない。とはいえその経験(軸)があるからこそ、逆に「オールレンジグリーン」で何でも取り入れていけばええやんとかえって開き直れるのかもしれんけど。
おっと閑話休題。ともあれフィストファックは、行為に何の興奮も生じないことが判明した。私は無想転性(ちがう)は使えないので、無から有を作り出すことはできないのである。ま、とりあえず奥の蛸壺みたいなヤツ(エロ漫画とかで時に引っ張り出されてるアレな)を掴んだ感触が面白かったので、よしとしようヽ(。∀゜)ノ
まだまだ続くが残りは北での監禁生活から解放された後ってことで。オーヴォワール!
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