「伝統」と亡国

2014-12-19 12:21:01 | 歴史系

今回の選挙が、結局経済の話ばかりで少子化の解消については全くと言っていいほど話題にならなかったのは驚きである。というのも、目先の景気を良くしたところで、今の状況ー就業人口が年間30万人ずつ減っていくーが続けば、税収も急速に減っていくわけであり、しょせん焼け石に水だからである。

 

本来ここまで少子化が進んだら、フランスのように事実婚を認めるように制度にするとか(これで出生率は1.6→2へ回復した)、あるいはシンガポールやオーストラリアのように移民政策を進めるなど抜本的改革をしないと、状況の変化は望めないはずだ。しかし、「嫡出子と非嫡出子の格差は憲法違反」という最高裁判所の判断をもっても婚外子の扱いは遅々として変わらず、また明らかに弥縫策でしかない外国人家政婦の承認などを唱えている様子からは、単に変化を嫌って昔の体制(それは自明性と言い換えてもいい)にしがみついているようにしか見えない。

 

趣味・嗜好として「伝統」を重視するのは個人の自由であろう(なお、「伝統」という表記からもおわかりのように、それは不変の真理でもなんでもなく、単なる一時代の一歴史事象にすぎない。たとえば今日の葬儀の形態や夫婦同姓・別姓がそうであるように。それらは歴史とともに変化してきたのである)。また「伝統」を重んじる社会が心地よいと思うのも個人の自由であろう。しかし、そのような思想的基盤に基づいた政策や発言が有効であるかは全く別の話なのである(たとえば「女性は本来産むものだ」といった発言が、モラルとしてどうかという問題と同時に、政策的見地からは全く無駄であるのと同じことだ。あるいは、子供一人にかかる養育費の増大[=社会状況の変化]などを考慮せずに、「昔は~だった」と言ってみたところでノスタルジー以上の一体何になるというのだろうか)。にもかかわらず為政者がナイーブにもそのような振る舞いに淫するならば、「伝統」にしがみつく「愛国者」たちが国を亡ぼす、という悲喜劇が日本を襲うのは必至であろう。

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