負の方向にも可能性は無限大

2006-03-25 02:49:35 | 感想など
「人間の可能性は無限大」という言い方がある。実際そんなことはありえないので、思考を限定しないための便宜的(もっと言えば功利主義的)な考え方であることは明白である。それを承知の上で、少しまじめに内容を考えてみようと思う。

「人間の可能性は無限大」と言うとき、それが負の方向にも当てはまると考えているのだろうか?つまり、自分が凶悪な犯罪者になったり、ひどく惨めな死に方をすることも当然ありえるわけである。こんな例を考えてみよう。仮に今、強姦という行為を反吐が出るほど憎んでいたとする。しかしそれは、自分が未来永劫強姦をしないということを意味しない(もちろん、次の瞬間強姦に及ぶ可能性は限りなくゼロに近いだろうが)。そこにあるのは、ただ「今この瞬間において私は強姦という行為を強く憎んでいる」という事実だけである(それすら様々な要素が絡むため断言できないのだが)。

それとも、倫理や法を逸脱するのは「異常者」ばかりで、自分がその列に加わるのは絶対にありえないと確信しているのだろうか?だとしたら、「可能性は無限大」とは言えないわなあ(にやそ)などとひねくれ者の私は考えてしまうわけだが、そんな感じで人間の振れ幅が非常に大きいからこそ、「信用」がとても大切なのだ、と多少まじめに考えていたりはする。

まあ単純化して言えば、人間を本質的に「善」と考えるか否かってことになるんだろう。私としては、ずいぶんと都合がよくて楽観的なこの見方にはとうてい賛同しかねる。その見方が、逸脱した人間やそれを生み出すメカニズムへの無理解にも繋がっていると思うし、ね。
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