客体化という名の錯誤

2009-11-05 18:26:20 | 感想など
少し前、mixiで面白いリンクが貼ってあったので読んでみた。まずは本文をご覧ください。


いや~、これ久しぶりに超笑ったわ。二つの意味で。まずは内容のおもしろさ。例えば

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「俺の嫁」とかってさwwwwww
俺もよく使ってたけどwwwwww

あれってwwwww
イチャついてるカップルの女の方指差してwwwwwwww

あれ俺の嫁ってwwwwwwww
言ってるようなもんだったんだなwwwwwwwwww

死wwwwwwのwwwwwwwうwwwwwwwww
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って最高だべw他にもバキや福本的なノリの書き込みもあり、何度もげらりとなりながら読ませていただきました。


んでもう一つはどんな笑いかと言うと、「このやり取りで自分はネタにできるくらい客体化できた、埋没していない」とか考えるボケどもが少なからず出てくるんだろーなーという嘲笑である。これは、「ネタ的なコミュニケーションだからもっときちんと考えろ」などといったくだらん理由に基づくものではない。そうではなく、そもそも最初に見られる

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エロゲってリア充の日記じゃね?wwwwwwwwwww
リア充主人公がモテまくってんの見てるだけじゃんwwwwwww
そう考えたらエロゲが急につまんなくなったwwwwww
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という思考がそもそもおかしいのだ。「リア充」とはwikiによると「リア充(リアじゅう)とは、「リアル(現実の生活)が充実している状態、またはそのような人物」を指すインターネットスラング」らしいが、これをプレイヤーのニーズに合わせて、つまりその理想に沿って作り出されてにすぎない「エロゲの主人公」に適用することは、その事実を隠ぺいしつつ、あたかも「エロゲの主人公」が独立の人格を持って存在しているかのように錯覚してしまうという、二重の錯誤を犯している(「恋愛ADV(エロゲー)の主人公が鈍感である理由」なども参照)。


本当にきちんと考えているのなら、最初の問いに対して「なに当たり前のこと今さら言ってんの?ついでに言うと『リア充』って錯覚だろ」という突っ込みが真っ先に出てこないのがおかしい。もっと言えば、自分の今の立場とゲームの主人公の立場の乖離を本当に問題にしたいのなら、「じゃあしばしば主人公がコンプレックスを持ったり虐げられた状況にある鬼畜ゲームやったらどうだい?」と突っ込んで終了である(あまりに痛々しいのがイヤなら主人公の境遇や扱い自体がネタ化されている「臭作」や「鬼作」あたりに逃げましょうw)。


要するに、「恵まれた境遇のエロゲーの主人公は自分とは違う」という発言から始まった一連のやり取りはネタとしてはおもしろいが、それ以上でもそれ以下でもないのである。とはいえ、「それは見ればわかるじゃん」と人は言うだろう。それはその通りである。問題なのは、ネタにすることによってあたかも問題を客体化できているかのように錯覚し、「自分はわかっている」と思い込むことにある。その結果、実際にはよりフェータルな同一化傾向や虚構の存在の扱いといった諸問題が隠ぺいないしは等閑視されてしまうことになるのだ。果たして、どれだけの読者が問いそのものの奇妙さに気付いたであろうか?もし気付かずにネタとして楽しんでいただけなら、このやり取りは否認の介護役を果たすだけになるだろうよ。


ま、そういうわけで「本当なんもわかってねーなーw」と嘲笑したわけ。まあそんな体たらくでネタにしてわかったような気になってる奴が多いから、「君が望む永遠」の主人公に対してもヒステリックな反応を示す人間ばかりなんだろうよ(=ただ不快感を垂れ流すの低レベルな反応のこと。「鳴海孝之への反感とキャラへの埋没」も参照)。


ネタにして時間を浪費するだけして、わかっている気になっている。このような様を「白痴」言いますね。マケなさい。



エロゲーにもエロゲーマーにも期待できない」や、「沙耶の唄」に関連して書いた「シニカル幻想」(沙耶の唄ネタばれ)のような認識に基づいている。
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