作品に対する反感は自己を知る絶好の機会である

2006-10-09 12:40:37 | レビュー系
言うまでも無く作品と受け取り手の関係は双方向的なものであり、彼は作品を評価したりするだけでなく、それによって新たな知識を得たり感動したりする。


ところで、今述べたような言わば「プラスの作用」に関して人は敏感である。しかし一方で、不快感を催したり(特に感情的に)納得できなかったりといった「マイナスの作用」に対しては、意識が低いように思える(ついでに言っておけば、論理的な反論をしているようでその実根底には感情的な反発などが潜んでいる場合も少なくない)。もっとも、「マイナスの作用」は極端な話拒絶に近いものだから、そういった反応をした時点でそこを評価できない部分と考えたり、場合によっては作品そのものを否定するのであって、「受け取り手→作品」という方向で考えた場合にそれが等閑視されてしまうのも無理はない。


しかしやはり、「マイナスの作用」が単なる切り捨て・否定のみで終わってしまうのは問題だろう。というのも、「マイナスの作用」が起こっている状態は自己の生理的不快感や思い込みといったものが強く表れる時であり、しかもそれらは日常において発見するのが困難な領域だからだ。それゆえ、「マイナスの作用」が起こっている状態とは、今述べたような領域を発見するまたとないチャンスにもなりうるのである。「マイナスの作用」を「なぜ私はそれを受け入れられないのか」という問いかけに昇華することができれば、作品と相対する姿勢だけでなく、おそらく自己との向き合い方もまた大きく変わっていくことだろう。


(特に感情的な)「マイナスの作用」をおざなりにしてはいけない。それは作品の否定的評価という以上に、自己を知るきっかけなのだから。
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