反戦・反軍事化を叫ぶ人へ

2005-10-31 22:40:46 | 感想など
憲法9条の法案とか出たので久しぶりに時事的な話題を。

日本において反戦・反軍事化が主張される際、軍国主義や二次大戦の反省、憲法9条が念頭に置かれていることに異論はないだろう。それを聞いて常に私が疑わしいと思うのは、それだけで反戦・反軍事化を語っているのではないかということである。

もちろん、それ自体は反戦・反軍事化を主張する一要素として重要である。
だが戦争というものには、経済的要因や民族主義など様々な理由があって単純に語れるものではない。だからこそ、単にその残虐性を主張したりするだけでは止まらないのである。

また、平和はタダで手に入るものではなく、その維持には不断の努力が必要とされるものだ。そのことは、世界の国々、とりわけ永世中立国たるスイスの軍備を見ればわかるだろう
では「軍」を持たない日本はどうしてきたか。これは周知の通りアメリカ軍の傘のもとに存続してきたわけである。

そのアメリカだが、昨今は「テロとの戦争」を掲げているわけで、筋金入りの親米国である日本は、その一環であるイラク駐留に自衛隊を派遣している。これが派遣問題を引き起こしたりしているわけだ。

かように世界情勢の変化が日本にも波及している、当然のことながら
その変化の中でなおも反戦・反軍事化を主張し続けるのなら、それ相応の「代償」と努力が必要となってくるだろう
例えば、湾岸戦争の事例に懲りず金を出すのか?アメリカと手を切って「非軍備」の国として茨の道を歩むのか?あるいは自衛に関して妥協し、永世中立国化の上軍事化か?などなど。これに多大な経済的・外交的努力がプラスされることは言うまでも無い。世界情勢及び「保護国」日本の宗主アメリカ(笑)の動きに逆らうには、それほど多くの努力(駆け引きなど)が必要とされるだろう。

しかし私の知る限り、反戦・反軍事化を叫ぶ人々の思考は、先に述べたような二次大戦の反省や憲法9条といった大元の理念の強調に留まっており、
変化する世界情勢への対応といったところまで及んでいない。そこまで至って初めて、
戦争に対する生理的嫌悪感を超越した、積極的・戦略的な反戦・反軍事化の主張となりうるだろう。そうなってこそ、重みと実効性のある主張となり、「戦争を知らない世代」にも届くものとなるのではないだろうか。
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