古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

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盬平勢衰記6  大塩平八郎乱妨一件 翻刻版

2017-04-07 00:32:29 | 大塩平八郎

51頁 原 画

樫原ニ而二月廿一日自殺いたし 但シ余人を頼候哉

首切有之 骸当時塩漬

                      同  近藤梶五郎

右も迯延候得共三月九日ニ立戻り自分居宅之焼

跡ニ立帰り雪隠之後之辺ニ而切腹す 殊の外見事

之由 骸当時塩漬

                      同  平山助次郎

二月十七日夜反忠訴人ニより同夜山城守差図ニ而

江戸表江遣ハさる

                      同  吉見九郎右衛門

右反忠内訴之書附を倅莫太郎ニ渡し置出養生

いたし居候か騒動を聞付福嶋五百羅漢近辺迯行

被召捕

                      同  河合郷左衛門

平八郎ニ諷諫致候得ハ大ニ叱られ手こめに逢候而大ひに

恐怖し騒動のおこらさる前二月十日比四才の倅

 

52頁 原 画

を連逐電し当時行衞しれす

                      同  庄司儀左衛門

平八郎鎗術之門弟ニ而当日剛勢相働キ候處

大筒火廻りあしく候故附木ニ而火を付置なから火口を

覗キ過て大傷致し片手不叶様ニ相成其上焔硝

之煙ニ而眼中をそこなひ歩行不自由ニ付右悪徒共

迯去候節邪魔ニ相成候哉途中ニ捨置候を辛くして

南都辺落行候を奈良町奉行寺田丹下組之者召

捕大坂江引渡ニ相成

                      御弓同心  竹上萬太郎

二月十九日朝騒動聞付其侭迯出し方々江立退候

得共御吟味強く中山寺辺ニ而若戎と申茶屋ニ而

召捕られ候其後組頭江家名相談之願書差出シ

候写

      家名相続之儀奉願上候

私義譜代惣恩之義不奉忘却候忠重孝厚志之

立雖不肖不可有心懸然る所此度一儀私当月十一日

師敬知縁之者死之場をすくわんとして却而此謀ニ

53頁 原 画

落入られ不得止事約議仕候雖然小身之謀計

何そ取ニ足らん依之早速不奉申上誠ニ中々急速

とも奉存候處存外之一件不知身上處乱筆不顧

家名相続之義偏ニ奉願上候 恐惶謹言

  天保八年丁酉二月         竹上莫太郎

                        名乗書判

      上五兵衛様

      鈴次左衛門様

 或曰右莫太郎一味血判しながら当日ニ成迯去といひ

 右之如き願書を差上候条臆病未練之白痴漢也

 且願書も甚拙き文体旁以一笑ニ堪たり

              玉造口御組与力   大井庄一郎

右之者ハ玉造口大井伝兵衛倅也先頃より勘当

うけ申候由此庄一郎平八郎ニ一味し乱妨之朝

平八郎差図を受近江彦根之家来(名苗字不分明)の子

息兼而学問之為平八郎方ニ寄宿致し罷在候

を鎗にて突殺し血祭りニ致し候由其後騒動之

 

54頁 原 画

場迯去京都千本道ニ而京都町奉行組之者召捕

大坂江引渡ニ相成入牢

或曰右彦根家中之子息義平八郎一味ニ進込候

得とも不承知申立候故屋鋪内ニ虜同然ニ留置

騒動之暁酒宴之席ニ而一味之儀勧メ候得共

固く辞退し候故平八郎大ニ憤り庄一郎ニ申付

血祭ニ突殺させ候由抑此人は何人そや自分之門弟ニ而

聖経之一巻をも教導せし者なるを情なく殺害ニ

及ぶ事人面獣心とやいふへき可憎云々

               河州吹田神主平八郎伯父

                                        宮腰志摩守

右之者ハ当日乱妨之人数ニ加り其後私宅江迯帰り養

母を切害し自分も切腹いたし候處切損じ服少

し斗切近辺之川江はまり死亡す但し此者倅ニ

助命之願書を残し置しと言

           守口村質屋  向井孝右衛門

右之者ハ当日乱妨之人数ニ不加身上柄宜敷騒動之

日飯を焚悪徒江送候よし其後迯去伏見ニ而御奉

行加納遠江守殿組之召捕大坂江引渡しニ相成

 

55頁 原 画

入牢

          般若寺村庄屋  橋本忠兵衛

右之者ハ騒動之人数ニ加わり後迯去候節平八郎

家内之者ニ行合同道して落行江戸路ニ而

京都之組同心ニ被召捕大坂江引渡しニ相

成入牢

               浪人  梅田源右衛門

右者剛勢之曲者ニ而大塩方之大筒支配と

成先手ニ進町々を放火し後談路町ニ而坂

本弦之助の為ニ鉄炮ニ而討留られ死亡ス当

時塩漬

      天満九丁目住医者  高橋九右衛門

中山辺ニ而御城代御家来ニ被召捕入牢

               カマト三番  茨田郡二郎

御城代御家人召捕

 

56頁 原 画

              勢州山田御師   安田図書

              平八郎家来     西村利三郎

              指内野村       木村主馬之助

御代官根本殿家人召捕入牢

                       上田幸次郎

         信州溝口聖天堂預り  志村周作

                        額田幸五郎

                江戸浪人  深尾治兵衛

                        白井義四郎

                        上田与市右衛門

 

                        堀竹礒治郎

                        同 半十郎

                        曽我長輔

                       河山良助

              平八郎家来  杦山三平

                    同  曽我岩蔵

                    同  西村喜八

                    同  同 七郎

                    同  同 忠五郎

                    同  同 金助

 

57頁 原 画

右之者共所ニ而召捕入牢

                       横山千済

                       梶岡源右衛門

                       同  伝七

右之者共御代官家人召捕入牢

                      猟師  金助

右之者ハ至而鉄炮之名人ニ而平八郎兼而頼ミニ思ひ居候

處当日遅参ニ及ひ途中ニ而被召捕入牢

 

                  平八郎家僕当十四才  松本麟大夫

右ハ松本寛吾と申医師之倅也大塩江学問修行

之為奉公ニ罷越候当日人数ニ加り伏見ニ而召捕ニ相

成此者之白状ニ而徒党之名前又ハ其日之成

行大体相分申候由当時入牢

                      百姓  百五十人斗

皆々召捕ニ相成入牢

               東組与力済之助父

                      瀬田藤四郎

                      同  嫁

                      同 倅四才

 

58頁 原 画

         平八郎実子当二才  今川弓太郎

                   平八郎妾格之助妻

                        同  下女

右之者共皆召捕ニ相成当時拘り家ニ入

                    美吉屋五郎兵衛

                    同 並娘

右ハ初入牢之所妻子ハ宿下ニ而御預ニ相成五郎兵衛者

当時惣会所預ニ相成

版木師市田次郎兵衛

大工  治助

職人  治兵衛

書林河内屋喜兵衛

同  同茂兵衛

同  同吉兵衛

同  同新兵衛

此輩ハ落文之版木を彫又は木筒を拵へ或ハ平八

郎書物を買取なとせし吾咎ニ而当時町内御預ケ

或ハ他参止仰附候

 

59頁 原 画

     於江戸表矢部駿河守殿より御老中江

      進奉之写

昨廿九日夜六ツ時過跡部山城守組同心平山助治郎外

大坂表異変ニ付山城守差図之趣を以同人より

私江之書状致持参候間一読仕候處組与力大塩格

之助父大塩平八郎重立不易容企致候由右助次

郎内察申聞候ニ付即刻御当地江差立候間面談之

上委細承り候様申越候故面会仕候處一体同人者

去年正月中大久保讃岐守大坂奉行之節ハ町

目附者唱候役付申渡有之右ハ都而町奉行之組与力

 

同心共勤方並市中之風聞其外奉行手元隠

密之御用向為取斗候役筋ニ而近親之外同役

等出会も不致出来候ニ付其後者平八郎宅江も

不罷越候處同六月中同人門弟山城守組同

心渡辺良左衛門罷越自然異変等有之節

者忠孝之為ニ者身命を抱候哉之旨申聞不

審之義とハ存候得とも素より入順故右体之節覚

期ハ宜敷哉之旨外門人共代々申条一体平八郎

平常軍論文は政談を専に致し剛気之

者故全煉武之心附とも有之哉と存罷在候處

 

60頁 原 画

当正月六日前書之渡辺良左衛門並同組同心

近藤梶五郎清服ニ而罷越奉書紙ニ認メ候

書附持参致一読之上承知候ハゝ書判可致旨

申聞候得とも漢文ニ而更に読兼候間良左衛門

ニ為読聴致候處治乱を不忘臨時進退懸引

等之儀を認メ候趣ニ而外ニ怪敷儀も無之殊ニ

不同意ニ候ハゝ可討果勢ひニ付任其意書判致シ

候處当月上旬日不覚夜中竊ニ平八郎面談

致し度儀在之候旨申越候ニ付罷越候處火矢を

削其外門人共集り居昨年以来米穀払底ニ付

 

庶民及困窮畢竟御政道不行届之故之儀ニ付御城

代町奉行ニぞ寄有之候間若存立候節者一味可

致旨平八郎申聞如何と者存候得とも於其場容

易ニ異見等申聞候とも可取用様子ニも無之即座

ニ仇を可為勢ニ有之候間素より命を惜候而已ニハ

無之候得とも全く犬死致候より

公儀之御為第一と致覚期其場者程能及挨拶

尤平八郎平常口癖之様ニ御政事向其外御役

人等を種々批判致し不取留儀等申出舌論ニ而

已成行候も心外ニ付得与心色相探実否を顕シ

 

 

 

 

 


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