古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

堀内傳右衛門聞書 P91~P94 熊本県立図書館蔵

2020-03-25 22:21:49 | 堀内傳右衛門

 

P91

置不申嶋原之時分もわるきと人々申たる仁ニ而候事五百石より上ノ男ニ而
御座候つる
一.内蔵助ハ御預り之翌朝より髪をゆひ被申度由被申坊主衆之内ニ二三人
ゆい申もの有之ゆわセ申候残ル衆ハ二三日迄ゆわセ不申其夜之髪ニて
い被申候拙者申候ハ常ニ御ゆわセつけぬものニ御ゆわセ候ハいかにも心持しきもの
ニ而候得共久々其儘ニ而御座候よりハ下手ニ而も御ゆわセ被成候ハハ御心持能
可有御座申候申候得ハそれぞれより何もゆわセ被申候事
一.堀部弥兵衛被申候は津軽越中様ニ大石無人と申私同年七十八ニ罷成候前
かど古宗女方ニ勤い申唯今ハ津軽越中守様ニ大石郷右衛門とてセがれ
御知行被下御側御用人ニ而い申ものニかかりい申候今度私之志承候而右之
無人も同志と申候故扨々無分別御家も替り子ニ懸り居候而道理ニ叶
不申事と申候得ハ得心仕候御滞留中御障御座候刻御知ル人ニ被成御咄

P92

被成候得古キ事共能覚い申候と被申候故拙者申候ハ得其意申候定而名無人
と書可申候御名ニ而察申候御心安ク御語被成たる由或ル人御知ル人ニ成可申
と申候得共右之御屋敷本庄遠方殊ニ所も不存候間弥兵衛果被申候而後
尋候而罷越申候得ハ幸無人子息郷右衛門三平三人共ニ出被申候而色々馳走
ニ而ゆるゆると語悦被申候無人噺ニ弥兵衛ハ若キ時より心懸成るものニ而御座候
初而主取仕候時分使持方斗取候ニ早馬を持申と御家ニ唯今い被申候哉
斉藤勘助とハ古宗女所ニ児小姓傍輩ニ而勤居申候勘助親父又大夫大身
ニ而御家ニ罷出申故勘助ハ暇をもらい親一所ニ御家ニ参候と被申候故扨ハ左様
ニ而御座候や勘助ハとく果申唯今ハ孫の代ニ而無事ニ勤めい申由申候無人
被申候ハ泉岳寺ニ而今度一巻之もの共之刀ワき差諸道具掛物ニ成候由
承色々才覚仕調申候ものも御座候内蔵助着込御家之御伝衆御所望
被成御取被成候様承及申候誰様ニて御座候哉と尋被申候いかにも存候へ共

P93

自然所望被仕候而ハいかがと存候間越中守やしきも方々ニ御座候而侍共も方々
にい申候大勢之儀御座候へハ定而左様之儀も可有御座候しかと承不申候当分
私町屋敷ニい申候故泉岳寺ニ掛物有之と申候儀承候得共神以偽ニて可有御座候
併衣類様成ル類ニ而可有之哉武道具大小共に寺之宝物ニ成り其値
召置被申段々子孫有之候間所望被仕候ハハ定而子孫ラゆつり被申候心底ニ而
中々掛被申間敷と神以奉存候故才覚も不仕候其後承候而きもつぶし
申候扨々私共も武具大小ハ望ニ存候ニ残念至極と申候右之無人ハ大石内蔵助
なとも同名之由大石瀬左衛門大伯父之様承候内蔵助甲着込ハ去ル人泉岳寺
之法師に別而心安ク有之方々より定而望ニ可被存とて参候を拙者身申候随分
かくし被申ハ何方よりぞ所望被申理りのならぬ事も可有之とて右之趣ニ而
しのびの緒と内蔵助ニ歌頼申時分同シ様ニ弐枚調くれ被申候様冨森助右衛門
頼申候而被願弐枚調被申候内一枚ハ右之内蔵助しのびの緒ニ替へ遣申候

P94

後々ハ承被申候内蔵助ニ何とそ此歌かかせ置候得とて則歌も彼仁
下書仕くれ申され候拙者ハ神以心もつき不申候唯今存候へハ能クかかせ
置候と存候も右之仁之かげと存候事(歌内蔵助ニかかせ置候へと気つけ申候仁定読ニ而い被申候而名ハ書付不申後々知レ可申候入江又左衛門ニ而候)
一.助右衛門被申候ハ此方ニ参ル一両日各々様之たばこ参候にほい仕候間扨々何も
好物ニ而給度奉存候ニ其後何やかや段々之御馳走共誠以冥加ニ叶
たる儀水風呂も一人宛ニ而湯御かへさせ被成候事却而迷惑仕候大勢
入候湯やハらかに能ク御座候と被申候それゆへ後ハ二三人ニ而替さセ候
やう申付候毎度下帯なとも出シ申候へ共度々替申されす候由承候

 


堀内傳右衛門聞書 P81~P90 熊本県立図書館蔵

2020-03-23 19:12:30 | 堀内傳右衛門

P81

と奉存候と申候事
一.次之座ニ而助右衛門被申候ハ吉弘加左衛門殿之御先祖之御咄承申候と被申候故我等
申候ハいかにも大友之内ニ而吉弘加兵衛と申者秀吉公の時代九州合戦
之刻打死仕候石垣原之合戦と申候豊後言葉ニ而子供迄も其後
小歌にながい刀をしやふとぬいて切てさるけハゑれゑれ皆はいま
わるうたい申申候と申伝候就夫加左衛門を若キもの共心安咄申もの共
ううゑれゑれとてなぶり申と咄笑申候得ハ助右衛門被申候ハあれニ居申候矢田
五郎左衛門も加左衛門殿御先祖ニまけ申間敷候三河記なとニも御座候矢田作十郎
と申かくれなきものニ而御座候と被申候いかにも承及申候と申候後ニ承候得ハ
大村因幡守様か御出被遊 太守様へ今度之十七人何もの御咄被成候処ニ
矢田五郎左衛門先祖作十郎事三河ニ而三人之内弐人之子孫ハ唯今御旗本
ニ而御鉄砲頭被仰付候由名ハ失念仕候其内ニても作十郎ハ就中すくれたる

P82

武功之仁と御咄被成候由承申候堀部や兵衛事も御咄被成今時之聞番之様
成ルものニてハ無御座などとの御咄乗仕此方之聞番衆も承笑申と承候事
一.或夜堀部弥兵衛ねいり被申候而矢ごへをかけ被申候夜八ツ時分ニ而も加有之候
拙者もねずの番ニてい申候何もきもつぶし申候故我等申候ハ定而弥兵衛
ニ而可有之ハ見候而被参候得と坊主ニ申候得ハ其儘参候而いかにも弥兵衛殿
にて御座候と申候其時拙者申候ハ何も之内之弥兵衛ハ老人ニ而有之故ワか
き衆ニおとり申間敷との常々のたしなミふかくね入り候而も矢こゑ
を懸けられ候事扨々感入たる事とほめ申候常ニも食後ニ咄い申候得ハ
御覧可被成候老体ハ足スクレ申候てえんがわに出被申あなた此方とあ
りき足をからし申とて笑被申候事能ク得候つる其後夜四ツ過之比
瀬田又之丞ねいり候てはぎり被仕候を去ル仁参候而おこしはぎしりを
つよく被成候か御気色なと悪敷候哉と尋被申候由已後拙者ニ又之丞

P83

被申候ハ先夜誰殿之被入御念候而御心を被付下候私くセニ而ねいり候而間に
はきり仕候扨々被入御念忝存候へ共扨々迷惑仕候と被申候故拙者も笑候而
それハ念入すごし御目ざめ御迷惑可被成と申笑候惣体万事念を入
勤申様ニ毎度毎度何も承申事ニ候へ共事ニよりたる儀と存候名も
又之丞被申候而承候得共わざと書付不申ハ能々万事ニ能ク心付候而御了
簡可有候事と書付置候
一.何も度々被申候内蔵助も拙者ニ被申候ハ何も様ニ度々御断申候ハ如御存゜
知牢人ニ而居申かろき料理迄ニ而暮申候処ニ結構成ル御料理数々
頂戴仕殊之外御かへ候而此間之麁飯ニいわし恋しく覚申候何とそ
御料理かろく被仰付被下候様ニと被申候我等申候ハ誠ニ左様ニ可有御ざ候
私共も逗留中御相伴之料理を次ニ而給申候が少シ御かへ申様ニ覚申候
御尤ニ存候随分御このミ被成候得かろき料理可申付候併采数等之儀ハ

P84

ぐれ被成候御実儀故と申候得ハ何もそれハ誠ニ左様と被申何も喜兵衛
方を見被申候故我等も見申候得ハ能ク申たると存知られたる顔色
ニ而わらゐわらゐ拙者方へむき何も共物ハ不申忝と斗の様子ニ而おりいり
たるぢき被仕候夫故終ニ咄も不仕しかと言葉もかわしたる事終ニ
無之所に最後の時ニ側ニより何ぞ御口上之御用可承と申候得ハ懐
中より辞世書たるを給候  辞 世  間 光延
 草枕むすふかりねの夢覚(さめ)て常世にかへる春のあけほの
一.御老中秋本但馬守様御内ニ中堂又助と申間喜兵衛聟居申由ニ付侍
を以此辞世喜兵衛娘右又助妻ニ見せ被申候へ定而所望ニハ可被存候得共
是ハ拙者ニくれ被申候事故其段ハ御断申とて遣見せ候ヘハ又助方より即刻
礼ニ状くれ被申候其儘状も召置候御覧可有候事
一.吉田忠左衛門被申候ハ私ハ今度裏門より入申候大形隠居我ハ奥座敷

P85

うらの方ニ立申事世の常ニ御座候故幸と被存候而吟味仕候処ニよし垣有之
雪隠之様成所ニ人おと仕候故おしやぶり参候へハ何ものか其儘座敷江
はいり申候もの御座候大形ハ台所より仕込申かこゐの様成ル所を両方より
セりこみ候処ニ三人居申皿或ハ茶碗すミなとニ而なげ打仕候故其儘
間十次郎鑓つけ申候上野介殿の前に両人立帰さがりふセき申もの
殊之外能ク働申候両人共ニ果候而上野介殿も脇差ぬきふり廻り被申
候處を十次郎鑓をつけしるしをあげ見申候得ハ古疵之様子白小袖
上野介らしく吟味仕候得ハ上野介殿ニ極り申候寝間と見へ申候処を見
申候得は刀斗御座候而ふとんもあたたかに唯今迄寝候而被居候様に
見へ申候扨左兵衛殿も長刀ニ而出合被申候得共手負其儘長刀を捨退
被申候後ニ夜明候而長刀見申候ヘハ金具ニ定紋つきこしらへ結構ニ御座候
扨ハ左兵衛殿と存候惣体手むかひ仕候ものハ打捨迯落或ハかまハぬ

P86

ものハ其儘召置候様ニ兼而内蔵助申付置候故其通ニ何も心得
居申候扨上野介殿討取候故別ニ望無御座何も相図の笛をふき
惣様集申候刻わかきもの共其外早水籐左衛門なとハ弓ニ而長や長や
人の居申そうなる所ニ而上野介殿打果立退候か出合申さぬか申さぬかと高
声ニ而申候得共一人も出合不申候家老之小屋と相見へ門之脇ニ有之
路次口之座みじかく上をのね板ニ而つぎたる所一尺斗見へ申内之あ
かりもあんどんのひかりとは見へ不申らうそくと見へ申候早水籐左衛門と
名乗かけ二筋迄矢いこみ候へ共物音なく候故何も立退候と咄被申候
是ニ而存出シ候故喜加へ申候熊本ニ而先年手取ニ火事有之候刻同名
角之丞屋敷之中程ニ沢村二代目之宇左衞門殿やねニ上りい被申候処ニ田中
次太夫ハ心つきたる物ニ而水をのまセ申候が肥前やきのかやうかやうのそめ

P87

つけニ而有之候由次太夫ニ尋候得ハ少も覚不申と被申候定而宇左衛門殿心に
いそかしき時ニ慥ニ茶碗のそめつけもらふまて覚候との事ニ而可有候
右之忠左衛門咄ニのね板ニてつぎたる様子あんどん、らうそくのひかり迄
見ワけたるとの心ニ而拙者へ咄被申候と存一入感シ入申候急成時或ハいそ
かしき時などてハ平生之心懸萬事ニ気をつけ可被申候事と書加へ置候
一.右之通いつれも咄い申我等申候ハ上野介殿御仕廻ニ被成候而別儀も無御座之ゆへ
それより無縁寺へ御立退被成候得共住僧内へ入レ不申候故それより泉岳
寺へ御座候間誠ニ段々御心遣共御尤奉存候夜明殊ニ十五日之事ニ御座候ヘハ
一入往来之人も多ク御屋敷へ之辻番なども道すから多ク御座候へハ
見とかめ何角と申候而も様子ニより御障も入可申ニ何之つかへなく上野
介殿しるし迄御持参被成候事ハ誠ニ御忠義不浅偏ニ天道之御
めぐみふかく奉存候と申候得ハ如仰十五日之事故御登城之御衆と

P88

見へ御乗物或ハ御馬ニ而御通被成候御衆誰様とハ不存候得とも
二三人ニも御目ニ懸り少御不審そうに御覧被成候得共火事場など
に出候物かなどと思召辻番なども右同前ニ存候かな何之つかゑもなく
泉岳寺へ参候事ハいか様仕合成る儀と存候由被申候事
一.右之咄之内ニ高田軍兵衛と申候小知遣候もの御座候此モノハ赤穂籠城と
承由承由申候而大形一番ニ罷越候然共不実ものニ而今度之一巻ニハ中々
加り申様なるものニ而無御座候然ル處ニ今度仕廻候而泉岳寺へ立退申刻
三田八幡之近所ニ而逢申候故何も扨も不申通り候処ニ堀部弥兵衛申候ハ何も
如此志をとげ上野介殿しるし唯今泉岳寺へ致持参候見申され候得と
申候得ハ其儘返答ニ扨々何も御安堵か被成候私も唯今も三田八幡宮江
社参仕各々様御本意被届候様ニとの志ニ而候ニ扨々目出度存候と申候
其後軍兵衛泉岳寺ニ酒など致持参門番を頼内蔵助其外何衆へ

P89

いわい心ニ酒持参仕候御いれ被下候得懸御目度由候故何もワかきもの共
承候而扨々にくきやつめニ而御座候幸之事ニ而是へよびいれ候而ふミころし
可申候刀をよごし申事ニ而無御座候と悦申候を内蔵助承候而扨々各ニあの
様成るものをふミころしても何のえきなき事ニ候軍兵衛事ハよびいれ
何も逢申ものニ而無御座候間酒も御返し被下候得と門番ニ申付候由咄シ
被申候拙者申候ハ扨其仁ハ定而平生ハ何ニ被召仕候而も能埒明能キ奉公人と
ほめ申程之仁ニ而可有御座と申候得ハいかにも其通ニ而内匠頭家中ニ而も大
形すくれたるもの何を勤させ候而も能勤候と申たるものニ而御座候と被申候
拙者申候ハ□々左様ニ萬事ニ宜ク見へ申ものの本心之実儀なく世渡り之
上手昔よりも類い多く御座候由古今承伝申候けいはくの上手ニて出頭人ハ
不及申□々主人をだまし候ハ本心之不実故ニ而御座候と申候つる是ニ而其儘
其座ニ而おもひ出し申候故書加へ申候同名古文左衛門節々咄被申候

P90

真源院様御代ニお江戸いりわりの御座候むつかしき御用ニ而去ル人御
えらひ被成被仰付候處ニ然所なく御心ニ叶候様ニ埒明申候其後之御意ニ
彼物ハ何ニ被召仕候而も御気味よく思召候されとも一所ニ被召仕にくく
御座候との御意承候其時分文左衛門ハ御児小姓ニ而も御意ニ入たる内
ニ而御座候能覚申由ニ而名まて被申聞我等共能承い申候いかにも其仁後
々迄も息災ニ居申候而右之咄ハ其外老人衆も被申覚申候御大名之内ニハ
色々様々之侍多ク有之候能く上大工之材木を用申ニゆがミたるもすぐ
なるも大小共にそれぞれニ用申様ニ名将も其通ニ而正成なとの事申伝候
然レ共我が身になりてハ何事も不調法ニ而常ニ不被召仕候とも一所ニ
可被召仕被思召常々御用埒明かね不被召仕候共一所ニ御用ニ立可申と思召
候様ニ心実ニ存候ハハ武士之冥加天道之めぐミも可有之候誠以不及是非
冥加ニつきはてたる生レ付と存候右之仁唯今ハ名跡も絶無之候名ハ書キ

 

 

 

 


堀内傳右衛門聞書 P71~P80 熊本県立図書館蔵

2020-03-19 18:05:46 | 堀内傳右衛門

P71

もの共申候而是へ参申候必々此座がちに御咄被成下候得此後座敷へ
折々参候而御咄承候ヘハ気はれ候て能く御座候と被申候内蔵助常々
位高キ事是ニ而察申さるへく候事
一.上ノ座へ罷出候時忠左衛門、惣右衛門、弥兵衛なと我等そはニ被参傳右衛門殿ハ
御馬すきと何も御咄承候馬咄被仕候惣体道中なと御ひかセ候御
馬遠路達者不達者も可有御座候いかかと被申候いかにもわかき時より
すき候て見申候にとかく馬ハ生レつきすなほにすそ廻り能ク無御座候へハ
遠路道中なとにて役ニ立不申候頭持能轡かけ能キ之とも前能キ之
地道乗能キ之と申候而もこうでのび申か或ハそむき申かつめあしく候か
とかく馬之惣体能ク候而も右之通之所ニ申分御座候得ハ遠路仕候而
必血落自然之時役ニ立不申候と返答仕候何も御番人うしろに詰い被
申候故拙者も痛入候而心の内おかしく存候つるわかき時分御馬屋に

:

P72

十四歳より稽古ニ出申其後江戸定御供ニ而舎人殿なと就中馬すきニて
節々右之噺承い申候故相応之返答仕候何事も心つけ咄可承事ニ候大
形之人ハ当座我為ニ用不申事ハ咄承候てもうハのそらニ承申候武士ハ
いか様の事歟ありて大名に可成事昔より段々咄有之候心ハ
身体より大キニ持常々心がけ可申事と存候此段ハ幼少より亡父節々
被申候事ニ候扨右之三人衆被申候ハ扨々傳右衛門殿ハ承候よりハ御馬御こうしや
ニ而御座候定而御家之御馬役衆其外御侍中ニも御のりて多く
可有御座候昔之上田吉之丞なとの様成ル上手ハ当世ニハ有兼申候と
忠左衛門被申候故如仰昔之様成ル上手ニ乗ものも馬もすくれたるハ有兼
申候馬役之者ニ中山九郎左衛門と申候而随分きれいなる乗方ニ手馬もよく
乗申候古越中守代唯今之旦那祖父ニ而 妙解院と申三斉子ニて御座候
如私馬すきニて自分ニも能ク乗リ馬上ニていろいろの事を被仕なぐさみ

P73

被申腹中すきの自分ハ馬上ニてわづけなと給被申候由親共咄承申候
其時分ハ右之吉之丞ニもおとり申さぬ上手供多ク侍中ニも有之候
馬役之者ニ永井安大夫と申ものハ皆供幼少之時迄存命い申
覚い申候小男ニ而きれいなる乗形ニ而御座候つる唯今之御咄御咄之上田
吉之丞事ハ馬も上手ニて武功有之仁一所ニ佐分利九之丞と申仁
御座候つる此佐分利同名之者共ハ傍輩共ニ多御座候両人共ニ松平宮内
宰相様へ被召仕九之丞ハ原ノ城ニ而打死仕石塔なとに今有之傍輩
ともハ見申たる咄も承申候吉之丞之児小姓ニ而御座候や佐治頼母と申仁ハ右
吉之丞九之丞両人之働有之刻も同前之働ニて冨田佐渡守殿当座之
御ほうびニ作之鞍鐙を被下候由後々松平新太郎殿へ鉄砲頭 千石ニ被召出候と
親共咄ニて承候と申候得ハ三人共ニ扨々傳右衛門殿ハ古キ事を能ク御覚被成候忠左衛門
就中感シ被申候武士之事書置たる書物ハかながきのらしにても見置たるが

P74

能ク有之候と亡父毎度被申候近代之大坂軍記嶋原之刻 御父子様
共被成御出御家中之侍中打死手負或ハ御ほうび之書付第一ニ切々
見可被申候生レぬさきの事ニ而も御当家之事武士之事承不申
他家之侍中尋申時老人共申伝ニ而承候とてあらまし咄候ハハ能ク
可有之と大形ハ古キ事故不存候と申候而も其筈とも可存候へ共武士の
たしなミふかきものしるへき事をしらぬハいな事と心つけ申人も
可有之候遠坂□内殿此已然相良遠江様ヘ御振舞之御供ニ被参
拙者ハ其刻歩之御使番勤い申腰かけニ居申何も知行取中御屋敷へ
上り御料理被下御馳走之刻冨田殿へ御家老出申前かど御家に
居御暇申上罷出候御家ニ而ハ早水忠兵衛と申人松平大和守様へ結構成る
様子ニ而被召出候御家ニ而ハ百石被下御台所頭仕い申候嶋原之刻
長岡佐渡守殿並益田弥一右衛門右両人之證拠状持い申候而右之通結

P75

構ニ被召出候委細を存候而遠江守様御家老冨内殿へ申候ハ右之通之もの
何とて御暇被下候哉とて尋申候処ニ冨内殿返答ニいかにも被仰聞候段々
私も承及い申に其通ニ而御座候然共嶋原之刻ハ御聞及度可被成候
越中守肥後守父子共ニ罷越候故侍共過半召連候而其時分忠兵衛事ハ
かろき奉公仕台所廻之役儀相勤い申候ワかきもの働も能ク仕候他
所へ参候而ハ身体之たかにも成可申とていかにも両人之もの共状を遣申
事も承及申候かれ共右申通ニ而父子共罷越候故前々より召仕候
侍共働多ク御座候故越中守ハさのミ賞翫不仕候いかにも大和守様
などニハ嶋原之働有之ものハ少なく可有御座候間御賞翫御尤に
奉存候と返答仕候へハ家老とかくの返答不仕候而御尤至極と申たる
由則拙者腰かけてい申所へ冨内殿被参委細ニ咄被申何と存候哉

P76

被申聞候神以に今少もワすれ不申扨も扨も常々武士の道先祖之越後
殿之名をけがさぬ様ニと被申たる事覚い申候扨々御尤至極成る御返
答と感シ申候今度も毎度冨内殿存出申長瀨助之進ニハ申ちる事ニ候
冨内殿ハふるき咄すきニ而能ク覚い被申候故右之返答ニてハ能々心得被申
書置たる書物武士之善悪心つけ見可被申事ニ而冨内殿ハ嶋原之刻
未生以前か二ツ三ツかそれより上ニハ有ましく候皆々すき申事ハワけてもなき
事さへ承覚申事ニて候貴殿心得ニ成候様書キ加へ申候事
一.松下安芸守様御家中衆ハ江戸ニ而馬持不申衆も道中を専ニ馬引被申候
江戸ニ而ハ御借馬も御座候道中専ニ引セ申由上田新兵衛殿咄被申候先年
道中ニて我等も見申候馬数太分ニ見へ申候宿々のもの共も当御家中ほど
馬数すくなきハ無御座候由度々前々より馬宿之咄承申候本田中務様
御家中ハ弐百石より上ハ不残馬引せ申候是も先年道中ニ而見申候

P77

右之通ニ而候へハ内匠頭様も安芸守様御家同前ニそへハ我等身体ニ而も
道中馬引せ候故 尋被申候哉と以後存知辺り申候数日之後ニ付何も
心あり坊主共ニいろいろの事尋被申候由ニ候ヘハ我に身上之事も尋
被申たると存候馬引せ候哉との時も何となく右之咄仕候心底ニハ扨々
おかしく痛入申候何かにつけ小身程口おしき事ハなく候
一.吉田忠左衛門我等側ニ寄候而噺被申候ハ私婿伊藤平大夫と申もの本多中
務様御内ニい申候折節ハ江戸仕候本多家之譜代之ものニ御座候親ハ
八郎左衛門と申候而武功も有之候へ共片口者ニ而申度事斗をのミ申ものニ而
小身ニ而に今弐百五十石被下い申候内記様御代或時御前ニ被召出御
夜咄之刻酒もいで候而段々御機嫌能後ニハ御出頭仕候児小姓共
罷出八郎左衛門ニ酒給させ候へと御意被成いろいろと給さセ申候得とも
げこにて惣体短慮ものゆへしきりにのまセ可申と幼少なる児小姓

P78

たハむれ申候ていろいろの事申候を腹を立さんざんニ悪口を申候故扨々幼少なる
もの殊ニ御前ニ而とて機嫌あしく成る由承及申候に今右之子孫迄
小身ニてい申候と被申候我等申候ハいかにも七左様に可有御座候何方ニ而も多キ儀
ニ御座候心儘ニ申度事斗申ものハ古今小身ニ而い申候得共苦ニも不存一ツ之所を
たのしミニ存候と察申候と返答仕候扨此十郎大夫ハ時節を以ⅴ知ル人ニ被成候事
御盡被成候段御咄あい可申と被申候故得其意申候御しる人ニ成可得其意と申候
其後御成橋之内ニ本多中務様御屋敷有之候我等参候而逢申申候存
生之内ニ而いか様遠慮被仰付候哉長髪ニ而少煩居申と被申候てゆるゆる
と噺忠左衛門殿無事ニ御座候と申聞候得ハ扨も扨も不浅日本之尊神を
かけ難申盡と礼を被申候扨昨日在所より便宜御座候セがれ両人御座候
疱瘡かろく仕湯もかかり申候其外忠左衛門セがれ共も無事ニい申候私妻
子いつれも無事ニい申候寺坂吉右衛門事も無事ニ下り私所へも参候様申越候と

P79

御咄被下候へと被申候帰候而忠左衛門ニ段々咄申候へハ扨々不浅候御志とかく難申盡候
とて悦被申候吉右衛門事申出候得ハ此ものハ名も不届ものニ御座候重而ハ名も被仰
出被下ましきと被申候吉右衛門事其夜迄参候而欠落仕候由兼々いつれも
被申候然共使など被申付無恙仕廻事為可申聞などと色々申たる儀ニ候へ共
右之通ニ被申候事ふしんニ存候真実之欠落かとも被存候事いかかと存候
一.何もへ我等申候ハ御心あり思召段々御咄共被仰聞別而大慶仕候時節を以
段々ニ御咄共可申届候併口上斗ニ而何のかのと咄申候而も御あいてニより何を
申候哉無心元思召事も可有之候何も様之御手跡ニ而御一類衆中之御座候
所成り共御書付被下候ハハそれなりとも証拠ニ可仕と申候得ハ扨々不浅御志
とかく不被申とて悦被申刻原惣右衛門手跡ニ而爰元ニ居被申候縁有之
衆京都伏見大坂之辺所々ニ居被申候衆あらまし書付給候我等
懐中仕居申候事ニ候

P80

一.正月十一日御役代有之岩間何五郎片山重之進着座被仰付候其刻我等江
何も尋被申候ハ着座とハいか様之御座配御役儀かと尋被申候我等申候は
他家ニ而申さハ番頭之類ニ而御座候越中守家ニても大形其位ニて御座候
併着座と申ハ先年年始之礼之刻太刀ニ而申候着座ニも段々有之候小身
ニ而も家筋能キもの共も申付候番頭共より上座之着座も下座之
着座も色々御座候と申候事
一.何もワかき衆被申候ハ堀部弥兵衛養子安兵衛儀定而御聞及可被成候先年高
田馬場ニ而之仕方を弥兵衛承及申候而何之ゆいしよ無御座候へ共才覚仕
養子ニ仕候不思議成る事御座候手跡物ごし志迄も弥兵衛ニ能ク似せ申候と
咄被申候故拙者申候ハいかにも其筈と奉存候ハ弥兵衛故右之安兵衛殿小瀬働之
御志を御心実ニ御賞翫ニ思召何之御ゆいしよも無御座を御才覚之御志
ふかき事天道之御めくみ故調申たる物ニ而可有御座候左候ハハ其筈

 


堀内傳右衛門聞書 P61~P70 熊本県立図書館蔵

2020-03-18 12:24:48 | 堀内傳右衛門

P61

ときハ猶以無心元おもわれ候能々心懸可被申候事慣用ニ候
一.役者間ニ而も二座ニ被召置候庭有之候所ニ外ニも天井のことく角
木ニ而四方をはり候て湯殿雪隠も両方ニつき座敷より見へ申さぬ様青
竹のふちニ而のね板を以はり随分きれいなる儀ニ御座候つる拙者罷出候得ハ
何も被申候ハ御大家様とハ乍申扨も扨も結構成ル事共是程ニ不被仰付
共之儀と乍憚奉存候誠ニ難有仕合とかく可申上様も無御座候扨何
の板べいのね板青竹なとの儀ハ 殿様御物ずきと承由被申候故拙
者もはつときもつぶし其儘申候ハ旦那物ずきの事ハ不存候惣体旦
那ハ作事なと其外庭なとも物好き被仕候事すきニ而御座候側廻ニ
召仕そ小身なるものの小屋ニ而も心安ク召仕候ものの小屋なとハ何とすまい
居候哉と咄さセ承なくさみ被申候とあいさつ仕御庭を見申候而是ハ作事
奉行共之心得ちかいニ而今少は□かと仕申候ハハ能ク可有御座ものを少しげ

P62

ときハ猶以無心元おもわれ候能々心懸可被申候事慣用ニ候
一.役者間ニ而も二座ニ被召置候庭有之候所ニ外ニも天井のことく角
木ニ而四方をはり候て湯殿雪隠も両方ニつき座敷より見へ申さぬ様青
竹のふちニ而のね板を以はり随分きれいなる儀ニ御座候つる拙者罷出候得ハ
何も被申候ハ御大家様とハ乍申扨も扨も結構成ル事共是程ニ不被仰付
共之儀と乍憚奉存候誠ニ難有仕合とかく可申上様も無御座候扨何
の板べいのね板青竹なとの儀ハ 殿様御物ずきと承由被申候故拙
者もはつときもつぶし其儘申候ハ旦那物ずきの事ハ不存候惣体旦
那ハ作事なと其外庭なとも物好き被仕候事すきニ而御座候側廻ニ
召仕そ小身なるものの小屋ニ而も心安ク召仕候ものの小屋なとハ何とすまい
居候哉と咄さセ承なくさみ被申候とあいさつ仕御庭を見申候而是ハ作事
奉行共之心得ちかいニ而今少は□かと仕申候ハハ能ク可有御座ものを少しげ

P63

く候てくらく御座候と申候而罷立候尤御物すきも不存候へ共たとへ
誠ニてもあの衆之湯殿雪隠なと御物数寄と申事語り申候ハ不入
事と存候事
一.広キ座敷ニ何も臥シ被申候故さむく可有之と存候而拙者差図ニ小屏風
沢山ニ出させ臥シ被申時ハ枕もとに立さセ申候或時去ル人被申候ハ小屏風立候
事不入事ニ存候ハ人数見へ兼候と被申候故拙者申候ハ何も御番人是ニ多
相詰其上あの衆之儀御座候へハ気遣成事ハ御座あるまじきと不入事
ながら是も返答仕候故其分ニて後々迄も夜ル臥シ被申候時ハたて申候事
一.
助右衛門拙者へ被申候ハ内蔵助ハめ形之さむかりニ而御座候なとと咄被申候故心つき羽織か何そ各別ニ出シ申度あれこれニいろいろ申候而見候得とも内蔵助斗ニハ
何とも出されぬ事と埒明不申候其後同名平八方へ申談何とぞ大身成るれき
れきの御側衆ハ自分自分心つさ申様ニ老人衆へハ頭巾なと懐中ニ仕夜

P64

さむ成時分ハ不苦儀候間夜る夜る御召候而御臥シ候ハハ可然と存候而進候と
持参被申事ハいかがと申候 太守様より頭巾か被為拝領様ハ無御座候故
申談候へ共埒明不申候内蔵助ハ夜ル臥シ被申候刻茶ちりめんのくくり
頭巾そろりとかぶり間ニハさむき夜ハこたつふとん引かづき候て臥シ
被申候拙者儀参候度ニはさみ箱ニ新敷くくり頭巾節斉給候を入置
小袖も新敷を一ツ入小判弐両懐中仕たばこハ随分念を入候を沢山に
きさみ持参仕候得共わけて一人ニも遣候得度成兼ケ様之時ハ小身ニ而かろき
身別而口惜存候右之頭巾金子ハ以後磯貝十郎左衛門母儀へ寺参りなとニ
御持参候ハハ寸志ニ而候可忝由旦那寺清久寺と申竹御門之前魚乱のう
しろニ有之ニ頼遣申候別紙ニ委細書キ置候へハ不見候事
一.瀬田又之丞と咄居申候處ニ原惣右衛門被参候何やかや歌咄なと有之候間又之
丞被申候ハ小野寺十内今度書之歌御聞被成候哉と被申候故いや承不申候と

P65

申候得ハ惣右衛門殿御書キ付傳右衛門殿へ進られ候へと又之丞被申候へハ惣右衛門被申
聞ハ十内聞候ハハ腹立可申とて笑被申候而惣右衛門書キくれ被申候
   筆の跡見るに涙の時雨来てゆひかへすへき言の葉もなし
一.片岡源五右衛門被申候ハ先日之比迄皆共被召置候御座敷へくぎかくしの
しんの九土曜の御紋を見候而風与存出シ申候故采女正代ニ 三斉様より被下
置候由ニ而御召料之御具足御小手ハうふ小手ニ而手からニ御座敷之
くぎかくしの御紋の大サニ而銀之九曜御座候惣体采女武具之物数
寄等 三斉様をまね被申候由差物なとも三本しなへかちんにて白餅を
一本ニ三ツ宛九曜之心ニ而九ツつけさせ申候私ハ武具を預居申候故能ク存候
と被申候扨ハ左様ニ而御座候哉代々御心安得御意申候様ニハ及承申候旦那
奥方(本源院様)先年果被申候刻東海寺之妙解院寺江も為御名代大石頼母殿御
詰被成候事をも覚申候内匠頭様御家中立物などハ其身其身之物数寄次第ニ

P66

御座候哉又何ぞ一列ニ而御座候やと申候得ハ備中物頭も同前ニ三寸四方之
金の角を向立ニ仕候御当家之御差物ハいかかと申され候番方之侍とも
十二組是ハ一より十二迄之文字ニ金之引両をつけ色ハかちんにて御座候
小姓組六組是ハ左右之文字ニ金之引両色同前ニ而御座候尤立物
ハ銘々物数寄ニ而粗付之者共ハ金ニ仕セ申候物頭共ハ色もとびとびに
仕候唯今御咄被成候三本しなへハ中小姓共ニ差佐瀨申候由申候後ニ西田小三郎ニ
咄候へハいかにも 三斉様御代ハ御番方ハ三本しなへと承候由被申候拙者ハ
小三郎咄ニ而承候兎角切ニ而も古キ咄を承置被申候右之通ニて源右衛門ハ
武具をも預り居申候故右之御具足別而念を入候様段々申伝候由被申候故ニ
磯貝十郎左衛門被参候得ハ十郎左衛門へ被申候ハ御自分ニためし遣シ申候具足之
下地おどし候時分念を入不申候へハ凶々火を入れ穴々もミ候故
ためしもどり申候御舎兄達之能被咄置候哉と被申候へハいかにも両人へ

P67

能咄置候定而おどさセ候時ハ念を入可申と被申候事
一.右之咄を後ニ内藤万右衛門御母儀貞柳へ忌中見廻ニ参候而ゆかゆかと居
申候刻咄申候其後我等事別而十郎左衛門ニ懇意ニ仕悦申由奥平熊
太郎様ニも万右衛門弟ニ而十郎左衛門為ニ兄守谷成右衛門と申勤い被申候右三
人之存寄とて形見仕くれ候得とて右之ためしの下地送り給候志之段別而
不浅存しハらく留置貴殿へおとしとて遣可申と返礼ニハ刀脇差之内
礼有之候を遣可申と存い申候然處ニ風与存出候ハ右之万右衛門も成右衛門も
わかく妻子も無之候後々妻子御座候へハ子之為ニハ天下ニ名をあらハし
たる十郎左衛門儀ニ候ヘハ甥達出生之時ゆづり被申候事当然之道理と存十郎左衛門
旦那寺清久寺之住持ニ参申候而咄申候ハ貞柳並万右衛門殿成右衛門殿も御同然ニ
思召由にて拙者へ形見ニ仕候へとてためしの具足下地被懸□意候拙者儀者
最早年寄候得ハ其分ニ而御座候セがれ勝助ニおとし候て遣可申と

P68

扨々御志共不浅忝存候唯今迄召置候然處此□右衛門風与存寄申事有之候而
御談合ニ参申候十郎左衛門殿御事今度之御連衆中何も之咄ニ而承申候申□ハ
御新参と申年数も無御座ニ御代々御重恩之御衆と御同然之御志
別而不浅候段何も私江御咄候事御座候左候得ハ御連衆之内ハ何も御同然と
申内ニ十郎左衛門殿ハ又別而御すくれ被成候様ニ拙者ハ存候尤万右衛門殿成右衛門殿之
御舎弟之儀ニ御座候得ハ御両人共夫程ニ不被思召候事も可有御座候段々
御妻子も頓而出来候時分御男子御出生御成人之後ハ天下ニ名をあらハ
され候十郎左衛門殿御具足御持伝被成候事当然之道理ニ存候右之通にて
日本大小之尊神をかけ私江形見ニ被下候儀別而御志共忝存候而留置
申候が私方江召置候而可然と思召候哉又ハ唯今申出候様成ル道理二ノ内ニ而いづ
れが尤と思召候哉思召寄被仰聞候ハハ其通ニ可仕と申候得ハ清久寺被申候ハ段々
委細之御咄承申候而御志之段とかく可申様無御座一々御尤至極行末

P69

の事迄被仰出候事御深志感入候と被申候故左候ハハ右之被下候下地貴僧
にて返答(進?)可仕候間能々貞柳万右衛門殿成右衛門殿へ被仰通可被下候頼申と
申候而返答申候二ツ玉ニ而一枚つつためし候跡有之おもめも一貫め余有之候事
一.清久寺より段々右之趣三人衆へ被申候而返答被仕候へハ三人衆も扨々行末の事
まて段々思召寄不浅次第此上ハとかく可申様も無御座とて其後貞柳
泉岳寺住持より申請候十郎左衛門其夜着仕参申候はだぎ形見ニ仕候而
身を離し夫申候然共我等心底不浅過分ニ被存候而是を進シ可申候
形見ニ仕候得とて
白羽二重うしろに磯貝十郎左衛門正久と書付有之を
給申候拙者申候ハ扨々不浅忝存候子々孫々ニゆづり十郎左衛門殿御名ニあ
やからせ可申とて礼を申留置候事
一.十郎左衛門書キ被申候物を見申候へハ手跡ハそれ程ニ不見不申歌など書キ被申候かなも同前ニ見へ申候得共右之はだぎに書キ付しんニ而書キ御座候ハ

P70

見事に見へ申候後々万右衛門咄被申候ハ十郎左衛門若年之時分ハ乱舞ニすき其上
きようニ有之候而つづミたいこ萬事稽古仕候内匠頭様江被召出候而
御きらいニ而御座候由にてすきとすて申候御学文御すき候由にていろ
いろ書物すき候て写シ就中しんのものハ見事ニ見へ申候すき候得ハ
成ル事と存候由万右衛門咄被申候承申候而扨ハ拙者見申候しんハ見事ニ御座候
作事かと存候へハ右之通ニて見事見へ申候後ニ万右衛門被申候ハはだぎに
書付申候も御覧候へかななとよりハ能ク見へ申由申候事
一.
次ノ座ニ参候而咄居申候處へ上ノ座より吉田忠左衛門被参候而傳右衛門殿ハいつもいつもわかき者共と斗御咄被成候御年も皆共にさのミ替りも不仕候ニと被申候故
神以追付それへ可参と存候へ共先是ニ而咄しみ候てい申候と申候へハ忠左衛門いや
左様ニも無御座候惣体何も是へ参候事ハ内蔵助心ニ叶不申と存候へ共
此座ニ而御咄被成候を承申傳右衛門殿御こへ(声)仕候御咄可仕とて内蔵助其外之

 

 

 

 

 

 

 

 


堀内傳右衛門聞書 P51~P60 熊本県立図書館蔵

2020-03-17 14:11:21 | 堀内傳右衛門

P51

梅花つばきなと紙ニつつミ候て是をしるしに可仕とて立申候其後十郎左衛門ニ
具ニ咄申候へハ 別而悦被申候堀部弥兵衛と十郎左衛門親父存生之時分別而心あり
就夫十郎左衛門を弥兵衛胆煎内匠頭様へ被召出候由の咄も御袋被仕候
事咄共多ク候へ共事長ク候故不見候無□罷下候ハハ可申聞候事
一.最前被召置候御広間二座ニ居被申候得共庭なとも見不申惣体く
らく御座候故ニ御役者間ニ御うつし可被成と被思召上候而坂崎忠左衛門三宅藤
兵衛宮村團之進其外御側衆御小姓頭御聞番皆共も段々次第
のことくニ罷出承申候此間ハ□之儀故此座敷ニ御座候様ニ被申付殊之外
くらく庭も無御座候少庭なとも有之処ニ御座候様ニと被申付候ゆへ
明日より繕なと少々申付候大工づかひなと仕候故おと高くいな事
と思召事も可有之と存御案内申由被申候次ノ座ニ而も右之通ニ
被申候處ニ冨森助右衛門被申候ハ段々結構ニ被仰付候儀共誠以冥加至極

 

P52

とかく可申上様も無御座難有仕合ニ奉存候何も御侍中大勢被付置結構
成儀共就中堀内傳右衛門殿へ別而御なさけらしく被仰聞候而忝次第ニ存候と
あいさつ被申候拙者も右之仕合故跡へ居申承申候其後何も罷立被申候刻宮村
團之進ハ拙者へ被申候ハ我等ハ名まて被申候而別而悦被申聞候故いかにも是
ニ而承申候と申つる惣体上之座ニ而ハ吉田忠左衛門下之座ニ而ハ冨森助右衛門あい
さつなども其儘すすミ出被申候弁舌明らかなる生レ付口聞なとと申様成ル
衆ニ而御座候就夫千石伯耆守様へも右両人使ニ内蔵助被申付たると存候寒
気之刻ニ而候得ハ大キなるこころ弁がら嶋の大ふとんニ而出申火を入申候口ニ
じやらおろし申候惣体何事も御目付衆ヘゴ伺被成候而之儀と承申候たばこ
御酒なとも初一両日ハ出不申候得共是も御出し被成度思召御伺と承申候
こたつも左様とて為候何かと随分御馳走被遊度被思召上候故いろいろに
御心をつくされ候誠以難有事共何も度々皆共ニ難有仕合とて

 

P53

悦被申候ハ尤成る事ニ存候事
一.極月十七日之夜かと覚申候何も御精進日可有之候無御遠慮被仰聞
候得と被申渡候へハ難有仕合とて古宋女様なと御忌日を被申候由ニ御座候
其刻明十八日之朝ハ少旦明被存寄候儀御座候間精進を被仕候明朝之料理ハ
右之通ニ御座候間精進料理ニて出シ可申と被申渡候皆共□定而
ワけ可有御座候扨々難有事と存候ヘハ十七人の衆之心底察入申候其後
廿四日ニ愛宕山へ立越我等も社参仕候心底御察可有事 松の龜右衛門藤崎作右衛門
   代々参候得共堀尾万右衛門方定詰ニ成候而右両人ハ上御屋しきのミニ居申候軍之助も同前
一.坂崎忠左衛門、三宅藤兵、衛宮村團之進、松野龜右衛門、藤崎作右衛門、鎌田軍之助
長瀨助之進、堀尾万右衛門、御小姓頭ハ平野九郎右衛門、横山五太夫、中瀬助五郎
御聞善ハ堀内平八、堀七郎兵衛、向坂平兵衛、義弘加左衛門、八木市太夫、林兵助
村井源之丞、堀内傳右衛門此分代々罷出馳走仕候儀御座候事

 

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P55

一.御番人ハ御小姓組衆此分二座ニ相勤申候尤何も無刀ニ而番仕候
あいさつ馳走ニ罷出候衆も何も無刀ニ而罷出申候何も大小用ニ被参候刻
毎度御番衆ニ向手をつきぢぎの様ニ被仕候而立被申候其刻初之間ハ御
番衆一人立被申右之大小用ニ被参候口迄被参候御番衆中之内心あキ
衆へ拙者申候ハ定而左様可被仰合候へ共毎度毎度御出被成候事ハ不入事之
やうニ存候何の衆殊之外きうくつニ可有御座候得共御番衆ニたいし
毎度御案内之心ニ而ぢぎを被仕候と見へ申と申候得ハ其後ハ被申合
候哉何も立不被申其儘居被申候事
一.手水つかい被申候時毎度毎度坊主衆罷でかけ申候故殊之外迷惑
がり被申候手水桶ニひしやく御そへ被下置候得自身つかい申度と被申候
得ともひしやく出し申事成兼申候得事も芝御屋敷へ伺申事故
其内水桶ニ龍口を仕懸け候而出シ候様ニ成共仕候而可然と申談候事

 

P56

手水を坊主かけ申事ハ御やしき之儀故別而恐多迷惑かり被申候ハ
尤ニ存候少も御ぢぎニ及不申御かけさせ候而不苦候儀と度々拙者も存候も申候事
一.御屋敷へ被参候其夜小袖二ツ宛拝領其後歳暮ニ二ツ宛帯なとも
拝領被仕其時分内蔵助へ持出申申候坊主衆ニ尋被申候ハ此御屋敷ニ而之
太守様御居間ハ何方之ほうニ而候哉と尋被申次之座ニ而も左様尋
被申候而其方ニ向頂戴被仕候を坊主衆拙者へ申聞候扨々尤至極
成る事其実庭ニ而こそ可被下ニ何かわれたる忠臣と末々男女共ニ
感シ申事天道御めぐみと涙をながし申候事
一.坂崎忠左衛門殿ハいか様之御筋かと尋被申候故忠左衛門親清左衛門と申候ハ古
越中守代児小姓ニ而懇比ニ召仕段々取立当越中守代ニも心ニ叶年
寄候而以後家老ニ被申付候其後嫡子ニゆづり隠居仕果申候嫡子ハ病
気ニ有之知行差上申候忠左衛門ハ次男ニて幼少より段々被取立懇比ニ

 

P57

召仕申唯今ハ大形親身代のごとくニ結構ニ召仕申候三宅藤兵衛殿ハと尋被
申候藤兵衛事ハ少わけ有之ものニ而候定而御聞及被成候明智日向守殿は
少古越中とすうき御座候日向守殿内ニ明智左馬助と申候而名高キものの
藤兵衛ハ子孫ニ而御座候故様子宜ク召仕候其外一々尋被申候相応之返答仕候
長瀨助之進ハ三斉代ニ小谷又右衛門と申名高キもの足軽ニ具足をきセ申
武者足軽とて五十人宛仕立右之又右衛門ニ頭申候其末ニ而側ニ懇比ニ召
仕申候堀尾万右衛門ハと尋申候是も堀尾山城守殿の堀尾ニ而幼少より心ニ叶
側ニ懇比ニ召仕申候團之進殿ハと尋申候是も代々召仕もののセがれニて幼
少ニ而心ニ叶段々取立結構ニ召し仕申候と申候得ハ度々是ニ御出被成候扨々
能キ御弁舌きれいなる御おしたてとほめ被申候横山五郎大夫殿ハと
尋被申候五郎大夫儀ハ定而御聞及可被成候右五郎大夫儀ハ天草之城之節板
倉内膳様御討死被成候右五郎大夫祖父横山助之進と申候而物頭仕居

 

P58

申候を内膳様へ付置申候処ニ右一所ニ而正月朔日ニ討死仕候其末ニ而御座候故
懇比ニ召仕唯今小姓頭を申付候右助之進と同前ニ伊藤十之丞と申物頭も
同前ニ討死仕候子孫只今伊藤又右衛門と申候而側ニ召仕候定而段々取立可被
申と存候平野九郎右衛門ハと尋被申候故是も祖父已来代々召し能召仕申候唯今小
姓頭申付候遠江守殿之平野ニ而御座候中瀬助五郎殿ハと尋被申候是ハ
定而御聞及も被成たる事も可有御座候三十年斗以前ニ摂州あくた川
ニ而十三四之時親之かたきを首尾能うち申候少わけも有之幼少之
時分より召仕唯今小姓頭申付候それぞれニ覚申候通不残返答仕候へハ
扨も扨も御大家様と何も感シ被申候事
一.同名五郎兵衛申候ハ拾七人之衆見申度候ハハ御番代ニ段々遣可申富もう候
得ハいや見申度無之とて二三人も被申候由其後何も代り合候而参候故
又見申度候と被申候故いやならぬと申候由咄候故何と心得被申候哉

 

P59

定而武士之めずらしからぬ事と思ひての事と申候高坂検校子甚五
郎を御預之衆御番ニ望候而出シ申故拙者申候ハ扨々尤成ル事ワかき人ハ
何もかも見置たるか能ク候とほめ候得ハ検校被申候ハ扨々今度之衆一巻
承申候ニも古今之忠臣終承不申事共後々ニ大ノ男ニ而ちからも大力などと
昔語之朝比奈五郎時宗弁慶なとの様ニ可申伝候定而小男も可有
御座候いろいろ替りたるおしたて段々可有御座候へ共見かけニハよらぬもの
心底ハ上よりハ見へ不申何も志ハ一同仕候衆感ジ入申から甚五郎ニ御番
望出さセ申候と盲人の被申様扨々尤と拙者も同前ニ存候貴殿なと
心得ニ可成哉と不入事ながら書キ置候事
一.井上吉右衛門申候ハ今度大勢之事ニ御座候得共らぎふとん小袖ニ至迄
何之つかへなく何御大名と申ハ常々各々の役ニ而調置

 

P60

何もかも其儘ニ而つかへぬ様ニ有之を御大名今度とみざわ丁にて
調被申候と見へ申候妙解院様御代長崎物下直之時分どんすの巻
物沢山ニ御調さセ何その御用之為によきふとん百斗坂崎清左衛門殿物数
寄ニ而皆々の替りニ被申付候咄親三盛申聞候と返答仕候得ハこれこれと金
銀すくなき時節とて笑申候惣体おもふ事申さねばならぬ我等ゆへ
皆々にくまれ申事も前々より被申聞承候而い申候へ共堪忍成兼申候諸
役儀勤申衆ハ大小共ニ夜白心かけ御為を存候ハハ成ましき事ニてな□
当座当座の能キ様様ニ斗なかれ依之世の中口惜候貴殿段々御奉 公
可被仕候能々心かけ被申候様ニと存不入事をも書置候事惣体御奉公ニ
身食をおしミ不申常々心得候ハハそれぞれの生レ付とハ乍申心つかぬハ
其通之生レ付こころ付候而もなかれ依之勤ハ武士たるものの口惜事ニ候
何事その時ハ各別と皆々申事ニ候平生なかれ依之ものハ何事ぞの

 

 


堀内傳右衛門聞書 P41~P50 熊本県立図書館蔵

2020-03-15 17:59:30 | 堀内傳右衛門

P41

者迄男女之差別なく奉感由日本大小之神承及たるよりハ右之通道
すから咄承屋敷へ出入之町人ともも右之咄迄之旨何も傍輩共も承申候
誠以御忠信天道之御めぐみと奉存由申候得ハ助右衛門申候ハ扨傳右衛門殿ハ誠ニ
御たのもしく何も打寄候而忝がり申事共御座候御身を被捨思召
事ニハ御座候得共唯今之世間ハ世のならゐニ而御座候や侍出家ニ至迄
其外ハ不及申当世のなかれワたりのもの多ク御座候間能々御心を
被付御咄なとも被成候様ニ誠ニ大事之儀ニ而御座候と被申候故扨々御心
入別而不浅忝奉存候いかにも被仰聞候通ニ私も神以奉存い申候別而
不浅得其意申と返答仕候事
一.助右衛門一子長太郎とて二歳ニ而愛宕下之田村右京大夫様御家中
菅次右衛門と申仁之所ニ居被申候同御屋敷之内ニ岸宗卜と申御茶
道江村節齊小屋ニ而知る人ニ成い申候此宗卜小屋ニ而右之長太郎ニ

 

P42

逢申度兼々案内申候得ハ別而悦被申候幼少之子ニ初而逢申事故我等
町宅近所ニ小西十兵衛居申候故前之夜人形調くれ候へと申遣候得ハ十兵衛
より其儘調参候故はさミ箱ニ入候而参候而長太郎ニ逢申候扨も扨も
助右衛門ニよく似たる生レ付ニ而御座候其後助右衛門御母義ニも此方おやしきへ
出入仕申候竹屋惣次郎宅ニ而逢申候竹や惣次郎先祖ハ内匠頭様御
先祖子細御座候而東国辺ニ被成御座候事しばらく御座候其砌かろき
奉公人ニ而御座候ハハそれゆへ惣次郎所へハ何も折々参候而御当家之御衆
中御用承由ハ兼而存候由何も若キ衆咄被申候を承い申候故右之通ニ
助右衛門御母儀惣次郎宅ニ而逢申候御母儀被申候ハ扨々御尋被下初而懸
御目助右衛門無事居申事承申ハ誠ニ氏神之御引合と存候子細ハ助右
衛門其夜罷出二度逢申様も無御座候ヘハ猶以左右も同前之儀御座候
私の女心ニても内匠頭様ハ御切腹上野介殿ハ其儘被召置候と承候へハ

 

43
片手うちの御仕置不及是非事共と教候へハ男子ニ生レ
今度之仕方尤成ル儀共存罷在候我等かけニて無事ニい申段々結
構成ル御馳走共??承及候得ハ何の取のこす事も御座有まじく候
段々被申候事手先初而ニ女ノ口上ニ片手打の御仕置と被申候を承候て
扨々女ニ珍敷生レ付さすが助右衛門御母義と存候得ハ感涙をなかし
神以拭?ハとかくの返答成かねしばらくハ落涙仕漸々相応之阿
いさつ申候右御母儀親父ハ山本長左衛門と申何方ニか千石被下口をきき
たる侍と承申候助右衛門親父もれきれき筋之仁と磯田浄慶咄承申候
江戸町人移入ニ而御用なと承申候住江紀右衛門なと一類ニ而候
侍たるものの子ハ女ニても能々そだて可申事
とも我等姪共ニも此段可被申聞事
一.熊本ニも昔ハ女ニも助右衛門十郎左衛門母義様成ル衆多ク有之と筑後殿
御母義ハ十左衛門殿おばニ而も山田調唐母ハ古笠印娘ニ而候学文有之由

 

P44

何ニてもよみ講釈も被仕候様承申候筑後殿御袋へハ毎度参候而四書
なと講釈太平記なと不断読ませ御聞候と拙者も幼少ニ而調唐母儀ハ
覚申候其時分之母ハ大形右之通小身成ものニも多ク我等祖母母な
とも皆々昔ハ同前ニ而候姪共ニも被申聞可有事
一.助右衛門ハ十九才之時内匠頭様御使役被仰付候由其日より馬持被申候由先
年水谷出羽守様御居城内匠頭様御請取ニ被成御座候刻助右衛門赤穂
江初而早□六日ニ着と咄被申候原惣右衛門咄之様ニ伝馬丁穴屋ともに
兼々金銀を被下置候由被申候定而道中筋之穴屋共ニも同前と
察入申候就其助右衛門初而ニても早キかと存候中々右之通ニ早く参候事
ハならぬ事ニて候壱々助右衛門懐中ニ金子廿両入置候右之被仰付之
刻御広間より直ニ立被申候由何もワかき衆咄被申候
当御家なと御受番と申ニ而ハなく他家ニてハ組付ニても使役と申有之候

 

P45

一.助右衛門咄ニ上野介殿屋敷へ毎夜代々物見ニ何も申合参候惣体平長屋
ニ而竹之腰板中ぬりぐらゐのかべニてすき通り申候故内ニ火をとも
し候而夜更候迄毎夜毎夜ひかり見へ申候故殊之不用心を仕候様子ニ
外より見へ申候兎角鑓なとも短ク仕可然と申合大形九尺程ニ仕候其夜
戸障子なとふみやぶり候得ハ屋敷乃内野原同前ニ広く覚申候長
屋もしかじかへだてもなく妻子なと居申所も一間ニ而夜なべなと仕候
とほし火詰方ニ すきわたりあかり見へ申たるニて御座候とて笑被申候
何も色々心をつくし申候ハ上野介殿居宅知レ兼難儀仕候磯貝十郎左衛門
なとハ女ニもたよりニ而心をつくし尋申たる事共御座候とて何も咄被申候
以後十郎左衛門御母義ニ逢申候而色々咄ニ十郎左衛門儀ハ内匠頭様へ児小姓ニ
被差出段々御懇意ニ而上下衣類等も沢山ニ持い申候へとも牢人之内何も
傍輩衆心あき衆も多く有之外之衆ニハ尚以上下衣類もなく成申候

 

P46

御前様へ折々御機嫌伺ニ参候故多ク右之衣類それぞけニ遣申候衆も御座候
其内以後ニハ了簡を替被申候衆も有之候当夏之比ハ町屋ニ出居申内ニ
ねつ病を相煩申候故下女召仕候而病中しハらくかんびやう仕候うわ事
など皆々一巻之事心底ニ有之故外へきこへ不申様ニと扨々難儀
仕申候十郎左衛門兄共両人共ニ妻持不申候故とかく妻無き候而ハな
らぬ事ニ御座候とていろいろ心かけ方々たのミ廻り申事も皆々一巻の
手だてニての儀と其後あらハれ申候と咄被申候故扨ハいつれも咄被申候
ことく女ニたよりても心をつくし申され候由ハ此儀と奉存別而別而
感入申候十郎左衛門切腹の時節も血出かね候いな事と被申たる衆も
有之候右之夏大病殊ニねつ病久々被煩候得ハいかにも血出兼申候
筈と存当り申候事
一.大石瀬左衛門冨森助右衛門磯貝十郎左衛門と咄居申候得ハ助右衛門被申出候ハ十郎
左衛門

P47

左衛門儀ハ幼少之時より大出頭仕候私共ハ外様ものニ而御ざ゜そ瀬左衛門兄は
今夏了簡かへ申候つる兄之分別かましてハないかと笑被申候ヘハ瀬左衛門赤
面被仕それぞれのおもひよりナレハ不及力事とて少迷惑そうニ見へ
申候故我等申候ハ扨々むさとしたる御咄とて其儘罷立候事
一.何も拙者へ被申候ハ其夜共ニ御つき被成候御衆中様へ道すから段々
御心被付扨々忝奉存候それぞれニ御礼難申上候間能々心得申くれ候へと
度々被申候助右衛門被申候ハ扨々其夜さむき目ニ逢申候由被申候故誠ニ左様
可有御座候其日ハ八ツ時分ニ屋敷を何も罷出候故夜ニ入候迄かかり可申
事とハ□而心付不申候而小袖羽織等入可申心つき不申候つると申候事
一.次之座ニ而何も之咄ニ今度上野介殿屋敷へうち入申候時分磯貝十郎左衛門母
以之外相煩居申候太分此比ハ果可申候十郎左衛門心底御察被成候得と被申候
其後十郎左衛門側へ寄り候而尋申候得共御袋之居所不被申聞候我等申候ハ

 

P48

内々私儀何も様へ申入置候様ニ以誓言身命をおしミ不申御用を可
承と申儀御失念被成候哉不及是非仕合共申候得ハ其時十郎左衛門
被申候ハ扨々不浅御志共とかく難申盡とて具ニ咄被申候ハ将監橋
筋松平与右衛門様と申寄合衆細川主税様なと御相役ニ而外輪の
御門御顕被成候右与右衛門様御内ニ内藤満右衛門と申候ハ私兄御座候母も一所ニ居申と被申候扨ハ私町宅より是へ通候道筋ニ御座候御尋申候而御左右可申上何ぞ
しるしを被下候得御袋様万右衛門殿へ懸御目如咄迄ニてハ慥ニ不思召候事可有之候やいなものと存候と申候得ハ扨々不□候仕合しからハとて手紙之様ニ調被
申紙ニつつミ内を御覧被成御持参被下候へと火申候故扨々被入御念候御事
日本大小之神見申心底ニ而無御座候とて懐中仕罷立申候右万右衛門
事ハ与左衛門様ニ而家老と相見へ平小屋ニ而も広ク庭も有之候路次
よりはいり屋敷も床なと有之きれいなる様子後ニ承申候得は

P49

与右衛門様も折々御出被成候様承申候御母儀ハ貞柳と申候而罷出被申万右衛門も
宿ニい被申被罷出候かゆるゆると咄い申候へハそはきり出申候随分馳走ニ而
御座候つる扨拙者へ被申候ハ十郎左衛門事其夜で申候而二度左右可承様も
無御座候処我等参候事ハ誠ニ氏神之御引合と悦被申候我等ハ惣体
涙もろく兎角の咄もしハらくハ出兼涙をながしい申候そは切り給
い申内ニも出被申候而十郎左衛門ハそは切り好物ニて御座候つると被申候扨ハ
左様御座候や惣体朝晩之料理ハ二汁五さいニ而こたつ水風呂尤たは
こ御酒等も出夜食ハ何も傍輩共より合々おもひよりにて随分御
馳走仕候様ニ兼々被申付候故うどんそは切或ハならちゃ被申付候故
最早只今迄二三度出申候かと覚申候と咄申候へハ扨も扨も段々之御馳走共
忝次第と悦被申候扨最早罷帰可申候御気色も御快気被成候御様子見
申殊更色々御馳走共罷帰候而十郎左衛門殿ニ具ニ御咄可申候是へ罷越候

 

P50

刻も十郎左衛門殿へ申しるしを被下候得と申候へハ万右衛門殿へ致持参候御手紙之
様ニ御書きキ被成候内を見申候而遣シ申様ニと被入御念被仰聞候得共以誓
言見申心底ニ而ハ無御座候と申候こなたへ参候而又帰候而も
十郎左衛門殿へ御咄可申候私儀ニ御座候へハ慥ニ懸御目候様ニも可被思召候へ共
是ハ私の為ニ而御座候是非共御文を被遣候様ニと申候得ハ貞柳被申候ハ
扨々被入御念候事共忝存候併十郎左衛門儀赤穂へ籠城ニ罷候刻私ニ
申置候ハ日数も自然かさなり能キたよりなと御座候とても城中へ
書通第一女より之書通猶以不仕事御座候なととくれくれ申置候
其上私ハ無筆ニ而御座候ヘハ猶以調申事難成存候旁以御ゆるし被下候
やうニと被申候万右衛門方へむき候而申候得共尚以被入御念候儀御免被下候得と
被申候故我等も感涙をながし兎角申されず左候ハバ せめて今日之御馳走
の御たばこ持参可仕とてはな帋出したばこをつつミ床ニ鼻いけて有之候

 

 


堀内傳右衛門聞書 P31~P40 熊本県立図書館蔵

2020-03-15 12:41:31 | 堀内傳右衛門

P31

誠ニ大事之儀御座候間能ク心得候へと内意被申候扨々御心入之儀共別而
忝存候いかにも被仰聞候通得其意申と申候定而右之通之様子
ゆへ但馬守様御屋しきニて奥田孫太夫舅拙者を承及定而
拙者名を被申たる哉尤其刻助五郎ニ誰か左様ニ申たる哉富もう事
も尋申不申候偽ニ而無御座通シ申事ハ勿論兼而覚悟仕居申
事故少も驚申事ニ而ハ無御座候故唯御心入忝と斗礼を申候事
一.或時次之座ニ而何もと咄申候刻何も被申候ハ今度近松勘六家来甚三
郎と申小者事存出候得ハ不便ニ存候と被申候衆いか様之訳ニ而御座
候哉と尋候得ハ勘六ハ代々先祖より近江国之ものニて御座候在所之名被
申候得ハ折節失念仕候右之在所よりより今度江戸へ召連参候甚三郎親は
庄やを仕居申候代々わけあるものニ而御座候今度何も存立申前ニ
在所之状なと調申候而在所ニ差帰シ可申と存右之趣申聞候へハ甚三郎

 

P32

申候ハ此間何も様之御様体見申候へハ近キ内ニ思召立事有之と見及
申候私儀今度被召連候刻親共申聞候ハ随分随分能ク御奉公を相勤御為
ニハ身命を捨御奉公を勤候様ニと申聞候事御聞被成候処ニ御用ニ立申
間敷と思召御返シ被成候哉無是非仕合とて腹を切可申体ニ見へ涙を
ながし候故不及力其分ニ而召置申候、其夜も供ニ召連申候然共兼而内蔵助
申付候ハ今度之一巻ハ内匠頭ニ勤居申もの親子兄弟ニても他家へ
勤居申たるもの其外内匠頭ニ対し何のわけなきものハ内蔵助同道
不仕候筈ニ兼而申付置候故其夜も門外迄召連参申候翌朝上
野介殿屋敷より何も仕廻罷出候得ハ右之甚三郎蜜柑之類餅なとふと
ころたもとなとニ入候而御のとかわき可申とて何もへ給さセ扨々目出
たく御仕廻被成候とて悦申候定而今度伯耆守様より私共儀何も様被
召連参候砌も跡先ニなり辻番あたりにもうろたへ其夜も居申たる

 

P33

哉と不便ニ存候由被申候我等申候ハ扨ハ左様之志成ル男ニ而御座候哉尊神之
御めぐみニ而後々ハ冥加ニ叶可被申候、御心安被思召候へと申候得ハ
唯今存候へハ勘六名字をゆづり何とそ内蔵助ニ断之申用も有之連衆ニ
加へ不申事残念至極と被申候其後拙者心底ニいかにしても心底不便ニ
存町屋より或夜ニ上野之脇谷中之入口より左へ行申候而長福寺と申
寺之弟子文良と申出家勘六甥之由尋候而参申候尤文良ニ逢申
勘六息災之段も咄きかセ甚三郎事尋候へハ無事ニ十二月廿四日迄
逗留仕在所ニ罷帰候由文良被申候しはらく咄い申座敷を見候得ハ菅
谷半之丞札付居申つづら其外ニも見へ申候何も折々被参宿も被
仕候哉と被尋候其後勘六ニ右之儀咄聞セ候得ハ事之外悦被申候
巳ノ日之夜ル日暮ニ参候而四日過ニ町屋へ帰申候しのばすの弁
才天参り多ク駕ニ而通兼候様有之候事

 

P34
一.瀬田又之丞被申候ハ松平壹岐守様御家中ニ草田香庵と申いしや  御座候因幡へへいつ比発足仕候哉承くれ候へと被申候故築地之壹岐守様
御屋敷へ参候而尋候得ハ旧冬在所ニ無恙着被仕候左右も有之由
承候而又之丞ニ申聞候へハ殊之外悦被申候事
一.或時内蔵助へ我等申候ハ此比町人共之咄ニ而承申候於京都萱野
三平と申仁書置なと被仕自害被仕候咄承候由申候得ハ内蔵助
被申候ハそれハ皆共京都ニ居申候時分之儀にて御座候存生ニ而居申候へハ
いかにも今度之一巻ニ加り申志シ之ものと咄被申候其後何もの咄ニて
三平父京都牢人ニて居被申候故三平をてつかたへか養子ニ遣可
奉公をさセ申のと談合仕被申候ニ付三平志ニ叶不申とて書置
被仕内匠頭御一周忌ニ自害仕果被申候由若キ衆なと咄被申候事
一.次之座ニ而何も若キ衆之咄ニ今度矢頭右衛門七と申候而十七才ニ

 

P35が飛んでいますが文章は連続しています。

P36

罷成候江戸初而ニ而御座候故就中磯貝十郎左衛門別而引廻シ申候右衛門七親ハ於
京都病死仕候果候刻右衛門七ニ親申聞候ハ不及是非今度病死仕候内々
内蔵助と申合置候事有之候間其方事何とそ志をつぎ名代
を仕くれ候へと申候得ハ奉得其意候由談合申今度之連名ニ加り申候母方
之伯父越後国松平大和守様御家中ニ居申候故是ニ母を預置可申とて母子
づれに道中之荒井迄参候處初旅と申若年ニ有之候故女切手持
参仕候事不存荒井申より立帰申候如御存知久々牢人ニ而暮候へハ少之路
銀も右之仕合ニ而なく成申候故何も打寄候而母を赤穂之辺ニ存候もの
有之預遣申候今程ハ定而難儀可被仕と被申候故拙者申候ハ扨も扨も御父
子之御意誠以不浅候儀奉感候天道尊神之御めぐみニ而御母義もゆる
ゆると御暮被成候様成行可申とて涙をながし申候事
一.或時磯貝十郎左衛門被申候ハ傳右衛門殿ハ古キ事を御数寄被成と尋候吉田忠

 

P37

左衛門ニ古戦之咄なと御聞被成候得ハ忠左衛門も悦可申候と被申候得共段々藤
兵衛被申候様子ゆへ所望も不仕其上古戦も大形之儀ハ承居申候故
不任心残念ニ存候松平宮内宰相様御代渡辺数馬河井又五郞喧
嘩之咄尋承申候処ニ兼々承候よりハ委細咄被申候刻右之一冊前々より
写置申候故忠左衛門咄ニて御家老荒尾但馬を御老中様別而御感シ
被成候事を書加置申候右但馬被 真源院様御代ニ相模守様被仰請
御能なと有之御馳走之砌但馬も御供ニ被召連候得とて被参候刻
相模守様之御次之座ニ居被申頭巾を着用被仕つつニ居被申候而見物
被仕候様ニと度々 真源院様御出被遊御懇比之様子と同名古文左衛門
御児小姓勤候刻見申候とて咄承及い申候亡父なとも心安書通被仕候隠居
名荒尾龍良とか申たると我等も幼少之時書通覚居申候事
一.何も老人衆へ拙者申候ハ各様御事熊本へ相聞老人共就中悦申越候

 

P38

私初としてわかき時分ハ老人ハやくにたたぬと存候最早私も老人ニ成候故か
ひいきニ成申候唯今之旦那親肥後守代ニ福嶋大夫殿ニ城代仕居申候
上月文右衛門と申もの五千石ニ而召抱申候其砌肥後守祖父三斉と申候ハ
八代ニ居申候家老ニ村上河内と申一万石遣申候河内申候ハ三斉被申候ハ
肥後守ハ人ずきニ候間定而能キものニて可有之と被申候河内申候ハ承
申候得ハ老体ニ而年御座なきと申候へハ三斉被申候ハ侍ニ年いるへきか
今日召抱今日用ニ立申侍ニ扨々うつけたる事を申候とて殊之外しか
り被申候由承其時之老人共悦申候而八代ニむき拝ミ申と申伝候由
咄笑申候此咄ハ遠坂関内殿被申候つる事覚い申候志水古伯耆殿御咄之由
一.十郎左衛門又咄ニ原惣右衛門ハ足軽を預居申候常々足軽供召仕候様子気
味能キ事共多ク御座候つる先年内匠頭果候刻も侍葵瓦敷之
諸道具惣右衛門勧ニ而即刻得仕候と咄被申候處ニ惣右衛門被参候何をか

 

P39

御咄被成候哉と被申候故右之様子尋候得ハ私ハ前かど側之用人勤居申候
故道具之様子あらまし存い申候第一ハ船をあまた借りよセ道三橋
の下ニ召置候而舟印シそれぞれニ付置諸道具かたづけさセ被申候別ニ
替る事も無御座候つる内匠頭事ニ付其夜早使ニ赤穂へ参候様ニ
大学ニ申付候六日ぶりニ参候由被申候扨も扨もそれハ早キ事ニ御座候
いか様ニ被成候哉と申候へハ惣体 公義之御法度ニ而ハ候へ共内匠頭事ハ代々
伝馬丁問屋共ニ兼而金銀を遣置候故右之通ニ早々参候扨々ち
からもなき早使を仕候と被申候事
一.或時冨森助右衛門被申候ハ私衣類之内ニ白キ小袖之女之着仕たるニ而候袖口
なともせまく御座候ハいな事と被思召事有之御座候老母きる物ニ而
御座候其夜遠方へ参候事之外寒シ候間下着ニ仕度とて借用仕
着仕罷越候と被申候故扨々御尤至極成る思召寄ニ而御座候母之

 

P40

衣と書キ申候ほろとよみ申伝も御座候ヘハ御志之段奉感と申候其後寒
気強く候故何も枕もとにたてさセ可申と御小屏風なとの内ニ庭鳥之
子をそたて申所を書たるを見被申候而私へ助右衛門被申候ハ扨々口惜奉存
事御座候ハ最早皆共ハとく果ものが唯今迄存命有之候処此御屏
風之絵を見申与風(ふと)せがれ事存出し申と被申候故拙者申候ハ御尤至極ニ
奉存候ハ貴様もぼんふと思召御心ニ而それ程之事ハ御心ニ而御ゆるし被成候へ
各々様之今度之御仕方古今不双之御忠臣と末々之もの迄奉感
候事ハ此比非番之刻少遠方へ用事有之町屋敷より出駕ニのり
候て参候道すがら私とハ不存今度之四十六人之御衆何も昔之弁
慶忠信ニハましたる人から男ぶり迄何もそろい大男ニ而大ちから就
中大石主税殿と申ハ幼年ニハ有之候へ共大男大ちからニ而其夜も
大長刀ニ而昔之弁慶ニハましたると申候駕かき其日通之日用之

 

 

 

 

 

 


堀内傳右衛門聞書 P21~P30 熊本県立図書館蔵

2020-03-14 21:31:45 | 堀内傳右衛門

P21

御座候、今度私さし申候刀ハ新身ニ而御座候定而疵御座候つる哉切
先より五六寸下ニ而おれ申候惣体其夜之儀内蔵助兼而申付三人
宛組合申候、広間より書院へ通候ろうかの様成る右之方之すミニ何者
か居申三人へ自之跡ニ私通候刻うしろより切申候へ共着込着用仕候
ゆへ疵も付不申其儘ふりかへり切り申候得ハ初大刀ニ而たをれ二ノ大
刀ニ而打おり申候、右之ものの下ニ火鉢御座候所ニたをれ申候を打つ
けたる物と存候就夫あいての刀を取差替申候と咄被申候事
一.堀部弥兵衛咄被申候ハ磯貝十郎左衛門事別而御懇意之旨忝存候十郎左衛門
儀は是ニ居申候何も老人共も別而不便ニ存ニ存い申候子細ハ是ニ居申者共
二代三代之勤家久敷もの共私ハ三代前之代ニ牢人分ニ而召出シ其後之
代ニ新知くれ被申今度之内匠頭代ニ物頭ニ申付候、右之通ニ代々重恩を
請申候故御覧被成候様ニ年寄候へハ志斗ニ而何之働も不仕門番を

 

P22

仕い申候、何もわかきもの共ハ随分かせき申候と咄被申候御尤成る
御事わかき衆之働と御老体之門番を被成候と何も事ハ同ジ儀ニ存候
と返答申候、扨十郎左衛門事ハ其身一代ニて則ち私肝煎申候而十四歳之
暮ニ児小姓ニ召出シわづか十年之間之勤ニ而古キもの共同前之志シ仕候
其願も仕廻候而立退候刻金杦橋を何も通申候将監橋を渡候而近クニ
老母居申候故立寄候而暇請なとも仕候へと内蔵助初として何も申候
得とも何と存候哉、立寄不申定而たしなミ故と存候由被申候扨々
不浅御事てとかく可申様も無之御志奉感と申立候而下之座ニ
参候而十郎左衛門方ニ逢申候而唯今弥兵衛殿御咄被成具ニ承申候兼而之
御志古老之御衆と御同前今度泉岳寺へ御立退被成候砌内蔵助殿
初として何も御差図被成候へ共御立寄不被成候御たしなミ誠以不浅候
御志と乍慮外奉感と申候得ハ十郎左衛門被申候ハ弥兵衛か定而宜様咄

 

P23

仕たるものニ而可有御座候私事いかにも幼少より召仕申別而念比ニ被申
段々取立申江戸小屋なとも廣く申付候而老母もゆるりと召置懇
比ニ召仕候事ニ御座候へハ古キもの共の重恩ニおとり申事さらさら無御座候
いかにも立退候砌内蔵助初いつれも立寄候而老母ニ逢候得と申候へ共先ハ
装束も目ニ立第一老母居申所御小身ニ而も御やしきニたいしぶし
つけと被存又ハ少之間ニ而もいか様の事か可有御座も難斗かたかたニ而
立寄不申候唯今存候へハ何事なく立退候ヘハちと後悔ニも存候由被申
笑被申候事誠以十郎左衛門ハ別而感ジ入申事多ク候
一.助右衛門被申候ハ仙石伯耆守様へ参候節今度之一巻御聞被成候砌上野介殿
屋敷之内ニ仕込申時軽きものをとらへ候て案内をいたさせろう
そくまて出させともし被申候事、扨々おちつきたる仕かたたれニ而候哉
と御尋被成候故磯谷十郎左衛門と申上候得ハ扨々わかき人のおちつき

 

P24

たる仕方と別而御感シ被成候由咄被申候事
一.或時吉田忠左衛門被申候ハ私儀若キ時よりすき候而軍法を承候折節
さいはゐを所持仕い申候故最早今度果申儀御座候へハ内蔵助ニもカクシニ而
持参仕候定而御取寄被成候道具共之内ニ可有御座候間御やき捨可被下
候由頼申候と被申候いかにも見申申候得ハ柄ハくろぬりニして丸ノ内ニけん
ひしの紋金ふんニ而両方ニ一ツ宛柄の先共ニ三ケ所ニ紋付白キ紙ニ所々
血付ゐ申候已後何方之道具共不残泉岳寺へ被遣候時右之さいはゐも入参候事
一.拾七人衆之鑓長刀並刀脇差並懐中之小脇差ね花紙袋等仙石伯耆守
様より向坂平兵衛請取被参候由ニ御座候芝御奉行所ニて御側衆一
覧之刻我等も一座ニ居申候而見申候通書付置候事
一.拾七人之刀脇差同名平八心付候而大小入之刀箱十七ささせこんの木綿
風呂敷ニ而大小包候而銘々札付置候後ニ泉岳寺へ被遣候時分も

P25

様子能ク有之候事
一.内蔵助大小両腰共相州物と相見大みたれ刃ニ而刀之切先一尺斗ニ
血のりつきい申候様子つき候而ぬきし跡之様見へ申候定而上野介殿之
ととめさされたる物と察申候松葉さき一分程玻れい申候大小とも
黑ぬりのさや金拵ニ而小刀柄ハ古キ古語ほりあげニ仕御座候へ共
我等事文盲ニ候へハよめ不申候へ共文字君臣之忠義之語と見へ申候
同名平八ハ覚い可申御尋可有之事
一.磯貝十郎左衛門大小共くろぬりのさやこい口二三寸朱ニてすじかへニぬり
有之候尤金拵ニ而むらさきのかいの口新敷下緒付い申候鼻紙袋ハ
むらさきちりめんのふくさにつつミ右之下緒のきれニ而ゆひ有之候内ニこ
とのつめ一ツ有之候此事ハ以後十郎左衛門其外何も咄シ承申候故奥ニ書
付置候事

P26

一.近松勘六脇差ハさめさやニ而弐尺余之大脇差ニ而御座候、ぬけ不申候而
何も其儘召置き申候後ニ承候得ハ上野介殿宅ニ而切り付被申候へハ迯申候
故追懸被申候故ニ庭ニ泉水有之ころばれ候而水入申候を其時立
かへり候ハハ観六ハあふなきめにあひ可申候へ共跡をも不見迯のび仕合
成儀と何も咄被申候事
一.奥田孫太夫大太刀ハ身弐尺余有之無地の鉄つば懸りい申堅木
の壱尺六七寸の柄切りづかことく仕たる物ニ而候小長刀なとの心ニ
持参被仕と見へ申候事
一.堀部弥兵衛鼻紙袋ニハ子供の持あそびの竹笛御座候相図の時の笛
と存候、尤小脇さし懐中と見へ申候其外之衆も右之笛持参と見へ
候而有之候間小脇差し六七腰有之候事
一.何も大形大小之柄之上を平打のもめんの緒ニ而巻候而御座候大小
 

P27

多有之候切り柄之心ニ而手之内能可有之候嶋原御陣之砌山川惣右衛門兼
て打死之覚悟大小之柄を芋なわにて巻差被申候由亡夫節々咄被申候
古今時代ハ替り候へ共武士之志ハ何も同前と感ジ入申事のミニ而候事
一.何も鑓之柄ハ九尺斗ニ切捨被申たると見へ申候身ハ大ふり成るささの
葉成り、長さ八九寸はは広き所ハ弐寸余古身と見へ申候すはだものニ
能ワさしと内々承及申候、大形さやハなく白キ布ニてゆひ有之候其
夜之両袖の相印の布と見へ間ニ名なと書付たるも有之候事
一.何も之鑓見申候ハ取出書加置候四五年前在江戸之刻従熊本去ル人
近年はやり申候磯野弥兵衛仕出シ之す鑓の身丸ク惣体細ク有之候望
之由すらせくれ候へと代物金一歩迄参申候出来さし下候ハハ兄弟衆も
望其外も無心申度と申来候折節ためしもの有之見物仕候時分
他所より右之す鑓参候而ためし候へ共三本迄通り不申候を身申候故右之通

 

P28

申遣親父嶋原ニ而働有之仁之子息ニ而候故親父之鑓を御こつし候得
はやり候得共私見申分ハ如是と申遣候得ハ其後不申来候定而具足其外
着込候様成ものハ通り可申候へ共静澄之時分ハ先すはた物ニ能き
そ可然存候今度之内ニ神以右之通之鑓一本も無之候事
一.何もの刀脇差金拵ニ而結構ニ見へ申候勿論古身多ク新身も有之
候へ共さびたるハ無御座候以後節々咄被申候あいて無之候得ハ手ニあひ不
申もの多く御座候由惣体迯走申ものハ其儘ニて置候へ手むかひ仕候
もの迄打捨と兼而内蔵助被申付候由尤成る事共就夫刀脇差
のりつきい申ハすくなく鑓ハ大かたのりつきい申候其夜仕合不仕合
御座候ハ相手無御座候得ハ手ニあひ可申様も無御座候と咄被申候
我等申候ハいな左様ニも思召間敷候御仕合も御名仕合も何も御志
御同意之後ニ御座候へハ四十六人之御衆ハ何も御同然と存候由申候事

 

\

P29

一.甲府様御家老小出土佐守殿被預由ニ而細川桃唐老御聞つけ候由にて
江村節斉被申候ハ吉田忠左衛門ニ申通シくれ候へ跡々妻子なと事少も苦ニ
被存ましく候土佐守殿家来鈴木彦左衛門ニ能申付置候との儀通シ度由
ニ付即刻忠左衛門ニ申達候得ハ常々御懇意ニ候間左様可有候忝次第
慥承届候由宜申くれ候へと被申候故則右之儀節斉へ申達候事
一.或時次之座ニ出候得ハ何も被申候ハ奥田孫太夫儀ハ不存寄事を承悦
申と秋本但馬守様ニ舅居申候中瀬助五郎殿御供ニ而被出候へハ右之もの罷出
孫子共何も無事之段被仰聞被下候様ニと申御伝言を助五郎殿被仰聞候と
被申故扨々それハ一段之御仕合ニ而御座候と其後承候得ハ右之趣達
御耳候而言伝を被申通候由ニ御座候助五郎儀ハ我等ニ心入ニ而御座候
同名古文左衛門妻ニ付而之縁と存候助五郎拙者へ被申候ハ十七人之衆
心あり咄申候衆之母子兄弟縁類へハ通シ卯様ニ承申候今度之儀ハ

 

P30

誠ニ大事之儀御座候間能ク心得候へと内意被申候扨々御心入之儀共別而
忝存候いかにも被仰聞候通得其意申と申候定而右之通之様子
ゆへ但馬守様御屋しきニて奥田孫太夫舅拙者を承及定而
拙者名を被申たる哉尤其刻助五郎ニ誰か左様ニ申たる哉富もう事
も尋申不申候偽ニ而無御座通シ申事ハ勿論兼而覚悟仕居申
事故少も驚申事ニ而ハ無御座候故唯御心入忝と斗礼を申候事
一.或時次之座ニ而何もと咄申候刻何も被申候ハ今度近松勘六家来甚三
郎と申小者事存出候得ハ不便ニ存候と被申候衆いか様之訳ニ而御座
候哉と尋候得ハ勘六ハ代々先祖より近江国之ものニて御座候在所之名被
申候得ハ折節失念仕候右之在所よりより今度江戸へ召連参候甚三郎親は
庄やを仕居申候代々わけあるものニ而御座候今度何も存立申前ニ
在所之状なと調申候而在所ニ差帰シ可申と存右之趣申聞候へハ甚三郎

 

 


堀内傳右衛門聞書 P11~P20 熊本県立図書館蔵

2020-03-13 15:45:15 | 堀内傳右衛門

 

P11

久太夫、小野寺十内、堀部弥兵衛、間喜兵衛、早水藤左衛門
一.下之座、磯貝十郎左衛門、近松勘六、冨森助右衛門、潮田又之丞、赤垣源蔵、奥田孫太夫、矢田五郎右衛門、大石瀬左衛門 磯貝十郎左衛門ハ上ノ座ノ筈御座候へ共早水藤左                         衛門と申合入替被申候由
一.右十七人之衆何も知ル人ニ被成候而毎度罷出咄など仕候而次第心安成
申候、我等心底ニハ扨も扨も古今不承候忠孝之武士天下ノ大小名之
家ニ武功有之名高キ者の子孫何レ之家ニも有之事ニ候当御家
ニも何も大小身共其子孫多有之候、十七人万一御赦免ニ而御預り
被成候御衆様へ被下置候刻たとへハ御家ニても何かしの武功ニ似たる
事ニて候間官禄も其仁ニ応ジ可被仰付候へ共今度之一巻之衆ハ何レ之
御家ニも類も無之事ニ御座候得ハ被召仕候様子も定而無類之様体
ニ而可有御座候誠以天下ニくらべ物之なき武士と申事ハ冥加ニ被叶
たる衆中と存夜白ニハかけ随分心之及ハ馳走仕度或時冨森助右衛門へ

P12

申候ハ拙者儀旦那代々召仕候もののせがれニ而殊ニ末子ニ而御座候処かち
き奉公ニ罷出候処即刻江戸定供被召連段々取立小知をくれ被申候
其後加増をも被申付物頭並ニ被申付近年ハ年寄申候故供使番抔
もゆるし被申ゆるゆると町屋ニ召置申候、然ル處今度各々様ニ罷出得
御意候様ニ申付候、わかき時分より一二年已然迄駕之あけたて被申
付候而相勤申候故江戸表之儀あらまし存候、京、大坂道中筋之儀
も能覚申候、第一居屋敷ニ詰居候而ハ門之出入も不任心底之儀も有
之候得共町屋ニ召置夜白ニかぎらず何方へ参候事つかへ不見
何方様之御事ニ候得ハ越中守為ニ成らぬ儀は可被仰聞様も無御座候何そ
被仰聞置度儀なと可有御座候得共私之身之為ニ成らぬ儀なとと
御遠慮思召被仰聞度事なとも御控え扣被成候様ニ見及申候、今度
各様之御忠義之御心底乍慮外奉察候へハ私之身命をおしミ

 

P13

申事日本国大小之神をかけ奉り毛頭無御座候心安思召被下候事
武士之冥加ニ叶たると奉存候、尤貴様御一人ニかぎり不申右之趣ニ
御座候得ハ十七人之御衆不残御同然ニ奉存居申候間、御一人御一人ニ申達候
儀も何と哉覧いな物ニて候私之心底之趣具ニ被仰通被下候得と
申候へハ扨々御深志成ル儀共何方へ申聞候ハハ別而忝かり可申とて
被申通候哉其後段々礼を被申候事
一.内蔵助被申候ハ我等事わかきもの共其外何方へ別而御深志之儀共於
私も扨々忝存候誠ニ誠ニ御心安ク存居申候少これへ寄被成候得御咄申
事共御座候と被申候故我等申候ハ御心安思召候而御咄被成候事御座候由
先ハ奉存候とて側へ寄申候其時内蔵助被申候ハ別之儀ニ而も無無御
座今度之一巻之事ニ付定而よりより御傍輩中御評判迄と奉
察候是ニ居申もの共大形小身成ルもの共迄ニ御座候今少大身

 

P14

なるもの共も加り可申事と可思召段御恥ケ敷存候いかにも大身成者
ともも加り申候得共何も了簡を替へ申候故、不及力候、先奥野将監と
申者ハ千石取番頭仕居申候今度赤穂ニ而何角と私と両人申合セ
御目付荒木十左衛門様江書付をも差上口上ニ而も申上候儀御座候江戸へ
御帰座已後即刻土屋相模守様江委細被仰上候間左様相心得候へと
私並将監方へ十左衛門様より御書被成候故両人共ニ江戸へ又御礼ニ罷越
申候右之通ニ而名も御老中様方御存知之将監其外佐々小左衛門と申者
三百石遣城代を申付吉田忠左衛門より高座ニ召仕候いや此小左衛門ハ若き時分
御当家へ居申たる様承候つるが覚申さぬかと被申候故我等申候ハ何と
哉覧(やらん) 名ハ承たる様御座候得とも慥ニ覚不申候、惣体当越中守入国前
幼少之時分段々暇を遣申或ハ暇をも候いたる者共御座候其内ニ而御座
候哉、しかと覚不申由申候、其外三百石郡代吉田忠左衛門より上座之由、内蔵助被申候佐々小左衛門   其外佐藤三百石足軽頭

P15

伊左衛門、近藤源助郎三百石同役、小山源五左衛門三百石同役、河村傳之丞三百石同役、 なとと申候者ハ知行も
多く遣し足軽も預置是ニ居申候原惣右衛門などよりハ上座ニ申付置候
剰右之内ニハ私之すらき御座候ものも御座候いかにも加り申候得共了
簡を替へ申候得ハ不及力候と咄被申候故我等あいさつニハ段々委細ニ
御心安思召被仰聞候事別而忝存候、定而右之御衆御了簡を御替
被成候事も何とそわけも可有御座候得共今度各々様之被成様ニ而ハ
何之被仰分も唯今ニ成候てハ御座有間敷と存候それにつきても今
度何方様之御仕方とかく可申上様も無御座傍輩共と打寄ケ如度
々之奉感候惣体身おもく御座候ものハ小身ものより身命を捨兼申と
古今申伝候定而聞及可被成候、肥後之先国主加藤主計頭清正公ハ
秀吉公御代度々之武功ニ而後ニハ肥後半国後拝領被成候、其刻
同国天草合戦之砌木山弾正と申ものと鑓を合セ被申候事清正公

P16

一代之男道をおためし被成候と常々御自慢ニ而御咄被成候と古キ侍共
申伝候、其外古今之咄とも承伝候ニも扨も扨も今度之何方様之御
仕方乍憚とかく可申上様も無御座候皆共儀も小身ニ而不自
由成ル事のミニ御座候へ共右之通之昔語を承小身なるもたの
しミに存候而傍輩とも之大身成ルもの共之前ニ而もおもふ事のミ
咄ちらしたのしミい申候とあいさつ仕候、右之内ニ内蔵助叔父有之
由ニ御座候事
一.助左衛門被申候ハ何も十七人之者共拙者へ頼申度事御座候別之儀ニ而も
無御座皆共儀今度之仕合ニ而は定而ざんざいニ可被仰付候■所柄成
とも能ク御座候へかしと願居申候然ル所ニ此間之世上之批判なと何方様
の御咄なと承早おごりつき万一切腹なと結構ニ可被仰付哉、左様之
刻は御屋敷ニ而なとも可被仰付哉なととおこりつき申候万一左様之

 

P17

節は拾七人共ニそれぞれに宗旨も替り申候得ハ寺々之坊主共又ハ一類
共なとも死がゐなと被為拝領候様ニ願申事も可有御座候国ニ被遣
不被下泉岳寺中ニ穴地有之所に十七人共一ツあなに御うづめ
被下候様ニと何も願申候此段拙者ニ承置くれ候へと被申候故拙者申候ハ扨々
御尤至極なる御願い共奉存候被仰聞候通得其意申候左様之節ハ
成ル程如御願ニ可仕候併それニ及申間敷候行末永クゆるゆると御心安
得御意候様成行可申と返答仕候而罷立涙をながし尤成る
願と存即刻大目付永瀬助之進へ申達候得ハ助之進も尤成ル
事と感被申候事
一.其後又吉田忠左衛門被申候ハ助左衛門を以何も十七人之もの共御頼申候事御心
よく御請合被成被下候由何も別而忝奉存候就夫私ハ又其上ニ御無
心御座候金子少所持仕居申候此事もいな物を所持仕候と可被思召候へ共

 

P18

持来候故捨も不仕召置申候是を進可申候間白布二重ニ大風呂敷ニ被仰
付四方ニつかりを御付させ死かゐの見へ申さぬ様ニ其ままくくり寄せ候様ニ
仕度候如御覧年寄大がらニ御座候得ハ一入見苦敷可有御座被存候
由被申候我等申候ハ委細承届申候従 公儀被 仰出次第ニ而御座候得は
いか様ニ可有御座難斗兼々役人共打寄いく通ニも用意仕
何のつかへ無之様ニ仕置申候、若右之通被仰付ニ而御座候ハハ如御望
可仕候間金子を御渡シ被成候ニハ及不申候成ル程御尤成ル御願共得其意
申候助左衛門殿へ申候様ニ夫ニ及申間敷候、行末永くゆるゆると御心安ク
得御意候様成行可申と申候而立申即刻永瀬助之進江申達置候何
も何も尤成る事共と涙をながし申候事
一.右之通何も拙者事心安ク被存何やかや頼被申候ゆへ永瀬助之進をハ
大目附役ニ而少ふしんニ被存候体ニ候故拙者助左衛門へ咄申候様子




P19

不残咄聞かせ候得ハ扨々尤成リ我等存寄共誠ニ何もハ摩利支天と
存候助之進ハ御用ニ付堀部弥兵衛ニハ折々呼立咄申候事共有之候
然ル衆いな事と可被存候助之進心底も誓言ニ而我等同意存
候段何方へ申達くれ候得と被申候故助左衛門なとニ咄申何も承被申候
扨々忝次第助之進殿御出之砌もわけて御礼申候事もいかが
敷存候何も別而忝かり申段宜申くれ候へと被申候尤其段
助右衛門へも即刻申達候事
一.或時助左衛門と咄居申候所ニ原惣右衛門何をか咄候哉とて被参候其時助
右衛門被申候ハ赤穂ニ而大野九郎兵衛を惣右衛門追立申様子御聞被成
候得と拙者へ被申候故所望仕候へハ扨々むさと仕たる事を助右衛門申候
とて笑被申候故我等申候ハ御心安ク得御意候私ニ御座候へハ不苦事ニ
存候是非共御咄候得承度と申候得ハ惣右衛門被申候ハ助右衛門則是ニ而承

 

P20

申候今度赤穂ニ而私事ハ内蔵助とむかふさすニ成候而諸事相談仕たる
事御座候、内蔵助存寄と致相違候九郎兵衛ニ付先刻より段々承候へハ御自
分之思召寄ハ内蔵助殿とハ替り申候何も是ニ居申もの共不残内蔵助
殿之思召寄と同意之者共ニて候御了簡替りたる事ニ候へハ是ニ御座
候事御無用ニ存候早御たち候へと申候而たたせ申候此外別ニ替る事も無
御座候、其時九郎兵衛私申ごとく立候故其通ニ而御座候、若シ立兼候へハ
私ハ其時果申候、左候へハ今度之一例之志立不申候、以後能ク了簡仕
候得ハ扨々うつけをつくし申と存候由被申候得ハ助右衛門被申候ハ其時之
様子中ミ何の様成事ニ而ハ無御座とて笑被申候事
一.或時矢田五郎右衛門被申候ハ傳右衛門殿ハ御道具数寄ニ而御目利と承申候と
被申候故いかにもわかき時よりすき申宇目利仕候へ共大形はづれ候
とて笑候へハ五郎右衛門被申候ハいや御尤至極ニ存候ハ私事目利不調法ニ

 

 

 


堀内傳右衛門聞書 P1~P10 熊本県立図書館蔵

2020-03-12 22:15:25 | 堀内傳右衛門

 県立図書館の許可が下りたのでアップします。堀内傳右衛門聞書は「覚書」と称するものもあり、全て写本です。そして一冊として同一のものはありません。人の手から手へ書き写されて行く訳ですから原本から遠離って行くのは当然と言えば当然、熊本県立図書館の蔵本もその中の一冊であって原本ではありません。

P1
浅野内匠頭様御家来十七人之衆、御預之刻我等事御受取にも
被遣其後御預之内、林平助、村井源兵衛、我等三人御付置被成候故、当
番之刻十七人衆と心安語申候ゆへ、何もの物語共承申候、外之衆へ
咄被申候事も定而可有之候へ共我等へ咄被申覚候通りあらまし
書付置候、貴殿ハ折々見可被申候、尤、同名共並び縁者他人ニ而も見申度
と申仁候ハバ実庭の志次第見せ可被申総体今度の一巻むざと
咄申さぬ様にとの儀に御座候、其心得にてむざと見せ申間敷事
一、元禄十五年午十二月十五日月並之為 御礼御登城被遊候處ニ
於 御城浅野内匠守様御家来十七人御預之旨被 仰渡候間、
泉岳寺ヘ受取ニ御侍中被遣候て従 御城藤崎作右衛門上ノ御屋敷へ
御使に被参候、我等ハ折節当番ニて町屋敷より上御屋敷へ罷出居申候
定テ被遣人数の内ニても可有之と存じ直ちに同名平八小屋ニて飯なと

2P
給候而直ニ罷出候、十五日之昼過八ツ刻前ニ上御屋敷罷出申候事
一、三宅藤兵衛、鎌田軍之助、平野九郎左衛門、横山五郎太夫、堀内平八、匂坂平兵衛

此分ハ裏付之上下着用、物頭皆供かっこう何もハ羽織袴着用、芝上
御屋敷より被参候物頭共並ハ羽織裁付着用ニて候事
三宅藤兵衛、鎌田軍之助、平野九郎得右衛門、横山五郎太夫、堀内平八、匂坂平兵衛
原田十次郎、牧七郎右衛門、須佐美九太夫、野田小三郎、志方弥次兵衛、冨嶋伊兵衛
堀内傳右衛門、林兵助、村井源兵衛、池永善兵衛、沢庄兵衛、堀内五郎兵衛
竹田平太夫、松浦儀右衛門、氏家平吉、寺川助之丞、本荘喜助、吉田孫四郎
塚本藤右衛門、□□権八、石川孫左衛門、田中隼之助、池辺次郎助、魚住惣右衛門
横井儀右衛門、宇野弥右衛門、服部番右衛門、
木村権左衛門、関弥右衛門、郡次太、(本道)下川周伯、(外科)原田元沢、

P3

一、歩之御使番服部鷭右衛門、木村権左衛門、関弥右衛門、郡次太夫此外ニも有
之候哉覚不申候、歩御小姓なども大勢被参候へとも一々覚不申候定而
委細之御人数付可有之候間不見候事
一、足軽百人余駕十七丁外ニ用心駕五丁都合人数七百五十余と
被承申候事
一、右之御人数御知行取不残馬ニて上御屋敷より罷越申芝之御屋敷表
御門の前ニて芝御屋敷衆も罷出何も申合分泉岳寺へ参候筈之處ニ
様子替り千石伯耆守様之御屋敷愛宕下ニて受取申筈之由ニて
直ニ此方之御人数ハ愛宕之下細川和泉守様御屋敷へ参御門内ニハ
侍中斗入候而夜ニ入四ツ過に伯耆守様御屋敷へ何も参候事
一、此方ノ御預之衆一番ニ御渡被成候三宅藤兵衛、鎌田軍之助、堀内平八
此分ハ伯耆守様御前へ被召出鈴木源五右衛門様、水野小左衛門様御列座ニて

P4
十七人之御預衆請取可申旨被仰渡候由ニ御座候右之外皆共より已下ハ
御門外ニ罷在候事
一、十七人之衆ニも伯耆守様被仰渡候ハ銘々御書付およみ内蔵助ハ御
側近ク被召寄右ハ十七人ハ細川越中守ニ御預被成候左様心得候へ乗物ニ而
被遣候儀いかが共思召候へ共此内老人も有之けが人も有之候又ハつき候而
参候衆の為ニ而も候間旁々ニ而乗物ニ而可参候と段々御念被入候而被仰
聞難有儀にて度々何も被申候
一、十七人之衆何も駕ニ乗り被申候而請取人ハ御門外ニ居申それぞれニ請取
御門前ニ残申候而御紋付之大ちゃうちん二ツ宛自分之小桃
ちん一宛ニ而尤駕一丁ニ騎馬一人宛つき歩行ニ而手負けが被仕候衆
にて之由ニ而いかにも駕をしづかに細川和泉守様御門前より松平


隠岐守様表御門前より愛宕之廣丁へ出三嶋丁より通り丁へ出申候而
芝いさらご坂より此方之御屋敷目黒御門へ入役者間之玄関より入御廣
間之くしがたの次之間より二座ニ居被申候其夜ハ何も先一座ニ
着座被仕候道筋静々参候故夜更八ツ過ニ着被仕候事
一.太守様其儘御出被遊候尤皆共儀も其儘居申様ニとの儀ニ而罷在
能承申候御意ニハ扨々各今日之仕形神妙ニ思召候何も是に大勢
侍共召置候ニも不及事何と哉覧(やらん) おこがましくも思召候へ共是ハ
公儀ニたいし被召置候間皆々左様被相心得何そ相応之用事承候
得と御番之御家来共御覧被遊被仰聞候最早夜更候間先早く
料理を給被申候様ニとの 御意ニ而御入被遊何も難有被奉
存体相見へ申候右之通ニ而夜更候迄後待被遊召刻御出被
遊候 御意之儀私共さへ承涙をながし申候間何も難有被


存候事尤ニ存候後々迄も此儀ハ被申出有難がり被申候事に候
一.十七人此方之衆ニ御渡候刻も乗物之戸なとあけ申度望被申候ハバ其通
被仕候而も不苦思召し候けが人も有候間道も静々参候様との皆共へも
被申渡候故道中道すがらもたれとハ不改候へ共堀内傳右衛門と申もの
御同道仕参候何そ御用有之候ハバ戸まどなどあけ度思召候ハバ被仰
聞候へと歩行ニ而参候衆ニ被申候へと申渡候事
一.右之通其夜其儘御対面被遊候ハ 太守様迄と申伝候残ネ
御三人御衆ハ爲已後此方之後様子を御聞給候而御逢被成候由ニ御座候
於 御城十七人御預之被仰渡候刻も 太守様御請御尤至極
成儀申候何も御感ニ被成候御沙汰御旗本之咄承候由寿命院など
咄被申候由江村節斉被申聞候泉岳寺ニ而御請取被遊候様ニとの
儀ニ付御家来共ニ迄被遣候儀無御心元被思召候 御下城已後


不苦候ハバ御自身御出被遊度思召候いかがとの儀ニ付被入御念候儀共御相談
可有之とて重而被仰出候ハ御自身之御出ニハ及申間敷候御家来迄
ニ而能御座候との儀ニ付何も御家来迄被遣候右之御請御尤成る儀
と沙汰御座候段申伝候事
一.町屋敷よりハ林兵助、村井源兵衛、我等三人代々芝御屋敷ニ居申ハ八木市
太夫、吉松加左衛門両人代々右五人ニ而両人宛夜白相勤め候筈被仰付候
三宅冨士兵衛方被申聞ハ総体今度之一巻之咄仕候事堅無用ニ候
あの方より一巻咄出シ被申候共皆共返答之様子ニ而ハ咄もやミ可申候
其心得ニ而相勤候へとの事ニ候故其各御ニ而何も罷在候然レ共能々
了簡仕候得ハ今度之一巻之儀古今不及承候忠臣ニ而候武士
たるものの一番鑓、一番首、鑓下、鑓脇或ハ殿(しんがり)退口、籠城打死、
或ハ追腹など此等之働さへ唯今御静謐之時分ハいきのこり

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たる老人或ハ其子共ニさへ昔咄承申ハ武士たるもののならひニて候
右之働有之子々孫々天下之大小名之家々ニ何も有之不躾事な
がらそれさへ若きもの共ハ承置度と存候事ニて候今度之一巻誠ニ
古今不承候忠義と存候万一無怠御赦免ニ而何も寄合被申候利数日之
御馳走結構成様とも侍中も大勢大小身共ニ段々出申如形馳走仕
候得共今度之一巻之咄を終ニ尋も不仕間ニ咄きかせ可申と仕候へば
咄されぬ様成るあいさつ共ニ而いな事と可被致候私共へハ冨士兵衛殿度々
一巻咄不仕様ニと被申候外之御三人様御座敷ニてもそれぞれニ思召
寄ニ替りも可有之候私は何とも了簡ニ及不申ととかく少透を
御見はからひあらましの様子御聞被成可然様存候いかが思召候哉と
折節色付之間ニ平野九郎右衛門同名平八咄申所ニ而申出候ヘハ両人も
いかにも尤ニ尋候承置度事と被申候昼之内ハ御側方段々ニ出被申

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透も無御座候最早夜食も過幸之時分と存候唯今様子見候而可参と
て其儘罷出見申候得バおもひおもひに打寄咄なと仕居被申候能キ時節
と存九郎右衛門、平八ニ唯々随分能キ時節と申候得ハ其儘両人罷出
被申吉田忠左衛門、腹惣右衛門両人を片わきニ呼よせ被申しハらく
咄居被申と一巻の様子あらまし承申由被申候事
一.右之翌晩夜ニ入原惣右衛門何か守数之物を書キ居被申候夜更ニ而
仕廻被申候物とぢ申小刀も無之故八木市太夫を頼とぢさセ被申候
今度之一巻之書付と承申候前之夜九郎右衛門、平八一巻之あら
まし尋申候故外ニも又尋被申衆有之候ハバ右之書付見セ可申
との事ニ候哉御書所ニ而市太夫とぢ申刻寄合ニ而写シ申と
承及申候我等ニ調くれ被申候書付同前之由承候事
一.上之座ニ大石内蔵助、吉田忠左衛門、原惣右衛門、片岡源五左衛門、間瀬