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映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

レスラー [監督:ダーレン・アロノフスキー]

2009-08-12 23:55:57 | 映評 2009 外国映画
個人的評価: ■■■■■□
[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]

低予算ながら、非常にデキのいい脚本と、ミッキー・ロークとマリサ・トメイの名演に支えられて、見事な男泣き映画に仕上がっている。個人的にはとても好印象な映画。

**********************
【第一章 裏ロッキーとしての『レスラー』】

観ていて、『ロッキー』、特に『ロッキー・ザ・ファイナル』を思い出すことが多かった。
幾つかの要素で比較検討してみる。
(Rは『ロッキー』、Wは『レスラー』を指す。ただし特に断りがない場合Rは『ロッキー・ザ・ファイナル』を指す)

-----似ている要素-----
比較(1)「主人公キャラに主演俳優その人が投影されているか」
⇒されている / ⇒されている

比較(2)「復帰戦で栄光を・・・」
⇒つかむ / ⇒つかむ

比較(3)「復帰戦で自分の居場所を・・・」
⇒見つける / ⇒見つける

比較(4)「復帰戦での主人公の年齢設定」
⇒50代後半 / ⇒50代後半(予想)

-----対照的な要素-----
比較(5)「主人公は子供と和解するか」
⇒する / ⇒しない

比較(6)「復帰戦での勝敗」
⇒判定負け / ⇒不明

比較(7)「アメリカの敵を・・・」
⇒ガチでやっつける(※) / ⇒やっつける段取りで試合を運ぶ
(※→「ロッキー4」で)

比較(8)「復帰戦直前の主人公の健康状態」
⇒極めて良好 / ⇒死にそう

比較(9)「試合中の主人公の状態」
⇒現役ヘビー級チャンプを追いつめるほど強い / ⇒対戦相手に心配されるくらいヘロヘロ

比較(10)「試合に対する、主人公と恋人(または妻)の想いの違い」
⇒基本的に妻の同意を得て挑戦(※) / ⇒恋人に反対されるが無視して挑戦
 (※→「4」で妻の反対を押し切って挑戦するが、最終的に妻は賛成する。「5」では、妻に反対され挑戦断念。「6」では、妻は既に亡くなっている)

-----補足-----
比較(11)「シリーズにおける主演俳優の主な賞での評価」
⇒「1」オスカー候補、「4」ラジー受賞、「5」ラジー候補 / ⇒オスカー候補

--------
・・・以上のように比較してみると、「レスラー」という映画は「ロッキー」を陽とすれば陰にあたるような、「裏ロッキー」的色彩を持っていることが見えてくる。
案外「ロッキー・ザ・ファイナル」を観て「なわけねーだろ!!」と突っ込んだ人が企画した作品だったのかもしれない。

**********************
【第二章 印象的なミッキー・ロークの「背中」について、あれこれ思う事】


これでもかと、ミッキー・ロークの背中を写すショットが多くて印象深い。
オープニングでまず背中のショットから写し、なかなか主人公の顔を写さない・・・というのは映画でヒーローを描く際の常套手段と言ってもよい。だが、常套では済まない位に、背中のショットが長い。開巻から延々数分にわたりカメラはひたすら主人公の背後を付いて回る。見てるこちらとしては当然感情移入の対象が定まらず、正直に言って少しばかり冗長で退屈という印象すら持った。これだけなら「編集が下手だね」というだけの話である。しかしその後も映画は執拗に主人公の背中を映す。

明らかに何か意図があるな、と思わされたのは、主人公が劇中で二度目にストリップバーを訪れたシーン。ここでもカメラは車を降りる主人公の背後からついていき、主人公とともに扉を開けて店内に入りダンサーに声を掛けるまで続く。これといって珍しいカメラではないが、問題なのはこの店が観客にすでに紹介済みであったことである。
どんな店であるかは前のシーンで紹介済みなのだから、2度目となるこのシーンでは店と駐車場の位置関係とか、店の構造とか、店内と店外の印象の対比とか、そういったことは必要ない。店内のダンサーのショットから、ダンサー目線で店内に入ってくる主人公、といった具合に2カットでテンポよく描いても観客は決して混乱しないだろう。
にもかかわらず、わざわざ長い尺を用いて主人公を背後から追うショットを撮るということは、監督のなんらかの意志が働いているに違いないと考える。監督は話をテンポよく進めることよりも、主人公の背中を写したいのである。
台詞によって紡がれるストーリーより、感情を表現する顔よりも、監督は主人公の背中を重視した。

思うに、「背中を見せる」という行為は、相手から離れていくことを意味する。
だが劇中において主人公が背中を見せている時は、主人公自身はどこかに向かっている時だ。
自分の家に向かっている時だったり、お気に入りのストリッパーのもとに向かっている時だったりする。
では主人公が背中を向けている相手は誰かと言えば、我々映画を観ている観客である。
人気レスラーのラムが我々に背中を向ける時、それは「レスラー」というファンに愛された肩書きから、一人の人間という普通の肩書きに向かっている時だったと言うことができよう。
不器用な主人公が家や女を求める姿は、同時に観客に背中を向ける姿として「ファン的には寂しい」心理を抱かせる。

そしてクライマックスで、視点は劇的な変貌を遂げる。
愛しているわ行かないで・・・というストリッパーの言葉を拒絶して主人公はリングに向かう。カメラは前半でさんざんこだわり続けた背中からの視点を捨てて、花道を歩く主人公を正面から写す。一方で取り残されたストリッパーの姿を映す。ストリッパー目線による主人公の背中映像はほとんど写さない。
映画の観客が嫌というほど観てきた主人公の背中。それまでストリッパーが見ることのなかった背中。
クライマックスで観客とストリッパーの関係は逆転し、われらはリングに戻る主人公の姿に待ってましたと歓喜し、ストリッパーは自分から去っていく主人公の背中に拒絶された寂しさを覚える。

しかし主人公の歩く花道は間違いなく彼の死へと続く道だ。リングにしか居場所がないと悟った彼だが、少なくとも愛する娘から拒絶されたのはほぼ自業自得だ。落ち着き先を、家族でも愛する女でもなく死が待つリングにしか見出せなかったのは、ダメ人間でありつづけた彼自身の責任で、同情の余地など無い。
しかし、リングとリングを包む観客(そして映画を観る観客)は、リングに正面向いて歩いてくる彼を熱狂的に歓迎する。
筋書きと演出で作り込まれた虚飾のリングに立つ虚飾のヒーローが愛される一方で、素の主人公の個人的で飾りも偽りもない愛は女からも娘からも拒絶される。
虚飾のスターとして生きる事にようやく踏ん切りをつけた彼の背中はもう映さなくていい。
コーナーポストから、正面に向かってダイブし、カメラを飛び越える。
我々に背中を向けていた主人公が、最後は我々に向かって飛び込んでくるのだ。
劇中キャラの誰かではなく、映画を見る観客に声なき叫びをあげる・・・そういう点でも「ロッキー」と対象的なのだなあと、またその話を引っぱりだしてこの話を締めくくる。

****************
[追記1]
マリサ・トメイ演じるストリッパーが、主人公の買い物に付き合うかどうかを思い悩む数秒間のミドルショットがたまらなくいい。ほんの数秒にすぎないが、あれだけで彼女に対する親近感がぐっと増す。それ故クライマックスで彼女が感じる寂しさもより引き立つ。脚本をなぞるだけではなく、丁寧に一つ一つのシーンを大事に演出しているのが判る。

[追記2]
WOWOWのアカデミー賞授賞式中継の前に、あるアメリカの映画評論家のインタビューが紹介され、そこでその評論家は主演男優賞を予想してこんな趣旨のことを言っていた
・・・・たしかにミッキー・ロークの演技はとても素晴らしかった。しかしハリウッドには今でも彼のことを本気で憎んでいる人が大勢いるので、彼の受賞はないでしょう・・・
果たして、その予想の通りオスカーはショーン・ペンに渡ったのであるが、受賞結果はさておき評論家の語ったハリウッドの裏事情が、映画「レスラー」における娘から激しく憎悪される主人公の姿に重なり、ちょっと深みを感じてしまった。いい情報ありがとう。

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5 コメント

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『イージー・ライダー』の記憶 (えい)
2009-08-13 01:06:49
こんにちは。

こちらの記事を拝見して、
その昔、『イージー・ライダー』を初めて観たときの記憶がよみがえりました。
ラスト、カメラはこちらに向かってくる
キャプテン・アメリカをど真ん中に捉えていたのが、
高校生だった自分にはとても強烈でした。
TBありがとうございます。 (きぐるまん)
2009-08-13 08:42:48
なるほど、裏『ロッキー』ですか。
で、しばしば起きることですが、裏の方が表よりも出来がよかったりするわけですね(笑)。
残念ながら興行成績では比べるまでもないんですけど。
TBありがとうございます。 (ryoko)
2009-08-14 01:44:07
背中から撮る時は私生活、リングに戻って来る時は真正面という、観客の視線を意識して撮影されたというしんさんの分析、なるほど~!っと納得しました。
「ミルク」見ていないので、二人の演技を比べることができないのですが、オスカー決定にはそんな裏話があるのですか・・・今のミッキー・ロークの演技で判断されればどうだったのでしょう?
マリサ・トメイとペネロペだと、マリサだと思うのですが、こっちはどんな力が働いたのでしょうね?
今、思い返してみると・・ (sakurai)
2009-08-14 09:51:01
ミッキーのしわの刻まれた顔より、分厚い背中を思い出します。
なるほどね。

やはり哲学者ダーレンですから、洞察すると、もっともっと深みにはまりそうですが、今回ばかりは、男のわがままとやるなさと、そしていとおしさを感じました。
ダーレンにこれほど泣かせられるとは!!
いや、ミッキーに泣かせられたのか。
コメントありがとうございます (しん)
2009-08-19 18:31:38
>えい様
イージーライダー実はまだ観たこと無いんですよ
私もまだまだです

>きぐるまん様
がんばってロッキーvsレスラーの表裏対決を実現して白黒はっきりさせてほしいですね
と思ったら、すでにスタローンとミッキー・ローク共演の映画、昔ありましたね

>ryoko様
裏話といってもあの評論家がそう言ってただけで、裏とったわけではありません
マリサとペネロペの場合は・・・うーん、まあ、単純に人気投票じゃないですかね

>sakurai様
ミッキーなら泣かせると確信していたダーレンに泣かされたのでしょう

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