けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

われは復活なり、生命なり / 「聖と俗」雑感(3)

2009年10月20日 | Weblog
Ego sum resurrectio et vita, antifona e salmo, ex Officio Defunctorum



元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=VZ6-qFn1EEU

Ego sum resurrectio et vita

Ego sum resurrectio et vita.
エゴ スム レスレクティオ エト ヴィタ。
われは復活なり、生命なり。
Qui credit in me
クィ クレディット イン メ
われを信ずる人は
etiam si mortuus fuerit, vivet.
エティアム シ モルトゥウス フエリット、ヴィヴェット。
死すとも生くべし。
Et omnis qui vivit et credit in me,
エト オムニス クィ ヴィヴィット エト クレディット イン メ、
また生きてわれを信ずる人はすべて
non morietur in aeternum.
ノン モリエートゥール イン エテルヌム。
永遠に死することなし。

ヨハネ11:25, 26

「聖(sacer,sacra, sacrum; sanctus,a,us)と俗(saecularis,lis,e)」雑感(3)

 共産主義は悪である。天主の十戒に背くからである。共産主義は戦闘的無神論であり、共産主義者が政権を奪取した国ではカトリック信仰を禁止し、弾圧する。 現在も共産党が政権を掌握している中国ではカトリック教会は弾圧され、地下教会として潜行している。この事情を2000年8月の「ファチマ・クルーセイダー」、第65号「中国におけるカトリック教会--迫害と混乱--」 から以下に引用する。

 「中国は1949 年に共産主義国に変わった。ほとんど直ぐに新しい共産党政府はカトリック教会を圧迫し始めた。1953年までに多くの中国の司祭たちや平信徒たちは逮捕され、監獄で死んだ。これらの初期の殉教者たちの例はただカトリック信仰と忠誠を鼓舞し、強化しただけであった。カトリック教会を根絶することに失敗して、中国政府は1957年に「中国カトリック愛国協会」(Chinese Catholic Patriotic Association)と呼ばれるそれ自身の教会を創った。

愛国協会を創る共産主義者たちの目的はローマカトリック教会に取って代わることそして政府によって完全に教会を支配することである。そうすることにおいて彼らは単に聖霊の力を過小評価したばかりでなく、また教会の種子である殉教者たちの血の力をも過小評価した。破壊される代わりに、中国におけるカトリック教会の人口は1950年代初期の300万人から現在[2000年=訳者注]の900万人から1000万人へと増加した。

状況がどうであろうと、ローマカトリック教徒たちは彼ら自身の信仰とローマカトリック教徒としての地位を放棄することなしに一つの代用品としての他のいかなる教会をも受け入れることはできない。中国におけるこれら900万人のローマカトリック教徒は、それゆえに、たとえ迫害の危険にさらされようようとも、彼らの信仰を保ち、そして同時に教皇の至高の権威を拒否するために彼らの政府の教えに従うことはできないのである。教皇に忠実であり従順であり続けることによって、そして教皇および普遍的教会との完全な親しい交わりの中にとどまることによって、ローマカトリック教会は中国においては非合法化されている、そして「公認されていない」教会あるいは地下教会として知られているのである。1996年12月3日の演説の中で教皇は地下教会を誇らしげに「カトリック教会の一つの貴重な宝石」だと宣言された。

政府がスポンサーになっている愛国協会が1957年に創られるとすぐに、ローマカトリック教会のすべての財産は没収された。後に1980年に中国が門戸開放したとき、多くの教会や財産は--元の所有者、ローマカトリック教会にではなく--政府に支援された愛国協会へと移された。結果として、ローマカトリック教会はひどく貧乏なままであり、教会堂なしのままである。

あなたたちの多くは中国に行ったことがある。あなたたちの多くは上海にあるカテドラル、北京にあるカテドラル、そしていたるところの他の教会堂に行かれたであろう。しかしながら、あなたたちが理解していないであろうことは、あなたたちがローマカトリック教会に行かれたのではないということである。あなたたちは愛国協会に所属している教会に行かれたのである。これらの教会はカトリックだと見える。祭服は同じ、祈りや聖歌も同じである。しかしそれらはカトリックではない。なぜか?説明してみよう。

愛国協会の憲章における最も重要な条項は教皇からのそれの自律性である。それは教皇の至高の行政的、立法的、および司法的な権威を認めない。神学101はわれわれに、誰もローマ教皇の至高の権威を同時に否定しているのに教皇との親しい交わりを主張することはできないと教えている。それゆえに、愛国協会は教皇との親しい交わりの中にはいないのである。教皇との親しい交わりはカトリックの基本的な教義であって、一つの規律ではない。」

最新の画像もっと見る