けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

「神の忍耐の限度」(20)

2011年11月30日 | Weblog

附録 V

14のファチマ決議

私/われわれはここに、以下に示されているように、1994年11月8日から14日までメキシコ・シティにおいて開催された第二回司教世界平和会議で司教たち、司祭たちそして平信徒によって起草され、同意された決議に同意する。平和のために働くことをファチマの聖母の霊感に応えて私の個人的能力において署名した私は、私が署名した諸決議を読みました。そしてそれぞれの教義的な内容に同意し、それぞれの決議に含まれた真理が生きられ、その中に述べられた企てをいずれも私が個人的にするということを個人的に見ることを引き受けます。

1.  われわれ、署名した個々の平信徒、司祭たち、司教たちは、われわれの個人的な能力において、ここに聖なるローマ・カトリックの教導権、教皇ヨハネ・パウロ二世聖下の威厳のある人格、そしてとりわけ、教義的諸公会議、伝統、および、限定されたのではなく、使徒信条、ニケア信条、アタナシウス信条、第一バチカン公会議の信条、教皇パウロ六世の神の民の信条、第二バチカン公会議によって教導権の下に教えられた諸教説を含む承認された諸々の信条に対するわれらの忠誠を告白します。
「教導権の下に」ということは -- すなわち、第二バチカン公会議諸文書における教会の通常のそして普遍的な教導権によって不可謬的に教えられている教説のことです。
2.  われわれは、忠実なローマ・カトリック教徒として、上の決議第一において表明されたように、また世界平和がファチマの聖母の完全な意味とメッセージへの従順を通じて以外にはもたらされないであろうということをも信じます。
3.  われわれは、ファチマの公的および預言的メッセージにおいて聖母がわれわれになされた特別の計画と要求を通じてマリアの汚れなき御心の勝利をもたらすためにわれわれができることをすることを引き受けます。そしてわれわれはそのことがわれわれの身分の義務の一部であると信じます。
4.  イエズス御自身が命令なさったように、あらゆる困難にもかかわらず、ファチマの聖母の完全なメッセージをそのことによって知らせるようにわれわれのできるあらゆることをし、告げることはわれわれの身分に従ってわれわれの義務です。
5.  われわれ、署名した者は、ファチマの聖母の要求を心に留めて、個人的に毎日ロザリオを祈ること、そして聖母に対するこの信心をわれわれの周りの人々に強く促進することを引き受けます。
6.  われわれ、署名した者は、われわれ一人ひとりがカルメル山の聖母の茶色のスカプラリオを身につけるようにというファチマの聖母の要求を心に留めて、個人的にスカプラリオを身に着け、また茶色のスカプラリオを信徒および神がわれわれの途上に置かれた善意の人々の間に促進することを引き受けます。
7.  われわれ、署名した者は、ファチマの聖母と神御自身が世界の中にマリアの汚れなき御心に対する信心を確立することを望んでおられるということを理解し、そして更に、聖母とわれらの主が特にわれわれにこの信心を喜んで採用することを望んでおられることを理解して、それゆえに、個人的に、聖母の汚れなき御心への奉献の個人的行為をすることを引き受けます。われわれはまた、それを、神がわれわれの途上に置かれた人々にも促進します。
8.  イエズスとマリアは五回の初土曜日およびマリアの汚れなき御心に対する償いの聖体拝領の実践を熱心に望まれましたから、われわれはファチマの聖母とイエズス御自身によって要求され説明されたように、この五回の初土曜日の信心を個人的にすることを引き受けます。われわれはまた、神がわれわれの途上に置かれた忠実なカトリック教徒に五回の初土曜日の信心を促進することを引き受けます。
9.  ファチマの聖母が世界に第三の秘密が公表されることを望んでおられますから、われわれ、署名した者は、それが公式に明らかにされるまで、第三の秘密の知識を -- 利用し得る最前の資料から -- 読み、研究し、配布するよう努力します。
10.  われわれはまた聖母の第三の秘密の実際の言葉の公開のために、聖母の教えに従って、うやうやしく請願します。
11.  イエズスとマリアがファチマ・メッセージの中で、真の平和が世界に与えられるのは、同じ日、同じ時間に教皇と一緒にすべてのカトリック司教たちによってマリアの汚れなき御心に対してなされるロシア、特殊的にロシアの荘厳かつ公的な奉献によってのみであるということを明らかになさっていますから、われわれ、署名した者は、長く望まれている奉献の行為をもたらすことを引き受けます。そのような行為(この奉献の行為を引き起こすための)は限定されるものではなく、次のことを含むでしょう:祈り、ロザリオ、この意向のためにイエズスとマリアに捧げられる犠牲、セミナー、シンポジウム、会議に参加すること、この奉献を促進するためにそのような会議を開催すること、奉献を促進するために諸々の書物、ビデオ、オーディオ・テープを平信徒、司祭たち、そして司教たちに行き渡らせること。
12.  われわれ、署名した者は、われわれが確証することができる限り、ラッツィンガー枢機卿が1984年11月に出版された雑誌 Jesus のヴィットリオ・メッソーリとのインタビューにおいて指摘されたように、聖書と教会において承認された諸々の御出現のうちに見出される第三の秘密の部分を含んでいる諸々の預言を知らせるように努力します。
13.  すべての人々が救われ、真理を知るようになることを神がお望みになる限り、そして1838年の承認された聖母の御出現において -- 聖母が、特にカトリック教徒たちの間での維持のために、そして非カトリック者へカトリック信仰を広めるために、マリアの汚れなき御心の緑色のスカプラリオを啓示なった限り、そして、神が汚れなき御心に対する信心を世界中に確立することを望んでおられる限り、われわれ、署名した者は、都合のいいときには、世界の男女、子どもたちの間に出来る限り広く緑色のスカプラリオを普及させ、他の人々が同じことをするよう励まし、すべての非カトリック者の回心と霊魂を救うためにそのように必要である、すべてのカトリック教徒のカトリック信仰の維持のためにその中で指摘されている祈りをする決心をします。
14.  聖母を喜ばせたいというわれわれの望みの見地から、ロシアの奉献が毎年12月8日の無原罪の御宿りの祝日に教皇と世界のすべてのカトリック司教たちによって更新されますように、われわれ、署名した者は、上述の日にこのロシアの奉献がなされることをうやうやしく求めます。


「神の忍耐の限度」(19)

2011年11月29日 | Weblog

附録 IV

マリアの汚れなき御心に対する提案されたロシア奉献の行為

おお、いとも聖なるおとめマリア、神の御母、教会の御母、そしてわれわれ一人ひとりの御母よ。1917年5月5日に非常な悲しみのうちに全教会の名において御身に -- 人類に平和の道を示されるように御身に願いながら -- 叫びを挙げられた教皇ベネディクト十五世に応えて、御身は1917年5月13日に、そして引き続き1917年6月、7月、8月、9月、10月の13日にファチマに来られました。御身は約束された通りに、1929年6月13日にお戻りになり、神が御身の汚れなき御心にロシアを奉献するわれらの行為をお求めになっていることを明らかになさいました。

御身はその重大な幻視でこう言われました:

「神が、教皇に、ロシアの奉献を行うように、そして世界のすべてのカトリック司教たちにそれを命じるように、お求めになる時が来ました。神はこの手段によってロシアを救うと約束なさっています。」

「イエズスとマリアに依り頼むのに遅すぎるということは決してない」というイエズスの言葉をいつも心に留めて、われわれは今、いとも聖なる三位一体とミサの犠牲の荘厳な幻視においてあの日に御身の言葉を通じてわれわれに啓示されたいとも聖なる三位一体の御意志に従うことを約束いたします。

われわれは実際、以下の償いの行為と御身の汚れなき御心へのロシアの奉献の行為とによって、御身、われらの最も愛する聖なる御母が、そのように長く望まれてきた、そして御身が約束なさった平和が与えられるように要求なさった仕方で御身の御要求に従うつもりです。

われわれは御身への感謝において、また御身の汚れなき御心に対して過去および現在に犯されたすべての罪の償いにおいて、すべての信徒の間に、御身が要求なさったように御身の汚れなき御心に対する償いの聖体拝領の五回の初土曜日の敬虔な信心を促進することを約束いたします。

われわれは、神が望まれない限り、あるいは許されない限り、何事も諸国家に、あるいは諸個人に起こらないということを知っています。われら哀れな人類は、戦争、胎児殺人、飢饉、疫病そして教会の迫害を含むあらゆる種類の悪に飲み込まれています。

われわれは今御身、われらの愛する御母にしてすべての恵みの仲介者 -- ロザリオの聖母に立ち帰ります。御身はわれわれの時代の諸悪とわれわれ、罪深い人類が正当にそれに値する近づいてくる罰に打ち勝つためのわれわれの唯一の希望です。御身の助けなしにはわれわれは自分たち自身ではこれらの悪に打ち勝つことができないということを心に留めて、われわれは今御身の助けを求めるために謙遜な嘆願のうちに御身に立ち帰ります。

-- 蛇の頭、最初からの殺人者であり嘘つきであるサタンの頭を踏み砕くために -- 神から委任を受けた方は、聖書(創世記3:15)において予告された「女」、御身です。御身はイエズスが十字架から呼びかけられ、イエズスの最後の意志および遺言のように、われらの御母としてわれわれに残された(ヨハネ 19)その同じ「女」であられます。-- そして御身は実際、太陽を身に纏われ、そしてファチマで太陽を纏われた黙示録第12章において語られたあの同じ「女」であられます。われわれがロシアを奉献するのは御身の汚れなき御心に、であります。

われわれはすべての権威が神から来ることを認めます。そして「すべての民を弟子としなさい」と神がわれわれに委ねられた権威を心に留めて、-- われわれ、使徒たちの後継者たちは、一つの民を奉献するわれわれの権威を行使します。われわれはこのようにして御身の汚れなき御心へのロシアの国の奉献を通じてロシアを神の奉仕に奉献します。

われわれは神に対する大きな罪がロシアにおいて犯されてきたことを認めます。それゆえに、われわれはこの祈りの日に国家無神論の罪、そして神なきソビエト体制がロシアにおいて犯してきたすべての神聖冒涜と不敬に対してイエズスの聖心とマリアの汚れなき御心に償いを捧げます。

われわれは、そのように恐ろしく苦しんできた、迫害され、拷問を受け、投獄され、殺されてきたロシアにおけるわれらの兄弟姉妹たちとの兄弟的な連帯において祈ります。われわれはロシアが救われるように祈ります。ロシアが聖なるカトリック信仰へ回心し、神の選みの器とされるように祈ります。

われわれは神と御身、われらの祝せられたおとめに応えて、そしてあらゆる所での信徒たちによってなされた数千万通の請願、特に実際われわれの心に近い多くのロシアの人々によってなされたこの奉献の行為の要求に応えてこの奉献を行います。

そしてわれわれは、王たるイエズス・キリストへのわれわれの世代の回心のためのわれらの熱心な祈り、そしてすべての信徒、そして特にロシアの信徒の熱心な祈りと希望が聞き入れられますように、そして御身、おお、汚れなきおとめマリアに、われわれが今、御身、おお、祝せられたおとめマリア、の最も強力な御保護のおかげで、真の平和、兄弟的な一致、すべての者に、そしてまず第一に教会に与えられるべき自由を求める希望が幸せにも達成されますようにという希望をもって、最も荘厳で公的な仕方でロシアのすべての民を御身の汚れなき御心に奉献し、委ねているわれらの献身と従順の証拠を与えます。このようにして、御身御自身の祈りとキリスト教の人々全体の祈りに一致したわれらの祈りによって、救世主イエズス・キリストの王国が全地の上に堅固に確立されるでしょう。すなわち、それは「真理と生命の王国、聖性と恵みの王国、正義の王国」です。

そして、おおいとも慈悲深い御母よ、御身の神的なる御子からわれらの精神とわれらの霊魂のための天上的な光、それによって、超自然的に高められて、われわれが皆すべての誤謬と不敬なる行為とを撃退し克服することができる力と勇気とを手にいれますように嘆願してお願いします。アーメン。


「神の忍耐の限度」(18)

2011年11月28日 | Weblog

附録 III

裏切られたシスター・ルチア(続き)

クリストファー・A.フェララ

回心の新しい意味

 われわれが見ることができるように、新しい「シスター・ルチア」は「回心」が実際何を意味するかについてひとつのまったく新しい考え方を持っている。それは「ロシアの奉献」が実際に何を意味するかについての彼女のまったく新しい考え方と一致している。回心の新しい意味について新しい「シスター・ルチア」が言わなければならないことがここにある:

エヴァリスト:
 しかし、ロシアの回心はロシアの人々のカトリシズムへの回心として解釈されないのですか?

「シスター・ルチア」:
 聖母はそのことを決して言われませんでした。事実は、ロシア、共産主義者、無神論的権力が信仰を実行することから人々を妨害していたということです。人々は今は、あるがままにとどまるか、それとも回心するか個人的な選択権を持っています。彼らはこのことを今やすることが自由です。そして多くの回心が事実起こっています....

 聖母はそのことを決して言われなかったのか?ここで新しい「シスター・ルチア」はわれわれの信仰の心臓に短剣を突き通すのである。彼女は、聖母がその母である教会のために霊魂たちを捜すためにではなく、むしろ「あるがままにとどまるか、それとも回心するか個人的な選択権」のためにファティマで地上に来られたと私たちに告げる!

 そうだとすれば、ロシアの奉献とマリアの汚れなき御心の勝利によって生み出されるはずの奇跡はカトリック信仰の貴重な賜物の受容を通じての数百万の霊魂の救いではなくて、単に「個人的選択」でしかない!真面目なカトリック者はシスター・ルチアに帰せられているこの多元論的なたわごとを信じると期待され得ないであろう。シスター・ルチアは実際にファティマで神の御母を6回見たのであり、彼らの「個人的選択」のゆえに永遠にわたって地獄において燃えている多くの霊魂を見て恐怖におののいたのである。

 新しい「シスター・ルチア」は1984年のずっと以前には全西欧世界が「個人的選択」を持っていたということを考えなかったのだろうか?母胎の中で赤ん坊を殺す「個人的選択」、避妊する「個人的選択」、離婚する「個人的選択」、ポルノに、あるいは同性愛的関係にふける「個人的選択」を。そして、もし人がますます道徳と無関係な文明にそのように傾斜した少数者の間にたまたまいるならば、カトリック者になる「個人的選択」さえ持つのだ。このことは西欧が、「シスター・ルチア」の新しい言葉の定義によれば、ロシアが回心する前に「回心した」ということを意味するであろうか?マリアの汚れなき御心の勝利は、結局、多元主義的民主主義の他の国への広まり以外の何物をも意味しないのであろうか?

 われわれは「個人的選択」のこの世俗的な「奇跡」さえロシアではこれから起こらなければならないということに注目しないわけにはいかない。反対に、われわれが見たように、ロシアはロシアの人々の間に回心する者を捜すことをカトリック教会に禁止する法律、そして「あの哀れな民族」のうちに存在している教会の自由をさえ制限する法律を制定したばかりである。それゆえ、ロシアは今日カトリック国でないことはもちろん、自由民主主義でさえない。にもかかわらず、新しい「シスター・ルチア」は、ロシアは回心しつつあると今われわれに告げているのである。

 そして、新しい「シスター・ルチア」が言っている、全ロシアで今起こっているこれら「多くの回心」はどこにあるのか?教皇の前で跪く作り話のゴルバチョフの悔い改めと同じように、それらの回心はまったくの幻想である。ロシア全土には今日たった30万人のカトリック教徒がいるだけである。ロシアにおけるカトリック教徒の数はイスラム教徒の十分の一である。もっと悪いことに、ロシア革命の時にはロシアには少なくとも30万人から50万人のカトリック教徒がいた--意味深長であるが、今日よりも数が多い--そして今日ロシアにおける教区数は1917年におけるよりも少ないのである!このように、教会は、1984年にロシアが「回心」し始めた時以来ロシアにおいてその地歩を失ってきたのである。注20

 さらに悪いことに、1984年の「ロシアの奉献」以来、カトリックによる改宗事業は単にロシアの法律によって禁じられてきたばかりでなく、ヴァティカン自身によって禁じられてきたのである。1993年にレバノンのバラマンドで、ヴァティカンの官吏たちはロシア・オーソドックス教会と一つの合同声明を取り決めた。バラマンド声明は「彼らの救いを保証するために一つの教会から他の教会への人々の回心については何の問題もない」、ロシア・オーソドックスのカトリック教会への帰還は「時代遅れの教会論」である、そしてカトリック教会は「将来のためのすべての改宗事業とオーソドックス教会の犠牲において拡張のためのカトリック教徒によるすべての望み」を排除するであろう、と宣言している。注21ファティマで聖母はロシアの回心について話された。しかし、バラマンドではヴァティカンの官吏たちはロシアの回心はもはや必要ではないということに同意した。にもかかわらず、新しい「シスター・ルチア」は今やわれわれに、ロシアは過去14年間「回心し」てきたと告げているのである!

 この底知れない状況と1531年にグアダルーペの聖母の御出現の後にメキシコで起こった真の奇跡とを比較してみなさい:すなわち、700万人のメキシコ人--事実上全民族--は9年のうちにカトリック信仰に回心した。そしてポルトガル自身においても、ファティマの聖母の御出現は、コヴァ・ダ・イリアでの太陽の奇跡の9年以内に、その民族のうちにフリーメーソン-社会主義的政府の倒壊と王たるキリストの支配の再興を引き起こしながら、同じような奇跡を働いたのである。

 しかし、これらは回心が回心を意味していた時代であった。今日、新しい「シスター・ルチア」の精神においては、世界一般の精神においては、多くの言葉が--ファティマでの神の言葉でさえも--その意味を失ってしまった。今日の教会においてわれわれは、聖ピオ10世によって「すべての異端の総合」として断罪された近代主義の毒が多くの人々の、高位聖職者たちさえの、考えの中に入り込んでしまったのを見る。そして今やそれはファティマのシスター・ルチアのかつて純粋であった証言を腐敗させている。この新しい「シスター・ルチア」は真の近代主義的様式においてすべての伝統的な言葉--奉献、回心、平和--を用いる。しかし、それらの真の意味を完全に否定する誤った新しい意味をそれらにまとわせている。

 エヴァリストの新しい「シスター・ルチア」のうちに、われわれはまた公会議後の教会における信仰と政治との間の一つの完全な混同を見る。そこでは、ヴァティカン外交と東方政策は地獄からの霊魂たちの救いのためのカトリック信仰の伝播より優先してきたと思われる。地獄はもはや言及されることさえない一つの場所である。信仰と政治、超自然的秩序と自然的秩序との間のこの混同はカルロス・エヴァリストの小冊子の新しい「シスター・ルチア」をいまだ神なき市民的政府による「個人的選択」の単なる外見の許容が「回心」の超自然的奇跡であると宣言させることへ導くものなのである。

 それでは、1984年以来ロシアと世界における恐ろしい展開を眺め、そしてそれらのうちにファティマの聖母の約束の実現を見ることができるのは、いかなる種類の「シスター・ルチア」であろうか?それはわれわれが決して知らなかったシスター・ルチアである:すなわち、その奇妙な新しい言葉が、彼女が以前に言ったすべてのことを笑いものにする一人の近代主義者シスター・ルチアである。それは近代主義者が第2ヴァティカン公会議で生み出されたと言う新しい教会のための新しいファティマである。

 ファティマのこの新しいメッセージには回心も勝利もない。あるのはただ死につつある世界の世俗的な智慧への情熱的な適応だけである。すなわち、「人々は今は、あるがままにとどまるか、それとも回心するか個人的な選択権を持っています」。カトリック信仰への回心なきロシアの回心。ファティマの聖母に対する何という侮辱であろう。そして聖母を送られた神に対する何という無限の侮辱であろう。


ファティマの第三の秘密について
 1944年にシスター・ルチアがファティマの第三の秘密を封印した封筒の中に入れ、それをレイリア・ファティマの司教に送ったとき、彼女は司教に次の約束をさせた。すなわち、どちらが先に来ようとも、彼女の死のときか、それとも1960年に、のいずれかには、それが確実に開かれ、世界に対して読まれるという約束を。ファティマの最初の司教、ダ・シルヴァ司教の個人的な友人であるカノン・ガランバはそのように証言している。彼の証言はレイリア・ファティマ司教区の司教によって指名された公式のファティマ公文書保管人であるアロンゾ神父のファイルの中に入れられている。

 1946年9月7日にポルトガルの大司教カレイェイラ枢機卿はマリア会議において、第三の秘密が書かれたこと、そして封印された封筒の中に入れられたこと、そして「1960年には開かれるであろう」ということを確証した。1946年10月におけるシスター・ルチアとの会話の中でカノン・バルタスは彼女に尋ねた。「第三の秘密はいつわれわれに明らかにされますか?」そして彼女はこう答えた。「1960年です。」カノン・バルタスが彼女に、なぜ1960年で、それよりもっと早くではないのかと尋ねたとき、彼女はこう答えた。「なぜなら、聖母がそう望んでおられるからです。」シスター・ルチアはオッタヴィアーニ枢機卿にも同じように、1960年は聖母によって選ばれた年です、なぜなら、その年には秘密が「より明瞭だと思われる」(mais claro)からです、と語った。

 1960年には全カトリック世界は第三の秘密の開示を待った。「ゼロ1960年」という題をつけたあるアメリカのテレビショーさえあった。そのテーマは期待された秘密の開示であった。しかし、われわれが知っているように、開示はなかった。1960年2月に、1957年にその秘密のテキストを受け取ったヴァティカンはポルトガルのある報道機関を通じて、秘密はヨハネ教皇によって公表を禁止され、おそらく「永遠に絶対的な封印のもとにとどまる」であろうと発表した。

 公会議後の大変動が次の35年間にわたって展開したとき、ますます増大して行く数のカトリック教徒は、第三の秘密が公会議の後の起こるであろうことを予言したに違いない、そしてそれがシスター・ルチアが、秘密は1960年には「もっと明らかになっているでしょう」と言った理由である、と確信するようになった。1960年には、第二ヴァティカン公会議が布告された。

 1992年にコインブラの修道院で、カルロス・エヴァリストの小冊子の「シスター・ルチア」がファティマのメッセージのこの局面に対してもまた、背を向けたのを見ることは何と悲しいことであろう:すなわち、

エヴァリスト:
 しかし、聖母はそれ[第三の秘密]が遅くとも1960年には公衆に明らかにされるはずではなかったのですか?

「シスター・ルチア」:
 聖母はそのことを決して仰いませんでした。聖母はそれは教皇のためであると言われたのです。

 教皇のため?それでは、ファティマの第三の秘密は、最初の二つの秘密と同様に、全世界のためであったという趣旨の、カノン・ガランバ、カノン・バルタス、ポルトガルの大司教そしてオッタヴィアーニ枢機卿に対するシスター・ルチアの陳述についてはどうなのか?シスター・ルチア自身が秘密を入れたまさにその封筒、そして雑誌『ライフ』[1/3/49]のために写真に撮られたその封筒、ダ・シルヴァ司教がその表に「この封筒はその内容と共に私の死後リスボン大司教、マヌエル(カレイェイラ)枢機卿閣下に託されるであろう」と書いた封筒についてはどうなのか?カレイェイラ枢機卿は秘密が1960年に開かれ、世界に対して読み上げられるであろうと公に確証したまさにその枢機卿である!一般に信じられているところでは教皇に宛てられていると考えられた秘密のテキストの配達品を受け取ることを1944年にヴァティカンが拒否したことについてはどうなのか?ヨハネ教皇があらゆる期待に反して、最終的に秘密を公表することを禁止した1960年に出されたカレイェイラ枢機卿の宣言についてはどうなのか?すなわち、「私は相談をうけなかったと確言する」という宣言。そして最後に、ヴァティカン自身の1960年の新聞社向け発表についてはどうなのか?それは秘密の公表禁止を告知しているが、しかし、秘密が「教皇に対して宛てられ」たということを理由としては上げていないのである。

 これらすべての出来事を通じて、そしてそれ以後の十数年間、シスター・ルチアは、第三の秘密がただ教皇に対してだけ宛てられたということを一度も示唆したことはなかった。否、それはわれわれに対して宛てられたのである。そして全カトリック世界はそのことを知っていた。実際、ブルー・アーミーが(新しい「シスター・ルチア」と並んで)ファティマ修正主義の道具となる前には、その指導者ジョン・ハッファートは秘密の予期に反した公表禁止に対するいたるところでのカトリック教徒の幻滅を表明したのである:すなわち、

 「1960年が来て過ぎ去った。そして秘密を打ち明けられた教皇はそれを公開しなかった....その沈黙はローマからわれわれすべての上に重くのしかかっている。人々は、ファティマはいかさまであったにちがいない、秘密はなかったのだ、1960年の秘密は『ひとつのわるふざけ』だった、とつぶやき始めた....[1964年には]1960年の秘密に関する長い沈黙の結果がなおとばりのようにわれわれの上にかかっているように思われる。」注22

1992年コインブラの修道院では、カルロス・エヴァリストによって世界に提示された「シスター・ルチアがファティマのメッセージを完全に修正した。われわれは、エヴァリストでさえ、この新しい「シスター・ルチア」が「ときにはほとんど狂気と思われる矛盾した、非論理的な事柄」を口にしたこと、彼の記憶がよくなかったこと、「インタビュー」全体がポルトガル語を話さえしない他の人々の記憶に基づくひとつの「再構成」であったこと、を私的に認めざるを得なかったことをすでに見た。 しかし、1993年にエヴァリストは、その大きな続編において、彼がその前の年に「再構成した」非論的で狂気じみた事柄は最も純粋な真理であると、世界に告げたのである。


第二の「インタビュー」

同じものより少なく
 1992年の「インタビュー」についてのわれわれの議論が明らかにしたように、その出版はエヴァリストにとってひとつの厳しい当惑であることがわかった。それゆえ、ファティマの最後の生き残りの幻視者の要約を裏づけるという1993年の彼の第二の試みが行われるのである。

 しかしここでわれわれは、同じものより多くではなく、同じものより少なく持つのである。1993年の「インタビュー」は1992年の「インタビュー」の半分だけの長さのもの--1時間--である。まと1993年のインタビューは、ファティマの第三の秘密が信徒全般にではなくて、教皇に宛てられたものであるという1992年の「シスター・ルチア」の申し立てられた陳述のどんな議論をも明らかに省略している。

 1993年の「インタビュー」はその実質において、ロシアが聖母の望みに従って1984年に奉献された、そしてロシアは今や「回心し」つつあるという1992年の「シスター・ルチア」の申し立てられた陳述の繰り返しを含んでいる。しかしながら、この機会に、エヴァリストは1992年のはっきり言ってとても信じられないインタビューを支えるであろう答えを出すように「シスター・ルチア」を励ますために、あくどい誘導質問に訴えている:すなわち、

エヴァリスト:
 それでは奉献が正しくなされたということは真実ですね?本当ですか?

「シスター・ルチア」:
 はい、それは本当です....奉献はなされました....

エヴァリスト:
 そしてロシアは回心し始めたのですね、違いますか?

「シスター・ルチア」:
 はい、ロシアは回心し始めました....回心....という言葉....私たちは違った風に言う人々に耳をかすべきではありません....回心という言葉....回心すること....はひとつの変化を指しています。回心はひとつの変化です。

エヴァリスト:
 そうです。

「シスター・ルチア」:
 悪からのひとつの変化....それはすべての悪が消え去るということを示しているのではなく、ただ悪から善への回心を示しているのです....


「回心」の新しい意味についてもっと
 上述の引用から見ることができるように、第二の小冊子において、「シスター・ルチア」は、ロシアの回心がカトリック信仰への回心を要求しないということを強調し続けている。彼女は今や想像上の「悪から善への回心」を引き受けようとしている。

 それでは、ロシア、請求次第の中絶の国、そして聖なるカトリック教会に対する邪悪な差別の国、は今やよいのか?そして、1984年の「ロシアの奉献」以来中絶によって6億の赤ん坊が虐殺されてきた世界の残りの部分についてはどうなのか?--世界の残りの部分は今や同じように「悪から善への回心」を経験しつつあるのか?それとも、新しい「シスター・ルチア」によって発明された「回心」の新しい意味を与えられて、全世界はすでによかったのか?

 ロシアは「回心し始めた」?ロシアはその胎児たちの生命を寛大に扱い「始めた」のだろうか?世界は全体として中絶の大量虐殺をやめ「始めた」のだろうか?世界は今日、1984年にロシアの「回心」が「始まる」前にそうであったよりももっとよくなったのか、それとももっと悪くなったのか?もちろん、たとえ「シスター・ルチア」の新しい近代主義的版が知らないとしても、われわれはこれらの問いに対する答を知っている。

 新しい「シスター・ルチア」はわれわれに、回心は「すべての悪が消え去るということを意味するのではない」と告げている。回心は少なくとも一民族が自分自身の子どもたちを母胎の中で殺すことをやめるのを要求しないのか?「シスター・ルチア」は1917年には、共産主義のロシアでさえ中絶を許していなかったということを忘れたのだろうか?われわれは今、ボルシェヴィキでさえ最初は許していなかった罪のない者たちの習慣的な日常の虐殺の罪を犯しているときに、ロシアが「回心し」つつあると信じるべきであろうか?

 信心深いファティマの幻視者である「シスター・ルチア」は、実際、共産主義によって生み出されたすべての戦争--それはロシアの諸々の誤謬のうちのたった一つである--を含む、世界史におけるすべての戦争において殺された人よりも、1984年の「ロシアの奉献」以来中絶によって奪われてきた罪のない生命の数の方が多いということに気がつかずにいることができるのだろうか?「シスター・ルチア」は、ロシアの回心の後にすべての悪が消え去るのではないとわれわれに告げるとき、「悪から善への回心」が合法化された中絶と共存することができると言おうとしているのであろうか?

 エヴァリスト氏によってわれわれに提示された「シスター・ルチア」が「回心」という言葉を、「回心した」ロシアを含む世界中の諸民族の市民的権威が母胎の中の子どもたちは人間存在ではない、彼らを欲するままに根絶してもよいと布告するような情勢に適用するとき、われわれははじめて憤慨することができるのである。われわれはファティマのメッセージの純粋性のこの汚染によってはじめてむかむかすることができる。

 しかし、新しい「シスター・ルチア」の1993年モデルは、彼女が1992年にはじめて導入した回心についての奇妙な新しい概念に関して言うべきもっと多くのことを持っている:すなわち、

 「シスター・ルチア」:
 「教皇はロシアを私に奉献するでしょう。ロシアは回心するでしょう。」そして回心は悪から善への道の変化です。「そして平和のある時期が来るでしょう。」

 それで、ロシアは今善への道にあるのか?そして西欧もまた?われわれは、新しい「シスター・ルチア」が1984年以来世界の出来事のうちに識別している善へのこの道の上に正確にいって何を見るのだろうか?われわれは、まず第一に、請求次第の普遍的中絶、避妊、合法化された安楽死、離婚、ポルノ、売春、「同性愛者の諸権利」そして空のカトリック教会を伴った現れつつあるヨーロッパ連合を見る。もしこれが「善への悪の道」であるならば、とんでもないことだが、悪への善の道は何が構成するのであろうか?聖書は厳かに忠告している。「悪を善と呼び、そして善を悪と呼ぶ者に禍あれ....」[イザヤ5:20]しかし、それはまさに新しい「シスター・ルチア」がエヴァリスト氏の小冊子においてしたことなのである。

 われわれは、それゆえに、これらのいまわしい事柄を口にしているのは、おそらくわれわれが知りそして信じているシスター・ルチアではあり得ないと結論しなければならない。ファティマで神の御母を見、聖母が彼女に許された地獄の幻視を見たシスター・ルチアは、いかなる意味においても、今日ロシアと世界の他の個所に存在している前例のない悪を記述するために「回心」あるいは「善」という言葉を決して用いないであろう。


平和の新しい意味
 1917年13日、ファティマで聖母はきっぱりと約束なさった:

「しかし、最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇はロシアを私に奉献するでしょう。ロシアは回心し、そして平和の一時期が人類に与えられるでしょう。」

 そして、ロシアの回心の結果として聖母が約束された「平和の時期」についてはどうであろうか?もしわれわれが1984年以来「平和の一時期」を持っていたならば、そのとき人は、そのとき以来、6億の罪のない犠牲を要求した胎児に対する絶えざる戦い、あるいは14年間にわたって地球のいたるところでの地域紛争の絶えざる勃発をどのように説明するのであろうか?

 インドのヒンズー国民会議派政府は1998年初頭に3回の地下核実験を行った。そしてニューデリーの人々は通りでヒンズーの戦の神に賞賛の叫びを挙げながら踊った。イスラム教国であるパキスタンは、インドとの軍備競争において自前の核実験を(先月の5月)行ったばかりである。

 これは平和であるのか?

 しかし、ここでもまた「シスター・ルチア」は古い、よく理解された言葉に対して新しい意味を見つけるのである。

 「シスター・ルチア」:
 しかし、預言において聖母が言及しておられるこの平和は、無神論的共産主義の誤謬が世界中に引き起こしていた戦争や迫害のことを言っているのです。
 ....

エヴァリスト:
 このことは正確に理解するために重要です....これはなぜ多くの人々が理解せず、世界平和は即座のものでなければならないと考えるかその理由です....

「シスター・ルチア」:
 聖母は誤謬によって....全世界における無神論的共産主義の誤謬によって促進された戦争からの平和について....無神論、....そしてそれゆえに、それは存在する最大の異端です。そしてそれは無神論的共産主義から拡がります....無神論ではなかった共産主義があり得ました....しかし、それは全世界に多くの戦争を生み出していた無神論的共産主義に言及しています。

エヴァリスト:
 今日ロシアにはなぜ平和がないのですか?なぜですか?

「シスター・ルチア」:
 今存在している戦争は事実上無神論に由来するのではなくて、市民戦争なのです。

 それゆえ、新しい「シスター・ルチア」は、ロシアの回心およびマリアの汚れなき御心の勝利に引き続くマリアの統治の平和は、ただそこにはもはや無心論者の戦争は存在せず、他のすべての戦争は衰えないで続くだろうということを意味するにすぎない、とわれわれに告げるのである!


友好的な新しい無神論
 しかし、無神論は今日世界の中になお存在しているのではないか?地球のいたるところで無神論者たちによって戦争がなお煽り立てられているのではないか?新しい「シスター・ルチア」はこの質問にも同じように答えを持っている:わかるでしょう、今日の無神論は聖なるカトリック教会を滅ぼすことを求めないより親切な、よりおだやかな無神論なのです!あなた自身でそれを読んでください:

「シスター・ルチア」:
 ....無神論は今なお存在しています。しかし、それはもはや信仰、教会、神、そして超自然的なすべてのものを滅ぼすことを欲する無神論ではないと私は思います。

 それゆえ、信仰はもはや無神論によって脅かされないのだ!

 ここで奇妙な新しい「シスター・ルチア」は新約聖書の多くのものを捨てている!聖パウロはヘブライ人への手紙(11:6)の中でわれわれにこう告げている。「神に近づく者は、神が存在されること、神を求める者には報いを賜うことを信じねばならぬ」と。それゆえに、無神論者はまさに彼らの無神論のために地獄へ行くであろう。われらの主御自身が、彼と共にいない者は彼に反する者である言われなかったであろうか?注23 それゆえに、無神論は人をキリストの敵とするのである。聖パウロは、無神論者が神の敵として断罪される者として立つと教えなかったか?なぜなら、彼は信仰のない人でさえ見ることができる自然における神の証拠に精神と心を閉ざしたからである(ローマ人への手紙1:18-21)、と。無神論は悪魔自身が促進している信条そのものではないのか?それでは、無神論者たちは、彼らがイエズス・キリストの敵であり、サタンの教義に従うものであるというまさにその事実によって、定義からして、教会の敵であるとすると、どのようにして、教会への脅威以外のものであり得るだろうか?

 無神論者たちがカトリック教会の頭であるイエズス・キリストの敵であることを考えると、そして無神論者たちがサタンの導きに従うということを理解すると、ある人にとって、新しい「シスター・ルチア」であっても、現代の無神論者たちが教会への脅威ではないと主張することはどのようにして可能であろうか?

 そしてもしこの新しい、より親切な無神論がもはや教会や超自然的なものを滅ぼすことを求めないならば、今日の世界はなぜ、何百万となく赤ん坊を母胎の中で殺す神なき唯物論的な社会における身体と霊魂の両方の死と破壊へと没頭したのか?新しい「シスター・ルチア」は答えを持たない。なぜなら、新しい「シスター・ルチア」はそのようなやっかいな質問をされないからである。彼女の質問者、エヴァリスト氏が彼の新しい「シスター・ルチア」の信憑性を保つことに関心を持っていることは自明である。新しい「シスター・ルチア」は、1992年の彼の小冊子の中で彼が最初に彼女を世界に紹介したときには彼に大きなやっかいを引き起こした。

 新しい「シスター・ルチア」によって記述されたこの新しい種類の無神論は公会議後の時期における教会の内外でのは棄教の一般的プロセスの徴候として見られなければならない。ローマ典礼の破壊、われわれの最も愛する教会の諸伝統の打倒、召命の喪失、哀れなカテキズム、個人や共同体における祈りの生活の衰退はすべて信仰の完全さと戦闘性を腐食するために結びついた。

 我らの主は聖書の中で、「あなたたちは地の塩である。塩がその味を失えば、何で塩の味をつけられようか。もう役にたたず、外に捨てられて人に踏まれるばかりである」(マタイ5:13)と私たちに警告なさらなかっただろうか?この新しいファティマ・メッセージは塩を持たず、何の役にも立たない。伝統的な信仰を失ったカトリック教徒だけがそれを味のよいものと見出すことができるであろう。そして数百万の今日の若いカトリック教徒にとってファティマの新しいメッセージは、彼らがまず第一に諸時代の信仰によって養われたことが一度もなかったがゆえにのみ、味のよいものであろう。これら数百万人のカトリック教徒は、その新しいファティマ・メッセージと共に、第2ヴァティカン公会議以後の時代の「新しい」教会--それ自身の過去を葬るように決定づけられたと思われる教会--の犠牲者である。

 この哀れな新しいファティマの「メッセージ」を考慮して、われわれは公表を禁じられたファティマ第三の秘密を明らかにするように、それだけ余計に緊急にローマに懇願するべきではないであろうか?ラッツィンガー枢機卿は198411月に、第三の秘密は「信仰とキリスト教徒の生命を脅かす、そしてそれゆえに世界の生命を脅かす危機」注24に言及しているとわれわれに告げた。

 なぜなら、もしキリスト教徒がもはや熱心な信仰をもって地に塩しないならば、神の怒りは何と言われるであろうか?その塩味を失ったキリスト教徒を、われらの主が警告なさったように、足下に踏まれることから何が防ぐだろうか?

 多くの人は第三の秘密の開示が現在の棄教からわれわれを解放するだろうと信じている。現代の棄教は明らかにエヴァリスト氏のファティマ・メッセージの塩味のない版を含んでいる。


まだ別の幻想が
 1993年のインタビューの終わりに、新しい「シスター・ルチア」は、教皇の前でゴルバチョフが跪いて悔い改めたという彼女の幻想的な物語についてヴァティカンがそれをしりぞけたことを思い出させる世界の出来事について別の観察を提供している:すなわち、

「シスター・ルチア」:
 しかし、[1984年に]私たちが核戦争の始まりにあったとき、そして突然(ママ)、諸民族が持った戦争のためのあれらの企てが....ある瞬間から別の瞬間へ、教皇が奉献をなさった瞬間にあれらの戦争の企ては....すべては変わりました!そして(ママ)これらの戦争の企ては....平和の企てへと変わりました....これらはすべてを終わらせるため、今や解放する企てへと変わった企てでした....」

エヴァリスト:
 それでは、ロシアの奉献が成就され、共産主義が崩壊したからには、平和の時代が来たのですか?

「シスター・ルチア」:
 1984年の奉献は1985年に起ったでしょう原子(核)戦争を起らないようにしました....

 「シスター・ルチア」が、もし1984年の「奉献」がなかったならば、核戦争が1985年に起っていたであろうという意見を提出した後に、この注目すべき陳述について一つの質問もなされなかったということは実際非常に奇妙である。エヴァリストはシスター・ルチアが、かろうじて避けられた核戦争についてのこの驚くべき知識をどこから得たかについては関心がなかったのだろうか?しかし、エヴァリストは1993年の「インタビュー」の間、それについて何も知ることを欲しなかった。これは最も奇妙なことである。おそらく、エヴァリストは、ゴルバチョフの回心と悔い改めと同様に、この「暴露」は精査に堪えない、そして吟味しないままにしておくのが最善であるということを理解したのであろう。

 いずれにせよ、合衆国とロシアとの間の核戦争の差し迫った危険についての1985年の新しい物語の何らかの想起を求めて彼の記憶を捜しても無駄であろう。また、過去14年間にわたる世界の出来事についてのわずかの知識をもつ人も、ロシアが大量破壊兵器の生産をやめ、そのエネルギーを「解放するための諸々の企て」に転じたということを一瞬でも信じないであろう!

 そして、新しい「シスター・ルチア」が言っている「解放の企て」とは正確には何であろうか?彼女は、ロシアが今や、イスラエルと並んで、共産中国への主要な武器供給者であるということを知らないのであろうか?注25 中国ではカトリック教会が地下にもぐることを強いられ、また司教や司祭たちが教皇と一致するカトリックであるという「犯罪」のために逮捕されているのである。新しい「シスター・ルチア」は、ロシアが今なお全世界を何度にもわたって破壊するに十分な核兵器を所有していること、そしてロシアにミサイルが数千基もサイロの中で「警戒態勢」にあるということを知らないのだろうか?

 事実、合衆国のある主要なテレビニュースショーが、1995年1月に、ロシアがその早期警戒レーダーで、間違った警告に反応して合衆国に対する核発射の2分以内に来たということを明らかにした! 注26 合衆国上院議員サム・ナンは、ロシアの核兵器は「少しの刺激にすぐ反応を示す」状態にあるということ、そして人間的誤謬あるいは誤った判断による核戦争の危険は「冷戦」の間よりも大きいということを公に述べた。注26

世界の状況についてのこれらの冷厳な事実のどれ一つコインブラの修道院には入り込んでいなかったように見える。そこでは、新しい「シスター・ルチア」がエヴァリスト氏を通じてわれわれに、平和状態にある世界、善への回心の道について告げている。しかしわれわれは、新しい「シスター・ルチア」によって記述されている世界はわれわれが住んでいる世界ではないということを知っている。それは、ひとつの幻想の世界であり、そこでは棄教が回心であり、悪が善であり、戦争が平和である。


ファティマの新しいメッセージ
 エヴァリスト氏の小冊子のページからわれわれに話しかける新しい「シスター・ルチア」によってその鍵になる言葉に与えられた新しい意味から出て来るファティマの新しいメッセージを、結論として要約することはよいことであろう:すなわち、

・ロシアの奉献は、ロシアが言及されることが必要であるということを意味しない。

・ロシアの回心は、ロシアがカトリック信仰を持つ、あるいは実際なんらかの宗教的信仰を持つことを意味しない。それはただ、ロシアが、西欧の神なき多元主義的社会とまったく同じように、「個人的選択」を許すということを意味するにすぎない。また、ロシアの回心は、ロシアが母胎の中で赤ん坊を殺すことをやめること、あるいはカトリック教会に真の自由を与えることを意味しない。

・もしロシアが回心するならば、ファティマで聖母が約束された平和は、無神論によって引き起こされる戦争がやむことだけを意味する。しかし他のすべての戦争は衰えずに続くであろう。

・今日の無神論は聖なるカトリック教会の敵ではない。

 注意深い読者は、この新しい近代主義的なファティマのメッセージがわれわれに約束しているものは、今日それをわれわれが見ているのとまさに同じ状態にある世界-母胎の中で数百万の赤ん坊を殺している社会、王たるキリスト、あるいはその后である御母を認めることを拒否する社会、そして聖なるカトリック教会の教権を拒絶する神なき、多元主義的な社会の世界--にほかならないということに気がつくであろう。

 そうだ、ある驚くべき符合によって、エヴァリストの小冊子におけるファティマの新しいメッセージは現れつつある新世界秩序の現状(status quo)と完全に一致するのである。

 他の驚くべき符合によって、ファティマの新しいメッセージはまた、あるヴァティカンの官僚たちによって思う存分促進されている東方政策と「エキュメニカルな兄弟の縁」に完全に奉仕している。彼らはもはや、地獄、回心そしてマリアの汚れなき御心の勝利のような事柄については語らないのである。

 エヴァリスト氏が、共産主義と世界の誤った諸宗教に対する新しいヴァティカンの政策の立案者であるカザロリ枢機卿による親切な待遇を自慢していたことを考えるとき、この好都合な符合の上にある光が投げかけられる。

 ファティマで、エヴァリスト氏はヴァティカンにおける高い地位にいる彼の友人との友情のそぶりにおいて見られることができた。おそらくこのことは、シスター・ルチアにはまったく見知らぬ者であったはっきりしない平信徒がどのようにファティマの最後の生き残りの幻視者に前例のない接近をすることができたかを説明している。一方では、単なるカトリックの大司教や司教はラッツィンガー枢機卿あるいは教皇自身からの許可なしには彼女と話すことを禁じられているのである。

 それゆえ、ファティマのこの新しいメッセージにおいては、汚れなき御心の勝利やマリアの統治はヴァティカン自身が促進している非カトリック的な「愛の文明」における普遍的多元主義的民主主義以上のものではなくなっている。すべてよしである。

 しかし、すべてよしではない。世界はますます反抗的になってきている。来つつある黙示録のしるしは時間ぎめでますます明白になっている。世界は何かが恐ろしく間違っている。そしてコインブラの修道院では何かが恐ろしく間違っている。

 1992年10月11日そして1993年10月11日に再び、カルロス・エヴァリストに話したのは、ファティマの最後の生き残りの幻視者、シスター・ルチア・デ・ヘススだったのか?それは問題ではない。なぜなら、たとえ声が彼女に属していたとしても、言葉はそうではなかったからである。それらの言葉は確かに、80年以上も前にコヴァ・ダ・イリアで聖人のような少女に託された神の言葉ではない。その少女は地獄の火を示され、ほとんど近づいている大きな懲罰について話されたのである。

 ファティマの新しいメッセージは、伝統的なカトリック信仰を堅固に保っている人、あるいは実際シスター・ルチア自身が、申し立てられているエヴァリスト氏との出会い以前に75年の間繰り返し宣言していたことを堅固に保っている人によってはその良心において受け入れられることはできないであろう。われわれは、ファティマのこの新しいメッセージの中に、一つのことを言うが、しかしまったく別のことを意味する近代主義の大きな異端の混乱と自己矛盾のすべてを見る。われわれは、実際、まさにエヴァリスト氏自身が認めたことが新しい「シスター・ルチア」の陳述の中にあったのを見るのである:すなわち、

 「....時にはほとんど狂気とも思われる矛盾し、非論理的な事柄」を。注27

ファティマにおいて聖母は「もし私の要求が聞き届けられないならば....さまざまな民族が絶滅させられるでしょう」と警告なさった。まさに自らを絶滅させることに熱中しているように見える世界--それは、十分にそれに値する神の懲罰にますます近づいている--において、単に信仰ばかりではなく、思慮そのものが、エヴァリスト氏がファティマの「シスター・ルチア」の言葉としてわれわれに提示しているものを拒否するように命じているのである。

注は省略しました。ご覧になりたい方はhttp://www.d-b.ne.jp/mikami/diap3.htmへ。


「神の忍耐の限度」(17)

2011年11月27日 | Weblog

附録 III

裏切られたシスター・ルチア

クリストファー・A.フェララ

前置きの註*

 5世紀に聖ヒエロニムスはヘルヴィディウスという無名で無教育の青年によって書かれた粗雑な小冊子を突きつけられた。その青年は祝せられたおとめマリアの永遠の処女性を否定した。聖ヒエロニムスはヘルヴィディウスの薄弱な議論を覆しながら、彼に最後に答えたけれども、この偉大な聖人は最初は「答えることによって、彼が論駁を要求する危険を持ち出したということを私が認めなければならないのではという恐れのために」躊躇した。
 同じ種類の問題が、カルロス・エヴァリストというひとりの人間によって1992-1993年に作られた2冊の粗雑な小冊子に呼びかけることによって起こる。彼はポルトガルの無名の青年で、シスター・ルチアにその閉じこもった修道院において二回の別の機会にインタビューをしたと主張している。エヴァリストによれば、これら二つの「インタビュー」において、シスター・ルチアは過去75年間に彼女がファティマのメッセージについて言ったすべてのことを本質的な点において撤回した。

 5年近くの間その小冊子は正当にもカトリックおよび世俗の報道機関によって無視されていた。それは直ちに、有名なフランスの「ファティマ学者」フレール・フランソワ・ドゥ・マリー・デ・ザンジュを含む指導的なファティマ専門家たちによってばかげたこととしてすっぱ抜かれたのである。しかしながら、1998年には、その小冊子は新しい表をつけられ、かなりの評判を得た。

 この展開はエヴァリスト氏の悪名高い小冊子に対する以下の論考をわれわれに書かせるよう促した。われわれは、聖ヒエロニムスと同じように、「彼が論駁を要求する危険を持ち出したということを認めなければならない」けれども、彼の小冊子に対する最近の評判は、エヴァリストがシスター・ルチアの言葉として提出したファティマ・メッセージのあくどい矛盾にわれわれが発言することを要求している。

 シスター・ルチアはロシアの奉献と回心そしてファティマの第三の秘密についての以前の彼女の陳述のすべてを否認したのであろうか?それとも、エヴァリスト氏はわれわれの周りに姿を現しつつある「エクマニア=全キリスト教会一致運動狂」と新世界秩序の諸要求に応じるために都合よく改訂された「新しい」ファティマ・メッセージの運搬人であろうか?フェララ氏によって整理された証拠と議論を読んであなた自身で決定してください。

* ファチマ・クルーセイダーの編集者による。

 

序論
 この論考はファティマの聖母の御出現の最後の生き残りの幻視者であるシスター・ルチア・デ・ヘスス(カトリック者にはシスター・ルーシーとして知られている)--彼女は現在、ポルトガル、コインブラのカルメル会修道院に閉じこもっている修道女として生きている--との二つの「インタビュー」だと言われているものの詳細な議論と分析を提供するものである。そうだと主張されているインタビューは1992年10月11日と1993年10月11日に自称「ジャーナリスト、歴史家、解説家」のカルロス・エヴァリストという人物によって修道院で行われたと申し立てられていた。

 エヴァリストは『シスター・ルチアとの二時間』および『すべては二時間から始まった』という表題を持つ二冊の小冊子という形でそのインタビューを公刊した。その小冊子は非常に大きな論争に火をつけた。なぜなら、それらの小冊子の中では、シスター・ルチアはファティマのメッセージと教会および世界に対するメッセージの意味に関して過去75年にわたって彼女がなしてきたすべての陳述を完全に否定したと報告されているからである。

 申し立てられたインタビューを詳細に検討する前に、それらの制作と出版をめぐる状況を要約することが最もよいであろう。


オリジナルの小冊子
 1992年10月11日、カルロス・エヴァリストは次のような驚くべき主張をするために、ポルトガル、コインブラにある有名な修道院から出て来た。すなわち、自分は今シスター・ルチアのインタビューに二時間を費やした、そしてこの「インタビュー」の間に、彼女は、マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献、ロシアの回心そしてファティマの第三の秘密に関する過去75年にわたる彼女の公的ならびに私的な陳述のすべてを否定した、という主張である。

 エヴァリストに従えば、「新しい」シスター・ルチアは、およそ75年間にわたる以前の文通、会話、公表された意見において彼女が言ってきたすべてに反して、今や、ロシアは(1984年に)マリアの汚れなき御心に奉献された、ロシアは「回心しつつ」ある、「回心」はカトリック信仰を持つことを意味しない、そしてファティマの第三の秘密は1960年に信徒に明らかにされることは意図されていなかった、と言っていた。

 エヴァリストは間もなくこの最初の「インタビュー」を『シスター・ルチアとの2時間』という表題の粗雑に作られた小冊子の形で出版することにした。その小冊子の信頼性はただちに、エヴァリストが自分の説明を美しく飾った次のようなひとつの明らかにばかげた「詳細」によって疑問視された:すなわち、

 「シスター・ルチアのすぐ傍、そして直接その前に坐ったカルロス・エヴァリストは2時間のインタビューのほとんどの間、シスター・ルチアの手を取っていた。」注1

 シスター・ルチアは、彼女の血縁の親族だけにでも会うことは許されていない閉じこめられた修道女である。彼女がこれまでに一度も会ったことがない見知らぬひとりの男と2時間手を取り合っていたという主張は一見して笑止千万であったし、また信じることは不可能であった。

 同じように、全体としてその「インタビュー」は信じることができない。実際、エヴァリストの申し立てている「シスター・ルチア」とのエヴァリストの会見のただ一人のポルトガル語を話す証人、フランシスコ・パチェコ神父(司祭であり弁護士である)はその小冊子をその全体において次のように否認した:

 「私は2時間続いたこの会見の公式の通訳であった。私はカルロス・エヴァリストによって出版された『シスター・ルチアとの2時間』という表題の小冊子が嘘と半分の真理を含んでおり、信じられるべきものではないということを、明確に断言する。私が、1993年1月に最初にコピーを示されたとき、すぐにカルロス・エヴァリストと接触し、個人的に彼に、この小冊子は、彼がその中に書き込んだ大きな嘘のゆえに、この小冊子を公刊しないように、告げた。私はこのことがカルロス・エヴァリストと彼の悪名高い小冊子によって引き起こされた混乱を終わらせるであろうと信じる。」注2

 パチェコ神父の他に、他の二人の証人が申し立てられた1992年の「インタビュー」の間同席しておられた。しかし、彼らのどちらもポルトガル語は話されない。それはアンソニー・パディヤラ枢機卿とフランシス・ミカエラッパ司教である。インドから来たお二人はニコラス・グルーナー神父のファティマ使徒職の招待でマリア会議に出席するためファティマに来ておられた。そして彼らはエヴァリストおよびパチェコ神父と一緒にコインブラの修道院に行かれた。後になって、パディヤラ枢機卿は、自分は「インタビュー」の間、同席していたということを証言なさった。その「インタビュー」は枢機卿が理解することができなかった言語で行われた。ミカエラッパ司教に関しては、彼は「インタビュー」の真正性を保証することを拒否なさったばかりでなく、エヴァリストがそれを公表しないように要求する点でパチェコ神父に加わられた。

 パチェコ神父はなぜ『シスター・ルチアとの2時間』を公に否認したのか?そして彼もミカエラッパ司教の二人もなぜそれがエヴァリストによって公表されないことを要求したのか?その答はエヴァリスト自身によって提供された:すなわち、『ファティマ・クルーセイダー』の編集者、コラリー・グレアムへのファックス伝送の中で、エヴァリストは、自分が「シスター・ルチア」に帰した陳述が以下のことを含んでいることを認めた:すなわち、

 「....時々、ほとんど狂気とも思われる矛盾した、非論理的な(ママ)事柄」を。(図1を見よ) 同じファックスの中でエヴァリストはさらにこう認めた:すなわち、「対話はそのとき記録されなかった。ノートは取られなかった。」(図2を見よ)「インタビュー」における信用のどんな痕跡をも破壊するためであるかのように、エヴァリストは、彼の記憶があてにならないゆえに「インタビュー」の「写し」は彼の記憶を反映しておらず、他の人の記憶から「再構成され」(!)たということを承認さえしている:すなわち、

 「私は記憶力が弱いであろうけれども、言われたことのこの再構成は主として私によってなされたのではない。私はただそれをタイプしただけである。」(図3を見よ)

 これは破壊的な承認である。なぜなら、もし「写し」が、「シスター・ルチア」が言ったと申し立てられていることについてのエヴァリスト自身の記憶に基づいていなかったのであれば、そしてもしパチェコ神父--ポルトガル語を話すただ一人の証人である--が、「嘘と半分の真理を含んでおり、信じられるべきものではない」がゆえに、「写し」を拒否したのであれば、そのとき、「写し」の唯一可能な出所はパディヤラ枢機卿とミカエラッパ司教である--彼らのどちらもポルトガル語を一語も話さない--。

 しかし、『シスター・ルチアとの2時間』のどこにも、シスター・ルチアとの「インタビュー」の「写し」が実際全然写しではなく、インタビューされる人の言語を話すことさえできなかった人々の記憶からの「再構成」であるとは公に一度も語られなかったのだ!


エヴァリスト再びトライする
 『シスター・ルチアとの2時間』においてシスター・ルチアに帰せられた笑うべき陳述の堂々とした公の批判に続いて、エヴァリストは第二の小冊子を作った。彼はそれに『すべてはシスター・ルチアとの2時間から始まった』という表題をつけた。その続編はただ最初のでっち上げられた「写し」を再発行したにすぎない。しかし、今回は1993年10月11日--最初のインタビューのちょうど1年後--に行ったと申し立てられたもう一つの「インタビュー」でもって支えようと試みている。この2番目のインタビューにおいては、シスター・ルチアに帰せられた意見は最初の「インタビュー」におけるそれよりも短くてまたより漠然としている。そして彼女は、第三の秘密が信徒に明らかにされることは意図されていなかったということについての彼女の意見を繰り返していない。

 報道機関によって正当にも無視された最初の小冊子とは対照的に、1993年の続編は、1998年にはスペインのテレビショーの取材、雑誌『キリスト』(ポルトガル)および『ジェンテ』(イタリア)における論考を含むかなりの評判を得ていた。その続編がそのような評判を得たということはその明白な信じられないことを拒否することをかなり緊急性のある問題とするものである。

 エヴァリストは、第二のインタビューは彼自身と申し立てによると一人の枢機卿を含む8人の証人の同席のもとに録音とビデオ録画で行われたと主張している。申し立てられたオーディオおよびビデオのテープは、しかしながら、公に利用できるものとはされなかった。

 エヴァリストはさらに、この第二のインタビューは、枢機卿(フィリッピン、セブ島のリカルド・ヴィダル枢機卿閣下)が、エヴァリストを含む9人の人々のグループが車に飛び乗り、ビデオカメラとテープレコーダーをもって夜遅く9時にシスター・ルチアを訪問するということを、自発的に決定なさった後で、修道院院長への1時間の予告のもとになされた、と主張している!われわれはこう告げられる、この大急ぎで集められた群衆は、その装備とともに、通常はその時間には眠っているであろう86歳の修道女にインタビューするために午後10時半に世間から隔離された修道院に入ることを許された、と。

 最初のインタビューでもそうであったように、読者は「シスター・ルチア」が、エヴァリスト氏と彼の証人たちに語る以前に75年間以上もファティマのメッセージについて、公にも私的にも言ってきたすべてのことを今や否定していると信じるように要求される。

 1人の枢機卿と7人の他の証人たちは「シスター・ルチア」の1993年の 自発的な、夜遅くのインタビューにたぶん同席していたであろうけれども、エヴァリストの続編は、十分奇妙なことに、1993年のインタビューの「写し」が「シスター・ルチア」がたぶんその機会に言ったことを正確に反映しているということを、これらの申し立てられた証人たちによるいかなる確証も含んでいないのである。

 この論考の目的は、「シスター・ルチア」のこれら二つの「インタビュー」のうちに含まれている信じがたい「撤回」をどの理論が最もよく説明しているかについてなんらかの最終的な結論を引き出すことではない。「シスター・ルチア」の、彼女自身の陳述の撤回がエヴァリストの側での裏切りに帰せられ得るかどうか、あるいはコインブラの修道院で彼がインタビューしたと申し立てている修道服を着た女が(ある人が理論を立てたように)ペテン師であるかどうか、あるいは彼女に帰せられている事柄を言ったのは実際にシスター・ルチアであったが、しかし強要、彼女の上長たちの暗示への従順の結果としてだけそうであったかどうか、あるいは他の人々の説得と結びついた、精神的鋭敏さの衰弱の結果としてそうであったかどうか、を決定することは、われわれの目的にとって必要ではない。

 どのようなシナリオが選ばれようとも、結論は同じである:すなわち、シスター・ルチアは彼女の「撤回」を促進している人々によって裏切られたのだ。

 この論考はこの裏切りのためのある特定のシナリオを事実として確立することを求めているのではなく、裏切りが起こらなければならなかったということを証明することを求めている。なぜなら、1992年および1993年の両年の「インタビュー」においてシスター・ルチア・デ・ヘススに帰せられた陳述は以下の理由で、単純に信じるに値しないからである。

 まず第一に、それらはファティマのメッセージそのものに矛盾する。それは、ラッツィンガー枢機卿が指摘されたように、「三人の教皇がすでに最も荘厳な仕方で可能であるとお認めになったし、またこの信心に熱心に参加されてきた」注6ものである。

 第二に、それらはメッセージについてシスター・ルチア自身が繰り返してきた以前の陳述とエヴァリストの「インタビュー」の前に75年の時期を越えるその意味に矛盾する。

 第三に、それらは、1984年の教皇の世界の奉献(しかしロシアを特定した奉献ではない)およびそれ以後の想像上の「共産主義の崩壊」以降の世界の徹底的な道徳的および精神的な堕落に関するわれわれ自身の感覚の証拠に矛盾する。


最初の「インタビュー」:シスター・ルチアとの2時間
 すでに見たように、『シスター・ルチアとの2時間』という小冊子の最も明白な問題は、それがシスター・ルチアが言ったと申し立てられていることの「再構成」でしかないものを、逐語的な「写し」として欺瞞的に提出しているということである。それは、エヴァリスト自身の記憶に基づいているのではなくて、ポルトガル語を話しさえしない「証人たち」の記憶に基づいているのである。最初の小冊子はこの決定的な事実に決して言及しないで、読者を、「シスター・ルチア」が一語一語引用されていると信じるように導くのである。

 ただ続編の小冊子『すべてはシスター・ルチアとの2時間で始まった』においてのみ、エヴァリストは最後に、彼が公衆に逐語的な写しとして提供したものがひとつの架空の再構成であることを認めた:すなわち、

 「これ[最初のインタビュー]は言葉通りの翻訳ではない。それは概念的な翻訳である。この文書で用いた言語は実際のポルトガル語の対話に基づいている....?」

エヴァリストは「概念的」翻訳によって何を意味しているのであろうか?彼が、翻訳は「実際のポルトガル語の対話」に「基づいて」いると言うとき、何を意味しているのであろうか?そしてなぜエヴァリストは、彼の大いに自慢している「シスター・ルチア」の「インタビュー」--それは世界中に多くの論争を引き起こし、憤慨すら巻き起こしている--が、単に概念だけを含み、彼女の実際の言葉を含んでいないということを、最初に公衆に知らせそこなったのか?

 会話の概念的再構成が公衆に逐語的な写しとして提供されたということは、その著者によるいかなる制作品とも同様に最初の小冊子を完全に疑わせるに十分であろう。続編の小冊子における明白にでっち上げられた「インタビュー」の再出版は今日その信頼性を改善するために何ら役立たないし、「シスター・ルチア」の「インタビュー」が行われたと申し立てられた5年後にはもっと役立たない。 今のところ最初の「インタビュー」の信頼性に関する明白な問題を一時やめておいて、読者は今やエヴァリストが「シスター・ルチア」についての彼の1992年版に帰している言葉をそれ自体単純に考察することへと招かれる。


ロシアの奉献について
「シスター・ルチア」:
 はい、はい、はい。....ロシアの奉献はすでに部分的になされました。教皇ピオ12世は1942年10月31日にそれをなさいました。しかし、それは世界の全司教との一致を欠いていました。それを教皇ヨハネ・パウロ2世は1984年に最終的に一致を成し遂げられました。

エヴァリスト:
 それではこの奉献[1984年]は聖母によって受け入れられたのですか?

「シスター・ルチア」:
 はい!注8

 われわれはどのようにして、エヴァリストが今や認めていることがでっち上げられた「写し」であるということを、1982年の奉献も1984年の奉献も聖母の要求を満たさなかったという趣旨のシスター・ルチアの以前の陳述のすべてと、調和させるべきであろうか?

 例えば、スペインにおけるブルー・アーミーの公式出版物である『ソル・デ・ファティマ』における1985年9月のシスター・ルチアのインタビューがある。

質問:
 ヨハネ・パウロ2世はロシアの奉献に参加するようすべての司教を招かれました。教皇はその奉献を1982年5月13日にファティマでなさろうとしておられたのです。そして教皇はその奉献を、ファティマの聖母のオリジナルな御像の前で、1984年3月25日にローマで聖年の終わりに更新されました。それゆえ教皇はトゥイで要求されたことを果たされたのではないですか?

「シスター・ルチア」:
 そこではすべての司教の参加がありませんでした。そしてそこにはロシアへの何の言及もありませんでした。

質問:
 それでは、奉献は聖母が要求なさったようにはなされなかったのですか?

「シスター・ルチア」:
 はい、なされませんでした。多くの司教はこの行為を何ら重要視しませんでした。  『ソル・デ・ファティマ』紙のインタビューにおけるシスター・ルチアの陳述は、マリアの汚れなき御心へのロシアの有効な奉献についての彼女の以前の他の陳述のすべてと完全に一致している:すなわち、(a)奉献は教皇によって、荘厳にそして公的になされなければならない。(b)世界のすべての司教と一致して。そして(c)ロシアに特別に言及して。

 これはまさに、その年の5月13日に教皇が計画なさったその奉献がどのように遂行されるべきかを論じるために、シスター・ルチアがポルトガルの教皇使節サンテ・ポルタルピ師に、彼が1982年3月21日に彼女に会ったとき、語ったことである:すなわち、

 「シスター・ルチアは、教皇が全世界の司教に、償いとロシアの奉献の荘厳なそして公式の儀式を、それぞれ各人自身のカテドラルで、そして教皇と同じ時間に、行うように命令する日を選ばなければならないと説明した....」注9

 あたかもそのことが十分ではないかのように、1982年5月12日、企てられた1982年の奉献の前日に、『オッセルヴァトーレ・ロマーノ』紙(イタリア語版)はサレジオ会司祭ウンベルト・マリア・パスクアーレ神父--彼は「1939年以来ファティマの幻視者の親しい友人」注10であった--によるシスター・ルチアとの1978年のインタビューを公表した。1978年8月5日のインタビューの間に、彼女はウンベルト神父に明確な言葉で、聖母が世界一般の奉献を要求しておられるのではなくて、特別にロシアの奉献を、そしてただロシアだけの奉献を要求しておられると語った:すなわち、

 「あるとき、私は彼女に言った。『シスター、ひとつ質問したい。答えることができなければ、それでよい。でも答えることができるならば、とても感謝しますよ。....聖母はご自分の汚れなき御心への世界の奉献についてあなたに話されたことがありますか?』『いいえ、ウンベルト神父様!一度もありません!1917年にコヴァ・ダ・イリアで聖母は約束なさいました。私はロシアの奉献を求めるために来るでしょう、と。....1929年にトゥイで、約束なさったように、聖母は私に、あの国(ロシア)の奉献のために教皇に求める時が来た、と告げるために、戻って来られました。』」注11

この会話の後、ウンベルト神父はシスター・ルチアにこの明確化を書き留めるよう求めた。彼女の手書きのノートはカヴァレイロ・ダ・イマクラードによって作られた1980年の小冊子の中で初めて公表された。それは「世界」の奉献がファティマでの聖母の要求を満たすには不十分であったことを明白に確証していた。それはシスター・ルチアが後に1982年および1984年の両方の奉献の儀式の後に言ったことと同じであった。次のものは1980年4月13日にシスター・ルチアによって書かれたウンベルト神父宛の手紙の翻訳である。

 「ウンベルト神父様
 あなたの御質問に答えて、明らかにしましょう。ファティマの聖母は、その御要求の中で、ただロシアの奉献にだけ言及されました。--私の告解聴聞者の命令で--私が教皇聖下ピオ12世に書いた手紙の中で、私はロシアに明確に言及しての世界の奉献をお願いしました。敬具そして祈りのうちに。コインブラ、1980年4月13日 署名 シスター・ルチア」(図4に直筆の複写あり)

 ここでシスター・ルチアは全教会に対して世界の奉献はファティマのメッセージにとって本質的ではないということ、またせいぜいのところ、彼女の告解聴聞者の示唆を表すものであるということを確証している。この示唆は、シスター・ルチアが1940年12月2日の彼女の手紙の中でピオ12世に宛てて(ロシアに加えて)世界の奉献を求めるようにというグルザの司教の命令から結果したと思われる。注12

まさに1982年に試みられた奉献がロシアへの何らの言及もしなかった(そして司教たちが参加しなかった)ゆえに、シスター・ルチアは1983年3月19日に教皇使節に次のように語ったのである。 「ロシアの奉献は聖母が要求なさったようにはなされませんでした。私はこの陳述を前にはすることができませんでした。なぜなら、私は聖座の許可を得ていなかったからです。」注13

エヴァリストでさえその続編の小冊子の中で、1982年の奉献が「司教たちの参加がなかった--そのことは奉献を無効にする--」注14がゆえに、不十分であったと認めている。

実際、教皇はロシアに言及することさえせずにどのようにしてロシアを奉献することができようか?そのような考えは単純な論理と常識に反する。それにもかかわらず、1992年10月にカルロス・エヴァリストに語ったと申し立てられている「シスター・ルチア」はこの奇妙な説明を与えたが、それは彼女が以前に言ったすべてのことに矛盾している:すなわち、

エヴァリスト:
 しかし、ロシアは特殊的に言及されるべきではなく、そして聖母はこのことを言われなかったのですか?

「シスター・ルチア」:
 「教皇様が1984年の奉献のテキストにおいて『これらの人々....』と言われたとき、その意図はロシアでした。神は教皇様の意図がロシアであったこと、その奉献において教皇様はロシアを意味しておられるということを御存知でした。大切なことは、司祭がホスチアを聖別する意図を持っているように、教皇様の意図です。」

 しかし、「シスター・ルチア」が知ることを期待されるべきであるように、ホスチアを聖別するための口に出されない単なる意図は単なるパンをキリストの体へと聖変化させるには不十分なのである。それがまさに重要な点である。すなわち、司祭は最後の晩餐におけるわれらの主の命令を遂行するためにある特殊の言葉--これは私の体である--を声を出して言わなければならない。他のいかなる言葉も絶対にその代わりとなることはない。

 その最初の小冊子において、エヴァリストは「これらの人々」という言葉が「ロシア」というきわめて重要な言葉と同じようによいものであるという決定的な事実を言及することを避けている。ヨハネ・パウロ2世は、聖ペトロ大聖堂広場での1984年の奉献文を唱えておられる間に「これらの人々」という言葉を言われた後で、準備されたテキストに次のような言葉を自発的につけ加えられた:すなわち、

 「あなた御自身がわれわれの奉献と委託を待っておられる....[これらの人々]」

そのつけ加えられた句が1984年の世界の奉献の前に印刷された、準備されたテキストには現れていないのに、『オッセルヴァトーレ・ロマーノ』注15において、教皇が実際に言われた報告には現れている。教皇のテキストへの自発的な付加が確証しているように、「これらの人々」--ロシアの人々--は1984年3月25日の汚れなき御心への奉献をいまだに待っていたのである。ロシアはその日には聖ペトロ大聖堂広場において奉献されなかった。なぜなら、いかなる理由のためであれ、教皇は名前を挙げてのロシアの奉献は適切でないと決定されたからである。

 このことはイタリアのカトリック司教新聞『アヴェニーレ』におけるリポートによって明らかに確証されている。その新聞は、教皇聖下は、奉献文を朗読された数時間後に、今回は聖ペトロ大聖堂の内部で、1万人の証人たちの面前で次のように述べながら、再びファティマの聖母に呼びかけられた:すなわち、

 「私たちはこの日曜日を世界の、....すべての人々の、特にこの奉献と信頼の非常に大きな必要性を持っている人々の、あなた御自身がわたしたちの奉献の行為を待っておられるそれらの人々の、信頼と奉献の行為のために選ぶことを望みました。」注16

 それゆえ、聖ペトロ大聖堂広場において教皇聖下が1984年の奉献文を朗読された数時間後に、教皇は、ロシア(「これらの人々」)がマリアの汚れなき御心への奉献を今なお待っているということ、そして教皇がその行為をいまだなおなすべきであるということを明らかに理解しておられたのである。そして、先の引用ですでに示したように、1985年9月にシスター・ルチアは雑誌『ソル・デ・ファティマ』において、1984年の奉献の儀式は聖母の要求を満たさなかったと公に述べたのである。

 いずれにせよ、神がある特定の事柄の公的な奉献をお命じになるとき、それは公衆に対して言及されなければならないということは明らかであろう。ロシアに言及さえしないロシアの公的奉献は、それゆえに、ぜんぜん公的奉献ではなく、単なる私的な、口に出して言われない望みにしかすぎない。こうも主張できるかもしれない、すなわち、教皇はヴァティカンの庭を散策している間に、単に心の中で考えることによって、マリアの汚れなき御心にロシアを公的に奉献することができるであろう、と!その考えは笑止千万である。

 しかし、「新しい」シスター・ルチアによって今や採用されているのはまさにこの笑止千万な考えである。その彼女は過去70年間特殊的なロシアの奉献の要求について言ってきたすべてのことを否定しているのである。

エヴァリスト:
 しかし、聖母はロシアが特殊的に言及されることを望んでおられるのではないのですか?

「シスター・ルチア」:
 聖母はロシアが名前を挙げて特殊的に言及されることを決して要求なさいませんでした(!)当時私はロシアが何であるかさえ知りませんでした。私たち[すべて三人のファティマの幻視者]はロシアがとても邪悪な女だと思っていました(!)

 今やわれわれは、これらすべての年の後に、聖母が御自分の汚れなき御心へのロシアの奉献を要求するためにファティマへ来られたとき、ロシアが言及されるかどうかさえ御心配にならなかったと信じるべきであろうか?天の元后がファティマの幻視者たちに、ロシアは何か「邪悪な女」ではなくて、一つの民族であるということを明らかにすることをおろそかにされたということがありそうに思われるだろうか?

 われわれは、このことが真ではあり得ないということを容易に、1957年12月26日、ヤチンタとフランシスコの列福調査の副請願者であったフエンテス神父に対するシスター・ルチアの陳述に基づいて、知っている:すなわち、

 「神父様、いとも聖なるおとめは、よい人も悪い人もだれひとり御自分のメッセージに注意を払わなかったので非常に悲しんでおられます。よい人々は自分たちの道を続けていますが、しかし聖母のメッセージにはどんな重要性も与えません。神父様、彼らに告げてください、いとも聖なるおとめは私自身にと同様に、いとこのフランシスコとヤチンタに、多くの民族が地の表から消え去るでしょうと告げられました。聖母は、もし私たちが前もってあの可哀相な民族の回心を獲得しないならば、ロシアは世界全体を罰するために天によって選ばれた懲罰の道具となるでしょうと言われました。....」注17

この陳述だけで、ファティマの幻視者たちが、最初からファティマ・メッセージのまさに本質が現代において働いている神の恩寵のしるしとしてのロシアの民族の回心を要求しているということを理解していたということを、あらゆる論争を越えて確証している。

 その上、ファティマにおける御出現についての四つの詳細な手記の中でシスター・ルチアは「ロシア」という言葉の意味についてほんのわずかの混乱も決して示したことはなかった。また、われわれは、シスター・ルチアが、ファティマの幻視者たちはロシアが、その民族の回心と世界における平和をもたらすであろう奉献の特殊的行為のために、神によってひとつだけ選び出された民族であるということをそもそもの初めから理解していなかったということを暗示するエヴァリストの1992年の「インタビュー」以前には、世界の中のだれかに書いたあるいは言ったことを何ひとつ見出すことはできない。

 しかし、その新しい「シスター・ルチア」は今や、ファティマの幻視者たちが皆、聖母が彼らに告げられたことの最も基本的な意味を知らなかった、そして神御自身が彼らの無知について彼らに真実を何一つ告げられなかったと主張しているのである!もちろん、このことは完全に不可能である。それゆえに、コインブラの修道院では何かがひどく間違っているのである。

 いずれにせよ、マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献のように重要な行為--祝せられた御母を通してわれらの主御自身によって特殊的に命じられた行為--が今や、信徒が「これらの人々」という漠然とした句の意味について論じるために取り残される一つの世界的な推量ゲームの主題となるということは道理に合わないことである。このことは、神の教会が神の命令を遂行するやり方であろうか?曖昧な言葉づかいによって?われわれは、自分自身に、そしてお互いに次のように問うことを確かに許されている。いったいぜんたい、ロシアはなぜ、その問題についてのすべての疑いを終わらせるために1984年に特殊的に言及されなかったのか?と。

 エヴァリスト自身が、これらの「シスター・ルチアとの2時間」--彼自身が(遅れてであったとはいえ)はシスター・ルチアの言語を話しさえしない証人たちの「記憶」から「再構成され」たということを認めた2時間--には、「ほとんど狂気とも思われる矛盾した、また非論理的な事柄」があると認めたことは驚くに当たらない!


ロシアの回心について
 ところで、もしカトリック者が何かを信じるならば、彼らは自分たちの教会が救いの唯一の箱船であるということ、そして(克服しがたい無知を除いて)一つの真の宗教への回心が霊魂の救いのために客観的に必要であるということを信じるのである。われらの主御自身が天に昇られる前にわれわれに次のように警告なさったように:すなわち、

 「信じて洗礼を受ける者は救われ、信じない者は滅ぼされる」(マルコ 16:16)と。

 聖母は、ファティマに来られたとき、神の警告と神の約束を、一つの真の宗教への回心によって決まる約束と共に、一緒に持って来られた:すなわち、

 「あなたたちは哀れな罪人たちの霊魂が行く地獄を見ました。彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心への信心をうち立てることを望んでおられます。....もし私があなたたちに言うことがなされるならば、多くの霊魂は救われるでしょう。そして平和が来るでしょう。....最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心するでしょう。」

 ファティマのメッセージの文脈においては、回心はただ一つの事柄を明らかに意味することができるだけである。すなわち、カトリック信仰を持つことである。カトリック教会は三度、聖座から不謬性をもって(ex cathedra)、教会の外には救いは存在しないと定義した:すなわち、

聖座から不謬性をもって:信徒の唯一の普遍的教会が存在する、その外ではいかなる者もまったく救われない(教皇インノセント3世、第4ラテラン公会議、1215年)

聖座から不謬性をもって:われわれは、すべての人間の救いのためにはローマ教皇に従属することが絶対的に必要であると、宣言し、言い、定義し、厳粛に述べる。(教皇ボニファティウス8世、ローマ教皇大勅書『ウーナム・サンクタム』、1302年)

聖座から不謬性をもって:いとも聖なるローマ・カトリック教会は、カトリック教会の外にいる人々は、単に異教徒だけでなく、またユダヤ人、異端者、教会分離者もまた、誰一人永遠の命の分け前を持つことはできず、死の前にカトリック教会に加わらないならば、悪魔とその天使たちのために備えられた永遠の火の中へ入るということ、また、この教会の体の一致は非常に重要であるので、この一致の内部にとどまる人々だけが、彼らの断食、施し、キリスト教的信心の他の行い、そしてキリストの兵士の諸義務に対する永遠の報いを受けることができる。もし人がカトリック教会のふところと一致のうちにとどまっていないならば、彼の施しがどれほど大きいものであろうとも、たとえ彼がキリストの名のためにその血を注ぎ出すとしても、だれひとり、救われることはできない。(教皇エウジェヌス4世、教皇大勅書『カンターテ・ドミノ』、1441年)

 これらの宣言を考慮するならば、カトリック教会の外に救いが存在するという者は誰であれ、カトリック信仰を否定しているのである。ある仕方あるいは他の仕方で、すべての霊魂はカトリック教会のメンバーとして天国に入るのである。注18

それゆえに、聖母は、ロシアが回心するでしょうと言われたとき、ただカトリックへの回心のことだけを考えることがおできなったのである。まさしくカトリックになることが真の回心を構成することができるであろう。なぜなら、カトリックの宗教は神御自身によって建てられた宗教だからである。

 神はロシア・オーソドックス教会をお建てにならなかった。その教義は神がお建てになった宗教の教義からは意味の上で非常に異なっている。例えば、ロシア・オーソドックス教会は以下のことを拒否する:すなわち、教皇の首位権、離婚と再婚に関するカトリック教会の教え、聖霊は単に父からだけでなく、父と子の両者から発出するというカトリック教会の教え、煉獄に関するカトリックの教義、マリアの無原罪のおん宿りというカトリック教義。

 教義のこの最後の点に関して、神は、霊魂たちがマリアの汚れなき御心への信心によって救われるべきであると定められた。明らかにそれらの霊魂は、最初に信仰の対象としてマリアの汚れなき御心を信じなければならない--すなわち、彼らはカトリックでなければならない。というのは、マリアの汚れなきおん宿りの教義は神の唯一の真の教会であるカトリック教会に独特のものだからである。

 さらに、聖母がファティマで預言なさったように、もし「最後に私の汚れなき御心は勝利する」ならば、そのとき聖母は現にある方として世界の諸民族によって、--そしてまず何よりも第一にロシアによって認められなければならない。それゆえ、ロシアの回心はただ、ロシアがカトリックの一民族となるということだけを意味することができるのである。なぜなら、ロシアのオーソドックス宗教はマリアが汚れなく宿られ、そして地上の生活の間いかなる罪からも解放されておられたということを教義として認めないからである。

 それゆえに、カトリック信仰へのロシアの回心なしには、ファティマのメッセージはまったく完全に無意味なのである。

 実際、もしロシアのオーソドックスが神に受容可能であったならば、なぜ神は、それがすでにオーソドックスであったときに、ロシアの回心について話すために1917年にファティマにその御母を送りたもうたのであろうか?

 しかし、エヴァリストの明白にでっち上げられた「写し」のページに現れるこの奇妙な新しい「シスター・ルチア」は汚れなき御心への信心を通じてのロシアの回心という最も重大な主題について何を言わなければならないのであろうか? それは信仰を侮る:

エヴァリスト:
 それではロシアの回心は起こったのですか?

「シスター・ルチア」:
 はい。ニュースがそれ自身で語っています(ママ)。

 その通り、「ニュース」がそれ自身で語っている。しかし、ニュースはロシアが回心しつつあるとわれわれに告げていない。反対に、「ニュース」は、ロシアがカトリック教会に反し、そしてロシア・オーソドックス、ユダヤ教、仏教そしてイスラム教の利益になるように、新しい法律を制定したばかりである。この新しい法律はロシアに存在する少数のカトリック教区が、他の「外国の諸分派」といっしょに、年毎の登録--ロシアのどの町においてもどの地方ロシア局によっても欲するままに取り消され得る登録--を申し込むことを要求している。その同じ法律は聖なる母なる教会にロシアにおける非カトリック者の間で「改宗させる」ことを禁じている。換言すれば、ロシアはカトリック教会に対してロシアの回心を求めることを非合法としたばかりである!にもかかわらず、新しい「シスター・ルチア」はわれわれに、ロシアは「回心しつつ」あると告げるのである!

 エヴァリストの「シスター・ルチア」が見逃したと思われるそれ以上の「ニュース」がある。すなわち、教室での「性教育」が非カトリックの心理学者たちの抗議を制してロシアに導入されたばかりである。一方、ポーランド--教皇自身の国--は1984年のロシアの「奉献」以来、教室での性教育と「合法化された」中絶の両方を取り入れた。

 話変わって、1984年のロシアの「奉献」以来、世界において全体として6億の罪のない子どもたちが母胎の中で虐殺されてきた。いかなる種類の「回心」が母胎における6億の子どもたちの死に終わるのか?それはサタンへの回心にすぎない。そしてまさにそれが1984年の「回心」以来ロシアにおいて、そして全体として世界においてわれわれが見てきたことなのである。

 新しい「シスター・ルチア」が住んでいる修道院に漏れてきた「ニュース」から抜け落ちている他のいくつかの重要な項目がある:すなわち、安楽死が世界中で合法化されつつあるというニュース、そして人間のクローニングが間もなくそれに続くというニュース。世界のすべての民族が一つの「新しい世界秩序」へ向かって動きつつあるというニュース。その新世界秩序の中では、避妊、請求次第の中絶、離婚そして同性愛的関係が「権利」と見なされ、一方で教会の道徳的教えは政治家たちによって拒まれ、マス・メディアによって侮辱されているのである。新しい「シスター・ルチア」はまた、世界中の戦争やカトリック者の迫害、特にロシアと中国における迫害が1984年以来増加したというニュースについても知らないと思われる。

 エヴァリストの1992年の「シスター・ルチア」との「概念的」インタビューにおける以下の項目を考察して、われわれは、「シスター・ルチア」がコインブラの修道院において受けているのは「ニュース」であるのか、それとも純粋な幻想であるのかをいぶかしく思うであろう:すなわち、

「シスター・ルチア」:
 ロシアのあの人は、気づかないで、回心における神の道具でした....

エヴァリスト:
 どの人ですか?ゴルバチョフですか?

「シスター・ルチア」:
 そうです。そしてローマに教皇様を訪ねたとき、彼は教皇様の足下に跪き、その生涯に犯したすべての罪の赦しを求めました。

 このちょっとした「ニュース」にも一つの小さな問題がある。ヴァティカンはそれがこれまでに起こったということを否定した。シスター・ルチアによるこの申し立てられた意外な新事実についてのスペインのあるテレビリポートについてコメントして、教皇のスポークスマンであるホアキン・ナヴァロ-ヴァルスは次のように明言した:すなわち、

 「ゴルバチョフは教皇から赦しを求めなかった....ミハイル・ゴルバチョフは教皇の前で跪かなかったし、また、一般に信じられているところでは、シスター・ルチアによって述べられたように、彼の罪の赦しを求めなかった....それは真でもないし、またもっともらしくもない....」注19

ここでは、「一つにおける嘘はすべてにおける嘘」という格言があてはまると思われるであろう。もし新しい「シスター・ルチア」が、ヴァティカン自身が明言しているように、少なくとも「真でもないし、またもっともらしくもない」一つのことを口にしたということが示され得るならば、そのとき、エヴァリストのこの奇妙な新しい「シスター・ルチア」の「インタビュー」は、慎重において、拒絶されるべきである。でっち上げた「概念的」翻訳を逐語的な写しとして提供するエヴァリストの明白な手法を考えれば、なおさらそうである。

 いずれにせよ、事柄の真相は、ヴァティカンでの教皇との会見--その間に彼は絶対に何も悔い改めなかった--の後に、ゴルバチョフ氏は世界的なゴルバチョフ財団の議長職に戻った。この財団は避妊と中絶の厳格な制度を通じて世界の人口の数十億人までの減少を促進している。新しい「シスター・ルチア」によれば、なされた「ロシアの回心」はそのような恐ろしいものである。(続く)

 

 


「神の忍耐の限度」(16)

2011年11月26日 | Weblog

附録 II

カトリック司教たちからニコラス・グルーナー神父への激励と感謝の手紙
1992年の会議以前のもの


「フィオレンツォ・アンジェリーニ枢機卿の名において、私はファチマ平和会議参加への御招待に対してあなたに感謝いたします。しかし、不幸なことに、枢機卿は詰まった行事予定にすでに縛られています。われわれはこの会議の霊的な成功のためにミサの聖なる犠牲をお献げします。」

Father Jose L. Redrado, O.H.
Secretary to Cardinal Fiorenzo Angelini
Pontificium Consilium de Apostolatu
pro Valetudinis Administris
VATICAN CITY


「平和と喜び。10月8日から開催されるファチマ平和会議に参加するようにというあなたの個人的な御招待に対して深く感謝申し上げます。グルーナー神父様、その御要求によるものとしてのマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献のためのあなたの諸努力を私は必ず支持します。私の祈りと犠牲はこの目的のためにあなたと共にあります。
どうか私とわれわれの司教区のためにファチマの聖母に祈ってください。私もまた聖母の使命とあなたの働きの成功のためにお祈りします。」

兄弟として御幸運を祈っています
あなたの
Ignatius Minezes
Bishop of Ajmer-Jaipur, India


「ファチマ平和会議に関して、参加するように私を招待して下さっているあなたの最近のお手紙たいへん有り難うございました。
男性たちや女性たちが平和を促進し、祝せられた御母、われらの主と教会との御母の執り成しを求めることによってすべての人が同じことをするように招くために彼らのエネルギー、タレントそして時間のそのように多くを捧げておられることはまことに喜ばしいことです。それゆえ、私はこの平和のための会議に参加するようにとの私に対するあなたの最も親切な御招待によって深く感動させられています。」

この会議の成功を心からお祈りしつつ
キリストにおいてあなたの
Peter Poreku Dery
Archbishop of Tamale, Ghana


「あなたが私を覚えていてくださったこと、あなたの親切なお言葉、そして丁重な御招待に対して感謝したいと思います。
私はファチマでの御出現の聖なる記念日の式典の間、霊的にそして祈りにおいて参加することをお約束します。
あなたの多くの努力を見守ってくださるよう、教会の御母にしてわれらの愛する御母たる聖母に願いつつ、心からの祈りをこめて。」

キリストにおけるあなたの
Cadinal Carberry of St. Louis


今年の聖心の祝日に私にくださった感動的なお手紙どうもありがとうございました。
ファチマの聖母に対するまことの信心とそのメッセージの受容は教会の善のための霊的生活を奮い立たせてくれると私は心から確信しています。
世界における平和のためのあなたの使徒職の上に神の祝福がありますように。」

キリストにおけるあなたの
Ceirano Giovanni
Apostolic Pro-Nuncio
Papua New Guinea


ファチマ平和会議についてのあなたのお手紙にお答えして、私は、教皇ヨハネ・パウロ二世の精神において、上述の会議の御成功のためにお祈りすることをあなたにお知らせしたいと思います。
不幸にして、会議が開催されている時に私はバチカンを離れることができません。」

敬意と祈りをこめて
敬具
Bishop Peter Canisius van Lierde
VICAR GENERAL of Vatican City

抄録


「あなたがこのことに関連して、そして世界平和のためにしておられるすべてのことの価値を認め、あなたの諸々の努力が成功の栄冠を得られますように祈っています。」

Blasco Francisco Collaco
Apostolic Pro-Nuncio to
Madagascar & Maritius


「あなたは、われわれの中のたいていの者が怠惰に過ごしている時に実際大きな仕事をしておられます。」

William D. D'Mello
Bishop of Kawar, South India


「親愛なるグルーナー神父様、あなたがお手紙の中で言われているように、ロシアの奉献に対する聖母の要求の全問題点を隠さずにまた公的に述べる時が来たと私は確信しています。」

Oscar Andres Rodriguez Maradiaga
Auxiliary Bishop of Tegucigalpa, Honduras


「もし教皇によって要求されるならば、ロシアを奉献するために、私は喜んで教皇に加わることを再確認します。そして私はファチマにおけるこの国際会議の成功のためにお祈りすることを請け合います。」

Most Rev. Hermann Raich, SVD
Bishop of Wabag, New Guinea


「あなたとご一緒に、私はこの会議の成功のため、またできる限り多くの司教が参加出来るために必要なすべての手段のために、お祈りします。」

Bishop William Kurtz
Kundiawa, New Guinea


「マリアの御要求を現実のものとするためにそのように一生懸命努力しておられるあなた方皆さんを神が祝福してくださいますように。」

Most Rev. Francis R. Lambert
Port Vila, Vanuatu (S. W. Pacific)


「ファチマ平和会議について知っていますが、それは非常に意義の深い取り組みだと私は考えています。どうかこの会議のために私が祈るということに自信を持ってください。あなたが先だって台北にわれわれを訪問してくださったときのことを私はまだ覚えています。そして来るべき会議のためのすべての準備の仕事を神が祝福してくださるように祈っています。」

Bishop Mattew Kia
Our Lady of China Church, Taiwan


「私は精神的に会議に参加し、その成功のために祈ります。この会議から出て来るであろう文献を正当に評価します。」

Rt. Rev. Dominic K. Andoh
Bishop of Accra, Ghana, West Africa


「モンシニョール・ヒラリオン・カプッチ閣下のために、私はあなたの御招待に対する閣下の感謝を申し述べます。閣下はできる限り早くあなたにお会いする大きな喜びを持てることを希望しておられます。われわれはファチマ平和会議の成功のためのあなたの祈りと感情に心を合わせます。」

Father Isidore Battika
Secretary to Bishop Hilarion Capucci
Grec-Melkite Patriarch, Jerusalem


「私は聖母に対するロシアの奉献を促進することにおけるあなたの根気強さ、勇気そして忍耐に対して主とファチマの聖母に感謝します。」、

Protacio G. Gungon, D.D.
Bishop of Antipolo, Philippines


「グルーナー神父様、私はあなたとその運動にすべて賛成です。ですから、私はあなたの意向のために、特に...世界平和のための一つの条件としての...<ロシアの共同的奉献の議論の成功のために、ミサをお献げします。

Msgr. Nicolas Man Thang
Auxiliary Bishop, Mandalay, Burma


「私は、会議の霊的な成功のためにミサの聖なる犠牲を捧げたいと思います。」

Msgr. A. J. Didjookarjono Pr.
Bishop of Surabaya-Indonesia


「リスボンのこの司教区の数人の司祭たちと私はこの会議の霊的な成功のために聖なるミサを捧げることに同意します。」

Antonio dos Reis Rodrigues
Auxiliary Bishop of Lisbons


「参加なさるすべての人々がマリアの汚れなき御心に対するロシアの奉献の明白な共同的行為を求めておられるあなたのイニシャティヴを最も確実に支持なさるでしょう。」

Bishop Walter Michael Ebejar, OP
Uniao da Vitoria, PR, Brazil


「われらの祝せられた御母の御心に非常に近い重要な出来事の成功のために祈りながら、私はあなたに私の祝福と幸運を願う祈りを送ります。」

Archbishop Roman Arrieta Villalobos
President of CECOR, San Jose, Costa Rica
Conferencia Episcopal de Costa Rica(SECOR)


「あなたの使命の成功のための私の祈りの約束をあなたはお持ちです。そしてあなたは祝せられたおとめマリアに対するロシアの奉献を望む司教たちのリストに私の名を加えてくださって結構です。」

Bishop Rafael de la Barra
Prelatura de Illapel, Chile


「私の祈りを通じて、私はその会議に霊的に参加します。もし、会議の時に、手紙あるいは他の何らかの手段によって、あなたとの私の連帯を示し得る何らかの方法がありますならば、どうぞ知らせてください。われらの祝せられた御母に対する信心とファチマでのわれわれに対する聖母の重要なメッセージを促進するあなたの良き働きを神が祝福し続けてくださいますように。」

Hilary Chavez Joya
Bishop-Prelate of Nuevo Casas Grandes
Mexico

1992年会議以後のカトリック司教たちからニコラス・グルーナー神父への評価と感謝の手紙


親愛なるグルーナー神父様、
あなたがファチマを訪れ、平和会議に参加することを私に可能とするために払ってくださったすべての労苦に対してどのように感謝してよいのか私には分かりません。私はこの訪問を将来も長い間にわたって深甚の感謝をもって確実に覚えていることでしょう。私はあなたが過去に直面されなければならなかった、そして将来においてもまた直面されなければならない労苦と試練を十分に理解します。主があなたを助けてくださり、そしてあなたに一人の預言者の役割を演じるためにあなたが必要とされる諸々のお恵みを与えてくださることを確信しています。私はすべての意向のための私の特別の祈りをあなたに保証します。
ファチマでお会いする機会があった、あなたと共に働いておられるすべての人々にどうか私の祝福と感謝をお伝えください。インドに帰る途中、私は丸三日間をローマで過ごしました。そして教皇様に私的謁見を賜る機会を得ました。非常に短い謁見でしたので、私はファチマで私が見かつ聴いたことを教皇様と議論することはできませんでした。一言で言えば、私はあなたの実直さ、謙遜そして苦しみの精神によってどのように私が印象づけられことでしょう。
この手紙がお元気なあなたの許に届きますように。あなたにご挨拶を送り、あらゆる祝福がありますように心をこめて。

われらの主においてあなたの
Anthony Cardinal Padiyara
Archbishop of Ernakulam, Kerala, India
Jan. 17, 1993

メヘンゲ、タンザニアからの御挨拶、

ファチマでの一週間の滞在と会議の後、私はファチマの聖域にいる機会をわれわれにお与えくださったことに対してあなたに感謝の言葉を言わなければならないと感じております。われわれにとってそれはキリスト教的な祈りの生活の一つの大きな経験でした。われわれは祈りに満ちた経験によってたいそう豊かにされたと本当に感じました。そしてわれわれはわれわれの旅行を組織し、われわれのファチマでの滞在の間われわれのためにお世話くださったすべての人々に感謝しています。
われわれは無事に帰国し、そして小教区のレベルで、そして司教区のレベルでさえも、ファチマ・メッセージを広め始めました。
もう一度、すべてのことに対して深甚の感謝を申し上げます。そしてファチマの聖母の御配慮の下で幸せで祝福された新年をお迎えになることを祈念致します。

キリストおいてあなたの
Rt. Rev. Patrick Iteka
Bishop of Mehenge
Nov. 1, 1992

親愛なる神父様、

私は、ファチマでの私の生涯のうちでも最もすばらしい経験の後に、再びインド、アグラに戻りました。10月12日と13日のロザリオの行列と共同司式ミサに参加したことは本当に感激すべきことでした。そのように深い信仰、そのような信心、そしてファチマの祝せられた御母に対するそのように溢れるばかりの愛。それらの日々は祈りと観想の日々でした。このことを可能にしてくださった、そしてわれわれに対してそのような愛情に満ちた配慮をしてくださったあなたとあなたの後援者たちに感謝を申し述べる言葉もないくらいです。私はあなた方皆さんのためにお祈りを続けます。
祈り、痛悔、ロザリオそして愛徳のメッセージはファチマで確証されました。アグラの私の司教区において、それが私が人々に与えるメッセージです。
私は聖なるファチマの聖堂で起こった不幸な事件を忘れることができません。そして愛と赦しのために祈ります。神はすべての人にその太陽を輝かせ、雨を降らせられます。そしてわれわれは神の御顔を神のすべての被造物のうちに見ることを学ばなければなりません。
私はマリアの汚れなき御心に対する奉献の式文をとても手に入れたいと思っています。もし可能でしたら、どうか私にコピーを一部送ってください。

あなたの仕事のために願いと祈りをこめて
キリストにおいてあなたの
Most Rev. Cecil Desa
Bishop of Agra, India
April 17, 1993

親愛なる友人たちへ、

去る10月ファチマにおける会議に私は参加することができませんでしたので、書面において御親切な援助にお礼を申し述べませんでした。しかし司教聖職禄受領者たちがすでに彼らの深い感謝をグルーナー神父に上述のファチマでの会合において口頭で公的に表明していました。われわれはそのときグルーナー神父と彼の寛大な協力者たちを通じてカナダとアメリカのカトリック教徒たちの物質的財政的援助がなかったならば、司教たちはファチマに列席することはなかったであろうということを公的に表明しました。私は聖母がそれがそうなることをお望みになったのだ信じています。聖母に、そして個人的にあなたに私は深甚の謝意を表明します。
私は聖母の奉仕へのグルーナー神父の熱意と献身を称賛する人々のうちの一人です。聖母が彼の使徒職の追求においてグルーナー神父を助けてくださるよう祈ります。

お互いに祈りましょう
感謝のうちに
(Ret.)Archbishop Federico Limon, SVD
The Philippines


親愛なる神父様、

あなたは私を深く感動させたマリア巡礼の経験をすることを私に許してくださいました。私に関して言いますならば、私はファチマの雰囲気の方をルルドの雰囲気よりも好んでいます。ファチマは祈りそして黙想することが遙かに容易です。私の司教区のメンバーたちはマリアに対する大きな信心を持っていますので、われわれはすでに何年にもわたって選んできた一つの美しい敷地にファチマの聖母の大きな御像を建てるために計画準備をしようとしています。私はファチマのその御像を探さなければならないでしょう。
もう一度、私にファチマに行くことを可能としてくださったことに対して感謝申し上げます。そしてあなたのために祈ります。
神父様、私の最善の友情を込めた尊敬の願いを信じてください。

Monseigneur Jean-Baptiste Some
The Bishop of Die Bougou, Burkina Faso


親愛なるグルーナー神父様、

ファチマ平和会議へ私を招待してくださったこと、そして旅行の援助をしてくださったことに対してあなたとあなたの組織に私の深い感謝を表明したいと思います。私はマリアの子どもです。そしてファチマの名前は私をして御招待に飛びつかせるに十分なものでした。
私は会議に出席し、そのすべての豊かさにおいてファチマ・メッセージが説明されるのを聴いたことを嬉しく思いました。私はほとんど話さなかった人々のうちの一人でした。そしておそらくあなたは私が言ったことをまだ覚えてくださっているでしょう。私は、神と聖母が会議を開催するという一つの目的を持っておられたこと、そしてあなたとわれわれ司教たち自身がお互いに聖霊と聖母がわれわれに告げようと望まれたことに耳を傾け、それに注意を払うべきであると私は信ずると言いました。
私は霊的に豊かにされリフレッシュされて帰って来ました。そしてその機会を与えてくださったことに対して神とファチマ・クルーセイダーに感謝します。
あなたとあなたのチームによきクリスマスを祈ります。

Rt. Reverend Dr. J. B. Adelakum
Bishop of Oyo Diocese, Nigeria


親愛なるニコラス・グルーナー神父様、

私の旅行とファチマでの平和会議参加の後、そしてまたファチマ、トゥイ、ポンテヴェドラそしてコンポステラへの楽しい巡礼の後に、わが親愛なるグルーナー神父様、私はあなたが私に与えてくださった機会に対してあなたに感謝したいと思います。あなたは非常に親切で寛大です。すべての司教たちはあなたの立派な礼儀作法について噂をし、そしてファチマのおとめなる御母に対するあなたの啓発的な献身に讃辞を呈していました。私自身、われわれの一緒の巡礼の日々が私の霊的進歩にとって有益であると言うことができます。

どうも大変ありがとうございました。
イエズスとマリアにおいて心から
D. Antonio de Mirnada
Bishop of Taubate, Brazil


親愛なるレオナード神父様、

初土曜日についてあなたが私にくださった手紙に対して、またあなたが同封してくださった恐るべきファチマ奉献というポール・トゥリンチャード神父様の書物のコピーに対して感謝することから始めさせていただきます。不幸なことに、その書物は輸送中に(確かにある郵便局で)盗まれました。しかしあなたの手紙とアルラッパ大司教様の手紙は安全に到着しました。
私は司教たちのファチマ会議のためにポルトガルへ行くことができませんでした。しかし私は一人の代表を送りました。私は会議が成功したと思っています。
祝せられた御母に対する信心の愛によって霊感を受け、ファチマのメッセージの正真正銘の現実に目覚めさせるためにあなた方のできるすべてのことをしておられるあなた、グルーナー神父そしてマリアに従う多くの人々に、私は深く感謝致します。予期され得るように、司教たちを含む多くの人々は単に関心を持っていないだけではなくて、敵対的ですらあります。それにもかかわらず、彼らの現在の否定的な態度にもかかわらず、マリア運動は弾みを集めつつあります。そして私はマリアの汚れなき御心が終わりに勝利すると確信しています。
ここで、私がナイジェリアのこの地域におけるカトリック教徒の最初の世代に属しており、そしてたまたま当地在住司教にされた最初のネイティブ・ナイジェリア人であるということに言及させてください。30年間ウムアヒアの司教として奉仕した後、私は現在引退司教であり、一小教区(聖テレジア教会の)パロクスです。われわれは、教会がナイジェリアにおいてとてつもない進歩をしたということを神に非常に感謝しています。しかし、アフリカにおけるキリスト教が五世紀から十五世紀までに蒙ったイスラムの脅威を思い起こさせる一つの重大なイスラムの脅威に現在直面しています。
情勢からわれわれがナイジェリアおよびアフリカにおける生き残りと成長のために持つ唯一の希望はロザリオの聖母を通じてただ神にのみあります。だからこそ、ロザリオとマリアの汚れなき御心を通じて罪深い世界の救いのために祈ると同時に、アフリカにいるわれわれはイスラム教の奴隷状態からの教会の解放とアフリカの再回心のためにわれわれ自身の特別の嘆願を含めているのです。

あなたのために祈ります、私のためにも祈ってください。
イエズスとマリアにおいて心から
Anthony G. Nwedo, C.S.Sp.,
Bishop Emeritus of Umuahia, Nigeria

 


「神の忍耐の限度」(15)

2011年11月25日 | Weblog

附録 I

アルラッパ司教は共同奉献の必要性を強調なさる

この手紙はポール・トゥリンチャード神父の書物恐ろしいファチマ奉献のコピーと共に世界の司教たちに送られました。それは、アルラッパ大司教の手紙がロシアの奉献の必要性とファチマ・メッセージの緊急性を徹底的に強化しているのでこの書物の中に含まれているのです。

R. Arulappa 大司教

マドラスおよびミラポールの大司教(隠退

インド、マドラス、光の聖母教会

1992年、聖木曜日
親愛なる兄弟司教様:

グルーナー神父は私に、あなたがわれらの親愛なる祝せられた御母に示されたとても大きな愛と寛大さに対する彼の敬服について話してくれました。ファチマの聖母に対するそのように強い献身について聴くことは私にとってなんと喜ばしいことでしょう!

それが私が特にあなたに手紙を差し上げ、神父がこの復活祭の季節に贈り物としてあなたにお送りしている同封の書物についての私の考えをお分かちする理由です。

第一に、私は恐ろしいファチマ奉献がまことにわれわれの時代のための書物であると言いたいと思います。トゥリンチャード神父の主要なメッセージの核心は十分に納得し得るものですし、そしてほとんど疑問の余地のないものです。

その書物にはいくつかのコメントがおそらく議論の余地がありますけれども、このことはこの書物が広く普及されるならば果たすであろう大きな有効性と善から何一つ取り去ることはありません。

トゥリンチャード神父にとってそうであるのと同じように、私にとっても、われわれが実際に、ルカ 18:8 においてわれらの主によって:「しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見出されるであろうか?」と言われた、終わりの時代に生きているということは明らかと思われます。

われわれのこの厄介な時代がまさにそのような時代であるということを理解するために何ら特別の理解力を必要としません。今日どこに信仰があるでしょうか?どの国において信仰は栄え、どの場所でそれは栄えているでしょうか?

聖書において予告された一般的な背教が今やわれわれの目の前で起こっています。そして、トゥリンチャード神父が示しているように、最も不幸なことは、この「サタンの煙」(教皇パウロ六世がそう呼ばれたような)が教会のまさに中枢にさえ欠けていないのです。

今や何年もの間、私は少なくとも3人の教皇(ピオ十二世、パウロ六世、そしてわれらの現在の教皇ヨハネ・パウロ二世)が皆、世界を奉献することによって聖母に部分的に従われたが、にもかかわらず、それぞれの教皇は聖母のファチマの要求の最も重要な部分、すなわちロシアの共同的奉献を果たす前に急に止まられたという事実によって当惑させられ、まごつかされてきました。

教皇ヨハネ・パウロ二世自身、(1984年に世界を奉献された後に)聖母がファチマで要求なさったロシアの特殊的な奉献を未だに待っておられるとさえ言われました。

トゥリンチャード神父が示唆しているように、バチカンとモスクワの間のある種の協定がその途上に立ちはだかり続けているということは明らかだと思われるでしょう。明らかにすべての被造物の中で最も狡猾な悪魔は教皇たちをさえ一つの破滅的な状況の中へと誘い込んだと思われます。

1.ファチマに対する諸々の反対とロシアの奉献

奉献に反対する人々のうちのある人々は、それが「私的な啓示」であるがゆえに、妥当なものではないと言います。聖マルガリタ・マリアを通じてのイエズスの聖心の啓示は同様にまた私的な啓示でした。にもかかわらず、それは公的に受け取られ、そして聖心の祝日と初金曜日の信心は制度化されました。

同様に、ルルドでの無原罪の御宿りの啓示は私的なものでした。しかしにもかかわらず、それは4年前に宣言されていたその教義[無原罪の御宿り]を確証するために用いられました。ここでもまた、祝日がルルドでの聖母の御出現を記念して制度化されました。

それではファチマでのマリアの汚れなき御心の啓示はなぜそのような疑いや軽蔑の対象であるのでしょうか?その唯一の理由は悪魔の陰謀がどういうわけか、聖母のファチマの約束の実現を妨げることに成功してきたことであると思われます。

興味深いことに、パレ・ル・モニアル、ルルドそしてファチマの啓示は実際には「新しい」啓示では全然なくて、むしろキリスト御自身によってなされた啓示の確証なのです。それらは、最初の偉大な啓示、そしてキリストを通じて啓示された真理、痛悔しなさい、祈りなさい、償いをしなさい...という言葉において要約され得る一つの真理によって生きるようにという警告であり、嘆願であり、慈悲深い訴えなのです。、

奉献はロシアの内政問題への「干渉」を構成するという理由で奉献に反対する他の人々が今なおいます。奉献は実際一つの非常に特別な種類の祈りです。しかし祈りはいつからどのような否定的な仕方で干渉するのですか?

われわれは、この要求をなさったのが神の御母であったということを決して忘れてはなりません。われわれは、聖母が御自身で求めておられることを知っておられなかったと敢えて信じるでしょうか?人はただ、「嘘の父」[悪魔]がそのようなことを言う人々の目を巧妙に盲目にしたと考えることができるだけです。

聖母は、奉献を求められたとき、ロシアの権力が非常に大きくなるであろうということそしてロシアは善のためにも悪のためにも両方で巨大な影響力を用いることができるであろうということを知っておられました。

明らかにそうであるように、この要求を遅らせることによって、われわれは善のためにこの力を用い、それを聖母がわれわれに約束なさった回心と平和のために用いる一つの大きな好機を見過ごしたのです。

なぜ聖母はロシアについてそのように関心をお持ちなのでしょうか?それは、それが神の御意志であるからであり、またロシアにおける聖母に対する信心が今日でさえ非常に特別であるからです。そしてしかも、「聖なるロシア」であったもの、そしてあり続けているものは、信仰の欠如のゆえに敵の手の中へと渡されてしまうかも知れないのです。

2.なぜ汚れなき御心なのか?そしてなぜ今なのか?

奉献について苦情を言っている人々の多くは実際は聖心と汚れなき御心の愛すべき訴えに反対していると思われます。実際、彼らは全人類の善のために神によって与えられてきた諸々の警告を拒否しているのです。

要するに、奉献に反対するキャンペーンは実際、征服するためのサタンの最後の大きな努力です。なぜなら、サタンは汚れなき御心の勝利が自分の最終的な敗北であるということを知っているからです。

今、マリアの汚れなき御心をなぜそのように強調するのか?という疑問が起こります。

われらの主御自身がシスター・ルチアに語られたように、それは教会を尊敬させそして御自分の御母に栄光を帰す主のやり方です!もしイエズスのような息子がこの終わりの時代に(救世の業において御自分とそのように完全に協力されたことに対して)御自分の御母に栄誉と栄光を与えることを望まれるならば、その主に疑問を呈するわれわれとは誰なのでしょうか?

諸々の反対にとっての真の問題は、彼らがマリアをわれわれの共同救済者および仲介者として認めることを望まない(おそらくその理由は彼らが教会の外の「分離した兄弟たち」の気分を害することを恐れているからなのです)ということです。

このことは、第二バチカン公会議自身が聖母を代弁者、助け手、恩人、そして仲介者(パラグラフ62、教会の構成)として認めているにもかかわらずに、なのです。

人はただ、彼らがマリアは「まったく独自の仕方で...霊魂たちに超自然的な生命を回復する際に救世主の働きにおいて御自分の従順、信仰、希望そして燃えるような愛のうちに協力なさった」と宣言するとき、第二バチカン公会議によって厳粛に誓っている人々がなぜ公会議教父たちの言葉を無視することを選ぶのか、を不思議に思うことができるだけです。

終わりに、われわれはそれは、マリアの栄光 -- 御父がマリアに与えることを躊躇なさらなかった栄光! -- を引き下ろそうとするサタンの努力であるということを疑うことができません。

3.教皇と司教たちを助けてください

あなたにそれが信じられないことだと思われるとしても、多くの司教がファチマを真剣に受け取って来なかったということは不幸なことに非常に間違いのないことです。そしてそれは何とおそろしく残念なことでしょう!

天と地の元后、人類の御母(そして一つの非常に特別な仕方ですべての司祭たちと司教たちの御母)はあることのために嘆願しそしてこいねがっておられます。そしてそれは今なお真剣に受け取られていないのです。

しかしこの遅い時期でさえ、慈悲深い御母であられる聖母はわれわれを全面的破局から救うためにあらゆることそして何かあることをなされるでしょう。

われわれはそのように多くの司教が心配していないということに驚いたり、あるいは憤慨したりすべきではありません。トゥリンチャード神父が示しているように、教皇たちもあるいは司教たちも司牧的な行政の事柄においては誤り得ない、あるいは不可謬ではありません。(教皇の不可謬性は信仰と道徳だけに限定されています。)それゆえに、思慮に関わる事柄における誤りは非常にあり得るのです。

恐ろしいファチマ奉献における多くの陳述が当該者たちにとってわずらわしいものであるでしょうけれども、われわれは真理が常にわずらわしいものであるということを思い出さなければなりません。そしてわれわれは、われわれの司教たちが神と聖母を喜ばせるために何らかの個人的な痛みを越えて立ち上がることを当然のこととして期待することはできないのでしょうか?

教皇と司教たちはいつ、ロシアの奉献に対する聖母の要求を果たされるでしょうか?

われわれはただ、それが間もなくであろうことを希望し、祈ることができるだけです。今日真に必要とされていることは、教皇と司教たちにファチマの聖母に従い、聖母がお求めになったようにロシアを奉献するために必要とされる恩寵をお与えになるよう全能の神に求める一つの巨大な世界的祈りのキャンペーンです。

これらの状況の中では、トゥリンチャード神父の書物は比類なく価値があると私は思います。それはまた多くの司教たちの目を開かせる助けとなるでしょう。そしてその書物が出来る限り早く司教たちの手に渡されることは確かに最も望ましいこと(必要でさえあること)です。

あなたが、今ロシアの奉献をするために何かあることをすることができるすべての司教、司祭、そして他の影響力を持つ人々にトゥリンチャード神父の書物を取り出すために与えることができる何らかの助けのゆえに聖母があなたに多くの祝福を与えられるだろうと私は確信しています!

あなたとあなたの御家族の上に神の豊かな祝福がありますように祈ります。マリアの御母としての寛大さに依り頼むのに決して遅すぎるということがないということをどうぞ思い起こしてください。

聖母においてあなたの

R. Arulappa 大司教


「神の忍耐の限度」(14)

2011年11月24日 | Weblog

第III部:「神の忍耐の限度」

第3章:ファチマ・メッセージを満たすために必要とされる諸段階

Father Ninolas Gruner

私は同じことを繰り返すと非難されてきました。しかし同時に私は、イエズスが教えられたこの小さな祈りに関する私の考え方が理解されてこなかったと見ています。イエズスが教えられたこの小さな祈りはシスター・ルチアに対するわれらの主の言葉のための背景です。然しその背景は非常に大切です。また、われわれにとってこれらがイエズスがファチマのメッセージにおいて教えられたたった二つの祈りであるということを理解することも大切です。あなた方はただファチマ・クルーセイダーだけがこれらの祈りを繰り返し、それらを世界に教えているのは何故か?と自問なさるかも知れません。それはわれわれが聖であるからではありません。おそらくそれは、われわれがわれわれの形成において余りにも知性的であってきたからです。ある司教はこう言われました:「あなたは余りにもよく教育されたのだ。」おそらくそれは私の十字架です。しかし少なくとも私はこれら二つの祈りをそれらの背景において理解しています。私は、それらの祈りは非常に重要であり、あなた方の疑問の多くに答えると思います。

ルチアは、その時24歳でしたが、われらの主が来られて彼女に話しかけられたとき、スペイン、ポルトガル、ヨーロッパ、ロシアそして世界の回心のために祈っていました。主はこう言われました:「あなたはそれらの国々の回心のために祈ることによって私を非常に喜ばせる。そしてあなたはそれらの哀れな国々の回心を求めることによって大いに私を慰めている。『マリアの甘美なる御心がロシア、スペイン、ポルトガル、ヨーロッパそして全世界の救いでありますように』と言うことによって私の御母にしばしば願いなさい。」

十人の正しい人々

われらの主は、われわれがロシアを裁くためにここにいるのではないということを理解しておられました。われわれは彼らがわれわれよりも悪いと言うためにここにいるのではありません。そう言うことはわれわれの意図ではありませんし、またわれわれの言外に含まれた意味でもありません。もしわれわれがそのことをしたのであれば、それはただ、適切に語る仕方を知らないためのわれわれの落度です。この非難、すなわち、どういうわけか、われわれがロシアに反対しているという非難が繰り返しなされています。あるいは、われわれがファチマのメッセージについて他のことを何も知らないと[繰り返し言われています]。むしろ、ファチマのメッセージは一つの頂点を持っているということです。教皇はある程度の数の司教たちが彼に加わらないかぎり、ロシアの奉献をなさらないでしょう。私は彼らを十人の正しい人々に比較します。それはちょうど、もし神が十人の正しい人々を見出すことがお出来であったならば、彼らはソドムとゴモラを救っていただろうということと同じです。それゆえ、神は、それに釣り合って言うならば、もし神が十人の正しい人々を見出すことがお出来になったならば、世界を救われるでしょう。教皇と司教たちにとって奉献をするために必要とされる恵みをもたらすであろうのは、彼らが司教たちであれ、教皇であれ、司祭たちであれ、あるいは平信徒たちであれ、あの十人の正しい人々の祈りと犠牲を通じてなのです。

平和が世界に与えられるのはロシアの奉献という道具性を通じてです。というのは、神は御自分の御母に光栄を帰すことを望んでおられるからです。神はあなた方、司教方に光栄を帰すことを望んでおられます。神はあなた方を、あなた方がその生涯においてかつてそうであった以上に世界においてもっと尊敬されることを望んでおられます。神は世界的な平和をもたらすことを望んでおられます。過去40年間、50年間合衆国とロシアとの間に存在していた撃ち合いのない戦争ではなくて、積極的な平和です。この国、あの国の少しずつの攻撃、あるいはこのグループの人々を攻撃にさらすこと、あるいは赤ん坊たちのあのグループを殺すことではありません。社会のあらゆる階級における全世界のそのすべての次元における平和です。世界がこれまでに決して見たことのない平和です。それはイザヤ書において語られている一つの幻視です。「ライオンは子羊と共に伏すであろう。」われわれはそのことをこれまでに見たことはありません。しかしそれが、聖母が従順の単純な行為に対して約束なさっていることです。そしてそれは他のいかなる仕方でもやって来ないでしょう。私はやってくることを望んでいます。私の生活はよいもの、容易いものとなるでしょう。しかしそれはそれがある仕方です。それは単純な真理です。あなた方はそれを受け入れることができます。あなた方はそれを拒絶することができます。あなた方はあなたがたがそれと共に望まれることをすることができます。あなた方がなさることは何であれ、神に対してお答えになるのであって、私に対してお答えになるのではありません。しかしそれは真理です。そしてもし私があなた方に真理を告げていないならば、私は神に答えなければならないでしょう。私は私の義務を果たしました。

諸段階

あなた方の国を奉献してください。あなた方の小教区を奉献してください。ロザリオを促進してください。メッセージを知らせてください。スカプラリオを促進し、それを理解させてください。あなたがたの議論の力によって、あなたがたの模範によって、恩寵によって、何であれあなたの自由になるあなたの持っているものによって、できるかぎり多くの人々に知らせてください。人々に、霊魂たちに、諸々の個人にメッセージを述べてください。それを理解させ、愛させてください。そのときわれわれはわれわれの十人の正しい人々を見出すでしょう。彼らは彼らの祈り、苦しみ、犠牲によって、われわれがそれに価しない大きな恩寵を得るでしょう。

私は、ファチマのメッセージがロシアの奉献よりは遙かに大きいものであるということを十分に知っています。しかし私はまた隠されてきたのがメッセージの一部分であるということも十分に知っています。それは、私の仕事の最初の6年間私から隠されていました。私はファチマのために15年間働いてきました。最初の6年間私自身はメッセージのこの局面を知りませんでした。私はファチマのメッセージを研究すること以外には他のことは何もしませんでした。にもかかわらず6年の間私はこの要求については暗闇の中にいました。それゆえに、私はあなた方がその中心的な重要性を理解する機会を持っておられなかったことをよく理解することができます。

司教様方の一人は私が入って来たときにこう言われました:「われわれがするように選ぶものは何であれしましょう。それは教会が欲していることです。」最後の司教は教会史について話されました。私は教会史のうちに多くの教訓を見ます。私は、もしわれわれが神学をただ教義の書物からだけ学び、それを教会史と一緒にまとめないならば、また神学の肉と血のわずかのものを失い得る、と思います。私はその両者が好きです。使徒行録第20章から初期教会史を引用するならば聖パウロは彼が出発するとき -- 私はそれはエフェゾからだと思いますが -- そこに集まった司祭たちと司教たちにこう告げています:「あなたたちはもう私を見ないようになるでしょう。私はエルザレムに行き、捕らわれ人になるでしょう。私は今日あなた方の前で、私があなた方に神の忠告をすべて告げることを恐れなかったということを、証言したいと思います。私はあなた方に何一つ隠しませんでした。私はテモテに告げたすべてのことをしました。換言すれば、私は都合がよいときも、都合が悪いときも、福音を話してきました。それにもかかわらず、あなた方自身の集団の間から信徒たちを自分たちに従わせようとする人々が生じるでしょう。彼らをキリストから引き離そうとして。」

そのように言いながら、彼はそのようなことが、アリウスのような、ルターのような、司祭たちの間から起こるであろうと予告していたのです。彼らは自分たちと一緒に信徒たちを地獄へ落とそうとしたのでしょう。そしてネストリウスのような司教たちの間から、信徒たちを教会から引き離すであろう他の人々が生じたのでしょう。アリウスの時代に、アリウス派の異端は325年のニケアの公会議において断罪されました。イエズス・キリストは真の神であり、御父と同じ実体を持つ真の人間であるということが決定されました。キリストはその神性においてあらゆる仕方でも等しいのです。にもかかわらず、 11年後の336年に、アリウス派は一つの語における一つの文字を変えることに成功しました。われわれの信仰は言葉によって伝達されます。話されたのであれ、書かれたのであれ、それは言葉を通じて伝えられます。われわれは、われわれの信仰が教える非現実的な、不可視的な諸実在を見ません。しかし神はそれにもかかわらずそれらを信仰によって、説教によって、言葉によってわれわれに伝達されます。言葉はそれが神のメッセージを担っているとき聖なるものです。それゆえ、アリウス派の異端が、教会の一つの荘厳な定義における一つの語の一つの文字を変えたとき、それはアリウス派異端の更新を引き起こしました。歴史はこの策略の結果として司教たちの90%がこの問題に関して誤ったということをわれわれに告げています。この時には、全カトリック教会においてたった3人の司教だけが、ニケアの公会議がそれを決定したように言葉の完全な意味においてキリストが真の神であり、かつ真の人間であるという真理を擁護しました。教会博士聖ジェロームがわれわれに告げているように、カトリック教徒たちはある日カトリックとして寝床に入り、そして翌日に起きたときにはアリウス派の信徒でした。すべてのカトリック司教によって真の教説が再び説教されたのは、381年A.D.のことでした。それらが教会史の事実です。われわれはこの場にアリウス派の、あるいは他の異端の熱心な支持者を持っていません。私が今言っていることは、そこに学ばれるべき教訓があるということです。真理は、ラッツィンガー枢機卿がわれわれに言われたように、多数決法則によって決定されません。真理は真理です。われわれは多数派と共に留まることができます。われわれは少数派と共に留まることができます。われわれはいずれの仕方でも誤ることができます。しかしわれわれは真理と共にいなければなりません。

教皇の関係に関しては、おそらくあなた方は、第五ラテラン公会議が、預言的啓示の問題においては教皇が唯一の判定者であると決定したということをご存じでないでしょう。私は教皇を批判するためにここにいるのではありません。私は教皇を裁くためにここにいるのではありません。私は他の誰をも批判したり裁いたりしたくありません。しかしわれわれは一つの預言的啓示に関する一つの判断を求めています。ファチマのメッセージは承認されてきました。しかし何人もの司教が指摘なさったように、そこには解釈の相違があります。私はそれに同意します。われわれが政治的手段によって一致に達することができるということはあり得ます -- すなわち、われわれは皆、そうですね、多数派に同意しましょうと言うことができます。そして次にわれわれはこの表面的な一致に達するでしょう。それはそれ自身による本当の一致をもたらさないでしょう。人々の多数は彼ら自身の間で意見の相違なしにしばらくの間は一つの嘘として役立つことができます。一致のためにキリストは御自分の教会をペトロの岩の上にお建てになりました。そしてキリストは教会の善のために行使するようペトロに権威をお与えになりました。しかし問題が未解決のままに残されて来た限り、そして教皇が彼自身のしかるべき理由のためにこのことに関して権威ある判断をお与えにならない限り、過去60年以上の間このメッセージの明白なそして連続した理解に関して、私は沈黙したままでいることを求められることはできません。

私は教皇のために、第五ラテラン公会議で決定された、そのペトロの司牧的な権威を引き受けられることを非常に好み、そしてこの問題を提出します。教皇はそうする権利を持っておられます。そしてわれわれはそうして貰うことが必要です。そうでなければ、歴史がわれわれに追いつくでしょう。われわれは諸民族の絶滅を持つことになるでしょう。このことを求める私の権利に関して言えば、それは二度決定されました。教会の司法権に属する問題においては平信徒を含むすべての者は裁定を要求する権利を持っているということが1274年、リヨン公会議でカトリック教会の教義として決定されました。それはカトリックの教義です。もしあなた方が、それがカトリックの教えであるということを理解された後に信じられないならば、あなた方はカトリック教徒ではありません。それは神的なカトリック教義の本性です。それは変化することができないものです。それは、教会の外にはいかなる救いもないという教会の教えと同様です。

昨日私は司祭が内陣から異端的である祈りを唱えていたのを聞きました。しかし私は、おそらくその司祭が別の意味で言っているのかも知れないと言いました。英語で話しているある神父はこう言いました:「われわれはプロテスタント、オーソドックス、そしてカトリックの人々が一緒に聖体を受けることができるように祈ります。」ところで彼がもし、彼らがプロテスタントのままでおり、オーソドックスのままでおり、カトリックのままでいる間のことであるということを意味したのであれば、そのときそれは異端的な祈りです。私は、オーソドックスはカトリックに回心し、プロテスタントはカトリックに回心するということをおそらく彼が意味しているのであろうと言いました。その場合にはそれはカトリックの祈りでしょう。しかし、私は彼がそれを異端的な意味においてそう言っていると告げられました。彼に話した人はそう理解しました。しかしそれがそうであるとしても、私の言いたいことは非常に簡単です。すなわち、たとえあなたが一致を望むとしても、一致は真理における一致でなければならない、ということです。もしあなたが、教皇がそれを決定なさる -- 教皇はそうする権利を持っておられます -- 外側で、ファチマのメッセージの真理を知りたいと思うならば、そのときフィリッピンからの最初の司教が言われたことをすることはわれわれにとって義務です。すなわち、「なぜわれわれは再び奉献をしないのでしょうか?今度はそれを過去60年にわたって一般に理解されてきたような要求に従ってそれを行いなさい。ロシアに言及し、それを仕上げなさい。」

どのみち、決定をしてください。そしてそれは、それが言っていることを意味していないとわれわれに告げてください。あるいはそれが要求された仕方で奉献をしてください。それらのいずれをもしないならば、われわれは今なおファチマの聖母の諸々の預言を持っていることになり、聖母の要求を無視することの結果としてわれらの主の預言を持つことになるでしょう。われわれは決定を求める権利と教皇が至高の裁定権を持つと1870年に再び決定された第一バチカン公会議とを持っています。教皇はまた、単に信仰と道徳のためだけではなく、教会の善のための問題において司教たちに命令する権利を持っておられます。それゆえに、第二バチカン公会議と第一バチカン公会議の両方に一致して、教皇がロシアを奉献することを司教たちに命令するようにという聖母の要求は完全に教皇の裁定権の範囲内のことです。


「神の忍耐の限度」(13)

2011年11月23日 | Weblog

第III部:「神の忍耐の限度」

第2章:私たちの子どもたちを救ってください

Coralie Graham

誰も私たちを救ってくれないでしょう

ファチマ・クルーセイダーの編集者として私は毎週数千通の手紙を受け取ります。そして私はあなたがたに外部にいる人々が嘆いていると言うことができます。彼らはカトリックの指導を受けていません。私たち平信徒はもう発言権を持っていません。だからこそ人々は嘆願しているのです:「どうか、私たちを導いてください。司教様方に話してください。彼らに私たちが傷ついていることを告げてください。私たちの子どもたちの霊魂は地獄へ行こうとしています。そして誰も私たちを助けてくれないのです。」

一人の婦人は毎日泣いていると書いてきました。そしてこう言いました:「私は、ミサに行くとき、ミサの前にロザリオを祈ります。そして司祭が来て私の手からロザリオを引きちぎり、それを教会の真ん中で壊し、ロザリオの珠が座席の間の通路に転がり落ちました。」

それが私たちが受けている指導の種類です。権威の地位におられる方は誰もそれを止めておられません。彼らは司教様の所へ行きます。そして司教様はこう言われます:「はい、彼に話しましょう」しかし何事も起こりません。

数え切れないほどの人々がこう告げられます:「教会の中でロザリオを祈ってはいけません。あなたたちは人々に迷惑を掛けているのです。」この言葉はミサの前にロザリオを祈っている10人から15人くらいの小教区民の小さなグループに対して言われるのです。ミサの間ではないのです。何か他の典礼の出来事が進行している間ではないのです。ただ非常に静かに祈っているだけです。しかしそれでもなおこう告げられます:「いいえ、駄目です。あなたがたは人々に迷惑を掛けています。」

私たちの子どもたちについてはどうでしょうか

避妊は一つの罪です。にもかかわらず、彼らはカトリックの生徒たちに彼らに役立てられ得るすべての種々さまざまの避妊の道具を示し、そしてそれらの使い方を示すためにカトリック学校の中へプロテスタントの人々を招いています。このことは学校長と司教の完全な承認の下に行われています。生徒たち自身がこの反カトリック的な実践に疑問を提出するとき、彼らはこう告げられます:「おお、われわれは彼らにそれを使うように告げているのではありません。われわれはただ彼らにどのように使用するかを示しているだけです。」

ある教区の一人の司祭は彼の全会衆にこう説教します:「私の会衆の誰一人地獄へは行きません。というのは、私はあなた方が皆神を愛しておられることを知っているからです。そしてもしあなたが神を愛しているならば、あなたは大罪を犯すことはできません。たとえあなたが誰かを殺すとしても、あなたは地獄へ行くことはできません。というのは、あなたは神を愛しているからです。あなたは、地獄へ行くことを宣告されるために誰かを殺すときは神を憎まなければなりません。」

私はもっとよく知っています。私はそれが異端的であることを知っています。私は、成長したときに厳格なロレットの修道女たちによって教えを受けたことを神に感謝しています。彼らは私の心の中に信仰の種を植え付けてくれました。それで私はもっとよく知ったのです。

しかし私たちの子どもたちはどうでしょうか?彼らは私が学校で教えられた私たちの完全なカトリック信仰を持たなければならなかった有利な点を持ちませんでした。彼らは霊魂を救う説教を説教壇から聴きませんでした。教会と学校制度はもはや彼らに罪を犯さないように教えていません。

むしろ、彼らはのんきになり罪を犯すように励まされています。彼らは現実に彼らの両親から指導を受けるよりはむしろ彼ら自身の形成されていない良心に耳を傾けるように奨励されています。

彼らは地獄へと導かれています

学校では今子どもたちに同性愛者たちを尊敬するように教えています。同性愛の人ばかりではなくて、また彼らの罪深い行為をも尊敬するように、です。彼らは教室で子どもたちに同性愛の活動にどのように従事するかをフィルムを通じて示しています。そして彼らはこう言っています:「あなたたちは彼らがしていることを学びそして尊敬しなければいけません。」

われわれは皆聖書の中で、神が同性愛について何と言われなければならなかったかを知っています。私は、私の子どもたちが学校に行って、彼らにそのことが間違いのないことであると告げる同性愛の教師によって教えられることを望みません。

私は家に一つの美しい御像を持っています。それは、私たちの信仰において私たちが堅固である必要がある恵みを私たちにお与えになりながら、愛をもって私たちに両手を拡げておられるわれらの祝せられた御母です。その御像はばらばらに壊されて、ゴミ箱の中に投げ込まれて、ブッシェル・バスケットの中で見つけられました。何人かの修道女たちがその御像を接着剤でつなぎ合わせました。しかし彼らの少女たちのための中途半端の建物は部分的に政府の基金を受けていたためにその御像を保存することを許されませんでした。彼らは基金の欠如のためにすべての十字架や御像を教室から撤去するか、あるいは教室を閉鎖しなければなりませんでした。

彼らはその御像を私にくれました。それで私は聖母を連れて帰り、そしてそれに色を塗りました。聖母像はとても美しく魅力的でしたので、私はその聖母像があった教会に戻すことに決めました。私が聖母像を司祭に差し出したとき、彼はこう言いました:「おお、だめです。私はその聖母像を教会の中に置くことはできません。それは教会の壁に合いません。それは装飾と調和しません。」

私はまた家に一組の美しい十字架の道行きを持っています。それは4フィートの高さでキャンバスに油絵で描かれ、樫の木の枠組みに収まっています。この十字架の道行きは5フィートの高さの聖アントニオの御像とイエズスの聖心の御像と一緒に「救出された」ものです。そしてちょうど救出に間に合ったのです。それらは破壊とゴミ処理場への運送を運命づけられていたのです。

司教様方が助けるためにお出来になること

私は人々がロシアの奉献はなされたと言っているのを聴きました。私は他の人々がその奉献はなされなかったと言うのを聴きました。両方の側に尊敬すべき司教様方や司祭たちがおられます。一方の側はこう言います:「私は教皇に尋ねました。そして教皇は私にイエスと告げておられます。」他方の側はこう言います:「私は教皇に尋ねました。そして教皇は私にノーと告げておられます。」

教皇が実際に考えておられることに関して、私は、私たちが混乱を避けるために彼から一つの絶対的、権威的な教会の声明を聴くべきであると信じます。私たちが司教様方にして下さるように願っていることは教皇に一つの決定的な教会の宣言をなさるように求めてくださることです。

ファチマのメッセージは聖母が勝利なさるでしょうと言っています。私はこれまで以上に多くの霊魂が地獄に行くのを私が見ているときにそれが勝利であると言うことはできません。これが聖母の勝利であると私が言うことは冒涜をまくし立てることでしょう。聖母のメッセージは世界に平和があるでしょうと言っています。世界にはどこに真の平和があるのですか?ある人々はシスター・ルチアが意味していた平和は「心」の中の「平和」であると言っています。この「心」の「平和」はどこにあるのですか?私の国ではティーンエイジャーたちが毎日自殺をしており、そして彼らと一緒に他の人々を殺しています。私たちはこれが聖母の勝利であるとどうして言うことができるのでしょうか?

聖母は嘘をおつきになりません。奉献がなされたと信じている人々でさえ、何かが間違っていると認めざるを得ません。

何百万のカトリック教徒は司教様方に助けを求めて叫び声をあげています。聖母は平信徒並びに修道者である私たち皆に「ただ私だけがあなたたちを助けることができます」とお告げになりました。

私は今あなた方司教様方に、聖母の勝利をもたらすために、申し上げます、ただあなた方だけが私たちを助けることがお出来になります、と。

 


「神の忍耐の限度」(12)

2011年11月22日 | Weblog

第III部:「神の忍耐の限度」

第1章:「神の忍耐の限度」

Father Ninolas Gruner

マリアは人間の霊的な御母です。第二バチカン公会議が言ったように、そして私はそれを引用することを好んでいますが、祝せられたおとめは、われわれによい模範を与えられるがゆえにだけ、われらの御母であるのではなく、われわれを聖化する恩寵の生へとお生みになったがゆえに、われらの御母なのです。ちょうどわれわれの自然的な母がわれわれを自然的な生の中へと生んだ者であるのと同じように、われらの霊的な御母はわれわれを超自然的な生の中へとお生みになるのです。公会議のテキストはラテン語 generavit を用いましたが、それは「彼女はお生みになった」という意味です。このラテン語そしてその意味は彼女がわれらの御母と呼ばれ、そして真にわれらの御母であるのはなぜかその理由に対する真の基礎を指し示しています。

トビアスの彼の息子に対する忠告はこう言いました:「あなたの母があなたを生むときに堪え忍んだ苦しみを覚えていなさい。」確かにこれらの言葉はわれわれの自然的な母親に当てはまります。われわれはそのことに対して母親を尊敬すべきであり、母親を覚えていて、そして感謝すべきです。しかし、われらの霊的な御母が十字架の下でわれわれを霊的にお生みになった時に諸々の苦しみを堪え忍ばれたことに対してわれわれはそれ以上にもっとわれらの霊的な御母に感謝しなければなりません。

聖母がわれらの主、キリストをお生みになったとき、われらの信仰がわれわれに告げているように、それは処女の出産でした。マリアがわれらの主の誕生の前、間そして後に処女であるということは教会の教えの一つの荘厳な決定です。聖母は主をお生みになるときにいなかる苦しみも受けられませんでした。しかし、われわれをお生みになるとき、聖母はすべての殉教者たちを合わせたよりももっと大きな苦しみを受けられました。それが、聖母が殉教者の元后と呼ばれる理由です -- 聖母は御子が十字架上で亡くなられるのを見て苦しまれました。

教皇ピオ十二世が指摘なさっているように、永遠の御父は、もし祝せられたおとめマリアがその自由な同意を与えられず、御子に対する母としての諸々の権利をお与えにならなかったならば、われらの主が十字架につけられることをお許しにならなかったでしょう。

祝せられたおとめは、救い主の御母となることを受け入れられたとき、イザヤの預言を知っておられました。聖母は御子が苦しむ奴隷となられることを知っておられました。聖母は御子の御母として御自分が悲しみに満ちた母となるであろうことを知っておられました。しかし聖母はこの使命を、すべてのもののうちでも一番に、神への愛のゆえに、しかしまたわれわれ一人ひとりに対する愛のゆえに、喜んでそして自由に受け入れられました。だからこそ、われわれは聖母がわれわれをお生みになるときに堪え忍ばれた苦しみに感謝しなければならないのであり、それを忘れてはならないのです。

カルメル山上の預言者エリア

聖ルイ・ド・モンフォールと聖アウグスティヌスはわれわれに、われわれ一人ひとりが祝せられたおとめの胎内に霊的に宿されていると告げています。われわれは、永遠の生命へと入るときに始めて祝せられたおとめから生まれるのです。それが、われわれがカルメル山の聖母のスカプラリオを身につける理由です。そのスカプラリオは御存知のように、旧約聖書のエリアの時代にまで遡ります。エリアは預言者でした。彼は祝せられたおとめに対する一つの非常に特別の信心を持っていました。人々が神に耳を傾けなかったがゆえに、彼がそこに旱魃が来るように祈ったということがありました。それで彼はそこに雨が降らないように祈りました。3年半の間雨が降りませんでした。そしてその地方に大飢饉が起こりました。それからエリアは雨が降るように祈りました。彼はカルメル山の上で祈っていました。神が雨を送られるように彼は6度祈りました。そして彼は6度、雨がやって来るかどうかを見るために彼の助手を山腹まで送りました。彼は海まで下って行きましたが、そこにも雨は降りませんでした。6度彼の助手は同じメッセージをもって戻って来ました。それから、エリアは7度目の祈りをしました。今回は彼の助手アカブが山腹に降りて行ったとき、一つの小さな雲が一本の足の形をして海から出て来ました。この雲は全地を覆い尽くすまでますます大きくなりました。からからに乾いた土地の上に雨が落ちたのはこの雲からでした。エリアは一本の足の形をしたこの雲を通じて、神が彼にある事柄、すなわち、この雲は創世記の女、その足で蛇の頭を踏み砕くであろう女を表しているということを理解しました。それゆえ、エリアはキリストの到来のための準備をするため、われらの主の御母の到来のための準備をするために、カルメル山の上に隠遁者たちのグループを設立しました。

それゆえ、聖母が1251年に聖シモン・ストックのところへ来られ、彼のマントに触れられたのは、エリアと彼の隠遁者たちの後継者たち、特にカルメル会の神父たちのところへでした。それはエリアが身につけていたのと同じマント、前と後ろに膝まで下がり、両肩にかけられたマントでした。聖母はシモン・ストックのマントに触れ、こう言われました:「誰であれこのマントを身につけて死ぬ者は永遠の火に苦しまないように私はします。」

ところで、カルメル会員たちのこのマントは聖母の霊的母性を象徴しています。マントは肩の上に着られるがゆえに、それゆえ、聖母のマントは聖母の霊的な胎内におけるそのすべての子どもたちを覆います。それゆえ、教皇ピオ十二世がそうするようにわれわれに告げておられるように、われわれは聖母の汚れなき御心にわれわれ自身を委ねます。カルメル山のスカプラリオはマリアの汚れなき御心に対するわれわれの個人的奉献のしるしです。聖母はそれが危険からわれわれを救うでしょう、それは平和のしるし、そして救いの保証でしょう、このスカプラリオを身につけて死ぬ者は誰でも永遠の火に苦しむことはないでしょう、とわれわれに約束しておられます。

教会の教父たちそして博士たちはエリアについての聖書のあの個所について解釈をしてきました。そして彼らは、あの雲は二つの理由で祝せられたおとめを表しているとわれわれに告げています。蛇の頭を踏み砕く足を表していることに加えて、その雲は祝せられたおとめの無原罪の御宿りを表す塩水の海から発生した淡水の雲でした。罪深い人類 -- 塩水によって表された -- から罪のない者である彼女を表す -- 塩のない -- 淡水の雲が発生するでしょう。第二に、それはすべての恵みの仲介者マリアを表しています。なぜなら、雨が人類の罪でからからに乾い大地に降り,そしてすべての恵みが祝せられたおとめマリアを通じてわれわれのところに来るのは一つの雲からだったからです。

すべての恵みの仲介者

教皇レオ十三世がわれわれに告げられたように、-- すべての恵みは神から、イエズス・キリストの聖なる人間性を通じて、祝せられたおとめマリアの手を通じて、われわれのところに来ます。神がすべての人に、あらゆる場所で理解するように望んでおられるのはこの偉大な教義上の真理です。それが、神が世界と教会を歴史におけるこの危機にもたらされた理由です。われわれはわれわれの罪のゆえに現在の危機のうちにいます。しかしわれわれの罪でさえ神に奉仕します。神は、人々が平和、恵みそして憐れみが祝せられたおとめマリアを通じて来るということを理解するように、劇的に、いかなるメディアの出来事がそうすることができるよりも遙かに劇的に、祝せられたおとめマリアの栄光を高めるために、われわれをこの危機へともたらされたのです。

われわれはキリストの御血を通じて救われます。しかしもし祝せられたおとめが神に対して「はい」と言われなかったならば、そのときイエズスは人となられることはなかったでしょうし、そしてわれわれのために十字架上でその生命をお捧げになることもできなかったでしょう。われわれの救いは聖母の自由な同意に依存していたのです。その自由意志は単にお告げにおいて与えられただけではなく、十字架の刑そしてわれらの主の死まで続けられ、そしてそれらのことを含んでいました。聖母はこの世におけるこれらのわずかの事柄において忠実であられました。そして神がこの世において聖母に委ねられたこれらのわずかの事柄はわれわれすべてがここであるいは今後委ねられるであろうものを一緒にしたよりも多いでしょう。聖母は天国におられますから、多くの人々の上方に立てられました。聖母はわれらの主と父なる神に何一つ、御子の死さえも、拒まれませんでした。聖母は天国におられますから、聖母の祈りには何一つ拒まれません。

われわれにとって、聖アウグスティヌスがわれわれに教えていること、すなわち、神がその大きな愛においてわれわれに与えようと望んでおられるある種の恩寵、ある種の好意があるということを理解することは重要です。聖アウグスティヌスはまたわれわれがそれらの恩寵や好意に値しないということ、そしてわれわれの弱さにおいてわれわれが、どういうわけか、祈り、あるいは犠牲、あるいは何らかのものによっであれ、それに値したと考えながら、高慢になるであろうということを認めています。神はある種の恩寵やある種の好意をただ諸聖人の執り成しと功績にのみ取っておかれました。ヤチンタは言いました:「神は世界の平和をマリアの汚れなき御心にお委ねになりました。」だからこそ、平和は神がファチマでわれわれに啓示なさった計画を通じて以外には他のどんな仕方でも実現しないでしょう。だからこそ、祝せられたおとめはわれわれに言われたのです:「ただ私だけがあなたたちを救うことができます。」

ある意味において、逆に聖母の下において、ただあなたがた司教たちだけが、そして教皇だけがわれわれを助けることができます。われわれは他のいかなる仕方においても平和を手にすることはないでしょう。神が概略なさり、指示なさった聖母の計画とのあなたがたの協力を通じて以外には数百万の人々の霊魂が失われるでしょう。それは決定的です。神はその考えを変えられないでしょう。

いくつかの預言において、われわれは神が「その考えを変える」ことがお出来になるということを知っています。一人の王が一日か二日以内に死ぬだろうと告げられました。彼は壁に向き直り、そして泣き叫び、神に祈りました。預言者が扉を出て歩いて行ったとき、神は彼に再び語りかけられ、こう言われました:「戻って行って彼に、私が彼の祈りを聴いた、そして彼の生命を15年まで伸ばすと告げなさい。」

ある預言は条件的でり、他の預言は絶対的です。ファチマのメッセージにおいては聖母の言葉の文脈から、これが一つの絶対的な条件をもった一つの絶対的な約束であることは非常に明瞭です。聖母はこう言っておられます:「ただ私だけがあなたたちを救うことができます。」聖母はまたこう言っておられます:「終わりに、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献されるでしょう。ロシアは回心するでしょう。そして平和の一時期が人類に与えられるでしょう。」聖母は最終的な勝利を予告なさいました。しかしただ勝利をではありません。聖母はまたその最終的な勝利の仕方をも予告なさいました。

われわれにとって、われわれを導き、そしてこれらの事柄をわれわれに説明するために、聖母に、誰が智恵の座であり、善き相談の御母であるかと尋ねることは重要なことです。私は聖母がそうして下さると確信しています。聖母は既にわれわれを助けられました。

それはまだ決定されていないけれども、私はマリアがすべての恵みの仲介者であるということは決定可能であると信じています。通常の普遍的教導権のこの教えについて知っている人にとっては、それは信仰において拘束力のあるものです。第一バチカン公会議が教えているように、われわれは、特別教導権が荘厳に決定し教えたことだけを信じる義務があるだけではなく、また教会の通常の普遍的教導権が教えたことをも信じる義務があります。

教皇レオ十三世並びに彼以後のすべての教皇たちの教えにおいて、祝せられたおとめマリアがすべての恵みの仲介者であるということは十分に明瞭です。神が信徒たちにそのことを認めることを望んでおられるということはこの教説から出てくる実践的な結果です。だからこそ、シスター・ルチアが主に、なぜ主は奉献の行為なしに世界に平和をもたらし、ロシアを回心させようとなさらないのかを尋ねたとき、われらの主はこうお答えになったのです:「それは、私の全教会がその奉献を認めることを私が望んでいるからだ」と。

いくつかのファチマの注釈はそれをこう翻訳しています:「私の全教会がその回心を認めることを私は望んでいる」と。いずれの仕方においても、それは最終的には同じことを意味しています -- 「私の全教会がマリアの汚れなき御心の勝利としてその奉献を認め、そのことによって、私の御母の汚れなき御心に対する信心を私の聖心に対する信心の側に置くことを私は望んでいる。」

お求めになったのは神御自身である

シスター・ルチアは、彼女に「奉献を強調することは都合がよいか?」という質問を彼女にした彼女の告解聴聞司祭にこの答を書きました。そしてシスター・ルチアは「私は過去に答えたように答えます」と述べることによって返答しました。そして彼女はこう言いました:「最近私はわれらの主にこのことについて尋ねました。」そして続けてわれらの主のお答えを述べました。私は彼女の答が「はい、強調することが都合のよいことです」という意味であると理解しました。

私は、自分自身で、強調することは必要であるとつけ加えたいと思います。第二バチカン公会議は Lumen Gentium の第 37 節において、信徒が教会の善のために、特に霊魂の救いのために必要であることを彼らの聖なる司牧者たちに注目させる権利、そして時には義務を持っている、ということを教えています。この使徒職において働き、そして諸々の反対を聴いている15年の後に、私は今なお、すべての真理と誠実さにおいて、教会の善のために、教皇と世界中の司教たちが指定されたやり方でロシアを奉献しなさいという天の元后の命令、そして神御自身の命令に従うことよりももっと重要な、もっと緊急な、もっと必要なことは何もない、と言うことができます。「神がお求めになっている時が来ました...」と言われたのは聖母です。それゆえ、聖母はその言葉を話されたのですけれども、その要求をなさっているのは神御自身なのです。

その要求は、シスター・ルチアがいとも聖なる三位一体の荘厳な幻視を受けていたときに与えられました。神秘的な会話において、伝えられているのは単に言葉だけではなくて、また理解です。もし、シスター・ルチアがこれらの言葉を受けていたと同時にいとも聖なる三位一体の神秘の諸局面を承知してならば、確かに聖なる三位一体がまた聖母がシスター・ルチアの心の中へと話されたこれらの言葉の意味を伝えることがお出来になったと信じることは過大な要求ではありません。

1929年から1989年までの60年の間シスター・ルチアは誰とも矛盾する恐れなしに公的に記録されています。1989年以前にはいかなるインチキの手紙類が出回ることもありませんでした。その問題のために、シスター・ルチアが奉献がなされたと言ったとさえ主張した、話しているシスター・ルチアに対するいかなる個人的な証言もありませんでした。また彼女の姪のマリア・ド・フェタルのようないかなる友人、あるいは彼女のよき友人ペスタナ夫人もいませんでした。ただ一つの基本的な例外がありす。その例外とはクレイマー神父が彼の諸論考において「インチキのインタビュー」として言及しているものでした。彼らはわれわれに1982年5月13日にシスター・ルチアに話したと想定されているインタビューをした人々の名前を与える勇気を持ちませんでした。しかしわれわれは、その悪ふざけを働いた人々が手を引いて決してそれを再び試みなかったという出来事についてそのような嘲りをしました。「インチキのインタビュー」を除けば、シスター・ルチアが過去60年間に言ってきたことに矛盾したと誰一人決して主張しませんでした。

シスター・ルチアの証言は重要ではない、結局のところ、ただ彼女は言われたことを繰り返した誰かだと考えられるべきだ、そしてそれがそのことの終わりであるとわれわれに告げる人々がいます。多くの点で私と一致する人々でさえそうです。私は、彼らが、1917年6月13日に聖母が彼女に言われたことを忘れていると思います。聖母がその日両手を広げられたとき、聖母の両手からの光は、それが5月13日に3人の子どもたちの上に落ちたのと同じように彼らの上に落ちました。しかし今回はそれは異なっていました。というのは、一方の手からの光はルチアの上に落ち、そしてそれから地へと下って行きましたが、それに対してもう一方の手からの光はヤチンタとフランシスコの上に落ち、そしてそれから天国へと昇って行ったからです。子どもたちはこの光を理解しました。そして聖母の言葉はそのことを確証しました。聖母はこう言われました:「私は間もなくフランシスコとヤチンタとを天国に連れて行きます。しかし神は、私の汚れなき御心に対する信心を知らせるためにあなたをもう少し長く地上に残すことを望んでおられます。」

ルチアはこのことを悲しみました。というのは彼女もまた天国に行くことを望んでいましたし、また彼女の二人のいとこ、ヤチンタとフランシスコの友情なしに残されることを望まなかったからです。聖母は彼女を見てこう言われました:「わが子よ、あなたは悲しんでいます。悲しまないでください。私の汚れなき御心があなたの慰めとなるでしょう。私の汚れなき御心はあなたの避難所そしてあなたを神へと導く道となるでしょう。」

聖母のこれらの言葉の中に含まれているのは一つの非常に慰めになる考えです。シスター・ルチアがわれわれに告げているように、これらの言葉は彼女自身に宛てられているだけではなくて、マリアの汚れなき御心に捧げられているすべての人に宛てられた言葉でした。神はマリアの汚れなき御心に対する信心を知らせるために、彼女、ルチアを地上にしばらく長く残すことを望まれたのです。その使命を彼女は5回の初土曜日の要求を受け取ることによって果たしました。7月13日に祝せられたおとめは、飢餓、戦争、教会の迫害および教皇の迫害という四つの懲罰に言及されながら、こう言われました:「このことが起こらないようにするために、私は5回の初土曜日における償いの聖体拝領とロシアの奉献を求めに戻って来るでしょう。」

神は再び償いの聖体拝領を求めるために、1925年12月10日に彼女のところに戻って来ることによって更にシスター・ルチアをお用いになりました。シスター・ルチアはドロテア姉妹会の修練女としてポンテヴェドラにいました。彼女は聖母が御子イエズスを連れて御出現になったとき自分の部屋で祈っていました。御子イエズスはおよそ12歳くらいでした。そしてイエズスは雲の上に立っておられました。祝せられたおとめの汚れなき御心は棘で取り巻かれていました。御心は剣で刺し貫かれてはいませんでしたがその周りを棘で取り巻かれていました。御子イエズスが最初に話され、こう言われました:「恩知らずの人々が彼らの冒涜と忘恩によってあらゆる瞬間にそこに置いた棘で取り巻かれているあなたの御母の御心を見なさい。あなたは少なくとも償いをすることによって聖母を慰めてください。」

祝せられたおとめが次に話されました。聖母は既にその左手をシスター・ルチアの肩の上に置いてこう言われました:「5回の引き続く初土曜日に告解に行き、御聖体を拝領し、ロザリオの諸玄義について黙想しながら、私の汚れなき御心に対して償いをする意向をもって、15分間私と共にいる霊魂たちのために救いに必要なすべての恵みを死のときに、私は約束すると私の名において告げ知らせなさい。」

神の忍耐の限度

それは1925年12月10日でした。シスター・ルチアは彼女の告解聴聞司祭と彼女の上長のマザーに告げました。それ以上のことは何も起こりませんでした。それでちょうど2ヶ月と5日後の1926年2月15日に、御子イエズスはシスター・ルチアに会いに来られました。それは次のように起こりました:シスター・ルチアは中庭にゴミバケツをあけに出て来たとき、中庭の門を通ってこの小さな少年が入って来るのを見ました。ルチアは彼をおよそ数ヶ月前に会った少年だと認め、こう言いました:「私があなたに言ったことをしましたか?」彼女が言っていたのは、およそ数ヶ月前に彼女が彼に「めでたし」を祈るように言ったという事実のことです。その時には、彼はシスター・ルチアが彼と一緒に祈らない限り「めでたし」を祈ろうとはしませんでした。彼女は忙しくて彼女の義務を果たす必要があったので、サンタ・マリア・マジョーレ教会がどこにあるか、彼が知っているかどうか尋ねました。その教会は彼らが立っている所からほぼ5分くらいの所のあたりにありました。その子どもは「はい、どこにあるか知っています」と答えました。シスター・ルチアは彼にそこに行き、祝せられたおとめにイエズスを彼の心の中へ入れてくださるよう願いなさいと告げました。それから少年は歩いて行きました。それは数ヶ月前のことでした。彼女はこの日、2月15日まで彼を再び見ることはありませんでした。それで彼女は彼に言いました:「あなたは私があなたに告げたことをしましたか?あなたは祝せられたおとめにイエズスをあなたの心の中へ入れてくださるように願いましたか?」その子どもはそれから彼女の前で変身され、そして言われました:「そしてあなたは私の御母の汚れなき御心に対する信心を促進するために何をしていますか?」

シスター・ルチアはもちろん今イエズスを認めました。彼女はイエズスに、自分は上長のマザーに告げた、そして上長のマザーが自分は何もできないと彼女に答えたと説明しました。御子イエズスはルチアに言われました:「上長のマザーは正しい。彼女自身では何もできません。しかし私と共になら彼女はあらゆることができます。」御子イエズスはまた告解聴聞司祭はメッセージがどこから来たかについて関心を持つ必要はない、彼がしなければならないことは信心に賛成することだと説明されました。

ここにわれわれは、その持続期間がただ2ヶ月と5日であった遅延に対する神の忍耐の限度を見る、とあなたは言ってもよいでしょう。御子イエズスはシスター・ルチア、上長のマザー、そして告解聴聞司祭を非難するために戻って来られなければならなかったのです。それゆえ、またわれらの主が、他の機会に彼女の告解聴聞者の要求でなぜ5回の初土曜日であって、9回の初金曜日のように、9回ではないのか、あるいは聖母の7つの悲しみのための7回ではないのかを、シスター・ルチアによって尋ねられることになったのです。イエズスはお答えになりました:「その答は簡単です、わが娘よ、それはマリアの汚れなき御心を傷つけている五つの主要な罪のためです。」それからイエズスはこれらの罪が何であるかを挙げられました。それらの罪は:

無原罪の御宿りに対して冒涜をする罪;
イエズスの祝せられた御母の永遠の処女性に対して冒涜する罪;
人々に対する祝せられたおとめマリアの霊的母性そしてイエズス御自身に対する聖母の母性を否定する罪;
祝せられたおとめを彼女の聖画像と聖像において攻撃する罪;
子どもたちの心から祝せられたおとめに対する信心を取り除く罪。

これら五つの罪は特に聖母を傷つけ、そして償いを必要とします。

1929年6月13日に、祝せられたおとめはその御約束を果たすため、そして神が望んでおられることが何であるかをもっと正確に説明するために戻って来られました。聖母はこう約束されていました:「私はロシアの奉献を求めるために戻ってくるでしょう。」この機会に、ルチアは1916年に天使によって教えられた祈りを祈っていました。天使は1916年に、祝せられた秘蹟[聖体の秘蹟]に対する諸々の罪のためにイエズスの聖心とマリアの汚れなき御心に償いの祈りをすることを求めるために来ました。シスター・ルチアは天使のその祈りを6月12日から13日にかけての夜に祈っていました。彼女は彼女の上長たちから聖マルガリタ・マリア・アラコックの祈り、すなわち、月の毎木曜日に聖心に対してする償いの祈り、をする許可を貰っていました。彼女が祈っていたとき、祭壇の灯りを除いては真っ暗であった聖堂が一つの超自然的な光によって照らされました。彼女は、上を見たとき、雲の上に立っておられる聖母を見ました。聖母の横の、十字架上には御子イエズスがおられ、イエズスの頭の上の方に聖霊がおられました。神なる御子、そして神なる聖霊の上方には神なる御父が老人の姿をしておられました。御聖体、ホスチアがわれらの主の脇腹の傷から出て来ました。ホスチアからはホスチアの下の方に空中に吊されたカリスの中へ血の滴りが落ちていました。このすべてのものはイエズスの右腕の下にありました。イエズスの左腕の下には水の形で書かれた「恵みと憐れみ」という言葉がありました。ルチアはわれわれに、この時に、彼女にとって話すことあるいは明らかにすることを許されていないいとも聖なる三位一体の神秘の諸々の局面を理解させられたと、告げています。

聖母は一方の手にロザリオを持ち、他方の手に再び棘で取り巻かれた聖母の汚れなき御心を持っておられました。祝せられたおとめは言われました:「神が、この手段によってロシアを救うことを約束なさりながら、教皇に、私の汚れなき御心へのロシアの奉献をし、また世界のすべてのカトリック司教たちに奉献をするよう命令なさるようお求めになる時が来ました。神の正義が地獄へと断罪し、私が償いを求めるために来た私に対して犯された非常に多くの罪があります。」

ここにわれわれは祝せられたおとめの「復讐」を見ます。聖母は彼女を傷つけたまさにそれらの人々のためにわれわれの祈りと償いを求めるために来られます。棘で聖母の御心を取り巻いたまさにそれらの人々のために。

ちょうど2年2ヶ月後、1931年8月にわれわれは再び神の忍耐の限度に出会います。ルチアはリアンジョにいました。そしてイエズスは彼女にこう話して言われました:「彼らが私の命令の実行を遅らせることにおいてフランスの王の例に従うならば、フランス王と同じように、彼らが彼に従って不幸に陥るであろうということを私に仕える者たちに知らせなさい。彼らはこのことについて後悔するであろう。それから彼らはそれをするであろう、しかしそれは遅いであろう。」

トリンチャード神父はその著書の中で、遅延に対する後悔の行為がもしあるならば、それは以前に従わなかったことに対する何らかの罪悪感があったということを意味すると指摘しておられます。

司教たちは介入しなければならない

一人の司教として聖アウグスティヌスはこう言われました:「あなたと共に私は一人のキリスト者である。そして私はそのことにおいて喜ぶ。あなたのために私は一人の司教である。そしてそのことのために私は震える。」司教たちの責任は神の前で、そして人間の前で、実際大きいものです。われわれは、われわれがまた教皇のために祈るのと同じように、あなたがたのために多くのロザリオを祈ってきました。われわれは奉献のこの行為をなさるように教皇のために1200万回のロザリオの祈りを集めた後に数えることを止めました。われわれは世界中の信徒から多くの聖体拝領や他の信心の行為を集めました。それゆえ、われわれはあなたがたがわれわれの司教様方であるということ、あなた方がこの責任を担われたということに心からの感謝を感じています。そしてわれわれは教皇が教皇であることの十字架を受け入れられたことに心からの感謝を感じています。同時にわれわれはわれわれ自身の義務を理解しています。イエズス御自身がわれわれに告げられたように、「教皇のために祈りなさい、祈りなさい、たくさん祈りなさい。彼はそれをするでしょう。しかしそれは遅いでしょう。」

デアドル・マニフォールドの「ファチマと大陰謀」そしてラルフ・エッパーソンの「新世界秩序」の2冊の書物、並びにファヘイ神父の諸著作の読書から、私は今日われわれが実際取り囲まれているということを見ることができます。われわれは実際司教たちの介入を大いに必要としています。われわれはすべて -- 教皇から司教たち、司祭たち、平信徒まで -- 同じボートの中にいます。われわれは、船を救うことができるのは、ただ教皇と共にあなた方だけであるということを知っています。 それが、シスター・ルチアが「強調することは都合がいいか?」と尋ねられたときに、彼女が答えた仕方である理由です。「実際、強調することは都合がよいことです。」

その時以来多くのことが起こりました。今日諸々の問題のうちの一つは多くの偽りの情報があることです。私はあなたがたのうちの何人かの方がそれについて疑問を持っておられるということを知っています。また、偽りの神学があります。私は私の第2年目の神学において聖書を勉強していたときのことを思い出しますが、私はなぜ神が、聖ペトロと聖パウロに論争をすることを許されたのか、不思議に思いました。私は「これは正しくない。結局、われわれは、プロテスタントの人々があの聖書の節を彼らの手にしたときに、教皇制度を攻撃する彼らに対してどのように自分たちを擁護できるのですか?」と言いました。もちろん、私はその節を私がそうすべきであったようには理解していませんでした。私は、教皇の誤った解釈について同じ感覚を持ち、アンチオキアへの聖ペトロの訪問に関する聖パウロのガラチア人への手紙あるいは使徒行録に精通していないで、ファチマのメッセージに関わっている多くの通俗的作家たちが存在することを恐れています。

聖ペトロは、御存知のように、その機会に教会の最初の公会議であったエルザレム公会議において、救われるためにはあなたは割礼を受けている必要はないということが実際信仰に属するのだ、とまさに決定しました。必要だったことは神の律法、すなわち十戒に対する従順であり、キリストの律法への従順でした。しかしモーゼの儀礼的な律法はもはや必要ではなかったのです。聖トマス・アクィナスはモーゼの儀礼的な律法に従うことは一つの異端の行為であろうということを証明しています。なぜなら、旧約聖書のそれらの秘蹟はキリストの未来の到来に言及していたからです。今日古い律法のそれらの秘蹟に固執することはキリストが実際に来られたということの否定となるでしょう。

聖ペトロは彼がエルザレムで主張した真理に決して反論したのではなくて、あたかも反論したかのごとくに行動したのでした。聖ペトロは割礼を受けなかったカトリック教徒たちと共に食事をせず、ただまた割礼をも受けていたカトリック教徒たちを共にのみ食事をしました。聖書学者たちがわれわれに告げているように、最もありそうな彼の行動がなされたのです。なぜなら、彼は共同体における平和を望んでいたからです。それは一つの非常に健全な動機です。しかし彼の行動はまた、救われるためにはあなたは割礼を受けている必要があるという異端的な印象を引き起こしました。それゆえ、聖パウロは、起こりつつあったことを見て、聖ペトロを面と向かって公的に非難しました。彼は言いました:「あなたは真理のうちに立っていない」と。聖ペトロは、感心なことに、聖パウロが言っていることの真理を認め、彼の行動様式を変えました。それは今聖書の中にあります。

三種類のスキャンダル

今日、あるカトリック教徒たちにとっては、それはある時期にそうであったように、それは一つのスキャンダルです。聖書がわれわれに告げているように、そして再び、聖ルイ・ド・モンフォールが教えておられるように、三種類のスキャンダルがあります。簡単に言って、スキャンダルであるスキャンダルがあります。すなわち、もし私が千ドルを盗んだとしたら、そして誰かがそうしている私を見て、そして彼らが、もしグルーナー神父がそうすることができるなら、私もまたそうすることができると言ったとしたら、私はある人を憤慨させたことでしょう。もちろん、そのことは、単に千ドルを盗むことは悪いことであるからばかりではなく、またある人を憤慨させることが悪いことでもあるから、悪いことでしょう。

弱者のスキャンダルと呼ばれる第二の種類のスキャンダルがあります。聖パウロは彼の時代のカトリック教徒たちに話しているときにそれについて書いています。ところでそれらのカトリック教徒たちは事情に通じていました。彼らは神が、創世記がわれわれに告げているように、食する肉のためである動物たちを含む被造物のすべてを創造なさったことを認めていました。それゆえに、肉を食することには何ら悪いことはありません。たとえある異教徒たちがその肉を犠牲のために捧げたとしても、それはそれ自体で悪いことではありません。しかしながら、聖パウロは彼らの信仰において弱い人々、あまり事情に通じていない人々がいるということを指摘しています。もし彼らが、偶像に犠牲として捧げられた肉をあなたが食べているのを見たならば、、彼らはあなたが偶像崇拝に同意しているという印象を持つかもしれません。聖パウロはそれゆえに、なぜ小さな肉のためにそれらの霊魂を失うのか?と言うのです。もしそれを食することによってあなたが弱い者を憤慨させるならば、正当にあなたのものであるものを取る代わりに、あなたは腹をすかしたまま行くことができます。

ところで、われらの主御自身が攻撃された第三の種類のスキャンダルがあります。それはファリザイ的なスキャンダルと呼ばれます。われらの主は安息日に諸々の奇跡を働かれました -- 病人を癒し、他の諸々のよいことをなさいました。ファリザイ人たちは彼にこう言ったものでした:「それをしてはいけない、なぜならわれわれは憤慨するからだ。」われらの主は御自分のやり方を変えることを拒否なさいました。主は、憤慨した者たちの邪悪さのゆえに、なされなければならないよいことをやめることを拒否されました。フランス語における表現 Honni soi qui mal y pense がここで当てはまります。「悪を考える者には恥あれ」。もし誰かが私が何かよいことをすることによって憤慨するならば、そのときそれは彼らのやり方の邪悪さを示します。むしろ、私は、そのことに関して、私がしていること、あるいは他の誰かがしていることを、することを止めることは間違っているでしょう。というのは、誰かがファリザイ的なスキャンダルを持っているからです。私は、それが、われわれのファチマ奉献十字軍に対して挙げられている諸々の反対のあるものとわれわれが部分的に関わっているものであることを恐れています。

ヨシプ・テレリャは教皇に話しました。ヨシプはわれわれに、グルーナー神父がロシアの奉献の必要性を促進していることをすることから司教たちを彼ら自身の司教区において妨げるものは何もないと、告げています。教皇は彼が奉献の行為をなさる前にこの準備を必要なものとして見ておられます。それが必要であるか、それともそうでないかは問題ですが、しかし確かにこの奉献の十字軍をあなた自身の国のあなた自身の司教区において促進すること、イエズス御自身がシスター・ルチアに、「教皇のために祈りなさい、祈りなさい、たくさん祈りなさい。教皇はそれをするであろうが、しかしそれは遅いであろう」と告げられたように、教皇のために祈りを集めることはよいことでしょう。

教皇は彼の血を流され、そして彼の生命が救われたのはファチマの聖母の介入を通じてであったということを認められました。教皇は最初の弾丸が彼をめがけて発射されたときその青と白のドレスの上にファチマの聖母の姿を着けた一人の少女にキスするためにかがまれました。その弾丸は教皇を殺したことでしょう。弾丸が毒を塗られていたということは広く知られてはいません。たとえ弾丸が教皇を殺さなかったとしても、毒は殺したでしょう。われわれは教皇と一緒に撃たれた二人の女性がまた同じ非常に奇妙な病気に苦しんだがゆえにそのことを知っているのです。おそらく、そのように非常によく知られていないことは、その毒がロシアからではなく、合衆国から来たということです。それは、あなたがそれを資本主義と呼ぼうが、共産主義と呼ぼうが、あるいは社会主義と呼ぼうが、一つの司令部を持っているという事実を示しています。究極的にはそれは地獄からです。しかし地上においてさえそれは同じ人々によって命令されています。彼らは教会を滅ぼすために相互に同盟しています。第二詩編が言っているように、「なぜ地上の王たちはキリストに対して、神と神に塗油された方、すなわち、神とそのキリストに対して怒ったのか?」

われわれは地の王たちが、その大部分、神、キリストとその教会、そして教皇に対して戦っている時代に生きています。ヨシプ・テレリャはまた、教皇がロシアを奉献されない理由は今日モスクワによって教皇に対して加えられている圧力のゆえであると言っています。

教皇はわれわれの助けを必要としておられます。教皇はとりわけわれわれの祈り、われわれの犠牲、そしてわれわれの善意を必要としておられます。私は教皇ヨハネ・パウロ二世と彼の後継者の忠実な子であり続けたいと希望しています。しかし教皇が重要であり偉大であるのと同様に、われわれはまず第一にファチマの聖母に耳を傾けなければなりません。

ファチマのメッセージ全体を宣言することは悪いことではない

「彼らはそれを後悔し、そしてそれをするであろう、しかしそれは遅いであろう。」私は教皇がそうすることを望んでおられるということを確かに信じています。しかしたとえ彼がそうすることを望んでおられない -- 私はそう信じませんが -- としても、われわれにとって、教会によって承認されてきたファチマのメッセージ全体を公的に宣言すること、それがわれわれすべてにとって何を意味しているのかを単純な言葉で説明することは、それでもなお悪いことではないでしょう。われわれにとってそれを宣言しないことが悪い理由は、ペトロがサンヘドリンに、彼らが彼にイエズスの名において話すなと告げたとき、与えたのと同じ理由のためです。「神よりもむしろあなたがたに耳を傾けることが神の目から見て正しいかどうか、あなた方自身で決めなさい。なぜなら、われわれは見たこと、聴いたことを話すことしかできないからである。」

5人の教皇たち -- ピオ十一世、ピオ十二世、ヨハネ二十三世、パウロ六世そしてヨハネ・パウロ二世 -- は皆メッセージについて是認され、皆メッセージの普及を奨励されました。二人の教皇はここファチマへ来られました。教皇ヨハネ・パウロ二世は2度来られました。メッセージについてもし何か混乱があるとすれば、それは教皇を彼らの起源として持っていると主張し、メッセージは重要ではない、あるいはそれは迷信的呪文である、あるいはそれは魔術であると主張する神学者たちのためです。これらの言葉は、冒涜ではないとしても、冒涜すれすれのものです。にもかかわらず、これらの反論はファチマの聖母に忠実であると主張するまさにそれらの人々によって提出されているのです。

本質的な困難は何でしょうか?レゴ司教は次の疑問を出されました:「なぜ教皇は奉献がなされるかもしれないということを示唆するために前面に出て来られなかったのですか?」

私はクラクフの大司教であられたときの教皇について私が知っている一つの小さな物語をあなたがたにお話ししましょう。それは非常に単純な物語です、そしてそれは一つの非常にすばらしい物語です。ウォイティラ大司教はチェストホヴァの聖母への行列を先導するように頼まれました。その時期は教会にとって最悪でした。その時彼は拒否されました。それは、彼がチェストホヴァの聖母に敬意を表する行列に反対だったということではありません。反対に、彼はその時が行列を先導する好時期であるとは思われなかったのです。人々はそれにもかかわらず行列を出発させました。大群衆が参加しました。行列が十分に大きな数に達した時、大司教は御自身それに参加することを非常に喜ばれました。

私は、それが彼のやり方であると考えるがゆえに、この物語を告げています。彼は彼の群の余りにも前方にいることを望まれないのです。彼が、そうすることを望まれることをするに十分な支持があると理解されるとき、そのときには彼御自身もっと幸せにそれに参加されるでしょう。誰でも聖母に対する彼の献身を知っています。

 


「神の忍耐の限度」(11)

2011年11月21日 | Weblog

第II部:機会の窓

第4章:預言的原理と司祭的伝統

Father Paul Trinchard

預言は人間に対する神の矯正の言葉です。われわれは預言的原理と司祭的伝統を持っています。司祭的伝統は神がお与えになるものを守ることと考えられています。預言的原理は現在の状況を正し、そして適応させ、よくします。ファチマ・メッセージは神からの一つの絶対的に従われるべき預言なのでしょうか、それともそれは何か随意的なものなのでしょうか?それが、常にわれわれの精神のうちになければならない問いです。

真の預言のための三つの規準

まず第一に預言的なメッセージの基準はそれがわれわれのために神からのものであると主張されなければならないということです。神が旧約聖書において言われたように、偽りの預言者たちが彼ら自身の名において語るとき、彼らは神の名において語りませんでした。神は彼らを拒絶すると言われました。第二に、預言は証明されなければなりません。それは科学のようなものです。あなたは、あなたが神から話しているということを証明しなければなりません。旧約聖書においては、もし一人の「預言者」がある短期間の予告をし、そしてそれが的中しないならば、彼は連れ出され、石打ちの刑で殺されなければなりません。第三の基準は、それが神の啓示のすべてに一致しなければならないということです。それは聖書そしてカトリック教会がその中核とその本質的教えにおいて教えるすべてのことに一致しなければなりません。

カトリックの聖書後の預言は聖書に明るい光を当てるものでなければなりませんし、また明るい光を当てるものです。というのは、教会の教説は聖書から来るからです。預言の真正性を判断する聖書的な基準はすべての現代の御出現に適用されなければならないということになります。ファチマでは、1917年に7万人の人々が10月13日に予告された通りに、奇蹟を見ました。それとは対照的に、メジュゴリエにおいては、ザニッチ司教はこう言われました:「われわれは何年にもわたって待ってきた。いかなるしるしもいかなる証明もない。」メジュゴリエに対するザニッチ司教の基準はまったく聖書的です。彼はあなたが一つの証明を持たなければならないということを知っておられます。それは公的な証明でなければなりません。それは真正の預言のための基準の一つです。そしてファチマはその証明を豊富に持っています。われらの祝せられたおとめマリアは当時[まだ登位して]おられなかった教皇、ピオ十一世教皇の下での一つの戦争を予告なさいました。聖母はヨーロッパで空に輝く光を予告なさいました。それが1938年1月25日に起こったとき、この光は3時間続きました。

奉献と償い

私が教会で行った最後の説教は、司祭が外出していました。彼が戻ったとき、彼は私が純粋なファチマ・メッセージを説教したがゆえに私の諸々の権限は取り去られるべきであると要求しました。基本的なメッセージは今なお同じままです。すなわち、奉献と償いです。これらは一つの私的な次元を持っています。究極的に奉献はわれわれ諸々の個人のためです。償いもまた主としてそして究極的には諸個人のためです。にもかかわらずそれはまた一つの教会的な次元をも持っています。グルーナー神父は教会的なそして預言的な次元を強調しておられます。しかしながら、私の焦点はたいていは償いに置かれています。

すべての断片はファチマの第三の啓示が公表されるときに、それぞれの場所にあるでしょう。それは第三の啓示です。私はそれを秘密と呼ぶことを拒否しています。なぜなら、祝せられたおとめマリアはゲームをしておられるのではないからです。聖母は「私は一つの秘密を手に入れました、それが何であるか見つけなさい」とは仰いません。聖母は遅くとも1960年までに人々にそれは明らかにされるべきですと言われました。それを明らかにしないことにおいて悪いのは誰であるかは明白です。人間としての教皇と彼の公式の権限における教皇とを区別することは今日われわれの信仰の一つの試験です。

それゆえ、奉献と償いというこれら二つの要因に注目しましょう。聖母は十分な数の人々が奉献の生活を送るとき、そのとき教皇がロシアを奉献し、償いの日、償いの季節を宣言する(そして遂行する)ようにという神の教会的な命令に従うことへと圧倒的な仕方で恵まれるでしょうと約束しておられます。教皇がひとたびこのことをされるならば、われわれはもはやファチマの呪いと呼ばれ得るであろうものの下に生きることはないでしょう。われわれはファチマの祝福の下に生きるでしょう。われわれは一つの新しい時代精神 Zeitgeist、一つの新しい霊的雰囲気を持つでしょう。それはわれわれにかかっています。もし十分な数のわれわれが奉献された生活を送るならば、そのとき教皇は恵みを受けられるでしょう。なぜ個人的な奉献なのでしょうか?それは、リベラルな教会がどれほど多く「共同体」について話すとしても、それでもなおわれわれが諸々の個人であるからです。もし私が地獄へ行き、そしてあなたが天国へ行くならば、あなたの天国は私が地獄にいることによって減らされることはありません。われわれはそれでもなお諸個人なのです。奉献の第一のそして主要な目的はわれわれの霊魂を地獄から救うこと、そしてその次に他の人々の霊魂を地獄から救うことです。それが、シスター・ルチアが言ったことです。彼女は、自分の使命は世界に、もし世界が祈らず、前もって痛悔をしないならば、確かに来るはずの罰を示すことではない、と言いました。彼女は、自分の使命はすべての人に、全永遠にわたってわれわれの霊魂を失おうとしている差し迫った危険を示すことですと言っています。このことを思い起こすことはよいことです。あなたの行動あるいは行動の欠如のゆえに、私の行動あるいは行動の欠如のゆえに、霊魂たちは永遠に地獄に、あるいは永遠に天国にいるでしょう。

われわれの生活のそれぞれの無限の、そして永遠の重要性を持っています。それゆえ、われわれは他の人々を地獄から救うために奉献します。聖パウロはこう書いています:「教会であるキリストの身体のために、私の肉において、キリストの苦しみの欠けているところを満たせ...」(コロサイ 1:24)。

奉献の定義

奉献とは何でしょうか?教会内部の(最高の地位においてさえ)リベラルな運動は「奉献」という言葉を、単に「委託」を意味するものにまで平凡なものとし、けなします。これは受動的です。真実のところは、奉献は積極的です。それは犠牲を献げること、キリストと共に死ぬこと、われわれが西欧において今日礼拝している神々に死ぬことを意味します。世間が気にかけているすべては「他の人々の意見」です。アメリカのリベラルな教会においては、彼らが気にかけているすべては他の人々がどう考えるかということです。それが、私が天主の第一戒を決して忘れるなと言う理由です。グルーナー神父は第一戒がまず何よりも彼の生活の中にあるそのような仕方で生活しています。そしてファチマ・メッセージと係り合いになっている多くの人々もそのように生活しています。奉献は何よりもまずキリストと共に死ぬこと、世間の肉に死ぬことを意味します。死ぬことです。死ぬことです。にもかかわらず、われわれはそれから逃れようと努めます。われわれがそれを逃れようと努める一つの方法は[ロザリオの]15連の中において「[キリストの]御復活」へと移入することによってです。これは適切ではありません。われわれは今、「十字架につけられ給う[キリスト]のところにいます。われわれは第15玄義にはいません。今われわれはここでキリストと共に死ななければなりません。聖書につけ加えるあなたに禍いあれ、地獄の苦痛があなたに加えられるでしょう。聖書から取り去るあなたに禍いあれ、あなたは生命の書から取り去られるでしょう。それが聖書が終わる仕方です。奉献は委託以上のものです。それはキリストと共に死ぬことです。

そこで疑問が起こります、なぜマリアの汚れなき御心に奉献するのか?と。それは一部は、歴史的に言って、人類が聖心を拒絶したからです。神は今われわれに御自分の祝せられた御母を人類のために提供なさいました。最後の二つの信心は汚れなき御心の奉献と聖なるロザリオであろうと言われてきました。

われわれは、マリアへ奉献するとき、キリストへ奉献するのです。これは、われらの祝せられたおとめマリアが神に対してまったく透明であられるからです。われわれは皆、神が愛であり、そして神の愛が無限であるということを知っています。神はあなたや私と共に御自分の愛を働かせることがお出来になりません。なぜなら、たとえわれわれが「われわれ罪人たちのために祈り給え」と祈るとしても、われわれはそのことを本気で言っていないからです。それが、神がわれわれのうちに明らかにされ得ない理由です。しかし祝せられたおとめマリアにおいては、神は御自分の愛を妨害する何物をも持っておられません、何一つ持っておられないのです。聖母は神に対してまったく受容的です。まったく留保がありません。人はこう言ってもよいでしょう、聖母は神に対して「神的に」女性的である、と。

リベラル派の人々は新しい用語を発明します。それで私も新しい用語を発明します。なぜですか?それはわれわれを少しばかり揺り動かします。あなたが一つの新しい言葉を発明するとき、それは、その用語が表現している基礎的な真理について少しばかり多くわれわれに考えさせます。私はカトリックの教えにおける何物をも否定していません。私はただわれわれを助けるために少し異なった表現法を提出しています。リベラル派の人々はわれわれを傷つけるためにそうします。私は助けるためにそうします。

ギリシャ語では、それはこう言います:「めでたしマリア、恵みの水路」と。ギリシャ語をちょっとたずねてください、それは一つの著しく目立つ水路、すべての恵みの唯一の水路です。マリアは神に対してそのように受容的であられるので、真の愛は完全に彼女において満たされるのです。それがマリアの本質です。それがマリアが -- ファチマを準備するために -- ルルドへ来られた理由です。「私は汚れなき御宿りです」とマリアはルルドで言われました。それはマリアの存在証明です。偉大なフルトン・シーンが言ったように「われわれは汚れなき御宿りの祝日を祝ったものでした。今、神学者たちはわれわれが皆汚れなく宿されているとわれわれに告げています」。何という悪魔的な高慢でしょう!

神の奴隷を御覧なさい、神のはしためを御覧なさい。まったくみじめな神の奴隷を御覧なさい。その方は神に対して「神的に」女性的であることにおいてと同様にまったく受容的であり、まったく女性的であられます。はしためが何であるかを誰が知っているでしょうか?私は過去20年間にはしために会ったことがありません。それゆえ、聖母はそこで始められます:「見よ、神のはしためを...」、完全な奴隷、完全に「神的に」女性的な方を。聖書において、カナの結婚式の間に、聖母はこう言われました:「イエズスがあなたにしなさいと言われることをしなさい」、そしてそこにわれわれは「神的に」女性的なもの、そしてわれわれが「神的に」男性的であると呼んでもよいであろうものを見ます。換言すれば、ひとたびわれわれが神に対してすっかり開かれるならば、そのときわれわれは神がわれわれにするようにお望みになることをするべきです。われわれは祈ります。それからわれわれは、言ってみれば「実験室」の中へ入って行きます。そしてわれわれがそれについて祈ったことを遂行します。われわれは神がわれわれにするようにお望みになるとおりにします。それが、祝せられたおとめマリアに対する信心が意味していることです。マリアは「神的に」女性的であり、そして全能なる神にまったく開かれておられます。

キリストは救いの源泉です。祝せられたおとめマリアはそれを通じて源泉がわれわれに来る泉です。マリアは水路です。ファチマ・メッセージは、神が両方の御心が相互に並んでいること、人間の注目の焦点であることを望んでおられると言っています。すなわち、[キリストの]聖心とマリアの御心です。救いはマリアを通してキリストから来ます。このことに反対するどのプロテスタントに対しても、ただコロサイ書 1:24 を指摘しなさい:私は「キリストの苦しみの欠けたるところを、御体なる教会のためにわが肉体において補う」のです。それは、ひとたびあなたがその正しい意味をつかまえるならば、それについて熟考すべき美しい句です。

現代において祝せられたおとめに奉献するもう一つの理由はマリアの残りの者の一部であることです。黙示録の第8章から第13章は第三の啓示が関わっているものです。第12章を見てください。それはマリアの残りの者を記述しています。彼らは子羊の血によって打ち勝ちました。彼らの証言によって彼らは神の十戒に従います。彼らはキリストの証言を持っています。彼らはそれにしがみついています。簡潔に言えば、それが第12章が含んでいるものです。それはこの終わりの時代における祝せられたおとめマリアの残りの者を記述しています。換言すれば、われわれは真理に、ローマ・カトリック教会における真理の十全さに、まったく捧げられているのであり、それを通じてわれわれは打ち勝つでしょう。

位階の諸々の権利と責任

アメリカには「私は私の諸々の権利を持っている」という言い習わしがあります。「諸々の権利」を持つことはまた「諸々の責任」を持つことをも意味するということはほとんど指摘されません。ある人あるいはある物を神に奉献することはその人あるいはそれらの人々が、神が彼らに対して至高の支配権を持っておられるということを認めて、神の所有として神に捧げることです。教皇と司教たちはどのようにロシアとロシアの人々とを神に奉献することができるでしょうか?この奉献はただ、人々の霊魂の永遠の救いに対して責任を負っている者たちによってのみなされ得ます。だれが責任を負っているでしょうか?カトリック教会です。そしてただカトリック教会だけです。「教会の外にはいかなる救いもない」のです。ファチマのメッセージはまったくカトリック的です。誰が責任を負っているのでしょうか?あなたがた、教皇、そして司教たちが責任を負っています。カトリックの位階の諸々の責任のゆえに、彼らは奉献を行う権利を持っている人々です。

ロシア正教の司教たちは正しい秘蹟の体系を持っているかもしれませんが、しかし彼らは異端のうちにあります。彼らは汚れなき御宿りを信じません。それが聖母が「ロシアをマリアの汚れなき御心に奉献しなさい」と言われる理由です。ロシア正教はそれをすることができないでしょう。彼らは彼らの宗教を断念してカトリックにならなければならないでしょう。あなたがた司教様方、そして教皇様は彼らの救いに対して責任を負っておられます。それゆえに、あなた方は彼らを奉献することができるのです。私の母は100%のドイツ人でした。彼女は私を奉献しました。彼女はこう言いました:「神様は私に一人の男の子を授けられます、そして私は彼を育て、彼が成長したときにあなたに彼を与えるるつもりです。」彼女はこうする権利を持っていたのでしょうか?誰が一人のドイツ人を止めようとするでしょうか?あなた方は司教として権利を持っておられます。教皇として、彼は権利を持っておられます。あなたがそれを好もうと好むまいと、それがあなたの役割です。

奉献し、それから諸結果を見守ってください

私は元イエズス会員です。私は多くのイグナチオの黙想を行いました。イグナチオは常にあなたを黙想における一つの決心へと導きます。それゆえ、イグナチオの黙想の精神において、私は今は決心の時であると提案します。あなたがたは、司教として、あなたの国をマリアの汚れなき御心に奉献することができます。それから、坐って諸々の結果を見守ってください。あなたがたは驚かれるでしょう。もしあなたがたがこのことをあなたがたの国の内部ですることがお出来になるならば、おそらく火がつくでしょう。おそらくそれは上層部へと進み、そして教皇がそれをなされるでしょう。あなたはあなたが住んでおられる国の霊魂たちに対して責任を負っておられないでしょうか?それとも、あなたは丘の上に坐して人々が罰せられているのを喜んだ預言者の見地を取られるでしょうか?

聖心とマリアの汚れなき御心が悲しんでおられるのは無理からぬことです。最近の調査によれば、50歳以下の信徒の80%はカトリック教徒が信じるべきであるようには御聖体を信じていません。それは最近の世論調査であり、そしてそれはアメリカの司教たちの最大の不名誉です。信仰におけるこの衰退は、われわれが人々を手による聖体拝領へと導き入れたという事実に帰せられなければなりません。われわれはこの実践へと彼らを洗脳しなければなりませんでした。もしそれが過去において存在したのであったなら、教会はそれを矯正し、そしてそれを取り除いていました。われわれは人々をその実践へと連れ戻しました。われわれは後方へと進んでいるのです。それは一つの強制された進行です。私は科学者として訓練されてきました。私はこれらの進歩派の人々に20年間実験の時間を与えました。結果が出ているのです。教会を空にする人は御聖体を空にしなければなりません。私がいた最後の教会で私は二つのミサの中で三人の人が彼らの手の中にあった御聖体を家に持って帰るのを止めなければなりませんでした。結果が出ているのです。たとえそれが一ヶ月に一つの教区で一回だけしか起こらなかったとしても、イエズス・キリストは御自分にとってそのような仕方で取り扱われるには余りにも重大です。

それゆえ、あなたの聖職者を教育し、あなたの国の奉献のために準備してください。ファチマ・メッセージについてあなた自身をそして聖職者を教育してください。それからマリアの汚れなき御心に対する信心をもって出発してください。人々がどのようにマリアの御像に捧げられているかということは今でも私を驚かせます。それは彼らを祝せられたおとめへと連れて行きます。私はその模範ではありません。私は20年、30年のイエズス会の訓練を経験してきました。それにもかかわらず、私がグルーナー神父と一緒にロスアンジェルスにいたとき、私の話は、人々が御像を崇敬するためにやって来る間、およそ10分の間遅延させられました。この御像が持っている力は驚くべきものです。 

私の一人の良き友人は彼女の小さな子どもたちをホーム・スクールに行かせることに決めました。というのは、彼女は彼らの救いについて配慮したからです。彼女はいくつかの体制カトリック学校に彼らを送り続けることを拒否しました。彼女はすでに二つの学校を試してみました。そして希望がないということを理解しました。彼女はホーム・スクーリングを始めた日に、彼女の御像が涙を流しました。彼女は私を呼んで言いました:「私の御像が泣いておられます。私は何をすればよいですか?」私は彼女に御像を泣かせるままにしなさいと告げました。それは神が、彼女のしていることを認めておられるという神からの一つのしるしです。

祝せられたおとめマリアは「どうか私のメッセージを知らせてください」と言っておられます。諸々のマリア像さえ泣いているのです。各々の小教区がファチマの聖母に対する信心と並んで一つの御像を持つ手筈を整えるよう努めてください。それは出発するための一つのよい場所です。そこから、インドの司教様がなさったように、行列へと進んでください。イスラム教徒の人々がその結果回心しました。40年間私は一人も回心させることができませんでした。しかしどういうわけか、通りを進む御像、外見的な崇敬の表示を見ている人々、そしてこのすべてを通じて働いておられる聖霊によって、神の聖なる意志に従って回心者たちが作られたのです。それは一つの謎です。しかしそれは一つの事実です。どういうわけか、マリアの汚れなき御心に対する信心は具体的にはわれわれの御像の使用を通じて表現されるのです。

あなたの国の奉献のための一つの現実的な計画

私は、あなたがロザリオ、御像、行列に対する信心を増加し、それから徐々にそして最終的に、ひとたび人々が準備されたならば、あなたの国をマリアの汚れなき御心に奉献することを非常に強く提案します。ポルトガルの司教たちはマリアの汚れなき御心に対して非常に献身していましたので、シスター・ルチアに従えば、1940年に神は御自分の要求の真正性の証明をお与えになりました。司教たちの、マリアの汚れなき御心へのポルトガルの奉献のために、神はその憐れみと特別の保護をお与えになりました。ポルトガルは、御存知のように、第二次世界大戦の諸々の悲惨さを免れました。彼らは苦しみました。しかし彼らは他の国々のようには苦しみませんでした。ヒットラーはどういうわけかポルトガルへ侵入する決心を変えました。われわれは人間の精神と心において何が起こるかを決して知らないでしょう。しかし神はそれらを支配なさっています。神はマリアの汚れなき御心に献身するように、そしてあなたの国を奉献するように言っておられます。それはポルトガルにおいて効を奏しました。このすべてのことは第二バチカン公会議の曖昧な諸部分と一致しています。その中では教え、支配し、そして聖化する仕事は司教による奉献によって課されると教えています。あなた方はあなた方の司教区そしてあなたがたの国の人民に対して責任を負っておられます。

奉献についてのもう一つの事柄、それは真っ直ぐに償いへと導きます。それはちょうど旧約聖書が新約聖書へと導くようなものです。奉献は償いへと導きます。あなたが誰かある人を奉献するとき、あなたは奉献されなければなりません。教皇は1984年3月25日の彼の世界の奉献において聖書を引用されました。彼はこう言われました:「彼らのために、私は彼らが奉献されるように私自身を奉献します。」そのことは聖書からです。奉献は真っ直ぐに償いへと導きます。償いの一般的な見地を見るよう努めましょう。

非カトリック者でさえ償いを理解している

私の著書恐ろしいファチマ奉献 The Awesome Fatima Consecration において私は、エイブラハム・リンカーンが、カトリックではなかったけれども、償いと奉献の日の宣言をした、ということを指摘しました。ある人が「エイブラハム・リンカーンはある降霊術の会に行ったのだ」という反対と共に私に手紙を書いて寄こしました。私はこの読者が私に何を結論したかったのか知りません。それで私はこう言って返事を出しました:「それほどに悪いエイブラハム・リンカーンがもし奉献の行為をしたのであれば、われわれの司教たちはどれほどもっと多く不面目なことでしょうか?」リンカーンは少なくとも償いを信じていました -- 彼が持っていた小さな信仰はわれわれが持つべき信仰全体を恥じ入らせます。

リンカーンは言いました:「彼らの依存を神の力に負うこと、彼らの罪を真の痛悔が憐れみと赦しへと導くであろうという確かな希望をもって告白することは人間の義務であるのと同様に、国民の義務です。その神が主である国民だけが祝されているという、聖書において告知され、そして歴史において証明されている至高の真理を認めること。われわれは、今われわれの国土を荒廃させている市民戦争の恐ろしい災厄がわれわれの罪のためにわれわれの上に与えられている一つの罰であるかも知れないということを当然のことながら恐れています。赦しを祈り求めるために、われわれは国家的な屈辱、断食そして祈りの日を宣言します。われわれは、神の教えによって権威を与えられて、われわれの国家的な罪の赦しと同様に、われわれの現在の分裂したそして苦しんでいる国の、一致と平和のその以前の幸福な状態への回復という国家の結束した叫びが天国で聴かれ、そして祝福をもって答えられるという希望のうちに、このことを行います。」

そのことは、言葉を少し変えるだけで、今日のわれわれの状況に適用することができるでしょう。われわれの現在の分裂したそして苦しんでいる教会の、一致、平和そして繁栄の以前の幸福な状態への回復が行われるでしょう。われわれはアメリカ合衆国そして西側において苦しんでいます。われわれを見習わないでください。私は多くの調査を持っています。それらはすべて合衆国における教会が堕落、不信心そして衰退の状態にあるということを証明しています。

雑誌 30 Days の1992年第4号に載っているある論考はわれわれの時代がわれわれは立つべきであり、自己批判を告白すべきであることを要求していると言っています。われわれは過去のわれわれ自身を撤回すべきであり、非難すべきです。今は一つの異なった態度、一つの新しい”psych-geist”[心的精神]の時です。今は国民全体の間に広まっている償いの精神のための時です。その代わりに、リベラル派の人々は彼らがそれと共に平和に生活することができるように、ファチマ・メッセージを平凡なものにし、酷評し、隠蔽し、希薄化するのです。

そして償いとは何を意味するのでしょうか?5月5日聖ピオ五世の祝日にシスター・ルチアが言葉を受けたとき用いられた古いラテン語のテキストを読んでごらんなさい。それはこう言っています。「教会の敵どもを征服し、神の礼拝を修復するために偉大な聖ピオ五世を高く上げられた神...」神の典礼をそれがあるべきもの、人間に向けられたものではなく、神に向けられたものへと回復させるであろうもう一人の教皇をわれわれが持つことができればよいのですが...Novus Ordo 新秩序の英語典礼は「お早うございます」と言う司祭をもって始まっています。そしてもし人々がそれに応えないならば、その司祭は言います:「私はお早うございますと言いました。」これは神に向けられたものではありません。それが、司祭が人々に対面している理由です。もしあなたがミサの背後にある神学を本当に理解されるならば、人々と、人々の仲介者である司祭は両方とも聖なる犠牲の間同じ方向、神の方向を向いてはいけないのでしょうか。現代の典礼学者たちは象徴的意味を非常に意識しています。しかし彼らは本質的なものを見失っています。それゆえ、この意味において、償うことはかつてそうであったものを回復することを意味します。エイブラハム・リンカーンでさえそのことを知っていました。

広く行き渡った不信仰

あなたがたは教会が今いる窮地を見なければなりません。アメリカ合衆国の50歳以下の、イエズスの信者であると考えられているカトリック教徒の80%が、教会がそう決定しているように[御聖体における]イエズスの現存を信じていないということよりもより大きな侮辱があり得るでしょうか?普遍的な救い[誰でもすべての人が救われるという考え方]は最もひどい異端です。そしてその異端が今日のカトリック教会の中に普及しているのです。その形式は偽りのエキュメニズムであり、一つの宗教は他の宗教と同じようによいものであるという考えの受容です。これは完全な異端です。Extra Ecclesiam Nulla Salus は教会の外にはいかなる救いも存在しないということを意味します。それはただカトリック教会だけが一つの真の教会であるということを意味します。それが、グルーナー神父がイエズスとマリアと共に苦しむ賜を持っている理由です。しかしもしあなたが現実を知らないならば、どのようにしてあなたはイエズスとマリアと共に苦しむことができますか?もしあなたがこれらのリベラル派の楽観主義者たちの一人であるならば、そのとき問題は何もありません。すべてのことはすばらしいです。あなたは償いの第二の局面、すなわち、聖心およびマリアの汚れなき御心と共に深く悲しむこと、へと決して進みません。あなたが問題を知るまでは、あなたは答の一部であることはできません。それは一つの大きな恩寵です。そしてもしあなたがそれを持たないならば、それを得るように祈ってください。それが諸々の御像が泣いておられる理由です。それらの御像はグルーナー神父が指摘されたように、叫びません。それらの御像は微笑みません。それらは涙を流すのです。あなたは償いにおいて祝せられたおとめマリアに加わりますか、それとも加わりませんか?あなたは恩寵を得ていますか?あなたは、恩寵を得ていないならば、それをすることはできません。そしてあなたは、理解するためにあなたの知性を用い、教会が危機に瀕していると告白しないかぎり、恩寵を与えられることはできません。なぜなら、恩寵は自然の上に立っているからです。

なぜマリアは来られたのですか?マリアは子どもたちに、彼らが偉大なことをしている、そして人がする唯一の誤りは彼らが誤りをしたと「考える」ことであるということを告げるために来られたのではありません。このタイプの話し方は私がイエズス会士たちのロジャーズ流の非指示的アプローチを経験している間に学んだリベラル派の方向です。聖母はあなたが敏感でなければならないとは仰いませんでした。聖母はあなたは罪に対して敏感でなければならないと言われました。

償いへの聖母の呼びかけの最も重要な局面はそれに基づいて行動することです。シスター・ルチアはかつてフランシスコに尋ねました:「われらの主をお慰めすることと、地獄に行く人が少なくなるように罪人たちを回心させることのどちらが好きですか?」彼は答えました:「僕はわれらの主をお慰めするでしょう。あなたは、聖母が、人々はもうわれらの主に背いてはなりません、なぜなら、我らの主はすでに余りにも多く背かれておられるから、と言われた先月、聖母がどのように悲しんでおられたか、気がつきませんでしたか?」シスター・ルチアはまた、ヤチンタがときどき「おお、私のイエズスよ、私はあなたを愛します、そして私はあなたの愛のために非常に多く苦しみたいのです」と叫びながら、十字架に接吻し抱きしめていたことを思い起こしました。あなたは恩寵を持っているか、それとも持っていないかの、どちらかです。しかし最初の一歩は問題を理解することです。小さな子どもたちは問題を理解するとてつもなく大きな恩寵を与えられていました。彼らは地獄に落とされた者たちの苦しみを見るために地獄の幻視を示されました。彼らは問題を理解したのです。

あなたがたは教会の希望である

あなたの国を奉献することは何と重要なことでしょう。1941年6月12日にキリストはスペインにおける、在俗および修道会両方の聖職者の冷淡とゆるみについて不満を漏らされました。そして救済策が提案されました。キリストは言われました:「ヴァラドリッドの大司教に、私が、キリスト教の人々の改革のために採用されるべき手段を司教たちが彼ら自身の間で調整し、共同の一致において決定するために一つの黙想会において会合することを望んでいると、知らせなさい。」償い、償い、償い。それはまさに奉献と並んで一つの主要なテーマです。奉献しなさい、償いなさい、奉献しなさい、償いなさい。

T.S.Eliot を言い換えるならば、教会の指導者たちのうちには何か恐ろしく間違ったものがあります。あるいはキリストの一なるそして唯一なる教会には何か本質的に間違ったものがあります。そして、キリストの一なるそして唯一なる本質的教会が間違っているということは余りにもぞっとさせることでしょう、それは余りにもぞっとさせることでしょう。それゆえ、私はむしろ、教皇、司教たち、司祭たち、そしてより重要でない官僚たちを通じて教会を動かしている、君臨している神学者たちやそうだと申し立てられた専門家たちには何か間違ったもの、恐ろしく間違ったものがあると信じたいのです。(神は、あなたがたが実存的教会には何か間違ったものがあると認めることか、それとも、あなたがたが神の教会は間違っている、そしてそれは決してあり得ないと結論しなければならないかの何れかで、あなたがたをお助けになります。)

あなたがたは教会の希望です。もし誰かが一つの国家的なレベルで答えようとするならば、あなたがたがそうなさるでしょう。なぜなら、あなたがたはここに来るために、そしてここに滞在するために、多くの難儀を経験されたからです。そして神はあなたがたを祝福なさるでしょう。