けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

ファチマ・クルーセイダー

2012年11月30日 | Weblog
今なお隠されている秘密のローマにおける公式紹介

ベルトーネ枢機卿は「今なお隠された秘密」
の主要な見解に暗黙のうちに同意しておられる

The Fatima Crusader Issue 90, Winter 2008 より

ソリデオ・パオリーニ博士

アレッサンドロ・フーリニ博士による紹介:われわれが今日紹介している書物はファチマの第三の秘密についてのタルシジオ・ベルトーネ枢機卿の諸々の陳述と宣言に対する一点ずつの回答です。われわれは今日関係者の方々に、われわれがベルトーネ枢機卿猊下と枢機卿の書物『ファチマの最後の秘密』(L'Ultima Veggente di Fatima)の共著者ジュゼッペ・デ・カルリのお二人をこの書物紹介に招待したということを自信をもって保証したいと思います。

ベルトーネ枢機卿猊下、今晩ここにあなたは列席しておられますか?ジュゼッペ・デ・カルリ殿、あなたはここに列席しておられますか?明らかに、彼らは答えられません。明らかに彼らはここに来ておられません。

われわれはまた、タルシジオ・ベルトーネ枢機卿猊下とジュゼッペ・デ・カルリへの招待状の中で、われわれが彼らにもし彼らのうちのどちらか一人が出席することができないならば、彼らがそれぞれ一人の個人的な代理人を送ることができると告げたということを公に言及しなければなりません。ベルトーネ枢機卿猊下を代理するためにここにどなたが列席しておられますか?ジュゼッペ・デ・カルリ氏を代理するためにどなたかここにいらっしゃいますか?誰も答えないということは明らかです。それゆえ、彼らが自分たち自身で来ることも、あるいは個人的な代理人を送ることもいずれもしなかったということは明らかです。

タルシジオ・ベルトーネ枢機卿猊下に関して言えば、われわれはもう一つ別の驚きを持っております。猊下はすでにクリストファー・フェララの書物『今なお隠されている秘密』に対して彼の回答を与えられました。彼の回答は枢機卿にクリストファー・フェララによるこの新しい書物への彼の回答を要求した一人の人物に対して書かれました。今晩、ここに、その枢機卿の回答を読まれたソリデオ・パオリーニ博士がおられます。彼はわれわれに、枢機卿が何を言ったかを告げるでしょう。さあ、ソリデオ・パオリーニ博士です。

ベルトーネ枢機卿は「今なお隠された秘密」
の主要な見解に暗黙のうちに同意しておられる

「われわれは、われわれ自身、何度真理への個人的な成功を選んだであろうか?正義に対するわれわれ自身のよい名前(名声)を選んであろうか?われわれの生涯の間に、おお主よ、良心の繊細な声、あなたの声に向かう強さを与えてください。おお主よ、ペトロがあなたを否んだ後に、あなたがペトロをご覧になったように、私を見てください。」これは2005年3月25日の聖金曜日に、ヴィア・クルーチス(Via Crucis=十字架の道)においてなさった説教からの言葉です。これは教皇ヨハネ・パウロ二世の最後のメア・クルパ(mea culpa=告白の祈り)です。このすばらしい恩寵に対して神とマリアに感謝しましょう。

最も尊敬する、そして親愛なる弁護士、クリストファー・フェララ氏、神父様方、シスター方、親愛なる友人の方々、そして最も親愛なる招待客の皆様、今日はここローマのウルバニアナ教皇庁立大学においてベルトーネ枢機卿によってなされた書物紹介が行われたあの出来事から13ヶ月が経った日です。

われわれはローマのこの愛すべきそして聖なる都市に今再びここにいます。われわれはわれわれがその方に向かって叫ぶ神の前で個人的にここに列席しています。われわれはここで教会の前にいます。その教会は(聖ジャンヌ・ダルクが言ったように)ただ単に教会の人々には還元できないものです。われわれはここで歴史の前にいます。その歴史は今あるいはいつでも次のように言うことができないものです:「すべての人々が沈黙を守った、誰もが真理に反対して陰謀を企んだ」と。いいえ、そうではありません!歴史はそう言うことはできません。われわれは証言をするためにここにいます。

われわれは神による最も驚くべき介入を証言するためにここにいます。われわれは、その助ける手をわれわれにさしのべておられるいとも祝せられたおとめマリアに敬意を表するためにここにいます。聖母はわれわれがそこへと駆け寄りそして利益を受ける一つの源泉です。われわれはいかなるその場しのぎの手段をもお持ちにならない聖母のところへ馳せ参じます。これが、今晩われわれがここに列席している理由です...

ファチマの第三の秘密がさらわれて以来今は50年になります。(それはポルトガルから取り去られそして、1940年代と1950年代に信徒たちに与えられた公的な約束にもかかわらず、隠されるために1957年にバチカンへと持って来られました。これらの約束は1960年にわれわれに秘密を明かすことを荘厳に同意した位階によってなされました。英語への訳者の注)われわれは今なお隠されているそのテキストが、最後に、最終的にわれわれすべての者に明らかにされることを求めるためにここにいます。

われわれの第一の理由:もしわれわれがこのことを求める一つの理由を持っているだけだとしても、われわれはそのことを、ガマリエルが聖書において与えている理由で求めるでしょう。(ガマリエルは使徒たちを迫害しないようにエルサレムにおける大司祭たちに告げました。彼はこう言っています:「あの人々にかかわりなさるな、そして、するままにさせておきなさい、かれらのくわだて、あるいは仕業が、人間からのものであるなら、おのずからくずれるでしょうし、反対に、神からのものなら、あなたたちはそれをくずすことができません。おそらく神にさからうものになる危険があります。」使徒行録5:38-39 英語への訳者の注)

(同じように、話し手の訴えの論理は、ベルトーネ枢機卿とバチカンは第三の秘密の完全なテキストを明らかにし公表しなければならない、なぜなら、もし隠されたテキストが人間からのものであれば、すなわち、ベルトーネが、ルチアが彼女自身の考えを作り上げたと考えているテキストであるならば、それは無に帰すでしょう。しかしもしこのいまなお隠されているテキストが神から来るものであり、しかもベルトーネ枢機卿が隠すことに固執するならば、彼は神の前で、神に反対して戦っている者であると見られるでしょう。そして彼の抵抗は無に帰すでしょう。なぜなら神はいずれにせよ勝利されるでしょうから。英語への訳者の注)

しかし私はまた以下のような諸々の理由からこの今なお隠されているテキストの公表を求めるでしょう。いわゆる第四の秘密(すなわち、第三の秘密の今だに公表されて来なかった部分)は諸々の思慮深い理由のために公表されないのであると、ある尊大な仕方で何度言われてきたことでしょうか?われわれが自分たちを祝せられたおとめマリアよりももっと思慮深いものであると考えることができないという事実は別として、われわれは聖母をロレットの連祷においてVirgo Prudentissima=いとも思慮深いおとめとして賞賛しています。すなわち、マリアは最も思慮深いおとめです。

そしてまさに人間的な観点からでさえ、このいわゆる思慮深さは次のような理由でそれ自身非常に思慮に欠けるものである危険に陥ります。アメリカ合衆国およびオーストラリアにおいて今年の初めにベネディクト十六世が言われたことを思い起こしてみましょう。司祭の小児性愛スキャンダルについて話されながら、教皇は権威のうちにいるある人物たちは、彼らがこれらの恥ずべき犯罪が公に知られないようにすることによってスキャンダルを引き起こすことを避けたいと思ったがゆえに、これらの事実を隠したと、言われました。彼らはこのことを「思慮深さ」のためにしたのです。

実際に起こったことは、これらの事実を隠すことによって、そしてこれらの事実についての公的な知識を押しやることによって、より大きなスキャンダルが結果したのだ、と教皇は考察しておられます。かれらの「超-思慮深さ」は結局のところ、非常に思慮に欠けているものだったのです。

彼らの「思慮深さ」によって彼らはそのスキャンダルをいっそう悪いものにしました。われわれは教皇が作られたこの原理を受け止め、そしてそれを第三の秘密を隠し続けているこの現在の事例に当てはめるべきです。彼らはそれを隠したままにすることによってスキャンダルを避けようと考えています。しかし見込みは、彼らがそれを長く隠せば隠すほど、それが最終的にあらわになるとき、そのスキャンダルはそれだけより大きなものとなるであろうということです。

われわれは errare humanum est, perseverare diabolicum という格言を覚えておくべきです。その意味は、過失を犯すことは人間的なことであるが、固執することは悪魔的なことである、ということです。

上に述べたことをすべて言った後に、私は今二つの点を十分考えてみたいと思います。

第一の点は、アレッサンドロ・フーリニが私を紹介してくださったときに言及されたクリストファー・フェララの書物に対してベルトーネ枢機卿がなさった回答を報告することです。

第二の点 - それを私は私の話の終わりによく考えたいと思っているのですが - は、今晩ここで公に紹介された『今なお隠されている秘密』という書物の一つの章です。

私はとりわけ、ベルトーネ枢機卿に『今なお隠されている秘密』のコピーを送り、この書物に対するベルトーネ枢機卿の答を求めたある司祭に対してベルトーネ枢機卿猊下が与えられた答を強調したいと思います。ベルトーネ枢機卿はこの手紙に対して、私的な個人として、すなわちカトリック教会の一人の高官としてではなく、答えられました。彼は次のような仕方で答えられました。彼はあなた[クリストファー・フェララ]の書物についての彼の考察がなされた1ページ半のタイプ打ちの手紙を送られました。枢機卿がどのような名誉をあなたに与えておられることでしょう、クリストファー!

とりわけ、枢機卿が『今なお隠されている秘密』について話されながら、どれほど多くのことを言われなかったのかは注目すべきことです。(1)彼は、2000年の聖年に公表された幻視への付属文書注1)は存在しないし、かつて存在したことはなかったとは言われませんでした。

注1)ベルトーネ枢機卿のような人々は秘密への第二のテキストを付属文書と呼んでいる。なぜなら、彼らはそれを超自然的に真正のものとは考えないからである。彼らはその中に含まれている言葉が祝せられたおとめマリアの実際の言葉だとは考えておらず、あたかもそれらが聖母から来たかのように書かれたシスター・ルチアの考えに過ぎないものであると考えているのである。(英訳者注)

(2)彼は、この問題について話されるとき、彼が決して心的留保には頼らなかったとは言われませんでした。まして、彼がこれら二つの事柄を断言する用意があるとは、なおさら言われませんでした。しかしながら、これらは、その司祭がその書物の中でベルトーネ枢機卿に尋ねた主要な点ですから、われわれは、ベルトーネ枢機卿猊下、クリストファー・フェララの書物の真理についてのあなたの暗黙の確証に対して、今日あなたにありがとうございます、と言うことができます!

しかしながら、枢機卿は四つのことを言っておられます。二つのやや説得力のない言い訳と何らかの答を要求する二つの別の言い訳です。(続く)

ファチマ・クルーセイダー

2012年11月29日 | Weblog
今なお隠されている秘密のローマにおける公式紹介

今なお隠されている秘密 - 道徳的な確実性

The Fatima Crusader Issue 90, Winter 2008 より

クリストファー・A. フェララ

アレッサンドロ・フーリニ博士による紹介:2000年における第三の秘密の公表以来、われわれは多くの論戦や論争を目撃してきました。多くの人々はこう尋ねました:「ここにはすべてがあるのか?われわれはこの秘密を手に入れるために80年間待ったのか、そしてこれがすべてなのか?」その問題に関して二三の書物が公表された後に、アントニオ・ソッチ博士による『ファチマの第四の秘密』という書物はイタリアのメディアによって大きな注目を受けた最初のものでした。この書物に対してベルトーネ枢機卿は自分自身で彼自身の別の書物でもって答えました。

有名なアメリカの法律家、クリストファー・フェララ(今晩、われわれと共にここにおられます)の著作が入って来るのは第三の秘密についての論争のこの時点においてです。彼はその問題を、2000年におけるテキストの公表以来、8年間研究して来ました。彼の書物は論理的な仕方で分析を行い、ベルトーネ枢機卿の書物のうちに含まれている、同様にまた2007年5月31日の全国テレビの最もポピュラーな番組の一つポルタ・ア・ポルタでの(ほとんど2時間にわたる)枢機卿のライブ・インタビューのうちに含まれている諸々の陳述を検討することによって、そして2007年9月にここローマにあるウルバニアナ大学での枢機卿の公式の書物紹介 - これは他のこともいろいろありますが、ソッチがそこに入場を拒絶された一つの出来事です - その理由は彼がわれわれが今日問おうとしている同じ質問を枢機卿に尋ねようとしていたからです - のうちに含まれている枢機卿の陳述を検討することによって、枢機卿の結論に対して彼の主張を提出しています。

それではクリストファー・フェララ博士に彼の書物『今なお隠されている秘密』を紹介していただくよう彼を紹介致します。


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今なお隠されている秘密- 道徳的な確実性

こんばんは、

アメリカでは

多くのイタリア人は実際アメリカには「政治的正しさ」と呼ばれるあるもののゆえに、表現の真の自由が非常に少ししかないということを恐らく知らないでしょう。アレクシス・ドゥ・トックヴィルが1830年代にした有名な旅行の際に彼は次のように結論しました:

「アメリカにおいてそうであるほどに精神の独立と真の言論の自由がそのようにほとんどない国を私は知らない...アメリカにおいては大多数の人々は意見の自由の周りに恐るべき障壁を建てている。これらの障壁の内部ではある著者は彼が好むことを書くことを許される。しかしもし彼がそれらの障壁を越えて進むならば、彼に禍いあれ...彼は絶えざる侮辱と迫害に曝される...あらゆる種類の埋め合わせは、著名人のそれでさえ、彼には拒否される。彼の意見を公にする以前には彼は共感者たちを持っていると考えていた。今彼にはもはや共感者は誰一人いないと思われる...彼の仲間の人々は何か不潔な存在のように彼を遠ざける。そして彼の潔白を信じている人々でさえ、今度は彼らが遠ざけられることがないようにと、彼を見捨てるであろう...」

私は今日のどの民主的な国においても「政治的正しさ」の問題が多かれ少なかれ存在すると思います。

しかし教会では...

しかしキリストにおける信徒たちの普遍的共同体であるカトリック教会においてはそのような問題はあるべきではありません。『ファチマの第四の秘密』と彼が呼ぶものについて話しながら、アントニオ・ソッチが書いたように:

福音書は非常に明確に語っている。イエズスはこう言われた:「真理はあなたたちを自由にするであろう。」彼はこう言われなかった:「注意せよ、なぜなら、ときには真理はあなたに諸問題を引き起こし得るから」と。彼は真理はあなたを自由にするであろうと言われた。福音書からのこの章句は神の子らの最も美しい自由を示している。教会はわれわれから沈黙の法を要求する何らかの種類のセクトあるいはマフィア的な組織ではない。そうではなくて、教会は神の子らの家である。それは自由と真理の家である。

私はソッチ博士に同意します。

私が『今なお隠されている秘密』を書いたのは自由と真理の精神においてでした。私は、マルコ・トサーティがその問題について彼自身の書物の中で書いたように、「余りにも多くの疑問が答えられないままに残った。多くの人々の - 信じる者と信じない者の両方の - 精神の中に今はわれわれが第四の秘密に直面している自分自身を見出しているという疑惑を高めるほどに、余りにも多くの責任逃れの答えがある。」

再び私はそのことに同意します。

一つの仮説以上のもの...

この疑惑は、トサーティが言うように、一つの仮説以上のものです。私はソッチが言っているのと同じように、われわれは一つの道徳的確実性に関わっている、と言うでしょう。

私自身の書物『今なお隠されている秘密』において、私は人が証拠から引き出すことができる唯一可能な結論はソッチが「うまく隠された」テキストと呼ぶものが存在するということです。そのテキストの中で祝せられたおとめは2000年にバチカンによって公表された幻視 - バチカンが第三の秘密全体であると言っている幻視 - について話しておられます。そしてこのテキストの中でおとめマリアは半分廃墟になった都市の外側で一団の兵士たちによって一人の教皇がどのように処刑されるようになるかを説明しておられます。

私は、このテキストがたぶん教会における一つの大きな内的危機と人類の上に落ちかかろうと脅かしている大きな大災害の両方について話しているということでソッチに同意します - だからこそ、公表された幻視のうちにわれわれが見るように、廃墟になった都市そして多くの司教たち、司祭たちそして平信徒たちの処刑に続いた処刑された教皇なのです。

ファチマの第四の秘密の神秘 - それは実際第三の秘密の一部を形成するおとめマリアの欠けている言葉です - は人が一片一片をつなぎ合わせる一つのパズルのようです。ひとたびパズルが十分に集められるならば、そのパズルの一片一片が一つの完全な絵を構成するということ、そしてただこの絵だけがそれらの一片一片から構成され得るということが分かります。

今日ここであなたたちのためにそのパズルを全体として集める時間は私にはありません。これは私が私の書物の中でしていることです。今日は、すべての一片一片が一緒にされるときにできるに違いないその絵を見ることをあなたたちに許すであろうパズルの四つのコーナーと私が呼ぶものを指摘させてください:

パズルの第一のコーナー:はシスター・ルチアが第四回想録においてファチマのメッセージについて書いた有名な文言から成り立っています。第四回想録は彼女のすべての回想録の中で最も完全な回想録です。その回想録はファチマ学者たちが一致して同意している、第三の秘密の最初を特徴づける次の言葉を含んでいます:「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、云々。」この「云々」は。ファチマのメッセージにおいておとめ[マリア]がポルトガルにおいて以外の他の場所での教義の危機について話そうとされたということを示すためにシスター・ルチアによってつけ加えられました - それはルチアがそれを紙の上に書き留めようと試みたにも関わらず(二ヶ月以上にもわたって)成功することができなかった非常に重大な一つの危機です。しかし、2000年にバチカンは、そして特にベルトーネ枢機卿は、第四回想録を無視しました。そしてまた、ポルトガルについての陳述を、それが明らかに神の御母のまさに言葉そのものの直接の引用であったときに、それがあたかもルチアによる単なる一つの覚え書きであったかのように、それを一つの脚注へと弱め薄めながら、無視しました。今日に至るまでベルトーネもまたバチカンにいる他の誰かもおとめ[マリア]の言葉のこの奇妙な回避を説明しようとしていません。
パズルの第二のコーナー:2000年における幻視の公表に関するバチカンの公式的な小冊子においてその幻視は「解読困難なもの」として記述されています。しかし、ファチマの偉大な秘密の最初の二つの部分の間で、聖母は三人の子どもたちに地獄の幻視を示されました。そして彼らはそれが地獄であるということを知りました。聖母はなお彼らに説明なさいました:「あなたたちは地獄を見ました。そこへは哀れな罪人たちの霊魂が行きます。彼らを救うために神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を確立することを望んでおられます。」

ここに列席しておられるどなたかには、地獄のように非常に明白なことをさえ子どもたちに説明なさったおとめ[マリア]が、廃墟になった都市の外側で処刑される一人の教皇についての「解読困難な幻視」を残された、そして聖母がこの幻視について子どもたちに、そして世界に言うべきことを絶対に何一つ持っておられなかった、ということがあると思われるでしょうか?

神の御母が、83年後に、その幻視の一つの「解釈」を提供するように、一人のバチカンの枢機卿にその幻視を残されたであろうと思われるでしょうか?その解釈に従えばわれわれが殺されていると見ている教皇は殺されてはいなくて、実際はヨハネ・パウロ二世である、というわけです。ヨハネ・パウロ二世はただ負傷されただけで、更にその後25年も生きられました(その25年の中で彼は非常によく回復されたので、彼の同時代の大部分の人々の能力を遙かに超えて水泳やスキーをなさるすばらしい身体的なあり方を保っておられました。)

2000年の記者会見の席上で、その幻視が公表されたとき、当時のラッツィンガー枢機卿[現ベネディクト十六世教皇]は、この「解釈」が誰をも拘束するものではない、と言われました。それゆえ、われわれはそれを信じられないものとして拒否するあらゆる権利を持っています。本当に、何かあるものが欠けています:すなわち、その幻視が実際に意味するものの真の説明が欠けています。そしてその説明はただ祝せられたおとめ御自身からだけ出て来ることができるでしょう。しかしわれわれはこのテキストをまだ見たことがありません。

パズルの第三のコーナー:ヨハネ二十三世の個人的秘書、ロリス・カポヴィッラ大司教の証言。大司教は今晩われわれと共にここにおられる若いファチマ学者ソリデオ・パオリーニによって直接こう質問されました:公式的な説明がパウロ六世によって第三の秘密のテキストが読まれた一つの日付(1965年3月)を与えており、一方でモンシニョール・カポヴィッラ自身の記録が教皇パウロ六世の選出の数日以内の1963年6月を示していると仮定するならば、ファチマの第三の秘密に属する二つの異なったテキストがあるのではないか?と。

そして第三の秘密の二つの異なったテキストが存在するかどうかについてのこの質問に対する大司教の答えは:"Per l'appunto" 「まったくその通り!」でした。大司教はこの証言を決して撤回されませんでした。そしてベルトーネ枢機卿はそのことを決して話しませんでした。

パズルの第四のコーナー: カポヴィッラ大司教はパオリーニに、パウロ六世が1963年に - 公式的な説明が主張しているように1965年にではなくて - 読まれたテキストは一つの封筒の中に、あるいはフォルダーの中に入れられたということを明らかにしました。その封筒あるいはフォルダーの上にカポヴィッラは彼の名前、教皇ヨハネ二十三世によって中にあるテキストを知らされたすべての人々の名前、そしてテキストに関する教皇ヨハネ二十三世の決定、あるいは非決定:すなわち、「私はいかなる判断をも与えない」の逐語的な言葉を書きました。
教皇の寝室にあるバルバリーゴと呼ばれる机の抽斗にしまわれたこの封筒は一度も示されませんでした。しかし、ベルトーネ枢機卿がオーガナイズし、そして2007年9月に放映されたまさにそのテレビ・ショーで、カポヴィッラ大司教は全世界にこのもう一つの他の封筒の存在を確証しました。なぜそれは提出されなかったのでしょうか?

パズルのこれら四つのコーナーがその場所に置かれるならば、そのパズルへのただ一つの絵だけが存在することができます:すなわち、本当に、バチカンが示さなければならないファチマの第三の秘密の欠けているテキストが存在します。カポヴィッラ大司教はこの欠けているテキストの存在を確証しました。ソッチは一つの欠けているテキストがあるということに同意しています。そしてトサーティも同意しています。私もまた第三の秘密の欠けているテキストが存在すると断言します。ニコラス・グルーナー神父はそう言っています - そして彼は2000年の時からそう言って来ました。そして世界中のますます多くのカトリック教徒たちがそう言っています。真理はわれわれを自由にするでしょう。

今夜私があなたたちに話しているとき、私はイタリア系の一アメリカ人であると言うことを誇りに思います。私が誇りに思う理由は、私に関する限り、世界における最も偉大な国はイタリアであるということです - イタリアは世界に聖ベネディクトと聖トマスを与えました - そして世界の中で最も偉大な都市はローマ、カトリック教会の中心です。

しかし恐らく異教ローマの最も偉大な文芸の達人 - キケロ - にちなんで名づけられたまさにこの通りにあるこのホールであなたたちに話しているとき、私はまた西欧思想の偉大な伝統全体 - アテナイのギリシャ人たちからローマの異教的哲学者たちまで、聖なるカトリック教会の聖人たちや博士たちまで - が真理に対するその尊敬において、そしてまたいかなる「存在する諸権力」が不快にさせられようとも、真理を探究しそして擁護する人間の権利において、一つになっているということを思い起こします。

それが、ファチマの第三の秘密とその欠けている部分:すなわち、人類の歴史におけるこのますます増大する危機的な瞬間にとってそれ以上に重要なものがあり得ない神からの警告についてあなたたちに話すために私がローマに来た理由です。

ファチマ・クルーセイダー

2012年11月28日 | Weblog
ファチマを擁護した後マザー・アンジェリカに何が起こったか?

The Fatima Crusader Issue 89, Summer 2008

ファチマの第三の秘密が教会と世界に公表されるべきであった年、1960年以来バチカンによって沈黙させられてしまって、ファチマのシスター・ルチアは2005年2月13日に彼女の永遠の報い[を得るべく天国]へ行った。2005年4月2日にヨハネ・パウロ二世の長い在位期間は彼の死と共に終わった。そしてカトリック教徒は今彼の霊魂の安息のために祈っている。

しかし教会における危機は - 第三の秘密において予告されたとおりに - 荒れ狂っている。数百万のカトリック教徒は、半分廃墟になった都市の外側で処刑される「白い衣装を纏った司教」のぼんやりした幻視についてのバチカンの開示が40年以上もの間バチカンの中で鍵をかけられて保たれて来た秘密にあったすべてがそこにあるということに確信が持てないままである。

世界中の信徒の成員たちのために話しながら、元気のいいそして伝統的な精神の持ち主である、エターナル・ワード・テレビジョン・ネットワーク( EWTN )の創設者、マザー・アンジェリカは2001年5月16日の彼女のライブ・テレビ・ショーにおいて次のような宣言を行った:

「秘密については、そうですね、私はたまたま、私たちは事柄全体を手にしていないと考える人々の一人です。私はそう言いました!つまり、あなたはあなた自身の意見への権利を持っておられるということを意味しています、そうではありませんか、神父様?ご存じのように、されが私の意見です。なぜなら、私はそれは恐ろしいことだと思うからす。」

およそ七ヶ月後、二つの打撃(そして一連の前もって気づかれていなかった小さな打撃)の最初のものに続いてマザー・アンジェリカは EWTN のライブ・テレビ・ホストとしてテレビ・チャンネルから去った。 EWTN の名士ライモンド・アロヨによるマザー・アンジェリカの伝記の中に述べられているように、「2001年の終わりまでに EWTN からのマザー・アンジェリカの分離は完了した。」注1) EWTN におけるマザーの役割は今や短い予め録画された部分におけるロザリオの先導と彼女の古いテレビ・ショーの放送に縮小されている - EWTN の現在の経営陣によって「神学的正しさ」のために検閲されたものであり、それはわれわれが後に見るように、その方向づけにおいて決定的に近代主義的となってしまった。注2)

人はマザー・アンジェリカが「シスター・ルチア化された」と言うかもしれない - しかしそれは打撃のために、ではない。 EWTN が打撃がマザー・アンジェリカにテレビに出ることを不可能にしたと言っているけれども、実を言えば彼女はすでにバチカン聖省の援助をもって周到に用意された司教のパワー・プレイによって、彼女が創設したネットワークに対する彼女の支配の立場から追い出されていたのである。

マザー・アンジェリカ対マホニー枢機卿

それはすべて 1997年11月に、マザーの、名うてのマホニー枢機卿に対する忘れられないテレビ放送された公然の非難と共に始まった。この枢機卿は公会議後の近代主義と教会における衰退のまさに化身である知名度の高い高位聖職者であった。マザーは正当にも、ミサの真の教義の近代主義的鈍化としてマホニーの聖体に関する「司牧書簡」を公然と非難した。バチカン当局内のマホニーの友人たちからの圧力の下に、マザーは放送による弁明を行った。しかしその「弁明」は最初の実況解説よりももっと挑戦的でさえあった。ほとんど一時間の間、マザーは、マホニーが[聖体の]実体変化の教説を軽視し、そしてそのようにして堀り崩したということを論証しながら、「司牧書簡の一項一項の批判を蒸し返した」注3)。激怒したマホニーはローマにおいて教会法上の告訴を提出した。アロヨは、「マザー・アンジェリカは彼[マホニー]に告げるためのわれわれが持っていない勇気を持っている」注4)ということを認める人として、教皇庁の一人の長老枢機卿を引用している。マホニーの教会法上の告訴は最終的にはどこにも行かなかった。しかし彼はすでにマザーに対して行動を起こすように、バチカン当局を動かし始めていた。アロヨは「枢機卿はマザー・アンジェリカがカトリック司教全国会議に対して、あるいは個々の司教たちのある者に対して責任を負うべき者ではないという彼女の態度全体について、聖座が何かをすることを望んでいる」注5)と述べている人としてマホニーのメディア関係のディレクターを引用している。

フォリー司教対マザー・アンジェリカ

次に、マザー・アンジェリカはもう一人別の自由主義者の高位聖職者、アラバマにおける彼女の司教区の直轄者デイヴィッド・フォリー司教との関係をもつれさせた。フォリーはマザーの使徒職、永久[聖体]礼拝の貧しきクララたち(Poor Clares of Perpetual Adoration)に対しては何ら実際の権威を持っていなかった。それにもかかわらず、彼は、マザーがアラバマ州ハンスヴィルに建設していた祝せられた秘蹟[聖体]の新しい聖堂において、いかなるミサも、人々に対面する注7)よりはむしろ、伝統的な「アド・オリエンテム」注6)の様式で - すなわち、東の方向に祭壇と神に対面して - 捧げられるべきではない、と強く主張した。マザーがこの不法な要求に屈服することを拒否したとき、フォリーは1999年10月に、祭壇に対面するミサ - 教会の最も初期の時代からのとぎれない伝統 - は「不法な刷新あるいは神聖冒涜」であり、そしてこの「神聖冒涜」の「罪を犯す」者は誰でも「諸権限の差し止めあるいは解任」を受けるべきである、ということを述べている一つの本末転倒の布告を発した。彼の司教区におけるすべてのミサは「これからは固定されていない祭壇で捧げられ...そして司祭は人々に対面する」注8)であろうと宣言した。

この権力の乱用への勇気ある抵抗の行為において、マザー・アンジェリカは,他ならないフォリー自身 - 彼は人々に対面してミサを捧げた - によって主催された1999年12月に行われた新しい聖堂の献堂式をボイコットした。アロヨは、明らかに恥をかかされたフォリーがマザーを、少しばかりの言葉を言うために、仕切壁のところへ呼び出したが、しかし「沈黙の抗議において」彼女が、フォリーの支持者として奉仕することを拒否して、彼女のシスターたちと共に修道院として離れた区域にとどまったと報告している。注9)

マザー・アンジェリカに反対するフォリーとバチカンの官僚たち

明らかに復讐することを決定して、フォリーはマザー・アンジェリカに対する行動を要求するために全国カトリック司教会議の代表として(疑いもなくマホニーの祝福を受けて)バチカンに行った。フォリーは、「バチカン礼拝及び秘蹟規律聖省」(Vatican's Congregation for Divine Worship and the Discipline of the Sacraments)長官のメディナ枢機卿の忠告によって、彼の司教区において東(すなわち、祭壇)に対面するいかなるテレビ放送されるミサも禁止し、そして人々に対面するミサを要求する「規範」を公布した。 EWTN は、それらの規範が、フォリーの以前の布告と同様に、本末転倒した、そして不法なものであった - なぜなら、フォリーはテレビにおいても、あるいは他の仕方でもなされる教会の太古からの実践を禁止するいかなる権威も持っていなかったから - けれども、これらの「規範」に従った。

しかし問題はそこでは終わらなかった。フォリーはまた「奉献生活諸制度及び使徒的生活社会聖省」(Congregation for the Institutes of Consecrated Life and Societies of Apostolic Life)に、 EWTN の活動全体を探査させるためにアラバマへ使徒的訪問者、プエルト・リコ、サン・フアンのロベルト・ゴンザレス大司教を送らせるよう説き伏せた。注10)(2000年2月-3月に行われた)訪問の目的が、新しい聖堂を含む EWTN の資産を所有したあのマザー・アンジェリカの修道会、the Poor Clares を設置することであって、マザーが委員会の諸決定に対して完全な拒否権を持っている最高責任者(CEO)であった EWTN の民間団体管理者委員会を設置することではなかったことがすぐに明らかとなった。資産を所有したあのマザーの修道会が設置され得るならば、そのとき EWTN 企業全体はマザー・アンジェリカ自身に代わる一つの「進歩的な」交替者の可能的な任命を含んで、教会の支配に従属させられ得るであろう。

絶望のうちに、マザーは、回顧のうちに巨大な錯誤があるという一つの思慮深い決定を行った -

ゴンザレス大司教のバチカン宛の報告が彼女の使徒職の教会による奪取を勧めるであろうことを恐れて、マザーは平信徒の人々に EWTN に対するすべての指揮権を明け渡した - 彼らは今日それを運営している - 。2000年3月の緊急委員会の会合で彼女は、彼女の拒否権を譲り、そしてそれと共に EWTN の諸問題に対する彼女の指揮権を譲って EWTN の最高責任者としての地位を辞職した。その同じ会合で、 EWTN の委員会は会社規則を平信徒による支配を保証し、そして将来にわたって司教、司祭あるいは修道者によるいかなる支配をも排除するために改正した。注11)このようにして、自由主義的な高位聖職者たちへの彼女の直接的な抵抗の代わりに、マザー・アンジェリカは戦略的な退却によって彼らを負かすことができると考えたのである。

アロヨの伝記の一人の評者は「マザー・アンジェリカは、辞職することによって、教会内部の彼女の敵たちを負かし、そして彼女のネットワークを彼女の正統的な見解を分かち持つ平信徒の人々に委ねた...」という意見を述べている。しかしながら、われわれが見るであろうように、マザーの退却は実際には完全な総崩れであった。なぜなら、彼女を EWTN に対する支配の彼女の地位から追いやり、ネットワークを完全に平信徒 - 彼らの多くは元プロテスタントたちであり、彼らは彼女の伝統的な第二バチカン公会議以前の霊的な訓練や古風なカトリック的戦闘性を持たなかった - の手に託すことによって勝利を得たのはまさに「教会内部の彼女の敵たち」であったからである。修道女アロヨは「カトリック・コミュニケーションズの異議のない女族長」がいずれの側にもつかない中性的な者とされてしまったと呼んでいる。

マザーは2001年までに完全にその地位から追い出される

マザーは2001年12月まで EWTN のライブ・テレビ・ホストとしてふんばっていたであろう。しかし欠けるところのないカトリック信仰を提供するというその使命において EWTN が致命的に妥協させられるであろうプロセスはすでに動き出していた。2001年の終わりまでのマザー・アンジェリカのネットワークの番組担当者としての脱落と共に、カトリック再興のための反近代主義的な勢力としてのネットワークの最初のビジョンは急速に失われ、そして二度と回復しなかった。マザーのビジョンは、ロック・ミュージックを大いに重要視した「クールな」カトリシズムと結びつけられた、主として元プロテスタントの牧師たちによって伝えられた「エキュメニカルな」、水で薄められた個性のなさによって取って代わられてしまった。注13)

新しいそして「より如才のない」 EWTN はその大部分、制作担当副社長、ダグ・ケックの仕事であるように見える。彼は20年の間、その番組制作が「プレイボーイ・チャンネル」(the Playboy Channel)を含んだあるケーブル・テレビ複合企業体でその事業の長であった。アロヨが書いているように、「実況放送とそのネットワークの内容を変えること」に責任があったのはケックであった。そしてネットワークの支配をケックと他の平信徒の委員たちへ引き渡すというマザーの決心において「決定的であることを証明した」意見を提出したのはケックであった:「マザー、私はあなたが正しいと思います。私はあなたがネットワークを守るために後退する必要があると思います」とケックはあの重要な委員会の会議で言った。注14)そして彼女はそうしたのである。

6ヶ月も経たないのに、 EWTN の番組制作は今や、われわれが今日第二バチカン公会議に続いて至るところで見ている戦闘的教会の同じ弱体化と自由化を示している。

この議論は、愛のために言うならば、 EWTN の近代主義的内容に対して責任を負っている人々が自覚的に信仰から逸脱することを意図しているのではないと推定している。彼らは状況についての彼らの歪められた見解 - 彼らをして、忠実なローマ・カトリック教徒たちを「極端な伝統主義者たち」として非難せしめることへと導く見解 - において、自分たちは実際に信仰を擁護していると考えさえしている。ある人々は、われらの主が弟子たちにそれはファリザイ派の人々のそれであろうと警告なさった精神状態を所有してさえいるかもしれない「しかも汝らを殺す人すべて自ら神につくすと思う時来たらん。」(ヨハネ16:2)

「 EWTN :堕落したネットワーク」(EWTN: A Network Gone Wrong)は偉大な書物である。それは近代主義の狡猾な異端がどのようにその立場を広めるかについてのケース・スタディである。この書物は教会における現在の危機そして近代主義がどのように無数の霊魂たちの永遠にわたる地獄への喪失をもたらすか、を説明している。

この抄録は「 EWTN :堕落したネットワーク」という書物の序文から取られている。この序文の題は「概観:マザー・アンジェリカの追放」である。

脚注:
(1) Raymond Arroyo, Mother Angelica: The Remarkable Story of a Nun, Her Nerve and a Network of Miracles,(NY: Doubleday, 2005)page 317(hereafter "Mother Angelica")
(2) The heresy of Modernism, famously condemned by Pope St. Pius X in his monumental encyclical Pascendi(On the Doctrines of the Modernists).
(3) "Mother Angelica", page 262.
(4) Ibid., page 264.
(5) Ibid., page 267.
(6) Latin for "toward the East"
(7) Contrary to popular perception, no legislation from Rome has ever prohibited Mass facing the altar. Rather, the option of Mass facing the people has been introduced, with the "option" becoming only a de facto (not legal) norm.
(8) "Mother Angelica", pages 287-288.
(9) Ibid., page 292.
(10) The entire affair is recounted in great detail in "Mother Angelica", Ch. 18, pages 298ff.
(11) Ibid., pages 307-309..
(12) "Mother Angelica", page 215.
(13) None of this is to suggest that Mother Angelica represented utter perfection in her presentation of traditional Roman Catholicism. Nevertheless, Mother Angelica represented the network's best hope for becoming a vehicle of Catholic restoration. Now with her removal from any position of control over EWTN there was nothing to restrain the liberalizing tendency that has subverted its mission.
(14) "Mother Angelica", pages303-304.

ファチマ・クルーセイダー

2012年11月27日 | Weblog
隠された秘密の懲罰(続き)

オハイオ州クリーヴランドで行われたロザリオ・ラリーでなされた講演の抜粋

ニコラス・グルーナー神父, S.T.L., S.T.D.(Cand.)

The Fatima Crusader Issue 89, Summer 2008

分派は何を意味するか?

分派は教皇あるいは司教に対する不従順を意味しません。分派は一致を破ることを意味します。分派の罪は通常教皇あるいは司教の正当な権威を受け入れない人々のことを言います。しかし逆のことが起こり得ます。教皇るいは司教もまた分派的であり得ます。

それはほとんど矛盾のように響きます。しかし一つの例を出させてください:もし6人の子どもたちの父親がその子どもたちの半分に居間を緑色に塗るよう、そして他の半分の子どもたちにそれを赤い色に塗るよう告げたならば、何が起こるでしょうか?争いが子どもたち皆の間に起こるでしょう。なぜなら、父親は矛盾した命令を出したからです。たとえ父親がただそのことを示唆したに過ぎなかったとしても、結果は同じであるでしょう。子どもたちはなお部屋が赤であるべきか、緑であるべきかに関して争うでしょう。

さてこれは単なる一つのたとえ話ではありません。事実は、これが今日教会の中で進行していることであり、そしてそれがわれわれの教皇から来ているということです。

それはどのようにでしょうか?ところで、私は次のような質問を受けました:「ラテン語ミサは禁止されたと思いましたが?私はラテン語ミサをし続けている司祭たちは単に反抗的であるに過ぎないと思いました。」

さて、しばらくの間ラテン語ミサについて、そしてそれへの教皇の関わり合いについて話すことにしましょう。あなたは、教皇パウロ六世が1969年に新しいミサ典書をお与えになったとき、古いミサを禁止なさらなかったということを知っています。ところで、あなたは教皇が古いミサを「禁止」されたという印象を持ったかもしれません。そしてあなたはそれが真実であると考えたかもしれません。しかしもしあなたが問題を綿密に研究するならば、教皇は禁止なさらなかったのです。そして教皇パウロ六世は御自分が禁止しなかったということを知っておられました。そしてその事実を私的に認めてさえおられました。なぜこのことが重要なのでしょうか?彼の居間における父親の例とちょうど同じように、自分たちは新しいミサに行くことによって、そして古いミサに行かないことによって、従わなければならないと考えるカトリック教徒がいます。そして自分たちは古いミサに行き、新しいミサには行かないことによって従わなければならないと考えるカトリック教徒がいます。そしてそのようにしてこれらの人々が一緒に会うとき、彼らは「あなたたちは不従順です」と言います。「いいえ」と彼らは答えます:「不従順なのはあなたたちです。」

そしてそのようにしてわれわれは信徒たちの間に分裂を持ちます。われわれは信徒たちの間に不一致を持ちます。このことは、実際には命令ではなかった一つの命令について、与えられた印象があったがゆえに起こったのです。

私はもう一つ別の個人的な例を挙げましょう。1967年1月にモントリオール大司教区の尚書院長は、あなたたちはある種のまだ承認されていない御出現をこの司教区では促進することはできないと述べている書簡を出しました。

私は道路の向こう側の神学校にいました。そして私は、その書簡を読んだとき、こう独り言を言いました:さて、それは私がこれをもはや促進することはできないように見える、と。なぜなら、どんな理由であれ、私はその手紙を再び読み、そして私は、実際、それは私がそれが言っていると考えたことを言っていないということを、理解しました。それは私に何かをすることを命じておらず、それが命じているという印象を与えたのです。私は、友人の副院長、ウィラード神父 - 彼は後にウィラード司教になりました - のところへ行ってこう言いました:「尚書院事務局によって最近出されたこの書簡は一つの命令を与えているように見えるが、しかしにもかかわらずそれは命令を与えていない。私は何かあることを見逃したのだろうか?私は理解しているのだろうか?」彼の答は最も啓発的なものでした:

「君はそれを正しく読んだ。それはまさに彼らがどのようにそれを書こうと意図したかということだ。」

そのように彼らは私に一つの命令の印象を与えようと意図したが、しかし彼らは命令を与えることに対する責任を取ろうとしなかったのです。それゆえに、私は、それが実際に何を行っているかを知って、そのいわゆる「命令」へのいかなる従順によっても縛られませんでした。しかしながら、私の母は、私自身に知られずに、それを、私が最初に読んだ仕方で読み、そして、私が、他のすべての人と同じように、ある種の事柄をしないように命令されたと考えました。それゆえ、私が続けていたとき、彼女は私が不従順であるという判断をしました。私がこのことを発見したのはおよそ5年後でした。そしてその間中、尚書院事務局は一つの分裂、私の母の側でのある程度の不和を引き起こしていたのです。そして私は犠牲者となりました。それは私の母の責任ではありませんでした。そしてそれは私の責任ではありませんでした。それは上長の責任でした。

典礼において信仰を変えることの自殺行為

そのことがまさに、遙かに大きなスケールにおいてであろうと、ミサの犠牲について、トリエント・ミサを用いないようにという命令について、今日の教会において進行していることです。事実は、トリエント・ミサを用いてはならないといういかなる命令もないということです。その命令はかつてあったことがありません。その命令はかつて一度もなかっただけではなく、彼らにとってそのような命令を与えることは不可能なのです。

そのことについて私はどのようにして、教皇ベネディクト十六世のモートゥ・プロプリオ以前にさえ、そのように確信を持つことができたのでしょうか?私がそのことについてそのように確信を持つことができるのは、それが教皇はトリエント・ミサを禁止することができないという決定されたカトリックの教義であるからです。もしあなたがそれについてもっと知りたいと望むならば、クレイマー神父による書物 The Suicide of Altering the Faith in the Liturgy のうちにそれを読むことができます。しかしながら、私はあなたに非常に単純な一つの議論の本質を与えることができます。トリエント公会議第七セッションの第13カノンはこう言っています:

「もし誰かが、諸秘蹟の荘厳な執行において慣例上用いられているカトリック教会の受け取られそして承認された諸典礼は、罪なくして聖職者たちによって見下されてもよい、あるいは自由に除外されてもよい、あるいは誰であれどの教会の司牧者によって他の新しい典礼に変えられてもよいと言うならば、その者は破門されよ。」

換言すれば、「いかなる地位にある司牧者」は教皇を含みます。教皇はすべての司牧者の司牧者です。しかし彼はそれでもなお一人の司牧者として位置づけられます。教皇も、枢機卿たちも、司教たちも、司祭たちも、諸秘蹟が荘厳に管理されている諸典礼を変えることはできません。彼らは単にミサのためにそうすることができないばかりではなくて、諸秘蹟の七つすべてのためにそうすることができません。そしてそれがトリエント公会議の決定です。

換言すれば、教皇、公会議、司教あるいは司祭はミサの典礼をミサの他の「新しい」典礼へと変更することを禁じられているのです。

あなたは、それが教皇聖ピオ五世によって、1570年の彼の教皇文書 Quo Primum のうちに成文化されているのを見ることができます。彼はこう言っています:「このミサ」(これはトリエント・ミサのことを意味しています)「はミサのための受け取られ、承認された典礼である。そして誰も、枢機卿あるいは司教あるいは司祭でさえ、このミサを変えることはできない、あるいは司祭にこのミサを捧げることを禁じることはできない。」そして彼は、それを法においてそして教義において、その両方において、永遠に義務的なものとして宣言しています。そのことは彼の後継者たちでさえそれを変えることはできない、ということを意味しています。それは彼を一つの法とすることではありません。彼は、これがあなたは諸典礼を変えることができないとそれが言ったときトリエント公会議が言及しているものであるという事実を証言しているのです。そしてそのことがなぜ教皇パウロ六世が古いミサを禁止しなかった - また彼がそれを望んだとしてもそうすることができなかった - か、その理由です。しかしながら、彼は、彼が禁止したという印象を与えました。そしてそれがそれ以来ずっと教会の中に問題を引き起こしたことなのです。

それゆえに、チアッピ枢機卿がわれわれに、背教が教会においてトップのところで始まっていると告げるとき、彼を信じることはそれほど信じられないことではないのです。

われわれの信仰の教義

同じ議論は教会の諸文書にも当てはまります。教会の諸文書、特に教会の公会議の教えを宣言している公式の諸文書は、誰もがそれらの文書を同じ意味において理解するそのような仕方で書かれる必要があります。第二バチカン公会議の諸文書は、ある箇所において曖昧ではっきりしていません。それはそれらが多くの異なった意味において理解されるという意味です。それが言葉を練り上げた著者たちのまさに意図でした。しかしそれが意図的であろうがなかろうが、事実はこれらの文書のいくつかのさまざまの教えは確かに異議をさしはさまれています。そのようなものとして、それらの文書はそこに存在するべき何かあるものを欠いています。悪のまさに本性は:「神がそこにあることを意図されている何かあるものの欠如」です。もし文書が必要な明確性を欠いているならば、その文書はそれ自体で悪であると言うことは不合理なことではありません。

教皇ピオ六世は1794年にピストイアの教会会議をさまざまの理由で断罪されました。しかしそれらの理由の一つは、彼らが作成した諸文書が不明瞭であり、そしてすでに決定された教義である諸々の事柄に異議を唱えたということでした。

それが教会における曖昧な諸文書を断罪する理由です。そしてそれが、第二バチカン公会議の結実は悪いと言う理由です。ところで、もし木の実が悪いならば、そのとき「よい木は悪い実を結ぶことができるか?」というわれらの主御自身の言葉によって、われわれは公会議それ自身が悪いという結論に達することができます。それが第三の秘密が第二バチカン公会議について言っていることです。そのようなことを言うことは異端ですか?いいえ!われわれがこれまでに持った21の公会議の中で、われわれは悪い実を持ったもう一つの公会議を持ちました。A.D.553年に、コンスタンチノープル第二公会議が開催されました。教皇聖大グレゴリオはおよそ40年後に、これらの曖昧な文書の一つに彼らの同意を与えるという良心の問題を持った司教たちに、ただそれを無視せよ、それが決して起こらなかった振りをせよ、信仰をもって仕事をせよ、と告げました。そしてそれは、われわれが第二バチカン公会議の多くのことについて、する必要のあることです。

それが、聖母が第三の秘密において話されたことであり、そして聖母が多くの害をなすであろう一つの悪しき公会議が来るであろうと話された理由です。そしてそれが、彼らが聖母の言葉は「真正のものではない」と呼ぶ理由です。彼らは十分によく、カトリックの聖書、カトリックの教義あるいは教会史さえ、知りません。彼らは、教会における「大背教」が聖書の中に予告されているということを知るべきです。

しかし、私に耳を傾けるよりはむしろ祝せられたおとめに耳を傾けてください。あなた自身、聖母の欠けている言葉のテキストを求めてください。なぜなら、それはあなたの霊魂の救いのために重要だからです。あなたはそれが単に個人的な好みについてのこと、ラテン語かそれとも別のものかについてのこと、ではないということを知っています。ミサそれ自体は信仰を秘めています。そしてミサの制定はわれわれに、われわれの信仰が何に関わっているかを告げています。信仰の法は祈りの法です。あなたが祈ることはあなたが信じることです。そしてあなたが信じることはあなたが祈ることです。

彼らは彼をどこに連れて行ったか?

もしあなたがプロテスタントの礼拝において形成されるならば、しばらく後にはあなたはプロテスタントのように考え始めます。もしあなたが聖体を手に受けるならば、あなたはそれは重要なものではないという考えを持ちます。実際、アーリア派とプロテスタントは両者とも、まさにその目的のために手による聖体拝領を導入しました。イエズスが神の御子であり、御父と等しい方であることを信じなかったアーリア派は彼らの信仰の欠如を、人々が毎日理解することができるようなそのような仕方で表明することを望みました。そしてそれは彼らが4世紀に手による聖体拝領を導入したときです。

そしてプロテスタントたちが実体変化の教義を否定したいと考えたとき、彼らは再び手による聖体拝領を導入しました。その目的は、彼らの指導者たちが彼らに信じさせたかったことを彼らに信じさせるために、人々の考え方、彼らの祈り方に影響を与えることでした。それは、あなたが願わくは理解していただきたい一つの非常に深遠な、しかし非常に単純な例です。

もう一つ別の例を挙げましょう。祭壇の聖櫃の上の屋根が修理されることになり、そして司祭が、修理工が聖櫃の上にハンマーを落とすかもしれないと心配するならば、彼は修理がなされるまで祝せられた秘蹟[聖体]を一時的に脇へ移動させるでしょう。しかしながら、もし教会の中で修理がないならば、もし永続的な根拠に基づいて祝せられた秘蹟を移動させるための何らの理由もないのに、彼がとにかく移動させるならば、どうでしょうか?彼は一言も言いませんでしたが、しかし彼は普通の人々に、祝せられた秘蹟は重要ではないというメッセージをまさに与えたのです。人々は入って来て、そして座席に跪きます。そして祝せられた秘蹟には注意を払うことさえしません。

それが、過去40年の間にわれわれの教会において行われて来たことです。そしてそれはトップのところから来ています。それは[第三の]秘密の中にあることです。ピオ十二世は、1931年に、彼が教皇になる前に、国務長官であったときに話しながら、次のように言われました:

「私は祝せられたおとめのファチマのルチアへのメッセージによって当惑しています。教会に脅威を与えている諸々の危険についてのマリアのこの固執は典礼における信仰を変えることの自殺行為に対する神の警告です。文明化された世界がその神を否定し、教会が、ペトロが疑ったように疑う日が来るでしょう。教会は人間が神になったということを信じるように誘惑されるでしょう。われわれの教会において、キリスト教徒は神がそこで彼らを待っておられる赤いランプを探しても無駄でしょう。マリア・マグダレナのように、空の墓の前で泣きながら、彼らは尋ねるでしょう:『彼らは彼をどこに連れて行ったのですか?』と。」

カトリック教徒たちは何をすることができるか?

それはわれわれが過去40年間われわれの目の前で見てきたことです。ここでは彼はそれを1931年に予告しています。そして彼はそれがファチマのメッセージから来ていると言っています。それは彼らがあなたに与えなかった秘密の中に含まれているに違いありません。なぜなら、あなたは他のどこにもこのことについての言及を見つけることはできないからです。事実は、理解するため、「彼らはどこに彼を連れて行ったのか?」という質問をするための十分な信仰を持っている少数の人々に対して、彼らがトップのところから下ってきたプロテスタント化されてしまったこれらの儀式や礼拝に行くにつれて、日毎に、週毎に彼らがプロテスタント化された者となっていることを理解さえしない無数のカトリック教徒が存在するということです。それが、イギリスのカトリック教徒が - 1540年頃に亡くなったヘンリー八世と1600年に亡くなったエリザベスとの間に - 教会からどのようにして連れ去られたか、その仕方です:すなわち、徐々に典礼を変えることによって、そして教会における彼らの見方、考え方そして行動の仕方をプロテスタント化することによって、です。そして一世代あるいは二世代の間に彼らはもはやカトリック教徒ではありませんでした。プロテスタントの指導者たちは一言も発しませんでした。そして彼らがしなければならなかったことは典礼の実践の中に新しい教説を提供することでした。

それゆえ、それはあなたの好みについてのことではありません。われわれが語っていること、それはあなたの信仰です。それはあなたの霊魂です。それは第三の秘密の中にあります。あなたは完全な第三の秘密の開示への権利を持っています。それならば、われわれ自身することができることは何でしょうか?われわれは思い上がった者となってこう言うべきではありません:「さて、私がよい教皇、よい国務長官、よい司教あるいはよい司祭あるいは何であろうと何かを持ってさえいたならばなあ。そのとき私は結構なことでしょう。しかし彼らが悪いがゆえに、私は今あるがままで結構です。というのはそれは私の責任ではないからです」と。事実は、われわれが経験している懲罰はわれわれ自身の罪のためであるということです。それはわれわれにとってわれわれの高い馬の上で立ち上がってこう言うことではありません:「さてもし私が教皇であったならば、私はもっとうまくそれをするであろう」と。

それはあなたにかかっている

事実は、われわれは神がわれわれを置き給うたところでわれわれであるということです。それはわれわれにとって痛悔をしそして神がわれわれにするようにお与えになった仕事をすることです。それはわれわれにかかっていることです。そしてわれわれは皆毎日ロザリオを祈ることができます。聖母はわれわれが毎日ロザリオを祈ることを要求しておられます。ルチアは「ロザリオによって解決され得ないどんな問題も - 国家的あるいは国際的問題のいずれも、物理的あるいは道徳的問題のいずれも - 世界の中にはありません」とわれわれに告げています。それゆえ、われわれはロザリオを祈り、そして神に、われわれの司教たち、そしてわれわれの司祭たち、そしてわれわれの教皇、そしてわれわれの枢機卿に、もし彼らがよくないならば、恩寵を与えてくださるよう求めているべきです。そしてもし彼らがよいがしかし勇気において欠けているならば - 聖霊降臨の前の使徒たちのように - 彼らが公に真理のために立ち上がる勇気を得られるように、そうすべきです。それが、あなたがそのためにロザリオを祈る必要があることです。

われわれはわれわれ自身の理解のためにロザリオを祈ります。われわれが受け取りそして受け入れてきた諸々の嘘は一部はわれわれがそれらを信じることを望んだがためでしょう。われわれや真理を見、そして常にどこででも真理を生きるように祈ります。

われわれは、第一にわれわれ自身の救いのために、しかしまたわれわれの隣人たちや友人たちの救いのためにも、しばしばそして熱心にロザリオを祈り、そして他の人々に同じことをさせなければなりません。最終的にはわれわれは単にカトリック教徒たちばかりでなくて、世界におけるすべての人の救いのために祈ります。われわれの第一の忠実は神に対する忠実でなければなりません。

教皇レオ十三世はわれわれに、すべての恩寵がわれわれにイエズス・キリストの聖なる人間性を通じて父なる神から、祝せられたおとめマリアの手を通して、われわれに来ると指摘しています。

それはその順番で来ます:すなわち、神、われらの主、祝せられたおとめ、そして次に教会です。それは順番です。そしてそれはまたわれわれの優先の順番でもあります。われわれはわれわれの司祭たち、そしてわれわれの司教たち、そしてわれわれの枢機卿たち、そして教皇のために祈っているべきです。彼らは皆われわれの祈りを必要としています。あなたの祈りと犠牲によってあなたの上に置かれたこれらの人々を助けなさい。それは聖書から来ていることです(テモテ2:1-3参照)。私はまたあなたがその主題に関して情報を得そしてよく読んでいるように促します。なぜなら、あなたは半分の真理を告げられており、そしてあなたが欠いている部分はあなたが必要としている部分であるからです。それが、なぜ私があなたに、われわれが出版している文献を読むように、しかし少なくとも確かにその主題に関する何らかのよい文献を読むように促すのか、その理由です。

時は遅い

ファチマの聖母はわれわれに、諸国家全体が絶滅させられるでしょうと告げられました。それゆえ、われわれが時は遅いということ、そしてわれわれはあらゆることをすることはできないが、しかしわれわれ一人ひとりは何かをすることができる、ということを理解することは重要なことです。

そして神はわれわれができることをすることを期待しておられます。

1917年6月13日にファチマに来た50人の人々は彼らの友人たちや隣人たちに話をしました。それは神が彼らにすることを期待なさったことです。それらの50人の人々はすべて口から出る言葉によって、7月には5,000人に、そして8月には15,000人に、そして9月には30,000人に、10月には70,000人に変わりました。

われわれ一人ひとりはその点において資格がある者であり得ます。われわれ一人ひとりは他の人々に話をすることができます。われわれ一人ひとりは情報を得ることができます。われわれ一人ひとりはロザリオを祈ることができます。われわれ一人ひとりは5回の初土曜日[の信心]をすることができます。われわれがすることができる他の諸々の事柄があります。覚えておいてください、毎日ロザリオの祈りをしてください。聖母はそのことを強く望んでおられます。それは天に至るいたるあなたのライフ・ラインです。シスター・ルチアはこう言っています:「ロザリオを祈ることによって、あなたたちはわれらの主と聖母を喜ばせるでしょう、あなたたちはあなたたち自身の霊魂を救うでしょう、そしてあなたたちは他の多くの霊魂たちを助けるでしょう」と。神があなたたちを祝福されますように。

脚注:

(1) Christopher A. Ferrara, The Secret Still Hidden ,(Pound Ridge, NY: Good Counsel Publications, 2008), p.43.

(2) See Dz. 466, D.S. 861; also Dz. 1830, D.S. 3063.

(3) See Dz. 856, D.S. 1613.

(4) Roche, Pie XII Devant L'Histoire, pp.52-53. Cited in Father Paul Kramer, The Devil's Final Battle (Terryville, CT: The Missionary Association, 2002), p.34.

ファチマ・クルーセイダー

2012年11月26日 | Weblog
隠された秘密の懲罰

オハイオ州クリーヴランドで行われたロザリオ・ラリーでなされた講演の抜粋

ニコラス・グルーナー神父, S.T.L., S.T.D.(Cand.)

The Fatima Crusader Issue 89, Summer 2008

私は、あなたたち皆がファチマの第三の秘密について聞かれたと確信しています。そして疑いもなく、あなたたちがまた、バチカンがそれをすべて2000年に公表したと言われていることを聞かれました。

この使徒職を含むすべての人がそのことを信じ切っているわけではありません。

われわれが知っている一つのことは、故意の誤報、聖母の緊急のメッセージを沈黙させることが、教会の位階そのもののトップから来ているということです。

しかしそのことはどのようにしてあり得るのでしょうか?

心中留保

ベルトーネ枢機卿並びに他のバチカンの高官たちは心中留保と呼ばれるものを用いています。カトリックの道徳学者たちはわれわれに、心中留保は時には許され、また時には許されないと告げています。例えば、もし一人の乗組員が海軍の船に乗船するよう召集されたならば、彼の命令と船の出帆時間は機密保護の問題であるでしょう。それゆえ、もし隣人が彼の船が何時に出帆するかと尋ねたならば、彼は「私は知らない」と言うことによって心中留保を用いることができます。なぜなら、誰も未来のことを知らないからです。結局、船長は a second late であるかもしれません。あなたはある人に、もしその人が知る権利を持っていないならば、真実全体を告げることを避けることができます。しかしあなたは直接的な嘘を告げることもできません。

あなたが心的留保を用いることができない場合があります。あなたに質問をしている人が知る権利を持っているとき、あなたは、彼が知る権利を持っている真実を知ることがないように、彼が誤解するだろうことを希望しながらある種の曖昧な文句を用いることはできません。それは、心的留保を用いることが悪い場合です。

ある人々は心的留保は常に正しいそしていつでも、どこでも用いることができると考えています。それは誤りです。しかしベルトーネ枢機卿や他のバチカンの高官たちが心的留保を用いていることはまったく明らかであると思われます。このことが、彼らが今日ファチマと第三の秘密についてしていることです。

お分かりになるとおり、彼らは第三の秘密の第二のテキストが存在するということを知っています。彼らはシスター・ルチアが他の何かあることを書いたということを知っています。彼らはそれが一枚の紙に書かれ、そしてそれが25行の長さであるということを知っています。そしてそれは25行です。そして彼らはカポヴィッラ大司教は、彼が他のテキストがあると言うときに、何かあることをでっち上げているのではない、ということを知っています。

しかし彼らはそのことについて何かあることをあなたたちに告げることを望んでいません。真のテキスト、完全なテキスト、彼らがあなたたちから隠した部分は祝せられたおとめが実際にあなたたちに知ることを望んでおられる部分です。それは、第二バチカン公会議から今日に至るまで教会における混乱に終わりをもたらすであろう部分です。それは、過去47年の間教会内部で続いていた近代主義的破滅状態を打ち壊すであろう部分です。あなたたちに欠けているテキスト全体を告げないために、彼らは自己欺瞞をもって、このテキストは「真正のものではない」と自分たち自身を説得してきました。

教会における背教

彼らは彼ら自身の意見と諸々の異端を神の御母の言葉よりも高いところに置きました。ベルトーネ枢機卿は、あるテレビ番組で、「祝せられたおとめ、教会の御母、キリスト信者たちの助けは、教会のうちに背教があるということをどのように示唆することがお出来になろうか?」と示唆しています。彼はこの質問をしています。しかし事実は、それが聖書それ自身のうちに述べられているということです。

背教という言葉は少し説明する必要があります。背教 Apostasy は反乱あるいは反抗を意味するギリシャ語です。異教徒たちは背教することができません。なぜそうなのでしょうか?それは単純に、彼らがかつて一度もキリスト教徒であったことがなかったからです。それゆえに、もし彼らが第一にキリストを受け入れたことがなかったならば、彼らはキリストに対して反抗することはできないのです。それゆえ、背教はキリスト教徒の間でのみ起こり得ます。そしてそれは、実際に、ただカトリック教徒の間でのみ起こり得ます。なぜなら、他のいわゆるキリスト教徒たちは、彼らの教えが異端的であるからして、実際にはキリスト教徒ではないからです。

このように、背教は教会の内部になければなりません。聖パウロは、反キリストは大背教までは来ることができないと言っています。ただ一つの大背教だけがあります。そしてそれはわれわれがまさに今その中に生きている大背教です。

われわれはチアッピ枢機卿が、「第三の秘密において、他のこともいろいろあるが、大背教が教会においてトップのところで始まるということが予告されている」と言われるとき、彼の言葉において彼を受け取ることができます。注1) それゆえ、トップのところにいる疚しい人々は、彼らが、彼らの沈黙によってか、彼らの黙認、あるいは彼らの異端と分派の積極的な促進によってか、のいずれかで背教の部分であるということをわれわれに認めさせることを望まないのです。

ベルトーネ枢機卿と彼の友人たちは、教会において背教がトップから来ると話しておられる聖母の言葉をルチアが書いた今なお隠されているテキストは、真正のものではないと自分たち自身に説得しています。彼らは、それは単なるルチアの考えだ、それは祝せられたおとめからのものではない、と言っています。そしてその定義が彼らの心のうちにあるということをあなたたちに告げることなく、彼らは他のいかなるテキストもないと言います。その意味は彼らが真正のものであると考えている他のいかなるテキストもないということです。それゆえ、これはそのような心的留保を用いることによって、彼らがどのように、自分たちは秘密全体が公表されていると言うことにおいて、正当化されているかを感じている仕方です。これがテキストである、それ以外にはない、と。

しかしこの考え方は誤りです。私が説明したように、あなたたちは知る権利を持っています。なぜなら、祝せられたおとめはこのメッセージをあなたたち、信徒にお与えになったからです。あなたの洗礼によってあなたは秘密に対する一つの権利を持っています。そしてあなたはそれを求める権利を持っています。そしてそのことはリヨンの第二公会議そしてバチカン第一公会議によって決定されています。注2)

教会法に属する諸問題において、信徒のすべての成員は教皇からの裁定への権利を持っています。それは洗礼を受けたカトリック教徒であるすべての者を含みます。あなたはそのことへの権利を持っており、そしてあなたはあなたの権利を要求すべきです。実際、第二バチカン公会議は、Lumen Gentium - それは英語では The Constitution of the Church (教会憲章)と呼ばれているものです - の37節において、あなたに、特に教会の善に関係する事柄について質問し、そしてあなたの望みを知らせる権利を持っている、と告げています(教会法、カノン212および213をも見てください)。もし何かがこれらの事柄すべてにおいて資格を与えるならば、それは第三の秘密です。あなたはそれを知る権利を持っています。

さて、もしベネディクト教皇がそれは真正のものではないという同じ意見の持ち主であられるならば、そのとき、あなたは、他のテキストがある、しかし教皇はそれを彼の教皇権威によって真正のものではないと判断しておられる、と前線で言う教皇からの裁定への権利を持っています。あなたは少なくともそれへの権利を持っています。あなたは教皇に命令することはできませんが、しかし教皇に、もし教皇があなた自身の救いのためにあなたに属しているものをあなたに与えないならば、教皇は彼自身の救いを危険に陥れておられる、と告げることができます。

それはどのように可能であるでしょうか?なぜなら、あなたの小教区の司牧者が司牧者であることの委任を受け入れるとき、その小教区内に住むすべてのカトリック教徒は彼から諸秘蹟を受ける権利を持っているからです。それゆえ、もしあなたが深い井戸の中へ落ちて、そしてその井戸があなたの上に陥没しあなたを殺すかもしれない見込みがあるならば、その小教区の司祭はあなたに最後の諸秘蹟を与えるために彼の生命を危険にさらしてその井戸へと降りて行く義務を持っています。聖アルフォンソは霊魂たちの司牧者はその生命を危険にさらしてそのことをしなければならないと言っています。

この義務はまた司教にも当てはまります。司教はまたあなたの霊魂の司牧者です。そしてそのように教皇はあなたの霊魂の司牧者です。彼らの一人ひとりはあなたの霊魂の世話をするために厳格な正義における一つの義務を持っています。

それゆえもしベネディクト教皇があなたの霊魂を救うためにあなたが必要としている情報、あなたが今日、まさに今、陥っている諸々の危険について話しておられる祝せられたおとめからのメッセージ、を持っておられるならば、そのときあなたはその情報への権利を持っているのです。たとえそれをあなたに与えるために、それが教皇に彼の生命を支払わせるとしても、教皇はそれをあなたに与えなければなりません。あなたは単にそれを求める権利を持っているだけではなくて、それを求める義務を持っています。

秘密を公表することの重要性

われわれはその中にあるものを好まないかもしれません。わたしはきっと第三の秘密がわれわれに、我々が皆聞きたくない事柄を告げるだろうと思います。しかしこれらの事柄は皆われわれの救いのために有益なことです。われわれはそれらを聞き、そしてそれらに注意を払うべきです。マラキ・マルタン神父は、彼が亡くなる前の年にアート・ベル・ラジオ・ショーに出たときに、秘密が最終的に公表されるとき、諸教会は満員になり、そして人々は彼らの胸を打って跪き、告解のための長い行列ができるだろうと言いました。

第三の秘密は、誰が正しく、そして誰が間違っているかについて述べているのではなくて、それは実際今日の世界におけるわれわれ皆について、われわれが皆重大な危険の中にいるとうことを告げているのです。私は、それについて読み、そして非常に長い間それについて資料を出版した後に秘密の内容をかなりよく知っていると思っています。確かにわれわれはそれのかなりの部分をわれわれに語って来た十分な証人たちを持って来ました。しかし聖母がわれわれに与えるためにお選びになったその言葉はもっと重要です。それらは、われわれのうちの誰かある人が与えることができるどんなものよりももっと大きな重みを持っており、そしてそれらはもっと容易に信じられ、もっと効果的です。それゆえあなたは秘密があなたに明らかにされることを求めるべきです。

神の御手

われわれは、ベルトーネ枢機卿が、それを葬ろうとする彼の努力にもかかわらず、実際には、他のテキストがあるということをますます多く示しているほどにそのように、事柄を前進させてくださることに対して聖母に感謝しなければなりません。

ベルトーネ枢機卿は、彼自身の書物の中で彼に好意的なインタビューアーによって彼に質問されるときでさえ、ある種の質問を慎重に避けます。ベルトーネはまだ公表されるべき秘密の第二の部分がまだ存在するというカポヴィッラ大司教の証言を、カポヴィッラがこのことを明確に述べたのですけれども、彼の書物の中で扱うことを避けました。シスター・ルチアの証言に関する枢機卿の陳述については、私は、心的留保を用いることへの彼の傾向に照らしてみて、何が起こったかを説明しましょう。

シスター・ルチアは常に非常に従順であり、また非常に礼儀正しい人でしたが、特に教皇に対してそうでした。そしてそのように、ベルトーネ枢機卿がシスター・ルチアを訪問し、そして「教皇は他のテキストは真正のものではないと言っておられる」といったような何かある事柄を主張したとき、彼女の答は何か次のようなものであったでしょう:「そうですか、もし教皇様がそれは真正のものではないと言っておられるならば、そのときそれは真正のものではありません。その場合にはこれは唯一のテキストです。」それについての唯一の問題は、教皇は教皇としての彼の能力においてそのようなことを決して言われなかったということです。教皇はそのことを私的にベルトーネ枢機卿に言われたかもしれません。しかしそれは、教皇がしておられること、そして教会の統治をしておられるを知っておられながら、一つの公的な宣言をすることは一教皇にとってまったく異なったことです。そして、どの教皇もそれをわれわれに与えられたことは一度もありません。

それゆえ、教皇ヨハネ・パウロ二世が私的にベルトーネ枢機卿に何といわれようとも、あるいは教皇ベネディクト十六世が私的に何と言われようとも、それは第三の秘密の文書を真正のものでないものにするのではありません。

ベルトーネ枢機卿はシスター・ルチアとの間で10時間の[会話の]時間を持ったと言われています。彼は彼女と - テープレコーダーなしに、速記者なしに、ビデオ・カメラなしに - 話したとわれわれに告げています。そしてわれわれは議論に値するおよそ4分間の対応するものを持っています。それ以外の9時間56分の間何が起こったのでしょうか?

ソッチ氏はまさにその質問をし、そしておそらく彼らがこれを記録しなかったのは、彼らが彼らの主題に同意する圧力の下に彼女を置いていたからだと示唆しています。彼はまた、その疑問が彼の心に浮かんだのは、彼がシスター・ルチアが、ある時点で、ベルトーネ枢機卿に、「私は告解しようとしているのではありません」と言ったということを読んだときであると示唆しています。何が彼女にそう言わせたのでしょうか?確かに、ベルトーネ枢機卿は何が彼女にそう言わせたかということを記憶していたとは思えません。しかしながら、彼は確かにその答は記憶していました。彼は「よろしい、もしあなたがわれわれに協力しないならば、われわれはあなたに罪の赦しを拒否することができるでしょう、わかりますか」というような何かあることを言ったのでしょうか?もちろん、それに対する彼女の答は「私は告解しようとしているのではありません、わかりますか」ということであり得たでしょう。ここには行の間に多くのことがあります。しかし事実は残ります。秘密は奉献をもたらすための鍵です。

メッセージはなぜ1960年までに明らかになるのか?

フレール・ミッシェルはわれわれが1985年にローマで第一回のシンポジウムを開催したときに、事実上次のように述べました:

「1960年にバチカンは秘密を公表すると考えられていた。そして彼らはそうしなかった。その結果として、彼らは聖母を公に見下した。それゆえに、聖母がロシアの奉献の恩寵をお与えになる前にその見下しに対する償いがなければならない。そして受け入れられ得るものであろう唯一の償いはファチマの秘密の公表である。」

私は彼の論法と議論することはできません。彼は間違っている者であり得たでしょう。しかし時間が過ぎて行くにつれて、ますます彼が正しいと思われます。

われわれが、ローマにおいて、イタリアにおいて、そしてバチカンにおいて明らかになっているのを見ていることは、実際、心的留保が、バチカンは第三の秘密全体を公表したということを主張するために採用されたという事実です。そのような主張は人をだますものです。それは厚かましい嘘であると思われます。ベルトーネ枢機卿がそのような主張を正当化することができる唯一の道は彼にとって第三の秘密の中に含まれた祝せられたおとめマリアの実際の言葉が「真正のもの」ではないと自分自身を説得することです。トップのところから来る教会における信仰の危機を予告している聖母の言葉はベルトーネと彼のような人々によって「真正のものではないもの」として考えられています。彼らがこうするのは、聖母の言葉が、彼らが代表している悪魔的方向感覚喪失を論駁するからです。

彼らは自分たちが神の御母よりももっと多くのことを知っていると考えています。そして彼らは、われわれが教会においてそのような困った立場にいるけれども、彼らの道が正しいと考えています。1960年以前にはこの国におけるカトリック教徒の70%は毎日曜日ミサに行っていました。今日、ただ25%の人々だけが日曜日のミサに与っています。ここ、この司教区では、新しい司教が20から30の教会を割引して売り払っています。しかし、40年前よりは「名前だけの」カトリック教徒は多くなっています。そして不幸なことに、これは稀なことではないのです。事実は、背教が他のどこでもと同じようにここにもあるということです。

秘密の中の聖母の言葉は少なくとも人々に、彼らが彼らの右側の、あるいは左側の人に、あるいは彼らの司教たちに、あるいは彼らの司祭たちに、彼らのうちの多くの者が地獄へと急行しているので、従わなければならないことはないということを理解させるより多くの機会を与えるでしょう。少なくとも、あなたはあなた自身を天国へと到達させるために何をなすべきかを知るでしょう。あなたはまた、あなたの周りの人々にまたそこへ行かせることを助けるために何をすることができるかを知るでしょう。聖母の言葉のテキスト全体が最終的に明らかにされるとき、われわれは皆その選択と共に残されるでしょう。

それが、マラキ・マルタン神父が、完全な秘密 - 私は「完全な」という語を加えるでしょう、なぜなら、彼らが公表したものはただそれの最小の部分にしか過ぎなかったからです - が公表されるとき、そのとき諸教会は満員になるだろう、と言った理由です。なぜなら、少なくとも、もし聖職者がそれを得ないならば、平信徒の人々が、彼らのうちの十分な人々が、それを得るでしょう。祝せられたおとめは私について話しておられます。そして、私にとってそれが遅すぎるものとなる前に、私は私の生活を変えたほうがよい、私は告解に行ったほうがよい、私は神の前で私の行為を集めたほうがよいということです。それがシスター・ルチアが次のように言う理由です:

私の使命は世界に、もし私たちが改心しないならば確実に起こる物質的な懲罰について告げることではありません。そうではありません!私の使命はすべての人に、もし私たちが改心しないならば、私たちは皆実際に地獄に行くということを告げることです。

それが、秘密が関わっていることです。そしてそうです、秘密はまたあなたに、教会が常に教えて来たことを支持していないある種の聖職者に対してあなたを守るように告げるでしょう。それが教皇ヨハネ・パウロ二世が悪魔のために働いているカトリック聖職者の三分の一に言及されたことです。それはショッキングなことです。しかしそれはまさに聖書において書かれていることです。それゆえ、ベルトーネ枢機卿と彼の友人たちはそれが起こることは不可能であると主張しているべきではありません。

カトリック教会は倒れないであろう

われらの主がお与えになった地獄の門は教会に勝たないであろうという定義はクリーヴランドの教会が常にここにあるだろうということを意味しません。結局のところ、北アフリカの教会は聖アウグスティヌスの時代の間栄えていました。そしてにもかかわらず、彼の死から50年以内に、教会は北アフリカにおいてぬぐい去られました。それはおよそ600年後の今日に至るまで回復しませんでした。それゆえ、キリストが約束なさったがゆえにキリストが彼の教会と共におられるということはあなたが教会のうちにいるであろう、あるいは教会があなたの地域になお存在するであろうということを意味しません。旧約聖書の中でエレミヤはこう警告しました:「もしあなたが改心しないならば、敵はあそこの壁にある穴を通って入って来る、そしてあなたを奴隷状態へて投げ込むであろう。」そして司祭たちは言いました:「エレミヤに耳を傾けてはならない。彼は紛争と分裂を引き起こしている」と。

エレミヤは真の預言者でした。彼は神から来ました。しかし彼らは彼に耳を傾けませんでした。そしてまさに彼が言ったようなことが起こりました。敵がまさにその壁を通って侵入し、彼らを奴隷状態へと連れ去りました。彼らはその状態に40年の間とどまりました。

司祭たちは言っていました:「これは聖なる都市である。神はそのことが起こることを許すことはおできにならない。」

多くのカトリック教徒は言います:「さて、神はいつも教会と共にいると約束なさいました。ですから、あなたはカトリック教会について心配する必要はありません」と。そうではありません。われわれが忠実であり続けるであろうと考えないようにしましょう。もしわれわれが教会を去れば、われわれはもはや教会の成員ではありません。そして異端的あるいは分派的となる - あるいは、もっと悪いことに、背教者となる - どのカトリック教徒も教会を去るのであり、そしてもはやカトリック教徒ではありません。

それゆえ、その約束はわれわれに個人的になされているのではないのです。それは教会になされています。われわれは教会のうちにとどまるというわれわれの洗礼の誓い、少なくとも信仰を保つという誓い、に忠実であり続けなければなりません。

カトリック教徒であるための三つの事柄があります。第一は、信仰を信じることそしてそれを保つこと、第二は、洗礼を受けることそして第三は正当な権威、すなわち、司教と教皇の権威を認めることです。もしあなたが彼の正当な権威を認めることができないならば、それは分派と呼ばれることです。しかしながら、もし教皇さえが彼の合法的な権威を越え出るならば、あなたは彼の正当でない権威を認める必要はありません。そして今日、分派ならびに異端に陥ることは容易です。分派はまた、われわれがこれから見るであろうように、教皇あるいは司教によってももたらされ得ます。(続く)

ファチマ・クルーセイダー

2012年11月25日 | Weblog
シスター・ルチアを沈黙させることに関する熟考

The Fatima Crusader Issue 89, Summer 2008

88年の間シスター・ルチアはイエズスによって、聖母を知らせそして愛させるために用いられた。確かに、ルチアの正確さのゆえに、ファチマ・メッセージと御出現は今日世界的に知られている。

1917年5月から10月までの聖母のルチアとの対話は数百万、数千万の人々に語られそして再び語られた。われわれはこのすべてをルチアの忠実さ、彼女の忍耐、従順、愛そして口頭及び書き物のその両方での繰り返し、神の御母にしてわれらの御母であるマリアとのこれらの美しい出会いを通じて知っている。

シスター・ルチアは世界中のカトリック教徒によって知られている!しかし彼女は、彼女にそれをすべて失わせることができたであろう非常に多くの機会があったにもかかわらず、その謙遜、従順そして愛を保ち続けた。

ルチアの生涯を読むに際してわれわれはいくつかの事柄について熟考した方がよいであろう。

第一に、彼女は聖母を「知らせ」なければならなかった - 時を選ばずに - メッセージを堅実に繰り返す彼女の長い生涯 - 10歳の時には死の脅迫の下でさえ - に至る彼女の忠実さによって。また、司祭たち、司教たち、枢機卿たちそして教皇たちが彼女に他の何かあることを述べるように求めたときでさえ、彼女の証言に忠実に離れずに - 彼女は聖母と聖母の偉大な預言的メッセージを知らせる仕事をやり抜いた。

シスター・ルチア、完全に沈黙させられる

シスター・ルチアは単に彼女の言葉によってだけではなくて、彼女の行動によって聖母を知らせた。彼女は1960年から2005年の彼女の死まで沈黙させられたけれども、ルチアに忍耐をお与えになったのは聖母の恩寵であった。押しつけられた沈黙 - 彼女の上長たちそして最終的には教皇たち自身によって彼女に押しつけられた沈黙 - の45年間であった。教皇ヨハネ二十三世、教皇パウロ六世そして教皇ヨハネ・パウロ二世はすべてルチアを沈黙させるというこの同じ政策を続けられた。

ルチアは、もし彼女がファチマのメッセージをバチカン国務長官の好みと政策、特にバチカン・モスクワ協定(それは1962年に結ばれそして今なお有力である)そして第二バチカン公会議以来明らかに勝ち誇ったますます増大し、広まりつつあるいわゆる「カトリック」リベラリズムに適合するようにちょっと変えたならば、彼女に課せられた沈黙を取り除くことができたであろう。しかし彼女は屈することはなかった。彼女は降参することはなかった。

彼女は彼女の最も近い関係にある家族と彼女が1955年以前から知っていた幾人かの人々以外にはすべての外部世界から切り離された。しかし1930年代および40年代の長い間の彼女の聴罪司祭でさえ、彼が1960年に宣教から戻ったとき - そして彼女に会うことを望んだとき - 彼女に会うことはできなかった。

結局は彼女の近親の人々や古い友人たちは一人また一人亡くなった。そしてそれゆえに彼女は以前にもましてもっと孤立した。しかし、そのときでさえ、彼女の沈黙は大いに意味があった。反ファチマ勢力は、バチカンそれ自身においてさえ、公に彼らの党路線を彼女に支持させることはできなかった。

まさに終わりまでの沈黙

トップから - 教皇から - 課されたこの沈黙は彼女の生涯の終わりまで続いた。これは、彼女が2000年6月26日の公式的な「秘密の開示」に出席するように招待されなかったという事実において明らかである。彼女はそれについて公の場で直接コメントすることを決して許されなかった。諸々の出来事が、シスター・ルチアに関するベルトーネ枢機卿の新しい書物そして2007年5月31日の彼のテレビ出演と共にバチカンにおいて明らかになるにつれて、秘密のテキスト全体が公表されなかったということはますます明らかとなっている。注1)

すでに、2000年と2001年に、バチカンはファチマについての真実全体を告げなかったということが公に繰り返し注2)、述べられた。ベルトーネ大司教は2001年11月17日にシスター・ルチアに会うために派遣された。そして彼は戻って公衆に、シスター・ルチアが2000年6月26日にはすべてが公表されたということに同意した、と報告した。しかしわれわれは、シスター・ルチアの沈黙が彼女の積極的な同意と同じものではないということに注意しなければならない。

彼女は彼女の従順の誓いによって、公的な陳述をしないように義務づけられていることを感じた。というのは、彼女の誓いによって、彼女の上長たちは彼女に沈黙することを強いたからである。彼女もまた、その大きな愛と彼女の上長たちに対する尊敬において、沈黙を守った。なぜなら、彼女は上長たちが非難されるのを見ることを望まなかったからである。われわれはこのことを彼女の生涯の初めの頃に見る。例えば:

カノン・フォルミガオが1917年10月に、ルチアに、彼女が読むことを学んでいるかどうかと尋ねたとき、彼女は「いいえ」と言わなければならなかった。彼は彼女に尋ねた:「それでは、あなたはどのようにして聖母があなたに与えた命令[読むことを学ぶようにという]を果たすことができますか?」

ルチアは何も答えなかった。彼女はその回想録の中でこう説明している:

「私は母を非難しないために沈黙を守りました。母はまだ私に学校へ行く許可を与えていませんでした。」

ベルトーネ枢機卿の信じられない主張

シスター・ルチアは彼女の上長たちを非難しないために、何十年も、特に彼女の晩年に、繰り返し沈黙を守ったと思われるであろう。このことは、ベルトーネ枢機卿のようなある人々がシスター・ルチアは最も信じられない陳述において彼らに同意したと主張するときに、彼女の最後の数年における彼女の沈黙を説明するであろう。

例えば、ベルトーネ大司教[現在は枢機卿]は2000年6月26日に、「ファチマの『秘密』の第三の部分を公表するようにという教皇ヨハネ・パウロ二世の決定は権力と悪に対する悲劇的な人間的欲望によって特徴づけられた歴史の一時期を終わらせる...」と主張した。

それから、2001年10月のアフガニスタンへの侵略に続いて、2001年9月11日にトゥイン・タワーズのテロリスト攻撃が起こった - そしてそれでも彼は2001年11月17日に、彼が2000年6月26日に言ったすべてのことに同意するシスター・ルチアを持っているのである。それはまさに信じることができないことである。しかしシスター・ルチアは彼を非難することを望まなかった。それゆえ彼女は公的な沈黙を守った。

それでもなお、このすべてにおいて、誰も1917年から彼女の最後に至るまでその一貫した証言に対していかなる矛盾したこともシスター・ルチアに公的に述べさせることはできないであろう。

彼女の最後の日々

疑いもなく、彼女の日々が終わりに来たとき、彼女は自分の破れない証言が後世に残すためには有り余るものであるということを知っていた - それは真の完全な物語でありファチマのメッセージであった。すでに、終わり近くに、彼女は自分の使命を神に委ね、そして自分の最後の日々を専ら永遠のために準備することに費やした。

彼女は、聖トマス・アクィナスのように、彼女のすべての人間的な努力は麦藁のようなものであるということを理解していた。そして、自分の使命が達成されたと確信して、自分の遺産をその次の段階へと持っていくためにわれわれと聖母とに残した。

すでにベルトーネ枢機卿は、ファチマを過去に葬るための(ファチマの信心の局面を生き残らせることを許すこととは違って)彼の最善の努力と計画にもかかわらず、彼が話せば話すほど、そしてシスター・ルチアを(明らかに文脈からはずれて)引用すればするほど、それだけ多く、彼はシスター・ルチアのまさに終わりまでの志操堅固さと忠実さを証言しているということを見出している。注3)

詩編63の第9-10節において言われているように「その舌のために、神はかれらを亡(ほろ)ぼし、、それを見た者は、頭をふった。みなは、それを見ておそれ、神のみわざを告げ、そのはたらきを悟った。」注4)

シスター・ルチアはまた、聖母を愛させるために働き、話しそして祈った。彼女はその書き物、その言葉そしてその生活によってマリアの汚れなき御心に対する信心を熱心に促進した。

彼女の、祈り、克己、沈黙、従順そして愛の生涯は汚れなき御心を反映していた。そして他の人々を彼女の模範に従うようにさせた。われわれ自身もまた、われわれ一人ひとりに対する聖母の愛の反響であるように、ルチアの生涯の宝庫から引き出してもよいであろう。

シスター・ルチアの生涯 - それがマリアの汚れなき御心を愛することが何を意味するかについて、それを思い出させる忠実な合図として役立ちますように。

上のエッセイはマーク・フェロウズの「シスター・ルチア:マリアの汚れなき御心の使徒」(Sister Lucia: Apostle of Mary's Immaculate Heart by Mark Fellows)という書物の序文から取られている。

脚注:

[1] See, for example, Antonio Socci's book, Il Quarto Segreto di Fatima[The Fourth Secret of Fatima] published November 2006. Antonio Socci's reply of May 12, 2007 to Cardinal Bertone's book, "Dear Cardinal Bertone - who between you and me - is Deliberately Lying?" (see www.fatima.org/news/newsviews/052907socci.asp) also see Christopher Ferrara's (2008) book. The Secret Still Hidden.
[2] Seem for example, "Mother Angelica Live" (TV Broadcast of May 16, 2001); Father Luigi Bianchi (October 26, 2001, Inside the Vatican news service), The Fatima Crusader, Issue 64(July 2000).

[3] See Christopher Ferrara's book, The Secret Still Hidden, on the obvious and many self-contradictions of Cardinal Bertone regarding what he says about the Fatima Message and Sister Lucia.

[4] Regarding the few words attributed to Sister Lucia by Cardinal Bertone, Antonio Socci concludes that Bertone's report of Lucia's words are "such as to not have objective credibility". See Christopher Ferrara's The Secret Still Hidden", "A Disastrous Interview."

ファチマ・クルーセイダー

2012年11月24日 | Weblog
真理のための時

非常に問題の多い教会(続き)

ベネディクト教皇は一つの異なった秘密を明らかにしておられる

現在の教皇ベネディクト十六世は当時ラッツィンガー枢機卿として2000年の記者会見において主要な役割を演じられたという重荷を背負っておられる。このことは彼を、彼が第一に建てることを助けた公的な立場を変えることはありそうもないと思わせる。それにもかかわらず、彼の諸々の陳述の綿密な検討は、彼が問題になっている隠された文書の存在を明確に否定されたことは一度もないし、また彼が1984年11月11日になさったその内容についての陳述を撤回あるいは変えるようなことを何も言われなかった、ということを示している。

その日に、ラッツィンガー枢機卿のインタビューが彼の明白な許可をもって雑誌イエズスにおいて公表された:

「なぜなら、諸教皇の判断に従えば、それ(第三の秘密)はキリスト教徒が啓示に由来するものに関して知らなければならないこと、すなわち、回心への徹底的な呼びかけ、歴史の絶対的な重要性、キリスト教徒の信仰と生命、そしてそれゆえに世界(の生命)に脅威を与えている諸々の危険、そして次に、「ノヴィッシミ」(時の終わりでの最後の諸々の出来事)に何物(文字通りには:何か異なったもの)をもつけ加えないからである。」

「もしそれが公にされていないならば - 少なくとも今のところ - それは宗教的な預言をセンセーショナルなことの追求のために誤解されることから防ぐためである。」

「しかしこの『第三の秘密』の中に含まれている諸々の事柄は聖書において告知されてきたこと、そして他の多くのマリア御出現において、とりわけファチマの御出現において - そのメッセージが含んでいることについてすでに知られていることにおいて - 繰り返し言われてきたことに一致する。回心と痛悔は『救い』のための本質的な条件である。」

曖昧な立場

教皇ベネディクト十六世の立場の曖昧さは、アントニオ・ソッチが彼の「第四の秘密」の書物に対して彼に感謝しておられる2007年に教皇から受け取った一通の手紙を公表したときに高められた。この問題に関してベネディクト十六世がどこに立っておられるかを理解しようと努める人は誰でも、この手紙を、彼がまたベルトーネ枢機卿の書物のために提供された前置きの手紙と調和させなければならない - この二通の手紙は教皇自身を論争の両サイドに置くと思われるからである。しかしながら、二通の手紙の言葉遣いの綿密な検討は、教皇が明白に枢機卿の諸々の主張を支持することを避けておられるということを示している。それはちょうど教皇のソッチ宛の手紙が著者[ソッチ]の諸々の動機を支持してはいるが、しかし必ずしも彼の諸々の結論を支持していないのと同様である。

ベネディクト教皇は今や一つの非常に気まずい状況に直面しておられる。彼はファチマを静止させる失敗した試みにおいて彼自身一つの役割を演じられた。そして今や彼の国務長官[ベルトーネ枢機卿]が最初の失敗をひっくり返すことに失敗した。第三の秘密についての知識をもった人々はわれわれに、それは「信仰の危機」と「トップのところで始まる大背教」を予告していると告げた。そのようなものとして、それは近時教会を指導した人々のある種の告発として役立つ。現在の教皇を含むこれらの高官たちがなぜそのような文書を「公的な消費のために予定されたのではない」ものと見なすのであろうかを理解することは容易である。

唯一の説明

バチカンがしてきたように秘密を隠すことは、もし教会が過去半世紀にわたって以前にはなかったほどに成長してきたのであれば、弁護できるものであるかもしれない。司牧者たちの告発はそのとき不適切であり、無意味であろう。しかしまったくの反対が真である。この預言が公表されるべきであった1960年以来、カトリック教会は第二バチカン公会議によって徹底的に刷新され、そして信徒の大量離反、聖職者のスキャンダルそして教義上の論争によって荒廃させられた。教会は今や、秘密がそうなるであろうと予告したように、その典礼とその神学における信仰を変えることの不吉な諸結果に苦しんでいるように見える。

もちろん、これがバチカンの意志決定を導いたものであるということを証明するいかなる方法も存在しない。しかし1960年以降のバチカンのファチマに関する処置を理解する他のいかなる説明も存在しない。第三の秘密はそのとき面倒なものであった。そして今日それはなおいっそう面倒なものですらある。その不吉な予告の多くが第二バチカン公会議の後、実現されてきたように思われるからである。

このことは彼らの司牧者たちから、そして最終的には聖座から指導力と導きを求めている憂慮したカトリック教徒たちをどこに置き去りにするのか?彼らは、たとえ彼らが御出現は単なる私的な啓示であったと考えるとしても、ファチマ論争の全体を無視することができるのか?それとも、バチカンのファチマの処理はすべてのカトリック教徒がそれに関心を持つべき高度に重大な何か好ましくないことを指し示しているのか?

一つの企業の類比

この質問に答えるために、困難の時期に倒産したある企業における一人の株主の身にあなた自身がなったと考えなさい。製品とサービスにおける一連の変更をした後で、その企業の中心的な顧客の間での市場占有率の大規模な損失があった、それとともに、総収入の急激な低下、品質管理のとてつもない悪化、従業員たちによる犯罪的な行動から生じる訴訟を起こす費用の急激な増加があった。それから、その当時計画されていた諸変更を行うことに対して警告し、そしてもしそれらの変更がなされたならば[起こるであろう]不吉な諸結果を予告する当時の主任行政官宛の一つの報告が1960年に提出されていたということが発見される。その報告を公表するよりはむしろ、その主任行政官はそれを葬り、彼の計画された諸変更と共に進んだ。次の主任行政官は途中で仕事を引き継ぎ、否定的な諸結果がすでに現れていたけれども、諸変更を実行し続けることを選んだ。さらに3人の主任行政官が続いたが、彼らのうちの各人は1960年の報告を読み、そしてそれを再び葬った。その企業が、必要とされるときに手に正しい忠告を持っていたということを認める困惑に直面することを誰一人望まなかった。しかしそれは無視された。そして大災難がその結果として起こった。そして各主任行政官はあの運命を決する日以来、問題が悪いことからより悪いことへと動いて行くことを見ている間にその報告を注意深く隠し続けて、その問題をさらに増大させた。

この状況において株主たちは何をなすであろうか?第一に、彼らは長い間隠されていた報告の公表を強制するために直ちに法廷活動を始めるであろう。それから彼らは主任行政官を解雇するであろう。そしておそらく彼と彼の先任者たちの何人かに対して、第一にその報告を無視し、あるいはそれを隠し、そして後にそれについて嘘を言ったという理由のいずれかで、法的行動を取るであろう。

信頼の問題

不幸にして、これは、株主たちが、彼らの信頼する経営者たちが彼らを失望させるときにすることができることであるが、しかしそれは、カトリック教徒たちが、彼らが信頼している教会指導者がそれに非常に似た何かあることをするときに、することができることではない。大部分のカトリック教徒は、彼らの教皇がキリストの代理者であることを信じないことを選ぶことはできない。ファチマとそれが提出している諸問題に関して、現在の教皇はその地位とは矛盾するある仕方で行動されてきたし、今なお行動しておられる。

ファチマの処理は気がかりなほどに第三世界の大部分の独裁的、抑圧的な政府の特徴に似ている特徴をもったバチカンの官僚主義を明らかにしている:すなわち、隠された、匿名の発表へと導く隠し立てをする不透明な意志決定のプロセス、それに対してはいかなる法的な救済策も存在しないと思われる不法な公式的行動、そして行動を説明し、筋の通った質問に答え、あるいは公開討論の場で諸批判に答えることを頑強に拒否することなどである。

率直に情報を相互に伝え合うどころか、バチカンは世界の独裁者たちによって開拓されたメディアを操作する諸々の専門技術を身につけてきた。このファチマもみ消し工作はあの事柄をぼんやりさせること、情報操作、そして故意の誤報がすべて宣伝広報活動の策略についてのバチカンの兵器庫の一部となったということを示している。ベルトーネ枢機卿は、実際は、専門的あるいは律法尊重的には別のことを言っていながらある一つのことを意味すると見える注意深く精巧に作られた言い逃れや陳述を提供していながら、ファチマについての開かれた伝達の外見を与えるための彼の周到に用意された諸々の試みをもった最新の例を提供した。これらはひねくれた政治家たちや宣伝をする人々の専門技術である。そしてそれらがカトリック教会の高い位階にいる人々の内部で実践されていることを見ることは不安にさせることである。

教会内部での癒しへの呼び求め

教会の構造の中心部には信頼の問題がある。聖職者やさまざまの修道会の成員たちが従順の誓いをたてるとき、彼らはまず第一に彼らの人間的諸権利を留保するために諸々の法律や裁判所に頼るのではない。彼らは彼らの福祉を彼らの位階的な上長たちの善意と道徳的正しさに委ねる。カトリックの聖職者はこの信頼によって共に結びつけられている。そして信徒は同様の信頼の絆によって彼らの聖職者に結びつけられている。ときどき、われわれ皆があまりにもよく知っているように、このような仕方で信頼されている人々がそれに値しない者であることが明らかになることがある。このことが起こったとき、適切な行動が破棄されてしまった信頼を回復するために必要とされる。教会は過去においてそのような多くの傷を癒してきた。そして今日ももっと多く癒している。しかし、トップのところで、ファチマの傷は膿み続けている。

たとえ、この議論のために、われわれがファチマでの御出現をまったく私的なものであると考えることができるとしても、バチカンのそれらの取り扱いはすべてのカトリック教徒が聖座から期待する権利を持っていることには遙かに及ばない行動基準を表している。信徒たちは、あたかもそれらが冷戦のクレムリンによって発せられたかのように、バチカンの諸告知を分析あるいは要素分析してはならないのであろう。また彼らは行動でもって諸々の事柄を否定しながら、言葉でもってそれらを肯定するバチカンの高官たちを見出してはならないのであろう。なかんずく、彼らはごまかしにおける積極的な試みに直面する自らを見出すべきではない。もしバチカンがマリア御出現のようなカトリック信仰にとって中心的なある事柄について真理を語ることを信頼されることができないならば、そのときいったい誰が信用されることができるのか?

これはファチマについての問題ではない。それは今日のバチカン自身についての問題である。そしてそれはすべてのカトリック教徒が今日問うているべき問題である。矛盾した揺れ動き、不自然な故意の誤報そして意図的なごまかしの半世紀後に、カトリック信徒たちは何らかの率直な答を必要としている。そしてそれは早ければ早いほどよい。ただベネディクト十六世だけが今ファチマの隠された第三の秘密について教会全体の上に覆い被さっている諸問題を述べることがおできになる。

すべてのカトリック教徒はこの癒しのための時、この信頼を建てる時、真実を告げることのこの十全さの時は今これまで以上に大きいということに同意することができる。教皇ベネディクト十六世が第三の秘密全体を - 今 - 明らかにすることによって道案内をされるように祈ろう!

ファチマ・クルーセイダー

2012年11月23日 | Weblog
真理のための時

非常に問題の多い教会

このエッセイはさまざまの意見と考えを持つすべてのカトリック教徒に訴えるであろう。それは最近の書物『秘密は今なお隠されている』に対する答として書かれ、そして第三の秘密には彼とバチカンがこれまでに明らかにしたより以上のものは何もないと主張している国務長官ベルトーネ枢機卿の進行中の重大なごまかしによって、なぜすべてのカトリック教徒はそれに深い関心を示すべきかについて熟考している。

これらの省察は真実全体が公表されるべきであるという丁重に要求するようあらゆる意見を持ったカトリック教徒たちを結びつけるであろう。

The Fatima Crusader Issue 89, Summer 2008

今日のカトリック教徒は憂慮すべき多くのことを持っている。彼らの教会は気の毒な状態のうちにある。世界的な基準における連続的な増加にもかかわらず、実践している信徒の集団はカトリシズムのかつての中心地域の至る所で劇的に縮小してしまった。修道生活への召命は多くの男子修道院、女子修道院そして神学校が閉鎖されるところまで減少した。そして多くの小教区が今や同時にいくつかの小教区を受け持つために奮闘するほどのそのような司祭たちの不足がある。

悪い状況をいっそう悪くするために、すでにもろい状態にある数千の小教区がそれらの聖職者の間での性的乱用の事例によって道徳的また財政的に荒廃させられた。信徒たちは公に有罪の判決を受けた司祭たちの見世物に繰り返し憤激してきた。一方で司教たちや大司教たちは不名誉のうちに辞職することを強いられた。

これらの状況の下で、おそらく教会もまたその教えと教義の不法な誤った解釈を伴う重大な諸問題を持った。第二バチカン公会議(これらの誤った解釈へと導いたその危険な多義性を持った)以来ずっと、信徒たちは諸々の改革や変化のさまざまの見解を支持する、あるいは反対する、ますます増加する相容れないグループへと分裂してしまった。

かつては世界的に一様であったカトリック教会は今や典礼の異なった、それぞれの国の話し言葉を用いた訳文、並びに信仰および道徳の基本的な諸問題に対する異なったアプローチと共に、諸形式の多様性の中へ入った。信徒たちの多くと聖職者たちのうちのある人々は、避妊、離婚そして女性の叙階や典礼を変えることの危険といった問題に関して公式的な教会の教えとは反対の立場を公然と支持している。

悪いニュースとよいニュース

この悲しい事態のことを考えるならば、教会における困難についてのもっと悪いニュースは確かにありがたくない。しかしながら、悪いニュースに敢然と立ち向かうことはよいニュースへと導くことができる。そしてそれはクリストファー・フェララによる新しい書物「今なお隠されている秘密」が達成しようと望んでいることである。それが伝えている悪いニュースはバチカンにおける状況は今はおそらくあなたが考えているよりももっと悪いということである。しかしよいニュースは事柄を変える時がどんどん近づいているということである。

対決が進展している

バチカンにおいて一つの新しい危機として今現れてきたことは、第三の秘密はそれが言っていることのゆえに保留されているということである。

もちろん、このことのすべての証拠は(「今なお隠されている秘密」)において十分に説明されているように)すでにファチマ研究者たちには知られていた。ファチマを葬ろうとするバチカンの企ては彼らの話を、それについてほとんどあるいはまったく知らなかった数百万の主流カトリック教徒たちに注目させることになった。彼らのうちには、多年にわたるバチカン問題についての彼の精通したそして丁寧な報道のために有名な、イタリアのカトリック作家かつラジオ・テレビ出演者であるアントニオ・ソッチがいる。

ソッチは最初は2000年6月のソダノ・ベルトーネ・ラッツィンガーのすっぱ抜きを話全体として受け取っていた。そして実際に、この問題を静かな状態にとどめ置こうとする枢機卿の明白な望みに賛同していた。しかし責任あるジャーナリストとして、彼はそれからその背景に対する少しばかりの研究調査を行った。彼が見出したことは「今なお隠されている秘密」において見出されたタイプの証拠であった。そしてそれは彼の考えを変えた。

矛盾するコメント

それが1957年に最初に教皇ピオ十二世の手に達して以来、重要な第三の秘密文書は5人の教皇たち、そしてバチカンの無数の高位にある枢機卿たちによって読まれてきた。彼らのうちの多くはその内容についてコメントをした。ソッチはそれらのコメントを研究調査した。多年にわたって様々の司祭たちや枢機卿たちによってなされた唯一の生き残りの幻視者であるシスター・ルチアとのインタビューからより多くの情報が得られた。

これらすべての資料からの引用文を通じて、ソッチは、第三の秘密が「信仰の危機」と「トップのところで始まる」教会における「大背教」を予告しているということを学び知った。現在の教皇を含むバチカンの高官たちがなぜ、そのような文書を「公共の消費のために定められていない」ものと見なすであろうかということを理解することは容易である。しかしこの議論の余地のある性格については何一つ、バチカンが2000年以来第三の秘密全体であると主張してきた幻視についての覚え書きの記述のうちには現れていない。

明白なバチカンのごまかしによって深く心をかき乱されて、彼は一冊の書物を書くことによって真実を追究することに決めた。2006年11月に出版されたIl Quarto Segreto di Fatima(「ファチマの第四の秘密」)は即座のセンセーションを引き起こした。決定的な証拠によって支えられて、ソッチは今なお隠された第三の秘密の文書の存在は確実であると主張した。イタリアの新聞の圧力の下でバチカンは答えなければならなかった。

バチカンの立場を擁護する仕事は新しく任命されたバチカン国務長官のベルトーネ枢機卿に任された。皮肉なことに、最初にバチカンの立場についてのソッチの疑念を燃え立たせたのは2001年にシスター・ルチアとのインタビューについての当時大司教であったベルトーネの主張であった。ベルトーネはその時の2000年6月26日の記者会見についての疑念を取り除こうと意図した。しかしそれは逆効果になった。今回2007年5月には、ベルトーネは英語ではThe Last Secret of Fatimaとして出版された彼自身の書物L'Ultima Veggente di Fatimaをもって答えることを選んだ。

ベルトーネ枢機卿の書物はソッチの書物の論駁であると考えられた。しかし読者はソッチの諸々の議論のどれに対しても何らかのまじめな答をベルトーネの書物のページに探しても無駄であった。事実、ソッチの論点の大部分は完全に無視されていた。その代わりに、その書物はシスター・ルチアに帰せられた多くの自己矛盾する陳述を含む、今は亡くなっている彼女とのいくつかの長いインタビューについてのとりとめのない主張を含んでいた。彼のさまざまの解釈に従えば、シスター・ルチアは枢機卿の諸々の主張に適合させる必要があるときはいつでも彼女自身の見解を訂正し、変えることができると思われた。

問題をいっそう悪くするために、枢機卿はまたソッチを、あたかも彼が教会の公然の敵であるかのように、厳しく批判した。事実は、ソッチは敬虔で実践的なカトリック教徒であり、彼が偽りであることを見出したバチカンの主張との論争を余儀なくされて個人的な失望と困惑を表明した。

ベルトーネ枢機卿によって教会に対する諸々の虚言の奨励者と公然と呼ばれて、ソッチは「親愛なるベルトーネ枢機卿、誰が - あなたと私のうちの - 意識的に嘘を言っているのでしょうか?」と尋ねることによって、彼の広く読まれた新聞において答えた。この先例のない対決はこれまで以上にその論争により公共的な注意を引いた。ファチマを葬ろうとするバチカンのもう一つの試みは反対の結果をもたらすことに終わった。

驚いたことに、ベルトーネ枢機卿は、彼の書物が出版されたすぐ後に、イタリアの最もポピュラーなテレビ・ショーの一つ Porta a Porta (ドアからドアへ)に出演することによってこの挑戦に応じることを選んだ。番組はソッチ・ベルトーネ論争によって刺激されたけれども、ソッチ氏は参加するために招かれなかった。枢機卿はかくして反駁を受けることなくソッチの書物を自由に攻撃した。彼はまた再びソッチが提出したすべての本質的な質問を回避することを選んだ。ソッチの何らの論駁も現れなかった。そして番組の間に枢機卿は二つの別個の異なった文書 - それは一緒になって第三の秘密を構成するものである - の存在のために一つの付加的な証拠を軽率にも提供した。にもかかわらず、ベルトーネ枢機卿はこれらの文書のうちの一つを明らかにしただけであった。そして彼とバチカンは第三の秘密全体を明らかにしたと主張している。しかしファチマの問題の決着をつけるもう一つの試みは裏目に出た。

彼の書物およびテレビ出演の失敗によっても懲りずに、ベルトーネ枢機卿は2007年9月にバチカンの近くのある大学で行われた一つの私的にスポンサーのついた放送で電波に立ち戻った。この番組は枢機卿の書物の中で最初になされたが、しかし何ら新しい情報をも、またソッチや他の人々の証拠や主張を明白に否定し、論駁する何らの他の証拠をも提供しない主張を繰り返した。

この点において、バチカンの高官の立場はぼろぼろである。ソッチの申し立てはベルトーネ枢機卿が言うべく持っていたすべての事柄によく持ちこたえた。そして彼の大変重要な諸質問は答えられないままである。舞台裏で密かに行われていたことの多くが日の光の中へと現れて来るにつれて破綻を来しているもみ消し工作は一つの新しい局面へと移った。

説明された奇妙な決定

ピオ十二世が、もししかるべき時期まで生きておられたならば、秘密を明らかにされたであろうかどうかということは誰も知らない。なぜなら、彼の死は1958年であったからである。1960年の重大な決定はヨハネ二十三世によって行われた。そして今第三の秘密のもしかすると一触即発の内容について知られているものが与えられた。それを保留するための彼の動機は明らかである。

第二バチカン公会議は1962年に始まった。そしてそのための計画はおそらくその数年前にたてられていた。もし1960年に、約束されていたように公表されていたならば、その秘密は確かに多くの人々には公会議を続けることに対する一つの警告であると思われたであろう。それはおそらく公会議の計画を遅らせるか、変えるか、あるいはまったく終わらせさえしたであろう。このことを思い切ってやってみるよりはむしろ、ヨハネ二十三世は秘密を隠し、そしてシスター・ルチアを沈黙させることの方を選ばれた。

ヨハネ二十三世が1963年に亡くなられたとき、彼の後継者パウロ六世はそのとき進行中であった公会議を続けることを選ばれた。そしてそのような時期に秘密を公表することは確かに第二バチカン公会議に対する熱狂に対してそれをくじく効果を持ったであろう。彼はそれを第二バチカン公会議の終わりまでだけではなくて、1978年まで続いた彼の在位期間の残りを通じて、隠し続けることを選ばれた。彼はまたその全在位期間の間シスター・ルチアに対する沈黙の強制の制作を続けられた。

彼の後継者、ヨハネ・パウロ一世はこの問題や他の諸問題を考えるためにわずか33日しか職務につかれなかった。彼がもっと長く生きられたならば、ファチマに関して何をなさったかということはまったく予測がつかない。

ヨハネ・パウロ二世が次の教皇になられたとき、多くの人々はファチマがやっとのことで前面へ出るかもしれない、そして秘密がついに公表されるであろうと考えた。それはそうならなかった。

ヨハネ・パウロ二世は、疑いなくファチマ信奉者であったという事実にもかかわらず、なおシスター・ルチア自身を沈黙させたままにするよう、そして彼女の秘密の手紙を教皇の居宅に鍵をかけて保管したままにするように、他の人々によって説得されたと思われる。しかしながら、彼は他のどの教皇よりも、ファチマのメッセージに心を留める役割に近づかれた。それは彼の重要な説教のいくつかと2000年の記者会見の部分的な公表の両者において見られる。彼はそれらを認可されたに違いない。それにもかかわらず、記者会見そのものに彼が出席しておられないことは、彼がそこで言われたことのすべてについて同意しておられたのか、あるいは認めておられたのかどうかについての問題を未決のままに残している。(続く)

ファチマ・クルーセイダー

2012年11月22日 | Weblog
すべての男女が知らなければならないこと

The Fatima Crusader Issue 89, Summer 2008

過去半世紀の間、カトリック教会の内部に全世界にとって重大な意味を持ち得るであろう一つの奇怪な物語が展開されてきた。

その物語の核心は神からの一つのメッセージ、そしてそれゆえに、信仰と信念の問題である。これはただカトリック教徒たちと教会当局者たちだけに関係したことであると思わせるかもしれない。しかしこの物語にはそれ以上に多くのこと - はるかに多くのこと - がある。

そのメッセージは教会史において類のない仕方で伝えられていた。そしてその形式と内容もまた類のないものである。これはそれ自体で一つの部類の中に入れられる。それは数世紀にわたってカトリックの聖人たちや神秘家たちによって経験された「私的啓示」の広いカテゴリーに関係づけられることはできない。もしそうできるとするならば、非カトリック教徒たちは、そしてその他の点では信心深い多くのカトリック教徒たちでさえ、それを自由に無視するであろう。

しかしこの特別のメッセージを無視することはカトリック教徒にとっては不可能である。そしてまたこの厄介な地球上の他のすべての人にとっても愚かなことであろう。

問題になっているそのメッセージは、1917年にポルトガルのファチマの小さな町の近くの三人の羊飼いの子どもたちに祝せられたおとめマリアによって与えられた。

そのメッセージの授与は、決して一つの私的な出来事ではなくて、70,000人の人々によって目撃された一つの公的な奇跡と同時に行われた。

他のいかなる御出現も、フランスのルルドにある世界的に有名な聖堂に関係した御出現やメキシコのグアダルーペに関係した御出現でさえ、この目を見張る仕方では認められてこなかった。このことはその御出現それ自体をこの種のそれ以前のすべての出来事から分離させるものである。しかしそのことはファチマの唯一の独自的な局面である。

子どもたちによって受け取られたそのメッセージの内容が明らかにされたとき、それはまた、キリスト教の歴史において類のないものであった。

それは一つの要求を含んでおり、同様にまたもしその要求が叶えられなかったならば来るはずの諸々の罰の警告を含んでいた。それ以前には、御出現の目撃者たちによって公的にであれ私的にであれ、この種のメッセージが報告されたことは決してなかった。

この種のすべての事例においてそうであるように、バチカンはファチマの出来事を非常に綿密な調査に委ねた。それらがしばしばまったく主観的であり、検証することが困難なので、教会は通例、そのような事柄を支持することに乗り気ではない。しかしながら、ファチマの場合には、カトリックの位階は、ポルトガルの地方の司教たちからバチカンにおける一連の教皇たちに至るまで、ファチマの御出現を「信じるに値する」ものと一致して見なした。

教皇ヨハネ・パウロ二世はファチマのメッセージが教会に「一つの義務を課している」と言うところまで行かれた。

何年にもわたるこの一致した位階の是認はファチマの御出現が神からの真正のメッセージを伝えたものであるというカトリック信者たちの確信を非常に強化した。

しかしそれから、2000年6月26日に、ファチマの物語は一つの奇妙な転換を迎えた。その日、バチカンでカトリック教義を監督している枢機卿と彼の直接の部下は「ロサンゼルス・タイムズ」が「ファチマ信心をやんわりと地位低下させる」一つの試みとして記述した一つの記者会見を開催した。記者会見の主題はファチマの諸々の預言が「私的な啓示」のカテゴリーに入るものである、そしていずれにせよ、それらは「過去に属する」ということであった。

何が起こったのか?ファチマの御出現は、信じるに値すると公式的に宣言されることから、高位にある一人の枢機卿によって「公式的に」地位低下させられることへとどのように移行したのか?そして、その要求とその罰の脅迫とを持ったメッセージについてはどうなのか?これらは、この問題に関する教会指導者たちの奇妙な態度のことを考えるならば、道理を弁えたどのカトリック教徒も尋ねるであろう質問である。しかしひとたびメッセージの内容が考察されるならば、それらはまた地上のすべての人間が尋ねるであろう質問である。

それは全世界に関わっている

ファチマ・メッセージの内容は大部分は、もっぱら信仰と信念の領域に存するカトリック宗教の諸問題に関わっている。しかしながら、メッセージの一部分はより広い注意を保証するより広い含意を持っている。これは、一つの要求をなす部分、そして次にもしその要求が聞き入れられないならば、罰について警告する部分である。

要求は世界のカトリック司教たちと共に教皇によってロシアがマリアの汚れなき御心に奉献されるべしというものである。教会の外部にいる人々にはこの儀式はあまり意味を持っていないかもしれない。しかしながら、そのような儀式は定着した伝統である。奉献は聖化する効果を持っている。それゆえカトリック教徒の目にはそのような儀式はロシアにとって利益をもたらすものであろう。

もちろん、この儀式を行うことはただカトリック教会だけがすることができる何かである。しかしながら、要求と一緒になっている脅迫はもちろんカトリック教会を越えて広がる。メッセージはこう言っている:「もし奉献が行われるならば、平和の一時期が世界に与えられるであろう。」しかしもし奉献がなされないならば - とメッセージは警告する - そのとき、他のこともいろいろあるが、「さまざまの国家が絶滅させられるであろう」と。

これは一つの信用される脅迫であるか?非カトリック教徒たちと非キリスト教徒たちはそのような事柄を心配するか?一目見て、人はそう考えないかもしれない。しかしその問いはもっと詳しい検討に値する。それに何らかの真面目な考察を加えるためにはこのメッセージが明確に神から来たと信じることは必要ではない。これはファチマにそのグローバルな次元を与えることである。

バチカンはその御出現を信じ得るものと判断したから、そして諸国家の絶滅はそれにかかっているかもしれないから、人は奉献がずっと前になされたであろうと考えるであろう。

結局のところ、それが要求していることは、明らかに誰にも害を与えることができない一つの単純で伝統的な儀式である。そしてもしメッセージが真正であることの最も遠く離れた機会をさえもっているならば、要求されたようにその儀式を挙行する利益は計り知れない価値のものであり得よう。これらの状況を考えるならば、外部者たちのうちの最も懐疑的な者でさえおそらく奉献は「やってみる価値がある」と考えるかもしれない。

第三の秘密は教会における重大な諸問題を予言している

なおもう一つのファチマ預言 - それはただ部分的にしか明らかにされていない - はファチマの第三の秘密である。証拠は教会のリーダーシップにおける重大な諸問題 - 今日の教会において実際に起こっていることに一つの異様な類似性を持っている諸問題 - の予言を強く示している。

大部分のカトリック教徒たちは聖職者のメンバーたちによる子どもたちと十代の青少年たちの性的濫用を明らかにする最近の大量の情報によって圧倒されてきた。そのようなことは教会史において - 多くの高位聖職者たちが独身制を嘲笑していた中世時代においてさえ - 完全に先例のないことであった。このぞっとさせる状況に対する説明を求めて、カトリック教徒と他の人々はおそらく今なお明らかにされていない第三の秘密に眼を向けるであろう。

第三の秘密が今起こっていることを正確に予言していると信じることにはいくつかのしかるべき理由がある。聖職者におけるスキャンダルは、奉献がなされないならば[起こると]約束された懲罰の始まりである。全世界が最終的に罰せられるであろう間に、処罰は最初に教会自身にくだる。カトリック聖職者の衰退とその道徳的堕落は人類の全体を最終的に飲み込むであろう大災害の最初のしるしにしかすぎない。

四人のバチカン高官たちが、第三の秘密のテキストを今なお隠していながら、ファチマ問題を非常に長い間立ち止まったままにさせて来たという事実はこの解釈を強く支持している。明らかに、これらの高官たちは今なお何かを隠している。そうでないならば、なぜ彼らは問題になっている文書を公表しなかったのか?そしてなぜ彼らは、御出現のただ一人の生存している証人であるシスター・ルチア・ドス・サントスに、その真正性を証言することを許さなかったのか?

物語全体が告げられるとき、バチカンが奉献を実行しようとしない本当の理由はそうすることがファチマ・メッセージの真正性を肯定することであろうからであるということは明らかであると思われる。そしてそうすることは、順々に、バチカンそのものの中にさえ達している預言された背教の真正性を肯定するであろう。

信じない高官たちは彼らに一本の指を向けている一つのメッセージを心に留めることによって自分たち自身を非難しようとはしていない。その代わりに、彼らはバチカン自体が以前に信用に値すると宣言してきたことに信用を与えることを避けるためにメッセージを葬ろうと努めてきた。

教会の歴史におけるほとんど他のいかなる時代においても、バチカンにおける最高段階の成員たちはそのような圧倒的な仕方で与えられた神からのメッセージを信じる人々の間で第一位にいたものであった。彼らはそれを心に留めることにおいて、そしてその要求に従うことにおいて時間を失うことはなかった。第二バチカン公会議の後に続いた混乱そして過去40年以上の教会を含むあらゆる制度の中への世俗主義の急速な進展と共に、そのようなメッセージは今や何人かのバチカン高官たちによってさえ敵対的な評価を与えられている。メッセージを無視することにおいてこれらの高位聖職者たちは自分たち自身を単に信じる人々の列の外部に置いているだけではなくて、常識を所有している非信者たちの列の外部にさえ置いている。なぜなら、彼らはメッセージにいずれにせよ - とにかく - 一つの試しを与えようとさえしていないからである。

ファチマを促進することは一つの危険な任務

今日、ファチマについてはっきりものを言うことはどの司祭、司教あるいは枢機卿さえにとって忘却への片道切符であるということはカトリック聖職階級にあるすべての人に明白なことである。それゆえ大多数の司教たちは、彼らが実際に何を考えている、あるいは信じているかにかかわらず、その問題に関して沈黙している。同じ事は司祭たちにとっても真であり、彼らは「政治的に間違って」いることに対する罰により傷つきやすくさえある。

「ファチマ司祭」ニコラス・グルーナー神父に対する抑圧的な処置に注目しなさい。彼は大きな個人的犠牲を払ってファチマ・メッセージの促進に身を捧げて来た。破門の脅迫を含みさえした彼を沈黙させようとするバチカンの努力は未成年者たちの性的いじめの申し立てに巻き込まれた数百人の他の司祭たち、そして司教たちや大司教たちさえの寛大な処置とは鋭い対照をなしている。今日のカトリック聖職者の悲しい状態はグルーナー神父の処置と実際に重大な犯罪の責任があるカトリック聖職者に与えられた処置との間のこの対照によって縮図的に示されている。

カトリック教会はその手のうちに他の誰もがどのようにするかを知らない何かあること - この果てしなく戦争に引き裂かれた世界に平和をもたらすこと - をするであろう一つの救済策を持っている。

「悪魔の最後の戦い」において提示された注目せずにはいられない事例に基づけば、試されることからこの救済策を妨げている人々は答えるべきことを多く持っている。彼らはカトリック教会と世界の両者に彼らの行動のための説明を負うている。さらに、全体としての世界に対するその重要性を考えるならば、ファチマ・メッセージの隠蔽は新聞によって暴露された司祭の性的非行の司教による隠蔽よりも公的侵害のための一つの機会としてより大きなものでさえある。

信者たちがすることができること

「悪魔の最後の戦い」の最終章は諸個人が、信じる者も信じない者も両方とも、、教会自身の最善の利益と全人類のそれとの両方において行動するようカトリック教会の指導者たちを説得するために何をしたらよいかについて、いくつかの示唆を提供している。

「悪魔の最後の戦い」が明らかにしているように、カトリック教徒も非カトリック教徒も両方とも、もしファチマのメッセージが、その命令に従うことを委ねられているまさにその人々によって無視され続けるならば、得るべき多くのことそして失うべき多くのことを持っている。

上述のエッセイはポール・クレイマー神父によって編集された「悪魔の最後の戦い」の序文から取られている。

ファチマ・クルーセイダー

2012年11月21日 | Weblog
「選ばれた者でさえ欺かれるであろう」

第三の秘密は鍵である

The Fatima Crusader Issue 89, Summer 2008

第三の秘密は選ばれた者の迷夢を冷まさせることへの鍵である。それは:

非常に多くの霊魂(多くの独善的な霊魂さえ)の救いの鍵である。彼らは完全に欺かれそして現在地獄へと急いでいる。
非常に多くのカトリック平信徒、司祭、司教、枢機卿すら、の混乱と分裂を終わらせる鍵である。
世界平和への鍵である。なぜなら、われわれは、バチカンが第三の秘密全体を公開するまではロシアの奉献の恩寵を得ることができないからである。祝せられたおとめマリアは、第三の秘密が1960年には忠実なカトリック教徒たちに公開されるべきであるという明白な命令をお与えになった。聖母のこの命令は重んじて来られなかった。この非礼は公的な償いを要求する。そしてフレール・ミッシェルは、神が受け入れられるであろう唯一の償いは秘密の公的な公開であると言っている。秘密が公開されるまでは、ロシアの奉献の恩寵は与えられないであろう。

ひとたび完全な第三の秘密が最終的にわれわれに与えられると、世界中の善意のカトリック教徒たちは最終的に、いかに彼らが欺かれて来たかを見るであろう。もっと重要なことは、彼らが、彼らの霊魂を救うために何をしなければならないかを(それが遅すぎる前に)知るだろうということである。

マラキ・マルタン(Malachi Martin)(彼は1960年2月に秘密を与えられた)公共のラジオで数百万の人々の前でこう言った - 第三の秘密が最終的に公開されるとき、われわれのカトリック教会は満員になるであろう、人々は彼らの胸を打って跪くであろう、告解を待つ人々の長い行列ができるであろう、と。

多くのカトリック教徒は今日、自分たちは正しい道にいると考えている。彼らは神に満足であろう道徳的および霊的な生活を送っていると信じている。

しかしながら、ひとたび彼らが完全な第三の秘密を知ると - ひとたび彼らが聖母の言葉を読むと - 彼らは自分たちが霊的に盲目であったということ、そして彼らが盲目の指導者たちに従って来たということ、そして地獄への道をずっと歩いて来たということを、知るであろう。

聖職者と平信徒の間では1960年以来そのように大きな悪魔的方向感覚喪失が存在してきたので、われわれは皆、われわれ皆を正しい道に置くために第三の秘密における聖母の実際の言葉を必要としている。

教皇ヨハネ・パウロ二世はこう言われた:

「聖霊のうちに育てられた愛のすべての力をもっておられ、すべての人の救いを望んでおられる御母は、御自分の子どもたちの救いのまさに基礎そのものが掘り崩されるのをご覧になるとき、沈黙したままでいることがお出来になるであろうか?いいえ!聖母は沈黙したままでいることはお出来にならない。」

教皇はわれわれに、われわれ自身の救いが掘り崩されていると告げておられる - そして祝せられたおとめマリアは、そのファチマのメッセージの中で、われわれに目覚めるように叫んでおられる。そして聖母はわれわれに、何をなさなければならないかを告げようとしておられる。しかし第三の秘密が今なお隠されているので、大部分の人々は眠り続けている。われわれは聖母の言葉への権利を持っている。

「キリスト信者は教会の霊的豊かさから彼らの司牧者たち(それは教皇を含む)によって助けられる権利を持っている。」(カノン213)

「キリスト信者は彼らの諸々の必要、特に彼らの霊的必要を、そして彼らの望みを、教会の司牧者たちに知らしめる自由を持っている。」(カノン212,2)