今なお隠されている秘密のローマにおける公式紹介
ベルトーネ枢機卿は「今なお隠された秘密」
の主要な見解に暗黙のうちに同意しておられる
The Fatima Crusader Issue 90, Winter 2008 より
ソリデオ・パオリーニ博士
アレッサンドロ・フーリニ博士による紹介:われわれが今日紹介している書物はファチマの第三の秘密についてのタルシジオ・ベルトーネ枢機卿の諸々の陳述と宣言に対する一点ずつの回答です。われわれは今日関係者の方々に、われわれがベルトーネ枢機卿猊下と枢機卿の書物『ファチマの最後の秘密』(L'Ultima Veggente di Fatima)の共著者ジュゼッペ・デ・カルリのお二人をこの書物紹介に招待したということを自信をもって保証したいと思います。
ベルトーネ枢機卿猊下、今晩ここにあなたは列席しておられますか?ジュゼッペ・デ・カルリ殿、あなたはここに列席しておられますか?明らかに、彼らは答えられません。明らかに彼らはここに来ておられません。
われわれはまた、タルシジオ・ベルトーネ枢機卿猊下とジュゼッペ・デ・カルリへの招待状の中で、われわれが彼らにもし彼らのうちのどちらか一人が出席することができないならば、彼らがそれぞれ一人の個人的な代理人を送ることができると告げたということを公に言及しなければなりません。ベルトーネ枢機卿猊下を代理するためにここにどなたが列席しておられますか?ジュゼッペ・デ・カルリ氏を代理するためにどなたかここにいらっしゃいますか?誰も答えないということは明らかです。それゆえ、彼らが自分たち自身で来ることも、あるいは個人的な代理人を送ることもいずれもしなかったということは明らかです。
タルシジオ・ベルトーネ枢機卿猊下に関して言えば、われわれはもう一つ別の驚きを持っております。猊下はすでにクリストファー・フェララの書物『今なお隠されている秘密』に対して彼の回答を与えられました。彼の回答は枢機卿にクリストファー・フェララによるこの新しい書物への彼の回答を要求した一人の人物に対して書かれました。今晩、ここに、その枢機卿の回答を読まれたソリデオ・パオリーニ博士がおられます。彼はわれわれに、枢機卿が何を言ったかを告げるでしょう。さあ、ソリデオ・パオリーニ博士です。
ベルトーネ枢機卿は「今なお隠された秘密」
の主要な見解に暗黙のうちに同意しておられる
「われわれは、われわれ自身、何度真理への個人的な成功を選んだであろうか?正義に対するわれわれ自身のよい名前(名声)を選んであろうか?われわれの生涯の間に、おお主よ、良心の繊細な声、あなたの声に向かう強さを与えてください。おお主よ、ペトロがあなたを否んだ後に、あなたがペトロをご覧になったように、私を見てください。」これは2005年3月25日の聖金曜日に、ヴィア・クルーチス(Via Crucis=十字架の道)においてなさった説教からの言葉です。これは教皇ヨハネ・パウロ二世の最後のメア・クルパ(mea culpa=告白の祈り)です。このすばらしい恩寵に対して神とマリアに感謝しましょう。
最も尊敬する、そして親愛なる弁護士、クリストファー・フェララ氏、神父様方、シスター方、親愛なる友人の方々、そして最も親愛なる招待客の皆様、今日はここローマのウルバニアナ教皇庁立大学においてベルトーネ枢機卿によってなされた書物紹介が行われたあの出来事から13ヶ月が経った日です。
われわれはローマのこの愛すべきそして聖なる都市に今再びここにいます。われわれはわれわれがその方に向かって叫ぶ神の前で個人的にここに列席しています。われわれはここで教会の前にいます。その教会は(聖ジャンヌ・ダルクが言ったように)ただ単に教会の人々には還元できないものです。われわれはここで歴史の前にいます。その歴史は今あるいはいつでも次のように言うことができないものです:「すべての人々が沈黙を守った、誰もが真理に反対して陰謀を企んだ」と。いいえ、そうではありません!歴史はそう言うことはできません。われわれは証言をするためにここにいます。
われわれは神による最も驚くべき介入を証言するためにここにいます。われわれは、その助ける手をわれわれにさしのべておられるいとも祝せられたおとめマリアに敬意を表するためにここにいます。聖母はわれわれがそこへと駆け寄りそして利益を受ける一つの源泉です。われわれはいかなるその場しのぎの手段をもお持ちにならない聖母のところへ馳せ参じます。これが、今晩われわれがここに列席している理由です...
ファチマの第三の秘密がさらわれて以来今は50年になります。(それはポルトガルから取り去られそして、1940年代と1950年代に信徒たちに与えられた公的な約束にもかかわらず、隠されるために1957年にバチカンへと持って来られました。これらの約束は1960年にわれわれに秘密を明かすことを荘厳に同意した位階によってなされました。英語への訳者の注)われわれは今なお隠されているそのテキストが、最後に、最終的にわれわれすべての者に明らかにされることを求めるためにここにいます。
われわれの第一の理由:もしわれわれがこのことを求める一つの理由を持っているだけだとしても、われわれはそのことを、ガマリエルが聖書において与えている理由で求めるでしょう。(ガマリエルは使徒たちを迫害しないようにエルサレムにおける大司祭たちに告げました。彼はこう言っています:「あの人々にかかわりなさるな、そして、するままにさせておきなさい、かれらのくわだて、あるいは仕業が、人間からのものであるなら、おのずからくずれるでしょうし、反対に、神からのものなら、あなたたちはそれをくずすことができません。おそらく神にさからうものになる危険があります。」使徒行録5:38-39 英語への訳者の注)
(同じように、話し手の訴えの論理は、ベルトーネ枢機卿とバチカンは第三の秘密の完全なテキストを明らかにし公表しなければならない、なぜなら、もし隠されたテキストが人間からのものであれば、すなわち、ベルトーネが、ルチアが彼女自身の考えを作り上げたと考えているテキストであるならば、それは無に帰すでしょう。しかしもしこのいまなお隠されているテキストが神から来るものであり、しかもベルトーネ枢機卿が隠すことに固執するならば、彼は神の前で、神に反対して戦っている者であると見られるでしょう。そして彼の抵抗は無に帰すでしょう。なぜなら神はいずれにせよ勝利されるでしょうから。英語への訳者の注)
しかし私はまた以下のような諸々の理由からこの今なお隠されているテキストの公表を求めるでしょう。いわゆる第四の秘密(すなわち、第三の秘密の今だに公表されて来なかった部分)は諸々の思慮深い理由のために公表されないのであると、ある尊大な仕方で何度言われてきたことでしょうか?われわれが自分たちを祝せられたおとめマリアよりももっと思慮深いものであると考えることができないという事実は別として、われわれは聖母をロレットの連祷においてVirgo Prudentissima=いとも思慮深いおとめとして賞賛しています。すなわち、マリアは最も思慮深いおとめです。
そしてまさに人間的な観点からでさえ、このいわゆる思慮深さは次のような理由でそれ自身非常に思慮に欠けるものである危険に陥ります。アメリカ合衆国およびオーストラリアにおいて今年の初めにベネディクト十六世が言われたことを思い起こしてみましょう。司祭の小児性愛スキャンダルについて話されながら、教皇は権威のうちにいるある人物たちは、彼らがこれらの恥ずべき犯罪が公に知られないようにすることによってスキャンダルを引き起こすことを避けたいと思ったがゆえに、これらの事実を隠したと、言われました。彼らはこのことを「思慮深さ」のためにしたのです。
実際に起こったことは、これらの事実を隠すことによって、そしてこれらの事実についての公的な知識を押しやることによって、より大きなスキャンダルが結果したのだ、と教皇は考察しておられます。かれらの「超-思慮深さ」は結局のところ、非常に思慮に欠けているものだったのです。
彼らの「思慮深さ」によって彼らはそのスキャンダルをいっそう悪いものにしました。われわれは教皇が作られたこの原理を受け止め、そしてそれを第三の秘密を隠し続けているこの現在の事例に当てはめるべきです。彼らはそれを隠したままにすることによってスキャンダルを避けようと考えています。しかし見込みは、彼らがそれを長く隠せば隠すほど、それが最終的にあらわになるとき、そのスキャンダルはそれだけより大きなものとなるであろうということです。
われわれは errare humanum est, perseverare diabolicum という格言を覚えておくべきです。その意味は、過失を犯すことは人間的なことであるが、固執することは悪魔的なことである、ということです。
上に述べたことをすべて言った後に、私は今二つの点を十分考えてみたいと思います。
第一の点は、アレッサンドロ・フーリニが私を紹介してくださったときに言及されたクリストファー・フェララの書物に対してベルトーネ枢機卿がなさった回答を報告することです。
第二の点 - それを私は私の話の終わりによく考えたいと思っているのですが - は、今晩ここで公に紹介された『今なお隠されている秘密』という書物の一つの章です。
私はとりわけ、ベルトーネ枢機卿に『今なお隠されている秘密』のコピーを送り、この書物に対するベルトーネ枢機卿の答を求めたある司祭に対してベルトーネ枢機卿猊下が与えられた答を強調したいと思います。ベルトーネ枢機卿はこの手紙に対して、私的な個人として、すなわちカトリック教会の一人の高官としてではなく、答えられました。彼は次のような仕方で答えられました。彼はあなた[クリストファー・フェララ]の書物についての彼の考察がなされた1ページ半のタイプ打ちの手紙を送られました。枢機卿がどのような名誉をあなたに与えておられることでしょう、クリストファー!
とりわけ、枢機卿が『今なお隠されている秘密』について話されながら、どれほど多くのことを言われなかったのかは注目すべきことです。(1)彼は、2000年の聖年に公表された幻視への付属文書注1)は存在しないし、かつて存在したことはなかったとは言われませんでした。
注1)ベルトーネ枢機卿のような人々は秘密への第二のテキストを付属文書と呼んでいる。なぜなら、彼らはそれを超自然的に真正のものとは考えないからである。彼らはその中に含まれている言葉が祝せられたおとめマリアの実際の言葉だとは考えておらず、あたかもそれらが聖母から来たかのように書かれたシスター・ルチアの考えに過ぎないものであると考えているのである。(英訳者注)
(2)彼は、この問題について話されるとき、彼が決して心的留保には頼らなかったとは言われませんでした。まして、彼がこれら二つの事柄を断言する用意があるとは、なおさら言われませんでした。しかしながら、これらは、その司祭がその書物の中でベルトーネ枢機卿に尋ねた主要な点ですから、われわれは、ベルトーネ枢機卿猊下、クリストファー・フェララの書物の真理についてのあなたの暗黙の確証に対して、今日あなたにありがとうございます、と言うことができます!
しかしながら、枢機卿は四つのことを言っておられます。二つのやや説得力のない言い訳と何らかの答を要求する二つの別の言い訳です。(続く)
ベルトーネ枢機卿は「今なお隠された秘密」
の主要な見解に暗黙のうちに同意しておられる
The Fatima Crusader Issue 90, Winter 2008 より
ソリデオ・パオリーニ博士
アレッサンドロ・フーリニ博士による紹介:われわれが今日紹介している書物はファチマの第三の秘密についてのタルシジオ・ベルトーネ枢機卿の諸々の陳述と宣言に対する一点ずつの回答です。われわれは今日関係者の方々に、われわれがベルトーネ枢機卿猊下と枢機卿の書物『ファチマの最後の秘密』(L'Ultima Veggente di Fatima)の共著者ジュゼッペ・デ・カルリのお二人をこの書物紹介に招待したということを自信をもって保証したいと思います。
ベルトーネ枢機卿猊下、今晩ここにあなたは列席しておられますか?ジュゼッペ・デ・カルリ殿、あなたはここに列席しておられますか?明らかに、彼らは答えられません。明らかに彼らはここに来ておられません。
われわれはまた、タルシジオ・ベルトーネ枢機卿猊下とジュゼッペ・デ・カルリへの招待状の中で、われわれが彼らにもし彼らのうちのどちらか一人が出席することができないならば、彼らがそれぞれ一人の個人的な代理人を送ることができると告げたということを公に言及しなければなりません。ベルトーネ枢機卿猊下を代理するためにここにどなたが列席しておられますか?ジュゼッペ・デ・カルリ氏を代理するためにどなたかここにいらっしゃいますか?誰も答えないということは明らかです。それゆえ、彼らが自分たち自身で来ることも、あるいは個人的な代理人を送ることもいずれもしなかったということは明らかです。
タルシジオ・ベルトーネ枢機卿猊下に関して言えば、われわれはもう一つ別の驚きを持っております。猊下はすでにクリストファー・フェララの書物『今なお隠されている秘密』に対して彼の回答を与えられました。彼の回答は枢機卿にクリストファー・フェララによるこの新しい書物への彼の回答を要求した一人の人物に対して書かれました。今晩、ここに、その枢機卿の回答を読まれたソリデオ・パオリーニ博士がおられます。彼はわれわれに、枢機卿が何を言ったかを告げるでしょう。さあ、ソリデオ・パオリーニ博士です。
ベルトーネ枢機卿は「今なお隠された秘密」
の主要な見解に暗黙のうちに同意しておられる
「われわれは、われわれ自身、何度真理への個人的な成功を選んだであろうか?正義に対するわれわれ自身のよい名前(名声)を選んであろうか?われわれの生涯の間に、おお主よ、良心の繊細な声、あなたの声に向かう強さを与えてください。おお主よ、ペトロがあなたを否んだ後に、あなたがペトロをご覧になったように、私を見てください。」これは2005年3月25日の聖金曜日に、ヴィア・クルーチス(Via Crucis=十字架の道)においてなさった説教からの言葉です。これは教皇ヨハネ・パウロ二世の最後のメア・クルパ(mea culpa=告白の祈り)です。このすばらしい恩寵に対して神とマリアに感謝しましょう。
最も尊敬する、そして親愛なる弁護士、クリストファー・フェララ氏、神父様方、シスター方、親愛なる友人の方々、そして最も親愛なる招待客の皆様、今日はここローマのウルバニアナ教皇庁立大学においてベルトーネ枢機卿によってなされた書物紹介が行われたあの出来事から13ヶ月が経った日です。
われわれはローマのこの愛すべきそして聖なる都市に今再びここにいます。われわれはわれわれがその方に向かって叫ぶ神の前で個人的にここに列席しています。われわれはここで教会の前にいます。その教会は(聖ジャンヌ・ダルクが言ったように)ただ単に教会の人々には還元できないものです。われわれはここで歴史の前にいます。その歴史は今あるいはいつでも次のように言うことができないものです:「すべての人々が沈黙を守った、誰もが真理に反対して陰謀を企んだ」と。いいえ、そうではありません!歴史はそう言うことはできません。われわれは証言をするためにここにいます。
われわれは神による最も驚くべき介入を証言するためにここにいます。われわれは、その助ける手をわれわれにさしのべておられるいとも祝せられたおとめマリアに敬意を表するためにここにいます。聖母はわれわれがそこへと駆け寄りそして利益を受ける一つの源泉です。われわれはいかなるその場しのぎの手段をもお持ちにならない聖母のところへ馳せ参じます。これが、今晩われわれがここに列席している理由です...
ファチマの第三の秘密がさらわれて以来今は50年になります。(それはポルトガルから取り去られそして、1940年代と1950年代に信徒たちに与えられた公的な約束にもかかわらず、隠されるために1957年にバチカンへと持って来られました。これらの約束は1960年にわれわれに秘密を明かすことを荘厳に同意した位階によってなされました。英語への訳者の注)われわれは今なお隠されているそのテキストが、最後に、最終的にわれわれすべての者に明らかにされることを求めるためにここにいます。
われわれの第一の理由:もしわれわれがこのことを求める一つの理由を持っているだけだとしても、われわれはそのことを、ガマリエルが聖書において与えている理由で求めるでしょう。(ガマリエルは使徒たちを迫害しないようにエルサレムにおける大司祭たちに告げました。彼はこう言っています:「あの人々にかかわりなさるな、そして、するままにさせておきなさい、かれらのくわだて、あるいは仕業が、人間からのものであるなら、おのずからくずれるでしょうし、反対に、神からのものなら、あなたたちはそれをくずすことができません。おそらく神にさからうものになる危険があります。」使徒行録5:38-39 英語への訳者の注)
(同じように、話し手の訴えの論理は、ベルトーネ枢機卿とバチカンは第三の秘密の完全なテキストを明らかにし公表しなければならない、なぜなら、もし隠されたテキストが人間からのものであれば、すなわち、ベルトーネが、ルチアが彼女自身の考えを作り上げたと考えているテキストであるならば、それは無に帰すでしょう。しかしもしこのいまなお隠されているテキストが神から来るものであり、しかもベルトーネ枢機卿が隠すことに固執するならば、彼は神の前で、神に反対して戦っている者であると見られるでしょう。そして彼の抵抗は無に帰すでしょう。なぜなら神はいずれにせよ勝利されるでしょうから。英語への訳者の注)
しかし私はまた以下のような諸々の理由からこの今なお隠されているテキストの公表を求めるでしょう。いわゆる第四の秘密(すなわち、第三の秘密の今だに公表されて来なかった部分)は諸々の思慮深い理由のために公表されないのであると、ある尊大な仕方で何度言われてきたことでしょうか?われわれが自分たちを祝せられたおとめマリアよりももっと思慮深いものであると考えることができないという事実は別として、われわれは聖母をロレットの連祷においてVirgo Prudentissima=いとも思慮深いおとめとして賞賛しています。すなわち、マリアは最も思慮深いおとめです。
そしてまさに人間的な観点からでさえ、このいわゆる思慮深さは次のような理由でそれ自身非常に思慮に欠けるものである危険に陥ります。アメリカ合衆国およびオーストラリアにおいて今年の初めにベネディクト十六世が言われたことを思い起こしてみましょう。司祭の小児性愛スキャンダルについて話されながら、教皇は権威のうちにいるある人物たちは、彼らがこれらの恥ずべき犯罪が公に知られないようにすることによってスキャンダルを引き起こすことを避けたいと思ったがゆえに、これらの事実を隠したと、言われました。彼らはこのことを「思慮深さ」のためにしたのです。
実際に起こったことは、これらの事実を隠すことによって、そしてこれらの事実についての公的な知識を押しやることによって、より大きなスキャンダルが結果したのだ、と教皇は考察しておられます。かれらの「超-思慮深さ」は結局のところ、非常に思慮に欠けているものだったのです。
彼らの「思慮深さ」によって彼らはそのスキャンダルをいっそう悪いものにしました。われわれは教皇が作られたこの原理を受け止め、そしてそれを第三の秘密を隠し続けているこの現在の事例に当てはめるべきです。彼らはそれを隠したままにすることによってスキャンダルを避けようと考えています。しかし見込みは、彼らがそれを長く隠せば隠すほど、それが最終的にあらわになるとき、そのスキャンダルはそれだけより大きなものとなるであろうということです。
われわれは errare humanum est, perseverare diabolicum という格言を覚えておくべきです。その意味は、過失を犯すことは人間的なことであるが、固執することは悪魔的なことである、ということです。
上に述べたことをすべて言った後に、私は今二つの点を十分考えてみたいと思います。
第一の点は、アレッサンドロ・フーリニが私を紹介してくださったときに言及されたクリストファー・フェララの書物に対してベルトーネ枢機卿がなさった回答を報告することです。
第二の点 - それを私は私の話の終わりによく考えたいと思っているのですが - は、今晩ここで公に紹介された『今なお隠されている秘密』という書物の一つの章です。
私はとりわけ、ベルトーネ枢機卿に『今なお隠されている秘密』のコピーを送り、この書物に対するベルトーネ枢機卿の答を求めたある司祭に対してベルトーネ枢機卿猊下が与えられた答を強調したいと思います。ベルトーネ枢機卿はこの手紙に対して、私的な個人として、すなわちカトリック教会の一人の高官としてではなく、答えられました。彼は次のような仕方で答えられました。彼はあなた[クリストファー・フェララ]の書物についての彼の考察がなされた1ページ半のタイプ打ちの手紙を送られました。枢機卿がどのような名誉をあなたに与えておられることでしょう、クリストファー!
とりわけ、枢機卿が『今なお隠されている秘密』について話されながら、どれほど多くのことを言われなかったのかは注目すべきことです。(1)彼は、2000年の聖年に公表された幻視への付属文書注1)は存在しないし、かつて存在したことはなかったとは言われませんでした。
注1)ベルトーネ枢機卿のような人々は秘密への第二のテキストを付属文書と呼んでいる。なぜなら、彼らはそれを超自然的に真正のものとは考えないからである。彼らはその中に含まれている言葉が祝せられたおとめマリアの実際の言葉だとは考えておらず、あたかもそれらが聖母から来たかのように書かれたシスター・ルチアの考えに過ぎないものであると考えているのである。(英訳者注)
(2)彼は、この問題について話されるとき、彼が決して心的留保には頼らなかったとは言われませんでした。まして、彼がこれら二つの事柄を断言する用意があるとは、なおさら言われませんでした。しかしながら、これらは、その司祭がその書物の中でベルトーネ枢機卿に尋ねた主要な点ですから、われわれは、ベルトーネ枢機卿猊下、クリストファー・フェララの書物の真理についてのあなたの暗黙の確証に対して、今日あなたにありがとうございます、と言うことができます!
しかしながら、枢機卿は四つのことを言っておられます。二つのやや説得力のない言い訳と何らかの答を要求する二つの別の言い訳です。(続く)