信の信州からの贈り物

信州で単身生活 6年、その間に魅せられた信州の大自然。そして関東周辺の自然と花々を織り交ぜて発信しています。

2017/06 奥日光クリンソウ物語1 ~トーマス・グラバー~

2017年06月24日 | 日光連山


お早うございます、信です。
季節は水無月 夏至の初候、第二十八候 乃東枯(なつかれくさ かるる)です。

今日から装いも新たに、新しい物語を始めましょう。


始まりはこの滝から


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竜頭ノ滝です。f/25 1/15ss 完全にブレました。
修業が足りません。


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まだ山ツツジが残ってます


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その物語の最初は、トーマス・グラバーの話から始めましょう。
云わずと知れた長崎のグラバー邸、その主が日光に現れます。


日光山荘の欅の新緑が綺麗でした。


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イギリスの武器商人だったグラバーは統幕派を支援したことで明治維新に貢献したことは多くのご存知のことでしょう。
彼が晩年で奥日光と深く関わっていたことはあまり知られていません。


この駐車場の脇から中禅寺湖の湖畔遊歩道に入ります。


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これはカキドオシでしょうか


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明治時代になり、グラバーが岩崎弥太郎が創設した三菱と関係を深めたことは三菱グループの社史の中に詳しく記されています。
石炭の国際取引やキリンビールの前身のジャパン・ブルワリーの設立などビジネスマンとしてグラバーは手腕を発揮しました。




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グラバーがビジネスを離れてからの晩年は釣り三昧に没頭していたようで、長崎で出会った薩長南藩の大島藤三郎との親交がきっかけで
中禅寺湖l湖畔の日光二荒山神社の近くの、大崎に別荘を作りもともとは魚が住んでいなかった戦場ヶ原の湯川に鱒を放流するほどの
釣りキチだったそうです。




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美しい中禅寺湖です。


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クワガタソウが咲いています


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彼のその釣りキチぶりは宮城鮭介氏の電子書籍の「鱒釣りは馬車にのって」に詳細に紹介されています。
現在クリンソウが群生している千手ヶ浜一帯は、グラバーのお気に入りの釣り場だったようです。





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今回は赤岩の展望台は空いていました。
先日登った社山を探しましたが、一番奥になるようです。


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幕末から明治にの動乱を生き抜いた当時のグラバーは、釣りとともに千手ヶ浜のクリンソウにも癒されていた
のではないでしょうか。
グラバーが明治44年に没した後は、グラバーの別荘は、イギリス人のハンターが譲り受け
「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」のクラブハウスに作り替えられ、西六番館と呼ばれて当時の
東京在住の外国人の社交場所として賑わったそうです

(Find Cool Japan around Tokyoより)



千住ヶ浜の主の前でご挨拶。


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こちらにもご挨拶


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ビーチで休んでいますね


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美しい湖畔です。


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『日光避暑地物語』 の筆者福田和美氏(日光市役所職員)によると、大正14年7月24日帝室林野局から
『東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部』は正式に許可された。





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この年の1月20日に帝室林野局から同倶楽部の活動に認められている借地面積は、中禅寺湖最奥の千手ケ浜から
西ノ湖(さいのこ)にかけて 奥日光御料地内約34万坪で、メートル法に換算すると1,122ヘクタール余りになる。




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杜の中を歩きます。


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貸付料金は年1,116円、河川使用料が1年200円で向う5年間西湖、外山澤川、柳澤川を遊魚の目的の範囲内において
許可されている。幸の湖(中禅寺湖)からこれら河川湖に魚が遡上しないように柵を費用負担で設置することも義務付けられていた。
それらの費用は当時の金で70万円を要した。現在なら70億円は下らないだろう。




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河川整備が急ピッチで進められると同時に西ノ湖畔に200坪の養魚池も設けられ、倶楽部本部の『西六番館』から
千手ケ浜までの送迎用モーターボートも購入。『アヤメ』『千歳』『千鳥』など多くの船を所有し、それらを地元有力者が新しく設立した
『昇山探勝モーターボート会社』に貸与して、維持管理を委託。




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前年末には 日光いろは坂の拡張工事が行われ、乗り合い自動車の運行が許可されて足の便もよくなり
『東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部』は幸先のよいスタートを切った。




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同倶楽部の初代会長には加藤高明子爵、副会長は鍋島直映侯爵と岩崎小弥太男爵(三菱社長)、理事長にH・ハンターが就任している。
加藤高明子爵は三菱の創始者岩崎弥太郎の娘婿で三菱社から政界に転じて、この年の8月には内閣総理大臣に就任するなど、錚々たる
メンバーが参集している。名誉会員には久邇邦久侯爵(香潤皇后の実兄)・当時のドイツ大使・イギリス大使 ・ベルギー大使・
林権助元駐英大使・松平恒雄元駐英大使名誉賛助会員に秩父宮・東久邇宮・朝香宮、運営委員に赤星鉄馬・鍋島桂次郎・秋元春朝子爵・
田中銀之助・ジョン・ギャツビー(弁護士)など。



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目的地が見えてきました。


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美しい青モミジ


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理事長を務めるH・ハンターは毎年6月20日の『東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部』のオープンに備えていそいそと
中禅寺湖畔の『西六番館』に向かいいゲストを迎えた。オープン当日は駐日各国大使や各界の名士で華やぎ各国語が飛び交い文字通り
国際的なサロンの雰囲気につつまれた。



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赤坂の『範多事務所』のハンター氏の社長業務も『西六番館』移動させて指揮をとった。
側近の伊藤徳造さんによると毎年6月20日から9月初めまでは範多事務所や東洋鉱山従業員は仕事の連絡で 赤坂と奥日光を
往復することがしばしばあり、それが楽しみだったという。




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こちらは高山への登山口。


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昭和4年5月にはイギリス王子グログスター公が国賓として来日、奥日光も訪ね『東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部』
では、H・ハンターをはじめ関係者は盛大な歓迎会を催した。
室内には洋蘭が飾られ、日光金谷ホテルからベテランコックやウエイトレスも応援に駆けつけ、ハンター氏の描いていた真の
国際交流がまさに花開こうとしていた。
(うたかたの如く消えた「範多農園」より)


ランドネ風


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明日は奥日光の仙人のお庭に入らせて頂きます。

それでは今日はこの辺で


皆様、ご機嫌よう。




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4 コメント

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Unknown (takayan)
2017-06-24 05:51:01
おはようございます。
1/15ss、少し手振れしましたね。
takayanは、D4Sなら何とかと言ったところです。
最近のオリンパスは、1秒や2秒でも手振れしないそうですよ。
トーマス・グラバーの日光にまつわる説明は、興味深くて勉強になります。

中禅寺湖の湖畔遊歩道は、新緑がきれいで自然豊かな所ですね。
カキドオシのようですね。
こちらで見るカキドオシよりも丈が長いように感じます。
今日は、25番、29番が気に入りました。
明日は九輪草の群生でしょうか?
楽しみです。
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Unknown (錫杖)
2017-06-24 09:43:13
日光・中禅寺湖の歴史
ありがとうございます。

わたしも長崎のグラバーさんがこの地に所縁があるのは知ってましたが、どのように関与されていたかは知りませんでした。
 それにしてさすが日光の避暑地。財界・政界のそうそうたるメンバーが集結していますね 軽井沢が有名になるまでは日光がステイタスだったのかもしれませんね
 
 竜頭の滝 ここでの手持ちはちと難儀ですね 雪解けで水も多いのがよくわかります。 
F値が25まであるのは知りませんでした。
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手ブレ ()
2017-06-24 17:10:34
takayan師匠>

師匠と錫杖さんがやってるのを真似て、トライしましたが
ダメですね。
アル中の気があるのかも知れません。
奥日光の歴史は全て受け売りですが、かの奥日光の仙人の背景が知りたくて
また知って欲しくて書き移しています。

このクリンソウの群生は、グラバーのお陰で今ここにある
と云っても過言ではないでしょう。
物語は続きます。
コメントありがとうございました。


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歴史 ()
2017-06-24 17:15:35
錫杖師匠>

さすがに知っておられましたか
全てはグラバーが始まりです。
今、ここにこうしてクリンソウの群生があるのも、全てはグラバーから始まったのです。
非常に興味深い歴史です。

鹿鳴館が立ち上がった頃と時代は重なります。
井上 馨が文化の欧米化に躍起になっている、そんな時代だったと思います。
物語は続きます。

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