院長室の窓

院長からのメッセージ

2010年11月1日朝礼 院長談話より

2010年11月01日 | メッセージ
2010年11月1日 院長談話

医療組織のガバナンスとマネジメント
 
 所謂(いわゆる)「医療崩壊」という言葉が、一見便利ではあるものの、むなしい言葉として日本中をかけめぐっています。しかしその言葉の実態は、必ずしも明らかにされていないので、私たちは所謂「崩壊した病院」を新生させようとする実践的試みのなかでこれを明らかにしたいと、日々努めているわけであります。

 この所謂「医療崩壊」の主な原因は、日本をトップランナーとし、中国をも含めた先進各国を悩ましている人口の高齢化と各種(地域に限らず)のコミュニテイの劣化・消失による無縁化社会の到来であることだけは極めて確かなことです。従来の日本において、医療組織そのものが自前のガバナンスとマネジメントを持ち合わせていた例は、あったとしてもごく限られた組織だけで、とくに自治体病院の範疇に入るものにはこの概念さえなかったと考えられます。

 私はかつてある大病院の組織を「サナダ虫(中枢神経系をもたない体節動物)」に例えて、大いにひんしゅくを買ったことがあります。サナダムシはサナダムシとしてそれ自体偉大な存在でありますが、宿主がいなければ死滅する存在です。

 先般10月22日公益財団法人 医療科学研究所が「医療組織のマネジメント」と題して第一線の学者・実務者によるシンポジウムを開催しました。
 私は聴衆の一人として参加させていただきましたが、大変タイムリーで有意義なシンポジウムでありました。

 内容の詳細については同研究所のホームページに掲載されるのでぜひみなさんに読んでいただきたいと思います。

 座長の 石井淳蔵 教授が見事にまとめておられますが、予想通り、この4年にわたり私たちが実践して来たすべての事柄が網羅されており、私たちの目指す方向が理にかなったものであるとの自信を得ることができました。

 私が夢みている「病院をふくむ各施設内でのチャプレン―聖職者の配置」が一人のシンポジストによってとりあげられており、心強く思いました。私は医師であって宗教家ではありませんが、人がその命を全うする場に聖職者が不在であることが人間にとって不幸なことだと毎日実感しているからです。
現代にはすでに、ほんとうの聖職者たるものは存在しないかもしれないのですが、医師や看護師または警察官がこれにかわることはできません。宗教と聖職者のかかわりがないとすれば、東京大学の 中川 先生の御本に書かれている通り、私たちは死に対して素手でたちむかわなくてはならないのです。人の死はこの世で最も厳粛な事柄で、「あってはならないこと」ではなくて「必ずあること」です。

 医療組織とそのマネジメントを考えるとき、このような深みにまで降りて考え、実践しなければならないのです。だからこそ我々医療に携わる者は、誇りをもって仕事ができるのだと思います。

 以上