天空の土木作業

鉄道模型レイアウトの制作記録

特急「北越」「はくたか」 最終日

2015-03-16 | 日記
北陸新幹線や上野東京ラインの開業で大いに盛り上がる2015年3月のダイヤ改正。一方でトワイライトエクスプレスの廃止、北斗星の臨時降格も大きなニュースとして各メディアで大きく取り上げられています。テレビでは金沢・富山の経済効果や新たな観光の目玉などが連日放送されていて、久々の大型ダイヤ改正を実感させられます。
新しく生まれるものがあれば、その陰で消えゆくものがあるわけで、この改正で金沢~直江津間は3つの第3セクターに分断され、金沢~新潟間を走っていた特急「北越」号と、金沢~越後湯沢間を走っていた特急「はくたか」号は廃止されます。また、大阪からの特急「サンダーバード」号、名古屋からの特急「しらさぎ」号も金沢までの運転となり、富山行や魚津行はなくなります。大阪駅から「富山行」の表示がなくなるという事実。何百回も乗務した富山行特急がなくなるというのは、全くもって実感が湧きません。
また「はくたか」号は臨時のスジが大阪営業所の受け持ちでしたので乗務したことがありますし、「北越」号は金沢から直江津まで、日曜日夜着の「シュプール信越」号を迎えに行く際、毎週のように便乗していました。こうして改めて考えてみると、昔の自分に密接に関わっていた列車が一挙になくなるということで、急に寂しさがこみ上げ、スケジュールを調整して乗り納めに行くことにしました。何とか調整がついたのは、ダイヤ改正前日。文字通りの「乗り納め」となりました。

朝からの来客と会議で慌ただしく寝屋川を出て、京橋駅の「みどりの窓口」へ迎えます。ちょうど期限が迫っていた株主優待券がありましたので、これを利用することにしました。運賃とあらゆる料金が半額になるものです。つまりグリーン料金も半額になりますので、いい機会だとグリーン車を指定しましたが、「サンダーバード」号のグリーン車は満席。指定席も満席ということで、泣く泣く自由席にしました。



環状線に乗って大阪駅には発車の6分前に到着。急いで記録するものを撮影しまくります。駅にある「富山」と記載された看板や電光表示板を撮影し、停車中のサボを撮影。見渡すとホームには最終日を惜しむ同業者が大勢撮影していて、ちょっとしたお祭り状態でした。報道では「トワイライトエクスプレス」の最終列車大阪発着時にはすごいことになっていたようで、今回の改正の大きさを思い知らされます。大阪駅から富山行がなくなる、ただそれだけのことのようですが、ファンの方々にとっても記録する値打ちがあるようです。

売店で弁当を買ったころにはもう発車のアナウンスがあり、最寄りのドアから乗り込みました。乗車したのは4023M「サンダーバード23号」です。今日は12両編成で富山まで向かうようです。平日に12両編成が満席、何とも信じられない乗車率です。私が乗務していたころは、12両編成はありましたが、どれも9両基本+3両増結+3両増結の編成で、金沢以北へは9両以上で行くことはなかったと記憶しています。今日の基本編成は9両編成、683系の4000番台でした。ファンの間では「ヨンダ―バード」と呼ばれているそうです。面白いネーミングだと思います。
サンダーバードが12両編成満席になるのは、大抵が観光客輸送時だったのですが、今日の車内はビジネスマンだらけでした。それだけ、北陸で大きなお金が動いているということなのでしょう。
新大阪までに自由席を確保し、メールチェックをしているうちに京都駅を発車していました。自由席はデッキに数名の立客が出るほどです。車内が落ち着いたところで弁当を広げます。淡路屋さんの「京都牛膳」というお弁当です。この商品のウリは、京都祇園の名物、原了郭の黒山椒が入っているということです。八坂さんへの参道にありますので、私も何度か買ったことがありますし、イートインで食べられるカレーは、スパイスが独特であっさりしていて美味しかったのを覚えています。一見ただの牛めし弁当ですが、このような付加価値があるだけで嬉しくなります。味、量ともちょうどよかったです。



車内の広告を見ますと、新潟県観光協会のものがありました。上杉謙信と食い倒れ太郎とのコラボで目を引く広告ですが、北陸新幹線の開業で関西圏の客を新潟に呼ぶというのは、少々手が掛かると思います。既存の航空路線を意識した広告戦略の方が良かったのではないでしょうか。
特急列車に乗りますと車内を一巡して設備や乗車率を見るのですが、681系列は乗務で乗り倒した形式ですし、何より魅力を感じない車両です。壁紙やシートの配色、トイレや洗面所、デッキのレイアウト、何を取っても何一つ面白味がありません。ですから食後も大人しく座席に座り、仕事をして過ごしました。485系「雷鳥」廃止後、全てが681系列「サンダーバード」に統一されてしまいました。私にとっては面白味がなくなりましたので、以降、北陸への出張は米原回りの「しらさぎ」を利用するなどして変化を楽しんできました。この改正で、東日本では「フレッシュひたち」「スーパーひたち」が「ひたち」「ときわ」に変更されるようですが、どうでしょう、サンダーバードも「雷鳥」に戻ってもらえないものでしょうか。そうすれば、もう少しこの車両が好きになると思います。試作車は「ニュー雷鳥」として運転していたのですから。

 
車窓右手に新幹線の高架線が並んできますと、金沢駅が近づいてきました。車内が騒がしくなります。いよいよ明日に新幹線開業を控えた金沢駅は、ファンや報道陣など多くの人で賑わっていました。みなカメラやスマホで「富山」と書かれたサボを撮影しています。地元の方々にとっては歴史的な2日間なのでしょう。
金沢駅で多くの人が下車し、自由席には30名ほどが乗ってきました。この人たちは、明日から北陸新幹線の「つるぎ」などを利用することになります。金沢~富山間をピンポイントで利用する方にとってはそれほど変化はないでしょうが、それぞれの周辺駅や高岡駅を利用する人にとっては、乗換移動距離が長くなりますし、料金も大きく変わります。北陸線のどのあたりか忘れましたが「未来を運ぶ新幹線 生活を運ぶ在来線 必要なのは…」という意味深気な野立て看板がありました。まさに、そういうことだと思います。


 


右手にサワ操(正式名称は知りません)を眺め、津幡を過ぎますと、いよいよ明日からサンダーバードをはじめとする特急が乗り入れることのない区間を走行します。沿線にカメラを構える人の数も増えてきました。外は小雨が降り続いていますが、熱心な方は合羽を羽織って撮影されています。どの駅でも数名の方が列車に手を振っていました。子供さんの姿も多くみられます。特急列車が走らなくなるだけではなく、JRの線路でもなくなってしまう金沢~直江津間。公共交通機関を利用されてきた地元の方にとっては大きな変化です。
富山に行く機会はほとんどありませんが、この先はきっと高山線回りか、飛行機を利用するのではないかと思います。681系列に乗ることは暫くないだろうなと思い、車内をウロウロしてみました。電話コーナーみたいな小部屋は、喫煙室にしようとして止めた産物なのでしょうか。JR西日本はやることがどうもスカタンです。レディースシートとなる箇所もありました。確かに、座席指定を受けたら酔っぱらいのおっさんの隣で酒を勧めてきたとか嫌な思いをされた女性も多いかと思います。私も乗務中に幾度とそのような光景を見てきました。女性一人の旅客もたくさんいらっしゃいますので、これはいい取り組みではないでしょうか。
余談ですが、私が座った席の通路を挟んで窓側に、20代後半くらいの女性が一人で座っていました。京都駅を前にして、荷物を隣に置き、イヤホンを装着してあからさまに狸寝入りを決め込んで京都を迎えました。そこに京都から席を求めてサラリーマン風の男性がこの席を見つけて立ち止まったのですが、いきなり女性の肩を強めに叩き「空いてますよね?この荷物を移動してください。」といったのです。普通はもっとソフトな感じで話しかけるようなものですから、私も驚きましたし、女性も驚いた様子で渋々荷物を片付けていました。しかし、これが正しいのです。隣に座られるのが嫌なら2名分の乗車券と特急券を購入するか独立シートのグリーン車に乗ればいいのですから。

高岡駅も多くの人で賑わっていました。ここから分かれる城端線・氷見線も、JR在来線と接続しない飛び地独立線になります。城端線で1.5㎞ほど行けば、新幹線接続の新駅「新高岡」がありますから、氷見線との直通化で何とか観光資源豊富な氷見へ、そこから能登半島への周遊アクセスへと繋がらないかと期待します。
また、高岡駅に乗り入れる万葉線も気になります。思い切って新幹線の新駅まで乗り入れるようなことにならないでしょうか。何れにせよ、新幹線開業で地方都市が負のあおりを食らうのは見たくありません。



雨が強くなってきたなか、サンダーバード号は富山に到着しました。イベントの準備などで大勢の人がホームにいます。
列車を降りて記念撮影をする人もたくさんいます。最終日ならではの光景です。
平成5年、初めて乗務して5001M(白鳥号)を降りたのがこの富山駅でした。そこから何百回と、この駅に降り立ちました。
雪が降りしきる寒いホームで何時間遅れの列車を待った富山駅。早朝の4002Mに寝ぼけたまま乗り込んだ富山駅。
今日をもって、思い出がいっぱい詰まったこの駅に、北陸特急が来ることはありません。



仮設ホームとなって、それまで3番線と4番線の間にあった切り欠きの「西ホーム」は、1番線の端に新たに「1番線」として存在していました。ちょうど「ひだ」号が停車中で、隣には大阪行きのサンダーバード号が止まっていました。明日からは「ひだ」が富山駅に乗り入れる唯一の在来線特急となります。この先、北陸に来る際には是非とも利用したいものです。
キハ82系と681系列が肩を並べるのも最後だなと思いましたが、よく考えれば大阪駅で毎日並んでいました。
「ひだ」が発車した後を追いかける高山線のキハ120系を見ます。こちらは明日から富山駅に乗り入れる唯一のJR普通車両となります。
北陸線と高山線を通しで利用している旅客からすれば、明日からは運賃が大きく変わります。地元の方がどのように感じられているのか、興味があるところです。



跨線橋を通っているときに見つけましたが、発着列車の表示がとても綺麗で見やすいものが取り付けられていました。
仮設ホームになった時に取り付けられたのでしょうが、明日から殆どローカル列車になるというのに、少々もったいない気もします。
雨が強くなり、日も暮れてきて、大阪行きサンダーバードも発車していきました。富山駅で私が見る大阪行きの列車は、これが最後です。
テールライトが見えなくなるまで、大阪行きの特急を眺めていました。



次の列車まで時間がないので小走りで駅周辺を見て回ります。明日から富山地鉄の市内電車が新幹線の高架下まで乗り入れるようで、その最終チェックが行われていました。国内でも前例のない駅の構造に注目が集まっています。利便性が向上し、大変良いことだと思います。
今後、県が富山駅の高架化を推進し、4年後は駅北部のライトレールと結ばれるようです。これも大変素晴らしいことだと思います。
駅舎もすっかり姿を変え、私が知るころの富山駅の面影を見つけることはできませんでした。



仮設駅舎に戻りますと、この後行われる「さよならしらさぎ号セレモニー」についての説明が報道陣に行われていました。
かつての急行ヘッドマークを模した掲示板には、去りゆく特急列車やJR西日本北陸本線へのメッセージがたくさん貼られており、読んでみますと別れを惜しむもの、感謝の気持ちと様々ですが、一様に地元の熱い思いが綴られていました。



駅舎からホームへ続く長い仮設通路にはJR側からのメッセージが大書され、各部門ごとに撮影された集合写真が掲示されていました。
駅で撮られたもの、車庫で撮られたもの、こうした写真が現場への思いをダイレクトに伝えてきているようで、胸が熱くなりました。
ついつい新幹線開業の「光」の部分だけ目が行ってしまいがちですが、こうした方々や部署のその後についても、大いに気になるところです。
掲示物をもっと眺めていたかったのですが、あっという間に時間となり、新潟行き特急「北越」号が入線するホームに向かいました。



「北越」7号は2分遅れて入線してきました。この後に最終の北越9号がありますが、見送る人でちょっとした騒ぎになっています。自由席には長蛇の列が発生していました。私はグリーン車の指定を受けていましたので、最後尾の1号車から乗り込みます。富山駅から北行きの特急列車に乗ることは、これが最後となります。

車両は3000番台とはいえ485系。485系に乗れるだけでもう幸せです。外はだいぶ暗いのですが、沿線では多くの人が最終日の特急列車に向かって手を振っていました。滑川、魚津、どの駅も多くの人が見送ってくれます。
北越号で車内販売を行ったことはありませんが、シュプール号を迎えに行くのに毎週のように便乗していた時がありました。ちなみに、以前は「白鳥号」を利用して糸魚川や直江津まで乗車していたのですが、白鳥がなくなると便乗列車はこの北越号に変わりました。いつも海側の乗務員室に乗り、金沢駅で買った駅弁を食べながら冬の日本海を眺め、珈琲と煙草をいただくのが至福の時間でした。本当にいい時代を過ごさせてもらいました。



車掌さんは3名乗務していました。普段は2名ですから、増員しての対応だと思います。そのうちお二人とは一緒に乗務した方でした。JRに残られるのでしょうか、新会社に移行されるのでしょうか。私が乗務していたころから、来る将来に金沢~直江津間が第3セクターになるという話は決まっており、車掌さんとの会話の中でもそのような話題がありました。若い車掌さんは将来を非常に気にしていて、早いうちに転属したいという方もいらっしゃいましたし、年配の方は第3セクターに行きたい、この地を離れたくないといった意見が多かったように記憶しています。新幹線開業によって、人間一人一人に大きなドラマがあることを思い知らされます。

この列車にはワゴンサービスがあったそうですが、忙しいようで1号車まで来ることはありませんでした。また、その旨について車内放送でお詫びがありました。
熱心なファンの方は放送を録音したり、デッドセクションを動画で撮影したりと忙しそうです。専務車掌から乗車記念にとサインを求める方も沢山いましたが、グリーン車の中に入ってきて乗務室を大きくノックするのには閉口しました。ただし、そこはベテラン車掌。丁寧ながらも速やかにグリーン車から退くよう誘導していました。毅然とした対応でありがたいです。



今日の席は乗務員室ではありませんが、運良く海側で、当時を忍びながら闇に浮かぶ日本海を眺めることが出来ました。車両は変わらず485系、デッドセクションも体感することができます。日常だったこんなことが、もう、今日でお仕舞となるのです。シートに身を預け、目で、音で、匂いで、振動で485系北陸特急の全てを体に染み込ませます。
この幸せな時間が永遠に続かないかと心から願いますが、列車は徐行をはじめ、ポイントレールをカタカタと渡り、静かに直江津駅構内へ入っていきました。最後の485系北陸特急、本当に寂しい気持ちになりました。



直江津駅も大変な人出です。慌ただしく人が入れ替わり、少し遅れながらも、485系は静かにホームを離れていきました。本当であれば万感の思いで見送りたいところでしたが、あまりにもファンの方の熱気がすごく、私は少々興ざめしてしまいました。
向かいには413系が止まっていました。この車両は第3セクターに引き継がれるようです。北陸路最後の国鉄型形式として、末永く頑張ってほしいと思いますし、もう魅力が全くないから北陸に足を向けることは少ないだろうなと思いましたが、この車両がいるなら乗りに来ても良いなとも思います。



私は直江津までの乗車券しか持っていませんでしたので、一旦改札を出て切符を購入することにします。しかし、1か所しかないみどりの窓口は長蛇の列。自動券売機も特急券が購入できるものはすごい列で、乗車予定の列車に間に合いそうにありません。電光表示板にはこの後2本の「はくたか」とも、普通車、グリーン車指定席は満席。それならば特急券は車内で買えばいいと思い、隣に1台、近距離専用の券売機がありましたので、とりあえず越後湯沢までの切符を購入し、再び構内に戻りました。

直江津駅にも沢山の思い出があります。シュプール号の行路の中には、黒姫から直江津まで回送に乗車して、引込線に到着した客車から降りて構内踏切を渡りホームに向かうものが正規としてありました。今では考えられないことです。
鮮明に覚えているのは、黒姫発姫路行、夜行の「シュプール妙高志賀」9502レが車両故障で黒姫を発車できず運転打ち切りとなり、大勢のお客さんと共に定期の115系に乗って、すし詰め状態で直江津まで来て列車を待ったことです。スキー帰りで疲れている上に超満員の115系に乗せられ、しかも直江津からの列車は未定ということでお客さんは怒り心頭。関係のない直江津駅の助役に食って掛かり、ホームには暴言、罵声が飛び交う異様な光景が広がりました。
そこに、9502レ運転再開の情報が入ります。しかし、大幅な遅れが見込まれるため、急ぐ人は急行「きたぐに」に乗るようにとの案内がされました。この日は日曜日。月曜日の朝に関西に着いてその後は仕事という人が多く、みながどうするか相談し始めます。

暫くして急行「きたぐに」が入線し、空いているところに乗れるだけ乗って発車。相当な時間、直江津駅に止まっていたと記憶します。それでも乗り切れなかった乗客の前に現れたのが寝台特急「つるぎ」。これがガラガラで、とりあえず急ぎの人は全て定期列車で関西方面へと向かいました。
その後すぐに9502レが入線し、残りの乗客を乗せ、私も予定通りその列車に乗車して大阪へと向かったのですが、あの時の直江津駅での出来事は、忘れることが出来ません。

また、妙高高原でスキーのインストラクターをしているのですが、大阪での仕事の合間で移動するとなると車ではなく、急行「きたぐに」と快速「信越リレー妙高」を乗り継いで睡眠を取っていました。乗り換えの直江津駅で少々待ち時間があるのですが、寒いホームで飲む珈琲がなんとも美味しかったものです。
大勢の人で賑わう直江津駅のホームで、これまでの思い出がたくさん甦ってきました。



ホームが騒がしくなってきたなと思っていましたら、485系国鉄色が入線してきました。新潟のT18編成が快速「くびき野」として入線してきたのです。
全く予測もしていなかったので私も慌ててカメラを向けました。485系の車内は大勢の人が乗車しています。県内特急「みのり」の流れをくむこの「くびき野」も、本日をもって運転を終わります。
直江津を後にする国鉄色の485系を見ていますと、かつての臨時特急「シュプール雷鳥信越」号が重なります。いいシーンに出会うことが出来ました。



構内の片隅に、見慣れない車両が止まっていました。廃止される「北越」「くびき野」の後を受け継ぐ特急「しらゆき」使用のE653系です。「しらゆき」という愛称は元々、福井と青森を結んでいた特急「白鳥1・4号」の前身である金沢~青森間の急行列車のものですから、このネーミングセンスには拍手です。さらに、E653系の塗装はディズニー作品「白雪姫」を彷彿とさせる白地に青と赤のライン。このセンスも素晴らしいと思います。
種別が「特急」であることに不安もありますが、県内アクセスを担う列車としての活躍を期待したいですし、一度全区間乗ってみたと思います。

もう一編成は、明日開業する「えちごトキめき鉄道」のET122形でした。せっかく電化されている北陸本線を気動車が走らなくても、と思いますが、交直流車両を新造するコストや、その他の要因もあってこの運行形態になったと後に知りました。肥薩おれんじ鉄道と同じようなものでしょうか。
見るもの、撮影するものが多くて落ち着きませんが、もう「はくたか」の入線も迫っており、急いで乗り場へと向かいました。



乗り納めの旅もいよいよ最後、特急「はくたか」に乗車します。入線時、すでに自由席は立客が出ていて、直江津からも結構な数の乗車がありましたので、着席は諦めて撮影後に2号車から乗車しました。
前方へ歩いていくと、4号車には見慣れた光景が広がります。かつてサンダーバードで車販基地として使用していたプチカフェテリアがあったのです。私は勝手に、681系は「はくたか」に転用された時点でこの施設は無くなったものだと思い込んでいたので、十数年ぶりに出くわしたプチカフェテリアに興奮してしまいました。ジュースの冷蔵庫は撤去されましたが、コーヒーマシンも電子レンジも健在で、懐かしさで胸が熱くなります。
特に思い出されるのが「シュプールサンダーバード信越」号です。直江津駅からこのスペースに弁当を300個積み込んで車内放送をかけると、瞬く間にお客さんが列を作り、弁当が飛ぶように売れたのでした。さばき切るころには富山駅を過ぎており、そこからワゴンサービスを開始。アイスクリームも3ケースが完売する忙しい列車で、その編成こそがこの681系だったのです。「北越」の便乗も直江津駅での思い出も、こうして最後にプチカフェテリアと出会うことで完結したことが本当に嬉しくてたまりませんでした。
当然、越後湯沢までこの場所で過ごすことにします。



虫川大杉駅到着前に車掌の放送がありました。
「ただいま、金沢行きのはくたか号と最後のすれ違いをいたします。よろしければ左手をご覧ください。」
車掌も最終日ということで趣ある放送をしてくれます。私もプチカフェテリアの大きな窓から、金沢行きのはくたか号を見送りました。
列車はグングンとスピードを上げて時速160㎞で快走します。ここでも車掌から「ただいま、在来線最速の時速160㎞で運転しております。」と放送がありました。



十日町駅も沢山の人で賑わっています。紆余曲折を経て開通した北越急行。十日町の方の思いは如何ばかりかと思います。
雪深い駅の外からも、多くの人が手を振って最後の特急「はくたか」を見送っていました。

六日町を出ますと、終点越後湯沢まで、車掌さんによる長く心のこもった放送が流れました。
「1997年の北越急行ほくほく線開業と共に走り始めました、この特急「はくたか」号ですが、本日を持って明日の北陸新幹線開業と共に、運転を終了することになりました。18年間の皆様のご愛顧に心から感謝申し上げます。本日限りで運転を終了する特急「はくたか」号ではありますが、「はくたか」の名前は明日から、北陸新幹線の東京と金沢を結ぶ列車の愛称として引き継がれ、その翼をさらに大きく羽ばたかせてくれると思っております。新幹線の名前に「はくたか」の名前が引き継がれましたのも、多くの皆様が特急「はくたか」を利用していただいたからだと思います。18年間、ご利用くださいまして誠にありがとうございました。明日からは北陸新幹線「はくたか」を、どうぞよろしくお願いいたします」
この列車に対する思いがストレートに胸に刺さります。思わず聞き入ってしまいました。
私の心にも大きな寂しさがこみ上げて、在来線特急「はくたか」は終着駅、越後湯沢に到着しました。



この後に金沢行き最終の「はくたか」がありますが、この時点でもホームは大変な賑わい。特に越後湯沢方の681系2000番台に人気が集中しています。ここで、乗務を終えて降りてこられた車掌さんに大きな拍手が送られていました。先ほどの車内放送に感銘を受けた方も多かったようで、ファンの方と車掌さんの会話から発展し、そのうちに撮影会のような光景が広がり始めました。
記念撮影を撮られる方も多かったのですが、停車時間が長いこともあり、お互いに譲り合っての和気藹々とした雰囲気で、とても良かったです。
私も1枚撮影していただきました。



スケジュール的に大変慌ただしかったですが、富山行き「サンダーバード」、特急「北越」「はくたか」の乗り納めと、大きな歴史的転換点を迎えることとなった富山駅、直江津駅、越後湯沢駅を実際に体感できて、本当に良い思い出となりました。
北陸新幹線開業後にも、後を受け継ぐ特急「しらゆき」や超快速「スノーラビット」、そして第3セクターと北陸の駅、街が賑わうことを望み、たくさんの思い出を胸に仕舞い込んで、上越新幹線に乗り込み、この旅を締めくくりました。