天空の土木作業

鉄道模型レイアウトの制作記録

雷鳥の羽を紡ぐ旅⑤ 485系『ジパング』 東北仙石ライン

2020-02-15 | 日記
東京出張で夕方から翌日の15時まで、ポカンと時間が空くことになりました。何かしら有効活用が出来ないものかと、冬の臨時列車案内を眺めていますと、その日に盛岡発一ノ関行きの臨時快速『ジパング忘年ライナー』が運転させることがわかりました。残り少ない485系、このチャンスを逃すと後悔するのでないかと思い、この列車に乗ることを軸に旅程を組み立てました。
普段は伊丹から飛行機で行くことが多い時間帯の会議ですが、盛岡の往復切符になりますので全て鉄路です。最近、新大阪への移動は、おおさか東線を多様するようになりました。混雑する御堂筋線を利用するより、新鮮味があります。
7時過ぎ、京阪野江駅を降り、JR野江駅に着きますと、列車が来たようなのでホームに急ぎましたが、『直通快速』の通過でした。車内を見ますと、ちらほら立ち客がいる程度です。出勤にはまだ少し早いのかと思います。
少し待つと上下の201系が並びました。今や201系に乗れるのは、ここだけです。並びを撮影しましたが、暫くは見られるのでしょう。

 

新大阪駅で時間がありましたので、駅弁を覗きます。この日も仕事から直接移動していて、夜中に何かしら食べてますし、東京に着けばすぐ食事会なので食べなくても良かったのですが、初めて見る八戸駅吉田屋さんの『かに水産かに味噌ご飯』がありましたので、誘惑に負けて買いました。しかも、仕事前にも関わらずウイスキーまで。ダメですねー。
新大阪始発の不定期列車を指定していましたので、早めの入線ということもあり、停車中からお弁当を広げて楽しみます。濃厚なかに味噌と蟹の炊き込みご飯が楽しめる、贅沢なお弁当ですが、かに味噌をすくうときに蟹のカラを出したり置いたりしなければならなく、朝7時台には似つかわしくないお弁当でした。
停車時間が長かったこともあり、発車早々に食べ終わって睡眠につこうとしていますと、車掌さんから声を掛けられました。何事かと思いますと、なんと私が指定していたのはのぞみ306号で、この列車は10分前を走るのぞみ304号でした。まさかまさか自分がこんな間違えをするとは思っていなかったので、驚きました。B席なら空いているとのことでしたが、爆睡したかったので京都で下車し、10分後の所定列車A席ですぐ寝ました。



東京で仕事を済ませますが、かなり時間が押しましたので切符の変更をし、上野から盛岡を目指します。盛岡乗り換え時間が短いので、もしもの時のことを考え、余分に買い物をすることにしました。上野駅地上ホームのお弁当屋さんは、かなり広い範囲の駅弁があり、ありがたいお店です。
新幹線上野駅を降りたことはありますが、ここから乗るのは初めてでした。何となく哀愁漂う地下ホームは、かつての地上ホームの空気を運んできたかのようです。くすんだ色合いがそうさせるのでしょうか。東京駅乗り入れ前までは、東北へ向かう人は全てここに集まっていた訳ですから、それはそれは賑わったのではないかと想像します。
向かいのホームに引退間近のE4系が入線してきました。最期にゆっくり乗りたかったですが、叶わさそうで残念です。

 
 
やがて私が乗る『はやぶさ』号が入ります。さすが週末、よく乗っています。着席して、枕カバーをずらし、快適なポジションで落ち着きます。東海道新幹線にない素晴らしいサービスだと思います。
上野駅で購入した関根屋さんの『秋田比内地鶏いいとこどり弁当』を広げます。定番の有名弁当だけに、美味しいですねー。美味しすぎて、ついついお酒が進んでしまいましたので車内販売で補充します。ちょうどいいアテに明太子味の南部せんべいがありましたので購入。これがナイスチョイスでお酒が止まらなくなりました。南部せんべいは昔、全日空の機内販売でお土産として売られていたのを酒の当てに頂いた時に初めて食べたのですが、それが美味しくて、それ以来、売っているのを見ては買っていました。関西ではあまり見かけない気がします。
快適なシートでうまい酒とアテ。幸せな時間が流れます。しかし、本来の目的は今からです。もう結構ベロベロですが、気を引き締めて、盛岡駅ホームで煙草を吸い、在来線ホームに向かいました。構内売店は閉まっていましたので、上野で買い物を済ませて大正解です。

 

僅かな乗り換え時間で、ホームで撮影する時間はほとんどなく、今日のメインイベント臨時快速『ジパング忘年ライナー』に乗りました。肌寒く感じるはずで、路面にはうっすら雪が積もっています。
臨時快速『ジパング忘年ライナー』は4両編成で、先頭の1号車が指定席、他は自由席です。発車ギリギリでしたので、さっさと撮影して車内へ。いきなりインパクトあるデッキに驚いているうちに発車となりました。
1号車の椅子は全て窓向きにセットされていました。昔のクロ212系マリンライナーを思い出します。この座席で知らないオッサンと相席になれば嫌だなと思いましたが、指定席は私を含めて8人の乗車で、ゆったり座ることができました。
発車して早々に急ブレーキがかかり、停車しました。何でもこの先の踏切で異常を知らせる連絡があったとかで、確認まで停車とのことです。485系に長く乗られるなら、私はいくら停車していても構いません。

 

停車中に車内を回ります。自由席は7割以上は乗っているでしょうか、なかなかの乗車率です。ホームで『この列車に乗っても大丈夫なのかな?』と、停車駅や種別を確認するかたが目立ったのも面白いところです。この列車の20分後に一ノ関行きの最終がありますので、たまたまこの電車を知った方には『乗り得』感があるでしょう。列車名は『忘年ライナー』と賑やかな感じですが、停車中ということもあり、車内は静まり返っていました。私同様、8名程の鉄道マニアだけが静かに興奮しています。つまり、指定席はマニアだけでした。
結局、15分程停車して、異常は確認されなかったとのことで発車しました。

 

 

座席に落ち着いて、上野駅で買った老舗弁当店・斎藤松月堂の『平泉うにごはん』を広げます。今から一ノ関に行くのに、上野で購入した一ノ関の弁当を食べるのは妙な感覚です。東京駅の弁当店『祭』では、常に販売個数トップ10に入る大人気弁当です。これに上野から数えて4本目のウイスキー。朝から数えると、ランチミーティングでも飲んでますので、かなりの酒量です。しかし、酔っぱらう訳にはいきません。何せ今は485系の車内です。臭いや音、全身で485系を体感します。
列車は駅ごとに乗客を降ろし、ところどころ乗客を乗せながら南下していきます。『ジパング』自慢の展望スペースに陣取り、しばらくは暗闇を切り裂き進む全面展望を眺めていました。485系の全面展望。初めて体感したのは中学2年生の時の『スーパー雷鳥』でした。やがて乗務員になり、9503M『シュプール妙高志賀』の中間運転台で賄い弁当を食べながら楽しんだのもいい思い出です。そんなことを思い出しながら、後ろに流れる光の筋を眺めていました。

 

編成をおさらいします。上野方が1号車です。
◆1号車 クハ485-704(元 クロ485-4← クハ481-40)
 1971年3月、クハ481-40として向日町に新製配置されました。クハ481系0番台のラストナンバーです。この事実だけで、もの凄い歴史を感じることが出来ます。
 特急「雷鳥」の他、「うずしお」として宇野へ、「みどり」として大分へ、「はくたか」として長岡経由で上野へと、九州から北陸、関東までの広域を走り抜けていました。
 1975年に鹿児島へ転属。ここからは「有明」「にちりん」として、これまでの広域運用とは一転、九州の中だけを走ります。
 1984年12月、今度は未経験の地、東北は仙台に一旦転属し、翌85年3月に勝田へ転属。「ひたち」として常磐線を走ります。
 1997年に新前橋へ転属。1999年3月にクロ485-4へと改造され、お座敷電車「やまなみ」としての活躍が始まります。 
 2012年3月に高崎から盛岡へ転入、座席車に戻され、形式をクハ485-704として「ジパング」の1号車となりました。
 「ジパング」として東北本線を主に走行していますから、これほど日本中を駆け抜けた車両も珍しいのではないのでしょうか。
 
◆2号車 モハ485-3014(元モハ485-1014)
 3号車 モハ484-3014(元モハ484-1014)
 1976年3月、秋田に新製配置されます。「つばさ」「やまばと」「いなほ」としての運用をこなしました。
 1988年3月に青森運転所へ転入。ここからは「はつかり」「いなほ」としての活躍が始まります。
 1998年に3000番台へと改造。装いも新たに、「はつかり」として森岡~青森~函館間を走行しました。2002年からは新幹線新青森延伸に伴い「白鳥」「つがる」の運用になります。
 2012年3月に盛岡へ転属し、塗装変更を行って「ジパング」の中間車となりました。

◆4号車 クハ484-704(クロ484-6←クハ481-34)
 こちらの方は1号車よりももっと古く、クハ481-34として1969年に向日町へ新製配置されています。もう50年以上走り続けていることになりますね。すごいことです。
 2年後にクハ481-40が配置されますが、とても興味深いことに、ここから「ジパング」として走る今日まで、全く同じ転属の人生を歩むことになります。485系ほど汎用性の高い車両で、ここまで運命を共にするのはドラマのようでもあります。
 車番はクロ484-6へと改造され「やまなみ」に。2012年にクハ484-704「ジパング」の4号車となりました。
 
 こうしてみますと、私が乗務した車両はありませんが、中間車は「雷鳥」としての運用がありましたし、両先頭車は凄まじい歴史の持ち主ということで、俄然乗る価値のある編成だということがわかりました。

  

北上を過ぎると車内はかなり閑散としてきましたので、自由席のモハに移動しました。この2年で『華』『きらきら羽越』『やまどり』と485系に乗りましたが、この『ジパング』の2・3号車ユニットがあたりまえですが最も原型に近く、ありし日の3000番台『新潟雷鳥』や『北越』の記憶を甦らせるに十分です。折しも、列車は遅れを取り戻すべく回復運転の真っ最中ですから、唸るモーター音がその記憶をさらに鮮明にしていきます。ここで非常食としてキープしていた崎陽軒の『シュウマイ弁当』を広げ、ぬるいウイスキーで流し込みます。幸せ、これ以上ないほどの幸せな時間です。いよいよ、485系ともお別れの時かもしれない、幸せと寂しさが交錯し、感情的になります。よくぞ令和の時代までこんな車両が残ってくれていました。一ノ関到着のアナウンスを聞きながら、残りのウイスキーを飲み干します。485系に、乾杯!
ホームに降り立ち、一ノ関駅に停車中の485系を、色んな角度から眺めて、在りし日の姿を甦らせます。さようなら、485系。

 

あまり長居してしまいますと改札が閉まってしまいますので、心の中で485系に最敬礼をし、一ノ関駅を出ます。賑やかな忘年会帰りの人々とすれ違いました。みな、タクシーや代行、家族が運転する迎えの車に乗り込みます。私はいつも千鳥足で終電に乗っていますので、ちょっと感覚が違うのでしょうね。
駅前のホテルでチェックインを済まし、部屋に行かずそのまま繁華街に向かいます。0時前ですが、まだまだ居酒屋もスナックやらも開いています。ひととおり歩いて、ちょうど4、5名が出てきたお店に入りました。
結構若い年代のスナックで、しまったと焦りましたが、私には年甲斐もなくサンタクロースの衣装を纏った感が強い(失礼)、お店のママさんが付いてくれました。良かったです。そして、今年大手企業が一ノ関から撤退した話しや、震災の時の話し、力を入れている地場産業の話しなど、一ノ関の今を知ることが出来ます。これだから出先のスナック訪問は辞められないんですね。大変有意義な時間を過ごし、ホテルに戻りました。

 

次の日は、早起きして乗り鉄するプランと、ぐっすり寝て東京に戻るプランを用意して就寝しますが、かなり疲れているにも関わらず何故かこーゆー時は早起き出来てしまうから不思議です。
みどりの窓口で切符の変更をして、新幹線改札口に向かいますと、バタンと扉が閉まって通れなくなってしまいました。駅員さんと今発券した切符を見直しますと、一ノ関から大阪への乗車券の他に、新幹線特急券にも乗車料金が含まれているのがわかりました。もう発車まで時間がなかったので、大阪で精算して下さいとのことでしたが、途中下車は全て有人改札口を通らなければならないようで、これは面倒なことになりました。
ホームに上がりますと、乗車する『はやぶさ』が入線するところでした。一ノ関から古川までの移動でしたので、てっきり『やまびこ』なのかと思えば、仙台からかっ飛びタイプ(この『かっ飛び』という言葉は昔の日食では当たり前に使っていましたが、通用するのでしょうか)のはやぶさでした。自由席も指定席も、よく乗っています。ぼんやり車窓をみているうちに、2駅目の古川で下車となりました。
ここで在来線に乗り換えますが、やはりいちいち説明しなくてはならなく、面倒なもんです。待合所に立ち食い蕎麦がありましたので食べました。弁当ばっかりだったので、久しぶりに温かいものを食べた気がします。何の特徴もない、ただの立ち食い蕎麦です。
在来線ホームに行きますと、キハ110系列が停まっています。この車両に乗るのは本当に久しぶりで、ひょっとすると学生時代に長野から豊野まで信越線で乗った以来かもしれません。今でも全く古さを感じさせない車内です。陸羽東線、ここから暫くディーゼルカーの旅です。この振動、音がたまりませんねー。

 

小牛田でさらに南下するための乗り換えです。ちょうど東北本線の列車が発車するところでした。本線らしく堂々の6連です。私が小牛田を普通列車で通過したのは28年前。その時はキハ40、58系列に50系客車が並び、今はキハ110系列に701系。当たり前ですが、まるで景色が違います。構内の奥の方に「びゅうコースター風っこ」と「みのり」が留置していました。東日本は見ものが多くていいですね。
小牛田からの石巻線もキハ110系列です。これで石巻を通り、乗り換えなしで女川まで行きます。



前谷地で気仙沼線の接続列車が停まっていました。気仙沼線は柳津と気仙沼の間はバス・ラピッド・トランジット(BRT)で運行されています。一部はこの前谷地までBRTでの運航になっているそうです。いつしか鉄道路線として復活するのかなと期待していたのですが、令和2年の4月1日で鉄道事業は正式に廃止されることが決定したようです。復旧には約700億円掛かるそうで、現在の利用状況を考えれば致し方ないことでしょう。気仙沼線には一度も乗ったことが無いのですが、このまま乗らず終いになりそうです。
車窓に新しい家が増えてきたなと思っていたら、石巻に着きました。被災され、建て直されたから新しくなっているだけで、どれだけのご苦労があったかと思うと胸が締め付けられます。
ここからは車窓の何を眺めても、どうしても震災のことが思い出されてしまいます。しかし、私のような旅行者が何を言おうが思おうが、何の意味も成しませんので書き綴ることはいたしません。
生まれ変わった女川駅とその周辺を少し歩いて回ります。大きな駅舎には温泉施設があるようです。乗ってきた来た列車の折り返しに乗り、再び石巻駅を目指します。

 

後方の貫通扉前に立って車窓を眺めていました。浦宿駅のホームに段差が見て取れます。この界隈一帯が地盤沈下をおこし、復旧の際にホームのかさ上げをする必要があったのだそうです。地盤沈下というと報道を見る限り千葉のイメージが強いですが、広範囲に影響が出ているのがわかります。



石巻駅も大きな被害を被りました。それでもこうして復旧し、石巻を第2の故郷とする石ノ森章太郎作品のイラストやモニュメントが随所に散りばめられていて、震災前の構想を今に引き継いでくれています。
私は「サイボーグ009」が大好きでした。大阪の毎日放送で夜中に再放送していたのですが、ちょうどその頃、石ノ森氏が石巻にマンガをテーマにした町おこしをするというニュースを見て、とても期待したものです。残念ながら1998年に石ノ森氏がお亡くなりになられ、その3年後に「石ノ森萬画館」が開館したとのこと。2003年には205系にキャラクターのシールを張り付けた「マンガッタンライナー」が仙石線にデビュー。2008年には「マンガッタンライナーⅡ」が登場しています。震災で漫画館は休館しますが、約1年半で再オープンし、今でも石巻を代表するスポットとして多くの観光客が訪れているようです。マンガロードをあわせて、一度ゆっくり訪れたい街です。

 

ここからは仙石線に乗車します。乗車するのはHB-E210系気動車、この列車は「仙石東北ライン」の仙台行きです。いつの間にか面白い路線が開通していたのですね、実はつい最近までこの存在すら知らなかったのです。
そしてこのハイブリッド気動車、というのでしょうか。独特の走行音で、とても魅力的です。東北本線と仙石線という両方とも電化しているのに気動車が走るのも面白いですが、交流と直流の間でデッドセクションがうまく設けられなかったのを車両面でカバーしたというのはウルトラCだと思います。また、この恩恵で非電化の女川まで仙台と直通運転されているのは素敵なことだと思います。
ただ、路線は津波の影響を全面に被った区間ですので、また色々と考えてしまいますが、4両編成の列車は常に立ち客がいる乗車率で、学生の利用も多いことから、益々の活躍を祈らずにいられません。
グーンと速度が落ち、一旦停止してガタンガタンとポイントレールを渡りますと東北本線。不思議な感じがします。乗りごたえのある、仙石東北ラインでした。

 

仙台駅在来線ホームに降り立つのも久しぶりです。これまた気になっていた、仙台空港行きの列車が停まっていました。これは飛行機利用でいつか乗るだろうと思いながら、結局今まで乗っていないので、気になっている路線です。
見渡しますと仙台駅在来線ホームも近代的な車両ばかりです。455系の快速「仙山」が懐かしい、、、
連絡橋に駅蕎麦があり、美味しそうな唐揚げのポスターに惹かれます。仙台駅の駅弁屋「こばやし」さんが経営する「立ちそば処 社」の鶏唐揚げ蕎麦は、結構有名なメニューなんだそうです。鶏唐揚げ蕎麦と言えば、常磐線我孫子駅を真っ先に思い出しますが、このお店は唐揚げ蕎麦をメニューにする際、我孫子のお店にわざわざ許可を得に行かれたとか。面白いエピソードです。ネットでの評判も良く、期待して入りましたが、この日はちょっと当たりが悪かったのか、私の食べた印象は残念なものでした。

 

そろそろ体と頭を仕事モードにしていきます、と、言いながら新幹線でもまた弁当を広げています。一ノ関駅「あべちう」さんの「あわびうに飯」です。そういえばこの日の出発は一ノ関でしたね。盛りだくさんで忘れかけていました。
もう仕事前なのでお茶をお供に頂きます。安定の美味しさです。
東京での仕事が終わり、最終近い新幹線で大阪へ帰ります。この後会社に戻らなければならなかったので、お酒を飲むことは出来ません。そこで、ちょっと食に贅沢をしようと、お値段なんと1850円の「東京弁当」を購入しました。
包み紙から容器から、いろいろ立派です。中身を製造するのは「浅草今半」やら「すし玉青木」やら、私でも聞いたことがあるお店の名前がズラーと並んでいます。デザートは舟和の芋羊羹。お値段は張りますが、これはとても美味しいお弁当でした。

盛りだくさんの1泊2日。485系「ジパング」は、ぜひとももう一度乗りたい列車ですし、東北地方もじっくり乗り回るために何度と行きたいと感じさせる、素晴らしい旅行となりました。

雷鳥の羽を紡ぐ旅④ きらきらうえつ

2020-02-03 | 日記
2019年の春、残念なニュースを目にしました。485系「きらきらうえつ」が秋で引退するというのです。もっとも、2001年の運行開始からよくここまで走り続けてくれたという感じもします。
乗りたいなとは思っていましたが、大阪から離れた新潟以北の列車に乗る機会にはそうそう巡り合えず、時間だけが過ぎていきました。しかし、いよいよ引退間近となって仙台に行く出張があり、場所は全然違えど方向は一緒なので何とかならないかと焦って臨時列車の時刻表を見ますと、同編成を使用した臨時快速「きらきら日本海」の運転日であることがわかりました。最寄りのJR駅窓口で指定席券を発注するも、満席。乗車区間を区切ってもなかなか出てこなくて諦めかけていましたが、下りの酒田から秋田までの指定席券が4日前に取れましたので急遽旅程を組み、485系に会いに行くことにしました。



朝方に仕事を終え、守口市の家に帰り入浴と洗濯を済ませて、すっきりと出発です。いつも出張の前は朝方まで夜通し仕事をし、最近は多忙からそのまま香里園に直行して東京に向かうのが常でしたが、今回は少し余裕があるので身支度を整えられ、かなり楽でした。今は大阪駅にどんな弁当が売っているか知りませんが、新大阪なら各地の弁当を集めて販売しているお店がありますので、淀屋橋まで行って御堂筋線で新大阪に向かいました。
乗り換え時間は19分。一目散に2階の弁当屋さんに向かいますと、営業前で閉まっていました。7時からの営業だそうです。いきなり出鼻を挫かれました。
3階も閉まっています。ここで空かさず新幹線の入場券を買い、新大阪構内で買い物をすることにしました。140円がもったいない気もしますが、この選択を躊躇わない理由は、やはり煙草です。新大阪駅は唯一、新幹線改札内に1ヶ所のみ喫煙コーナーがあります。買い物を済ませ、煙草をまとめ吸いすることができました。一旦改札を抜けて在来線に向かいますが、まだ始発が到着してないのに出口を抜ける私に駅員さんが話しかけて来ました。入場券ですよと答えましたが、とても不思議そうな顔をしていました。そりゃそうですよね。



サンダーバードの乗り場を確認し、ホームに降ります。4番線からの発車です。どうもおおさか東線が出来てから勘が狂います。ホームに降りるとかなり人がいます。乗務員の頃、4001Mが満席ですとコーヒーにかなり追われたものです。そんな思い出が過りましたが、いざ列車が入線してもホームで待っている人が大半です。後の新快速を待っている人たちでした。昔、4001レ『日本海』に乗務しますと、京都駅の1番線が凄い人だかりで、これは忙しくなるぞと思ったら、ほとんどが次の草津線直通列車を待つ乗客だったのを思い出しました。
サンダーバード1号は貫通9連+増結3連の12連です。私が乗った3号車は、京都を出ても10名位でガラガラでした。車内はリニューアルされたものの、座席にはかなりくたびれた感じが見られます。北陸新幹線が南下してきますから、もう北陸特急に新車は入らないでしょうね。
お腹が空いているのでさっそく弁当を広げます。初めて見る、柿の葉寿司で有名な中谷本舗の『京都御苑 幕の内弁当』という商品です。3日前が即位の礼でしたので、あやかったものなのでしょうか。奈良の会社なのに、いろいろ謎です。しかし、紫色の高尚なパッケージにもひかれてしまいました。中身は申し分ないのですが、お値段1400円は高すぎます。割り箸ではなく、菊の御門が描かれた箸が同封されてました。あと、監修料は京都御苑の整備費に充てられるそうです。ならば中身は700円程度でしょうか、不味くは無いですが、お値段が残念な弁当です。今日はこの後移動だけですので、お酒も頂きます。



敦賀到着前から、右手におびただしい数のコンクリートの塊が出現します。北陸新幹線の工場真っ只中です。未だに富山行きサンダーバードが無くなったことすら現実味のない私にも、時代はここまで来てるんだなと感じさせます。北陸トンネルあたりから睡眠に入りました。
金沢到着前に起きます。今日から上越妙高と長野の間が開通した旨のアナウンスが流れました。よく早期に復旧してくれたものです。台風災害から今日まで、臨時の特急『しらさぎ』や、北越急行の臨時快速が運転されて補完に努めたのは記憶に残したいところです。新幹線は車両面に大きなダメージがありながらも、全通後9割以上の運転本数を維持したのも大変なご苦労があったと思います。
この旅程を最初に組んだ時、まだ上越妙高と長野の間は不通で、どのようなダイヤになるかわかりませんでした。しかし、不通の間の金沢~上越妙高間のダイヤでも運転されているスジでしたので、全通後も弄らず維持されると踏みましたが、これが間違えなくて良かったです。
金沢駅10分乗り換えの間に煙草をふかし、東京行き『はくたか』558号に乗り込みました。自由席は3割程、指定席は1割程の乗車率で金沢を発車です。そして自由席は、富山で半分以上が降りていきました。ああ、サンダーバードやしらさぎが富山まで走っていれば、乗り換えの不便なく、運賃も安くすんだ方々は沢山いることでしょう。平行在来線問題しかり、この辺り抜本的に見直すべきだと思います。特に高岡駅周辺の皆さんは、どのように生活が変わったかと思います。
9時を回りましたので、仕事のメールなどを細々します。自由席でもヘッドレストが可動するのはありがたいですね、快適です。あっという間に上越妙高駅に到着しました。



ここも9分の乗り換えですので慌ただしいです。改札を出て、これがかの脇野田駅かと驚愕します。私は学生時代の冬季、ずっと妙高高原にいました。長野まで開通した新幹線が、こっちに来るぞという話題の中、駅は脇野田が有力だと言われてもみな半信半疑で、そりゃ高田か新井だろう、あんなとこに駅を作ってどうするんだいと、地元の人達が笑っていたものです。もっとじっくりゆっくり見て回りたいところですが、酔いも覚めてきましたので、飲料請求に走ります。改札正面にお弁当屋さんを見つけたので入ると、直江津駅の駅弁が並んでいたので懐かしさもあり、また時間がないので選ぶまもなく安定の「鮭めし」を購入しました。
ホームに降りると、ちょうど特急『しらゆき』がゆっくりと入線してきていました。ぐるりと見渡しても、まだこれが脇野田駅とは思えません。
かつて常磐線『ひたち』として活躍していたE653系。名前のとおり、白雪姫と同じ配色のボディカラーは、かなり秀逸です。これを思いついた方は素晴らしいと思います。平成27年3月、北陸新幹線開通前夜に直江津駅で留置線に停まっているのを見たときから、とても気に入っていました。ようやくこうして間近に見られ、乗車できて感激です。4両のコンパクトな編成は模型向きです。グリーンマックスの製品が気になってしまいます。単線を走る特急、いいですね。



直江津までは北陸新幹線金沢開業前日に乗りましたが、直江津から先を昼行で走行するのは、2012年以来7年ぶりです。その時は485系上沼垂色の特急『北越』でした。強者どもが夢の後、百花繚乱の北陸特急は、とっくに過去帳入りしている訳です。かつて、乗務していた新潟雷鳥の記憶がうっすらと甦ります。と言っても、私は新潟雷鳥にはあまり乗務したことがなく、この区間で強烈に印象に残っているのは、シュプールの折り返しで165系急行『赤倉』に乗って新潟へ5002M「白鳥」を迎えに行くときのことです。黒姫から新潟まで、アコモ改善車の165系に揺られたあの時は幸せすぎた時間を過ごしました。『赤倉』『みのり』『くびき野』の流れを汲む、新潟県内特急『しらゆき』。末永く活躍して欲しいと思います。



長岡に到着し、新幹線に乗り換えます。このまま『しらゆき』で新潟まで乗車しても、2分の接続で『いなほ5号』に接続していますが、買い物する時間が無いのと、『いなほ』の切符を持っていないので買いたかったこと、さらに、この『しらゆき』が5分遅れで運転していて、新潟での接続が不安であり、何よりも長岡から新潟までの『とき』が、引退の決まったE4系での運転なので乗り換えることにしました。
ホームに降り立ちますと、向かいには先行していた「越乃Shu*Kura」が停まっていました。これはノーマークでした。金沢で前泊すればこの列車に乗れたかとも後から考えましたが、仕事もありどのみち無理でしたので、いつか乗りに来たいと思います。
切符を買う前に『いなほ』がどんな電車か調べてますと、グリーン車が乗りトクなんだそうで、3時間も乗るのだからと券売機でグリーン券を購入しました。ハザはガラガラなのに、なんとロザは残り1席!危ないところでした。
ホームに上がり、喫煙コーナーで煙草を楽しんでますと、ゆっくりと『とき』が入線してきたのですが、E4系にしては何だか背が低いです。近づいてくるにつけ、E7系なのがはっきり解ってきました。E4系違うやん!それもそのはずで、私が見ていたのは1年前の時刻表だったのです。勝手に期待して盛り上がって残念がる、アホですね。大人しく自由席に乗り込み、本日2度目のE7系に乗車します。あれ?北陸新幹線が車両不足で大変なのに、虎の子のE7系が上越新幹線でアルバイトしていていいのでしょうかね。



新潟駅到着前にアナウンスがあります。『いなほ』に乗る人は左側に、その他の人は右側に降りろという案内です。阪神尼崎駅みたいなことが、ここ新潟でも繰り広げられるようになりました。かつては新八代でも行っていた、新幹線と在来線の同一ホーム乗り換え。ホーム中程は柵で仕切られ、2ヶ所に改札口があります。8分の乗り換え時間でしたが、改札はスムーズに流れるものの、1ヶ所の売店に乗客が集中し、発車ギリギリまで買い物客の列がありました。ちょっとタイトな乗り換えでしょうか。車内販売も無いのですから、もう少し余裕があっても良い気がします。
『いなほ』発車の2分前に入線する、先程乗っていた『しらゆき』との並びを撮影しようと構えていましたが、『いなほ』の発車となりました。どうやら遅れを回復することが出来ず、また、連絡もしなかったようです。これも危ないところでした。『とき』を選んで正解でした。



こちらも再び、E653系です。お楽しみのグリーン車ですが、なるほど物凄く広い区画になっています。定員は18人しかいません。サンダーバードのクロが36人ですから、その差は大変なものです。さらに、席の前後に仕切りがあり、プライベートスペースを強調しています。ただ、グループが向かい合わせにしても、この仕切りがあるのでお互いの姿は見えません。
デッキ側には小さなハイチェアーとテーブルがありますが、これは必要なのか疑問です。コンセントはありませんが、この空間を得られるならグリーン料金は全く惜しくないと思います。
中条で数分停車しました。この先、強風の為に徐行するとのアナウンスがあります。河を渡って、坂町まで徐行とのことです。ゴーっと音を立てて風が車体を揺らします。回りの木々、ビニールハウスも大きく揺れています。特急『いなほ』は2005年、突風による横転という悲惨な事故がありました。何より安全第一です。坂町を17分遅れで発車しました。




ここで本日3個目のお弁当を頂きます。先程、新潟駅で購入した新津駅神尾商事の「新潟彩りちらし」です。やや小ぶりながら930円とお手頃で食材がいっぱい入っていて賑やかなお弁当だと思います。塩味、酸味もちょうどよく、アテにもなって気に入りました。舞茸の食感がいいですね、美味しかったです。
酒田駅では新しいグルメ列車「海里」が停車していました。先ほどの「越乃Shu*Kura」と併せて、一度は乗ってみたいです。
食べて飲んで鉄して、本当に心地よく、時間がたつのを忘れてしまいます。あいにく、日本海はどんより灰色で、けして『きらきら』はしてませんが、なんとも贅沢です。ただ、心配なのは列車の遅れ。この次は由利高原鉄道を全線往復しようとしているのですが、接続時間は20分、今の遅れも20分で、気になります。



目的地の羽後本荘駅には22分遅れで到着しました。さあ、由利高原鉄道は待っててくれているでしょうか?ホームに降り立ちますが、列車の姿はありません。ホームのアナウンスも、一時間後の列車を案内しています。僅か2分でしたが、無情にも出発してしまったようです。こんなもんなんでしょうかね。

全線乗れないなら、また乗る機会もあるだろうと、本来の目的の『きらきら日本海』を酒田まで迎えに行くことにしました。
高校生満載の701系に乗って酒田を目指します。この区間を昼行で通過したのは、平成2年にまで遡ります。50系客車でした。ひと昔では済まない程の大昔のお話しです。羽後本荘から酒田まで、約一時間なのですが、普段は香里園から渡辺橋の20分ですら常にカリカリしてますのに、こうしてのんびり列車に揺られていますと、時間の感覚を忘れます。ちょっと疲れているんでしょうね。

高校生達が降り去って閑散とした701系は、酒田に到着です。向かいにキハ110系列の列車がいます。近々、気動車にも乗りたいですね。酒田では25分の待ち合わせ。駅前の居酒屋やラーメン屋さんに目を奪われますが、ちょっと時間が足りなさそうです。雨なので散策も出来ず、煙草をふかして列車の到着を待ちます。



やがて、臨時快速『きらきら日本海』が入線してきました。初めて実車を見ますが、あなたが485系ですか?というのが第一印象です。全面の形状とカラーリングが、ノーマルよりも細く印象付けさせます。車内に入りますと、スロープの横に同一レベルでトイレ・洗面所が配置されているのが特徴的だと思います。これは素敵なレイアウトです。
客車内に入りますと、気色の良くない面々です。テンション下がります。後ろの乗客は音声を出したままネットニュースを見出す始末。振り返って音を切れと注意しました。すると、何故か周りの客まで荷物を纏めたり、急に寝出したり、変な空気になりました。私、この空間に馴染んでなさそうです。向こうからすれば、イベント列車に一般客が乗ってきやがってと思っているのかもしれません。私もマニアなんですけどね。ただ、新潟発車時から既にかなり時間が経ってますから、写真撮影にうろうろする人は少なめで、そこだけが救いでした。酒田を出ての放送で、売店営業は今の酒田までだったことを知ります。残念ですが、この車両に乗れただけで幸せです。



編成をおさらいします。秋田方が1号車です。
◆1号車 クハ484-702(元 クハ481-753← サハ489-5 )
 1973年3月にサハ489として金沢に新製配置されました。当時の金沢運転所初の電車特急配置第1陣メンバーということになります。当初の受け持ちは特急「白山」「雷鳥」。やがて「あさま」「そよかぜ」なども運用をこなします。
 1986年に新潟へ転出され、先頭車改造。クハ481となります。1988年に新潟色(上沼垂色)を纏い、青森側の先頭車として「雷鳥」「白鳥」などで日本海沿いを快走し続けました。当然、私も何度となく乗務したことのある車両です。
 青森側の先頭車ですのでグレードアップ改造はされていません。そして2001年11月に今の姿となりました。

◆2号車 モハ484-702 (元モハ484-1078)
 3号車 モハ485-702 (元モハ485-1078)
 1978年9月に秋田へ新製配置されたユニットです。特急「つばさ」「やまばと」「いなほ」として活躍し、1号車同様1986年10月に新潟へ転属されました。
 1989年10月にはグレードアップ改造として客室のハイデッカー化と塗装変更がなされ、「白鳥」「雷鳥」「北越」と臨時「いなほ」として活躍しました。
 この期間は1号車のクハ481-753と共に編成を組んだことが何度もあるはずです。同様に2001年、きらきらうえつとなります。

◆4号車 クハ485-701(クハ481-349)
 こちらは元々クハとして生を受けた車両です。1976年5月に青森へ新製配置されました。東北特急として上野へ、白鳥として大阪へのロングラン運用に就きます。
 1987年7月に秋田へ転属し、大阪へ来ることは無くなりました。1992年6月には勝田へ転属、「ひたち色」を纏い、常磐線を駆け抜けることになります。
 1998年10月にボンネット車の置き換えとして上沼垂へやってきて、再び塗装変更。ここから残りの3両と共に新潟での活躍を始めます。グレードアップ改造はされませんでした、



こうしてみますと、どれも乗務した車両です。「雷鳥」「白鳥」「びわこライナー」に便乗の「北越」と、とてもお世話になりました。
私たちが「雷鳥」「白鳥」に乗務するとき、2号車か5号車の乗務員室が付いている車両に乗務します。7号車は自由席でデッキも混雑することが多かったので、たとえ乗務員室が付いていても荷物を積み込みませんでした。
モハユニットの0番台に1室、1000番台には2室(左右)に乗務員室があり、200番台300番台には部屋がありません。向日町の編成は、快適乗務の2室か、オーソドックスの1室か、はたまた部屋無しのデッキ乗務かで仕事の効率もテンションも変わっていましたが、上沼垂の車両なら必ず5号車に2室の1000番台が組み込まれていた(指定席車はグレードアップ車両に限られていたので、7号車自由席に入ることは無かった)ので、私はこの編成の乗務が大好きでした。
1997年3月に「白鳥」の受け持ちが上沼垂から向日町に変更され、マニアは「国鉄色の白鳥が復活!ボンネット白鳥かっこいい!」と大歓迎でしたが、乗務するほうも長距離を乗るお客様も、上沼垂のグレードアップ車のほうが良かったに決まっています。と、まあ思い出は止め処なくあふれてきます。



列車は細々停車していきますが、観光列車らしくそれぞれの駅周辺の観光案内や歴史を教えてくれます。
にかほ市観光協会の人達が、パンフレットとお菓子を配ってくれました。この観光パンフレットが実によく出来ていて、コピーや見出しから記事に引き込む力が凄く、結局全ページ読んでしまいました。優秀な編集さんが作られていると思います。
新潟で買っておいた別のお弁当を広げ、何回目かの酒盛りスタートです。お弁当は新発田三新軒の『えび千両ちらし』です。先程『はくたか』の車内で情報誌に2017年駅弁大将軍なる賞を受賞したと書いていました。有名な弁当みたいです。蓋を開けると一面厚焼き玉子に覆われていて、それをめくるとえびやイカや鰻が出てきます。これ、物凄く美味しいです。
そして弁当を広げるテーブルがかつての485系を甦らせます。MT54のモーター音。目を閉じて、北陸線に脳内変換します。うまい弁当にウイスキー、たまりません!来てよかった!485系に乗るのはこれが最後だろうと、目で、耳で、振動で、体に485系を記憶させていきます。




気持ちもお腹も大満足で、秋田に到着しました。さようなら485系。乗り納めの時は、いつもなら名残惜しいという気持ちが大きいのですが、今日は何故か清々しくも思います。今まで走ってくれてありがとう、という感じでしょうか。100歳の人の葬式みたいな、何か納得の行くお別れです。
秋田駅に降りるのは2回目です。平成6年に、特急『たざわ』で来たことがあります。記憶は全くありませんが、当然新幹線開通前ですから今とは全然違ったはずです。今の秋田駅はとても綺麗で、駅周辺も立派ですね。シネコンも併設されています。きりたんぽ鍋が頂ける居酒屋さんが気になりますが、これも時間的に諦めないといけません。美味しいものが多そうですね、1度ゆっくり来てみたいですね。駅ビルの中のお惣菜屋さんはもう品切ればかりでした。20時ですから、仕方ありません。駅の売店にあったお弁当を1つ買い、ホームに戻ります。
今日利用した金沢や、上越妙高は新幹線が出来て何もかもガラッと変わってしまいましたが、ミニ新幹線の秋田駅は在来線のホームはそのままですし、よい雰囲気を留めていると思います。男鹿線の気動車と新幹線が並ぶのも素敵な光景です。あちこちフル規格新幹線の話しばかりですが、投資を回収できず維持費に苦しんでどうするんですか。身の丈に合ったインフラ整備が必要だと思います。



私の乗る最終の『こまち』は仙台止まりです。『きらきら日本海』があと10分早く秋田に着くダイヤなら、最終の東京行きに接続していて、この列車の指定席争いはさらに熾烈だったのではと勘繰ります。旅の終わりで疲れているだろうと思い、グリーン車を選びましたが、列車は自由席も指定席もがら空き。グリーン車も4名だけでした。もったいないことをしました。
実は『こまち』自体、初めてです。E3系は乗らず終いでした。車窓を楽しむのは出来ない時間ですし、締めくくりのグリーン車を食事と共に満喫します。弁当は5個目、アルコールは11本目です。
1994年の夏に特急「たざわ」の中で食べた「秋田まるごと弁当」が物凄く美味しかったのを覚えています。それは、ご飯にしろおかずにしろ秋田の特産品を取りそろえたもので構成されており、旅の楽しさを助長してくれているような気分になったからです。今回購入した関根屋さんの「秋田のんめもの弁当」も、それを思い出させてくれるような内容でした。発売時期によってエリアが違うようで、この商品はその第3弾で「大仙・横手・湯沢エリア編」としてあります。掛け紙にはイラストに地図と特産物、名所が楽しく記載されていて、一口ずつ食べながらその説明を読んだりして、じっくりと味わうことが出来ます。とても美味しいお弁当でした。
景色を楽しむことはできませんが、こうしてお弁当で沿線を知った気になりながら、長旅の1日の締めくくりをゆっくりと過ごしました。



仙台に着くとかなりの混乱ぶり。この日は大雨が降り、千葉を中心に大きな被害をもたらしました。仙台も仙山線、常磐線、東北本線が運転見合わせ、その他も遅延が発生し、大勢の人が足止めされていました。昨今、計画運休について賛否あるようですが、私は乗務員をしていたので過度な計画運休は反対の意ですが、各々が行動に注意と責任を持つことは必要だと感じています。この状況を見て、さらに思いました。
仙台で宿泊し、会議を終えて日中に新幹線で東京へ移動。仕事の後に懇親会を途中で抜け出し、最終前の東海道新幹線で大阪へ戻りました。東北新幹線では昼食に伯養軒さんの「牛たん味くらべ」を。これは東京駅でも売っているのをよく見かけます。塩味牛たん、味噌牛たん、つくね、そぼろと4種類の牛タンが楽しめます。東京からはもう売っているお弁当が少なかったので、東海パッセンジャーズの「すきやき弁当」を、これはもう酒のアテと割り切って食べました。
1泊2日、仕事をしたのはそのうち8時間くらいで、あとは電車に乗りっぱなし、お弁当を食べっぱなしの大満喫旅程でした。