天空の土木作業

鉄道模型レイアウトの制作記録

雷鳥の羽を紡ぐ旅③ やまどり

2020-01-26 | 日記
2019年5月の出張記録です。
世間の超大型連休が明けた5月の2週めは、火、水曜日に1泊2日で東京を往復し、大阪で2日過ごし、土曜日に東京日帰りと要領の悪い1週間になりました。
日帰り、と言っても土曜日ですし、会議は15時から。何かしら鉄分補給できるものはないかと、前日は仕事を終えて22時から守口市のバーで飲みながらスマホであれこれ調べます。すると、11日に485系『リゾートやまどり』を使用した臨時快速が大宮から吾妻線へ運転される記事を見つけました。
これならサンライズで間に合う!急いで京阪に乗って京橋駅に向かい、閉まりかけの緑の窓口で切符を買うと、リゾートやまどりは残席5でした。京橋のバーに入り直し、時間を潰して大阪駅に向かいます。

 

コンビニで買い物を済ませ、サンライズの発車する大阪駅11番線に上がります。私が乗務していた頃の9・10番線です。機関車が停まっていた切り欠きホームが今でも残っています。ここが11番線だというのが未だに違和感を覚えます。
週末ということもあってか、子供連れの方々もたくさんいらっしゃいました。日付が変わるまで起きていて、今はサンライズに乗るテンションで元気な様子ですが、明日は眠たいでしょうね。
ざっと50名位が大阪駅から乗り込みます。このスジでこれだけの乗車があるのですから、時間を調整してサンライズ銀河、なる列車ができたらいいですね。
今日は喫煙シングルに陣取ります。半年振りのサンライズです。やっぱりワクワクしますね。ハイボールをグビグビやりながら、米原あたりで寝ました。
翌朝は横浜発車後に起床し、慌ただしくシャワーを浴びて部屋に戻れば品川通過後でした。私はサンライズに上りしか乗ったことないのですが、いつも忙しい朝です。
実はネクタイを汚してしまいましたので、そういえば構内にユニクロがあったなと買い物に行きましたが、残念ながらまだ開店前でした。しかし、売店に何種類かありましたので助かりました。駅構内の売店でありながら、ありがたい品揃えです。

 

土曜日なのでお得なグリーン券を買い、東京上野ラインで大宮まで行こうと思いましたが、この時間は暫く直通がなく、上野乗り換えとなりました。せっかくグリーン車で上野東京ラインを満喫しようと思ったのに残念です。しかし、上野からの列車の発車は14番線で、実に廃止前のカシオペア以来となる地上ホームから発車する列車に乗ることが出来ました。これはテンション上がります。地上ホームに行きますと、13番線には何やら取材を受けているクルーの姿がありました。この後、四季島が来るのでしょうか。



上野から発車し、尾久までは車窓が楽しいので釘付けになります。久しぶりに昼間の尾久駅を見ました。中央線での定期運用を終えたE257系が3本、停まっていました。うち一本は、青いラインの塗装になっています。ネットで調べると2000番台というみたいで、やがて『踊り子』の185系を置き換えるのでしょうか、なかなかカッコいいです。あとは『四季島』と、カシオペアの予備電源車がいるくらいです。尾久もものすごく寂しくなりましたね。
ここで朝食。先ほど東京駅で買ったお弁当を広げます。仙台駅こばやしの『黄金うにと数の子いくらかけ』です。これ、2回目の購入です。この後仕事がありますので、渋めのお茶がお供ですが、贅沢な美味しい時間です。

 

大宮に着き、階段を上がりますと、既に臨時快速『四万温泉やまどり』号の案内が出ていました。これに乗ってしまうと3時間以上タバコが吸えないので、構内の喫茶店でコーヒーを頼み、タバコの吸い貯めをしておきます。
ホームに降りてしばらくすると、485系『リゾートやまどり』が入線してきました。たくさんのマニアが撮影しています。運転日が多いのでそんなに珍しくない列車なのかと思いますが、なかなかの人気です。
車内はハイカー、ご夫婦、家族連れにマニア達と多様です。マニアが4割くらいでしょうか。残席5の割には落ち着いた感じです。1両あたりの定員が少ないからそう思わすのかもしれませんし、指定席だけ買っている人が多いからかもしれません。だとすると迷惑な輩です。
座席は253系成田エクスプレスのグリーン車として使用されていたそうで、豪華です。前後の間隔も広く、とてもゆったりしています。リクライニングもかなり倒れ、快適そのもの。これが料金不要の快速なんですから、とても乗り得な列車だと思います。

 

走り始めると懐かしいモーター音!正真正銘の485系です!
車内アナウンスで、群馬デスティネーションキャンペーンの案内があり、この先はいくつかの駅で駅員のお見送りがあるので手を振り返してくださいとありました。そして、高崎までの途中停車駅では、10名弱の駅員さんがのぼりを片手に手をふってくれています。着ぐるみがいる駅もありました。しかし、どれも先頭車付近で手を振っているので、後方に乗った私には一瞬しか見えません。3ヶ所くらいに別れた方がいい気がします。ただ、心憎い演出ではあります。
停車する駅からもちまちまと乗客を拾いながら、先ずは高崎を目指します。マニア達の車内観察が一段落したところで、私も車内を見て回ります。

 

おさらいですが、「リゾートやまどり」は4両編成のお座敷電車「せせらぎ」に、同じく「やまなみ」の中間ユニットを差し込んで座席車に仕立てた編成で、残った「やまなみ」の先頭車が「ジパング」になりました。
この列車は後方の上野方が1号車です。
◆1号車 クハ484-703(元クロ484-7「せせらぎ」←クハ481-1107←サロ481-1504←サロ181-1104)
6号車 クハ485-703(元クロ485-5「せせらぎ」←クハ481-1105←サロ481-1502←サロ181-1102)
この車両達の歴史は凄いですね。1978年6月、サロ181として新潟に新製配置され、上越特急「とき」として活躍し、上越新幹線開通後の1982年10月に1102が、12月に1104が青森に転属し、サロ481となって485系グループに編入されます。
この時、特急「白鳥」として大阪に来ていた実績がありますが、「雷鳥」としては運転されていなさそうです。1985年3月に青森から勝田に転入。1991年2月に先頭車改造され、「ひたち色」を身にまとい、小窓の並ぶ独特な姿で常磐線を快走。
2000年7月に新前橋へ転出し、お座敷電車「せせらぎ」に改造されクロ484-7・クロ485-5に改番。2011年に今の姿となりました。車番どころか形式まで4回も変わる車歴は珍しいものだと思います。

◆2号車 モハ484-703(元モロ484-10「やまなみ」←モハ484-58)
 3号車 モハ485-703(元モロ485- 8「やまなみ」←モハ485-58)
 1972年、仙台に新製配置されたユニットです。東北特急として活躍し、1985年3月、仙台から勝田に転入。1997年12月に新前橋に転属し1999年に改造、改番され「やまなみ」になりました。
 この仙台・勝田時代には上野より西にくる運用は無かったので、これらも「雷鳥」としては運転されていません。

◆4号車 モハ484-704(元モロ484-11「せせらぎ」←モハ484-1071)
 5号車 モハ485-704(元モロ485-9 「せせらぎ」←モハ485-1071)
 1978年、秋田に新製配置されたユニットです。「つばさ」「やまばと」「いなほ」等で活躍し、1992年5月に勝田へ転出し、他車と同じ流れになります。このユニットも上野以東の運用でした。
と、いうわけで「リゾートやまどり」の編成は全車「雷鳥」として走行した歴史は無く、この日記のタイトルとはかけ離れてしまいますが、485系ということで私は満足しています。

  
 

籠原で先行の普通列車を追い越すと、列車は爆走を見せてくれます。それはまさに北陸本線を駆け抜けていた雷鳥そのものの走行音。目を閉じて、485系の力走を体に染み込ませます。わざわざ乗りに来た甲斐がありました。
高崎につく前の放送から、群馬県の観光案内が始まります。その全てに上毛かるたの引用があります。上毛かるたと言われても、そんなに世に浸透しているものとは思いませんが、私は井森美幸さんがメディアで紹介されているのを見て知っていましたし、車掌のアナウンスや車内の空気感も、井森美幸さんのあれだよね、みたいにあたかも市民権を得ている前提であるような気がしたのは思い込みすぎでしょうか。
高崎では10分弱の停車時間があり、観光案内放送でだるま弁当のことを言ってましたので、売ってれば買おうかと売店に行きましたら、見事に売ってましたので買いました。
車内に戻り、久しぶりにだるま弁当を食べます。可もなく不可もなく、ちょっと物足りないお馴染みな味ですが、リゾートやまどりの車内で、群馬県内で食べるからいいものです。
高崎からけっこう一般客が乗ってきました。車内もマニア達も、ここまできたらおとなしくなってきました。

 

新前橋では10分以上の停車。ここで後続の臨時特急草津を待避します。これは折り返し、私が乗る予定の「草津」になる車です。電留線には短編成ながらも211系がうようよしている光景は懐かしさを覚えます。そんな中に、元スーパーひたちの651系が颯爽と入線してきました。お互いに姿は変わったものの、485系と651系が並ぶ姿をみて、かつての常磐線に思いを馳せます。特急「草津」を先にやり、やまどりも発車。10年振り位に訪れた渋川を過ぎますと、初めて乗る吾妻線に入ります。
吾妻線に入ってからも、群馬県の案内が続きます。線路に敷いてる石を採掘してるという小野上駅の案内もありました。ホッパー車が何両も停まっていて、模型にしたくなる光景ですね。
臨時列車らしく、対向の普通列車を待ちながら走りますが、もうすぐ485系とお別れかと思うと、そんな待ち時間がしばらく続いてくれないかと強く思います。名残惜しさばかりの中、列車は終着駅の中之条駅に着きました。
 
 


中之条駅のホームには、観光協会の方々が横断幕を持ってお出迎えしてくれています。改札を抜けると、パンフレットやあめ玉などを配ってくれました。デスティネーションキャンペーンならではの光景なのでしょうか、ふと、指宿に行った時を思い出します。
上りの特急まで一時間ありましたので、辺りを散策します。四万温泉最寄りとありますが、バスでまあまあ走るみたいです。『四万ブルー』と名付けられた景勝地を盛んにPRされてました。頂いたチラシに駅周辺の飲食店マップがありましたので、それを見ながら何か食べようかとブラブラ歩きます。地図に載ってなかったのですが、週末だけ営業されている小綺麗なお蕎麦屋さんがありましたので入りました。4テーブルだけの小さな店内、ご夫婦でされているみたいです。天婦羅そばを頼みましたが、これが絶品久しぶりに美味しい蕎麦を頂きました。会議がなければ瓶ビールを注文したいところでしたが、残念です。だるま弁当を食べた直後でしたが、ペロリと頂きました。

 

駅に戻り、帰路に着きます。次のお目当ては651系の特急『草津』です。651系に乗るのは25年振り、前の乗車から実に四半世紀が経ちました。前回は上野から仙台まで、特急『スーパーひたち』を乗り通した時でした。今の常磐線には後に登場したE653系すらいませんので、時代の移り変わりの速さを感じます。
外見はオレンジのラインが入った程度で、車内に入りますと近未来を感じた角張った形状そのまま、かつてのJR東日本を代表する特急の威厳は存分に感じられました。もちろん、各所くたびれたところも見受けられますが、今でも『草津』として『あまぎ』として、まだまだ活躍に耐えれるのではないでしょうか。折り戸のトイレドアや、曲面アクリルで仕切られた洗面台など、時代を感じさせるものが今になってまた「カッコいい」と思えます。置き換えの話しはまだ無いようですが、なかなか乗る機会もありませんので、グリーン車に乗車しました。東日本の新造車でグリーン車3列シートは、意外に少ないように感じます。その中で時代背景や走行区間など条件が合致して3列シートとなった651系は、贅沢な車内空間になりました。

 

途中、熊谷手前で踏切内に自動車の立ち入りがあったようで、20分近く止まってしまいました。これでは会議に間に合いません。熊谷、大宮からの新幹線乗り換えを調べますが、良い時間に列車がなく、諦めないといけない状況です。趣味に講じて大事な会議を遅刻とは、社会人失格ですね。あとは遅れがどれくらい増えるかが気になるところですが、そこはかつての『タキシードボディのすごいヤツ』(当時のこのぶっ飛んだキャッチコピー、驚きました)、熊谷を出ますとグングン加速し、かつてのスーパーひたち時代を彷彿とさせる飛ぶような走りでグングン遅れを回復していってくれました!これを体感できたのは嬉しかったです。そして上野には10分の遅れで到着。余韻に浸るまもなく常磐線ホームに走り、会議も何とか開始に間に合うことが出来ました。助かりました。

 
  

結局、会議は押しに押して長引き、食事会が終わるころには大阪まで帰るのもギリギリでしたので、諦めて1泊し、翌朝の新幹線で帰りました。買い物をする時間がなかったので、売店でとてもオーソドックスなお弁当を朝食に買いました。これは「駅弁」ではなく、車内販売会社が製造販売しているもので、私たちの時代は、それはそれは食べられたものではないぼったくり弁当だった(一応、私がいたのは西日本の会社でしたので東海さんは別会社でしたが、まあ似たような悲惨なものでした)のですが、この「東海道新幹線弁当」はまた食べたいと思えるほどに結構おいしかったです。
日帰り出張のつもりが、サンライズに乗れ、485系を満喫し、651系の勇姿に触れた、大満足の出張となりました。

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