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ハドリアヌスの城壁

2012-07-14 10:42:51 | イギリス一周 花の旅

 レンタカーでイギリスを走り始めてから6日目

 カーライル(Carlisle)郊外で目を覚まし、朝5時にはガソリンスタンドで給油をしていました。

  

 

  

 写真でお分かりのように、ガソリンスタンドには必ずコンビニが附設されています。

 給油する時は勿論ですが、お腹が空いたり、トイレへ行きたくなったり、顔を洗う時もガソリンスタンドで済ませました。

 

 更には、高速道路のガソリンスタンドではシャワールームを備えている所もあって、昨晩はカーライルのスタンドでシャワーを浴びました。1回に6分間のお湯が使えて1ポンドですから、とても気軽に使えます。

  

  今日はカーライルを出発してローマの遺跡を見ながら東へ向い、ニューキャッスル(Newcastle)の手前で北上し、エジンバラ(Edinburgh)やセント・アンドリューズ(St.Andrews)の植物園を訪ねる予定です。

  

 程なく、ローマンアーミー博物館に到着しましたが、当然のことに早朝のこの時間、博物館は閉まっていました。

  

 ハドリアヌスの城壁と呼ばれるローマの遺跡は、イギリスを支配していたローマ帝国が北の部族の襲撃を防ぐために、イギリスを横断するように117kmにわたって築いた城壁です。

  

 城壁は撤去されたり破壊されたりしましたが、現在でも数カ所で実物を見ることができます。

  

 ローマンアーミー博物館の周囲には城壁が見られなかったので、次の場所へ移動することにしました。

  

  

 丁度この頃、東の空が明るくなってきました。

  

 花を咲かせた石楠花が朝日を浴びて輝いています。

  

  

  

  

 ハウスステッズ・ローマン・フォートに来ました。

 ここはハドリアヌスの城壁のなかで、最も保存状態が良い場所だそうです

  

 早朝なので駐車場は閑散として、インフォメーションセンターに人影はありません。

   

 順路を示す矢印に従って歩きますと、水性植物に覆われた池の横でキンポウゲが鮮やかに咲きそろっていました。

  

  

 散策路の脇にはハクサンチドリに似た花が咲いていました。

 帰国してから「イギリスの野の花」という図鑑を参照しますと、Common Spotted Orchidという植物が見つかりました。葉に斑点があり、高さは15~60cm、花の色は白から紫色まで変化に富んでいるそうです。

 

 周辺は牧羊地ですが、池の周囲は石の牧柵で隔離されていて、この場所には羊が入ってこれません。 

  

  

 昨晩の雨で足元の草が濡れていますので、靴が水を吸ってグチュグチュいい始めましたが、気にせず歩き回りました。

  

 周囲に水路はありませんので、池は雨水が溜まったものでしょうか。

 この辺は池に水を溜めるほどに、雨量が豊富なのでしょうか。

 

 

 木が倒れて、枯れた姿を見せていました。

 冬はどのような気象条件なのでしょう。

  

  

 この場所ではあちこちに羊の糞を見かけました。

 イグサのような植物以外に、周囲に背丈のある草の姿を見かけません。

  

  

 ハドリアヌスの城壁が丘の縁に沿って続いていました。高さは1メートル程です。

 予想外の低さでした。 簡単に登ることができます。

  

  

 城壁に登って見下ろすと、平地にはみごとに区切られた牧羊地が広がっていました。

  

  

 解説によれば、この城壁が作られたのは122~126年のことだそうです。

 日本では邪馬台国の卑弥呼が死んだのは西暦240~249年だそうですから、それより100年以上も前のことになります。

 その後400年続いたローマ帝国のイギリス支配も帝国の衰退により、うち捨てられ、石壁は地元の人々の農場や住宅、囲いに使うために持ち去られたそうです。

  

  

  

 右上の写真で、途中から左方向へ続いている石壁は幅が狭く、明らかに、後から牧羊地の壁として作られたもので、これも多分、遺跡の石を使ったのでしょう。

 

 

 再び、車へ戻って、もと来た道を東へ走りました。

  

 少しずつ陽が昇ってきました。

 今日はお天気が良くなりそうです。

  

  

 次はチェスターズ・ローマン・フォートです。

 ここでは、ローマの駐留兵士たちの施設の遺構が見られます。

  

 駐車場から牧羊地の中を500m程も歩くと、南斜面に遺構が広がっていました。

  

  

 所々に解説板が設置されていました。

  

  

 この場所でも、丘の縁に、ハドリアヌスの城壁が東西に連なっていました。

  

  

 ローマ軍の駐留兵士達はオランダ、フランスやスペインなどから来ていたそうですから、どんな思いで、北の大地で暮らしていたのでしょうか。

  

 こうして、ハドリアヌスの城壁を見ていると、この城壁が作られた頃と、現在の風景はあまり違っていなかっただろうと思えてきます。 

 

  

 この地で牧畜は何時頃から始まったのでしょうか。

  

 「囲い込み」は16世紀から始まったので、ローマ軍が来た頃は、城壁以外はただの草原だったと推測します。

 森の中にこの城壁が作られたとは考え難いからです。

  

  

 人の移動は主に馬が使われたはずです。

 羊か牛の放牧を主とした農業が行われていたと考えれば、この城壁の意味が理解できます。

  

 武力としての北方部族の進入よりは、牧草地を守るための城壁と考えれば城壁の高さが納得できます。

  

 田に稲を作る農業と比較して、牧畜は比較にならない程の面積を必要とします。

 単位面積当たりの生産性は稲作より低いので、人口密度も低くなり、仲間と結束したとしても、自己の放牧地への他部族とその家畜の進入を防ぐ為には、城壁が必要だったのではないでしょうか。

  

 ガイド付きツアーであれば、このへんの解説があったのかもしれません。

   

 それにしても、見れば見るほど、疑問が生じ、好奇心が刺激される光景です。

  

  

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