市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

路地マーケット「文化ストリー」劇場へ

2014-04-05 | Weblog
文化ストリート」で演劇公演と、聞いても、驚きも意外性も感じず、ああやっぱり起きたかという感じしかなかった。ここで、演劇をとは20年も前に提案し、10年前にも試みたが実現できなかったのだから、遂にやったかという感じがするはずだったが、まったくなく、ごく当たり前として、この若者の公演の知らせを受け取ったのであった。なぜそのことを当然として
受け取ったのかと思うと、テント劇の受け入れを20年ほどやっているういちに、廃墟などは、最適の劇場になりうると体験できていたせいである。文化ストリートの演劇公演は、ごく当たり前のこととして受け取れたからであった。

 数年ぶりに路地の入り込んでいくと、きれいさっぱり店は消滅していた。文字通り、柱と天井だけが残った店が、中心部に死火山の噴火口のように穴をなしていた。そこから、4方向に
錆びた鎧戸をのこした店が、暗い通路となっている。どういうわけか、古い看板があちこちで傾いて店に張り付いている。おそらく昭和30年、40年初期のころのデザインで、そのヘタウマな看板字、その配置、なによりも錆びた色彩、この看板をとりまく柱、破れたビニールの室内などに囲まれ、美術品となっている。このあちこちの看板どもは、店主から、取り外す余力もなく取り捨てられたものであろう。ぼくは、ふと、ここで、イヴァ・カッシディの「枯葉」でも聞いたら、目の前の宮崎市アートセンターで聞くよりも、本質的、想像を刺激される音楽を楽しみうるのではなかろうかと、想像するのであった。文化ストリートの入り口には、かって
の繁栄をした店名一覧が掲げられているが、37店舗ある。現在残っているのは、婦人服仕立の
「たなか」とその前の野菜屋さんだけである。

 ただ、こうした廃墟にふたたび、店が開かれている。古着店「Taffee」とキッチンバーという「VIVA LA VIDA」(18:00-24:00)の2店が目を射た。古着店のオーナー久米孝之さんは、ここでのイベント、演劇やフリマ、先週のパーフォマンスなどにも関わってきたということで、
話ができたのだが、ここ2年くらいから若者の企業や街づくり、それにかかわる文化イベントへの関心が注がれ始めているということであった。この廃墟という環境の美、街から失われた手触り感などが見直されだしたというのであった。その意識には、豊かさの意識の否定による豊かさへの問い直しという時代の趨勢を感じさせられるのであった。さて、このいささか社会学的な現状認識については、別項にゆずるとして、まず、ここで実現された文化イベントの一つパーフォマンス・アート」について語ってみたい。

 「第17回ニパフ・アジア・パーフォマンス・アート連続展」(主催日本国際パーフォマンス・アート・フェスティバル<ニパフ>代表:霜田誠二)というのがそれであった。アジア各国から女性4人、男性5人が出演、日本からは、東京から男性2名、女性4名、そして宮崎から男性4名、女性3名が出演している。総勢22名を11名づつ二夜に分けての出演であった。その前後にアーティスト・トークと野外パーフォマンスと、3月14日から17日まで4日間の公演であった。
つまり祭典といってもいいような大掛かりなイベントであったわけである。ぼくが観たのは、
二日にわけられた初日のパーフォマーの上演でけであった。

 活動を終えた文化ストリートの火の消えた10メートル四方の穴(噴火口)は、観客と出演者で埋まってしまった。その観客の目の前、同じ地面で一人10分のパーフォマンスを演じていったのだ。スマホで軍歌をと依頼して、そのかすれた軍歌の伴奏?で、ぼくの両脇にいた連れの女性も男性もかれと短いダンスを演じた。奇妙な崩壊した社交ダンスが面白かった。スマホでの軍歌の伴奏というのがいい。なにも伝わってこず、妙に空ろで、芝居じみているのがいい。おまけに誘うのはベトナムの男性であった。かれがホモ風になるのが君悪くそれがいい。ついで顔一面をガーゼで多い、目の周りと、口だけ空けた包帯顔で、こんな要求をして申し訳ないがと、英語やたどたどしくかんじられうの日本語で、私とキッスをしてくださいと、東京からの女性k.a.n.a.(1987年生)彼女のキスは冷やりとした。なぜガーゼなのか、どうも彼女の説明によると、失礼せぬようにという配慮らしかった。ぼくにとっては、義理チョコよりもうわべのキスをゆるされたような感じであった、失礼などころか、だまされた感じであった。黒い肌着姿を、白い包帯でぐるぐる巻きあげるのに時間をかけ、ついに終わると、いきなり正面のぼくのまえに立って一本の筆ペンをさしだして、その体に描けと言うのであった。とっさにその盛り上がった乳房がある部分に乳首を描こうとしたが、人の顔を描いてしまった。これじゃだめだ。ぼくもパーフォマンスをやるなら、本心をぶちあげなくてはと、その瞬間にきづかされるのであった。かくして夜はふけていった。


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