市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

ふたたびちんどん かれ 都市

2009-06-19 | 生き方
  昨日、自動車で移動しているとき、携帯がなりだして、耳にもっていくと、「かれ」からだった。例のせかせかした口調で日曜21日、イベントをやる、ちんどん屋さんも来る、それと今、チラシの文章を書いている、「人間の生きる都市」というぼくの本の言葉を使っていいかということだった。どうぞどうぞと返事したわけであった。

 それにしても、かれはどこでどうやって、ぼくの本に遭遇したのだろうか。これは本のサブタイトルで「人間の生きる都市を求めて」という部分の言葉である。1992年の本で駄菓子屋、銭湯、豆腐製造、路地、横町、街にあった池や水路と、当時はまだあちこちに残っていた消滅寸前のものをもとめさがして記録した本である。しかし、いまはそのほとんどは消滅している。人間の生きる都市を求めてというようなはんぱなノスタルジーなど意味がないことになってしまった。いや、だからといって人間の生きる都市がないというのではない。この消滅のあとの都市、いわば
それは、崩壊都市、そのばからしさを楽しむことこそ、生きる都市を求めて、ついにたどり着く場所であろうかと思うようになってきている。こうなると、町おこしなどという都市論よ、さらばである。人間はもっと自由で豊かであると思う。町おこし100人委員会で、街は可能であろうか。都市論よまさにさらばである。かれはどうこの言葉をとらえたのであろうか。まあそれも興味しんしんである。
 
 そうか、また公園でのイベントをやるのか。人間の生きる都市ということばで、こんどはかれは、なにを主張するのだろうか、今回もまたあの「こども縮尺」という「1:こども歩き」とわかったようでわからぬ縮尺をつけた町内図のような、文書ができるのではないかと楽しみにしている。それだけでも日曜が楽しみだ。それにまた人の眠った白昼の裏町を花吹雪一座と歩くのもたのしみである。通りはまた芝居の空間になる。
 
 芝居といえばテント劇団「どくんご」の全国巡演は、無事に巡業が進んでいて、別府を皮切りに、山口、鳥取、岡山、京都、福井を経て、6月17日、東京・西日暮里の電車道にそった諏訪神社にテントを設置したとメールが配信された。「どくんごの日々弐」(http://dokungo.seesaa.net/)

 今回の旅日記はなんか明るい。それにテントの場所も目立つ場所に設置できている。5月15日別府市公演では、別府駅前通りにどうどうとテントを特設できた。おりから別府市は街をギャラリーにした現代アート展の最中で、このイベントもうまく溶け合った感じである。人々がテントに興味をもち質問したり、また設営や撤去をてづだったりという情景もあちこちであり、また満席という公演も別府、山口、倉敷、京都とと報告されているのもわくわくした気分を味わえるのである。

 10年もまえは、奇異な目にさらされるか、70年代のアングラ演劇の名残とか、変わった連中でまあみてみるかという見方があたりまえだったが、どうも今回は、はじめから共感、親近感でテントにやってくる人々の様子がうかがえるのだ。

 やっぱり世の中は変わってきたのだと思えるのだ。こういう自分なりの生き方、その可能性のようなものを感じるのではないだろうか。テント一つかかえて、生きていく、自分のやりたいことを懸命にやる、そこに可能性を共感できる、これがあるのではないだろうか。

 2年ほどまえまでは、若者は、自分探しなどということを止め
ます仕事、それも正社員という仕事を獲得すること、これが自分探しよりもはるかにたいせつ、「仕事をしなければ、自分はみつからない」という三浦展の本が妥当性をもって語られることもあったが、その仕事とは、正社員となって雇われるということにすぎなかったのだ。この正社員イクオール仕事の現実は、経済危機でぶっとんでしまった。

 正社員も企業も行政機関も、人がいなくては成立できないという明白の現実的視点を欠いていたのが、三浦展の本ではないか。会社・官公署があって人が存在できるのではなくて、人があってこそ会社も官公署も存在できるのである。このじつにじつに「人がサキ」であるということを劇団テントの公演は、感じさせるのではないのだろうかと思う。

 さて、明後日の日曜日、ぼくらが街を歩くのではなくて、街を歩かせるという意識をふたたび感じ取れると思う。












コメント
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