躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

良いお年を

2006-12-31 21:19:32 | Weblog
娘は元気で仕事も充実しているらしい。
呆けてきているのではないかと、反対に心配された。
(娘を車で駅に迎えに行って、車から降りようとした時、
突然、ドアをあける方法が記憶から消えて、あせりまくった・・・危ない。)
どうしてあんなに自立して生きていけるのかと、
羨ましく思う母親。
美人だし、いいなあ。
とうちゃんの息子も来て、大晦日なのにお正月気分で、
「いいお正月だねえ。」なんて言ったしまったから、やっぱり危ない。

皆様、良いお年を。

そろそろ

2006-12-29 22:09:53 | Weblog
スーパーに行くと、別世界に来たような気がする。
そうなんだ、お正月がそこまで来てるんだとぼやけた頭が認識を始める。
積み上げられたお正月用の食品にげんなりして帰ってきた。
畑では、そんなことに関係なく大根や葉物がゆっくり育っている。
里芋も人参もまだ土の中。
知り合いのうちでは、お正月三が日は質素な精進料理というのが家訓なのだそうだ。
そういうのがそろそろ流行しないかしら。

明日は娘がくるので、畑から掘ってきてコンニャクを作った。
もち米を浸しておいて、玄米餅を作ろう。
Mちゃん待ってるよ。

意地悪鳥

2006-12-28 21:18:22 | Weblog
朝早く、いつもの銃声で目が覚めた。
近くの森の方から聞こえる猟銃だ。
森といっても大して深くはない。
林と言ってもいいくらいなのに、なんで猟を許すのだろうか。
県知事にメールを出そうと思っている。

先日、傷があったのか腐り始めたりんごを、庭のコンポストのふたの上に置いておくと、
2羽のヒヨドリがりんごの近くの枝に来て見ていた。
私は、5、6メートル離れたウッドデッキで、手作業をしながら様子を眺めていた。
私に気付いているらしくて、なかなかりんごをつつきに来ない。
コンポストの周りの枝や薪に飛び移り移っては首をかしげて様子を伺っている。
しばらくすると、1羽がしびれを切らしたようにりんごのところに飛んだ。
ところが、出遅れたもう一羽が、なんと攻撃したのだ。
つがいかと思っていたが、ライバルだったようだ。
先にりんごを食べようとしたヒヨドリは追い払われてもまたりんごを食べようと飛んでくる。
そうすると、また追い払われる。
それが何度も続いたので、ついに最初の1羽が庭からいなくなった。
追い払った方は、りんごの近くの枝に止まっているだけで、私がいるせいか食べる様子はない。
同じ鳥にはあんなに攻撃的なのに、変なの。

次に、小さな鳥が何羽かが、りんごからはかなり離れた所にやって来たのに、
それも追っ払った。
小さな鳥達はすぐに逃げた。

それからしばらくして、やっと勇気を出したように来て、美味しそうに食べ始めた。
そのりんごは、友人が送ってくれたもので、私達が食べても本当に美味しかったので、
「美味しいでしょ。君は生涯そんな美味しいのはもう食べられないかもよ~。」
満足そうだった。
でも、意地悪鳥は嫌いだ。

今日も意地悪鳥が来ていた。
りんごはもうない。
でも、他の鳥が庭に来るとあとをしっかり付けて行って追い払っている。
大きな羽音がしたので見ると、鳩が追っ払われていた。
鳩の方が一回り大きいのに、凶暴な鳥だ。
そうか、それで近頃は鳩の福さんが来なくなったのだ。
庭は意地悪鳥1羽が占領しようとしているのだ。
枝に止まって見張りをしては庭に来る鳥来る鳥全部追っ払っている。
りんごがなくても、私が播いた生ゴミのせいかもしれない。
それに、彼(何故か彼)は椿の蜜も吸う。
秋から春まで次々と椿は庭のいたる所に咲くし、
みかんの木には取り残しがたくさんある。
ここは、彼の天国だ。

それはいいけど、
「なんでみんなと分けないの?あんたみたいな意地悪鳥は嫌いだ。」と、
言ってやった。

夜は、近所の消防団の若者が、消防車に乗って鐘をならしながら、
「火の用心!」「火の用心!」と放送しながら走って行く。
赤い字で「火の用心」のステッカーも、消防費2000円と引き換えにくれた。
煙突があるので、うちの側では言いがいがあることだろう。
あのどしゃ降りの夜もやっていたので、可笑しかった。
いえ、ご苦労様です。


シュトーレン

2006-12-27 22:19:38 | Weblog
夕べの大雨で湖水地方にいるような風景だ。
家の周辺の田んぼはもとより、側の分譲地の道路も膝まで水が溜まっている。
一晩でこんなに風景が変わるのも楽しい。
近所の子供もおおはしゃぎ。
田植えの頃も水が入っているけど、苗があるからこれ程まで湖水地方ではない。
水面にそっくり空が写って、青空も夕焼けも、上下にある。

それにしても昨夜からの暖かさ。
昨夜は、外に出ると生暖かくて驚いた。
夜なのに家の外の方が暖かいのだ。
今日もトレーナーで丁度良い暖かさ。
どうなっているのだろうね。

古い分譲地の友人がお昼ご飯に誘ってくれて、
そのあと、二人でぺちゃくちゃしゃべった。
日常のどうでもいいような話をし合う友人で、
ご近所づきあいの愚痴も多いけど、
変わり者の部類だと自分で思っている私にとっては、
家事をこなすことを第一に考え、
良妻賢母を貫いている友人は貴重な存在だ。
時々、会って話すと、普通の人の正しい考えを聞けて、
自分がどのくらいズレているか確認が出来る。
と言って、ズレを直そうとは思わないのだけど、
普通の感覚は失いたくないから。

でも、もしかしたら今の世の中、
良妻賢母を続けられる彼女の方が変わった人なのかもしれない。
普通って?

パン教室の上級コースの彼女はシュトーレンを焼いてくれていて、
ちょっと遅いけどクリスマスを味わった。
気が付いたら4時。
彼女の家の犬が、何度行っても吠えるのは、
私がお邪魔すると、散歩になかなか行けなくなるせいかな?と今日ふと思った。

もうすぐお正月なのに

2006-12-26 22:56:01 | Weblog
朝霧

ひょんなことで、立花大敬さんの《しあわせ通信》第一集「心はゴムひも?!」を読み始めた。
なかなか面白い。
目標にこころを飛ばしてゴムひもで繋がり、自分自身の心の限定を外してしまえば、
目標に自分がひっぱられて簡単に達成できるというもの。
目標に繋がるのは出来ても、
心の限定を外すというのがなかなかねえ。
出来ると信じきるのって思った以上に大変だ。
潜在意識までも思い込みから外してやらなければならない。
この方法に似たような経験を、今まで知らず知らずしてきた気もするけど、
思い返せばというくらいじゃだめだなあ。
もっと意識的に確実にできたらと思う。
いや、するのだ。(笑)

良く似た話は聞いたことあったけど、
UFOの移動もこの方法でやっていると書いてあって、
UFO大好きの私は俄然本気で読み始めた。
神坂新太郎さんが宇宙人に会われたり、違う次元に行かれたりしているのも、
この方法だと分かる。
UFOに乗りたい~。恐くない素敵な宇宙人に会いたい~。

でもとりあえず、大掃除(小掃除でも)しなくっちゃ。
お正月が来るって気分が全然してないのはどうして?

鶏の愛ちゃん (2)

2006-12-24 23:32:32 | Weblog
「やつでの花」
(写真:とうちゃん)

鶏を飼うにはきちんとした小屋に入れておかないと、
野良犬や野生動物(きつね、ハクビシン等)に襲われる。
小屋を作っても下が地面だと、
キツネ等は鶏小屋のすぐ外側の地面に穴を掘り、内側に潜り込んで入って来るので、
地面から何十センチか下まで、硬いものを埋め込んでおかなければならないそうだ。
もちろん、側面も網などで、屋根もきちんと被っておかねばならない。
そんなものを作るのも大変だし、中に閉じ込めて置くのも可哀想なので、
野良鶏まま餌がもらえるだけ良いとして、自由を第一にしよう。
なにかあっても仕方ない、運命だと思うことに決めた。
案の定、夜中にギャーコ・ギャーコと襲われ反撃しているような短い声も、たまに聞こえた。
でも、朝になると相変わらず、
つやつや緑と黒と白の羽に赤いトサカの綺麗な姿で、餌をねだりに台所の外に現れる。
チャボは闘鶏に使うそうだから、強いのだね。

2月に、家を空けることになり、犬の散歩を業者にお願いした時に、
愛ちゃんの餌やりも頼んだ。
姿が見えなくてもいいから、餌と水をお願いしますという変な依頼を業者の人は面白がった。
10日して帰って来たが、無事だった。
愛ちゃんは強かった。外で大丈夫なんだと安心した。

毎日、愛ちゃんと朝のココココ・・・の挨拶をして、餌をやるのが楽しかった。
そんな日がそれからも1ヶ月ほど続いたある早朝、
愛ちゃんの異常な声が聞こえた。
とうちゃんが二階の窓を開けて、裏庭の向こうの田んぼを見ると、愛ちゃんが見えた。
良く見ると愛ちゃんはこちらを向いて倒れていてギャーと一声鳴いた。
慌てて、1階に下りて靴を履き、庭のフェンスを乗り越えて田んぼに行ってみると、
なんと1分もしないその間に愛ちゃんの姿形は消えていた。
何もなかった。
嘘のように消えていた。
何かがくわえて行ったのだろうか?
それにしては、羽すら残っていなかった。
動物の姿も見えなかった。
本当に襲われたのだろうか?

とうちゃんは、大往生だったと思っている。
最期の一声が私達に向かっての挨拶だったように思えた。

大晦日が近づくと愛ちゃんを思い出す。


鶏の愛ちゃん

2006-12-23 18:04:27 | Weblog
年の瀬になると思い出す、迷い鶏の愛ちゃん。
2001年、12月31日の午後のことだった。
買い物から帰ってくると、玄関に続く庭のアプローチを、
トトトトトと鶏が歩いて入って行くところだった。
鶏だよ。
それも、あまりにも自然なので、わが目を疑った。
犬小屋の前を歩いたけど犬は小屋の奥で寝こけているので、
そのまま我が家というように裏庭まで歩いくではないか。
家の中のとうちゃんに知らせて、捕獲が始った。
やっとのことでダンボール箱に押し込むと、
すっかり大人しくなった。
さて、どこの鶏なのだろう。
綺麗色のな羽だ。チャポらしい。
一番近い農家に連れて行って聞いた。
心当たりを教えてもらって、そちらの農家へ。
うちのではないと言われて、帰りに高級葱(千葉で1,2を争う美味しさだとか)をどっさりくれて、
「つぶして鍋にすれば?」
こういうのを鴨葱というのかな?
(葱は、太くて軟らかくてとっても美味しく、確かに高級葱だった。)

つぶすなんてできないから、飼うことにした。
(その時飼っていた犬も野良犬で、やっぱりアプローチをトコトコ入って来たものだ。)
チャボのオスだと農家の人が言っていたが、
あまりに綺麗で、可愛いので、
愛子様に因んで、愛ちゃんと呼ぶことにした。
野良犬だったテツが繋がれているのをいつも可哀想に思っていたので、
愛ちゃんは自由にして欲しくて、鶏小屋を作らないことにした。
デッキの床下に枯草を敷いてやったけど、
台所の側の藪の中が気に入ったらしく、
夜になると入っていってねぐらにしていた。
愛ちゃんはすぐになついて、手から餌を食べるようになった。
朝、私たちが起きて台所に行くと待ち構えていて、
ガラス戸の外でコッコッコッコッ・・・と餌を催促する。
それが可愛くて、あれやこれやと餌をやった。
その他にも土の中のミミズを捜して、昼間は1日中といってよいほど食べる。
姿が見えないときは、「コッコッコッコッ」と言って呼ぶと、
すぐに藪の中から出てくる。
鶏ってなんて可愛いのだろう。

しばらくは裏庭と藪が愛ちゃんの行動範囲だった。
ある日、愛ちゃんは庭の木立の奥まで行動範囲を広げた。
ほとんど吠えない犬のテツが、愛ちゃんに気付いたのか吠えた。
テツの小屋はアプローチにあるので、裏庭とは離れていてそれまではお互いに気付いていなかった。
テツの声を聞いたとたんに愛ちゃんは、片足を上げたまま、フリーズ。
微動だにしない。まるで剥製だ。
テツは1度吠えたら大人しくなって、特に気にしていないようだったが、
愛ちゃんは片足で30分もそのままだった。
鶏の根性は凄い。(気が小さいってことなんだろうけど)
見てる方も疲れた~。けど可笑しくて・・・。

夕方は早くから、藪の中に入っていく。
木の上で寝ているのかどこで寝ているのかわからない。
夜中の2時頃に「ゴゲゴッゴ―」と鳴くことが時々あって、
愛ちゃんは年寄りだったのだと分かった。
オスで年寄り・・・・愛子様ごめんなさい。



地球の回る音

2006-12-22 14:50:06 | Weblog
「鳥」
(写真:とうちゃん)

くるくる回るコマの先にからめ取られて、
ほわほわの綿の雲の中から、糸が紡ぎだされる。
落ち葉が重なる庭では小鳥達が餌を捜している音。
かさ・かさ・かさ・・・と。

インディアンのおばあさんの話を思い出す。
他のみんなが重労働をしているのに、一日中じっとして目を閉じている。
白人の青年が聞いた。
「こんなに忙しい時に何をしているのですか?」
おばあさんは、言った。
「しっ、しずかにして。今、地球の回る音を聞いているのだから。」

地球のまわる音を聞けたらなあ。
くるくる回る地球。
くるくる回るコマ。
よりをかけられ、糸はしっかり糸になる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日の田舎物件は、やはりペケ。
(ごめんなさい、お家さん)
その家専用の道路があるなんて聞かされて、
とっても素敵と思うのは、経験上、もう止めにしていたけど、
冷凍庫付きの宅配便が来られるのかしらと思えるほどの、
細い急な坂道を登って行ったところにその家があった。
引越しのトラックはどうするのだろう。
入って来たとしても、Uターンが出来そうもない。

でも、確かに、ロケーションは良くて、
離れた所に隣家の納屋の屋根がちょこっと見えるだけだ。
それなのに、下の道路からの騒音が聞こえる。
街の人ならともかく、とても私には我慢できない。

とうちゃんは裏山に消えた。
裏山もこの家の敷地内だ。
ほんのちょっと登ると尾根に付くので、向こう側を見に行ったらしい。
帰ってきた話を聞くと、産廃跡があったそうだ。
やれやれ。

「もう止めようね、この田舎物件捜しの趣味は。」と、言おうとしたら、
今度は、岬の山の天辺の、人が歩いてしか登れない家を見たいという。
そんな家を建てた人がいるのだ。

師走の日

2006-12-20 21:37:31 | Weblog
「かまきりの最期」・・・やさしい葉っぱ
(写真:とうちゃん)

だんだんお正月が近づいてきてるね。
もち米を玄米で10キロ、有機無農薬のHさんのところから買ってきた。
いつもおまけで、野菜をいただく。
今回は泥葱と人参。
作るのは苦手な作物なので大助かりだ。
去年餅つき機を買ったので、今年も玄米餅に挑戦する。
滑らかにならなくて・・・・それでも美味しいのだけど。

お正月までにもう一度こんにゃくを作ろうと思う。
コンニャクイモはたくさん土の中にあるはずで、
3年物ばかりだから、4年目の来年は花が咲いてしまって、
イモはなくなってしまうという。
花はとっても臭いらしいよ。
この辺の農家では、お正月の料理に自家製のコンニャクを食べる習慣があるようだ。

明日は、雨だというのでストーブの焚き付け用の杉の葉を拾い集めた。
隣地の杉の木から落ちたのが、屋上に溜まっていたので、
掃除を兼ねて集めたら、ダンボール一杯分集まった。
それから、セージの枯れた茎を短く折ってこれも焚き付け用に取っておいた。
まだまだいい匂いがした。

とうちゃんの趣味(?)で、明日は、また、山の方の家を見に行く予定だ。
毎日この家の庭の手入れをしながら、よくもまあ次の家のことなど考えられるものだと思うのだけど、
実際を見るまでの夢なのだからと反対しないで付き合うことにした。
山の尾根近くで、周りに家はないという。
きっと大した所じゃないと思うんだけど。
この家が一番似合っていると思うんだけど。

それにしても、また忘れている大掃除。

古い自転車に乗って

2006-12-19 18:00:56 | Weblog
「彩雲」
(写真:とうちゃん)

母にお歳暮と一緒に赤いカラスウリを送ろうと思った。
この家の初代の人の古い自転車をひっぱりだした。
錆びだらけで、ぼろぼろになったタイヤ、荷台には板が取り付けてある代物だけど、
気に入っている。
私の自転車はあったのだけど、旅行に行く時に乗って出て、
駅前の自転車置き場に鍵をかけ忘れたまま1週間ほど置いていて、盗まれた。
あったりまえだね。
とうちゃんは、年賀状印刷に忙しそうなので、
ひとりで♪サイクリング・サイクリング・ヤホー・ヤホー・・・・ギーコ・ギーコなんだけどね。

5分くらい行くと水路があって、葦とススキの土手が続く。
360度林が見えて、いつもほとんど人気がない。
その水路の橋を渡ったところに、槇の林があって、
クリスマスのイルミネーションのように真っ赤なカラスウリがたくさんぶら下がっている・・・・はずだった。
槇は全部切られてしまって畑になっていた。
ショックだったけど気をとりなおして、寄り道のサイクリングをして、
近くの林で、カラスウリをゲット。

そうしたら、今度はワレモコウを思い出した。
小さなボンボンの濃い赤い花が母は好きだと言っていた。
野草なんだけど、だんだん少なくなっているらしい。
秘密の場所を知っている。
とりあえず、帰り道にお煎餅工場の直売所でお煎餅を買った。
それから、家の近くに続く水路の所に来て自転車を止めた。

飛び越すのは無理という程度の幅の水路に、
木の電信柱を2本渡して橋にしている場所なのだ。
2本の間は30センチほど離れているし、
おまけに1本は端が腐り始めているけど、
秘密の場所への近道なのだ。
犬を飼っていた頃は、抱っこしてこの橋を渡ったことを思い出して懐かしい。
夏には草が生い茂ってマムシが恐くて入っていけない場所。
冬になると草は少なくなってマムシも出ないけど、今度は猟銃を持った人がやってくる。
スリリングな場所でもある。

時期が遅いのでだめかと思ったけれど、まだ赤い色が残ったままドライフラワーのようになったワレモコウを見つけた。
森の木と野原の枯草を見て、出会いの一本松に挨拶をして、
もう一度、電信柱の橋を、右足は右の電信柱を、左足は左の電信柱を、
よっち・よっちと歩いて渡って、自転車の所に帰った。

古い自転車が待っていた。