躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

綿のことあれこれ

2006-11-30 20:55:36 | Weblog
「和綿」
(写真:とうちゃん}

5、6年前、何かの雑誌で見て手紙を出し、和綿の綿の種を鴨川のTさんに頂いた。
和綿は日本の綿のことで、花が咲き終わるとコットンボールが下を向いて出来る。
雨の多い日本向きだと聞いた。
洋綿よりは少し繊維が硬くてしっかりしているが、短い。
と言っても、綿は綿なのでふわふわなんだけど。

私が畑で作っているのは、この白い和綿と、茶色の(多分)和綿と、緑色の洋綿(外国の綿)だ。
茶と緑は友人から貰った。色つきの綿を見たのは初めてだった。
この友人とは、私と同じように白い和綿の種をTさんから貰った人が、
同じ町内にいることを知って連絡を取ったことで知り合ったのだ。
友人はその後福島の山村で本格的田舎暮らしを始めたが、
そこは寒いので綿は出来ないという。寂しいそうだ。
来年もう一度挑戦するというので、種を送ることにしている。
お返しができる。

鮮やかでカラフルな織物をペルーの博物館で見たことがある。
インカ以前の遺跡から発掘されたと言うことで、綿そのものの色の糸で織られている。
昔からたくさんの種類の色の綿が栽培されていたのだ。
一度赤いコットンボールを見てみたいものだ。

綿は良く交雑するようだ。
少し離して種を播いたのに、茶と緑は白と混ざって薄くなってしまった。
面白いでしょ、白が強いの。
あと、茶と緑が混ざると(多分白も混ざっている)獣色。
混ざっていやだなあ、と思っていたんだけど、今年は種に近い部分だけだけど紺色のが見つかった。
来年はこれを隔離して播いてみるつもり。
思わぬ遺伝子が現れて色が違ってくるなんて楽しい。

緑の綿の種にはちょっと苦い思い出もあって、
知り合いの男性が来て台所に置いてあった緑の種を見つけた。
近所の子供達を集めて畑をしていると言うので、その種を上げたのだけど・・・かなりたくさんで、しかも交雑がまだ少なくてかなり緑だったのに、
その男性、種をポケットに入れて家に帰ったもののすっかり忘れてしまったらしい。
トイレに入ってポケットに手を入れると何かゴミのようなものがあるので、
良く見ないで、ついトイレに捨てて流してしまった!
後日、とうちゃんがインターネットで偶然緑綿を見つけて、値段を見てびっくり。
6粒が3000円なのだった。
気にするだろうから知り合いには言わなかったけど、こんなことになって、
気楽に上げたのは後悔している。
後で見てみると、手元に残ったのは混ざりが多いのばかりだったから。
そして、毎年緑は薄れていっているのだ。

中国の新疆ウイグル自治区をバス旅行した時、一面の綿畑のところを通った。
新疆綿(しんきょうめん)は長長綿で、とてもいい綿だそうだ。
しかし、気温が50度にもなる中での綿摘みは大変な労働で、
あの軽い綿を10キロ摘んでも150円くらいしか労賃がもらえないと聞いた。
それでも、出稼ぎ者が来て摘むそうだ。
私は体の具合が悪くてバスを降りられなかったけど、
他の人は降りて綿摘み体験をしていたが、30分もしないうちに
根を上げてバスに帰ってきた。
日差しはきつく、暑くて乾燥している。
アメリカでは黒人奴隷が綿摘みをさせられたのを思い出す。

世界の耕作地のうち0,8%が綿畑で、そこで、世界の殺虫剤の25%が使用されているという。
そんなに農薬が必要なのだろうか。
確かに苗が小さいうちは虫に食われてなくなってしまうのもいくらかあるけど。

この辺でも戦後まで綿が栽培されていたらしい。
畑の側を通る農家の人たちが懐かしがって見ていく。

今日は自分で作ったスピンドル(こま)で、糸紡ぎをした。
原始的な方法でとても効率悪いけど、こういうの大好きなの。


優しい人たち

2006-11-29 21:31:19 | Weblog
夕飯の里芋を掘りに行って、夕陽が沈むのを見ていた。
後ろの方から足音がした。
大きなスコップのを持って仁王立ちしていたのを見られちゃった。
いつもの農家の年配の女性が犬の散歩で通りかかったのだ。
「出来はどうでした?」と聞いてきた。
「こんなのですがどうなんでしょう?」
と里芋を株ごと見せると、「こんなものですよ。」と。
優しいなあ。
農家のは絶対にこんな小さな筈はないもの。

家に帰ってしばらくして、庭で声がするので出てみたら、別の農家の女性だ。
やはり犬の散歩でいつも畑の側の道を通りかかる人。
60代の元気な声の女性なんだけど、元気がどこか切羽詰っている気がしていた。
道路ではよく立ち話をするけれど、うちに来たのは初めてだ。
薄暗い中、ブロッコリーをひとつ持ってきてくれた。
犬の散歩のついでなので、いつもの犬も一緒だ。
「椿が多いねえ。もう咲いているのもあるねえ。」
「そうなんですよ。今年は早くて。」
きょろきょろ見ている。
「庭が自然でいいねえ。」
ぼさぼさで驚いた筈なのに、優しいなあ。
「今度、ゆっくりお茶を飲みに来て下さい。」
「ありがとう。ゆっくりお茶を飲んでる暇がないのよ。
おばあちゃんが、93でしょ、この間転んで骨をおってるらしいのに、病院へ行かないって言ってね。」
「大変ですね。」
「そうなのよ、あれしたか、これしたかとうるさいの。
40年も嫁をしたんだから、会社だって40年働けば定年でしょ。もう嫁は定年で止めたいといってやったのよ。
会社なら退職金も出るのに何にもくれやしないってね。ははは。
この間なんてちょっと言いたいこと言ったら、『覚えてろ!』だってよ。」
ひえ~、すごいおばあちゃんをかかえてるんだ。
元気な声がどこか切羽詰って聞こえたのはそのせいだったのか。
家に縛られて限られた範囲で日常を過ごしている彼女には、
私のような新参者と知り合ったことでも、世界が広がった出来事だったのだろう。
たくさんの資産があっても、農家のお嫁さん(未だに)は大変だ。
この女性には家にふたりの息子さんがいて、「40になっても結婚しないのよ。」
しないと言うより来ないのだろう。
「また、来るからね。」と、長年の労働でO脚になった足で、
犬を引っ張って帰って行った。

キャンセル

2006-11-27 20:32:52 | Weblog
12月に行く予定だったツアーの帰りの直行便が変更になったと、
2、3日前に旅行会社から連絡があった。
乗り継ぎは疲れるので、直行便を利用したツアーを選んだのに・・・
日本と反対の方角に飛んだ所で乗り継ぎなんて、あんまりだ。
航空会社のオーバーブッキングということだけど、10日前にそんなのあり~?
その他にも朝4時半の飛行機で移動なんて日があって、(起きるのは2時台だよね)
旅行会社の都合による変更なので、契約で出発1週間前でも全額返金してくれる。
それで、急遽キャンセルをした。
来年に延期することにして、しばらく普通の生活をしています。
だから、忘年会もOKです。
今は彼地に呼ばれてないってことかしら。(ぶつぶつ)

なんだか気が抜けたので、ストーブの前でコットンボールから綿をちぎり取りながら、
ぼ~としていたら、幸せな気分になった。
大好物の花豆を煮始めたらここがいいなあと思った。
今は自分ともっと一緒にいたいのかもしれない。

そのうち幽体離脱とかできるようになれば、(ほんとかなあ、別にその修行とかしてないよ。・・・とりあえず死んだら)
どこでも好きな所へ瞬時に行けるだろう。
時間も超えて。
宇宙にも飛び出せるかもしれない。
楽チンだし、オーバーブッキングもない。(はず?)
地球の始まりとか、人類の成り立ちとかわかれば楽しいだろうと思う。
私が何者かがわかればもっと楽しい。
以前も書いたかもしれないけど、インディアンのシャーマンに、
私の魂はすご~く昔、ムー文明よりも古い、超古代から地球にいたと、
唐突に言われたことがある。
あまりのことに唖然として、
おまけに英語だったのでろくに質問もできずに、そのまま信じてるような信じてないような・・・
それにしても、そんなに昔からいても成仏できない私って?
別の星にも生まれたりして、また地球に来たらしい。
うーん、魂まで旅行好きか。きっとツアーだ。

こんなばかなことをとりとめもなく考える時間も好きです。






子供嫌い

2006-11-25 21:49:58 | Weblog
近所の僕ちゃん達、小学生と幼稚園。
私達は彼らが好きじゃない。
彼らも私達が嫌いだ・・・というより「恐い人達」とおばあちゃんに洗脳されている。
それで、私は外であっても知らん振り。
もちろん以前は「こんにちは」って挨拶してあげてたのだけど、
絶対に返事の挨拶がない。
私は大人で、こんなの嫌だから、鳩ぽっぽの形のお菓子を上げて仲直り(?)と声をかけたら、
なんと、逃げられた!んだよ。
しかも、兄が弟に「逃げろ~。」と言ってたぞ。
頭に来て、それからは会っても透明人間のように彼らは居ないと思うことにした。
僕ちゃん達は、挨拶なしで平和だろうな。

どうして、おばあちゃんが私たちのことを「恐い人達」にしたかというと、
共働きの息子さん夫婦の手伝いに、日中だけ隣町から来ているのだけど、
通学距離が3キロの学校や幼稚園に、僕ちゃん達を車で送り迎えしている。
甘やかしのばあちゃんは、先に車に乗りこんだ僕ちゃんがクラクションをうるさく鳴らすのを、
注意している声はするけど、許していた。
毎日毎日続いたので、たまりかねてとうちゃんが怒って行った。
それから、「恐い人たち」になった。
あの人たちには気をつけなさいといわれているらしい。
やれやれである。
あれからは、話し掛けても絶対に返事がない僕ちゃん達。
今では、子供嫌いになってしまった私。

今日は空き地のススキの林で僕ちゃん達が遊んでいた。
ばあちゃんの大きな声が聞こえた。
「やめなさい。茅でお手て切ると痛いよ。」
田舎のワンパク坊主が茅で手を切ったてどうってことない。
体験すれば、解かるって。
それに、小学生に「お手て」かよ。
雨上がりの度に、水たまりで遊んでいる僕ちゃん達に、ばあちゃんの声がする。
「靴がよごれるでしょ!」「服が汚れるでしょ!」「あ~こんなに手が汚れてる。」
ばあちゃん、折角の自然の中、もっと楽しませてあげてよ。
都会の親子たちなら泣いて喜ぶ環境なんだよ。
なんだかおデブの僕ちゃん達の将来が心配で・・・・おっと、私は子供嫌いだからね。
どうでもいいわ、あんな子たち。

晩秋の夕暮れ時

2006-11-24 22:30:33 | Weblog
久しぶりに鍬を持って畑仕事をした。
夕陽が落ちるころ、畑の側を農家の友人が通りかかった。
しばらくぶりなので、近況など、とりとめもなく立ち話をする。
別の農家の人も通りかかって、ああだこうだと畑の話になった。
振り向いたら、夕陽は沈んでしまって、三日月が光っていた。
「しまってくださいよ。」と言われて、別れた。
この辺の農家の人達の、お互いの一日の労働を思いやる夕方の挨拶なのだろう。
実家の方では「置かんで?(置きませんか?)」と言っていたように思う。
それから、「暮れました。」と、言うのもあった。
(子供のころは大人のこの挨拶を聞いて、何を貰ったのだろうと思ったりしたものだ)

「秋の日のつるべ落とし」というように、傾いた夕陽はあっという間に沈む。
すると、とたんに寒くなるこの晩秋の、野良仕事を終えるこの時間の、
この独特のピンとした空気。
そして、静けさに落ちていくように戸外の景色が夜に包まれ始める。
そんな時は、なんでもない挨拶にも温みがこもる。
遠い記憶からなつかしさが染み出してきた。
子供の頃の顔ぶれではないのだけれど、
子供の頃の言葉ではないのだけれど・・・・

日本の農村はどこも同じ温みを持ったそれぞれの挨拶があるのだろう。

プチ田舎暮らしがいい。

2006-11-23 23:18:31 | Weblog
街の友人ご夫婦と、都内の若い友人の3人が遊びに来てくれた。
お互いのブログで、近況は良くわかっているから、
「毎日話してるみたいな気分よねえ。」なんて、言いながらも、
まだおしゃべりできるなんてね。
まだまだしゃべり足りなかったけど~。
友人たちに街の空気を感じながら、楽しい一日だった。

若い友人はパソコンまで持ってきてくれて、
私が見たかったBSのテレビ番組の録画を写してくれた。
ネイティブアメリカンの人たちが、環境破壊をする企業や国に対して母なる大地を守ろうとして立ち上がっている。
白人が来るまでは、自然と共に謙虚に生きてきていただろうに、
迫害と虐待が繰り返され、
今もなお、生活の糧を得る自然をも破壊され奪われる危険にさらされている。
それは、文化の破壊でもあるのだ。
(同じようなことが世界中で、そして日本でも行われたのだ。)
カナダに住むネイティブアメリカン主催のギャザリングに行くツアーで知り合った友人たちと、
共感しながら一緒に見ることが出来て、嬉しかった。

こんにゃくもなんとか食べられることができて、
優しい友人たちは、お持ち帰りまでしてくれた。
帰る頃には雨が降り出して、重たいのに大変だったろうなあ。

福島の山村で田舎暮らしの友人に、こんにゃく作りの報告の電話をした。
こんにゃく作りもいろいろ方法があって、「奥が深いよねえ。」と話した。
それから、彼女の田舎暮らしの愚痴がちらっと出て・・・
本格的な田舎暮らしは大変なのだ。
人間関係も気候も。
やっぱり私にはプチ田舎がいい。
そこそこ気軽な距離で、こうして街の友人達に会えるプチ田舎がね。

また、来てね~。
しばらく会っていない人達も~。

自分のところへ

2006-11-22 21:56:27 | Weblog
「朝露」
(写真:とうちゃん)

こんにゃくが上手く出来なくてめげてしまった。
それで、福島まで電話して友人に聞いた。
まあ、なんとかこんにゃくではあるのだけど、
あ~、昨日、書かなきゃ良かった。(笑)

このところ、毎日いろいろな人と会う日が続いた。
今日も、おしゃれ分譲地の友人のサロンで、
地域で活躍している人たちにお会いして、お話をした。
行動力がある人たちは元気だ。
元気だから行動するとも言える。
現実の社会に入っていって、行動することを、
少し目指そうと思っていたのだが、
私にはすごく疲れる。
たくさんの人がいると、益々疲れて頭がパニックになって来る。
向いてないんだ。
いろんな波動が飛び交うところは苦手。
静かに(自分はうるさくても)少人数で、向き合っているのがいい。
「疲れたよ~」と、とうちゃんに言ったら、
「近頃、夕陽を見に行ってないし、ぼーと鳥の声を聞く時間も少ない。
それに、畑にゆっくりと行っていないんじゃないの?」
そうか、土と一緒になる生活をしていない。
人それぞれ向き不向きある。
ゆっくりとした、日常を送ろう。
(それ以上?と言われそうだけど)
空と、土と、小動物たちと話しながら。
それに、ここのところ鬱になっていなくて、
それはそれでいいのだけど、しばらく自分のところに帰ってみよう。

こんにゃく

2006-11-21 23:27:30 | Weblog
「伐採の焚き火」
(写真:とうちゃん)

札幌出身の友人が大好物だと言っていたお菓子を、札幌土産に買って来た。
忙しくしていたので、やっと今日持って行った。
「ごめんなさいね、遅くなったのでもう賞味期限が近いかもしれないけど早く食べてね。」
と、賞味期限を見たら、今日だった。
やれやれ。

こんにゃくを植えっぱなしにして、3年ものになった。
明後日は、お客様なので、手作りこんにゃくを作ろうと思い、
畑に掘りに行った。
もう地上部(茎や葉っぱ)は跡形もなくなっていて、
見当をつけて掘っていったら、あったあった、大きいのが出てきた。
直径20センチ以上、重さ3キロ。
3年物はすごいわ。
たくさん出来そう。
なんせ、コンニャクイモ1キロに対して、水2.7Lと混ぜるのだから、
ひえ~の量になる。

こんにゃくいもを切っていると、花の香りがしてきた。
まさかとは思ったけど、コンニャクイモの香り。
何度か作ったけどこんなの初めてだ。
今までは、買ったものだったけど、今日のは我が家の堀りたてのものだからだろう。
控えめな甘い香りにうっとりしながら、
こんにゃくいもを水の中で、おろし金ですりおろす。
私の手は、漆にでもかぶれない丈夫な手なんだけど、
相当あくが強いらしくて、さすがに素手では痒くなってきたので、
ゴム手袋をしてゴシゴシおろした。
ミキサーで混ぜるとあっという間に出来るのだけど、
手で出来るものは手でしてみようと・・・近所のおばあちゃんはおろし金だし。

作り方はいたって簡単。
だけど、時間がかかる。
明日には固まったこんにゃくを、小分けにして大きなお鍋でゆでる。
量が多いので、時間はたっぷりかかりそう。
それから、水にさらして、明後日食べるのに丁度いい。
スロー、スロー。

固まり始めたら、花の香りはしなくなった。
作った人にご褒美だったようです~。

もちろん刺身こんにゃくで食べなきゃ。
だけど、煮物にしても味がしみて美味しい。
市販のこんにゃくとは全然違う味だよ。

多分

2006-11-20 22:12:15 | Weblog
鳥達
(写真:とうちゃん)

午前中は気功教室。、
午後はダブルブッキングってやつだったのだけど、
雨のお陰で、片方が中止になった。
それで、上手い具合に約束を破らなくてすんだ。
近頃、頭の回転数も落ちてきたので、
いい加減なことをしてしまうけど、なんとかなるものだ。

その約束というのが、
友人の家に来る健康関係のおじいちゃんを囲んで、昼食とお話を聞くというもの。
なんだかよく分からないけど、お昼ご飯に釣られて行った。
おじいちゃんは、やっぱり良くわからない人で、
友人とお母様は先生と呼んでいる。
万能薬を開発した人らしい・・・多分。
あっちの世界のことも知っている・・・多分。

便秘をしているということは、食物のかすが腸にずっと溜まっているわけではないのだそうだ。
発酵してガスになって、体の細胞の中に入ったり、体の外に出て行ったりするのだそうだ。
断食などで宿便を出すのは、体中の毛穴からきれいな気が入って来て、
細胞の中の汚れを取って便にして出したものだそうで、
実際に解剖して腸を切って中を見ても、黒いものなんかないとか。
ふ~ん、そんな気もする。

病気はありがたいものだ。
こんな生活をしていちゃだめだよと教えてくれているのだからね。

親が勝手に産んだわけではなく自分が決めて生まれて来たんだよ。
この世で、霊格をレベルアップするために。
金や名誉に執着が強いと争いになり、その世界から抜け出せなくなる。
それが、地獄というものだよ。
まず、真人(しんじん)にならなくてはね。

日本ほど良い国は他にはないのだから、
もっと自信を持たなくてはいけないよ。

助けてあげますなんて看板を上げている宗教は、
自分(宗教側)が助かるためのもので、
他人を助けたりはしないものさ。

食べなくても、水なしでも生きていけるのだけど、
人間に思い込みがあるからだめなんでよね。

よく見れば皺の少ないヨーダみたいなお顔。
小さな体。
何者だったのだろう。
よくわからないけど、すごい方だったのかも・・・

(maloさん、あの石井先生と同じ「キ」の字を書いたんだよ)

ハスに構えている人?

2006-11-18 18:10:24 | Weblog
『パイナップルセージ』
(写真:とうちゃん)
http://www.geocities.jp/uchunohibiki/index.html

万両の実が赤くなってきた。
この家に私たちが引っ越して来てから、万両が庭のあちこちに増えている。
鳥が運んでくるのだろうか。
白い万両も見つけた。
枯葉が増えて寂しくなってきた庭に、赤い実はうれしい。
ピラカンサスと南天の実も赤い。
山茶花も咲いている。
今年はとても早くから咲き始めた。

畑には、赤いパイナップルセージの花。
パイナップルセージは寒くなったこの時期に、燃えるように咲く。
花が少ない時期でもあり、よけいに赤が目立つのだ。
犬の散歩なのか、ご自分達の散歩に小さな犬を無理やりつき合わせているのか、
よく畑の側の道を通るご夫婦がいて、
「これこれ、今朝のテレビのガーデニング講座でやっていた花よ。」
と、パイナップルセージに駆け寄ったことがある。
そーか、ガーデニングの花ねえ。
私は犬よけ人よけ・・・つまり、畑と道路の境を散歩の人に意識してもらって、
「入ってこないでね。」というために植えたのだけど。
でも、ちょっぴり自慢で、花のついた枝を何本か手折って差し上げた。

えんどう豆が芽を出し始めた。
「がんばってね。」と、言ったけど、できたら食べちゃうのだからねえ。
人間って残酷だわなんて思うけど、
人間に食べてもらって、気に入ってもらえれば、種を出来るだけいい環境に播いて貰えて
子孫を繋げて行こうという植物の企みもあるかもしれないし・・・なんて
いちいち考えるから疲れるんだけど、これが結構楽しいんだわ。

ナスの小さなのが5個も出来ていたし、まだ花も咲いている。
よその畑では、とっくの昔に(言葉どおりにとらないでね)ナスは姿を消しているのに。
出足が悪いくせに、しつっこいのは私似なのかしらね。
そう思うと、よけいに愛しいので(?)美味しくいただきます。

とうちゃんは、薪ストーブ用の木をストーブに入る大きさにチェーンソーで切る仕事が忙しくなった。
「薪ストーブなんてすてき~」なんていう人は薪作りをやってからにしてね。
木を貰うところを捜すところから始って、
車で運べるような大きさに切り、重いのを車に運びこんで家に持ち帰る。
それから、重いのを車から降ろす。
ああ、保管場所も確保しておかなければです。
それから、乾かして、切って、割って、乾かして・・・・・
その時もあちらからこちらへと何回も運んでは並べる。
薪割りは、やり慣れない斧は危険だからと北欧製の手動安全薪割だ。
ギロチンみたいなやり方なんだけど、(この方がイメージとしてはよっぽど恐いね)
これも、結構体力が必要だ。
乾かすのは1、2年がいいらしいけど、うちでは2年はとても無理。
間に合わなくて数ヶ月で燃やしたこともあるけど、燃えも悪いし、煙突に煤(すす)がつくのが多くなる。
そうそう、煙突掃除と、ストーブの掃除も煤だらけで大変だぞ~。
でも、燃える時はあっという間。
寒くなると、大きなダンボール一箱1杯位では、とても1夜分にはならないよ。
昼間も焚くようになるともうそれはそれはたくさん使います。
薪割で汗をかいて温かくなった方が早かったりして。
どうでしょうか?
やっぱり、エアコンはお手軽ですぞ~。
でもね、今燃えてるのはあそこのあの木で、
こんなことがあったよねえ、なんてお世話になった人たちのことも思出したりなんかして、
愛しくて、よけいに暖かいんだよね。
(それに、大方はとうちゃんの仕事だから。私は火に薪をくべる人。感謝しなくっちゃ)

先日、知り合いが編集製作したミニコミ小冊子が送られてきた。
私たちのことを紹介したコーナーもあったのだけど、
『ロハスな人たち』のコーナーだった。
ロハスっていったい何?ってとうちゃんに聞いた。
「ハスに構えてる人」ってことではないらしくて、ほっ!