とんびの視点

まとはづれなことばかり

4%しか知りません

2010年11月24日 | 雑文
もうだいぶ前のことだが「ダークエナジー」についてテレビで放映しているのを見た。細かい記憶は薄れているのだが、「ダークエナジー」とは宇宙を構成しているものである。「もの」と言っても物質ではないと思う。ダークエナジーの他に「ダークマター(暗黒物質)」というものが存在するから。ちなみに、ダークエナジーやダークマターの「ダーク」が意味するのは、人間が確認できない仮説的な存在である、ということだ。

つまり、ダークエナジーもダークマターも人間が直接その存在を確認することは出来ないが、その存在を想定しないとこの宇宙の成り立ちをきちんと説明できないような「もの」のことである。ちなみにこの宇宙においてダークエナジーの存在は73%、ダークマターは23%、そして私たちが存在を確認できるもの(元素とか銀河?)はたった4%である。言い換えれば、自分たちの理解の仕方で宇宙を捕えようとした時に、私たちが実際に捕えられるのはわずか4%で、残りの96%は想像(推論と言った方が良いか?)の対象になる。

さてダークエナジーだが、近ごろの研究成果によれば、ダークエナジーには「引力」と正反対の力が働いているらしい。「引力」というのは空間的に離れた物体がお互いにひき合う力である。ダークエナジーはその反対だから、物体が互いに離れようとする力のことである。さらに大切なのは物体同士が離れれば離れるほどその力が強くなるということである。

物体が離れるほどお互いが離れようとする力が強くなるという発見のどこが重要かというと、宇宙の理解が大きく変わってしまう点である。宇宙はビッグバンに始まりその後、膨張を続けていることになっている。この膨張がその後も続くのか、止まるのか、或いは収縮に向かうのか、その辺り諸説あったような気がする。

しかしここにダークエナジーの力を持ち込むと宇宙の将来像に1つの結論が得られる。それは一千億年後に宇宙が崩壊する「ピックリップ」という現象が起こるということだ。宇宙が膨張を続けるということは、物体同士が離れていくということである。そして離れれば離れるほどその力が強くなるのであれば、どこかのポイントで加速度的に物体同士が離れ始め、いずれ崩壊することになる。その考えに則って計算すると一千億年後に「ビックリップ」という宇宙崩壊現象が起こるというのだ。

だいぶ曖昧な部分もあるが、そんな話しだった。この話しを聞いて考えたことが3つほどあった。まずは科学における発見や研究結果の「新しさ」と「正しさ」ということだ。私たちは科学の新しい科学の発見や研修結果を耳にすると、どうしてもそれが「正しい」ものであり、それ以前の発見や研究が間違っていた(あるいは不十分)と考えがちである。しかし最新の発見や研究結果は決して真実ではなく、その時点でもっとも妥当性をもった仮説であるに過ぎない。

こんなことは科学者にとっては当たり前のことだろうが、どうしても多くの人は「新しさ」と「正しさ」を結びつけてしまう傾向がある。それは「情報」についても同じである。新しい情報は正しいもので価値がある。だから私たちは常に新しい情報を人より速く手に入れなければならない。そんな考えが蔓延している。

しかしちょっと考えればわかるが、新しさが価値を持つ情報は必ず古い情報になる。新しいものは必ず古くなるからだ。つまり「新しさ」を求めるということは「古さ」を抱え込むことになるのだ。「真実」が時間を超えた不変のものを意味するなら、「新しさ」を真実の根拠には出来ないということになる。

2つ目に考えたこと。「離れるほどに互いが離れようとする力(仮に「離力」と名付ける)」は物体同士で考えると不思議なものだが、心の働きとして考えれば当たり前のことだ。物体同士が近づくほどに引き合う力が「引力」、離れるほどに遠のき合う力が「離力」だとする。これを人間の心に移しかえれば、仲良くなれば仲良くなるほど人は近づくが、憎しみが強くなればなるほど人の心は離れていく、ということになる。そう考えるとダークマターの力が発見されてことで、物理法則と心情法則(?)がひとつ一致したことになる。

3つ目に考えたのは、宇宙に関して私たちが実際に理解している4%という数字は、案外、戒めの数字として妥当ではないかということだ。私たちは自分が見ているもの、知っているものから全体像を描こうとする傾向がある。それは私たちが物事を理解したいという強い欲求を持っていることから起こる。

しかし自分が見ている、あるいは知っているすべてから物事を理解しようとする姿勢は、自分はすべてを見てすべてを知っているという思い込みに繋がる。(これは冒頭に書いた「新しさ」と「正しさ」に部分的には繋がる)自分がすべてを見ていて、すべてを知っているという思いは、当然のことながら「正しさ」に結びつく。人間にとって1番危険なのは「自分が正しい」と思いこむことだ。「正しさ」を全面に押し出した言動には「ためらい」がない。「ためらい」がない言動は、問題解決に当たって常に相手を攻撃することになる。

私たちが宇宙について実際に理解しているのは4%である。この地球も私たちが日々、生活している処々も宇宙の一部である。そう考えれば、私たちはあらゆる物事や出来事の4%しか理解できないのかもしれない。私たちがすべてを見て、すべてを知っていると思っても、それは4%である。自分自身や相手やそこで起こっている出来事をきちんと理解し、それらを整えようとするならば、4%を手掛かりに残りの96%を想像しなければならない。

「考える」とは、4%を手掛かりに96%を想像することだと言えるかもしれない。そこから出てくる言動は不変の真実ではなく、その時点でもっとも妥当性を持ったものでしかないだろう。だからこそそこには「ためらい」があり、「正しさ」をもとに相手を攻撃するようなことは起こらないのだ。そして私たちが4%しか捉えられないということのみが不変の真実なのかもしれない。

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