先日、サロマ湖ウルトラマラソンのフィニッシャーTシャツが届いた。背中に自分の完走タイムの入ったTシャツだ。送料込みの代引きで5500円、忘れた頃の思わぬ出費だが、正直、うれしいものだ。完走メダル、完走証、そしてフィニッシャーTシャツ、これで完走の記念品が3つ揃ったことになる。
フィニッシャーTシャツはマラソンの前日に希望者だけが申し込むものだ。Tシャツには2種類ある。自分の完走タイム入りと完走タイムの入っていないものだ。完走タイムの入っていないものはたしか500円安かったはずだ。完走タイムの入っていないTシャツなど誰が買うのかと思うかもしれないが、けっこう迷うところなのだ。
というのは、完走タイムの入ったTシャツは、完走できないと自動的に申し込みはキャンセル扱いとなってしまう。確実に記念のTシャツを手に入れるのであればタイム入りとタイムなしの2枚申し込まねばならない。僕のように初チャレンジの人間には迷いどころであった。完走できずにTシャツだけ手に入れても、見る度に悔しいおもいをするだけだろうと思い、タイム入りのTシャツだけを申し込んだ。
11時間36分08秒、背中には大きく完走タイムがプリントしてある。袋から出して1度広げて、また袋にしまう。おそらく袖を通すことはないだろう。10回以上完走している何人かの知り合いに聞いても「着られない」という。メダルも完走証もそれなりに嬉しいが、やはりTシャツが一番嬉しい。背中のタイムを見ていると自分のランニングが凝縮され、そこに詰まっている気がする。着て、少しでもTシャツが傷むと、その分、そこに詰まっている何かが無くなってしまう気がする。
そのサロマ湖マラソンからはや2ヶ月である。夏の直前にサロマ湖を走り、そして2ヶ月、夏の終わりが近づいてきた。その間、それほど走ることもなく体重を4kgも増やしてしまった。走力が落ち、体重が増える。ランナーとしては致命的である。このところ涼しくなってきたので、週末、久しぶりにしっかりと走る。
金曜に13km、土曜に5km、日曜に14km、3日間で32kmだ。金曜日はかなりどたばたしていたが、日曜日にはだいぶ感覚が戻ってきた。細かい雨が北からの風に乗って飛ばされてくる。火照った体に心地よい。ペースは上げず、フォームだけに意識を集中して走る。良い感じで走れている。明らかに基本的な走力は上がっている。昔なら、これくらいサボって、体重が増えていたら、取り戻すのに2週間くらいはかかった。ウルトラを走った効果だろう。
前にも書いたが、土手にはテント生活をしている男性がいる。もう3,4年は暮らしていると思う。最初は4,5人用のテントが1つだったが、後に小さなサブテント、最近では2つ目の4,5人用のテントが付け加わった。補強のためか、どのテントにもブルーシートがかぶさっている。テントの他には、テーブルにイス、自転車が見える。そして隅田川に向かって釣り竿が投げ込まれている。
おそらく、ウナギを釣っているのだろう。隅田川で釣れるウナギは「江戸前」として1匹1000円くらいで業者が買い取ってくれるという話しを聞いたことがある。(ちなみにウナギの産卵場所はグアム島やマリアナ諸島の西側のマリアナ海嶺らしい。隅田川からは非常に離れたところである。)
1日に何匹かウナギを釣って現金にし、必要なものをスーバーで買う。天気が良ければイスに座り、昼には川面を眺め、夜には星空を見上げる。雨が降ればテントの中でジッとしている。台風の時はテントが飛ばされないように、雨の中でもペグや固定ロープを確認する。春には柔らかな風を感じ、夏には虫に悩まされ、秋には澄んだ夜空に月を見上げ、冬には北風の音を聞く。そんな風にして何年も過ごしているのだろう。
その人生を想像することなく、テントの近くを走ったことはない。彼と僕の人生は大きく違いながら、大枠ではたいして変わらないのだ。自分で選び取ったこと、いつの間にかやることになっていたこと、それらを自分なりのやり方で日々乗り越えていく。そこには喜びもあり、悲しみもあるだろう。
喜ばしい出来事なのだろう。小さな犬がテントの周りで楽しそうに「キャンキャン」鳴いていた。つながれているから、飼われているのだろう。犬の種類には不案内だが、近ごろであれば、洋服を着せられて街中を散歩しているような小さな犬だ。心地よい違和感がした。こういうところで飼われるなら薄汚れた中型の雑種犬という勝手なイメージを僕は持っていたようだ。元気な小さな犬が飼い主の(つまりは自分が飼われている)境遇をまったく気にすることなくキャンキャンと跳ねている。よい風景だ。夏の夕方のそんな風景を、土手の上を走りながら眺めている。
おそらく、好きこのんで土手でのテント生活を始める人はいないだろう。そこには何らかの事情があったのだろう。それでも、テントが1つから2つになり、3つになる。イスやテーブル、自転車を所有し、(たぶん)ウナギも釣っている。そして今度は犬を飼うことになったのかもしれない。与えられた条件の中で、けっこうしっかりやっているようにも見える。自分も与えられた条件でしっかりやっているだろうか、走りながら反省しそうになる。
フィニッシャーTシャツはマラソンの前日に希望者だけが申し込むものだ。Tシャツには2種類ある。自分の完走タイム入りと完走タイムの入っていないものだ。完走タイムの入っていないものはたしか500円安かったはずだ。完走タイムの入っていないTシャツなど誰が買うのかと思うかもしれないが、けっこう迷うところなのだ。
というのは、完走タイムの入ったTシャツは、完走できないと自動的に申し込みはキャンセル扱いとなってしまう。確実に記念のTシャツを手に入れるのであればタイム入りとタイムなしの2枚申し込まねばならない。僕のように初チャレンジの人間には迷いどころであった。完走できずにTシャツだけ手に入れても、見る度に悔しいおもいをするだけだろうと思い、タイム入りのTシャツだけを申し込んだ。
11時間36分08秒、背中には大きく完走タイムがプリントしてある。袋から出して1度広げて、また袋にしまう。おそらく袖を通すことはないだろう。10回以上完走している何人かの知り合いに聞いても「着られない」という。メダルも完走証もそれなりに嬉しいが、やはりTシャツが一番嬉しい。背中のタイムを見ていると自分のランニングが凝縮され、そこに詰まっている気がする。着て、少しでもTシャツが傷むと、その分、そこに詰まっている何かが無くなってしまう気がする。
そのサロマ湖マラソンからはや2ヶ月である。夏の直前にサロマ湖を走り、そして2ヶ月、夏の終わりが近づいてきた。その間、それほど走ることもなく体重を4kgも増やしてしまった。走力が落ち、体重が増える。ランナーとしては致命的である。このところ涼しくなってきたので、週末、久しぶりにしっかりと走る。
金曜に13km、土曜に5km、日曜に14km、3日間で32kmだ。金曜日はかなりどたばたしていたが、日曜日にはだいぶ感覚が戻ってきた。細かい雨が北からの風に乗って飛ばされてくる。火照った体に心地よい。ペースは上げず、フォームだけに意識を集中して走る。良い感じで走れている。明らかに基本的な走力は上がっている。昔なら、これくらいサボって、体重が増えていたら、取り戻すのに2週間くらいはかかった。ウルトラを走った効果だろう。
前にも書いたが、土手にはテント生活をしている男性がいる。もう3,4年は暮らしていると思う。最初は4,5人用のテントが1つだったが、後に小さなサブテント、最近では2つ目の4,5人用のテントが付け加わった。補強のためか、どのテントにもブルーシートがかぶさっている。テントの他には、テーブルにイス、自転車が見える。そして隅田川に向かって釣り竿が投げ込まれている。
おそらく、ウナギを釣っているのだろう。隅田川で釣れるウナギは「江戸前」として1匹1000円くらいで業者が買い取ってくれるという話しを聞いたことがある。(ちなみにウナギの産卵場所はグアム島やマリアナ諸島の西側のマリアナ海嶺らしい。隅田川からは非常に離れたところである。)
1日に何匹かウナギを釣って現金にし、必要なものをスーバーで買う。天気が良ければイスに座り、昼には川面を眺め、夜には星空を見上げる。雨が降ればテントの中でジッとしている。台風の時はテントが飛ばされないように、雨の中でもペグや固定ロープを確認する。春には柔らかな風を感じ、夏には虫に悩まされ、秋には澄んだ夜空に月を見上げ、冬には北風の音を聞く。そんな風にして何年も過ごしているのだろう。
その人生を想像することなく、テントの近くを走ったことはない。彼と僕の人生は大きく違いながら、大枠ではたいして変わらないのだ。自分で選び取ったこと、いつの間にかやることになっていたこと、それらを自分なりのやり方で日々乗り越えていく。そこには喜びもあり、悲しみもあるだろう。
喜ばしい出来事なのだろう。小さな犬がテントの周りで楽しそうに「キャンキャン」鳴いていた。つながれているから、飼われているのだろう。犬の種類には不案内だが、近ごろであれば、洋服を着せられて街中を散歩しているような小さな犬だ。心地よい違和感がした。こういうところで飼われるなら薄汚れた中型の雑種犬という勝手なイメージを僕は持っていたようだ。元気な小さな犬が飼い主の(つまりは自分が飼われている)境遇をまったく気にすることなくキャンキャンと跳ねている。よい風景だ。夏の夕方のそんな風景を、土手の上を走りながら眺めている。
おそらく、好きこのんで土手でのテント生活を始める人はいないだろう。そこには何らかの事情があったのだろう。それでも、テントが1つから2つになり、3つになる。イスやテーブル、自転車を所有し、(たぶん)ウナギも釣っている。そして今度は犬を飼うことになったのかもしれない。与えられた条件の中で、けっこうしっかりやっているようにも見える。自分も与えられた条件でしっかりやっているだろうか、走りながら反省しそうになる。