とんびの視点

まとはづれなことばかり

サロマ湖マラソン、フィニッシャーTシャツ

2009年08月31日 | 雑文
先日、サロマ湖ウルトラマラソンのフィニッシャーTシャツが届いた。背中に自分の完走タイムの入ったTシャツだ。送料込みの代引きで5500円、忘れた頃の思わぬ出費だが、正直、うれしいものだ。完走メダル、完走証、そしてフィニッシャーTシャツ、これで完走の記念品が3つ揃ったことになる。

フィニッシャーTシャツはマラソンの前日に希望者だけが申し込むものだ。Tシャツには2種類ある。自分の完走タイム入りと完走タイムの入っていないものだ。完走タイムの入っていないものはたしか500円安かったはずだ。完走タイムの入っていないTシャツなど誰が買うのかと思うかもしれないが、けっこう迷うところなのだ。

というのは、完走タイムの入ったTシャツは、完走できないと自動的に申し込みはキャンセル扱いとなってしまう。確実に記念のTシャツを手に入れるのであればタイム入りとタイムなしの2枚申し込まねばならない。僕のように初チャレンジの人間には迷いどころであった。完走できずにTシャツだけ手に入れても、見る度に悔しいおもいをするだけだろうと思い、タイム入りのTシャツだけを申し込んだ。

11時間36分08秒、背中には大きく完走タイムがプリントしてある。袋から出して1度広げて、また袋にしまう。おそらく袖を通すことはないだろう。10回以上完走している何人かの知り合いに聞いても「着られない」という。メダルも完走証もそれなりに嬉しいが、やはりTシャツが一番嬉しい。背中のタイムを見ていると自分のランニングが凝縮され、そこに詰まっている気がする。着て、少しでもTシャツが傷むと、その分、そこに詰まっている何かが無くなってしまう気がする。

そのサロマ湖マラソンからはや2ヶ月である。夏の直前にサロマ湖を走り、そして2ヶ月、夏の終わりが近づいてきた。その間、それほど走ることもなく体重を4kgも増やしてしまった。走力が落ち、体重が増える。ランナーとしては致命的である。このところ涼しくなってきたので、週末、久しぶりにしっかりと走る。

金曜に13km、土曜に5km、日曜に14km、3日間で32kmだ。金曜日はかなりどたばたしていたが、日曜日にはだいぶ感覚が戻ってきた。細かい雨が北からの風に乗って飛ばされてくる。火照った体に心地よい。ペースは上げず、フォームだけに意識を集中して走る。良い感じで走れている。明らかに基本的な走力は上がっている。昔なら、これくらいサボって、体重が増えていたら、取り戻すのに2週間くらいはかかった。ウルトラを走った効果だろう。

前にも書いたが、土手にはテント生活をしている男性がいる。もう3,4年は暮らしていると思う。最初は4,5人用のテントが1つだったが、後に小さなサブテント、最近では2つ目の4,5人用のテントが付け加わった。補強のためか、どのテントにもブルーシートがかぶさっている。テントの他には、テーブルにイス、自転車が見える。そして隅田川に向かって釣り竿が投げ込まれている。

おそらく、ウナギを釣っているのだろう。隅田川で釣れるウナギは「江戸前」として1匹1000円くらいで業者が買い取ってくれるという話しを聞いたことがある。(ちなみにウナギの産卵場所はグアム島やマリアナ諸島の西側のマリアナ海嶺らしい。隅田川からは非常に離れたところである。)

1日に何匹かウナギを釣って現金にし、必要なものをスーバーで買う。天気が良ければイスに座り、昼には川面を眺め、夜には星空を見上げる。雨が降ればテントの中でジッとしている。台風の時はテントが飛ばされないように、雨の中でもペグや固定ロープを確認する。春には柔らかな風を感じ、夏には虫に悩まされ、秋には澄んだ夜空に月を見上げ、冬には北風の音を聞く。そんな風にして何年も過ごしているのだろう。

その人生を想像することなく、テントの近くを走ったことはない。彼と僕の人生は大きく違いながら、大枠ではたいして変わらないのだ。自分で選び取ったこと、いつの間にかやることになっていたこと、それらを自分なりのやり方で日々乗り越えていく。そこには喜びもあり、悲しみもあるだろう。

喜ばしい出来事なのだろう。小さな犬がテントの周りで楽しそうに「キャンキャン」鳴いていた。つながれているから、飼われているのだろう。犬の種類には不案内だが、近ごろであれば、洋服を着せられて街中を散歩しているような小さな犬だ。心地よい違和感がした。こういうところで飼われるなら薄汚れた中型の雑種犬という勝手なイメージを僕は持っていたようだ。元気な小さな犬が飼い主の(つまりは自分が飼われている)境遇をまったく気にすることなくキャンキャンと跳ねている。よい風景だ。夏の夕方のそんな風景を、土手の上を走りながら眺めている。

おそらく、好きこのんで土手でのテント生活を始める人はいないだろう。そこには何らかの事情があったのだろう。それでも、テントが1つから2つになり、3つになる。イスやテーブル、自転車を所有し、(たぶん)ウナギも釣っている。そして今度は犬を飼うことになったのかもしれない。与えられた条件の中で、けっこうしっかりやっているようにも見える。自分も与えられた条件でしっかりやっているだろうか、走りながら反省しそうになる。

雑記、館山

2009年08月28日 | 雑文
前回、ブログを書いてからはや1週間である。あっという間だ。変わったことといえば、朝と夜の風に秋の気配が感じられるようになったことだ。「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」中学生の時に暗記させられた百人一首の藤原敏行の歌だ。当時はテストがあるから暗記しただけだったが、大人になってからは、秋の気配が感じられるようになると、きまってこの歌が頭に浮かぶ。

1週間ブログを書いていないということは、ほとんどランニングをしていないということだ。前にも書いたが僕の場合、ランニングをすればするほどブログを書く頻度が高くなる。特に書くことを考えているわけでもないのだが、走っていると自然と頭の中が整理されてくる。今週は水曜日に30分ほどランニングをしただけ。つまり頭の中はほとんど整理されていない。こういう時に何かを書くのであれば欲をかいてはいけない。整理することを目的に書くのがよい。

と、ここまで書いて、「整理する」というのはどういうことなのだろうか、という疑問が頭に浮かぶ。(そういう逸脱をしてはいけないと数行上に書いたばかりなのに……)。「書くことで整理する」というのは、言葉によって出来事を過去化させることかな、という思いつきが浮かぶ。(「思いつき」であって「考え」ではない)。出来事を過去化することで、現在から切り離す。すると今の私と過去化された出来事には距離が生まれる。その距離を埋めるのが「思い出す」という行為となる。

あらゆる出来事は過去化され、今の私とは距離が生じる。その距離は現在と過去の距離である。過去化された出来事は思い出されることによってのみ、その出来事が存在したことを確認しうる。そして「思い出す」という行為はつねに現在において成立する。つまり過去の出来事は現在に「思い出す」ことでしかその存在が確認できない。過去は現在と重なることによってのみ存在する。過去と現在は一つである。「言葉によって整理する」というのは、出来事を過去化することで、現在と過去の距離を生み出しつつ、「思い出す」という行為によって現在と過去を1つにする。そういうことを行っているのである。たんなる思いつきだ。

では出来事の過去化。先週末は家族4人+知り合いのYちゃんの5人で、館山(Yちゃん家のセカンドハウス)に1泊で海水浴に行く。22日の土曜日は昼頃に館山に到着。準備してすぐに海に遊びに行く。いつものように海水浴と磯遊びである。1時間以上、ハゼやらカニやらを捕まえる。子どもたちも一生懸命だが、それ以上に親の方が真剣である。じっと潮だまりに屈みこみ獲物を探している。会話もないし、写真もほとんど撮らない。子どもたちが磯で遊んでいる姿を写真やビデオに撮影する親というほほえましい風景はそこにはない。

捕まえたハゼやカニなどを海に逃がして海水浴。いつものことだが浜辺には人がいない。私たちの他に泳いでいるのは5人程度だ。毎年こういう海で泳いでいる子どもたちは、一般的にイメージされる海水浴とはかなり違う記憶を持つことになるのだろう。海に入ってほどなくクラゲの襲撃を受け、はやばやと退散する。暑い日差しの中、庭で冷えたスイカを食べる。一番おいしいスイカの食べ方だ。汁の滴る冷たいスイカが火照った体にしみ込む。口の周りについた海水の塩分がスイカの甘さを引き立てる。夕ご飯は七輪でバーベキュー。夜は浜辺まで歩き星空を見上げ、天の川を探す。

23日の日曜日。午前中は庭の手入れ。庭は荒れ放題である。芝生は伸び、いろんな種類の雑草が覆い茂り、庭がどんどんと侵食されている。鎌、手動の芝刈り機、電動の芝刈り機を使い分けながら、どんどん草を刈っていく。青空の下の炎天下、蝉たちの鳴き声の中、黙々と作業をする。時おり、クロアゲハがゆるやかな軌跡を描きながら庭を横切っていく。咽が渇いたら冷えたスイカで水分補給をする。3時間ほどの手入れで庭は見違えるようにきれいになる。空間がくっきりとし、庭が一回り広くなる。

午後はクラゲを避けて、近くのプールで遊ぶことにする。草刈りの疲れもあるので、子どもたちだけで遊ばせ、必要ならばプールに入ることにする。結局、2時間以上、兄弟だけで遊びつづけていた。相方とベンチに座り、目の前のプールで遊んでいる子どもたちを眺める。長男が次男にあわせて上手に遊んでいる。感心するくらいだ。相方も「ちいさなお父さんのようだ」と何度も感心している。目を上げるとプールの向こうには太平洋。広い海だ。海をぼーっと眺めるのも久しぶりだ。

午後3時を過ぎると少しずつ、日差しがゆるくなる。少しずつプールから人が減り始める。4時近くになると夕方の気配が忍び寄ってくる。「もうそろそろ帰ろう」と子どもたちに声をかける。「もう1回遊んだら」と水に飛び込み、歓声をあげる。思いっきり遊ぶといい。もう1回遊んだら今年の夏のイベントも終わりだ。プールの水しぶき、歓声をあげる子どもたち、風に揺れるヤシの葉々、遠くから聴こえる音楽、そんなものたちをやわらかな黄色い光が包んでいる。

24日の月曜日。夏の疲れが一気に出てきたような1日だった。家で仕事の予定が、ほとんど手に付かない。座っていてもウトウトしてしまう。

25日の火曜日。午前10時から午後10時までまともに休憩をとる時間もなくずっと仕事。火曜日は1週間で一番忙しい。仕事帰りの夜道の風が心地よい。

26日の水曜日。次男を保育園に届け、午前は家で仕事。30分ほどランニングをし、午後から外で仕事。

27日の木曜日。朝から夕方まで仕事。夜は合気道の稽古。エアコンが効いておらず、信じられないくらい汗をかく。




儀式について

2009年08月21日 | 雑文
河合隼雄の『ケルト巡り』(NHK出版)を読んだら、「儀式」という言葉を中心に妄想が広がった。ケルト人とは、中央アジアかの草原から馬と車輪付きの乗り物を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である。現在では、ブリテン諸島のアイルランド、スコットランド、ウェールズ、コーンウォル、コーンウォルから移住したブルターニュのブルトン人などに、この民族や言語が残っている。

キリスト教の普及、支配以前、ケルト人たちは独自の自然崇拝的な宗教を持っていた。その思想の実践者、つまり祭司が「ドルイド」と呼ばれていた。この自然崇拝的な思想を実践しようとする人たちが、イギリスやアイルランドを中心に現れているらしい。しかし昔のドルイドは教義を文字で残すことをしなかったので、具体的な儀式のやり方などは伝わっていない。そこで人々はいろいろ考え、好き勝手に儀式を行っているらしい。

河合隼雄は、フランスの思想家、ロジェ・カイヨワの説を手掛かりに、2段階に自分の考えを述べていく。最初は「『儀式』は絶対者につながる唯一の方法である。絶対者に近づくのは困難なことだから、そのために行われる『儀式』は細部まで決められているものだ」と述べて、細部まで決められた行為によって絶対者に近づくことができる、という考え方を明らかにする。

次は、カイヨワの「儀式こそが絶対者につながる唯一の方法であり、次に仕事、遊びは一番下」という考えに対して、「私の考えですが、特に現代では、儀式・日常生活・遊びは円を描く。現代では儀式は硬直化しすぎ、精神の高揚が妨げられています。遊びも少し儀式的要素を取り入れ、遊びと儀式を通じて精神に到達すべきだと思います」と述べている。

つまり、儀式でも、日常生活(仕事)でも、遊びでも、どれからでも「精神に到達」できると言っているのだ。(絶対者に近づく、とは言いにくいのだろう)。とは言え、精神に到達するためには、儀式でも日常生活でも遊びでも、細部まで決められた行為が必要になるだろう。

それにしても「精神に到達する」というのはどういうことだろう。その内容を勝手に「そうしなかった時より良い状態の自分に到達する」と置き換えてみた。するといろんなことがつながる。(こういうのを「我田引水」って言うのだろうか?)

例えば、村上春樹は小説家に重要な資質を「才能」「集中力」「持続力」の順であげている。「才能」が必要なのは当たり前だが、これは自分でコントロールできるものではない。この持ち分の決まった「才能」をうまく「集中」させ、その状態を「持続」することが作家には必要なのだ。実際、彼はジャズバーの経営者から職業作家になったのを期に、朝の5時すぎに起きて、夜の10時前には寝るという規則的な生活に切り替えた。そして自分が最も上手く活動できる早朝の数時間にエネルギーを集中して大事な仕事をするようにしている。(より大きなサイクルとしては、小説を書いたら翻訳、翻訳が終わったら小説、というふうにしている)。

細部まで決められた行為である。作品の評価はそれぞれあるだろうが、このようなやり方をすることで、「そうしなかった時より良い状態の自分」に村上春着か到達していることは否定できないだろう。

あるいはイチローもそうだ。彼は遠征以外の時は、いつも昼食にカレーライスを食べている。昨日は夏野菜、今日はビーフ、明日はシーフードなどということはしない。同じカレーである。試合のある日は何時間も前から準備を整え、球場に着いたときには同じ精神状態になれるように行動を組み立ている。球場内でも、他人の道具は手にしない、ベンチからグランドへの数段のステップを上るときにも先に出す足を決めている。

これも細部まで決められた行為である。そして見事に結果を出している。細部まで決められた行為なしに同じ結果を残せたかとイチローに尋ねたらどう答えるだろう。仮に結果が出せるとしても決められたやり方をする、と答えるのではないか。そうすればもっとよい結果が出せるかもしれないから、と。

村上春樹にしろイチローにしろ、細部まで決められた行為によって「そうしなかった時よりよい状態の自分」に到達している。しかしちょっと考えれば、多くの人が毎日、同じ時間に起き、同じ時間の電車に乗り、同じ仕事先で、同じような仕事をしている。かなり細かく決められた行為を繰り返しているようにも見える。誰もが「そうしなかった時よりよい状態の自分」に到達しているだろうか。不平不満を抱えながら日々を過ごしている人も多いのではないか。

細部まで決められた行為、という言い方を改める必要があるのだろう。村上春樹にしろイチローにしろ、どのように行為するかを決めているのは本人である。だから「細部まで決められた行為」というよりも「細部まで決めた行為」と言った方がよいだろう。自分で決めることで、行為の一々の意味を自分で吟味することができる。あらゆる行為が自分にとって意味を持つことになる。

自分にとって意味のない行為で日常が埋め尽くされるのと、自分にとって意味のある行為だけで日常を満たしていくのでは、大きな違いがある。当然のように「そうしなかった時よりよい状態の自分」に到達できるはずだ。自分なりの「儀式」を創り出すことは、けっこう重要な仕事なのかもしれない。

乳酸、新理論

2009年08月19日 | 雑文
雑誌ランナーズの8月号にこんな特集があった。「これは驚き! 乳酸は疲労物質ではない 3つの新理論~乳酸の利用能力がスピードアップの鍵を握る」。

おっ、来た、来た、と思った。何が来たって「新理論」である。これまで乳酸は疲労物質と言われてきた。ところが、である。この特集の筆者は、乳酸は疲労物質などではなく、それどころか、アフリカランナーの強さの秘密を解く鍵になるかもしれない、と書いている。挙がっているのは次の3つの理論である。

1、乳酸シャトル(運搬)説
2、乳酸疲労緩和説
3、グリコーゲン・シャント(短絡)説 

ここでは詳しく書かない。詳しく書けるほどきちんと読んでいないからだ。正直、あまり興味が持てない。僕にとって、この手の話しは、納豆を食べると痩せる、とか、椎茸を食べたらガンが治る、とかというものとそれほど変わらない。かつて、乳酸が疲労物質でアイシングがとてもよい、と言われたときにもそうだった。

「昔は筋肉疲労のあとは温めるとよいと言われていたんだよ。でも本当はアイシングが良いんだ。まったく反対のことをしていたんだ」。そう知り合いに教えられた。そしてこう思った。ということは、いずれアイシングが間違っていると言われることもあるんじゃないのかな、と。

いずれの説も嘘ではないのだろう。でも飛びつくことはしない。ふーん、そういうこともあるのだろうな、そう思っている程度である。最新の理論だからといってそれを不変の真理であるかのように受けとめるのはどうだろう。

どんなことであれ、それが「新しい」ということによって価値を見いだされているものは、必ず「古く」なる。そして「古く」なったことによって価値を失う。「新しさ」と「古さ」は反対の概念のようでありながら、実は、お互いがお互いを支え合っている関係である。「古さ」がなければ「新しさ」もないし、「新しさ」がなければ「古さ」もない。

このあたりのことを『老子』では「天下、皆、美の美たることを知る、これ悪なるのみ。皆、善の善たることを知る、これ不善なるのみ。まことに有無相生じ、難易相成し、長短相あらわし、高下相傾け、音声相和し、前後相したがう」と述べている。有と無、難と易、長と短、高と下など、一見反対の概念はセットとして成り立っている。

ある概念は反対のものを自らの内に抱え込んでいると言ってもよい。それゆえ、一方に価値を置くことは、同時に無価値なものを抱え込むことになり、やがて自ら朽ちていくことになる。その意味では最新情報をのみを追い求める人間の行く末を想像するのは難くない。時の洗礼を受けたものも大事にすることが大切なのだ。前者はただの高齢者になり、後者は長老になれるかもしれない。

しかし、人々がこの手の「新理論」を疑わない理由は単に「新しい」からというだけではないだろう。おそらくそこには「科学」に対する盲目的な信頼(信仰?)があるのだろう。近代以降の科学技術の発達はすさまじいものであった。科学技術により人間は自然に対して優位な立場に立てるようになった。

あらゆる対象をコントロールできるという「万能感」を持ってしまったと言っても過言ではないだろう。かつてはその脅威を「畏れ」「敬う」ものであった森羅万象も開発や操作の対象となってしまった。そして人々からある種の「謙虚さ」のようなものが失われていく。

しかし進歩したのは「科学技術」である。「人間の性質」はそれほど変わらない。ビジネスで役立つ金もうけの方法はいざ知らず、人が生きる上で指針となるような言葉を残したのはいずれも古の人たちだ。私たちが口にする立派な言葉もそれらの受け売りのようなものだ。謙虚さを失い、何でもコントロールできるという万能感を持った人々。くわばら、くわばら。

夜の上野動物園

2009年08月17日 | 雑文
朝、目を覚ますと、窓の外が昨日までの空気とは違う。ざわついた雰囲気。お盆休みが明け、再び街が動き出したのだ。日中は定められた日課にしたがって一日を過ごす。昼休みには30分ほどランニングをする。炎天下ではあったが、久しぶりに心地よく走れる。疲れがまったく残らない。かえって元気になっているくらいだ。夕方には心地よい風が吹き始めた。夏の日も残り少なくなっていく。夕暮がだんだんと早くなってくる。

昨日は夕方から上野動物園に行ってきた。家族4人と私の母と5人で。子どもたちは夜の動物園に行けると大はしゃぎだ。夕方前の4時半、まだ強い日差しが残る頃、上野公園を歩く。普段の休日に比べれば、人出が少ないようだ。動物園の入り口で招待券の引き換えをし、メガネザルやゴリラなどのピンバッチをもらう。コンクリートの照り返しの暑さで背中に汗が流れる。

いくつかのイベントが用意されていた。レッサーパンダの夕ご飯、とか、ミナミコアリクイのお話、とか、夜の森のものがたり、とか。入園してすぐのレッサーパンダの夕ご飯を見に行ったが、あまりの人混みの暑さに辟易し、イベントは無視して普通に動物園を回ることにした。

ジャイアントパンダが不在のため、レッサーパンダがあのガラス張りの立派な飼育舎に入っていた。その前には人だかり。かつて上野動物園でレッサーパンダの前にこれほどの人だかりが出来たことがあるのだろうか。何人のもの人が「かわいい~」と声をあげていた。昔、カメラを向けられると人々は反射的にピースサインをしたものだ。

動物園の緩やかな坂道を散歩するように歩く。子どもたちは時に立ち止まり、時に走り出したりする。動物の銅像を見つけては、兄弟で馬乗りになり、得意げな表情で写真をとる。トラを見てはわが家の猫と似ていると話しをしたたり、ヒグマが鮭を食べるのを見ては興奮したり、ゴリラが木の上で寝そべるのを見ては喜んだり。

そんなことをしているうちに、涼しい風が心地よく吹き始める。上野の森の中なのだと改めて思う。夕涼みをするようにサルの山の前で立ち止まる。夕闇が少しずつ辺りを覆い始める。わずかな自然の光の中でサル達を眺める。昼間見るサルよりどことなくのんびりしている。仲の良いサルの親子を見ていると、次男を肩車したくなる。肩車しながら涼しい風を受け、サル達を眺める。少し離れた人たちの顔が見えなくなる。たそがれ時だ。都会では珍しい。

完全に日が暮れてしまうと、闇の中では光が存在感を増す。お土産ショップ、フードスタンド、その周りのベンチなどがくっきりと姿を現す。ゴッホの「夜のカフェテラス」みたいに。対比的に動物達は薄闇の中に追いやられていく。檻の前に立ち、薄暗い空間にカンガルーを探す。動物達が遠くなっていく。子どもたちの気持ちも少しずつ動物から離れていく。

誰もが歩き疲れてきたようだ。時計も午後8時近くなってきた。薄暗い動物園を弁天口に向かって歩く。出口の先には不忍の池の弁天堂が照明を当てられ、闇の中にくっきりと浮かび上がっている。30年近く前、僕はあの横でザリガニ釣りをしたんだよ、と子どもたちに言う。長く、あっという間の30年だ。30年後、子どもたちはこの日のことを覚えているだろうか。

『東京大学応援部』を見ました

2009年08月14日 | 雑文
10年くらい前から海に入ったあとひどい虫刺されのような状態になるようになった。海水浴中は何ともないのだが、時間が経つと少しずつ虫刺されのように赤いぽつぽつが体に浮かび始める。肘の内側、脇の下の周辺、膝の裏側など基本的には皮膚の柔らかいところをやられる。かなりの痒さで完全に治るまでには1週間近くかかる。今回も海水浴で100ヶ所ほど刺された。

クラゲじゃないんですか、大抵の人はそう聞き返す。おそらくクラゲではない。クラゲなら刺された時に何らかの痛みを感じるだろうし、一緒に泳いでいる人間が何ともなく、僕だけが集中的に狙われるなどということはあり得ないからだ。おそらく僕だけでなく、誰もが刺されているのだが、体質などの問題で僕だけが症状として出ていると考える方が自然である。(その後、僕の弟も軽くだが同じ症状が出た。やはり体質が関係しているのだろう。)

今までで一番ひどかった時には、全身で1000~2000ヶ所やられた。この時はさすがに辛かった。痒さで眠れない。1ヶ所掻くと全身にかゆみが広がり、何時間でも掻きつづける。精神的にもやられてくる。それ以降、上半身は手首までのラッシュガード、下半身はランニング用のロングスパッツを履いて海水浴をしている。子どもと遊ぶためだ。それでも今回は100ヶ所ほど刺された。

大抵の場合、その日の夜はムヒの軟膏を体中に擦り込み続けることになる。人さし指から小指までの4本の指にムヒを着け、刺されたところに何度も擦り込む。やり始めると1時間は続けることになる。途中でやめると刺激だけ残り、かえってかゆみが増してしまう。やることもないので、ムヒをぬりながらテレビ番組を見ていた。『東京大学応援部』というドキュメンタリー番組だ。

これがなかなか面白い番組だった。「東京大学」と「応援部」という言葉の間にはちょっとだけギャップが感じられる。少なくとも「明治大学」と「応援部」のほうがギャップは少ない。おそらく『明治大学応援部』というタイトルであれば、すぐにチャンネルを回していたかもしれない。

そうはいうものの応援団は応援団である。そこには僕が紋切り型に知っている応援団があった。例えば、絶対的な上下関係。4年生が部室にいる時には2年生や1年生は廊下で起立の姿勢で待っていなければならない。団長はいつもどこかを睨みつけているような目つきだ。何でも分かっているような口調で下級生に指示をだす。下級生は何を言われても大声で「ハイ」と答える。あらゆる判断を放棄しているようにも見える。

練習は厳しい。大声を挙げながら全力で拍手を続ける。1年生の掌は真っ赤に腫れ上る。皮の厚くなった2年生の掌はひび割れで痛む。誰もが、汗をかき、ふらふらになる。意識が朦朧となり床に崩れ落ちてくる団員もいる。団長は竹刀を傍らにイスに座って、練習を睨みつけている。1年生がへばってくると、2年生が呼び出される。「お前らがきちんとやらないから、1年生がへばるんだ。楽をしようとするな」と無茶なことを言う。2年生もふらふらなのだが、もちろん大声で「ハイ」と答える。

ある意味、やれやれ、という感じで見ていた。こういうのは自分には合わないと思った。集団の持つ強制力も嫌いだし、絶対的な上下関係もダメだ。自分が納得できないものに大声で「ハイ」というのは最悪の行為だと思う。10年以上前ならそう思うだけで終わっていただろう。でも今回は少し違う風に見えた。

例えば、東京大学応援部には他の大学の応援部と決定的に違うところがある。それは運動部がとても弱いことである。試合をしても勝てない。勝てないチームを応援しつづけるのも立派だが、それ以上にすごいのは、チームが負けたのは応援がダメだったからだ、そのように応援部が考えていることだ。自分たちのせいで運動部のチームが負けたのだから、責任を取らねばならない。そこでチームが負けるとすぐに罰練習が始まる。人通りのある外苑かどこかで、大声を出しながら手が赤くなるほどの拍手である。

昔なら、何てバカな、と思ったはずだ。でもここで働いているのは「自らが犯していない罪に対して、罪悪感を持つことが出来る」という、レビィナスの倫理観や親鸞の罪悪感にも繋がるようなデリケートな心性である。馬鹿げていると思いながらも、見ているこちらが痛くなってくる。おそらく部員達はそのようなデリケートな心性などにはまったく気づいていないだろう。にも関わらず、そういうことが生じる可能性が組織的に用意されている。

何を言われても「ハイ」としか言えない下級生と、「お前達はダメだ、何もわかっていない」と言い続ける団長。一見すれば、偉そうな先輩と思考放棄した後輩からなる最悪の集団、と思えなくもない。しかし下級生の置かれている状況を違った風に捉えることも出来る。

下級生はつねに自分以外に根拠を置いている。何を言われても「ハイ」としか言えないことは、判断の根拠を自分以外においていることになる。(一遍なら「捨てる」と言うだろう)。「お前は分かっていない、ダメだ」と言われることによって、自分が何を分かっていないかを自分に問うことになる。自分の知っていることではなく、自分が知らないことを問うことになる。まさに自分を離れることによって自己を掴もうとする離れ業を演じることになる。

団長も同じである。「お前は分かっていない」と口では偉そうなことを言っているが、多分、本人も何も分かっていない。伝統的に団長の役回りとしてそういう口の聞き方をしなければならないからそうしているのだ。下級生を褒めたくても褒めるわけにはいかないのである。無理を承知でやっているのだ。だからいつもすべてを睨みつけるような態度でいるのだろう。実際、下級生の前では偉そうにしているが、夜の公園で1人で応援の練習をしたりしている。これも人を成長させる。

もちろん、勘違いした犠牲的精神、思考放棄をした下級生、独裁的な団長、そんなものを生み出す可能性はある。しかし同時にそれは、他者を思うデリケートな心性、自分の知らないことを問いつづける知性、自分以外のものを引き受ける責任感のようなものを育てる可能性も持っている。どちらに転ぶかは、その時、その人たちにかかっている。(道元なら「時節の因縁」と言うだろう)

結局、番組を見ていて良かったと思えたのは、中心となった2人の人物の表情がすごく良かったからだ。1人は団長で、もう1人はいずれ応援団を背負って立つであろう2年生だ。団長はいつも睨みつけるような表情だか、ネクタイ姿のシーンでは素の表情を見せていた。少なくとも20代初めの男としてはとても良い顔だった。

2年生の団員も練習を離れた時はとても優しいいい顔をしている。彼は10歳の頃から柔道を始め、高校の途中でやめてしまった。そのことをとても悔いている。自分は途中で物事を放り投げてしまった。何ひとつ最後まできちんと出来ないのではないかと。だから応援団で頑張れば、自分が成長できるんじゃないか、そんなことを語っていた。

東大に入るのだってそう簡単なことではないだろう。それをもって自分はきちんとやったと思える人間だっているはずだ。そう思えず、応援団に入る道を選ぶ。不器用なものだなと思う。でもそういう不器用を僕は好む。自分を確かめるために100km走るのとちょっと似ているからかもしれない。

雑記

2009年08月11日 | 雑文
ブログの間隔がかなり空いてしまった。上手く書き続けている時は書く内容に意識を集中していれば良いのだが、間隔が空くと「書くこと自体に対する問い」のようなものが浮かんでくる。いったい自分は何のために書いているのだろうか、と。

書くことで自分の考えをまとめようという意図が最初にあった。誰一人読むことがなくても定期的に書きつづけようと思っていた。(人に読ませるほど立派な文章が書けるとも思っていなかった)。それでもこうやって不特定多数の人間が読むことが可能な形式をとっているのだから、どこかで自分の考えが人に読まれることを期待しているのも確かだ。

そう考えると、単なる日記のようなことを書くのはためらわれる。不特定多数の誰かが読むに値するような出来事が次から次へと起こるような日常とはほど遠いからだ。そんなことを考え出すと、キーボードを叩く手がさらに止まる。

子どもたちに記録を残すために書いているかもしれない、そう思い浮かんだ。私自身、父親を20代の半ばで亡くした。亡くしてから、あまりに父親のことを知らないことに驚いた。自分が知っているのは、わずかに見ていた一部分にしか過ぎなかった。見ているのは一部分だが、それは自分がみているすべてである。

見ることが出来なくなってから想像するようになった。どんな子ども時代を過ごしていたのだろうか。15歳で東京に出てきた時、どんなことを考えていたのか。そして僕が子どもを育てるようになりさまざまな出来事が起こるたびに、父親も同じような思いをしていたのだろうか、などと想像する。

もう少し記録が残っていればよかったと思う。記録が残っていれば、忘れ去られた記憶を掘り返すことも出来るし、いろいろ考えることも出来る。そういう訳で、今回も「雑記」のようなものを書き、記録を残す。

たしか、最後にブログをアップしたのが確か3日の月曜日だった。

8月4日(火)。朝から夜まで外で仕事。外で仕事という場合の肩書きはコーチやカウンセラー。基本的には人と話しをして1日を過ごす。軽い頭痛が一日中抜けずに、調子は今ひとつ。子どもたちは僕の仕事内容を理解していないだろう。

8月5日(水)。次男を保育園に連れて行く。自転車に2人乗り。大きな車体の真っ白なルイガノのクロスバイク。次男は運転サドルに腰かけ、腕をいっぱいにハンドルに伸ばす。僕は後ろに腰かけ、次男を抱きかかえるように外側からハンドルをつかむ。話しをしたり、歌をうたったりしながら保育園まで行く。いつかこのことを思い出すのだろうな、そう思いながら自転車をこぐ。いつも良い時間だ。
昼前に30分ほどランニング。曇り空で湿度が高く、すごく汗をかく。午後から夜まで外で仕事。

8月6日 (木)。頭痛が抜けない。朝から夕方6時まで外で仕事。仕事中に「時間的人間」と「空間的人間」について話しをする。物事や出来事の存在を認識できるのは、私たちが物事や出来事を「時間化」「空間化」するからである。「時間化」「空間化」は、科学的には「時計」や「メジャー」で行われる。この基準は万人に共通のようであるが、心的にはさまざまな「時間化」「空間化」が行われている。時代や地域、共同体の状態や状況によって異なる。個人においても、それぞれ「時間化」「空間化」にはかなりの癖がある。大切なのは、自分がどのような「時間化」「空間化」を行っているのかを自覚することであり、それを自らの境界でバランスよく調整することである。そんな話しをする。夜は合気道の稽古。杖が中心の稽古だった。不思議と頭痛が抜けていた。

8月7日(金)。火曜日まで夏休み。相方の実家の葉山へ。昼に到着し、さっそく午後は海水浴。葉山の海にしては波がある。台風の影響が出始めていたのだろう。長男も次男も大はしゃぎである。波間に浮かぶ満面の笑みを見つけたらそれは長男だ。とにかく楽しそうにしている。初日なので早めに切り上げ、近所の縁日に行く。長男に金魚すくいを指南する。金魚を7匹もって帰る。

8月8日(土)。朝からペットショップに金魚鉢などを買いに行く。金魚すくいの金魚は病気にかかっている可能性があるから2週間くらい様子を見なさいと、薬とエサとエアポンプだけを売ってくれて、金魚鉢は売ってくれない。(この日、3匹が死亡)。昼ご飯を食べて海水浴。昨日よりも波が荒いが、ボディーボードの楽しさを発見する。上手く波に乗れると波打ち際まで一気に進めるが、タイミングが遅れると波に巻き込まれる。鼻に水は入るは、足は海底にぶつけるは、ゴーグルはどこかに流されるは、大変である。4歳の次男は浮輪で波に乗っているが、何度か波に巻き込まれる。泣きそうになるものの、何度も果敢にトライする。長男は波に巻き込まれても笑顔で、「おれ、海の中で前受け身しちゃったよ」と喜んでいる。相方も長男に負けないほどの笑顔で波打ち際のボディーボード。夕方から中学2年と小学4年の従姉妹が合流。騒がしくなる。

8月9日(日)。朝から海水浴。さらに波が高くなっている。同じようにボディーボードをしたり、浮輪で波に乗ったりする。従姉妹たちは少し逃げ腰だ。波に巻き込まれ心理的なダメージを受けている。でも海の楽しさに引きずり込む。昼過ぎまで全力で遊ぶ。子どもたちも午後は疲れたようで三々五々眠りに落ちていく。長男だけは元気いっぱいで遊んでいる。僕は海虫(別名「チクチク」)にかなりやられたようだ。体中、100ヶ所くらい虫刺されのようになっている。ずっと、軟膏を患部に塗りつづけている。(この話しは後日、詳しく書くつもりである)。ニュースで自宅付近に大雨が降ったことを知る。窓を閉め忘れていたことを思い出し、相方と2人で窓を閉めに車で自宅に向かう。往復160km、愚か者である。(休みだというのにだんだんと疲れがたまっていく。)

8月10日(月)。台風の影響で雨。一日中家の中にいる。とは言え、息子達と従姉妹たちの4人の子どもはエネルギーを持て余している。そんな時のためにWii FitとWii Sportsを用意している。午前中は僕が付き合う。午後は相方が人生ゲームなどに付きあう。夜は軟膏を塗りながらテレビを見る。NHKスペシャル『海軍400時間の証言』と『東京大学応援部』である。『応援部』からはいろんなことを考えさせられた。(これも後日、書くつもり)

8月11日(火)。昼食を食べてから葉山を出発。夕方前に自宅に着く。夕食の準備をし、旅行の後片づけをして、このブログを書く。明日から再び日常に戻る。日が少しずつ短くなっている。


評価について

2009年08月03日 | 雑文
今日も昼休みに土手をランニングする。13kmほど。前半は曇り空でそれほど暑くなかったが、折り返したところでちょうど太陽が雲間から顔を出し始める。一気に汗が噴き出し始め、水飲み場では頭から水を浴びる。月曜日の昼間から、そんな時間がよく取れるものだと呆れるかもしれない。我ながらそう思わないでもないが、実際はかなり有効な時間の使い方なのである。

走る前に、可能な限り多くの材料を頭に叩き込み、ある程度、問題を煮詰めておく。この状態で走ると、走り終わった時に問題が多少は整理されている。だから僕は基本的に早朝のランニングは行わない。時間がもったいないからだ。今日、走りながら思いついた言葉は「自分が評価するものは、自分と同じくらいの欠点をもつ」というものだ。

私たちは日常において、あらゆる物事を評価している。あの店の料理は大したことがない。あいつは使えないヤツだ。あの小説は出来が悪い。お前の説明はよく分からない。などなど。このとき私たちは当然のことながら、対象の属性について語っているつもりでいる。語られているのは対象の属性であるから、それは評価者とは関わらず対象に属していることになる。この考え方を敷延すれば、見誤りや誤解がない限り対象は正しく評価されるはずである、となる。西洋近代に始まった理性中心の考え方である。

これを現実にあわせた言い方にしよう。人は、自分が常に誤りを抱え込んでいる人間であるという自覚がない限り、対象を正しく評価できるはずだと思い込むことになる。故に自分が評価したものは、自分が誤りを抱え込んでいる度合いに比例して欠点を持つことになる。

しかしこの言い方も正確ではない。自分に誤りがあると気づかない限り、評価した本人にとって評価は正しいものとして映る。また、そのような事態を評価する第三者の視点からすれば、評価者の欠点と評価される対象の欠点は一致している。つまり評価とは対象の属性を評価するという構図そのものは変わっていない。

何やら面倒な話しになってきた。正直、最初からもう少しわかりやすく書き直したい気持ちになってきた。しかしそれも面倒なので、一挙に話しの舵を切ることにする。

結局のところ、評価というのは対象の属性についての価値判断ではなく、評価者がどのような評価基準を持っているかの表明にほかならない。そういうことを言おうとしただけである。

具体例をいくつか挙げよう。先日、録画しておいた日曜美術館を見た。「だまし絵特集」で、その中でジュゼッペ・アルチンボルトの《ウェルトゥムヌス》という絵画を取り上げていた。ルドルフ2世の正面向きの肖像画だが、両頬がリンゴ、眉毛は麦、額はかぼちゃ(?)というように、すべてのパーツが63個の植物で描かれている。

これに対して、出演者は「さまざまな種類のものが揃うことが繁栄には必要だということを表しているのでは?」とか、「肖像画の華やかさと対比的な黒に、栄華とうらはらの闇の存在を感じる」とか、「植物はいずれ朽ちるものである。植物で肖像画を描いたのは繁栄が長くは続かないということを意味しているのでは?」などと言っていた。

どのような読み解きも可能であると思う。しかしそこで読み解かれているのは絵画だけではなく、自分自身でもある。「繁栄には多様なものの共存が必要である」「表面的な栄華の影には闇が潜む」「繁栄しているものもやがては朽ちていく」このような考え方を持っていない人間は、絵画を見ても決してそのような読み解きは行えないからである。つまりあるものを評価するということは、対象の評価であると同時に、自分の評価基準の表明でもあるのだ。

私たちは日常においてさまざまに評価を下している。内田樹の言うように消費者として主体を立ち上げた現代人たちは、基本的に何でも評価を下せると思っている。しかし実際は、評価をするごとに、自分の評価基準が暴れるという形で世界に評価されているのである。世界を低く評価する者は、世界に低く評価されるだろう。そしてそのような者に世界は豊かさを示してくれないかもしれない。