斎藤幸平さんの本などで、マルクスについてちょっとだけ学んでいる。
それによると、資本主義とは、社会のあらゆる「モノ」を「商品」に換えていく運動だそうだ。終わることなく「価値(利潤)」の増殖を続けていく運動。
すべてが「商品」に変わっていく社会。誰もが、何かを見たときに「これ売れないかな?」と考える社会。「もっと儲からないかな」と考える社会。それが資本主義社会だそうだ。
冷戦崩壊後、資本主義が世界中を覆った。それ以外のあり方など存在しないかのようだ。実際、多くの人たちが資本主義的な価値観や行動規範を内面化した。(そうしないと、生きていけないような状況が広まった。)
資本主義以外の社会を思い浮かべられないのであれば、社会はそのまま資本主義社会ということになる。疑うことの許されない、信じるべき、唯一の真理。
そんな中、社会や世界のあり方が脅かされたとする。それは自分や家族の生活や命を脅かそうとする。
当然のように、社会や世界を守らなくてはと、私たちは思う。自分や家族の生活や命を守るためにも。必死で、全力で。
ただその社会は、資本主義社会た。あらゆる「モノ」を商品に換えるような運動。その運動を維持する、いやそれ以上に拡大させることが、社会や世界を守ることになる。
コロナ禍と言われてだいぶ経つ。その中で、何人もの人から「コロナ禍を逆手にとってビジネスチャンスにする」という言葉を聞いた。
「コロナ禍」すらも「商品」に換えようとする。それは、あらゆる「モノ」を「商品」に換える資本主義としては当然の行為だ。コロナ禍に負けないというのは、コロナ禍においても資本主義を維持することになる。
なぜなら、資本主義社会こそ唯一の社会だからだ。資本主義を守ることで、世界や社会を維持し、自分や家族の生活や命を守ることが出来る。
そう考えると、コロナ禍での対策の多くが経済対策だったことに納得がいく。資本主義以外の社会が想定されていれば、人命優先ということも考えられるだろう。
しかし、社会とは資本主義しかないのであれば、資本主義が崩壊することは社会が崩壊すること、すなわち人が生きる器そのものが無くなることだ。それは恐怖以外の何ものでもない。
コロナが治って資本主義が崩壊する。コロナが治らなくても資本主義が繁栄する。非現実的な二択だが、そんな二者択一が行われているような気もする。
生産性、という違う角度からの言葉を持ち込めば、生産性のない人はコロナが治らなくても構わない。なぜなら「価値(利潤)」の増殖に役立たないから、ということになる。
世界的な気候変動、富の一極集中、過度な開発による感染症の多発。資本主義をこのまま続けるのは無理だろう。
人は生産性で測られるべきでいない。少しくらい鈍くさくても、まじめに額に汗して働いていれば、笑顔でいられる。そんな社会がよいと思う。
大したことは出来ないけれども、まあ、行けるところまで、行くしかないだろう。
明るく、笑顔で。
それによると、資本主義とは、社会のあらゆる「モノ」を「商品」に換えていく運動だそうだ。終わることなく「価値(利潤)」の増殖を続けていく運動。
すべてが「商品」に変わっていく社会。誰もが、何かを見たときに「これ売れないかな?」と考える社会。「もっと儲からないかな」と考える社会。それが資本主義社会だそうだ。
冷戦崩壊後、資本主義が世界中を覆った。それ以外のあり方など存在しないかのようだ。実際、多くの人たちが資本主義的な価値観や行動規範を内面化した。(そうしないと、生きていけないような状況が広まった。)
資本主義以外の社会を思い浮かべられないのであれば、社会はそのまま資本主義社会ということになる。疑うことの許されない、信じるべき、唯一の真理。
そんな中、社会や世界のあり方が脅かされたとする。それは自分や家族の生活や命を脅かそうとする。
当然のように、社会や世界を守らなくてはと、私たちは思う。自分や家族の生活や命を守るためにも。必死で、全力で。
ただその社会は、資本主義社会た。あらゆる「モノ」を商品に換えるような運動。その運動を維持する、いやそれ以上に拡大させることが、社会や世界を守ることになる。
コロナ禍と言われてだいぶ経つ。その中で、何人もの人から「コロナ禍を逆手にとってビジネスチャンスにする」という言葉を聞いた。
「コロナ禍」すらも「商品」に換えようとする。それは、あらゆる「モノ」を「商品」に換える資本主義としては当然の行為だ。コロナ禍に負けないというのは、コロナ禍においても資本主義を維持することになる。
なぜなら、資本主義社会こそ唯一の社会だからだ。資本主義を守ることで、世界や社会を維持し、自分や家族の生活や命を守ることが出来る。
そう考えると、コロナ禍での対策の多くが経済対策だったことに納得がいく。資本主義以外の社会が想定されていれば、人命優先ということも考えられるだろう。
しかし、社会とは資本主義しかないのであれば、資本主義が崩壊することは社会が崩壊すること、すなわち人が生きる器そのものが無くなることだ。それは恐怖以外の何ものでもない。
コロナが治って資本主義が崩壊する。コロナが治らなくても資本主義が繁栄する。非現実的な二択だが、そんな二者択一が行われているような気もする。
生産性、という違う角度からの言葉を持ち込めば、生産性のない人はコロナが治らなくても構わない。なぜなら「価値(利潤)」の増殖に役立たないから、ということになる。
世界的な気候変動、富の一極集中、過度な開発による感染症の多発。資本主義をこのまま続けるのは無理だろう。
人は生産性で測られるべきでいない。少しくらい鈍くさくても、まじめに額に汗して働いていれば、笑顔でいられる。そんな社会がよいと思う。
大したことは出来ないけれども、まあ、行けるところまで、行くしかないだろう。
明るく、笑顔で。