とんびの視点

まとはづれなことばかり

アインシュタインから学べること

2013年10月20日 | 雑文
今日は朝から冷たい雨が降っている。このままランニングはできずに終わりそうだ。今月、ここまで96km走った。月初、一週間以上走れなかったことを考えれば、よいペースだ。このペースを定着させ、一月のレースに持ち込みたい。

先週、次男と『風立ちぬ』に行って、もっと映画を見たいと思った。さっそくDVDを借りて、昨日、是枝監督の『歩いても 歩いても』を見た。とても心地よかった。午前中に映画を見て、夜には野田MAP公演の『MIWA』を見に行った。面白い芝居だったが、すごい芝居とまではいかなかった。(予想だおりだが、古田新太と池田成志、そして宮沢りえが良かった)。ちょっと文化的な週末だ。

先日、図書館で雑誌『ニュートン』を借りた。特集は「時間論」だった。アインシュタインの相対性理論をテーマにしたものだ。僕は高校に入った頃には理系科目を捨てていたので、正しく理解している自信はない。それでもおおよその内容は理解できた気がする。

相対性理論とは、この地球上と光速に近いスピードで移動している宇宙船の中では時間の進み方が違う、というものだ。光速に近い宇宙船の方が地上よりも時間がゆっくり進む。だから宇宙船で三年旅をして地球に戻ったら五年たっていたことになる(年数はいい加減)。映画『猿の惑星』で使われていた。

とくに感心したのは、アインシュタインの一貫性だ。特殊相対性理論は「光速度不変の原理』をもとに成り立っている。どういう原理かというと、光の速さは常に一定で秒速30万km、というものだ。(そして光速は宇宙で最も速い)。

アインシュタインは十六歳の時に、光が最も速いのならば、光の速度から見たべつの光はどのように見えるのか、という疑問をもった。(具体的には、光速で飛んでいる自分の顔は前にかざした鏡に映るか、というものだったと思う)。疑問としては、時速60kmで走っている自動車から、時速80kmで走っている電車を見たらどうなるのか、というのと同じである。

時速80kmの電車は、路上からは時速80kmだが、自動車に乗った人からは時速20kmに見える。私たちは経験的な事実としてそれを知っている。そしておそらく光も同じだと推論する。光速の半分の速度で飛んでいる宇宙船から光を発すれば、その光は光速の半分の速度に見えるはずだと。

アインシュタインは違う。光の速さは秒速30万kmだから、どのような状況でも秒速30万kmのはずだ。つまり光速の半分の速度の宇宙船から光を見ても、その光は秒速30万kmで去って行くはずだ、と考える。だがそうなると、宇宙船から発された光を地上から観察したら、秒速45万kmとなってしまう。これだと光の速さが秒速30万kmという「光速度不変の原理」に反することになる。

僕ならば、不思議なこともあるものだと、そこで終わってしまう。しかしアインシュタインは、そこからグイグイと考えを進めていく。光速度が不変だとすれば、それをそれを基準に「時間と空間」を論理的に書き換えてしまえばよい、と。それにより、「光速に近いほど、時間はゆっくり進み、空間は縮む」という結論を導き出す。つまり、時間や空間の均一性は宇宙全体で共通しているのではなく、相対的ということになる。(地球上ではほぼ均一だから問題にはならない)。

後には特殊相対性理論に重力の要素を加えた「一般相対性理論」が出来上がる。どちらも理論的に導き出された結果だが、その後の観察では理論通りの現象が認められているそうだ。十六歳の疑問から一般相対性理論まででも20年以上かかっている。一貫して何かをやり続けるのはすごいことだ。これはアインシュタインだけでなく、一流の人には共通している。

どうすれば「一貫して何かをやり続ける」ことができるのだろう。少なくともアインシュタインには結果は見えていなかったし、報酬も約束されていなかった(とはずだ)。結果が分かっていて、成功報酬が決まっているから取り組んだ、というのではなさそうだ。

アインシュタインが一貫して考え続けられたのは、「問い」がいつも目の前にあったからではないか。僕にっては不思議なことで「終わり」となる地点が、彼にとっては「出発点」だったのだ。おそらく、うまく行かないことがあるたびに、そこを終着点とせずに出発点にする。そういうサイクルを持っていたのだろう。

相対性理論を考えられるほどの頭脳を、万人が持っているはずはない。しかし、行き止まった時に、そこを終着点ではなく出発点にするという姿勢なら、僕にも持てるかもしれない。理論の内容は正確に理解できないが、そういう姿勢は学ぶことができる。

外は暗くなり、まだ雨が降っている。







二時間半走ったり、『風立ちぬ』を見たり

2013年10月14日 | 雑文
今日は荒川の土手を二時間半かけて21kmほど走った。腰と膝に痛みが出た。以前から故障しがちなところだ。走り込めば本格的に故障する可能性もあるが、走り込まなければ、1月末のフルマラソンでひどい目に遭う。うまく強化につながる走り方を考えねばならない。ゆっくりとしたペースで週に一度、ハーフを走るのが良さそうだ。

10月なのに暑い日が続いていたが、久しぶりに秋らしい土手だった。土手沿いグランドでは少年野球やサッカーの試合が行われていた。みんな夏ほど汗をかいていない。必死さよりも楽しさが伝わってくる。自転車であるいは自分の脚で走る人たちも多い。広場ではたくさんの人たちがタープを立て、バーベキューをしている。大にぎわいだ。

それでも人が絶えることがある。自分一人、土手を走っている。わずかな風に、乾いて軽くなった秋の草が揺れる。その草にバッタが乗っている。揺れが大きくなると羽を広げてバッタが飛び立つ。15kmを過ぎたあたりから、自分が空っぽになって行くのを感じる。機械的に脚が前に出て、腕が振られる。目には秋の土手の光景が映り、耳にはいろんな声や音が入ってくる。でも、何も認識していない。

認識していないことに、どこかで気付いている。自分が走っているのか、地面が動いているのか、その両方なのか。ぼんやりしてくる。でも、どこかに研ぎ澄まされた精神がある。右脚と左脚を交互に前に出すことにわざわざ時間を使う。無駄なことをやっているような気もするが、これ以外にやるべきことなど無いようにも思える。長い距離を走っているときの、そういうごちゃごちゃした感じが好きなことを、久しぶりに思い出した。

昨日は次男と『風立ちぬ』を見に行った。上映されてからかなり日が過ぎたので映画館は空いていた。小学三年の次男には少し難しかったようだ。映画を見る前に、録画してあったNHK番組「プロフェッショナル」を見ていたので、いろいろ考えながら見ることになった。

「プロフェッショナル」では、宮崎駿が『風立ちぬ』を完成するまでの3年間を追いかけていた。「風立ちぬ」の企画は2010年の秋だ。困難な時代を生きることを描く、というのが当初からのテーマにあったようだ。制作を始めてから東日本大震災が起こる。「風立ちぬ」には関東大震災のシーンもある。映画を作りながらさまざな葛藤が起こる。

とくに印象的だったのは、宮崎駿が「女の子があっちの世界に行ったとか、自立したとか、今はそんな映画を撮っているような時ではない」とかなり強く話していたことだ。東日本大震災以後の世界を(自覚的に)生きるためには、それ以前と同じことをしているわけにはいかない。その意味では、これまでの映画とはまったく違うものになっていた。

もう一つは、『風立ちぬ』の主人公が実在の人物で、ゼロ戦の設計者だったことだ。世の中がきな臭くなっている昨今、「なぜ、ゼロ戦の設計をした人間を描くのか」「戦争を肯定することにならないか」といろんな人に質問されたそうだ。宮崎駿は映画ではそれに答えなければならない。

『風立ちぬ』は、美しい飛行機を作りたいという夢を持った主人公の堀越二郎が時代の中でゼロ戦を作っていく話と、結核にかかっているヒロイン里見菜穂子との恋愛という二つが絡み合ったものだ。個人的にはこの映画、ゼロ戦を作ったことが免罪されてもいないし、恋愛話にも逃げていない、と思う。細い道筋ではあるが、なんとか正面からすべての問いに答えたような気がする。

その答えはシンプルだ。最後のシーンの「あなた、生きて」という言葉に尽きる。自分が生きる時代や状況は選べない。その中で誰もが主観的には、合理的に「よく生きよう」としている。もちろん誰も聖人君子ではなく、それなりに弱さや愚かさを抱えている。結果的には、自分の意図を超えた悪をなすこともある。しかしそれは事後的に気付くものだ。

多かれ少なかれ、そういう経験を私たちは抱え込んでいる。それでも「生きる」しかないし、それでも「生きていく」ことができる。そういうことを僕は映画に見た。それは『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で、村上春樹がエリに言わせた言葉と同じだ。

「私たちはこうして生き残ったんだよ。私も君も。そして生き残った人間には、生き残った人間が果たさなくちゃならない責務がある。それはね、できるだけこのまましっかりここに生き残り続けることだよ。たとえいろんなことが不完全にしかできないとしても」。

いま生きている私たちは、たまたま「生き残った」人間なのかもしれない。だとすれば、不完全でもしっかり生き続けるしかない。耳をすませば「あなた、生きて」という声が聞こえるかもしれない。

表彰について

2013年10月11日 | 雑文
10月の初旬も終わろうとしているのに、気温は30度を超えたそうだ。ここ数日、外に出る時には真夏と同じ服装だし、家ではショートパンツにTシャツだ。夜には窓を少し開け、掛け布団の類はまったく使わずに眠っている。なんだがちょっと変な感じだ。秋には秋らしく、長袖のシャツを着て、乾いた冷たい風の中を、心地よく歩きたいものだ。

さてさて、何を書こう。今は内容よりも定期的に文を書くことが必要な時期だ。なんでも良い、とにかく書こう。

僕は毎日、新聞に目を通している。購読しているのは東京新聞だ。先日、日経を読んでいる人と話をしたら、見事にすれ違った。「福島第一の作業員が汚染水をかぶりましたね」と言ったら「そうなんですか?」と言われ、「小泉純一郎が原発ゼロを目指すべきだと講演したのを知ってますか」と聞いたら「知らなかった」との答え
。こういうすれ違いが積み重なって行くと、同じ社会に住みながら、かなり違う社会に生きていることになる。

東京新聞は少数派なので、意見の違いなどが出た時にはマイノリティー側になる。原発関連の報道では顕著だ。それに東京新聞には「こちら特報部」という、記者クラブを通さなず独自取材で記事を書いているページがあり、これがとても良い。昨日も『「美談」より安全対策を 横浜踏切死亡事故で表彰ラッシュ』という記事があった。

横浜市内のJR踏切で高齢男性を助けようとして、女性が電車にはねられて死亡した事故の件だ。この件に関しては、神奈川県警や神奈川県が感謝状を両親に手渡した。警察庁は警察協力章(民間人への最高位の表彰)を贈ることを決定。安倍晋三首相は感謝状を贈る。さらに安倍政権としては紅綬褒章の授与と、遺族への銀杯贈呈を閣議決定した。

とくに安倍首相の感謝状は、通夜の会場、祭壇前で菅官房長官が「身の危険が伴うにも関わらず、救出しようとして尊い命を犠牲にされた」と読み上げたそうだ。記事には三つのことが書かれている。

一つ目は、勇気ある行動を称賛するよりも、線路内に立ちする危険性を周知するなど、安全対策などにも力を入れるべきだ、というもの。
二つ目は、周りが称賛しすぎると、遺族が「人助けをしなければ、今ごろ…」というような複雑な感情や悲しみを抱え込むことになるのではないか、というもの。
そして三つ目は、「うがった見方かもしれないが、安倍首相が『命をかけた自己犠牲は美しい』と、世論を誘導しているようにも感じてしまう」という意見の紹介。

三つの意見について何か書こうと思えば書けるが、「表彰」について。かつて「表彰」について考えたことがある。そこで思い当たったのは、表彰とは基本的に上下関係が存在する一方通行なものだ、ということだ。権力側・権威側が下に向かって、その業績や行為を認めることだ。つまり、ある種の承認である。

権力側・権威側は、自分たちには表彰を行う権力・権威を有しているのだということを表彰を行うことによって顕示する。「表彰」には権力・権威構造を反復強化する機能があるようだ。かりに首相が踏切で人を救って命を落としても、私たち庶民が首相を表彰することはできないだろう。庶民には敬意を表したり、称賛することしかできない。

その一方、「人に承認されたい」と思っている人には、表彰は有効に機能する。自分がやっていることが人に認められるのは、誰にとっても嬉しいことだ。何をやっても人から認められない。そんな状態にいる人に、「○○をやれば人に認められるよ」と示したらどうだろう。それが自分の考えに多少反するものでもやってしまうのではないか。(昇進と引き換えに上司や会社の不法行為を見逃がす、とか)。

安倍首相が「命をかけた自己犠牲は美しい、と世論誘導している」かはわからない。ただ、国のためには個人は犠牲になっても仕方がない、それどころか、個人は国のために犠牲になるべきだ、という考えを持っている人なら、こういう機会を利用して、自己犠牲は美しい、というメッセージを流すのは理にかなっている。

「国のことを大切に思う気持ちは大事だ」とか「場合によっては自己犠牲は美しい」ということを抽象的な言葉は内容的には間違っていないが、その表面的な響きの良さで受け止めてしまうことは危険だ。それが最悪なケースで具体化されれば、唯一の顔と生活をもった一人一人の国民が、次から次に血を流し、苦しみ、悶えながら、息絶えることになるのだから。それは決して「美しい」ものではない。

「表彰」から少し話が流れたかもしれない。でも繋がっているのだ。何かを考える時にそういう繋がりを時間・空間的に広く捉えることが、現在の社会を考える上で必要なのだと思う。問題を限定すればするほど、答えは簡単に出る。でもそれはだいたいが陳腐で、一時的にしか機能しない。問題は先送りされ、そのぶん大きく成長する。

風邪をひいて、いろいろ考える

2013年10月06日 | 雑文
風邪をひいた。寝込むほどのひどさではないが、喉と鼻をやられている。部屋でゴロゴロしながら、本を読んだり、テレビを見ている。当然のことだが、ランニングもできない。今月に入って一度も走っていない。体重も少しずつ増えている。すべてが受け身になっている。よくない。少しでも攻めに転じようと、この文を書いている。

内田樹の『修行論』を読んだ。なかに、私自身の弱さの構造と機能について研究すること、それが私にとっての最優先課題だった、という言葉があった。著者が合気道を学ぶに当たっての課題とでも言うものだ。強さを求める際に、自分が持っていない強さに焦点を当てるやり方と、自分が持っている弱さに焦点を当てるやり方がある。

どちらもやり方次第だが、僕はどちらかというと後者のやり方をとる。自分の「弱さ」や「ダメや部分」について焦点を当てている方が、良い状態でいられるからだ。弱さやダメな部分を細かく洗い出し、それらがどのような経緯で生まれてきたのか、条件次第でどんな結果につながるのか、そういうことを考えていると、自分がいかに危うい存在かがわかる。危うさがリアルになれば、それを回避するようになる。そうすると比較的良い状態でいられる。

それだけではない。自分が良い状態だと、他人の弱さやダメな部分に寛大になれる。べつに上から目線で言っているのではない。他人の弱さやダメな部分をよく見れば、それらが僕自身の弱さやダメな部分とほとんど変わらないことに気づくからだ。場合によっては自分がそうであってかもしれない姿が目の前にある。冷やっとする。自分の危うさを感じる。

自分の危うさを見てしまうから、他人に対して偉そうなことが言えなくなる。もちろん腹立たしくなることもある。でもよく考えると、その腹立ちは、そんな状況を何とかできない自分に対するものだと気づく。(大抵は時間が経ってからだ)。自分ならその状態をどう切り抜けるか考える。うまく伝えようと思う。技術が未熟なのであまり伝わらないことが多いが、それでも他人と自分の間に何らかの回路があることは実感できる。

でもそれは個人が相手の場合だ。組織やシステムが相手になるとその回路が見出せなくなる。例えば、原発事故、沖縄の基地問題、憲法改正、TPPなど。違和を感じるが、そこに個人が見えないものになるとダメだ。震災以後の日本社会では、そういったことを専門家に任せておけば大丈夫、とは言えなくなった。(以前から問題があったのが、一挙に露呈した)。

では、どのような言葉が有効なのか。その辺りが今ひとつ見えてこない。善悪二元論に立ち、相手をやっつけれるのであれば簡単だ。実際に勝ち負けがつくことはないかもしれないが、くシンプルに整理できる。しかしそのシンプルさは、相手と断絶することで可能となるものだ。断絶している相手とは接点がない。いくら声をあげても、なんの影響も及ぼせない。やはり、相手とつながる回路が必要なのだ。僕はそんな回路となる言葉を探しているのだろう。

先日たまたまPodcastでガンジーの言葉を耳にした。「明日死ぬかのように今日を生き、永遠に生きるかのように今日学べ」というものだ。すごい言葉だと思った。そして風邪でゴロゴロしていた時に、何年も見ていない『ガンジー』のDVDの存在を思い出した。このチャンスを逃せば一生見ないだろう。そう思い一念発起した。一人の人間の生涯を数時間にまとめたものなので、映画としては今ひとつだった。(予想通りだ)。

ただ、問題があるたびにガンジーが断食をするのが面白かった。英国からの独立に際して非暴力を訴えるために断食をする。ヒンズー教とイスラム教の衝突を抑えるために断食をする。暴動が収まらなければ餓死するつもりで断食をする。かなりギリギリまで行くが、結局は暴動は収まる。

ガンジーには回路が存在しているのだ。だから彼が断食をしたことで暴動が収まったのだ。回路がなければ断食をしても意味はない。僕がいま死を賭して断食をしても世の中は変わらない。回路が存在しないからだ。

なるほど、ここまで書いてきて気づいた。現在の世界の回路の多くは金銭によって開閉しているのだ。そして僕は金銭以外の回路を探しているのだ。金銭が不要だというのではない、回路が一つしかないとそこが塞がった時に、すべてが滞ってしまう。それは危険なことだ。だから別のルートも用意しておくことが必要なのだ。早く風邪を治して、回路を探そう。