とんびの視点

まとはづれなことばかり

『サバイバー 池袋の路上から生還した人身取引被害者』を読んで思ったこと

2017年04月28日 | 読書
今朝は土手を8kmほどランニング。今月はこれで101km。何とか月の最低目標の100kmを越えた。おまけに1km6分を切るスピードだ。1週間前には7分以上かかっていた。大きな違いだ。ジョガーから梅ランナーへ復活。理由は腰の調子が少しよくなったからだ。合気道の稽古仲間に整体を生業としている人がいて、先週末、その人に体を整えてもらった。

さすがに長く続いている腰痛が一度に治ることはない。それでも体全体のゆがみがとれ、疲れが一気に吹っ飛んだ。いや、単に疲れがなくなっただけでなく、体中にエネルギーが満ちている感じだ。体の左右のバランスがかなりずれていたようだ。施術後、家に帰ったら「顔が変わった」と相方が驚いていた。自分では気付いていなかったが、かなり顔が崩れてたようだ。それがすっかり良くなっていたらしい。この調子で腰が改善すれば、来春のフルマラソン復活も視野に入ってくる。とりあえず、5月の目標は1週間に30km、1ヶ月で125kmというところだ。

先週末、『標的の島』という映画を見た。沖縄の基地問題を扱った映画だ。高江のヘリパッド建設、宮古島と石垣島での自衛隊基地の建設。それらを推進しようとする日本政府、その背後にあるアメリカの戦略。基地問題や本土の姿勢に対する沖縄の人たちのさまざまな反応。簡単にわかったようなことを言えない気がした。知らないことがあまりにも多すぎる。問うべきは「沖縄の基地をどう思うか?」ではない。「沖縄の基地について意見を述べるためには何を知らなければならないか、それを知っているか?」だ。そんな中、政府は辺野古の埋め立てに着手した。かりに沖縄に基地が必要だとしても、このやり方はよくない。

ちょっと前のことだが、『サバイバー 池袋の路上から生還した人身取引被害者』という本を読んだ。マルセーラ・ロアイサというコロンビア女性が体験談を書いたものだ。コロンビアではだいぶ売れたようだ。21歳のシングルマザーで生活に苦しんでいた彼女が、不安と希望を胸に日本に来てみれば、実態は人身売買のようなもので、暴力にさらされ、売春を強要されたという話だ。彼女の場合は普通の生活に戻り本を出版することができたからよいが、それこそ虫けらのように存在が消えていく人も山のようにいるはずた。(そんな彼女だって10年以上たってもトラウマが残っている)。

この本を読んで2つのことを思った。今回はひとつめ。

話の舞台となっているのは、1990年代終わりのころの池袋だ。池袋といえば、いま住んでいる家から5kmちょっとの距離だ。そのころ僕が通っていた大学はとなり駅だった。買い物にもしょっちゅう行ったし、飲みにも行った。芸術劇場に野田マップの芝居を観に行くこともある。まあ、僕の平凡な日常の延長線上にある場所だ。。僕とって池袋とはそんな平凡な場所だ。その平凡な感覚は池袋にとどまらない。とくにイレギュラーな事態が起こらなければ、僕の移動に合わせてその平凡な場所は広がる。そして観念的になれば、社会とか世の中とか日本とか世界も、そういう平凡な場所になる。

僕にとっては平凡な池袋という場所を、彼女は暴力にさられ、売春を強要される場として捉える。人身売買のような形で日本にいる彼女にとって、暴力にされされ売春を強要される感覚は日常全体を覆う。その日常は日本で営まれる。結局、日本とは暴力にされされ売春を強要される場所ということにな。

僕にとっても彼女にとっても、池袋は「池袋」、日本は「日本」で同じだ。地球上の同一の場所にある。でも、僕の「池袋」と彼女の「池袋」とはまったく異なる。自分とのかかわりで成り立つ「池袋」や「日本」の意味や内容が異なるからだ。同じだけど異なる。同じでないが異なってもいない。仏教的には「不同不異」という。考えることもなく、これは当たり前のことだ。同じ会社に属していても、その会社が何であるか(つまり意味)は、自分とのかかわりにおいて成り立つ。同じネコを飼っていても、家族それぞれにとっての意味は微妙に異なる。こういった「かかわり」によって物事が成り立つことを「縁起」という。

私にとって存在するものは、〈私〉とのかかわりを離れて存在しない。どのような出来事も私とのかかわりを切り離しては成り立たない。「池袋」はつねに私にとっての池袋であり、「日本」はつねに私にとっての日本である。あらゆる人が共通了解に至れるのは、名称や位置情報といったたぐいで、その意味や内容はひとそれぞれ、千差万別にしかなりようがないのだ。

なんでそんなことを考えたか。この本を読むちょっと前に新聞で「あなたは日本社会に満足ですか」という調査の結果を見たからだ。(6割くらいが「満足」と答えていた)。ここでいう「日本社会」とは、調査に答えた人たちと切り離された、誰もが共通した内容を備えた対象ではい。それぞれの人とのかかわりによって成り立っている意味や内容である。だから、この質問は「あなたは自分の現状に満足ですか」と聞いているのと変わらない。

だから、6割の人が満足だと答えても、それは「6割の人が満足しているよい社会だ」とはならない。満足だと答えた6割の人が、たまたま日本社会という場所でいま生活しているだけだ。その6割の人の日本社会もそれぞれ異なった意味や内容のはずだ。それはコロンビアの彼女と僕との異なりと本質的には変わらない。

じゃあ、僕と彼女を分ける決定的な違いは何か。それは「たまたま」「偶然」ということだ。僕はこの時代、たまたま日本に生まれた。たまたま下町の、たまたまそれほど裕福ではない職人の家の、たまたま…。そして彼女もこの時代、たまたまコロンビアに生まれた。たまたま女に生まれ、たまたま貧乏な家に生まれ、たまたま…。そんなことが人々の生活に大きな違いをもたらす。

その過程の中でいくつもの選択肢があったことも確かだ。友達の忠告を聞いて日本に来ないことだってできた。そうすれば、暴力にさらされ売春を強要されることもなかった。でも、彼女が日本の裕福な家庭に生まれていたらどうだろう。おそらく、ああいった形で池袋に立つこともなかっただろう。彼女は、日本から抜け出し、新たな生活を手に入れ、本を出版することができた。少なくとも池袋的な日常とはちがう日常を生きることができた。それは「たまたま」のようにも見えるし、「必然」のようにも見える。

自分が生まれる条件を選べないという意味で、私たちの人生は基本的には「たまたま」である。その「たまたま」という偶然の中で、何とか自分の生きている意味、つまり「必然のよなうなもの」を見つけようとするのが、わたしたち人間なのだろう。

長い距離を走れるれると、こういうことを頭で転がせるんだ。そんなことを思い出しながら走った。
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子どもたちのこと

2017年04月19日 | 雑文

あっという間に4月も残りも10日ちょっとになった。桜の花が散り、葉を茂らせるようになると、東京にも緑の面積が増える。このところ3日ほど25°を越える日が続いている。初夏を思わせる日々だ。毎年、ゴールデンウィークにはこんな感じの日があるが、いつもより早い気がする。

そんな緑の中、今朝は土手を7kmほどランニングをした。ジョギングではなくランニングだ。久しぶりに、本当に久しぶりに「走っている」という感覚を味わえた。あとはこれで腰痛が悪化しなければよい。そうすれば少し走り込むことが可能になる。汗とともに悪いものも流れ出るし、体重も落とせる。

小学校のことと中学校のことを書こうと思う。どちらも多少、批判めいた感じになるが、誰かを責めたいわけでもなく、自分が正しいと言いたいわけでもない。現状の確認と、それに対しての疑問を記しておきたい。

まずは小学校のこと。

先日、小学校の保護者と久しぶりに話をした。聞いてみると、今年度から小学校は規則が厳しくなったそうだ。筆箱はみんな四角い形のものにするとか、持ってきてよいペンはこれとこれとか、62個も規則ができたと言っていた。確かに、学校としてはルールが決まっていると指導がしやすいだろう。基準が曖昧だったり、学年ごとクラスごとに基準が違っていたら、生徒も先生も面倒が増える。

しかし、ルールを決めることと、全員の持ち物が均一化されることは違う。勉強に支障のないかぎり筆箱は自由なものでよい。そういう基準を明確にし、学校全体に徹底させてもよい。みんないろいろな筆箱を持ってくることだろう。人によっては勉強に支障があるように見える筆箱を持ってくる生徒もいるかもしれない。でもそれはどうしても避けなければならない問題ではない。

まずは本人に、その筆箱が勉強に支障がない理由を尋ねればよい。その説明に教員や他の生徒が納得すればオーケーだ。納得いかなければ、なぜ支障がでるのか生徒に説明すればよい。そういうやり取り自体が、教員と生徒の考える力、説明する力、対話する力などを養うはずだ。もちろん、それなりの労力がかかる。しかし得るものも多いはずだ。何よりも基準を明確にすることで、多様性が生まれるのはよいことだ。

日本では基準を明確にすることは、均一で同質なものを生み出すことだと思っている人が多いようだ。みんなが同じ服装を着て、みんなが同じ髪形をして、みんなが同じ持ち物を持つ。そういうものが持つある種の好印象は否定しない。しかしこれは同調圧力を生み出す。マイノリティーを排除する傾向を生み出す。だとすれば、均質で同質なものを生み出すルールは何のためなのだろう。

言われたことに従う人をつくり出すためという明確な目的があるならわかる。少なくとも目的・手段関係は成立している。しかし、それが日本社会に必要な教育か否かは別問題だ。また、そのようなやり方で子どもたちに、考える力、説明する力、対話する力を求めるのは止めたほうがよい。ダブルバインド的な状況を作り出すだけだろう。

均一で同質なものを求める理由が、教員の管理や評価のしやすさ、あるいは細かいやり取りを避けるためというなら、それは子どもたちの教育とは別の問題だ。管理する側が効率的に仕事を進めるためでしかない。そしてその結果、生徒たちはある種の力を身に付けることができないままに大人になる。

こう書くと学校批判になってしまう。しかし2年間、わりと近くで先生たちとやり取りしていた実感からすると、そんな単純な話ではない。学校現場で何らかのやり方が選ばれるには、その学校の教員たちだけの決定ではない。1つには文科省をトップとする教育行政からのさまざまな要求が現場にきているからだ。現場としては(トップほど)そう簡単にそれを無視することはできない。(だから今後の道徳教育はきちんとウォッチしなければならない)。

そしてもう一方には保護者がいる。保護者に限定したことではないが、現在の日本人には消費者マインドがかなり浸透している。支払ったものに対して正当なサービスを受ける権利があるという感覚だ。じっさい保護者からは「なぜ、うちの子どものクラスにはあの問題児がいるの。クラスを換えてくれ」「なぜ、妊娠している先生を担任にしたの。子どもに不平等だ」などのクレームがきたりする。

学校現場に求められているのは、行政にも保護者にも分かりやすく、そのうえ満足できるアウトプットを示すことだ。だとすると子どもたちに均一で同質なものを求める基準を作ってしまうのも自然なことだ。(僕の嫌いな「こうなります」だ。)取り組みも明確だし、アウトプットも見えやすいし、評価も理解されやすい。さまざまな立場から出てくる問いに対して、一応、説得力ある答えにはなっている。学校現場はきっとそんな答えを模索しているのではないかと思う。(その中で各人の意識する先が「行政」「学校」「生徒」「保護者」とわかれ、さらに取り組みの姿勢に差が出るから現場も一枚岩になりにくい。)

大切なのは、その説得力のある答えが「正解」ではないかもしれないと自覚していることだ。現場の事情から導き出された最適解は、必ず現場の事情に引きずられている。つまりその答えは、考えを止めるゴールではなく、そこから考え始めるための暫定的なものでしかない。では、何に照らして暫定的な答えを測るのか。それは「子どもたちをこういう大人に育てよう」という理念だ。

自分より相対的に強い相手の言うことに、何の疑問も持たない。自分の意見も持たず、ただ、ただ従順な人間を育てたいのか。誰に対しても相手の話をよく聞き、疑問があれば丁寧に問いかけ、そして自分の意見も言う。そして対話を通して現状をより良いものにしていくような人間を育てたいのか。文科省は(というか現政権は)明確にそのビジョンを持っている。教育現場も多くは理想を持っているだろう。保護者もそれぞれ考えている。この三者がうまくやり取りをしていかないと、そのしわ寄せは子どもたちにいくだろう。

せっかく、たまたまこの時期にこの日本に生まれてきた子どもたちだ。できるなら、よい人間に育って生きていけるように、大人たちがそれなりの労力を注ぎ込むべきなのだ。
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最後のお仕事、卒業式での「お祝いの言葉」

2017年03月28日 | 雑文
先週の金曜日、次男が小学校を卒業した。それは同時に僕の2年間のPTA会長の仕事が終わったことも意味する。卒業式での最後のお祝いの言葉、練習しただけあって多くの人たちに良かったと言ってもらえた。前にも書いたが、この手のスピーチでは原稿やメモは持たないようにしている。だから事前にかなりの練習が必要だった。

内容を自分の言葉で組み立てる。声に出し、話し言葉として滑らかになるように調節する。そして暗記。何度も声に出して練習する。声に出すだけじゃない。全部の流れをイメージする。来賓席に座っている。名前を呼ばれる。返事をして立ち上がる。来賓と校長にお辞儀をする。壇上まで上る。そして生徒にお辞儀をする。話をする。お辞儀をして、壇上からおりる。そして校長と来賓にお辞儀をして着席する。その一連のプロセスを何度もイメージし、実際に練習する。(仕事先の会議室でも行った)。まあ、それだけやれば、それなりに良いものにはなる。

そんな自分を見ているもう1人の醒めた自分がいる。曰く、お前さん、夏休みの自由研究の宿題に、本気で夏休み全部を使っている子どもみたいだ。みんながプールに行ったり、家族旅行をしたり、塾の夏季講習に行っているのに、ひとり図書館に通って調べ物をして、家で何かを作っている。そんな子どもの大人みたいだ。エネルギーを注ぎ込むのもいいけど、もう少し別のことにしたほうがいいんじゃないの。収入増やすとか。

でもどういうわけか、そういうアサッテの方向に行ってしまう。頭悪いと言えばそれまでだけど、こういうのをきっと〈業〉っていうんだろう。まあ、これでも何とか生きてこれたので、いいか。

なぜそこまでエネルギーを注ぎ込んじゃうかというと、卒業式をたんなる形式的な場にしたくないからだ。僕はもともと形式的なことが嫌いだ。誰が決めたかもわからず、何のためにやっているのかもわからず、慣例だから続いていることが嫌いだ。でも儀礼とか儀式は大切だと思っている。そして卒業式や入学式は大事な通過儀礼のひとつだと思っている。

儀礼というのはある種の非日常な聖なる時間であり空間である。それは簡単に日常的な俗なる形式主義に陥ってしまう。決められたことを、決められたようにこなす。滞りなく進めることが最優先される。雰囲気だけは厳かだし、当事者たちは少しは緊張する。でも心がべつのところにある。せっかくの卒業式をそんな形式的な場にしてはもったいない(まーたい)。

子どもたちがここまで生きてきた。そして次の世界に移る。そのことを祝う。そういう卒業式が本来の儀式というものだろう。そのために自分ができること。そう考えると、それなりのエネルギーを注ぎ込んでみるかという気になる。

卒業式。来賓席のよい場所に座っているので、証書の受け取る卒業生が目の前を通り、来賓席に向かってお辞儀をする。昨年度は自分の挨拶が気になり、ちょっと注意が散漫になった。今年は全員にきちんとお辞儀を返した。7割くらいの子どもと目を合わせることもできた。そのおかげかもしれない。子どもたちも〈お祝いの言葉〉をきちんと聞いてくれた。

とにかくゆっくり話そう。それが今回の課題だった。「6年生のみなさん、卒業おめでとうございます」。最初の一文を口にする。間を取るために余裕を見せて卒業生を見渡す。間をとったら、次の言葉が逃げていった。出てこない。思い出せない。次の言葉が。時間が過ぎる。空白の時間。子どもたちが少し怪訝な表情になる。

追いつめられている。やばい。でも、そのやばさを楽しんでいる自分もいる。笑顔で見渡す。やはり、言葉が出てこない。こりゃ本当にやばいぞ、そう思った瞬間に自然と言葉が出てきた。「ついに、王子小学校での最後の日を迎えることになりました」。(「ついに」というのがこの状況を演出しているようだ、と醒めた自分)。みんなはわざと引っ張ったのかと思ったらしいが、ほんとうは危ないところだった。

卒業式の後、いろんな人に「挨拶、とてもよかった」と言ってもらえた。握手してくれた先生もいたし、泣いていた保護者もいたそうだ。僕としては、卒業式が少しでも濃密なものになり、記憶に残るものになってくれたなら大満足だ。それに、家に帰ってから次男が「死ぬまで生きるって言い言葉だね」と言ってくれたのが嬉しかった。

とにかく、これで2年間のお役目が終わった。けっこうなエネルギーを使った気もするが、それなりに楽しめた。いろいろ考えることはあるが、それは今後の課題としよう。

最後に、今回の卒業式での「お祝いの言葉」を載せておく。


卒業式のお祝いの言葉

6年生のみなさん、卒業おめでとうございます。ついに王子小学校での最後の日を迎えることになりました。きっと皆さんの胸の中には言葉にならないいろんな思いがいっぱいあるのだろうと思います。

さきほど、皆さんが卒業証書を受け取る姿をずっと見ていました。一人一人の姿を見ながら、この子はこれまでどんなことを経験してきたのだろか。これから先どんなことが待っているのだろうか。そんなことを想像していました。当たり前のことですが、卒業生には誰一人同じ人はいません。一人一人が自分の顔を持ち、それぞれの体を持ち、違う考えを持っている。他の誰かでもかまわない、いなくてもいい、そんな子はひとりもいません。王子小学校には本当にいろんな子どもがいる。みんなちがって、みんないい。

誰一人として同じ生徒はいない。でも、ある一点でみなさんは同じです。それは王子小学校の立派な卒業生だということです。今日のみなさんの姿はとても立派です。

このように立派に成長した子どもたちの卒業を迎えることができ、保護者のみなさま、卒業、おめでとうございます。私自身も保護者の1人としてとても嬉しい思いです。

そして、子どもたちが立派に王子小学校から巣立って行けるのは、戸倉校長、清水副校長、廣野先生、高橋先生、渡辺先生をはじめとするすべての先生方の努力、そして職員のかたがたの暖かいサポートのおかげだと思います。長い間、どうもありがとうございました。

また、王子小学校で先生と生徒がともに学びあう。そんな日々を安心して過ごせるのは、地域というしっかりとした器があるからであり、地域のかたがたのつねなるご協力があったからです。これまで、どうもありがとうございました。そしてこれからも王子小学校をよろしくお願いします。

さて、それでは最後に卒業生のみなさんへの私からの言葉です。じつを言うと、私もこういう場所で話をするのは今日が最後です。月並みな言い方をすれば、私もみなさんと一緒に卒業というわけです。これまでこういう場で話をするときには、自分の言葉で話すことに決めていました。でも、最後に人の言葉を借りて、みなさんに贈ります。

谷川俊太郎さんの「さようなら」という詩です。詩の中では「ぼく」という言い方をしていますが、女子のみなさんは王子小学校で身に付けた豊かな想像力で補って聞いてください。

ぼくもう行かなきゃなんない すぐ行かなきゃなんない
どこへいくのかわからないけど 桜並木の下をとおって
大通りを信号でわたって いつも眺めてる山を目印に
ひとりで行かなきゃなんない すぐ行かなきゃなんない
どうしてなのか知らないけど お母さんごめんなさい
お父さんにやさしくしてあげて
ぼく好き嫌いいわずなんでも食べる
本も今よりたくさん読むと思う
夜になれば星を見る
昼はいろんな人と話をする
そしてきっといちばん好きなものを見つける
見つけたら 大切にして 死ぬまで生きる
だから遠くに行ってもさみしくないよ
ぼくもう行かなきゃなんない

これからさき、みなさんにはいろんな出来事があって、いろんな経験をすると思います。
でも恐れることなく勇気を持って、前へ、前へ、踏み出してください。
これからのみなさんに、よいことが、たくさんのよいことがあることを心から祈っています。

卒業、ほんとうにおめでとう

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とにかく何か書かねば

2017年03月22日 | 雑文
なんと。気がついたら3月も20日を過ぎていた。いつの間にか夜よりも昼が長くなっていた。あっという間だ。3月もあっという間だし、ブログを書かない日もあっという間に過ぎていた。何でもよいから書かねばならない。ブログを書くことはランニングと同じだ。ランニングは継続しているからこそ、楽に走れるようになるし、タイムも速くなるし、細かい体の使い方も修正できる。間隔を空けすぎると、走るたびに疲れるだけだ。

だいぶ書いていない日が続いた。そろそろ書くことを面倒に感じ始めている。(あるいは書かないことが日常になってきた。)いまはまだ自分が書いていないことに気付いている。でもあと一週間もすれば、そのことにすら気付かなくなるだろう。何でもよい、何かを書いておこう。

何がそんなに忙しいかというと、年度末でPTAが最後の山場を迎えているのが理由のひとつだ。たとえば今月は、謝恩会があり、区の小学校PTA連合会の役員会があり、PTA総会があり、中学校(ファミリー校)の卒業式があり、地区のバレーボール大会の引き継ぎがあった。時間でいえば、イベントひとつごとにブログを一本書くくらいはできた。

とくに謝恩会はティンパニの練習に時間をとられた。会の少し前、卒対の委員長から誘われたのだ。「今年は会長も卒業生の保護者だから、保護者の合唱でティンパニを叩いてくれないか」と。快く引き受けた。ティンパニを叩くのは初めてだが、小学校の時にブラスバンドに入っていて、同級生の中村君(あだ名はタコちゅう)がティンパニを叩く姿をよく見ていた。それを思い出して楽譜を見ながら、音源に合わせ、家でエアのティンパニを叩きまくった。(けっこう時間をとられた。でもとても楽しかった。楽器っていいなぁ。)

練習のかいがあって、謝恩会では大きなミスもなくティンパニを叩ききった。でも、ティンパニに意識が行き過ぎて、会長あいさつはかなり「ゆるい」ものになった。ああいう場で2つのことを引き受けたときの準備の仕方や、意識の分配の仕方について学んだ。(その後、憲法学者の石川健治さんがコントロールとは対象を操ることではなく、目的に合わせて自分を操ることだと言っていたことを深く考えた。そのことをブログできちんと書きたかった。)

PTAの仕事は明後日の卒業式でいちおう終わりだ。昨日あたりから卒業式での「お祝いの言葉」の練習を始めた。昨年度の入学式と卒業式、そして今年度の入学式とこれまで3回、壇上であいさつをした。これまで「自分の言葉で話す」「メモや原稿を見ないで話す」ことを自分に課してきた。毎回、小さな反省点を見つけ、少しずつ修正してきた。回を追うごとに「良かったよ」と言ってくれる人が増えている。先日も「去年の卒業式のあいさつはよく覚えています。プレッシャーをかけるわけではありませんが、今年も期待しています」とある先生から言われた。

人から期待されているうちが華だ。期待に応えられるようにしっかり練習をしておこう。じっさい、練習をすればするほど、自分に足りないところが見えてくる。足りないところは伸びしろだ。次の課題がおのずと見えてくるわけだ。その課題をまた練習をする。そしてまた伸びしろが見つかる。そして行けるところまで行く。そこがどんな場所であれ、そこが自分の行き着く場所なのだろう。

まあ、とりあえずの行き場所は、明後日の体育館だ。あまり伸びしろばかりが露呈するのもまずかろう。今日と明日、できるかぎりの練習をしておこう。さて、練習の時間だ。

そうそう、先日、村上春樹の新作『騎士団長殺し』を読み終えた。まだうまく言葉にできないが、とりあえず「すごかった」と言っておこう。読み手にとってすごい作品とは、読み手がすでに持っている価値基準に収まらないものだ。うまくこの「すごさ」を言葉にできれば、僕にとって新しい価値基準のようなものが見いだせるだろう。
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なぜぼくはPTA会長を引き受けたのか

2017年03月08日 | 雑文
気がついたら3月も1週間以上すぎていた。年度末でいろいろ忙しい。いちばんの原因はPTA絡みの行事だろう。しかしそのPTAとも今月いっぱいでさよならとなる。次男が小学校を卒業するので、僕も同時に会長を卒業というわけだ。

PTAという組織には根本的な課題がある。(戦後の日本社会が自らの姿を直視できないのと同じ構造をしていそうだ。)また、社会の変化に合わせて変えねばならない課題もたくさんある。そういうものを横においておくとすれば、僕としては会長を引き受けたことはとても良かったと思っている。

学校や教育行政や地域などをある程度じかに見れたのは良かった。(子どもたちを見れたのが一番良かったが。)どんなものごとであれ、現場を見なくても意見は言える。でも、現場を見ずに何かを語ると、どうしても批判的なことを口にしてしまいがちだ。(悪い情報の方が伝わりやすい。)じっさいに現場を見れば、さまざまな事情も見えてくる。その中で、事情に耳を傾けつつ、問題点は指摘し、そして落とし所を探す。そういう力が求められてくる。

残念ながらそういう力はほとんど発揮できなかった。何が起こっているのか、現場を見ているので精いっぱいだった。見て、いろいろ考え、なるほどと気付いたころには、終わりが近づいていた感じだ。(僕は、現状を理解するのに時間がかかるし、判断は遅いし、行動はのろのろしている。)どうやら、気付いたことはべつのところで活かすしかないようだ。

そろそろ終わりも近づき、なぜ会長を引き受けたかを書いておこうと思った。たいした役割ではないが、人がPTA会長(どちらかといえば敬遠されている)を引き受けるには何らかの理由がある。ほかの学校の会長たちに話を聞くと、ほとんどの人が「たまたま、声をかけられたから」と答える。(もちろん声をかける方には理由がある。学校行事に積極的に参加しているとか‥)

僕もそうだ。たまたま推薦委員会の目に留まり、それで連絡が来た。いちおう断ったが、他に誰もやり手がいないなら受けようと思っていた。こういう話があったら逃げてはいけない、2年前はどこかでそんな風に思っていた。(いまは違うことを考えている。)

僕にそう思わせた理由は、福島の原発事故だ。東北で大きな地震と津波があり、その後、原発事故が続く。地震と津波は天災だが、原発事故は人災だ。事故後、たくさんの本を読み、学べば学ぶほど、原発事故が人災だと思った。(人災の割には誰も責任をとろうとしない。)また、事故をべつにしても原発が正しい選択肢とは思えなかった。(先の見えない核燃料サイクルや最終処分場の問題など‥)

事故が起こるまで原発についてほとんど知らなかった。同じ程度に日本社会について知らなかった。そのことを自覚した。知らずに事故が起こった。廃炉には少なく見積もっても40年はかかり、費用は10兆円とも20兆円とも言われた。知らなかったから仕方がない。そういう人たちはたくさんいた。でも、子どものことを考えたら、「知らなかった」という事実と「仕方がない」という結論は一致しないと思った。「知らなかった」という事実は「無責任だった」という結論になるのかもしれない。

事故からしばらくたったとき、10歳の長男のことを思った。こいつが50歳になるまで事故の決着はつかないんだ。そしてその費用も負担させることになる。ひどい話だと思った。原発事故当時にある程度の年齢にたっていた大人は、子どもたちから責められても仕方がないと思った。「これ、あなた達のせいじゃないの。なんで、私たちに尻拭いをおしつけるの」と。

ほかの人がどう考えるかはどうでもよい。少なくとも僕は、知らなかった、関係なかったとは言いたくないと思った。自分の興味や関心に使う時間を削っても、少しは社会について知らないとまずいなと思った。それと何かできる機会があれば、とりあえずやってみようと思った。そこにたまたま、PTA会長の打診がきた。まあ、受けるのが自然だと思った。(親鸞ならば「廻向」とか「弥陀の御はからい」というのだろう。)

震災後、日本社会が変わるのではないか、社会がよくなるのではないか、そういう話が巷に広まった時期があった。僕も社会がよくなることを期待していた。でも、気付いたら震災で変わったのは社会じゃなくて自分自身だった。震災がなければ、PTA会長をなんぜったいに引き受けなかったと思う。不思議なものだ。でも、その役割もあとちょっとで終わりだ。きっと終わってからいろいろ考えるのだろう。
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