三平山春山登山の下見
烏ヶ山の見返りカモシカ② 2018.03.12
the cafe mozart waltz / anton karas
烏ヶ山
烏ヶ山の見返りカモシカ
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伯耆大山 烏ヶ山
上蒜山
烏ヶ山の見返りカモシカ
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烏ヶ山の見返りカモシカ
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三平山春山登山の下見
烏ヶ山の見返りカモシカ② 2018.03.12
the cafe mozart waltz / anton karas
烏ヶ山
烏ヶ山の見返りカモシカ
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伯耆大山 烏ヶ山
上蒜山
烏ヶ山の見返りカモシカ
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烏ヶ山の見返りカモシカ
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Climb会7回目 県森林公園 2015.08.22
山行きのふるさと
学生時代 結婚時代 子育て時代 友との山行き いつ来ても、
思い出いっぱいの県森林公園 霧あらう こころあらう 思い出あらう
日本海や 千軒平 霧あらう
Climb会7回目 県森林公園 2015.08.22
ともか
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衆楽園 2015.03.25
衆楽園は、津山藩主 森 長継が明暦年間(1655~1656年)京都から小堀遠州流の作庭師を招いて築いた大名庭園です。
当時の面積は23,504坪と現在の3倍近い ...
衆楽園 2015.03.25
操山登山
K・H・S 2013.02.17
操山(みさおやま)は岡山県岡山市中区にある低山。
標高は169mである。 なお「そうざん」と訓じた場合、
操山西北一帯の地名を指す。 かつては、三棹山や三櫂山とも表記されていた。
K・H・S操山登山
ななちゃんの雛人形 さずかくん出発 奥市より山登り ・・・・・・・・・ 尾根にたどりつく 岡山市街(三勲神社跡より)
きゆずか、さずかの会話のひと時
大岩と対話・・・・・ よく来てくれた。 操山頂上 169m
古墳・・雨の時の避難・・・・ 明禅寺城跡
明禅寺城跡から市内の景色 つばきの路
旗振台古墳から児島湾方面 素直な木・・・・ 護国神社
三ヶ上 【役行者】 2013.6.9
古くは山岳信仰の霊山として住民の暮らしに寄り添ってきた地域のシンボル的な山。
標高1062mの見晴らし抜群の山は、頂上周辺には2体の石仏が置かれ、山頂周辺にはまるでアートのような数々の石が歴史を感じさせます。
登山道までの行程、登山道にも危険箇所がほとんどなく整備もしっかりとなされていることから、ファミリー層にも人気の山です。
360度を見渡せる山頂からの展望、登山道で見られるリンドウをはじめとした可憐な花々など、幅広い層に人気の山です。
7世紀末に大和国の葛城(木)山を中心に活動した呪術者。
生没年不詳。役小角(えんのおづぬ),役君(えのきみ)などとも呼ばれ,後に修験道の開祖として尊崇される。
この石仏の建立は天正元年(1573年)古いまさに戦国時代 天正元年(1573年) 足利義昭追放 室町幕府滅びる。
こちらは頂上の役行者の石仏の一段下の不動明王の石仏です天正4年(1576年)とありますね 古い石仏です
天正元年 1573年
この石仏の建立は天正元年(1573年)古いまさに戦国時代 天正元年(1573年) 足利義昭追放 室町幕府滅びる。
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2024
2023
2022
青春せいしゅん、朱夏しゅか、白秋はくしゅう、玄冬げんとう
春山 夏山 秋山 冬山
春山 青春 3,4,5月 青春は 花々のファションシーンの山がいい
夏山 朱夏 6,7,8月 朱夏は 県北の山で1000m以上の山がいい。
秋山 白秋 9,10,11月 白秋は 錦の紅葉パロラマの山がいい
冬山 玄冬 12,1,2月 玄冬 は 県南の里山がいい。
こんな中国山地 山奥深くに、りりしく聳え立つ山はいまだしらない。
会いたくても逢えなかつた人にやつと逢ったような気がする岳
三ヶ上
この感動は自分で山を登った者しか解らないと思う。
いろいろ山行きは私なり重ねてきました。
そのとき考えたこと、思ったことを書き残そうと思います。
わたしは登山と言わず,山行きとして書こうとおもう。
その方が私の山の思いが合ってると思います。
山行きの内容はいろいろ多岐にわたります。
トレキング、尾根歩き、岩登り, 沢登り,雪山、
歴史探報(山城)最近、感動した山行きは三ヶ上(さんがじょう)、
こんな中国山地山奥にりりしく聳え立つ山はいまだしらない。
会いたくても逢えなかつた人にやつと逢ったような気がする岳 三ヶ上
タニウッギや 心にひめたる さんがじょう
ともか
立花隆 最後の旅 前編 2023.1.20
令和3年4月に亡くなった立花隆さん。旺盛な好奇心の赴くまま、政治、社会、化学、宇宙、生命とジャンルを超えた100冊以上の著作を世に問い、
「知の巨人」と呼ばれた。立花さんは昭和15年長崎県生まれ。
大学卒業後雑誌記者となるも2年半で退社、フリーの記者としてさまざまな媒体に記事を書き始める。
昭和49年に月刊誌に掲載された特集記事が時の田中角栄内閣を総辞職に追い込むきっかけとなり一躍注目を集める。
その後は好奇心の赴くまま幅広いジャンルの著作を手掛け平成19年にぼうこうガンの診断を受けると自らの病も取材の対象とした。
鋭く激しい知的好奇心に貫かれた80年の生涯だった。
HAUSER - Intermezzo from Cavalleria Rusticana
リゾーム「地下茎」
立花隆 最後の旅 後編 2023.1.20
見えた 何が 永遠が 〜立花隆 最後の旅 完全版〜
「人間とは何か」という問いに向き合い続けた立花隆さん。
死に際し、遺体や膨大な蔵書を「無」にして欲しいと言い残していた。
“知の巨人”が私たちに残したメッセージとは
膨大な知の領域を渡り歩き、2021年に亡くなったジャーナリスト立花隆さん。
「遺体はゴミとして捨てて欲しい」「蔵書は全て古本屋に売り払って欲しい」と言い残していた。
なぜ「無」に帰ろうとしたのか…。17年間共に番組を制作してきたディレクターに、遺族から100箱にのぼる資料が託された。
生涯をかけて追い求めたものとは。私たちに残したメッセージとは…。人生と思索の軌跡をたどり、“知の巨人”の人間像に迫る。
HAUSER - Intermezzo from Cavalleria Rusticana
「知りたいことを教えてくれる学問はない。知識を得ようと努めながら無知があらわになっただけ」
「机上の学問より、実践の中により多くの真理がある」
「明らかに見、確信をもって生きるために真偽弁別力をつけたい」
人間はどこから来て、どこへ行くのか
「人間はどこから来て今どこにいてどこへ行こうとしているのか、そこのところをいろんな角度から光を当てて考えて続けてきた」
これは、あらゆる人々にとって普遍的なテーマでしょう。
ゴーギャンの絵のタイトルでも有名です。
立花隆の最後の言葉は?
「負け続けてもいい。 自分の意思を持ち続けろ! 」 立花隆が「どうしても最期に残しておきたい」と切望した遺作。
climb20回
和気アルプス登山 2016.12.17
climb20回 和気アルプス登山 2016.12.17 「290」
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