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旅行記、世相独言

行ってきました,朝倉家一乗谷,越前三国温泉,越前市紫ゆかりの館 (2)三国温泉と紫ゆかりの館

2023年07月20日 00時13分02秒 | 異文化体験_日本
行ってきました、朝倉家一乗谷、越前三国温泉、越前市紫ゆかりの館

(その2)三国温泉と紫ゆかりの館

2023年7月6-7日

(写真はクリックで拡大します)

 コロナ禍が少し収まり、ラッキーにも梅雨間の晴れ間が拝める7月初旬、過去幾度となく近くを素通りしていた「朝倉氏ゆかりの一乗谷」を訪れました。その日の宿舎は全国旅行支援を利用して越前三国温泉、翌日は来年の大河ドラマ主人公ゆかりの武生「紫式部と国府資料館」を訪問、ちょうど600kmのドライブでした。

【越前三国温泉 休暇村越前三国】
 7月、ほとんどの都道府県で全国旅行支援制度が予算終了の中、有難いことに「休暇村越前三国」はまだ使えるとのこと。コロナ禍の間は関西近隣の休暇村シリーズにはこの制度と共に随分お世話になった。芦原温泉の先、東尋坊のすぐ横に位置するこの施設が今回の宿舎。海の幸を中心としたブッフェ料理、Na・Ca塩化物泉の荒磯温泉、おりしも七夕前夜で星空も期待したが、薄雲がかかり残念。

          
      三国温泉の休暇村越前三国(左建物正面、右部屋からの日本海)

   
        今の季節は湊町宝魚ブッフェの夕食 朝食の一押しは幻の漁師飯「鯛まま」

一人16000円の料金が、会員割引、全国旅行支援、オフピーク時割引、溜まっていた会員ポイント等を利用して10000円ほどに。更に福井県からお得クーポン&60歳以上クーポン計3000円を頂戴したので、お土産を買いに東尋坊のお店にまで足を延ばした。

          
七夕前夜の夕暮れは、残念ながら薄曇りでこんな夕日  たくさんのクーポンを貰って翌朝東尋坊までお土産を買いに

【紫式部と国府資料館 紫ゆかりの館】
 紫式部が生涯で唯一、都を離れて暮らしたまち、それが越前国府、現在の越前市武生。
京で生まれ育った紫式部が、父藤原為時の越前国府への下向時に共にして、およそ1年半ほど越前の国で暮らした。この時紫式部は23歳、京で親子ほど歳の違う藤原宣孝との縁談が持ち上がっており、気持ちの整理のために下向を共にしたとも言われている。館では紫式部が越前国府で過ごした日々と、 京都に遺してきた婚約者・宣孝との 遠距離恋愛の中で紡がれた恋の和歌を、 壁面・床面スクリーンいっぱいに広がる、雅で美しい映像で紹介している。
宣孝が越前に漂着した宋人を春には越前に見に行き、あなたに会いたいとよこした手紙に対して、「春なれど 白嶺のみゆき いや積もり 解くべきほどの いつとなきかな」(春になりましたが、こちらの白山の雪はいよいよ降り積もって、解けることなんかいつのことかわかりません(私の心もいつ解けるかわかりません))と答えて詠んだ歌だそうな。

       
           紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館)の案内書

      
           案内書の内容と資料館の外観

  
     館内展示の一部(御簾の中の式部や下向時の様子は、越前和紙で作られている)

結局、京に戻った紫式部は、25歳で宣孝と結婚し一女をもうけるが、3年間の結婚生活は宣孝の死で終わる。
その時に詠んだ歌が、「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」
(連れ添った人が亡くなり,火葬され煙になってしまった夕暮れから、塩竈の浦という名所の名前がとても身近に感じられるのです。)

           
    紫支部公園の案内書(3000坪の本格的な寝殿造り庭園で、池のほとりには総檜造りの釣殿も)

その後は、家長との関係、源氏物語の執筆と展開していくのだが、来年の大河ドラマ「ひかる君へ」でどのように紹介されるか、紫ゆかりの館のお隣には平安時代の庭園を再現した寝殿造庭園まで整備され、黄金の紫式部像が待ち構えている。地元は沢山の観光客の訪問に大いに期待を寄せている。

       
     朱塗りの橋の向こうに黄金の式部像が(文化勲章受章者の圓鍔勝三氏作)




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行ってきました,一乗谷,三国温泉,紫ゆかりの館 (1)日本のポンペイ「一乗谷」

2023年07月18日 22時35分03秒 | 異文化体験_日本
行ってきました、朝倉家一乗谷、越前三国温泉、越前市紫ゆかりの館

その1,日本のポンペイ「一乗谷」

2023年7月6~7日


 コロナ禍が少し収まり、ラッキーにも梅雨間の晴れ間が拝める7月初旬、過去幾度となく近くを素通りしていた「朝倉氏ゆかりの一乗谷」を訪れました。その日の宿舎は全国旅行支援を利用して越前三国温泉、翌日は来年の大河ドラマ主人公ゆかりの武生「紫式部と国府資料館」を訪問、ちょうど600kmのドライブでした。
(写真は、クリックで拡大します)

【一乗谷朝倉氏遺跡】

              

 越前一乗谷は、1400年代から1500年代、朝倉孝景、氏影、貞影、孝景、義景の5代当主のもと約100年間、戦国時代に大いに栄えた城下町だが、1573年信長の侵攻を受け朝倉氏は滅亡。侵攻により木造の城下町全体が遺跡となり、一夜にして街の姿を変えたポンペイ同様、日本のポンペイともいえる遺跡である。過去多くの観光客が、450年前の往時の生活に思いを馳せながら巡った遺跡からは2343点もの重要文化財が出土している。

        
             2022年秋に開設された一乗谷朝倉氏遺跡博物館

 そんな一乗谷の入り口近くに2022年秋、実に立派な「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」が開館した。従前は城下町遺跡の散策だけであったが、博物館の完成で出土品を中心に往時の様々な資料や遺構を見物し、また体験等を通じてより深く一乗谷の生活を知ることが出来る。
入館料は大人700円、復原町並とセットは820円。我々夫婦で1640円払おうとすると、係の女性から70歳以上ですかと尋ねられ、それだとお二人で720円ですと案内されビックリ。館内で様々な資料を入手することが出来る。

        
       館内2F展示風景(往時の街並みも再現され数多くの出土品が見て取れる)

       
           
 一口に一乗谷と言っても、朝倉義景ら当主は平時は山麓の城下町に住んでおり、朝倉氏の本城「一乗谷城」は標高473mの一条城山に築かれた城山で、大小複数の曲輪から成り立っている。一条谷城での戦闘記録は残っておらず、なかったと考えられている。麓から約1時間の登山で行くことが可能だが、山城まで行く人は少ないようだ。

 一条谷城へは1時間程の登山、多くの曲輪跡があるようだ 

 一乗谷朝倉氏遺跡約278haの谷地形城下町は、大きく4つの地区に分けられる。
◉下城戸地区(町の内外を区切る巨石を積み上げた土塁石垣があり、町の玄関口)
◉寺院・町屋地区(八地谷川沿いの道路沿いに職人の町家群、山裾に寺町が帯状に連続)
◉武家屋敷地区(川の南側に家臣名に由来する地名が続く地区、戦国城下町を体験できる復原町並もこの中にある)
◉当主館地区(川の北側に越前国の政治・文化の中心であった朝倉館を核とする当主一族の館・寺院跡が集積している。朝倉館入り口の唐門が有名)


      一乗谷の四つの地区(ハンドブックの裏の印は五代当主義景の花押と家紋)

 とりわけ武家屋敷地区の「復原町並」は多くの観光客に親しまれてきた。全国でも6例しかない国の三重指定(特別史跡、特別名勝、重要文化財)を受けた遺跡は、およそ50年以上続く発掘・保存に基づくもの。

        
                 復原町並でもらった案内書

        
        復元されたまちなみ         武家屋敷(屋外雪隠の穴解明に手間どったとか)

        
         武家屋敷の内部          路地裏の休憩所(風鈴の音に癒される)  

       
     復原町並から見た当主館地区          朝倉(当主)館への橋と唐門

       
        朝倉館の礎石跡            五代当主義景公の墓所 

資料館で手に入る一乗谷ハンドブックを手に、あるいは定時ガイド(10時、12時、14時 500円/人)を利用して散策されることをお勧めする。新たに出来た遺跡博物館から周遊バスも出ているが、運行は事前に調べること。

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