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旅行記、世相独言

宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅 (JALどこかへマイル第4弾) 第3回:中尊寺と毛越寺(平泉文化を求めて) (その2)毛越寺

2022年12月26日 22時37分08秒 | JALどこかへマイル
宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅(JALどこかへマイル第4弾)

第3回:中尊寺と毛越寺(平泉文化を求めて) (その2)毛越寺

令和4年11月17日~19日

(写真等はクリックで拡大します)

 二代基衡公が建立した毛越寺(もうつうじ)は、中尊寺とは目と鼻の先。寺伝によると「越」は慣用音でオツと読むのでモウオツジがモウツウジに変化したとある。毛越寺の由来は、寺伝の白鹿伝説によると、850年慈覚大師が当地で霧に迷い、足元の白鹿の毛をたどると白鹿がうずくまっており、近づくと白鹿が姿を消し白髪の老人が現れ、この地を霊場にせよとお告げがあり、一宇の堂を建立し嘉祥寺と号したのが毛越寺の起こりとされている。

       
中尊寺と毛越寺は約2km、徒歩30分ほど   毛越寺本堂(本尊薬師如来、脇士日光・月光両菩薩)

 広大な境内には、かつて金堂円隆寺、嘉祥寺、講堂、常行堂、経楼、南大門などの臨池伽藍の堂舎が並び、その前庭に大泉が池を中心とする浄土庭園が配され、特別史跡、特別名勝に指定されている。平安時代に書かれた日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園である。

   
臨池伽藍跡と浄土庭園 平安時代の堂塔伽藍図(南大門跡から金堂円隆寺に向けて大泉が池を渡る通路が。写真の左から右へ)

      
開山堂(慈覚大師を祀る堂)        鐘楼跡から中島の鳥たち      常行堂付近の水辺から池中立石

 毎年正月二十日に世の中の平安と人々の幸せを祈願する850年の歴史を有する「常行堂二十日夜祭」(国の重要無形民俗文化財)が行われる。厄年の老若男女 (講に属する42歳厄年に限定)が松明を先頭に常行堂まで練り歩き大根や白菜などを奉納する献膳上り行列が行なわれ、 常行堂では古伝の常行三昧供の修法の後、法楽に延年の舞が奉納される。幸い帰阪後、テレビ番組でこの850年続く行事を見ることが出来た。

  
    洲浜からの景観        850年続く二十日夜祭が行われる常行堂  二十日夜祭の松明行列(HPから借用)

 現在、毛越寺には創建された当初の寺堂は一宇もなく、現常行堂も享保17年(1732)に再建されたもの。仏像、仏具、書籍などの宝物も後世のもので、創建当時のものはほとんど残っていないのが実情だが、形の無い「延年の舞」は、時を超えて今なお850年昔の姿のまま地元の努力で絶えることなく伝承されている貴重な行事である。

 帰路のフライトは、18時45分。17時の返却予定に多少時間があるので、平泉の南10kmの一関市にある奇岩、怪岩に富む「厳美渓」に立ち寄る。栗駒山を水源とする磐井川中流の2kmほどの渓谷で、国の名勝、天然記念物である。
 ここでは、「空飛ぶだんご」として知られる郭公(かっこう)だんごが名物。渓谷に沿って遊歩道が整備されていて、岸辺に多くの若者が集まっているところがあったので、行ってみると対岸の団子屋さんがロープウエイで団子の販売をしている。籠にお金を入れると団子屋さんが団子とお茶を入れて届けてくれる、この順番待ちに行列が出来ていたわけ。千円札で団子2折とお茶2つが運ばれているので、一折(3本入り)4~500円のようだ。

        
国の名勝、天然記念物「厳美渓」渓谷に沿って遊歩道が整備されている   対岸から空飛ぶだんご「郭公だんご」      

 ここから空港までは120kmほど。午後3時出発して一関インターの手前で満タン給油。なんと147円/ℓ、大阪では160円ほど。なんで? 土曜日とあって多少車も多かったが、無事日没の午後4時半過ぎにトヨタレンターに返却。

 大阪伊丹空港の手荷物受取所で驚いた。午後9時までの伊丹空港ゆえ、午後8時半の手荷物受取所は全国各所から到着した飛行機の手荷物を待つ人でごった返している。コロナもどこ吹く風、日本人も海外からの旅行客も今や遅しとターンテーブルの周りを幾重にも取り囲んでいる。皆さん、コロナにお気をつけて!と駐車場に向かう。
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宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅(JALどこかへマイル第4弾) 第3回:中尊寺と毛越寺(平泉文化を求めて) (その1)中尊寺

2022年12月25日 15時28分00秒 | JALどこかへマイル
宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅(JALどこかへマイル第4弾)

第3回:中尊寺と毛越寺(平泉文化を求めて) (その1)中尊寺

令和4年11月17日~19日


(写真類はクリックで拡大します)

 優香館を10時に出発。青空のもと、来た道を南下することおよそ70km。11時前に平泉・中尊寺に到着。すでに第1駐車場は多くの車で埋まっている。金色堂の近くまで車で行ける道もあるが、ほとんどの人は月見坂を散策しながら本堂を目指す。

        
             中尊寺案内図(左:55年前のもの 右:現在のもの)

 55年ほど前、重いリュックとテントと担ぎながら、この坂を歩いてテントの張れそうな場所を捜したが、結局中尊寺の宿院(東稲荘1泊2食付き880円)に泊めてもらった記憶がある。名残の紅葉を愛でながら北上川を一望する東物見を経て本堂にたどり着く。ここで御朱印をいただく。

        
    月見坂(左:55年前、テントを張る所を捜しながら 右:現在の第1駐車場からの登り口)

  
   弁慶堂                東物見(左:55年前の眺望  右:現在の眺望)

        
月見坂 地蔵堂あたりの紅葉の名残      55年前の中尊寺宿院(東稲荘1泊2食付き880円)

 中尊寺は、天台宗東北大本山で、松島の瑞巌寺同様、慈覚大師円仁により850年に開山。十二世紀初め奥州藤原氏初代清衡公が前九年・後三年の合戦で亡くなった多くの命を供養するため大伽藍を造営したが、十四世紀に堂塔の多くが焼失している。

  
    中尊寺本堂(比叡山延暦寺同様「不滅の法灯」が護持され、本尊は釈迦如来坐像)

 金色堂の手前の讃衡蔵(宝物館)で、共通の拝観券(800円)が発行されている。
 金色堂は中尊寺創建当時の姿を今に伝える建造物で、1124年清衡公によって上棟され、経典に説かれた「皆金色」の極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした秀衡公の想いを往時の工芸技術を集約した御堂と言われている。三基の須弥壇の上には阿弥陀如来を中心に菩薩、持国天、増長天等が囲み稀有な仏像構成となっている。

    
左:峯薬師堂(落葉で覆われた池面) 中:55年前竣工間近の覆堂、金色堂は東京で修復中) 右:現在の金色堂覆堂

 金色堂は霊廟でもあり、中央の壇の内部に造営した初代清衡公、向かって左の壇に薬師如来を本尊とする毛越寺(もうつうじ)を造営した二代基衡公、右の壇に源義経を奥州に招き入れ阿弥陀如来を本尊とする無量光院を建立した三代秀衡公の亡骸、そして源頼朝に攻められた四代泰衡公の首級が金色の棺に納められ今も安置されている。
 三世仏(過去釈迦、現世薬師、未来世阿弥陀)を本尊とする三寺院を残し、1189年奥州藤原氏は滅亡した。

    
金色堂(1124年造立「皆金色」の極楽浄土を表現) 須弥壇上の本尊阿弥陀如来等の諸仏と壇内部は霊廟  金色堂御朱印

 金色堂は、1288年鎌倉幕府が建てた覆堂によって風・雨・雪等から永らく守られてきた。現在の覆堂(古くは鞘堂と言われた)は、1965年に完成した鉄筋コンクリートの覆堂で、私が学生時代に訪れた時(1965年8月)は、鞘堂は完成間近で、金色堂は東京で修復中であった。ちなみにこの時の中尊寺の拝観料は100円。700年近く金色堂を守ってきた旧覆堂は、重要文化財として金色堂の近くに移設されているが、「五月雨の降り残してや光堂」と詠んだ芭蕉は、この覆堂の金色堂を見て詠んだんだろう。

         
左:金色堂を長年守ってきた旧覆堂(鞘堂と呼ばれていた) 右:この覆堂内の金色堂を芭蕉は詠んだに違いない

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宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅(JALどこかへマイル第4弾)第2回:松島海岸と宮澤賢治記念館 山の神温泉(優香苑)

2022年12月19日 22時46分42秒 | JALどこかへマイル
宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅(JALどこかへマイル第4弾)

第2回:松島海岸と宮澤賢治記念館 山の神温泉 優香館(建築美旅館を求めて)

(写真等はクリックで拡大します)
令和4年11月17日~19日


 二日目、松島公園の駐車場は比較的小ぶりなものが多いようなので、秋保温泉を午前9時に出発。約45km離れた松島公園に10時前に到着、幸い一番観光に便利な第一駐車場に停めることが出来た。

 おりしも朝の陽光が松島海岸の水面に反射し、遊覧船が行き交っている。駐車場のすぐわきに松島のシンボル、国の重要文化財「五大堂」がある。807年東征時に坂上田村麻呂が建立し、その後慈覚大師円仁が五大明王像を安置したのが、その名の由来とか。現建物は1604年伊達政宗が創建し、33年に一度五大明王像(秘仏)が開帳されている。直近の開帳は平成18年。

            
     朝の日本三景「松島海岸」                重要文化財「五大堂」

 瑞巌寺、松島青龍山瑞厳円福禅寺がその正式名称。9世紀初頭慈覚大師円仁により天台宗延福寺として開創。13世紀に幕府執権北条時頼により臨済宗円福寺となり、関ヶ原の戦い以降、衰退していた円福寺の復興を伊達政宗が注力。仙台城の築城と併せて1604年から自ら縄張りを行い、紀州熊野の用材を求め、畿内名工130名を呼び寄せ、更に1608年寺の大鐘を鋳造、その鐘に「山を号して松島と曰い、寺を名付けて瑞厳と曰う」との一文があり、これが瑞巌寺という呼称の初出で、以降正式名称を松島青龍山瑞厳円福禅寺に改めたようだ。1609年に工事を完了し、以降江戸時代を通じて伊達家の菩提寺として領内一の規模格式を誇った。

            
    松島青龍山瑞厳円福禅寺案内パンフ            瑞巌寺御朱印

 入り口で御朱印帳を預け、台所の役割を担う国宝の庫裡(くり)から入り、同じく国宝の本堂を見学する。正面38m、奥行24m、10の部屋を持つ本堂の中心となるのは室中(孔雀の間)で、狩野左京筆「松孔雀図」(復元模写)が見事。平成30年に10年に及ぶ平成の大修理が完了している。再び庫裡から出ると宝物館(青龍殿)があり、お寺にまつわる様々な宝物を鑑賞することが出来る。
 参道の脇に多くの洞窟遺跡群が見て取れる。洞窟の壁面には供養塔、戒名等が無数に見ることが出来、30年近く前に来た時は直近まで行けたが、今は少し距離を置いて案内路が設けられている。

            
    台所の役割を担う国宝の庫裡          正面38m、奥行24m、10の部屋を持つ本堂  

            
         本堂の庭園               参道脇の洞窟遺跡群の一つ 

 宿でもらった地域クーポンは二人で6000円。今日中に宮城県で使わないといけない。宿で2000円使ったので、残りを土産物屋で探し求める。なぜか「ずんだ餅系」のお土産がやたらと多い。せめて2.3日の猶予があれば仙台空港でもっとましなものが買えるのだが、これから岩手県に向かうので、とりあえず4000円の土産を買い、花巻に向け出発する。

  
                  宮沢賢治記念館の入り口

 松島から150kmほど東北自動車道を北に走らせると、花巻に岩手が生んだ偉人「宮沢賢治」の記念館がある。4年間に安比高原のゴルフツアーの際にも訪れており、その時のブログでも紹介している。宮沢賢治の深遠な思想や世界観には、とてもついて行けないが、記念館では「科学」「芸術」「宙(そら)」「祈」「農」の5部門で彼の足跡を展示・紹介している。彼が見たまことの世界、イーハトーブの心象世界を少しでも感じ取れれば、と思い2度目の訪問となった。
 前回訪問時は、童話「セロ弾きのゴーシュ」が特別展示されていたが、今回は童話「カイロ団長」。1896‐1933のわずか37歳の短い生涯を疾風のごとく駆け抜けた宮沢賢治の世界はとてつもなく広い。

  
        宮沢賢治の足跡を「科学」「芸術」「宙(そら)」「祈」「農」の5部門で展示するホール

 今宵の宿は、花巻温泉郷の奥に位置する神の山温泉「優香苑」、宮大工建築と温泉かけ流しの湯宿という触れ込みに興味を覚え、記念館から20kmほど内陸に車を走らせる。
 木造2階建ての客室が一番館から八番館まで本館(のみ3階建て、玄関)を中心に左右に長い廊下で結ばれ、二つの浴場等の諸施設が配置されている。

            
                  花巻温泉郷山の神温泉「優香苑」 

            
        優香苑の平面図              本館玄関のロビー

 我々の部屋は本館に近い三番館の2階、エレベーターがないので階段利用となる。部屋は、二人には広い三間和洋室(和室2間10畳・6畳とツインベッドルーム)。
 宮大工が手掛けたというこの宿、全館に格子模様の格天井や所々に巧みな細工が施されて、木のぬくもりに包まれた、従来の宿と異なる趣のある空間の中で過ごす旅となった。

        
     今回の部屋は三番館二階の321号室(木のぬくもりに包まれた10畳、6畳、ツインベッドルーム)

 宿のもう一つの売りが、PH9.3のアルカリ性単純温泉。大浴場「とよさわの湯」の広い露天風呂に入っていると、少し雨が降り出し、翌日の天候が心配されたが、夜の間の雨で、翌朝は部屋の近くの「こもれびの湯」で陽光を迎えることが出来た。部屋の温・湿調整もしっかり出来ていて快適な睡眠と、おいしい会席料理、まったりした湯を存分に味わって、最終日の旅程に出発!。

            
      大浴場「とよさわの湯」の露天風呂      小浴場「こもれびの湯」の露天風呂       

            
      今宵の食事の始まり                 今宵のお献立   

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宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅(JALどこかへマイル第4弾) 第1回:仙台牛タンと青葉城址、秋保温泉(巨大風呂を求めて)

2022年12月18日 15時21分47秒 | JALどこかへマイル
宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅(JALどこかへマイル第4弾)


第1回:仙台牛タンと青葉城址、秋保温泉(巨大風呂を求めて)

(写真等はクリックで拡大します)
令和4年11月17日~19日


 有効期限が迫ったJALマイルの活用策として、「JALどこかへマイル」制度を活用し、今まであまり行けていない東北方面を狙った。JAL指定の4空港の中からこれまたJAL指定の空港を着発とするこの制度。最初の指定4空港は青森、花巻、仙台、石垣、ラッキーにも東北に行ける確率が大きいので、これをOKすると翌日仙台空港が指定された。
 過去第1弾は、新潟空港拠点「山形一周の旅」、第2弾は札幌空港拠点「洞爺・支笏湖の旅」、第3弾は松山空港拠点「足摺・四万十・四国カルスト・道後の旅」(いずれもブログ掲載しています)、そして今回第4弾は仙台空港拠点「宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅」を計画。
松島は27年ぶり、平泉は実に55年ぶりである。以下の3回に分けて紹介します。
第1回:仙台牛タンと青葉城址、秋保温泉(巨大風呂を求めて)
第2回:松島海岸と宮澤賢治記念館 山の神温泉(建築美旅館を求めて)
第3回:中尊寺と毛越寺(平泉文化を求めて)

 伊丹空港の駐車場は高いので今まで空港周辺の民間駐車場を利用していたが、今回初の利用。なんと予約料と駐車料の二本立て。朝の高速ラッシュで少しやきもきしたが離陸1時間前に入庫でき、さくらラウンジで一服。仙台行は午前10時半発JL2205便。

 27年前の東京単身赴任時に鉄道駅周辺だけを知る仙台、5分ほど遅れて機は無事到着。早速昼食を取るべく空港ビル3階の寿松庵へ。牛タンを食する機会は恐らくここだけと思い、牛タンシチューセットを注文。お箸で食べれる柔らかさの美味シチューを私はパンで、女房はライスで、昼食をとる。
            
           空港ビル3階の寿松庵の牛タンシチューセット   

 今回はトヨタレンタカーでSサイズを予約し、ヴィッツが用意されていた。仙台空港と市内青葉城址とは予想以上に距離があり、それというのも先の大地震の影響で通行止めの箇所があるため、随分迂回して到着した。

            
             城址址からの仙台市街地の眺望

 仙台城は、初代仙台藩主伊達政宗によって造営された城。東が広瀬川、南が竜の口渓谷、西が青葉山に囲まれた天然の要害で、その始まりは戦国時代にこの地を治めていた国分氏が青葉山に造った山城を利用して築かれたようで、1602年に本丸と東丸(三の丸)が整備され、その後二代藩主忠宗が二の丸を造営し、ここがその後の藩政の中心となったようだ。
 政宗はこの城に天守閣を設けず、1610年に畳約430畳の本丸大広間を完成させている。全部で14の部屋があり桃山建築の粋を集めた豪壮華麗な建物だったようで、その礎石が残っている。

            
       仙台城見どころマップ                 本丸大広間の礎石

            
         本丸大広間の復元図                本丸大広間地絵図  

 また、正宗公没後300年を記念して1935年に造られた37歳の伊達政宗騎馬青銅像は、残念ながら今年3月16日の地震で破損し、来年3月まで修復撤去されている。
 初代の像そのものは数々の変遷を経て1964年復元され、台座の銅板レリーフには政宗の生涯4場面が描かれているそうだ。(元服時、朝鮮出兵時、遣欧使節団支倉常長の見送り時、権中納言授位時の束帯姿)

            
    仙台城址のシンボルは修復移動            本来ならこのような!  

 本丸跡には、荒城の月の句碑がある。滝廉太郎作曲、土井晩翠作詞のこの曲は、明治生まれの晩翠が修学旅行で鶴ヶ城 跡を訪れた際に荒れ果てた姿を目にして、故郷の青葉城 と重ね合わせ、そのイメージをもとに 詩を書いたと言われている。
 また、明治35年に建立された仙台鎮台(第二師団)戦没者を慰霊する昭忠碑は、東日本大震災で頂部の青銅製の鵄(とび)が翼を広げた姿の像が落下し、修復された後、基壇部に新たに台座を設けて展示されている。元は全体で約20mもある巨大な像。
 本丸跡の仙台城見聞館には、仙台歴史ミュージアムネットワーク(歴ネット)シート(見聞館のものはシートNO1~10、無料)も置かれているので、必見。

     
仙台出身「土井晩翠作詞」の「荒城の月」句碑  昭忠碑の青銅製の鵄像   仙台歴史ミュージアムネットワークシート 

 仙台市内を一望する青葉山城址、二の丸あたりに東北大学のキャンパスがあり、坂道と格闘する学生諸君の若さを羨望しながら、今宵の宿「秋保温泉ニュー水戸屋」に向かう。

 秋保と書いて「あきう」と読む。秋保温泉郷の奥には自然美豊かな磊々(らいらい)峡、秋保大滝、二口峡谷等の名勝があるが、今回は温泉郷止まり。この秋保温泉の歴史は古く、名取の御湯と称され、別所、野沢と共に日本三御湯に数えられるようで、伊達政宗も秋保の湯を愛し、伊達藩の御殿湯となったようだ。

            
        今宵の宿ニュー水戸屋            宿の平面図に占める湯殿の広いこと

 ホテルニュー水戸屋は、豊富な湯量(ナトリウム・塩化物泉/低張性弱アルカリ性高温泉)と十六趣の湯殿を売り物にしている。とにかく風呂場が大きい。形や湯温の異なる湯殿が沢山あるが、泉質は皆同じ。仙台の奥座敷で団体客目当ての宿のようで、コロナがおさまりつつあるこの時期、アジアからの団体客もバスで到着していた。ただ、お客は戻りつつある一方でスタッフが少ないのか、夕食時の会席料理も次々と提供され、折角の美味しい温かい料理も食べる時には冷めてしまって、残念であった。


            ニュー水戸屋の十六趣の湯殿                会席和コースのお献立    

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